―――憐みをください
そんな敵を前に、アヤメは
―――堕ちた小鳥にそっと触れるような、かなしみを下さい。涙ぐんで、見下ろして、可哀想だと口に出して、靴の先で転がしても構わないわ。
電流を纏った剣で斬りつけながら、シルクを爪で引き裂いたような声で旋律を奏でる。
———汚れててもいいからと、泥だらけの手を取って、ねえ、輪になって踊りましょう? 目障りな有象無象は全て、たべてしまいましょ? スパイスは耐えがたいくらいがいいわ。
それは狂気。愛しい人のためなら自分をただの絡繰り人形にしても構わないという告白。そんなアヤメの想いを聞いたリコは、
(いや、怖いよ! アヤメさん! いや、リンが時々話してたアヤメさんの
特に、輪になって踊りましょうとか、モノスゴイ狂気を感じる。あと、涙ぐみながら見下ろしながら靴の先で蹴って転がすとかどういう感情なんだろうか。リコの人生経験が少ないのは事実だが、これは大人でも理解できるか怪しい。
これも以前、リンが言っていた『危うく取り返しのつかないことになっていた悲劇』の影響なのだろうか。アヤメがそれより前から壊れていた可能性も無くは無いが、仮にその悲劇がきっかけでアヤメの精神が歪んでしまったのだとしたら、リンがあそこまで後悔するのも頷ける。
リンから概要だけ聞いたアヤメの見ていた夢というのもかなり狂気的であったし。
(それで、リンはアヤメさんの感情が恋だとは気づいていない……だとしたら純粋に狂ってしまったのだと思ってもおかしくない)
———ひとつに溶けてしまいましょ。憎しみも愛情もむしゃむしゃと頬張ってしまいましょ。混沌の甘い甘い壺の中で。
(いや、にしても怖いよ……リンの世界の歌ってこういうのも多いのかな。あと、事情があるとはいえ、ここまで想われてて気づかないリンもリンだよ……)
アヤメ本人にリンに告白するつもりは無かったが、それでも恋心を抱えたまま生きるのは想像以上に精神を摩耗したのだろう。そして、アヤメは知らず知らずのうちにこの夢世界を作り出した。
アヤメの恋がここまで狂気的な物になってしまったのは、リンの鈍感さも一枚噛んでいるのは間違いないだろう。
———lie lie lie la la la……la lie la la……
アヤメが苛羅苦罹の放つレーザーを避けながら尚も歌う。アヤメの歌を恐ろしくしている要因として、アヤメの戦闘風景もあった。
レーザーの回避用や、苛羅苦罹の継ぎ接ぎの腕による攻撃を回避する足場として《やどりぎのタネ》をニャローテに撃たせているのだが、アヤメは歌の合間に《Zuben es chamali》と唱えると、《やどりぎのタネ》が急成長して苛羅苦罹を四方から串刺しにした。
「《やどりぎのタネ・マエストーソ》と言ったところでしょうか」
《やどりぎのタネ》自体、相手に取りつかせて体力を奪うという技なのだが、この串刺しにはまた別のエグさがある。
更に、《Zuben el hakrabi》とアヤメが唱えてやどりぎを引き抜くと、一振りの剣となった。
「《やどりぎのタネ・グラツィオーソ》」
その剣はニャローテの爪で引っ掻いたように斬撃が分裂し、更には《マジカルリーフ》を付与したように木の葉の舞が無数の斬撃となって敵を襲う。
アヤメが横水平に剣を構えて迂回するような軌道で高速移動した後に爪のような斬撃で苛羅苦罹は抉られ、更に無数の腕による攻撃を防ぐために振られる剣は木の葉の無数の斬撃を伴う。
(改めて見ると物凄くエグイ……《てんめぐまひるみ》と同じようにギャラリーはドン引きしそうだし、一個一個の攻撃に殺意が凄いよ……)
《Seirios》の時も思ったが、魔法というのは強すぎる力だとリコは思った。無論、アヤメの技量が卓越しているのもあるが、リンが言っていた「魔法は致命的なノイズになりかねない」という主張は正しいとリコは思った。
実際、アヤメもそれには賛成している。そして、仮に転移したら無闇に魔法は使わないだろうとも言っていた。ただ、
「私の場合、使い方を忘れない程度には使うかもしれませんが」
とも言っていた。というのも、アヤメは呼吸をするように魔法を使える。それこそ文字通りに。言葉、息、心臓の鼓動、制御を誤ればそれら全てに魔力がこもってしまうのだという。そうしたら極端な話、突発的に星が降ってくるなどという惨事になりかねないのだ。
「大丈夫ですよ。世界の均衡を乱さない程度に抑えるつもりです。それなりに長く使っていますから、そんな初歩的なミスはしませんよ」
と、アヤメは自信を持って断言した。アヤメに何が見えているのか、リコにもリンにも完全には分からない。ただ、アヤメの認識する世界は常人とは完全に異なっているのだろうとは思った。
『アヤメさんは完全に言語から魔法体系から独自の物を作れるほどの技量を持つ魔法使いだからね。もしかしたらポケモン世界でも世界の均衡を乱さないように魔法を使えるのかもしれない。それこそ、世界の法則に適合させる形で改変するとかね。でも、僕はまだ魔法使いとしては駆け出しもいい所だから、そんな器用な真似は出来ないな。だから、《果実のカケラ》は制限を設けたのかもしれないね』
魔力の蝶についてリンに聞いた後に彼が言っていた事をリコは思い出す。リン曰く、魔法とは世界機構に干渉する技術であるとなんとなく説明された。故に、世界ができる事は何でもできてしまう、と。
『そんなんだから、アヤメさんも魔法に関してだけはスパルタだったね……怒鳴ったり叩いたりはしなかったけど、穏やかな口調で間違いを指摘され続けるんだ。あと、考える事をひたすら求められた。最低限のヒントだけを与えて、後は自分で考えてって奴。人によっては怒鳴る叩くより拷問なんじゃない?』
その話を聞いた時、それは確かに怖いとリコは思った。だが、教え方としてはこの上なく理想形に近いものなのだろうと。
と、アヤメがポチとヒトモシにやどりぎを燃やすように指示を出す。あっという間に炎が燃え広がり、アヤメがやどりぎの剣に纏わせて舞うようにそれを振るう。それまで順当にダメージを蓄積していた苛羅苦罹はこの炎の一撃で
「尤も、リンさんはこの機械のようにただ彼に尽くす私など、望んではいないでしょうけれど」
それが悲しいのだと、アヤメは語った。アヤメはどちらかと言うと尽くしたいタイプだ。リンの外道行為も多少なら許容できるし、彼の為に料理も家事もしてあげたい。鱗粉のついてしまった彼の手を握って、額にキスをして……人形と言うならば言えばいいが、それがアヤメの幸せだった。
しかし、リンがそのような『尽くす愛』を望まない事もアヤメは分かってしまっている。
リンがまったく高尚な愛の理論家で、同時に迂遠な愛の実際家である事がこれほどまでにつらいとは思わなかった。彼はほんとうのさいわいなんて求めていなかった。
「どうして、彼は曖昧に笑うんでしょう? こちらには、しんしんとかなしみだけがふりつもるのに。願望も悔恨もただただ柳に風と受け流して……そんな遠い春の日の傷跡すらも消えてしまう」
「でも……リンの過程の事情を聞きましたけど……あれを聞くと一概に責めれないというか……」
「知ってますよ」
やや食い気味に発されたアヤメの言葉にリコは少し驚いた。そして、隠されもせずに据わってゆくアヤメの目に少し怯えた。
「知ってますよ。彼の事情は。でも、こんなことを言ったら嫌われるでしょうけれど、リコさんもまだ子供なんですね。私の感情がその程度で止まるわけが無いでしょう? いっそ、『そうかそうか、君はそんな奴なんだな』と言われるのを覚悟で告白するべきだったのでしょうか。上手くいけば儲けものですね。走り出したらもう獣でしょうけれど。翌朝には虎にでもなっていそうですね」
リコは自分が子供だと揶揄された事にそれほど怒りは感じなかった。それよりも、目の前の『大人』のドロドロとした恋愛感情を理解するのに精いっぱいだった。
「或いは、もはやザムザのように蟲にでも見えているのかもしれませんね。今はどんな虫に見えているのでしょう。醜いですか? それもそうか。嗚呼、どうか林檎を投げつけないで。彼が過去を苛む権利があるように、私にだって敵わぬ恋を嘆く権利はあるでしょう? ジョバンニがカムパネルラを喪った銀河鉄道の夜に嘆き悲しんだように。ねえ、そこで怪訝な顔をしているニャローテさん」
「ニャ!?」
ニャローテはさらりと思考を読まれた事に驚いていた。確かにニャローテは回りくどい事が嫌いだ。踏みとどまるばかりのリコもアヤメも嫌いだ。アヤメは一体何に悩んでいるのかと本気で理解できなかった。
だが、アヤメの狂気と闇はニャローテの想像を超えていた。
踏みとどまらない結果、自分も相手も壊れてしまう苦悩。そして、結局アヤメは壊れてしまった絶望。その重さを理解するには、ニャローテはまだ幼すぎた。
アヤメは明らかに壊れてしまっている。リンが鈍感を貫いたから、というのは少し酷であろう。告白をしないという選択をしたのは、確率よりも孤立を選んだのはアヤメなのだから。それでリンに全ての責任を押し付けるのは酷薄に過ぎる。
しかし、アヤメがここまで壊れている事にリンが全く関与していないとは言えない。アヤメはリンへの恋ゆえに壊れてしまった側面もあるのだから。
一方リコも、アヤメに対して複雑な感情を持っているのは間違いない。リンに複雑な事情が有るのは理解している。だが、それでアヤメに嘆く事すら禁止するというのは何か違う気がした。如何に複雑な事情が有ろうと、アヤメはリンと脳を共有しているわけではない。好きなものは好きだし、嘆くときは嘆くのだ。
それに、如何に複雑な事情が有ろうとも徹頭徹尾アヤメの好意に気が付かないのは鈍感が過ぎる。彼女の話や様子を聞く限り、明らかに好意を持っていなければしないような行動も多分に含まれていたのだから。
「安心してください。リコさんにもポケモン達にも、危害を加えるつもりはありませんし、この剣でリンさんに恨み言をぶつけるつもりもありません。ただ、私が嘆き続けるだけです。そのくらいの分別は有りますよ。それに―――」
本格的に彼に嫌われたくも無いですし。
アヤメが光の無い目でそう言った時、リコは背中にじっとりと冷や汗をかいていた。しかし、その中でもリコはただ思った事を伝える。
「でも、私はアヤメさんの想いは素敵だと思います!」
「え……」
てっきり否定の言葉が飛んでくると思っていたアヤメは少し面喰った。
だが、その間にもリコの想いは続く。
「誰かに尽くしたいっていう想いが否定されていいわけが無い! アヤメさんの想いは凄く純粋で、壊れてしまったのかもしれないけど、キラキラしてて……だから、醜いなんて、言わないで……」
リコは気が付けば泣いていた。目の前に居るのは或る意味では敵。無自覚とはいえ好意を、アヤメと同じ相手に寄せている。だが、アヤメが自分の恋心を卑下するたびに、リコの心も痛んだ。それは自分の心も否定されているように感じたから。
自分も同じような感情を持っているが故に贔屓目に見ていると言われれば否定は出来ない。それでも、アヤメの想いは宝石のように綺麗で、砂糖菓子のように甘いと思ったのだ。
その想いと涙をぶつけられたアヤメは少しだけ笑みを零すと、リコを抱きしめた。
「ありがとうございます。貴方に実弾を撃つ前で本当に良かった」
アヤメは幼い少女に詰め寄ってしまった後悔と共に、リコの頭を撫で続けた。リンの相手をしているとなると、色々な面で苦労しているのだろうと思いながら、それを労う意味でも。
「では、暫く砂糖菓子の弾丸を撃ち続けましょうか。当たっても意味など無い、紛い物の銃弾。それでもきっと、私達には必要なのですから」
リコはアヤメの腕の中で静かに頷いた
苛羅苦罹との本格的なバトルはまた別の機会に。
この手の恋愛話はリコさんとアヤメが揃っている時じゃないとできない気がしました。お互いの、リン君も含めた恋愛観の違いとか、転移前の本編で挿入すると何処か違和感が有って……
あと、引用した文学作品や音楽は解説しません。後書きの枠を超えるので。もし興味がありましたら探してみてください。色々見つかると思います。
備忘録
>タイトル
Aimerの楽曲『I beg you』より。
>Zuben el hakrabi
これはアヤメ本人の魔法。様々なモノを剣に変えてしまう魔法。それこそ、木の枝でも影でも。妖精いなくてもこの魔法を起点に色々とできる。が、制御が格段に難しくなります。それこそ、気を付けていないと感情や心臓の鼓動だけで血の海が拡がるほどに。
>過程の事情、この剣で
誤字に非ず。ちょっとした言葉遊びです。
>アヤメの好意
恋愛ゲームであったら、リン君とは別ベクトルで攻略が難しい子です。具体的には①言葉が難解、②架空言語や魔法関連のギミックを解かなければならない、③寄せられる重い愛に耐えなければならない、ですかね。
>若干壊れてる理由
リン君が鈍感を貫いたから、とするのは少し酷ではあります。告白しないという選択をしたのはアヤメ自身なので、全ての責任をリン君に押し付けるのは酷薄というものでしょう。しかし、恋愛方面でリコさん及び読者の皆さんが壊れていると感じたならば、やはりリン君も無関係ではないのでしょう。本人は今まで通りの論理で動いていると思っていますが、言動だけ見ると壊れているのが厄介です。