小夜風アヤメは少女である。
別の言い方をするなら、怪異ではない。魍魎の類ではなく、式神の類でもなく、超常の存在ではない。エキセントリックな言動と、知識や教養が滲み出る詩と、類稀なる演奏によって周囲を驚かせ、また、戸惑わせたとしても、その本質は少女である。
しかし、常人ではない。悪人ではなく、厭世家でもなく、ましてや
彼女にとってこの世は役者が踊る為の舞台であり、また、音階を発見したピタゴラスと同様に『宇宙が音楽を奏でており、それがこの世に調和を齎している』と考えている。人も、言語も、彼女にとっては周りにある物全てが音楽であるという前提を考えれば、この数話で見せた行動の数々も合点がいくだろう。
同時に、彼女が正反対の思想を持つニーチェなどを全否定しない理由はこれである。アイデンティティという概念そのものを否定する彼の思想を、アヤメは否定しようとは思わない。
何故なら、演奏や演技をしている彼女は、日常生活における個性からは逸脱せざるを得ないからだ。時に嵐に、時に吹雪となり、また、深窓の令嬢にも殺人鬼にも魔王にもなり得る。アヤメは音楽の中でならば、それに相応しいアイデンティティを獲得する。この時点で確固たる個性などというものは矛盾してしまう。彼女の中ではこのような背理法の証明が成り立っていた。
そして、彼の主張するもう一つの主張『世界は狂喜と逸脱の陶酔であり、人間を含めた存在そのものは悲劇である』という主張にも賛成する。真理に善も悪も無いのは賛成するし、存在そのものが悲劇であるという極論も否定は出来ない。
ニーチェのいう狂気、すなわち『ディオニュソス的真理』だが、アヤメにとっては学園の生徒や教員が示す規律がそれにあたる。彼女を異端者として排斥する者達は正しくディオニュソス的真理の狂信者であった。
だが一方で、そのディオニュソス的真理を覆い隠す『アポロン的芸術美』こそがアヤメの志す道である。しかし出る杭は打たれるという言葉があるが、彼女の通う星彩学園はその傾向が強い。つい最近、学園内で良き理解者たちに出会えたが、彼女の主な理解者は学校の外にいるのだ。
そして、アヤメはその人物の一人をリン達に紹介する為に街路を歩んでいた。
「前に言ってたWeyer String-IIIさんとご対面かぁ……どんな人なんだろ」
「長い上に言いづらい上に略しづれぇ名前だな……ウェアさんとか呼んじゃダメなのか?」
「本人に聞いてみなければ分かりませんが、私は普段はMs. Stringと呼んでいますから、おそらく大丈夫だと思いますよ」
早速栗山が不安になるような事を言っているが、アヤメ曰く、相手はそこまで狭量ではないらしい。なお、学校外での用事なので全員私服である。
(というか私服の小夜風さん綺麗過ぎてヤバい……!)
アヤメの服装はノースリーブのブラウスにフレアのミニスカート、そして肩を出すように着崩したジャケットがアクセントとなり、藍色のカチューシャと相まって大人になったアリスのようであった。
「やべエ、俺おもっくそ普段着で来ちまった」
「僕も前身黒ずくめです……」
「待ち合わせしてるカフェにドレスコードはありませんから、そこまでご心配なさらなくて大丈夫ですよ」
「待ち合わせと言えば、確かこの辺だよね?」
「ええ、私も何度か行った事があるので場所自体は分かるのですが、目印が立っているから友人達にはそれを見つけるように言いなさいと言われました……あ、目印」
白の言葉にアヤメが件の人物からの謎めいた指示に首を傾げていると、その意味が分かったように顔を上げる。アヤメの視線の方向には通行人から頭二つほど飛びぬけて背の高い女性が立っていた。
「お待たせしました。Ms. String」
「あら、来たのね、アイリス。聞いていた通り、随分と賑やかだわ」
その女性は深緑の瞳と赤い髪を持ち、瀟洒な上衣にロングスカート、そして最も目を引くのはシニヨンヘアの上に乗る大きな鍔広帽子だろう。現代の日本の街並みでは完全に浮いてしまっているが、不思議と厚かましさは感じなかった。
なお、見るからに外国人と分かる彼女の容姿に、
「ま、My name is Kyo Kageyama……」
「日本語喋れるわよ」
という杏の誤爆も有ったが、「とりあえずお店に入りましょう?」と誘われ、六人は待ち合わせの喫茶店『Twinkle Little Bat』に入っていった。
Zaf ha musvise ahdinel sudna
(お、おい……)
(一番安いメニューで1200円超!? 足りるかな……)
(コーヒー数杯なら大した値段ではないだろうと高を括っていましたが、これは……)
(あはは……普通にお小遣いが飛びそうだ)
「なんか作戦会議してるとこ悪いけど、お金はこの場所に呼び出した私が払うから心配しなくていいわ」
男子四人はメニューに書かれた値段に慄いており、それを見た彼女は懸念事項を否定する。
「そういえば、今日は何故工房ではなくこちらへ?」
「たまたまこっち方面に用事が有ったのよ。それに、私は楽器を買う客でもない初対面の男を自宅に招く趣味は無いわ」
そう言って彼女はアフタヌーンティーセットを頼むと、男子四人に向き直った。
「それでは改めて、
「出会い頭に凶悪な怪異みたいなこと言ってるんですけどこの人」
「もしくはどこかしらから送り込まれてるスパイ」
「はっ、まさか表の顔は高貴なる貴婦人だが裏の顔は冷酷無比な殺し屋……!」
「変なキャラ付けしないでくれないかしら」
「自業自得だと思いますよ」
店員が注文したアフタヌーンティーセットを置いている横で、男子高校生の悪ノリが炸裂していた。Weyer String-IIIは咳払いをして話を戻す。
「んっんっ、流石に冗談が過ぎたみたいね。流石に後半は冗談だから安心していいわ。でも、私の本名を教える気が無いのは本当よ。正確には、私を指し示す符号としてはWeyer String-IIIの方が適切って感じだけど」
彼女が言うには、楽器職人としての名前が有名になり過ぎて、もはや公的機関の人間を除けば誰も自分の本名を呼ばなくなったらしい。尤も、彼女はそれに対して不満を抱いているわけではないようだが。
そして、リン達の自己紹介が終わると、Weyer String-IIIは無表情でお菓子を摘まみながらリン達の有りようを聞いていた。
「暇つぶしで道場破り、ね。ふーん……元気で良いんじゃないかしら」
Weyer String-IIIの反応は可もなく不可もなくという物で、リン達を咎めるつもりも褒めるつもりも無いようだ。
(でも僕には分かる。この人は鉄鬼と同じく敵に回しちゃいけない人だ)
(へえ? 一応聞こうか。その根拠を)
(一つ分かるのは、この人の経済力は相当なものだ。こんなバカ高い店に五人も招待できる時点で確定だよ。それに、この人の顔を何処かで見たことあると思ったら世界的な楽器職人だ)
アヤメと関わる中で、リンは弦楽業界について多少調べた事が有った。その中で見つけたのがWeyer String-IIIだったのである。今やその界隈では知らない者がいない程の著名な職人であることが書かれていた。
以上の事から下手に敵に回せば自分達が不利になるとリンは判断した。
「ねえ、貴方達も食べなさいよ。私達だけじゃ食べきれないわ」
「あら? Ms. Stringはこのくらいの量なら食べられ―――むっ!? んーー!! んうっ!?」
リンがWeyer String-IIIの素性について考察している横でアヤメが都合の悪い情報を喋ろうとしたようで、招待者から紅茶とお菓子を無理矢理流し込まれていた。
「あの、別に良いと思いますよ。食の太い女性だって大勢いますし「これ以上一言でもその話題に触れたら
彼女にとっては余程触れられたくない話題らしい。リンは素直に口を閉ざした。「よろしい」と妙齢の楽器職人は微笑んだ。
「それより、さっきの暇つぶしの話をもっと聞かせてくれないかしら。大丈夫よ。水銀以外はあまり嫌いになる事は無いの。むしろ、そういう話って痛快よ」
「あ、あはは……お手柔らかに……」
確かに人体に有害な物質ではあるが、何故ピンポイントに水銀なんだ? と、全員が首を傾げたが、
「不老不死の霊薬みたいな扱いを受けていたけれど、結局は人を狂わせ殺す毒薬。何より手が震えるって言うのが致命的だわ。私達職人の天敵じゃない」
「狂うだの死ぬだのという致命的な欠点を超えるんですね……」
「覚えておきなさい。人間は金が無くても生きていけるけど、生きがいを無くしたら死ぬのよ。死に損なった肉塊と変わらないわ」
「食事の場なんでもうちょっとオブラートに包んでくれませんかね?」
「盲腸の手術をしたの? それは大変だったわね」
「鼓膜機能してます!?」
リンとWeyer String-IIIが漫才を披露している横で腹黒イケメンこと烏丸白が彼女に同意するように頷いていた。
「ええ、ええ、分かりますよ。大抵の人間は変わらない現実にヘラヘラって今日も笑うんです。鉛の人形のような顔をして安い愛の歌をタララタララと歌ってやがりますからね。慰めなのか遊び半分なのか、同情したフリして結局アウトサイダーになる覚悟なんかありゃしない……」
「やばい! 腹黒が本領発揮し始めた!」
色々と鬱憤が溜まっていたのか、滝のように世間に対する罵言を零す白。とりあえずクッキーを口に詰め込む事で事なきを得る。
「まあでも、何か行動を起こそうっていう気概は良いわね。実際、そういう精神が無かったら私の実家だって世界恐慌やリーマンショックの時に潰れてたでしょうし」
(社長令嬢なのかな?)
「だから、ルールや慣習が適していないなら、それを変える行動も必要ね。水は土から天へ、そして天から大地へと帰る。森も大気も、万物は不変では有り得ないわ。同じように、人間が作っただけのルールに欠陥が無いなんて有り得ないの。血は通ってないかもしれないけれど」
Weyer String-IIIは学生達に等しく悪の教えを説いていた。規律を遵守させる事こそが正義だと思っている人間達には気に入らない思想だろう。
「あまり煽らないでくださいね? 羽目を外し過ぎるのも問題です」
「あら、意外と復活が早いのね」
「まだ
復活したアヤメがWeyer String-IIIの言説に釘を刺す。無論、必要な反逆や嘘は存在するが、リン達の場合はどこまでも羽目を外しそうだと思ったからだ。そして、近い未来にその懸念が正しかったことが証明されてしまうのだが……
「まあいいわ。そろそろ食べ終わるかしらね。良かったら私の工房にいらっしゃい。弦楽器そのものに興味が無くても、CDやレコード、音楽雑誌やその他の本も取り扱っているわ。買ってくれるなら大歓迎よ」
最後に自分の店の宣伝をし、会計を済ませてWeyer String-IIIは去っていった。リン達が彼女の店の場所を教えてくれないかと聞くが、
「探しなさい」
とだけ返して歩みを止める事は無かった。
「いやそんな海賊王みたいな事言われても……」
「ま、まあ、いざとなったら私が教えますから……」
「いや、ここで探さなかったら男じゃないだろ!」
「ええ、麗しき美女からの挑戦状、受けて立たなければ嘘という物です」
何故か乗り気になる男子高校生に、アヤメは小さく「男の子って……」と呟いた。なお、風向きや声量を考慮して発したため、アヤメ以外には聞こえていない。
とにもかくにも、リン達にとって心強い(?)学校外の味方を得た瞬間だった。
はい、二人目のオリキャラ、Weyer String-IIIの登場です。ウェアさんでもストリングさんでも三世でもお好きに呼んでください。本名は不明です。
備忘録
Weyer String-III:アヤメのヴァイオリンを作成した職人。その界隈ではかなりの著名人とのこと。経済的にはかなり豊かな部類。モチーフは不思議の国のアリスの帽子屋。
Twinkle Little Bat:不思議の国のアリスにて帽子屋が歌っていた歌が元ネタ。
水銀:実際、帽子のフェルトの原料である水銀で帽子屋が体調不良になる事がしばしばあった。これがアリスの帽子屋の元ネタである『帽子屋のように気が狂っている』という慣用句が生まれる理由になったという説がある。
アヤメ:一応アリスポジション。アヤメ→アイリス→アリスという連想。リン君は不思議の国のアリスに当て嵌めるならチェシャ猫だろうか。