彼方楽園のレチタティーヴォ   作:三文小説家

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 先に毒島戦を書いていきます。時系列は前後しますが、マルスプミラで言及されている件から書いていった方が良いと判断しました。


女王事変
完全犯罪


 その日、リン達を巻き込む嵐が起きた。

 

「おや、皆さん。豪雨のような、遠雷のような、炎天のような……形容しがたい表情ですが、いかがなされましたか」

 

 アヤメが突然降り出した雨にも負けずにリンに呼ばれたファミレスを訪れると、憔悴した少女、青野星香と、彼女から話を聞こうとするリン達四人がいた。アヤメの言葉は彼女なりにリン達の表情を表したものだろう。どれがどういう基準なのか、リン達にはよく分からなかったが。

 

「あ、アヤメさん。ちょうどいい、かどうかは分からないけれど、来てくれたんだね」

 

 それに気付いたリンがどこかホッとしたようにアヤメに話しかけた。彼が言うには、青野星香が橋から飛び降りようとした所をやっとの思いで助けた所らしい。今は星香から自殺未遂の理由を聞き出そうとしているとのこと。

 

「Vanitas vanitatum, et omnia vanitas.」

「え?」

「なんという虚しさ。なんという虚しさ、すべては虚しい。旧約聖書のコヘレトの書の一章二節です。人生の虚しさの寓意を示す静物画〝ヴァニタス〟の象徴的文言ですね」

「なんで教会に住んでる僕より聖書に詳しいの?」

 

 アヤメの言葉に星香が僅かに動く。アヤメはそれを視界に捉えると、極めていつもと変わらない調子でものを言う。ボックス席の端に高校生にしては大人びた上着を置き、「紅茶を一つ。ホットで」と軽く店員に頼んでいた。

 

「アヤメさん……何というか……メンタル強いね」

「自殺未遂に素直に同情できる程、純粋ではなくなってしまっているのでしょうね。誤解なきよう言っておきますが、私自身は自殺を否定も肯定もしていません。ただ、局所的に雨が降るように、砂漠が自然に形成されるように、そのような現象もあるのだなあ、と、思うだけです」

 

 私自身、他人の事は言えませんしね。と、アヤメは最後に付け加えた。そういえば、とリンは思い出す。アヤメは毒杯を呷って自殺しようとした過去があった。水差しを窓辺において、空き地に生えていた毒を注いで、乾いた紙にこう綴った。『結局私は生きれなかった』。全てが嫌になって毒水を口に含んだ。ヴァイオリンの音を思い出した。

 

 アヤメが星香を刺激し続けるような事を言うのには訳がある。無論、店に入って何も頼まずに出ていくというのが忍びなかったのもあるが、怒らせて冷静さを失わせれば何かを話すのではないかと思ったのだ。あまり褒められた方法ではないが、心に籠城する星香の大手門は正攻法では開かぬだろう。

 

 講ずるは空城の計。失敗すればまた別の方法を考えるとしよう。

 

「あ、あなたに……」

「……?」

「あなたに私の気持ちなんて分かるわけない!」

 

 星香はアヤメをキッと睨むとモノスゴイ声色で怒鳴りつけた。これはしたり。一発で釣れるとは、何事もやってみるモノである。

 一方、アヤメは半ば予想通りの反応であったためか、驚くことなく紅茶を飲んでいる。その優雅さはもはや星香にとって火に油を注ぐ結果にしかならなかった。

 

「貧乏に苦しんで、妹の欲しい物一つ買ってあげられない私の気持ちなんて!」

 

 星香は激昂しながら事情を話した。妹のために店から髪飾りを盗んでしまった事。それを女王様気取り、毒島瑠璃に見られてしまった事。そして、それをネタに脅されている事など。その事実だけでリン達四人の怒りを育てるには充分であった。

 

 星香の言をすぐに信用したのは彼女が打算など関係なしに心の底から相手のことを想い、行動できる人格者だったからだろう。最初は疑っていたリンですらもすぐに認識を改めざるを得ない。其れほどの善人であった。

 

 だが、そんな彼女が万引きをするほどに追い詰められるとは如何なる事情であろうか。

 

「私の家、貧乏なんだ。お父さんが亡くなっていてあまり裕福じゃなくて、しかもお母さんも病気がちで……行きたい場所も、欲しいものも、食べたいものも我慢して生きてきたの。紅茶一つだって高級品だよ」

 

 星香は二杯目の紅茶を呷るアヤメを見ながらそう呟いた。リンはそれにどこかきな臭い気配を感じながらも星香の話に合わせる。話を聞く限り、途轍もなく困難な人生を送ってきたのであろう。リン達が完全に共感する事など不可能なほどに。

 

籟籟(らいらい)と雨が降る音が聞こえ、店内に人は見えない。期せずして、このファミレスは密談に向いた場所となっていた。

 

「そんな中でね、優芽が、私の妹が、ある髪留めを欲しがった。普段は我儘なんて言わない子なんだけどね。それだけはどうしても欲しいと言ったの。それで、気付いたらその髪留めを盗んでた。愚かだというなら言えばいいよ。でも、私に他に選択肢なんて無かった」

 

 星香は吐き捨てるようにそう言った。

 

「いや、僕達が共感できるなんて烏滸がましい事を言うつもりは無いよ。愚かだなんてとても言えないな……それで、どうして橋から飛び降りようとしたの?」

「それは話してなかったね。私が髪留めを盗んだところを、毒島さんに見られちゃったんだ」

 

 星香が語るところによると、女王を気取る毒島瑠璃は星香を盗難の罪で脅した。最初は召使いのように食べ物や飲み物を買って来るように要求してきた。尤も、星香はこの段階ではちょっとした奉仕活動だと思って言う事に従っていたらしい。

 

「なるほど。しかし、あの女はその程度では納得しなかったのでしょうね」

 

 アヤメが鬱陶しい羽虫を見るような顔で想起すれば、星香はそれを睨みながらも肯定する。

 

 弱みを手にして小間使いにするという行為だけでも許し難いものがあるが、毒島の行動はさらにエスカレートしていったらしい。平手打ちをしたり足蹴にするという直接的な暴力行為の他、小間使いと言っても、誰か他人を陥れる小細工の為に使われる事が多くなった。弱みを握られている星香は抵抗する事が出来ない。そして、星香の行動で誰かが不幸になれば毒島はこういうのだ。

 

「あーあ、青虫ちゃんのせいであの子、泣いちゃいましたねえ」

 

 泣かせているのは毒島だが、この場合の正論は机上の空論であろう。

 

 或る意味完全犯罪だ。被疑者は自首する事も無く、被害者もまた被害届を出す事は無い。そして、傍観者たちは次のターゲットは自分かもしれないと口を噤む。証拠など浮かび上がってこない。

 

 そして、絶望した星香は自殺を決行した。

 

「あの女らしいですね。人間が人間を物にまで貶めようとする行為には、何事にも代えがたい汚辱を顕現する。ボーヴォワールの言う通りです」

「あなただって同じじゃない」

「は?」

 

 一頻り話が終わった後にアヤメが感想を漏らすと、星香は憎々し気にアヤメを見て捲し立てた。

 

「どうせ心の中では馬鹿にしてたんでしょ!? 私みたいな貧乏人が星彩学園に通うなんて馬鹿らしいって! 良いよね! お金持ちの人は何でも手に入って! 苦しい思いもひもじい思いもしなくて済むんでしょ!? 毒島さんとも仲良くしてるの見たよ!」

「おい! 落ち着けって!」

「青野さん! 言い過ぎだ!」

 

 星香とて、アヤメと話したことがないわけではない。しかし、富裕層、お嬢様である毒島瑠璃に危害を加えられ、精神的に追い詰められた彼女には元来持つ富裕層へのコンプレックスも相まって、アヤメは毒島瑠璃の同類にしか見えなかった。

 

 星香の精神状態故に仕方が無い部分もあるが、それでも度が過ぎていると思った四人は星香を止めに入ったが、その前にアヤメが星香にテーブルに置いてあるナイフを突きつける。

 

「ひっ……」

 

 誰にも止められなかった。アヤメの神速のナイフが移動した軌跡を捉える事などできないのだから。

 

「綺麗な首ですね。弾痕も、切り傷すらない。少なくとも、白い頸を晒しながら生活できる環境下ではあったのでしょう。さて、」

 

 そして、アヤメの表情もまた、猟犬のような凶悪さであった。

 

「墓にはなんて書けばいいのでしょう。Ms. 青野?」

 




 開始早々酷い事になりました。

 備忘録

>完全犯罪

 いじめの状況を皮肉ってタイトルをつけました。実際、ブラックボックスというか、存在し得る完全犯罪と認識しています。

>怒りのアヤメ

 刺激したのは自分とは言え、流石に頭に来たようです。
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