彼方楽園のレチタティーヴォ   作:三文小説家

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副題:アヤメ、キレる。


天人五衰

 怪奇は現れずとも泥犂(ないり)の街。アヤメは蛙鳴蝉噪(あめいぜんそう)をかなぐり捨てて星香にナイフを突きつけていた。

 

「刺激したのは私です。ある程度の罵言(ばげん)はノブレス・オブリージュの精神の下に見逃そうと思っていました。しかし、分からないものですね。まさかここまでクリティカルに頭に来ることを言われるとは思いませんでしたよ。激情の濫觴(らんしょう)になると知っていても、それを押さえられなかった事もね……」

 

 ごめんなさい。と、アヤメは底冷えするような声色で懺悔をする。その場の人間は今はまだ長月上旬だというのに、まるで師走であるかのような錯覚を覚えた。

 

「私が。私が! 私がァ!! あの女と同じ? 言うに事欠いて、掛け値なしの大地雷を踏んでくれましたねえ!? アレと比べたらまだゴキブリの方が可愛げがありますよ。嗚呼、邪魔だ邪魔だ鬱陶しい!! これが地獄ですか! こうだとは思わなかった! 硫黄の匂い! 火あぶり台! 焼き網などいるものか! 地獄とは他人の事なのでしょうね……」

「(やばい完全にぶっ壊れてる)アヤメさん! 一度落ち着いて!」

「落ち着け? 落ち着いていた結果がこれでしょうが! あなた方はご存じなかったかもしれませんが、私だって笑うし怒るんですよ」

「知ってるけど! とりあえずナイフをしまって! 僕はアヤメさんに友情を感じているし、愚かな僕を救ってくれた事もある。たとえアヤメさんが罪を犯して逮捕されても、毎日面会に行くくらいには気を許してるよ。でも、できれば僕はこうして気軽に会える関係でありたいし、アヤメさんには犯罪を犯して欲しくは無いんだ!」

 

 それを聞いたアヤメは見開いた眼をいつもの糸目の状態に戻してナイフを元の場所に戻した。そして、

 

「かっこいい。(ずる)いです。そんなこと言われたら、私は従うしかないじゃないですか……」

 

 恋する乙女のように頬を染めてもじもじと身体を揺すっていた。リンが悪人や犯罪者を好意的に見ていないのはアヤメとてこれまでの会話から知っている。そのリンがアヤメを例外的に見ている。それだけでアヤメにとってはこれ以上ない充足感を得られるものだった。

 

 尤も、他の面々は星香も含めて突然の状況に目を白黒とさせていたが。

 

「はあ、青野さん」

「な、何……?」

「とりあえず、この辺で止めておきます。ただ先代が腐るほどお金を持っているだけで、私が16年間どのような思いで過ごしてきたか、貴女には知る由もない、知る価値もない。そうでしょう?」

「え……」

「絶望する才能も、苦悩する権利も剥奪された人間がどれほど惨めか、考えたことも無いでしょう? 良かったですね。絶望できる体質で」

 

 アヤメの声色に宿るのは怒りでも嘲笑でもなく諦観だった。『金持ち』という立場のせいで周囲から様々な嫉妬や羨望の的となったアヤメ。悩みを相談しても『贅沢』『嫌味』としか取られず、いつしか理解される事は諦めた。そういう事を言う人間に限って自分と違う価値観が存在する事を認めないから、アヤメの望みが財を投げ打って森で一人で暮らすという事も、その技術も知恵も持っている事を認識できないのである。

 

 森や魔法の世界や架空言語を作る才が無ければ、それこそ嘗てのリンのように人間を見下す思考回路になっていただろう。

 

「私があなたのように不幸自慢をした所で、こんなに同情された事なんてありませんでしたよ。まあ、万人に理解されようとも思いませんけれど。子供じゃないんですから」

 

 暗に自分は子供だと言われたような感覚がして星香は反駁しようとするが、アヤメの死んだ魚のような目を見て言い淀んでしまった。

 

「六道の最高位にある、人間から多くの楽欲(ぎょうよく)を受ける天人の死に際の五衰など、理解できないでしょうとも。ええ、ええ、私の願いが六道輪廻からの解脱であると説いても『そんな馬鹿な』と耳を塞ぐ。だからもう、やめにしましょう。お互いに関わらない事が最善でしょうから。お望み通り、Dust to dust、塵は塵に。あるべき場所へと還りましょう」

 

 創世記第三章19節の文言だ。お互いに理解できないのならば、その領域に踏み込むべきではないのだろうという、アヤメの理性的な判断の暗喩であった。自分が生まれた土にアダムが還ったように。

 

 アヤメは上着を羽織り、傘を持ってファミレスを出て行った。自分が飲んだ紅茶の金はしっかりと置いていった上で。

 

 

 

 

 

「Regna sereno intenso ed infinito……(晴天と静けさが全てを統べる)」

 

 雨は既にやんでいた。傘があまり役に立たなくなってしまったが、代わりに傘の石突でガンッと地面を叩いてみる。

 

(はぁ~~~。スッキリ)

 

 一連の出来事で、自分は青野星香に嫌われただろう。だが、アヤメは自分が間違った事を言ったつもりも無いし、撤回する気も無かった。どうせ、これ以降は関わる事は無いだろう。人間を見下していた頃のリンにあれこれ言ったが、アヤメ自身はビジネスならばともかく、プライベートまで分かり合えない人間と無理にまで交流を持とうとは思わなかった。

 

 なぜならば、それこそが争いの火種になるのだから。属するべきでない者がその集団に属してしまった場合、それは取り返しのつかない悲劇になる事もある。アヤメは弱者に手を差し伸べる優しい少女ではあるが、同時にその辺の割り切りの良さも併せ持っている。

 

「アヤメさん! 待って!」

 

 アヤメがその声に振り向くと、リンがこちらに走ってきていた。用件が粗方想像のついたアヤメは、仮にも愛する少年に冷たい態度を取る。

 

「言っておきますが、『弱者に手を差し伸べる』と『殊更に弱みを曝け出す人間を無礼者と呼ぶ』は矛盾しませんからね。少なくとも私の中では」

 

 リンがアヤメの思想の矛盾を突いてくるだろう事は既に予想済みだった。だから先手を打って封じたのだが、彼の要件は違うらしい。

 

「とりあえずそれは置いといて……アヤメさん、何か言ってない事あるでしょ?」

「私が自室に頭蓋骨の模型を置いている事でしょうか?」

「それはアルベリッヒ戦の時に見たよ」

「では、ベッドの下に官能小説を隠している事でしょうか」

「それは初耳だけど違う。あの女王様気取り……毒島瑠璃のことだよ」

「ああ、なるほど。では私の部屋か、リンさんの住む教会に行きましょう。往来で話す事でもありませんし」

「そうだね。教会がいいんじゃないかな。そっちの方が近いし」

 

 リンとアヤメは連れ立って教会へと向かった。後にリンが「青野さんが色々と策を巡らした僕じゃなくて脳筋と付き合ってるのが納得いかない」と言っていたが、アヤメとのいざこざを見てモーションを掛けられる猛者は限られるだろう。よほど鈍感でなければ気付くのだから。

 

「というか、アヤメさんって官能小説とか読むんだね」

「私だって人並に性に興味はあります。まあ、あからさまなものを買うと取り上げられてしまうので、表向きは純文学の体裁を取ったなんちゃって官能小説ですが」

「見つかっても叱責されない。むしろ褒められる可能性すらあるわけか。ルールの穴をつくのが上手いね……」

 

 ちょっとした猥談を挟みつつ教会の扉をくぐる二人。バチが当たりそうだが、生憎とツッコミ役はいない。

 

 リンの部屋についた後、二人はリンが淹れた茶で落ち着いていた。だが、「エロ本でも探しましょうか」とアヤメが悪ノリしだしたので、リンが止めた。時々男子高校生のようなノリで動くことがある美貌の演奏者の行動は本当に読めない。こういった小さな悪戯の件数や奇行の回数は実はアヤメの方が多い気がしたリンであった。

 

 それ以前にお互いの部屋を行き来するような関係のくせして「ただの友達」と話す二人に周囲は訝し気な目を向けているのだが……

 

「とりあえず青野さんは三人に任せてきた。アヤメさんを放ってはおけないし、直接的に助けたのは脳筋だからね。まあ、アヤメさんにも彼女の精神状態を考慮してほしいのは本音だけれど」

「雨の中に呼び出されて、その上あんな罵言を言われて配慮しろと? 冗談じゃありません」

「刺激したのはアヤメさんじゃないか」

「確かに怒らせるような態度を取ったのは私です。しかし、話を聞いた段階でその役割は終わりました。本当ならばあの場で帰ったって良かったんです。それでも留まったのはまだ青野さんに同情する気持ちが有ったからに過ぎません。しかし、青野さんの言葉は私にとって度を越えていました。チェス盤をひっくり返したのは彼女です。これについて譲る気は有りませんよ」

 

 トリガー戦略に則って、相応の対応をしただけです。とアヤメは締めくくった。デジタルに過ぎる論法だが、一応筋は通っている。アヤメの脳内が二元論的な単純思考ではないことは知っていたつもりだが、あの精神状態の星香が複雑な思考を配慮、洞察するのは不可能だろう。

 

 一方、アヤメはこれ以上この話題を続けるつもりは無いと、新たな話題を提示した。

 

「それで、リンさんが聞きたいことって何です?」

「ああ、それはね、アヤメさんが毒島瑠璃と関わりがあるんじゃないかってこと。仲が良いだなんて思ってないけれど、無関係ってわけでもないでしょ」

「なるほど、では話しましょうか……」

 

 そして、アヤメは毒島からしつこく勧誘されていることや、脅迫めいたいじめの事を明かした。話し終えるころには、リンの顔は怒りで染まっていた。

 

「どこまで罪を重ねれば気が済むんだ。女王様気取りは。というか、相談してよ」

「始まったのは知り合う前の事ですから。今はもう小川の(せせらぎ)にしか聞こえないんですよ」

「でも、一方的にやられてるじゃないか! もっと早く言ってくれれば僕だって……」

「いえ、仕返しはしていますよ。画鋲を上履きに入れられた時は指弾にして撃ち返しましたし、水を掛けられた時はそれを使って感電させました。ノートを破られた時は下手人の机をこっそり剣で両断しておきまして……」

「思ったよりヴァイオレンスな仕返しだったんだけど!」

「次はレールガンでも撃ちましょうかね」

「学校が大破しそうだね……」

 

 ザムザ戦やアルベリッヒ戦の時も思ったが、平常時とキレた時の振れ幅が大きすぎる。しかも、勧誘された時の断り文句は「腐肉は一人で喰らえ。私には不味すぎる」だった。リンですら中々使わない毒舌である。

 

 そして、アヤメから毒島瑠璃の情報を聞いた後、アヤメは帰っていった。

 

「毒島瑠璃は私にとっても敵です。始末するなら手を貸しますよ」

 

 帰り際にそんなことを言っていたので、もしかしたら頼るかもしれない。ただ、「もう、後ろからネイルハンマーで殴って水酸化ナトリウムで煮込みましょうよ」とか言いだした時は止めたが。

 尤も、リンはリンで「すぐに終わったらつまらないじゃないか。恐怖とトラウマを魂にしっかり刻み込んで生き地獄を味わわせた方がいいんじゃないかな。法にも抵触しないしね」とグレーな価値観で反論したのでどっちもどっちと言われそうだが。

 

「はあ……頭が痛い」

 

 アヤメが帰った後、リンは頭を悩ませていた。というのも、星香がアヤメのような富裕層に抱く劣等感も、アヤメが富裕層故に味わった苦悩も理解できてしまうのである。アヤメとて銃弾が首を貫通した過去も、自殺未遂をやらかした過去も持っているのだ。不幸の度合いで言えば両者ともにいい勝負なのである。

 

 そして、アヤメの「関わらない方がいい」という言も分からなくはない。難破船で宝を探すにも海という護衛がいる。星香は劣等感という要塞に不幸という大砲と嫌悪感という刃を持って立てこもっているようなものだ。それに火薬や重りをつけて特攻しろという気にはリンにはなれなかった。

 

「悩んでいるね。少年」

 

 そう声を掛けたのはリンの育ての親である佐倉義正神父だった。

 

「いや、喧嘩してる二人がいるんだけど、どっちの主張も分かるから複雑なんだよねえ……」

「その悩みは捨てては駄目だよ。人間関係を築く上で必要なことだからね」

「分かってるよ」

「まあ、喧嘩しているというよりは、私が一方的に嫌われているだけなのですけれどね」

「!? アヤメさん!? いたの!?」

「本を返し忘れていたので。それと、一つリンさんに要求をしてもいいですか?」

「ああ、うん、内容によるけど」

「では、二、三日私に貴方の時間を差し出してくださいな。私が癒されるまでは帰しません」

「うん、いいよ。少年にもいい経験になるだろう」

「当事者が置いてきぼりですけど、神父さん」

「君だって断らんだろうに」

 

 佐倉は笑顔でリンを貸し出した。星香の件がどうなるにせよ、リンは二、三日アヤメに付き合わなければならないのは確定したようである。

 

「用件はそれだけです。では、御機嫌よう」

 

 アヤメはそう言うと、貸していた本を置いて去っていった。思ったよりアクティブな女友達に、リンは嘆息した。

 




 思った以上にキレ散らかしていました。アヤメさん。青野さんには悪いけど、アヤメにとってはそれ程大きい地雷だったのです。

備忘録

>天人五衰

 元ネタは仏教用語で、六道の最高位の天界にいる天人が長寿の末に迎える死の直前に迎える5つの兆しの事。この天人の五衰の時の苦悩に比べると、地獄で受ける苦悩もその16分の1に満たないとされる。そのため、速やかに六道輪廻から解脱すべきと力説している

>他人は地獄

サルトル『出口なし』から引用。

>Dust to dust

 本文の通り、聖書より引用。アヤメの死刑宣告その二。

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