彼方楽園のレチタティーヴォ   作:三文小説家

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 なんとか間に合いました。しかし、ネタ抜きにして結構酷い話になってしまった……GREEN GREENS様、申し訳ございません。


ヴァレンタイン特別編―ヴェガとアルタイル

「ごふっ!!」

「やべえ! 小夜風さんが吐血して死んじまった!!」

「なんでさ! 誰だよ毒盛ったの!」

「「「「お前だバカ!!!」」」」

「天野君、流石にそれはないよ……」

 

 何故アヤメが黒百合のように身体を屈折させて死亡したのか。何故リンがその場にいた全員に糾弾されているのか。

 

 それはこの日がヴァレンタインデーであることに起因する。

 

 

 

 

 

「~♪」

 

 長い黒髪を一つに束ね、キッチンでスウィングした鼻歌を歌いながらチョコレート作りに励むのは小夜風家の令嬢、小夜風アヤメだ。もうすぐヴァレンタインデーである。家族、友里や星香といった友人、そして何より、愛しのリンにあげるために。リンにあげる予定のものだけ明らかに気合の入り方が違うのは、まあ、そういうことである。

 

 材料を混ぜる時も、型に流し込むときも、これほど楽しい時は無かったかもしれない。プレゼントをあげる側だというのに、まるで箱を開ける前のような気分だ。

 

「好きですよ、リンさん」

 

 アヤメがヴァイオリンを思うように弾けなくなったとしても、心臓の鼓動はリンへの歌で溢れている。年を取れば、そのうち高い声も出なくなって、それでも頷きながら彼は聞いて、歌ってくれるだろうか。空間が割れるような拍手も、スタンディングオベーションも要らない。彼だけに分かればいい。

 

「So long lives this, and this gives power to thee.(詩よ、どうか永久に力を与えたまえ)」

 

 シェイクスピアのソネットに、少しだけの勇気を貰う。クリスマスにはデートに誘ったが、ヴァレンタインデーにチョコレートを渡すという行為には別種の勇気が必要だと実感した。『真夏の夜の夢』を読んで、恋愛とは大変なのだなと子供心に思ったりもしたが、シェイクスピアが生きていた時代ほどでないにしろアヤメはその大変さを実感している。

 

 生まれて初めての、たった一人の、生きる幸せを味わっている。毎日がメインディッシュで、それを無限回繰り返した終わりの日には甘酸っぱいデザートを食べるのだ。喜びも悲しみも全てフルコースで、気の利いた言葉も、高級感のある特別も無くていい。夜景の見えるレストランだとか、高いだけのブランド品だとか、そんなものは求めない。景色の変わらない公園で一日中話すだけでいい。

 

 ありふれた会話や仕草を少しも忘れたくない。

 

 Dust to dust, ash to ash. 明確な告白もしていないアヤメの気持ちが、リンに伝わるなどという自惚れは持っていない。塵は塵に。行動を起こさない自分はきっと、塵に還るに過ぎないのだろう。だが、好意は伝わらずともリンがチョコレートを食べてくれるだけで良いのだ。

 

「大切なものは目に見えない……そう思う分には勝手ですよね」

 

 アヤメは富裕層の出身故に、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の最大の教訓とも言えるこの言葉を口にすると盛大な非難を受ける。「金を持っているからそう思えるんだ」「良いわねえ。苦労知らずのお嬢様は」……たしか言われたのは小学生の頃だったが、今にして思えば随分と大人げないと言わざるを得ない。

 

 ただ、アヤメとてその場のノリでそんなことを思ったわけではない。彼女の生業である音楽など、まさに目に見えないものの代表格だろう。原典では少し違うニュアンスだが、人類文明が生み出したものの中で最高傑作が音楽だと思っているアヤメにとってはその言葉は真実だった。

 

「……案外気を廻さなくてはならない事が多いですね、お菓子作りは。まるで一分で自転する星で点燈夫をやっているよう」

 

 時間や温度の管理といい、それ以前の準備といい、絵面は地味ながらもやる事が多いお菓子作り。尤も、地味で済んでいるのは素人の非営利の行為だからだが。

 

 だが、アヤメはこの忙しさは嫌いではなかった。夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家のような無為な行為と言われても、アヤメはそれをやめることはないだろう。

 

 全ての作業を終え、眠りにつくときにふと夜空を見上げる。今はまだヴェガとアルタイルは見えないが、会いたくても会えない二つの星を、アヤメは時々自分に重ねてみたりもした。

 

 0.19日の周期で僅かに変光し、12.5時間という高速で自転する恒星ヴェガ。なんだかこの性質は青春を謳歌する女学生であるアヤメに通ずる部分があるように感じた。アヤメとて常に同じ顔をしているわけでなく、半日で夜と昼が過ぎ去ったと感じるほどに忙しない日を送る事もある。

 

 友達よりも近く、恋人よりは遠い。隔てる銀河を超えてチョコレートを渡せるなら、渡したい。それしかできないけれど、そっと願う。

 

「アルタイル……」

 

 アヤメは林檎のペンダントにそっと口づけして眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 そして、ヴァレンタインデー当日。

 

 結論から言えば、アヤメはリンにチョコレートを渡す事が出来た。校舎裏に呼び出して二人きりになって渡すというプランである。なお、その際に「カツアゲ?」「違います!」というやり取りがあったが、割愛させていただく。

 

 その後、アヤメは校舎裏で「リンさん、チョコレートを作ってきました。受け取ってください」と、婉曲的な比喩や引用を多用するアヤメにしては珍しく、飾らないストレートな言葉でチョコレートを渡す。もう一度言おう。この日はヴァレンタインデーである。ハート型の箱。厳選し、丁寧にラッピングしたのであろう包装紙。ほんのりと染まっているアヤメの頬。見て分かる情報はこれくらいだが、それが意味する事など火を見るよりも明らかである。

 

 しかし、教室に戻ったリンがとった行動は、

 

「アヤメさんがチョコレート作ってきてくれたらしいから、皆で食べない?」

 

 と、脳筋、腹黒、スパイの三人(と友里と星香)に分け与えるというものだった。

 

「え……?」

 

 アヤメは思考が停止した。脳がこの状況を理解する事を全力で拒んでいる。

 

 箱や包装紙をホームセンターなどで購入するところから始まり、材料も調理器具も自分で揃え、何日もかけて準備したチョコレート。

 

「は……?」

 

 リンに渡すために、リンのためだけに用意したチョコレート。それを、なんの臆面もなく他人に譲渡された? おまけにヴァレンタインデーにアヤメが作ったという事実もしっかり口にした上で? 

 

 それらを認識してしまったアヤメは、

 

「あ“ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 叫んだ。

 

 声楽で鍛えた喉をフルに活用して、空間ごと現実を破壊せんとする勢いで。あまりに喉を酷使しすぎて血を吐きそうだ。というより、叫ぶ前から血を吐いていた。

 

「え!? アヤメさん!? なんで発狂してんの!?」

「参謀、少し黙れ」

 

 なお、一人だけ状況を把握していないリンが本気で驚いているが、腹黒こと烏丸白がリンに辛辣な言葉をかけた後にアヤメに尋ねる。

 

「えっと……確認するまでもないかもしれないけど、この時期というかこの日にチョコレートって……そういうことだよね」

「はい……」

「なんてひどい男なんだ。なんてひどい殺し方なんだ!」

「クリスマスの時もでしたが、ふふ、私の、予想を、軽々と上回ってきますよね。彼は、ふふ」

 

 そして、予想通りだと分かった白は額に青筋を立ててスマートフォンを操作し、今日の日付を画面に表示すると、リンの目の前に提示した。

 

「こ・れ・は・何かな参謀」

 

 無論、画面に表示されているのは2月14日。ヴァレンタインデーである。リンもそれがどんな日かくらいは知っている。状況を察知した瞬間に、青リンゴも斯くやという顔色となった。

 

 そして、√2.14秒の熟考の後に最悪の選択肢を選んでしまった。

 

「あー、うん。そうだね。2月14日ね。たしか〝ふんどしの日〟だったね!?」

「おいマジかコイツ……」

 

 どうにかヴァレンタインデーから話を逸らそうとした結果とは言え、最悪中の最悪を引いてしまったリン。せめて煮干しの日とか言えばいいものを……視界の端で、アヤメが異様な動きで立ち上がる。もはや操り人形かアンデッドにしかできない動きだ。

 

 腹黒が背後に感じる気配への恐怖半分、鈍感を軽く通り越した頭脳派への怒り半分で訂正する。

 

「ヴァレンタインデーだよ! というか、学校でも普通に話題に上がってるのになんで気付いてないんだ!」

「……でも義理チョコでしょ? 君達だって貰ってたじゃないか」

「網膜機能してますか? 明らかに手間のかけ方が違うでしょうが」

 

 腹黒に続いてスパイこと影山杏も苦言を呈した。最初は隠れリア充のリンなど爆発しろと思っていたが、なんかもう見ていられなかったのである。他の面々も似たような感じだ。事情があるとはいえ、ここまでの鈍感さはもはや何かしらの呪いにかかっているとしか思えない。

 

「なあ小夜風、悪いこと言わねえから別の男にしろって。……白以外で(友里)」

「流石にそれはないよ、天野君……(星香)」

「生まれて初めてお前の事を心の底からバカだと思ったぜ……(脳筋)」

 

 残りの面々からの評価も散々であった。特に女性陣は同じく自分の恋人にチョコレートをあげていたのもあって、尚更視線が冷たい。

 

「ふふ、フフフ」

 

 すると、立ち上がって沈黙を保っていたアヤメが歪な笑い声と共にリンをロックオンする。そしてよく見ると、瞳孔が散大していたり、髪が一筋口の端に引っかかっていたりとだいぶ不穏である。死者とヤンデレを足して二で割ったような様子といえば分かりやすいだろうか。もう何かしらのホラー作品にそのまま出れそうである。

 

「皆サン、彼ヲ執拗ニ責メルのハやめマショう」

「アヤメさん……!」

「現実を見ろ参謀。全然助かってねえぞ」

「むしろ聞いたこと無い声でキレ始めてるよね……」

 

 瞬きも息継ぎもしない。生命活動を行っているのかすら怪しいアヤメが焦点の定まらない眼で語る。

 

「何故ナラ、莫迦(ばか)とハ罰ダかラデす」

「ん?」

「無知ハ罪ニなリ得まスが、莫迦トハ罰ナノです。神ノ業罰ヲ背負ヰシ咎人ヲ嘲笑ウノは見苦シヰコトデす」

「なんか……流れ変わったね……」

「罰ニハ何ガ必要デしょうカ。ソウ、救済デス」

「誰と会話してんだ?」

「というかこの場合の救済は……そういうことだよね」

「てことは……クソ! 鉄鬼呼んで来るぜ!」

「もう青野さんが呼びに行きました。脳筋はいざという時の為に此処に残った方がいいでしょう」

「万が一の時は天野を盾にする。良いな?」

「「「異議なし!!」」」

「ちょっと待って?」

 

 誰もが察した。これは在りし日の再来だ。往来で魔法を使わないだけの理性は残っているのか、掃除用具入れから箒を取り出して無言で斬りかかった。脳筋と腹黒とスパイが押さえかかり、友里が宥めにかかる。

 

「うお危ない!」

「案の定だよこん畜生!」

「落ち着け小夜風! 気持ちは痛いほど分かるけど落ち着け!」

「斬る! 切る! ()る! 殺シテ(ばら)シテ並ベテ揃ヱテ晒シテヤル!!」

「完全に惨劇じゃないか!」

 

 そして、

 

「皆! 鬼川先生呼んできたよ!」

「おい! さっきの叫び声といい何があった!」

「説明は後だ鉄鬼! この殺戮の戦乙女(ヴァルキリー)を止めてくれ!」

 

 その後、荒ぶる戦乙女はバカ四人と友里と鉄鬼によって鎮圧された。学校内で暴れたアヤメをしっかりと叱りつつ、騒動の顛末を聞いた鉄鬼は、

 

「まあ、恋愛禁止という校則があるわけでもなし。俺からは生徒同士の関係にこれ以上口は出せんが……ある程度の社会性は保った方が良いと思うぞ、天野」

「……どういう意味?」

「いえ、今回の騒動は私の不徳の致すところです。彼に責任はありません。幻術や魔法に縋って、虚偽の心に増長し、性急なる努力の果てにこの世の歓楽を飛び越えてしまった天野リンという男を見誤っていたのです。獅子のような高慢さも、蛇のような狡猾さも持つこの男は、よりによって豹の如き肉欲は持ち合わせていない事を忘却しておりました」

「教師としては肉欲はあまり歓迎できんが……」

「彼にせめて人並の罪悪と希望が存在しない事を嘆きます」

「人外だと思ってる? 僕のこと」

「彼に接する時は一切の希望を持たないようにいたしましょう……中途半端に希望など持つからこうなるのです。このままだと私は赤子殺しの罪で投獄され、のちに処刑されるでしょう―――」

「落ち着け小夜風! とりあえず、小夜風は反省文を書いた後に天野としっかり話し合え。いいな」

 

 大切なものは目に見えない。それはたしかに正しい。しかし、その基準が人によって違い、そしてその謬錯が激しい程に残酷な結末となるのだ。

 




 まあ、どっちもヤバい……が結論ですかね。リン君の鈍感さを見てるとこういうことしそうだな~、と、まあ、多少脚色や解釈違いは含まれているでしょうが、そう思うわけです。

 全然甘い話にならなかったヴァレンタインデー特別編。この後のことを簡単に書いておくと、

 アヤメとリン:とりあえず和解。その後、改めてアヤメの部屋でチョコレートを渡される。味はしっかり美味しかったようです。

 彼女持ち男性陣:アヤメは極端な例にしても、彼女は大切にしようと改めて心に刻む。

 スパイ:周り全員がリア充なのは腹立たしいが、それはそれとしてアヤメへの同情が勝っている。女性陣から貰った義理チョコは美味しくいただいた。

 鉄鬼:アヤメの書いた英語とイタリア語とドイツ語が入り混じった反省文を読み、更に内容が呪詛と懺悔が入り混じった軽い文学作品のようなもので、色々な意味で頭を抱えた。なお、大学の同期かつ同僚の女教師からチ○ルチョコを貰った。

備忘録

>元ネタ

 全体的には『星の王子さま』。大切なものは目に見えないという教訓が裏目に出てしまった感じ。多少は目に見える事も必要ではある……が、今回は目に見えてんだよなあ。

>殺して解して並べて揃えて晒してやる

 戯言シリーズの零崎人識のセリフ。なお、キレた時のバージョンは数十行に及ぶらしい。アヤメも何気にラノベを読むらしい。
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