リン達が住む都市の郊外の森。ニリンソウの群生する空間に生えた巨木の根に、一人の少女が横たわっていた。
髪は黒を基調とするが一部に青みかかった紫色が混じり、白いネグリジェを纏う肢体と長い睫毛に彩られ閉じた双眸を携えたかんばせは人ならざる神秘性を感じさせる。
言わずもがな、小夜風アヤメである。
「いや、こんな外に寝かせて大丈夫なんですか? 春とはいえ風邪ひくんじゃ……」
その様子を見たリンがまず口にしたのは心配であった。あの闘いの後、気を失ったアヤメをWeyer String-IIIに任せてリン達は一時帰宅した。
だが、森に放置するのは幾ら何でも雑ではないかとリンは思う。秋や冬ではないとはいえ、夜となれば冷え込む事は多い。その上、虫や動物などの危険もある。しかし、Weyer String-IIIは動じずに説明した。
「アイリスは特殊なのよ。都市や人工物に囲まれるよりも、森や水中の方が回復は早いわ。あの子みたいな魔法使いは、魔力が多く流れる自然の中に身を置いた方が良い」
Weyer String-III曰く、巨木を寝床とすることで、優しい魔力の循環の中にアヤメを置いたとのことだ。また、よく見ればアヤメの足には鈴の付いたアンクレットが付けられている。これは大地の力を効率よく得る為であり、神に捧げる楽器の一つである鈴は魔除けの役割を果たす。
「それに、あの子の回復には妖精や魔法生物が集まっている環境の方が好ましいもの」
Weyer String-IIIはアヤメの側にいる、枝葉で構成された少女のような妖精〝エコーズ〟を指す。
リン達を魔法の世界に関わらせる事に難色を示していたWeyer String-IIIだが、霊感のあるリンには妖精達の姿が見えてしまったらしい事が闘いの後に判明した。
見えてしまったものは仕方が無い。彼女は魔法そのものというよりは、周りに存在する様々なモノとの関わり方をリンに教えることにした。放置すればリンにも妖精達にも不利益が生じる。
危険な存在にリンが襲われる事もあり得るし、見えてしまう人間の視線一つで妖精は捕らわれの身になる事もあるのだ。
「〝
森歌と呼ばれた妖精はアヤメを傷つけたリンを少しだけ睨むが、Weyer String-IIIに言われてアヤメの看病に戻った。ただ、看病と言っても頬ずりしたり纏わりついたりと、どちらかと言えば鳥や蛇に近い動きだが……
また、アヤメの膝のあたりで丸まって寝ているのは
なお、アヤメはこれをポチと呼ぶ。
アヤメと出会ったのは彼女が幼少の頃であり、ポチという名前はその頃に付けられたそうだ。当初は野良犬だと思っていたとはいえ、詳細を知った今でも一緒にいるのだから、いくらポチがアヤメの魔力目当てであるとしても、そこには絆が有るのだろう。
「何というか……平和ですね。時間がゆっくり流れているような……」
「そうね。でも、私から言わせれば、都市の時間の流れが速すぎるだけよ。早老症でもないのに十倍の速度で老けて行きそうだわ」
これが、アヤメの愛する世界なのだろう。争いも流血も無く、ただ森の安寧と静寂という名の音楽が流れる空間。成長は望めないかもしれないが、生き急ぐ必要もない。少し前のリンなら、つまらないと切り捨てていただろう。実際、今もこの世界に身を置きたいかと言われれば直ぐには肯定できない。
だが、首に銃弾を受け、人々が争う姿を目の当たりにしたアヤメにとっては、ここはまるで宝石箱だ。アメジスト、スピネル、オニキス、メノウ……きっとアヤメには森に咲く花々がそのように見えているのかもしれない。
「……人間が時間に縛られて生きているのは、産業革命で台頭した機械に合わせて動いてるからに過ぎない。まるで時間泥棒に時を盗まれたかのように生き急いで、手元に残った時間ですら自己研鑽と言って争いに使う。アイリスは時々人間社会をゴールドバーグ・マシンに喩えていたけれど、私ですら思うわ。そこまで己を追い詰めて駆り立てて、一体どんな人類を生み出そうとしているのかしらって」
「…………」
「別に貴方の生き方が悪いとは思わないし、否定するつもりも無い。でも、アイリスはそんな生き方に疲れてしまったのよ。あの子と仲直りしたいなら、その事を頭に入れておいた方が良いかもしれないわね」
「…………ありがとうございます」
リンの中には未だに、精神的に向上心を持たないものは好きになれないという感情がある。
だが、それでもWeyer String-IIIの「どんな人類を生み出そうとしているのかしら」という言葉は何故か針のようにリンの心を刺した。
ゴールドバーグ・マシン。リンはこの言葉について改めて思い出す。
普通にやれば簡単にできる事をあえて手の込んだ絡繰りを用い、それらが次々と連鎖する事で実行する機械、もしくは装置。日本ではピタゴ○装置という名称で知られている。
確かに、人間が時間にこだわるようになったのは信頼関係の構築や礼儀などというものではなく、ただ機械に合わせて動いた結果に過ぎなかった。
人類が自己を高め、文明を発展させた結果はどうだろうか。まるで時間を奪って絡繰りを回す、正に悪辣なゴールドバーグ・マシンのようではないか。
リンは成長を望まない者や、異世界転生などと言って現代社会から逃げようとする人間を軽蔑していたが、改めて考えてみれば、そこまで現代社会は高尚なものであろうか。
リンがグルグルと考えていると、Weyer String-IIIが何かに気付いたように視線を向けた。視線の先には、鹿に横乗りする女性の姿が有った。
「固めよ
その女性は遠目に見ても異質であった。まず、耳が長い。ファンタジー小説に登場する架空の存在、俗に言うエルフのような耳だ。そして、纏っている衣装は黒いドレスに黒いヴェール。花嫁衣装のようにも、喪服のようにも見える。
そして浮かべる表情は微笑。しかし、それは何処か見下すような感情が含まれていた。
「お久しぶりね。
「ええ、お久しぶり。アイリスの暴走に対してシカト決め込んでた妖精女王様」
「鹿だけに?」
「喧しいわ。それで、今更何の用よ」
(スプリガン……? なんか三世って本名分からないままあだ名だけが増えていくなあ)
リンは謎の女性二人の会話に対して内心で軽くツッコむ。尤も、後に転移する世界でリコとロイに友人達の本名を当初は伝えていなかったのだが。
「一応言っておくけれど、危なくなったら介入するつもりだったわよ。でも、人の子らだけで解決できてしまったものね。私のような年寄りが出る幕も無かったのだけれど……」
「ふーん、で、今日は何しに来たのよ」
「ああ、いけない、忘れるところだったわ。今日はあの子を狂気の淵から呼び戻した、小さな英雄に会いに来たのよ」
「ついにボケたかしら」
「だまらっしゃい」
Weyer String-IIIと言葉のボクシングを繰り広げながらエルフ耳の女性はリンに近づいてくる。
「初めまして。私はゲアカリング。とりあえず今は妖精女王とだけ覚えてくれればいいわ。あ、でも、本名で呼ぶなんて無粋な事はしないで欲しいわね。どうぞ、気軽に
近くに来られると、尚更相手が人間ではないと肌で感じるリン。それどころか、この世の生物ですらなく、幽霊ともまた違った気配である。ついでに、Weyer String-IIIと違い妙に耳に残るというか、湿気を含む喋り方をする相手だ。
「(正しく幻想世界の住人と言ったところか……)初めまして。僕の名前は天野リンと言います」
「そう、貴方は空の名を血に戴いているのね。よろしく、小さな英雄さん」
「あの、さっきから〝小さな〟って連呼するのやめていただけますか?」
リンのささやかな抗議を聞いて、ゲアカリングは首を傾げた。
「スプリガン。どうしてこの子は怒っているのかしら?」
「……日本では〝小さな〟は基本的に悪口よ」
「あら、そうなの? ごめんなさいね」
〝小さな〟、英語でいう所の〝my little〟は愛情表現であり、ゲアカリングとて決して『おチビさん』的なニュアンスで使っていたわけではないのだが、翻訳された結果奇妙なすれ違いが生じてしまったようだ。
「まあ、月の女神でもある
「女神……?」
「ええ、妖精は元は神々よ。ブリテンの島にはトゥアハ・デ・ダナーンの神々が住んでいた。けれど、侵略してきたミレーの民に敗れ、ティル・ナ・ノーグに去っていった。そして、神々は小さくなり妖精となった」
「ふふ、シェイクスピアという作家はとても近い所まで私を理解していたわ。
おそらく、『真夏の夜の夢』だろうとリンは思った。かつてアヤメと一緒に読んだことがあったから。
(というか、ティターニアって創作物で使われ過ぎて妖精の女王と言えばその名前が思い浮かぶけど、シェイクスピアが名付けたのか)
思えばアヤメから聞いたような気もしていた。だが、聞き流していたのだとリンは気付いた。
『ああ、こんにちは。小夜風さん。三人は道場破り。またリベンジ申し込まれたんだよ』
『そうですか』
『興味無さそ~』
在りし日の会話を思い出す。アヤメが興味無さげな反応を返したのが―――実際に興味が無かったのもあるだろうが―――リンが何度も興味無さげな反応を返していたからなのだと悟った。
(僕は、小夜風さんの事を何も見てなかったんだな……)
そんなリンの様子を見て、ゲアカリングは事の発端をWeyer String-IIIに尋ねた。そして説明を聞いたあと、
「あら、凄く面白い事になっていたのね~」
「今の話を聞いて出てくる感想がそれなのね……」
「でも、楽園の果実を堕落の実とした侵略のにおいが、今は少し収まった気がしたわ。でもまだ少しにおう……きっとあの子は教会に住んでいるのね」
聖書では知恵の実であるリンゴ(に似た果実)がアダムとイヴの堕落の原因としているが、ケルト神話ではティル・ナ・ノーグに麗しいリンゴの実がなるとしてリンゴを神聖視している。
また、『侵略のにおい』とはキリスト教がローマ帝国やノルマン・コンクエストによってブリテンに持ち込まれ、妖精達が排除された流れによるものだろう。
とはいえ、ゲアカリングはリンを排除するつもりは今の所ないようだが。
「とりあえずゲアラハについては分かりましたが、三世の事をスプリガンと呼ぶのは何故なのでしょう? また、神や妖精とは何ですか?」
リンがまずは直近の疑問だけでも解決しようとゲアカリングに質問を投げかける。
「一つ目から答えるわ。
「代行者……!」
「やっぱり男の子ってこういう単語好きなのね」
「とは言っても、今回みたいに戦闘になることは少なくて、大抵は森の環境の管理よ」
とは言っても森はかなり広い。ゲアカリングの力を借りでもしなければ人間一人では管理できないほどに。いきなりファンタジックな話題が展開されていることにツッコミたいが、リンの勘が「話が進まない」と抑える。とりあえずWeyer String-IIIとゲアカリングの関係性は分かったので、速やかに二つ目の質問に移る。
「二つ目は……そうね。貴方、人間とは何かって聞かれて直ぐに答えられる?」
「ホモサピエンスですね」
「…………」
「意地悪しようとして失敗してやんの、ダッサ」
「お黙りなさいスプリガン。でもそうね、答えづらい質問なのは間違いないわ。何故なら妖精とは、神とは、怪異とは、善であり悪」
「はい?」
「秩序であり混沌」
「はい?」
「存在にして非存在」
「はい?」
「確定であり不確定」
「……はぐらかそうとしてます?」
「いいえ、全て真面目に答えていることよ。そうね、全ての共通項は、固定観念ではないということかしら。お前達の作る機械や二元論で捉えられない存在という事ね」
或る意味何処にでも存在し、何処にもいない存在。故に科学では捉えられない存在であるという。それが妖精というものだとゲアカリングは答えた。
「そもそもお前達の科学は不完全じゃない。それに、異国の一神教の考え方ではこの世界というコンピューターを理解する事などできないわ。せめて、この極東の島国に根付く多神教の方でないと。私の故郷の神話もオススメよ。そうでなければ、簡単にバグやエラーを引き起こすでしょうね」
(妖精女王がパソコン用語を口にするとは……)
伝統的な技術にこそ、理論的なシステムが存在する物である。魔法や妖精をファンタジックなものと感じるのは未知のものであるからに他ならない。
「この森で困ったら、助けてあげるわ。夜に連なる人の子らは、私の愛しい子供たちですもの」
ゲアカリングはそう言うとアヤメの額に指を這わせた。そして、
「続きは二人でね?」
Weyer String-IIIと共に枝葉に紛れて消えてしまった。
「……天野……さん?」
そしてその傍らでは、アヤメが目を覚ましていた。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。マジでケルト神話の資料を読みまくりました。何でこうなったかと言うと、作者様から聞いている『彼方楽園のマルスプミラ』のテーマについて言及するにはこのような形が最も書きやすかったからです。
備忘録
ゲアカリング:
妖精女王。ゲアカリングという名前はシェイクスピアによってティターニアと名付けられる前の妖精女王の名前の一つ。森の象徴たる鹿に乗って現れた。キリスト教が嫌いらしい(この辺りは『侵略の書』を参考)。とはいえ、リン君個人についてはそれなりに気に入っている。エコーズやポチと違い、アヤメ以外とも人語を介したコミュニケーションが取れる。
どんな人類を生み出そうとしているのかしら:
正直諸々面倒な事を差っ引いても異世界に転生したいという気持ちは分からんでもない。何かしらの耐久不可実験ですか? てくらい現代社会が生き辛いから。ジョージ・オーウェルの1984年が現実になりつつあるし、この生き辛さは遡れば機械に合わせて人間が動き出した産業革命頃が元凶。なので、自然の中で生きる三世や紀元前から存在しているゲアカリングには人間達が何をしたいのか分からないという描写。
ゴールドバーグ・マシン:
正式名称はルーブ・ゴールドバーグ・マシン。わざと迂遠な手段をとって自分の首を絞めるように生きる人間達に対するアヤメや三世、妖精達の疑問の言葉でもある。