彼方楽園のレチタティーヴォ   作:三文小説家

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 時系列的には最初のデート回ですね。


花は桜、君は愛し

 その日、アヤメとリンは二人で出かける約束をしていた。指定された場所が花見スポットとして有名な『美桜乃が丘公園』であったことも相まって、花見と思ったリンが悪友三人も呼ぼうとしたが、アヤメがその肩をガッと掴んで、「二人で」と強調したため、リンは訳が分からないながらもアヤメの圧力に負けて二人で出かける事にした。

 

 一時はリンと自分は釣り合わないと諦めかけたアヤメだが、結局初めて感じる恋情には勝てず、リンを逢瀬(おうせ)に誘っていた。春風に飛ばされた桜の花弁が窓を叩きつける度に、アヤメの心臓は早鐘を打つ。

 

 桜が散ってしまっては大変だと、アヤメは鏡の前のファッションショーを切り上げ、家を出た。外に出れば、花は香り、風が騒ぎ、街は色めく。

 

 アヤメの心は、春に戸惑う。

 

 

 

 

 

 リンはアヤメより少し後に、待ち合わせ場所である美桜乃が丘公園の一つのベンチに到着した。

 

「……!」

 

 その時、リンの心に春雷が落ちた。恋というよりは衝撃と言った方が正確だが、そうとしか形容しようが無い感覚に襲われたのだ。

 

 春の真っただ中に現れたそれは、美しい水墨画のようだった。揺れながら踊るその髪の(むらさき)混じりの黒が、他のどれよりも艶やかだった。陶器のように真っ白な肌によく似合っており、話しかければ壊れてしまいそうで、近づくのすら逡巡してしまう。

 

「こんにちは。リンさん」

 

 リンが立ちつくしている間に、絵画と錯覚する程美しい少女、アヤメはリンに気付いて近づいていた。リンは何とか返事をするのに精いっぱいで、目の前の少女の頬が紅潮しているのに気づかない。尤も、気付いたとして『単なる発熱』と勘違いして「寝た方が良い」とか言いかねないので、結果オーライかもしれない。

 

「早速ですし、歩いて回りましょう? それとも、二人で座って時を過ごしますか?」

「あ、うん、そうだね、歩こう」

 

 リンはアヤメと共に歩き始める。知らぬうちに手がつながれている事に、リンは気付かない。

 

 

 

 

 

 木陰を歩く。何かが頬につく。見上げれば頭上に咲いて散る。枝のトンネルを抜けたら、雲の隙間に(あお)が覗いた。アヤメはリンと手を繋いで桜並木の中を歩いている。話の内容は他愛も無いものだ。花弁の落ちる速度は秒速5センチメートルだとか、ソメイヨシノは種子を作らないから、今咲いているのは全て同じ木なのだとか。デートの際に話す内容ではないかもしれないが、二人ともそう言う内容の話を楽しめる人間なのだった。

 

 口から零れる言の葉が、心地よく散ってゆく。

 

 花咲くや、赤ら引く頬に、空気という流水に乗った花弁が降る。桜の並木道は実は透明な水が流れる河川で、自分達は水の中を歩いているのだと思えば、とてもロマンチックではなかろうか。

 

 そうアヤメが言うと、リンは否定せずに話を合わせた。

 

「そうだね。枝が揺れているのは(さざなみ)で、強風はカワセミで、クラムボンのように笑っているのか。確かにロマンチックだ」

 

 アヤメはその答えを聞いて、リンの手を改めて握り直した。こういう所が好きなのだ。他の人間に話しても、「何を馬鹿な事を言っているんだ」と言われてお終いである。しかし、リアリストでありロマンチストでもあるリンは、その言葉を否定する事は無い。それはアヤメにとって、とても心地の良い事だった。

 

 街を離れて、鳴る音は向かい波。水に落ちやがて流れ寄せ消ゆ波の花。空に浮かぶ海月(くらげ)のような風が爆ぜる。水鞠が波の綾と共に二人のポケットに春を咲かせる。桜の織り成す水界の中で、二人は笑い合う。

 

 

 

 

 

 正午、公園の一角で、二人は弁当を拡げていた。レジャーシートは持っていなかったので、ベンチで収まるサイズのものだが。

 

「はい、あーん」

 

 アヤメはリンにサンドイッチを食べさせていた。無論、『あーん』など好いた相手にしかやらない。しかし、はなからその可能性を排除しているリンには、『友達付き合いとは斯く言うものか』と勘違いした。後のクソボケ対応の原因である。

 

「どうでしょう」

「美味しいよ。もしかしてアヤメさんが?」

「ええ、早起きして作ってみたんです」

 

 アヤメはやはり、頬を染めながら言った。

 

 昼食もそこそこに、アヤメとリンは散策を再開した。

 

 はらり、花が水界に流るる。アヤメを桜の花弁が囲い、踊り出した。アヤメは抵抗せず、流れと共に踊る。リンはその様を写真に収めた。花とともに輪舞曲(ロンド)を踊り、即興のレセヴィブレを残す。

 声を忘れ、瞬きさえも億劫で、ただただ幸せな時間だった。

 

 

 

 

 

「神様みたいないい子でした」

「僕は、明日の朝にでも虎になっているだろう」

「つまり君は、カムパネルラを見失ったようだ」

「けれども、ほんとうのさいわいとは一体なんなのだろう」

「汝、陰鬱なる汚辱の許容よ、改めて我を目覚ますことなかれ」

「幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました」

 

 二人はベンチに座って、本の引用を言い合っていた。喧嘩をしているのではない。本好きな二人の、ちょっとした遊びである。無論、こんな引用に連なった意味など存在しない。ただ、内実の無い教科書通りに気が済むまで喋りたい時だってある。この遊びが成立するのは、アヤメとリンだからだろう。

 

「絶対に相通ぜざるもの」

「氷炭相容れざるもの」

「「人間失格」」

「全く、君は高尚な愛の理論家」

「貴方こそ、迂遠な愛の実際家です」

 

 最後のアヤメの引用はどことなく含みが持たせられているような気がした。しかし、アヤメとて、こんな引用で自分の真意に気が付いてもらえるなど、机上の空論である事は分かっている。リンゴ飴に金平糖をまぶしたような甘さだが、アヤメとてこのまま終わるつもりは無い。出かける前から密かに立てられていた計画の時は、確実にやってくる。

 

 だが、今はこの砂糖菓子のような時間を体験していても良いだろう。操り人形とて、糸に慰められる事もある。時計仕掛けのオレンジのように、瞼にバターを塗って桜を見逃さないように。

 心は右へ、理性は左へ。マリオネットになっても構わない。可愛らしい人形のようなピンク色、白雪のような人工美。都会の神様に縫い合わされた人形のような少女は、実弾を撃つ瞬間を計り続けていた。

 

 今はまだダメだ。弾丸は撃った相手をすり抜けて、春は花弁のように散ってしまうだろう。今はまだ、この水界で、波の綾を読むとしよう。

 

 

 

 

 

 やがて、夜となり、花見は夜桜になった。二人とも門限のようなものは無いのでその辺りの心配は要らないのだが、もうすぐこの外出が終わってしまう事に名残惜しさを感じていた。

 

 月明かり、ひらり、花が降る。時計が鳴き、遠のく朝。時の彼方の桜ひらひらと、もはやその光景はレンズ越しのみの光景となってしまった。ここまで時の流れが速いと、二人してマイナーなタイムトラベラーなのかと錯覚する。

 

「あっという間だったね、アヤメさん」

「そうですね。とても有意義だったということでしょう。勿論、私も、心の宝物になりました」

 

 相変わらず手は繋がれたままで、この二人はまだ付き合っていないと言われても信じられないだろう。アヤメはリンに花人局(はなもたせ)を仕掛けたようなものだが、肝心のリンが鈍感すぎて気付かない。

 

(月明かりに、夜桜の隙間に魔物が揺れる。きっと、私はどうかしている)

 

 アヤメは風を、そして花の音を聞き、実弾を放つ。

 

リンは一瞬息も言葉も発せなくなった。視界が半分以上塞がれた。何より、アヤメの睫毛(まつげ)の長さをリンは改めて知った。冬が終わり、雪が解けて、春が舞い込む。その行為は、花吹雪と夜の闇が隠してしまったが、当人達だけは知っている。

 

―――花は桜、君は愛し

 

 アヤメは最後に、そう言った。

 




 最後に特大の爆弾ブッ込んだけど大丈夫でしょうか……最後に何があったか、アヤメが何をしたか、実弾とは何かは敢えて明言しません。唯一つ言えることは、『君』は恋人や意中の人を示す場合がありますという事だけです。
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