魔法学概論
「それでは魔法の授業を始めます」
リンの隣でアヤメはそう言った。現在、リンはWeyer String-IIIの家の一室で、アヤメと並んで机に向かっている。こうなった経緯を説明するには、リンに霊感がある事を前提としておく必要が有る。
『Rube Goldberg machine』にて言及された通り、リンは幽霊や妖精と言った存在が見えてしまう。そのため、それらと付き合っていく方法を知る必要が有る。その一環として、魔法の知識の一部を享受するのが今の目的である。今は夏休みであり、この機に粗方進めてしまおうというわけだ。
「魔法の授業と言っても、何をするの? 前に使った魔道具についてとか?」
一方、リンは漠然と魔法といわれても何をするのかよく分かっていない。直近で思いつくのはアヤメを鎮圧するために使った指輪の魔道具だが、アヤメは首を横に振った。
「いいえ、まずは魔法の基礎からです。まず、リンさんは現時点において、魔法というものをどう捉えていますか?」
アヤメにそう問われ、リンは少し考えて答えた。
「創作物の知識しか無いけど、現代の科学を超越したものかな。物凄く便利で強力な力だってイメージはずっとある。最近はチートなんて呼ばれたりもするけど」
アヤメはそれに対して首肯した。
「確かに、それも間違いではありません。魔法とは現代の自然科学の枠では語れない部分も沢山ありますし、使いこなせば強力かつ便利なものです」
でも、とアヤメは真面目な表情でリンに伝える。
「決してそれだけの存在ではありません」
リンはその表情と声色に少し背筋を正した。
実は、リンは『魔法』というものに少し忌避感を感じていた。その理由は、彼が魔法のイメージを聞かれて『チート』と答えたことに由来する。昨今の創作物では魔法は大変便利なツールとして扱われ、異世界どころか現実世界を思うがままに蹂躙する話すらある。その事実から、魔法をズルの一環のように思ってしまっていた。
アヤメはそれを正確に見抜いていたのだ。だが、アヤメはそれも間違いではないという。
「身も蓋も無い言い方をすれば、魔法というのは何でもできてしまうんです。例えば、石を金に変えるとか。言ってしまえば、奇跡を人の手で引き起こすものですから」
チートと呼ばれる所以はそれであろうとアヤメは思う。神の技にも喩えられる奇跡を人の手で引き起こせるとなれば、それは夢のような力だ。
「だからこそ、運用の規範と、運用者の節度が求められます。また、自分の力量を超える領域に安易に踏み込めば、想像もできないような不利益を被る事もあるのです」
「…………」
魔法というのは、一言で言えば世界システムへの干渉だ。故に世界ができる事は何でもできてしまう。そして、世界の規則を歪めればそれなりの反動もある。
魔法というのは世間一般に思われているほど便利で扱いやすいものではないという事を、アヤメは再三強調した。そして、これから先もしつこいくらいに口にするだろう。リンが力に溺れやすい人間ではない事は知っているが、そんな人間をも邪道に引きずり込んでしまうのが魔法というものなのだ。
アヤメはそこまで語ると優しい笑顔となってリンに伝える。
「しかし、過剰に怖がる必要はありません。正しい知識と、節度のある運用。それがあれば魔法というものは私達の味方となってくれます」
これは現代の科学にも通じる話だろう。例えば、薬は乱用すれば毒となり、人間を、ひいては社会を壊していく。しかし、適切に運用すれば人々を健康にすることができる。
「それでは最初の授業です。ここまでの話を聞いて、魔法を使うのに必要な事とは、一体何でしょう?」
それに対して、リンは迷うことなく答えた。
「規範と節度を学ぶことでしょ?」
しかし、アヤメは笑顔で首を横に振った。
「それは私が言った事を復唱しただけでしょう? 今のお話を聞いて、リンさんはどんな結論を出すべきでしょうか?」
それは簡単なように見えて難しい質問だった。アヤメが言った事を繰り返すだけでは意味が無いのだと出鼻をくじかれてしまった。アヤメは魔法に関しては、かなりスパルタらしい。優しく問われているが、現代人にとっては厳しい質問だろう。
ややあって、リンは答える。
「世界の
「惜しい。80点」
世界システムへの干渉という点から、リンは理の理解という答えを出したが、アヤメの求めていたものとは違うらしい。だが、高得点な辺り、全くの間違いというわけでもないらしい。
答えに詰まってしまったリンの手を取り、アヤメは答えを教えた。
「正解は、世界を愛する事です」
「愛する……?」
「はい。愛するという事は、知ろうとする事です。ただあるがままに、何故そうなっているかを探り、考える。それを、世界を愛するというのです」
アヤメは魔法の根本は世界を愛する事だと言う。しかし、リンは少し納得できない表情だった。
「でもそれって、ちょっと言葉遊びじみてない? 結局、それは世界のシステムを理解しようって話じゃないか」
リンはかなり理論派だ。感情論で物を考える事はあまりない。魔法という学問を学ぶ上で、『愛する』という感情論を持ち出される事は、少し納得できなかった。それよりも魔法の法則を理解してその通りに運用すればいいのではないか。リンはアヤメにそう言った。
だが、アヤメはあくまで『愛する』ことが重要だと言った。
「理解するだけでは、それを悪用したり、世界の理を破壊する事に注力してしまう。人間とはそういう生き物です。魔法や科学というものは、表面だけ理解していても意味がない。世界を愛していなければ、それは破壊の権化となってしまうでしょう」
それは後にリンが戦う事になる《エクスプローラーズ》や《セプテム》と同じ末路を辿る事になるだろう。アヤメに言わせれば、彼等は世界をただ理解しているだけで、愛していないのだ。
これはアヤメのエゴかもしれないが、リンには物語に登場するような〝悪い魔法使い〟にはなって欲しくない。仮にそうなってしまえば、リンの使う魔法はとても空虚で澱んだものになってしまう。仮にアヤメが《エクスプローラーズ》や《セプテム》の目的を聞いても空虚な物と思うだろう。そこには世界への愛など存在しないのだから。
「逆を言えば、理解というものは後からついてきます。そうですね……英国の探偵の言葉を借りるなら、私達は海やナイアガラ瀑布を見なくても、一滴の水からそれらの存在やその循環を推察する事が出来る。それと同じように、世界を巨大な機械に喩えると、一つの歯車から全体の機構を推察する事も可能です」
それでもリンはどこか納得できない表情をしていた。
これは彼特有の気質というよりは、現代人の抱える問題かもしれない。現代の日本はどちらかというと欧米化していると言える。
元来、欧米の価値観として『自然を征服する』傾向がある。対して、昔の日本は『自然と共生する』ことを主軸に置いていた。そして、魔法の基本的な考え方は後者に近い。
考え込んでしまったリンを見て、アヤメはフィールドワークに行こうと提案した。『世界を愛する』という、現代人が忘れつつある原理を理解できない限り、いくら座学をやっても暖簾に腕押しである。
「この授業の目的は、魔法そのものというよりも、この世界に溢れる様々なモノとの関わり方を学ぶことです。そのためには世界を愛する必要が有る。魔法とは、世界の美しさを識るための学問なのです」
リンに耳にはどこか宗教じみた思想のように聞こえてしまう。リンは教会に住んでいるが、信仰心は皆無と言っていい。人々から自由を奪う戒律や信仰など、好きにはなれないのだ。
だが、アヤメが言うには、キリスト教のような一神教とゲルマンケルトや神道のような多神教では原理が異なるのだという。
「それを知るために、一度書を捨て、森へと出ましょう」
アヤメはリンの手を取ったまま、絶妙な力で引っ張り、彼を外に連れ出した。
アヤメと、彼女と闘った時に身に着けた魔道具の指輪『プロスペロー』を着けたリンは森の川の近くに来ていた。
「都市を悪く言うつもりは有りませんけれど、セメントの壁は少し無粋に思えますね」
「まあ、そうかもね」
「でも、一枚ヴェールをくぐれば、風を奏でる木々の奥。その世界は私達のすぐそばに息づいている」
雨が上がった後で、アヤメは地面に波紋を広げながらリンに話しかける。アヤメもリンも靴は濡れておらず、何かしらの魔法が作用しているのだろうとリンは推測した。いつかこんな光景を見たなと思いつつ、子供のように無邪気にステップを踏むアヤメについていくと、アヤメはとある水車の前で足を止めた。
「さて、せっかく喩えに使いましたし、今日は『水』についてお話ししましょう」
「水?」
「ええ、水を通して魔法の基礎的な概念の一つ、『循環』について話すと言った方が正確でしょうか」
「循環……ねえ」
リンは壊れた水車を見ながら呟く。かつては人が住んでいたのか、小屋に備え付けられるようにそこにあった。
「先程も少しお話ししたように、水というものは循環しています。雨として地上に降り注ぎ、土に染み込んで一部は川として海に出る。そして、海から蒸発した水は再び雲となって雨となる」
「そうだね。義務教育で習ったよ」
「そしてこれが、魔法において重要な要素になります。例えば、魔法陣が丸い理由などですね」
そこに繋がって来るのか、とリンは思った。確かに、四角い魔法陣などどの創作物でも見たことが無いし、大抵は丸い。
「円という図形は、大抵の場合は調和と循環を意味します。円の内部で魔力を循環させ、効果を増幅したり一定範囲に留めたりするのが主な目的です。例えば、その『プロスペロー』という指輪型の魔道具は、増幅と限定の効果を同時に発動する小型の魔法陣と言えますね」
確かに指輪はその名の通り円形をしているが、そんな意味が有ったとは知らなかった。なお、魔法陣以外にも魔法を制御する方法は色々と存在するようだが、ここでは割愛する。
そして、ここからがアヤメの授業の真骨頂だった。
「そして、この『循環』は生命にも適用できますね。人間よりも森の動物たちの方が分かりやすいでしょう。草を食べる獣を、肉を食べる獣が狩る。その肉を食べる獣も、より強い獣の糧となる。そして、食べられた獣の
「そうだね」
確かに、循環している。これが世界の機構を表す方法の一つだとアヤメは語った。そして、魔法というのはその循環に干渉しつつ、世界を観測するための技術なのだとも。
と、そこでリンから質問が出る。
「それじゃあさ、俗に言う害獣……人や人の食べ物の味を覚えてしまった獣はどういう扱いなの?」
アヤメは少し笑顔を消して、真面目な表情で答える。
「良い質問ですね。それは、魔法を用いて闘うという事柄にも関与する事です」
リンが嵌めている指輪にも攻撃の性能が存在する。その理由が語られようとしていた。
「まず、命は循環している。というのは、よろしいですね?」
「うん。さっき話したよね」
「よろしい。害獣とは、簡単に言えばその循環から外れてしまった獣の事です。人間に喩えたら、薬物中毒者などが該当するでしょうか。命の歯車を乱し、理から外れてしまった存在。薬物中毒はまだ、歯車の治療方法が存在する場合もありますが、動物の場合はそうはいきません。これ以上循環を乱す前に殺すというのが答えになります。残酷ですが、生かしておいても人間にとっても動物にとっても利は有りませんから」
そして、殺した後は人間達が糧とすることでこちら側の循環に取り込むか、土に還す事で森の循環に戻すか、というのがアヤメの答えだった。何というか、狩猟民族っぽい考え方だとリンは思ったが、同時に納得できる答えでもあった。
「動物を狩る時だけでなく、治療する時にも考える事ではありますね。ああ、誤解しないで欲しいのは、治療という行為そのものを否定しているわけではないのです。ただ、治療という行為によって生命の輪から外れ、結果的に殺してしまう事は避けなければならない。ということですね」
「本当に善悪の区別が無いって言ったら変だけど、一般的な感覚で話すと容易く迷宮入りするね。魔法の観点は」
「まあ、そもそも医術とは殺生一体の技術ですからね。生き長らえる為に一時的に死に近づいている……」
「この世の真理に気付いちゃったのかな?」
「真理という程の物ではありませんが、世界を愛するとは結局、疑い、洞察する事とも言えます。ただ、決して世界を破壊する事では無い」
医術にせよ魔法にせよ、殺生一体であり、常に破壊の危険を孕んでいる。そしてそれは現代の学問や科学も同じだ。
アヤメは魔法だけが特別危険なわけでも、また特別便利なわけでもない事をリンに知って欲しかった。
「先程は世界を機械と表現しましたが、或いは我々こそが冷たい機械なのかもしれません。人間的な皮膚に包まれ、人間的な罪を犯し、都会の神様に縫い合わされた
世界の歯車を調律する。それが魔法というものの本質である。そしてそれは、世界に対する
「今すぐに理解しろ、とは言いません。これから魔法を学んで行く中で、少しずつ、時を育みましょう」
リンはややあって、「分かった」と首肯した。
魔法、というかほぼ哲学でしたね。今回のお話は。ポケモンに通ずる要素もありつつ、この転移前の世界特有の世界観を表現できていればいいなと思います。
備忘録
>世界を愛する:
リン君だけでなく現代人には理解しづらい話かもしれない。文字通りの意味と比喩的な意味が両立しており、比喩的な意味では『世界を知ろうとする事』である。また、魔法を隔絶したものであるかのように思えるのは分からない=不思議であるからに過ぎず、案外理論的なシステムによって構築されている部分も多いのである。
>書を捨て、森へと出ましょう:
アンドレ・ジイドの『地の糧』より抜粋し、アレンジしたもの。
>プロスペロー:
シェイクスピアの戯曲『テンペスト』の登場人物。
>水車:
シンボルとしての意味は『時間』『物質世界の限界』。