彼方楽園のレチタティーヴォ   作:三文小説家

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 あまり時系列順には投稿できないかもしれない。


ヴァイオリニストを撃て

「やあ、小夜風さん。ちょっといいかな」

 

 夏休み前の学校をアヤメが歩いていると、妙に甘ったるい声で名前を呼ばれる。振り返ると物理的に光ってそうな男がいた。いや、光っているのは汗だろうか。装いからして運動部、アヤメはあまり詳しくは無いがサッカー部だろうか。

 

「今日は。私に何用でしょうか?」

「おいおい、どうしてそんなに真顔なんだい? この俺に声を掛けてもらえたというのに」

 

 アヤメはこの時点で会話をしたくなくなった。この俺とか言われてもアヤメからしたら体液が光っているだけの不審者である。名前すら知らない

 しかし、まだ1ppm.くらいの確率で事務連絡の可能性もある。アヤメは表情を変えずに用件を再度聞いた。

 

「ぐっ……ここまで雑に扱われたのは初めてだな。まあいい……この俺と今からデートをしないかい?」

「はい?」

 

 何の脈絡もなくデートに誘われた。単刀直入どころか無手直入である。しかも、アヤメの困惑の声をどう受け取ったのか、相手は興が乗ったように話を続ける。傍から聞けば呆れが多分に含まれたものであることは一目瞭然なのだが、相手の鼓膜はあまり機能していないのかもしれない。

 

 なんにせよ、クール・アズ・ニブルヘイムだ。答えは決まっている。

 

「折角ですが、お断りします」

「お、俺の誘いを断ったのかい……? どうして……」

「先約があるんです」

 

 他の日でも断っていたが、この日はいかなる誘いも用事も絶対に断ると決めていた。

 

「その先約っていうのは……あの天野ってヤツと?」

「ええ。彼とピアノコンサートを見に行く予定があるんです。チケットの返品期限は過ぎていますからキャンセルもできませんし、するつもりもありません」

 

 アヤメの言葉を聞いた瞬間に相手の顔が嘲笑に歪む。なお、アヤメは既に現実逃避の準備を始めていた。相手が何かを言おうものなら脳内でレクイエム『Dies irae(怒りの日)』を流す事に決めている。

 

「そう、俺が声を掛けたのはそれもあるんだ。音楽なんてものに現を抜かすよりサッカー部でマネージャーでもしてた方がよっぽど有意義だよ。君はそこそこ有名みたいだけど、僕からしたら何が良いのか分からないね。それに男を見る目も最悪だ。あんな顔も大して良くない冴えないクズのどこが良いって言うんだい? いくら美人だからってそんなんじゃ将来不幸に―――」

「くたばっちまえアーメン」

「え……?」

 

 思わずアヤメの口が滑ってしまった。それにしても、脳内で大音量で流していたレクイエム『怒りの日』すら貫通するとは、恐ろしい言霊である。適当に流して帰るつもりだったが、気が変わった。せめて今の馬鹿げた論理だけでも叩き潰す。

 

「あまり職業に貴賤はつけたくありませんが……」

「ふん、なんだい? まさか僕が間違っているとでも言いたいのかい?」

「ええ。知人がニューオーリンズの酒場に入った時、『どうかピアニストだけは撃たないでください』と貼り紙がしてあったそうです。オスカー・ワイルドの旅行記の一節だそうですが、その頃の米国の西部は無法地帯で、いつ殺し合いが始まるか分からない。思いがけない犠牲が出る事も珍しくはなかったそうです」

 

 実際、その物騒さ加減はアメリカ文学を読めば分かるだろう。舞台が西部とは限らないが、撃ち合いだの殴り合いだのが頻繁に登場する。

 

「しかし、バーテンダーやコックの身代わりはいても、ピアニストだけは死んでしまうと代わりが来るまでは長い時間がかかる。だから撃つな、ということなんだとか。音楽無しの殺風景な酒場というのは嫌だったらしいですね」

「何が言いたいんだい……?」

「貴方はサッカー部でしたか。選手はごく一部の上澄を除けば代わりは腐るほどいそうですけれど、本当に音楽が無意義だと思いますか?」

「へ、屁理屈だろ!」

 

 『ごく一部の上澄』という言葉に強く反応したようだが、どうでもいい。だいたい相手の特徴が読めてきた。非常に選民意識が強いらしい。

 

「それと、リンさんについてですが、まあ、性格が悪いというのは否定しませんよ。しかし、理性の目で汚辱と見えるモノが、感情を通せば立派な美と見える。そんな経験くらいはあるでしょう? ところで、貴方は信じないかもしれませんが、ドストエフスキー曰く、大多数の人間にとっては悪業の中に美が潜んでいるのだとか。大勢の人に好かれているらしい貴方は……果たしてどちらでしょうね」

「お……ま……え……!」

 

 尊大な化けの皮が剥がれてきている。二人称は『君』だったはずなのだが。そしてアヤメはトドメに入る。選民思想そのものを否定する審判を。

 

「それから、顔が良くないとか、冴えないとか、ハッキリ言ってどうでも良いです。金と鉛を区別して話せるほど器用じゃありませんもの」

 

 『The balance distinguishes not between gold and lead.(天秤は金も鉛も区別しない)』

 

 アヤメが座右の銘としている言葉だ。天秤が測るのは質量だけである。物質の値段など考慮に入れない。だからこそ、神が審判に使うのだろう。公平の象徴として、非常に分かりやすい。

 

 アヤメは身分や出自の違いなく手を差し伸べる優しさを持ち、同様に分け隔てなく裁きを下す冷酷さを併せ持つのだ。音楽と愛しのリンを貶したこの男の事は良く知らないが、アヤメにとっては関係が無い。

 

 塵は塵に、灰は灰に。その罪に誅罰を。アヤメは人を憎まない。それが、冷酷さとして表出しているのだ。

 

「しかし、敢えて区別をつけるとしたら、リンさんが『金』となるでしょうね」

「は……」

「金は価格変動を起こしますが、その質量は不変です。少なくとも、私の中では彼の価格が変わったとして、その質量は変わらない」

 

 最初から相手の男になど勝ち目は無かったのである。少なくとも、アヤメにとっては誰もが羨むイケメンとのデートよりも、愛しいリンと聞くラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の方が価値が有るのだ。その他大勢の評価(価格変動)よりも変わらぬ質量を取った。天秤を用いた判決は不平等なまでに平等だ。

 

「貴方にとって所属する部活やステータスが全てというのなら、それは否定しません。人生観は人それぞれです。しかし、私にとっては価値が無い。それだけです」

 

 ショックか怒りか、言葉を失う相手に興味を無くしたアヤメはさっさとリンのもとへと向かう。その前に制服を着替えて化粧をして、と、アヤメの内心は既に未来への展望に溢れていた。

 

 アヤメとリンが連れだってコンサートに行った後、打ちひしがれたサッカー部の何某―――名前は紫陽花(あじさい)譲治(じょうじ)という男を見つけたのはリンの友人である烏丸(からすま)(しろ)だった。

 

「お前は……!」

「おやおや、いつもの乳白色の薄気味悪い仮面の笑みはどうしたんだい? サッカー部のエース君」

 

 かつて、白は道場破りで彼を負かしたことがある。その後の諸々のやり取りから、譲治が白の嫌いなタイプの人間である事が分かったのだが……また勝負をすることになるか? と白が内心で思っていると、譲治は意外な反応を見せる。

 

「いや……お前はこの際どうでもいい。今はあの女だ。ああいう女は俺みたいな男と付き合って初めて一流の女になるんだよ。その価値も分からずにコンサートだと? 馬鹿にしやがって……」

「君ねえ……僕が君を嫌いなのはそういう所だな。小夜風さんは十分一流の女性じゃないか。美意識も強かさもある。それ以上に何を望むというのだろうね」

「ふん、負け犬の遠吠えにしか聞こえないな。僕はサッカー部のエースでファンもいて、顔も良い。そんな存在にデートに誘われることの何が不満なんだ!」

「そういう所じゃない? 女性を誑かし、球を蹴るのがそこまで立派な生活かねえ? 彼女の愛する音楽と僕の友人を貶せるほどに? まあ、何にせよ、彼女は悪くない。君が悪い。君が悪くて、いい気味だ」

 

 譲治の憎悪の視線が自分に移ったのを知ってか知らずか、白はこう忠告した。

 

「あと、間違っても小夜風さんや参謀に喧嘩を売ろうなどという短気は起こしなさんなよ。彼女は泉の女神のフリをした戦乙女(ヴァルキリー)だ。君、終わるよ?」

 

 一度理性のタガが外れたアヤメの恐ろしさを白は身を以て知っている。あの時と違い正気を失っている事はないだろうが、それでも彼女はあらゆる手を使って『敵』を排除するだろう。そんな確信めいた考えが白には有った。

 

 とりあえず見逃さずに釘を刺しておけば参謀ことリンに殺されずに済みそうだと安心して帰る白だが、その話を聞いた白の彼女である友里は一つの懸念を口にした。

 

「……馬鹿な。あり得るのかい? そんなこと」

「理性で考えりゃ有り得ねえさ。だが、女ってのは感情で動く生き物だ。女の私が言うんだから間違いねえ。そして、一定数その矛先は異性よりも同性に向いちまう。理由は聞くなよ? そんなもんは無い。ああいう奴は本気で自分が被害者だと思い込んでる。無条件に、無根拠にな」

「それはなんとも……醜いねえ」

「だろうな。アタシだって言ってて吐き気がする。だが、人生の刃の上じゃ避けては通れねえ問題だ。正常位じゃ誰一人イケねえんだから……」

 

 

 

 

 

 そして、友里の懸念は当たってしまう事になる。リンとのお出かけの翌日に、アヤメは見知らぬ女子達に囲まれていた。

 

「呼び出したのに無視するって、どういうこと!?」

 

 般若というのは斯く言うものであろうか、とアヤメは呑気な感想を抱いた。正直無機質な能面の方が恐ろしい。目の前の女子達は誘蛾灯に群がる蠅の容態でしかない。

 

「どういうことと言われましても、アポイントメントも取らずに紙切れ一枚で無礼に呼び出す人間の場所に誘い出されるわけが無いでしょう」

「アンタ本当ムカつく!」

 

 それが真摯な文字で綴られたラブレターならともかく、幼児か狂人が書いたとしか思えぬ文体と崩し字の紙を丸めて机に入れるような人間に呼び出されてもアヤメが顔を出す事は無い。そもそも呼び出す内容だったのか。草書体とすら呼べない字形であるがために読み取れなかった。

 

「なんでこんな奴に紫陽花君が……」

「そんな水無月の雨に打たれてそうな名前の方は存じ上げませんが」

「アンタをデートに誘ってフラれたサッカー部のエースだよ! なんで知らないの!」

「初対面で名前を知ってろと言われましても」

 

 エースというくらいだから有名なのかもしれないが、生憎とアヤメは知らない。そして名乗られもしなかった。そもそも、アヤメは学校外にコミュニティを多く持つせいで学校内の事には疎いのである。

 

「それで、貴方のお名前とご用件は?」

「私は浅見(あざみ)ナオミだよ! 私はアンタを許さない!」

「脈絡が無さすぎて意味不明なんですけど」

 

 アヤメは徐に鞄からリンゴを取り出して(かじ)る。光の無い目で不可解な行動を取るアヤメに、取り巻く女子達が僅かに怯えを見せる。

 一方、主格の少女、浅見ナオミは激情のままにアヤメに詰め寄る。

 

「アンタみたいな奴に紫陽花君がフラれたなんて、あっちゃいけない! 彼があんなにぞんざいに扱われるなんて!」

「私が誰と付き合おうが自由でしょう。というか、仮に私が誘いを受けていたらどうするつもりだったのです?」

「うるさい! 彼が誰かと付き合うなんて……潔く受け入れ……あれ?」

「八方塞がりじゃないですか」

「うるさい! 正論なんか聞きたくない!」

「『うるさい』とさっきも聞いたような」

 

 おそらく、紫陽花のファンだろう彼女達にとって、彼をぞんざいに扱われる事は業腹なのだろう。かといって誘いを受けた所で同じように嫉妬の糾弾をされるのだろうが。ここまでくるともはや局所災害の類である。下手な怪異よりもタチが悪い。

 

 アヤメは早くも面倒になってきていた。適当に切り上げてぬるっと帰る事に決めると、自身の周りから音を消した。魔法など使わなくとも気配や姿勢を動かすだけで簡単に音は消える。現に、アヤメを逃がすまいと取り囲んでいた女子達は少し戸惑っている。

 

「鉄鬼! こっち!」

 

 と、そこに或る意味アヤメが一番聞きたかった声が届く。それはリンの声だった。嫌な予感がした友里はリンに相談し、そのリンは鉄鬼こと鬼川鉄矢教諭に相談したのだろう。そして、生活指導担当の彼が駆け付けたという事だ。

 

「さて、何をしている。お前達」

「ええ? 私達はただ小夜風さんとお話ししてただけですよー」

 

 鉄鬼が問い質してもナオミ達はのらりくらりと躱していく。だが、三人とて無策で飛び出したわけではない。ナオミが激情のままに拳を振り上げた所で飛び出した。それを指摘するとナオミは苦虫を嚙み潰したような顔で友里とリンを睨む。矛先が鉄鬼ではなく友里とリンに向く辺りに彼女の人間性が垣間見えるが。

 

「大丈夫ですか? 友里さん。この後の事とか……」

「平気だ。人生の刃が一つ増えた所で今更だ。そもそも、アタシは大抵の奴には嫌われてる。今は愛しの彼に甘えておけよ……味方がいるってアピールするのも重要だ。特に女相手にはな。たとえ、小夜風一人で対処できたとしても」

 

 アヤメは友里に礼を言ってリンに近づいた。そして、話しかけようとした時に、ソレは来た。

 

「ポチ!」

『ヘイよ!』

 

 アヤメの鋭い声に何事かと振り返る友里に鉄鬼、そしてナオミ達。彼女等が見たのは、半透明の百足(ムカデ)に襲われ、影に飲み込まれるアヤメとリンだった。

 

「「天野!! 小夜風!!」」

 

 友里と鉄鬼が手を伸ばすが、二人は為すすべなく影に飲み込まれた。だが、アヤメの表情に焦りは無く、むしろ「こちらへ来るな」と言っているようにも思える。そして、二人は完全に現実世界から姿を消した。

 

 

 

 

 

『オイ、お次は何をすればいいんだ? ビッグボス?』

「決まっているでしょう。現実では観測できない〝影時間〟の内に、アレを倒します」

「僕が巻き込まれてるのは怒れば良いのか、それとも信頼してくれてると喜べばいいのか」

「ごめんなさい。でも、貴方に怪我はさせません。それだけは保証します」

 

 アヤメは制服の胸ポケットからペンを取り出すと、キャップを取って剣にした。どうやら彼女が扱う剣の待機形態らしいとリンが推測しながら指輪を嵌める。魔法の授業はまだやっていないが、霊感があるリンの自衛用に持たせている魔道具だった。蝶の形をした魔弾を撃てるだけでも、役には立つ。

 

「というか、ポチって喋れたんだね」

『後で幾らでも喋ってやるよ、坊主。今はあの蟲野郎を始末するのが先決だ』

 

 〝影時間〟。ポチが作り出した現実において観測できない時間軸。空間ではなく時間を主体とした結界とでも言おうか。隠蔽に便利であり、今のように突発的に怪異を相手にしなければならないときに重宝する。

 

(それにしても、誕生から成長までが早すぎる……二人がそれほどまでに私に敵愾心を抱いているのか。それとも……)

 

 アヤメは百足の突撃を剣でいなしながら考える。この怪異が紫陽花譲治と浅見ナオミの感情から生まれている事は魔力の波長からして間違いないが、幾ら何でもこの状態になるまでの成長スピードが早すぎる。通常はこの強さになるまでもう少し時間がかかる物だが……

 

「まあ、何にせよ、殲滅するだけです。Salutis Supplicium(救済執行)

「いいよ、Show timeと行こうじゃないか」

 

 アヤメとリンのコンビと、突如現れた怪異〝ザムザ〟との闘いが幕を開けた。

 




 アヤメに突っかかってきた二人の名前と敵の元ネタは次回。あと、時間軸バラバラで書いてて本当にごめんなさい(後の話の『二連続のボス』云々が矛盾してしまいます)。

備忘録

>久しぶりの登場、腹黒君

 なんか太宰治と西尾維新を足して二で割ったみたいなことを言い始めました。

>影時間

 元ネタはペルソナ3。ただ、三文小説家はあまり詳しくは無いので、『現実に存在しない時間』という概念を拝借した。今後も登場しそうである。

>ペンを剣に

元ネタは『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』に登場した剣『アナクルーズモス』です。確かギリシャ語で『激流』という意味だったはず。昔、映画でペンが剣になったのを見て子供心にぶっ刺さりました。
また、現実世界で神話の存在が襲ってくるというシチュエーション自体の私の中での元ネタがこれかも知れません。

戦乙女(ヴァルキリー)

 アヤメの通称の一つになりそうです。

>アヤメの座右の銘『天秤は金も鉛も区別しない』

 単語、というかフレーズ自体は既に登場していますが、改めて紹介という形になりました。誰にでも手を差し伸べ、そして誰にでも平等に刃を振り下ろすという、或る意味では神のような思考回路と言えます。また、基本的に善意も悪意も無いので、敵に対する容赦の無さは完全に機械的な判断の元で行われているという、恐ろしい状況を物語ってもいます(敵意はあるかもしれませんが)。誰にでも手を差し伸べる優しさと取るか、誰にでも敵対できる冷酷さと取るかは人や状況次第でしょう。
 アヤメが嘘を吐かなくとも相手を翻弄してしまうのは、そもそも思考回路が一部人間の域を逸脱しているからです。まあ、三文小説家の主観を言えば、『人間性』の定義が年々狭義になっているだけのような気もしますけど。
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