「悪の罰せられざる有り。善の賞せられざる有り。我らが道理無くして何ぞ四海の内に於いて、百事の
「何の話だい? 参謀」
「何かの本では? 小夜風さんとかそういうの持ってそうですし」
「私の家の家訓ですね。ただ、本が元ネタというのは正解です」
リンが明治時代の政治小説のような小夜風家の家訓を言う中で、対毒島瑠璃作戦会議は始まった。ホワイトボートに書かれたいくつかのアイデアの中に『水酸化ナトリウムで煮込む』という項目がさりげなく追加されていたが、リンが速攻で消した。
「アヤメさん。一応法に則って相手は倒すからね」
「平和と秩序のためならば多少の流血はやむを得ないでしょう。それに、」
「うん、この時点で色々物申したいけど、それで?」
「少し壊れたものの方が良い演奏が響き渡る。人間が作った程度の法など、壊してしまった方が良い音楽が生まれるのではないでしょうか」
「却下!!」
「ふふ、はーい」
大きな声でリジェクトしたリンに、アヤメは楽しそうに答える。あくまでリンを揶揄う為の冗談の範疇であることを祈るばかりだ。
実際、アヤメの意識が何処に向いているのかよく分からないのが現状である。『秩序』や『音楽』を重視している事は分かるのだが、「誰もが聞いているはずなのに誰にも聞こえていない音楽」なるものを基準として動くため、一歩間違えば狂人とすら取られかねない言動をする。
「まあ、私は毒島瑠璃の取り巻きを排除する方向で考えましょうかね。ご心配なさらずとも、しっかり合法の範囲内です」
「……信用していいんだね?」
「ふふふふふふ、では」
「ねえ、ちょっと!? アヤメさん!?」
「ご心配なさらずとも、あの
「ああ……うん、頑張って」
アヤメが笑顔から死んで腐った魚のような目をした瞬間に、リンは行動を許可した。手紙の悍ましさは知っているし、下手に自分達が口を出すべき事でもないと思うからだ。まことに、持つ者は持つ者で苦労するのである。あの手紙を読んだ後では、リンにアヤメを止める気は起こらなかった。
それにしても、死んだ眼をしながら口元だけは大鎌を携えた骸骨のように嗤っているアヤメを見ると、敵に回してはいけない存在というのはいるものだと実感する。
「さて、とりあえずまあ、会議とは言っても結論はほぼ出てるけどね。あの女王様気取りが脅迫してるところに突入するよ」
「随分と力押しな策じゃないか。なんだい? 脳筋の生霊でも憑りついたかい」
「んなわけない。どうするにしてもまずは証拠が必要だ。今の所、情報は証言だけ。19世紀の古典的な警察じゃないんだから、多少は物証が要るだろう。現行犯ならなお良いね」
リンはある重要な事を隠しながら作戦を説明していく。悪魔や死神、妖精との契約だけでなく、敵を騙すには味方も騙さなければならない。リンはスマホの録音機能の設定を頭に思い浮かべながら伝道師のように語った。
「さて、雪に埋まった梅を救出しに行こうか」
Side 死神
「ですから、息子さんの暴虐を止めて下さるのであれば、この事は水に流しましょう」
「脅しているのか? この私を」
「いいえ、いいえ。真摯な訴えですよ。現に私は被害を受けているのですもの。信じられないというのであれば、指紋や筆跡を鑑定しましょうか? せめて左手で書けばよかったものを……あら、ごめんなさい」
「……構わん」
「しかし、
「そうだな。小夜風家を敵に回すのは悪手だ。これで手を打とう」
「寛大なお言葉、ありがとうございます。誓約書も書いていただきましたし、私の方はこれでお暇致しますね。ご用の際はこちらまで」
手紙の主の家に訪問したアヤメはそう言って、彼等の両親に住所と連絡先を渡した。そして、苦虫を百匹程度は嚙み潰したような表情で見送る親たちの顔を見なかったふりをする。
「畜生め! 親の七光りに守られただけの小娘が偉そうに!」
どちらの家からもそのような常套句が聞こえた。自分達も半ば同じような事をしているというのに、返ってくれば卑怯者と叫ぶその浅ましさはある種の業か。しかし、相手の家は腐っても富裕者であり、権力もそれなりに持っている。だからこそ、彼等の
そして、その死神は既に、舞台についている。
「アジャラカモクレンテケレッツのパア♪」
帰路についたアヤメは死神を追い払う呪文を唱えてほくそ笑んだ。
ところ変わって、小夜風邸。今夜はアヤメと父親である小夜風
そして、今回は社長自ら主導している規格とのことで、小夜風邸にも自ら赴いていた。大物のモデルや女優にかけるような美辞麗句を次から次へと持ち出す取引先の社長に、アヤメは内心溜息を吐きながらも食事をしながら話を合わせる。
また、梅次郎の方は娘に取り入る悪い虫に仏頂面をしていた。相手の会社とはそれなりに付き合いがあったのだが、社長が変わってから黒い噂が絶えず、また数回の調査でそれが真実であると分かり、関係を断とうと思案しているのである。
そして、食事が終わった後に相手の社長が帰ると、梅次郎は「行ったか? 行ったな?」と呟いた後に「やってられるか!」と床にフォークを叩きつけた。それから罪のない食器を拾い上げ、
「やめてやる。今度こそやめてやるぞ! 先代の所縁もあってここまで取引を続けてきたが、いまや一銭の利益にもなりゃしないじゃないか! それどころか! ええ!? 私の大事なアヤメにさりげなく触りやがって! あの
「落ち着いてくださいお父様」
勢いあまって鼻血でも出しそうな梅次郎にアヤメは笑顔で手を置いた。かつてはアヤメに冷たい態度しか向けなかった父親だが、今ではすっかりと親バカになってしまった。今の彼の中では優先順位が金<(越えられない壁)<アヤメとなっており、仮に利益が出てもアヤメに害が及ぶならば即刻断るほどである。
「ああ、すまないアヤメ。何も、お前の仕事を邪魔したいわけでは無いんだ。だが、仕事相手は選んで欲しいというか……」
「ええ、分かっておりますお父様。先代の社長様が急逝なされて、今の社長様になられ、それからなんだかきな臭い。しかし、取引を停止するには今一つ決め手に欠けるのは事実でしょう?」
「ううむ……」
梅次郎はアヤメの言葉に唸る。元々、梅次郎は一介の会社員であった。しかし、権力者の横暴に立ち向かい、更には思いつきの策略が偶々会社の利益になったがために今の地位になったのである。
妻の家に婿入りした梅次郎ごと小夜風家などという大仰な言い方をされるが、本人の実態は成金に近いものだと、梅次郎がぼやいていたのをアヤメは聞いている。一時期は金の呪いに憑りつかれた梅次郎だが、今ではアヤメの為ならば今の地位を捨てる事も辞さない。
というより、さっさと退きたいのが本音であった。これほど自分に向いていない仕事もない。この状況になってまで取引を切れないのがそれを物語っていた。
「全く、会社の連中も私への当てつけとばかりにあの狢をけしかけおって。第一、私の辞表を拒否して、かえって高い地位に追いやり責任と権限を拡大させていったのはあいつらではないか!」
幼少期はまるで金色の夜叉のように思えていた父が、ここまで人間的な悩みを持っているというのは中々に不思議な感覚がした。夜叉から人間に堕ちたという者もいるだろうが、アヤメはそれを弱さとは思わない。むしろ、金に狂った鬼のような昔の父よりも今の父の方が好きだった。
アヤメと梅次郎が話し合っている(ほぼ梅次郎の愚痴)途中で部屋に入る者がいた。
「しかし、会社で梅次郎さんの存在が必要とされているのは事実でしょう? 少し前に、同僚の
それはアヤメの母、小夜風
「なんだ。お前も私の地位が惜しいのか」
「
「ううむ……しかし……」
「あの……お母様。その手に持っている日本刀は……」
何やら大人たちの間で難しい話が始まろうとしていたのだが、アヤメはそれよりも春が部屋に入ってきた時から、母親の持つ物騒な得物が気になって仕方が無かった。
「ああ、さきほど賊が二人入り込んでね。居合わせたので近くにあった〝美術品〟で応戦したの」
「ええ!? 大丈夫ですか!?」
「心配しなくても大丈夫よ。もう警察の方も呼んでいるから」
「はあ……」
春が持つ日本刀は小夜風家にずっとあるらしく、アヤメが祖父に聞いてみたのだが、
『うーむ……アレは……ナントカの刀!』
『お
と、このように出自は分からなかった。ただ、武器ではなく美術品として登録されており、銃刀法に引っかからないという点では安心できる。だが、リンを日本刀をちらつかせながら脅したり、怪異に日本刀で立ち向かったりと血の気の多い母をアヤメは心配している。そのうち夕刊のニュースに載ったりしないかしら、と。まあ、それが杞憂であることも分かってはいるのだが。
「しかし、飽食平穏の時代に賊とは穏やかではないな。アレか? 最近話題の闇バイトなるやつか?」
「かもしれませんねえ。二人とも未成年でしたし」
「子供の身で屋敷に盗みに入り、出迎えたのは日本刀を持った主婦とは……」
「あら、出刃包丁の方がよろしかったかしら?」
「やめてくれ」
「でも、何やらアヤメを手籠めにするというような事を呟いておりましたが……」
「お春、その刀を貸してくれ。私が直々に首を切る」
「やめてください。というか、その二人、私の知っている輩かもしれません」
アヤメはそう言うと、日本刀携帯の母の同伴の下で件の賊に会いに行った。思った通り、アヤメに嘔吐を催させた手紙を出したあの二人である。確か名前は……いや、覚える価値も無い。取り巻きAと取り巻きBでいいや、とアヤメが適当に脳内で処理していると、
「クソ!
「なんだよ!? ちっとも
醜い言い争いをする二人の賊を前に、春は青筋を浮かべていたが、アヤメは怒りすらも感じなかった。度を超えた下劣さはかえって怒りのエネルギーを削ぐらしい。
一頻り言い争った二人は気が済んだのか、今度は制圧した春に向けて口撃し始めた。曰く、「自分の父親は何某謂う大企業の重役であり、自分達の罪など罪には問われない」「むしろそこの女が日本刀で襲い掛かってきた事を報告すれば無事で済まないのは小夜風家の方だ」。実際は耳が腐りそうな暴言が一本の短編小説を書けそうなくらいにふんだんに盛り込まれていたが。
おそらく、彼等の余罪は親の権力で揉み消されたのだろう。
「おや、その企業……お父様の悩みが一つ減りそうですね」
笑顔で呟くアヤメに、二人は怪訝な顔をする。二人が口にした父親の勤める大企業はちょうど、アヤメの出演を打診した企業であった。父親の梅次郎が縁を切りたがっていた相手でもある。
梅次郎は怒り心頭で取引を中断する文言を考え始めた。相手の企業の重役の息子がこれほどの事をやらかしたのである。材料としては十分だ。それまでも理由は積もり積もっていたが、アヤメに危害が及んだ以上、梅次郎に慈悲の心は無かった。
「あらあら、ついに枕元の死神を祓ってしまったのですね。手紙以上の事をしなければ大事にする気は無いと言いましたのに」
彼らがどのような経緯でこの悪行に踏み切ったかは定かではない。親への反発心か、逆にアヤメや小夜風家を嫌った親がけしかけたか。いずれにせよ、事は話し合いで解決できる領域ではなくなった。
アヤメとしても、ここまで短慮で無謀で野蛮な手段に出るとは想定しておらず、結果的に敵の自滅となった事に驚いてもいた。
「う、うるさい! 親に通告するなんて卑怯な真似しやがって! 直接断る勇気もねえくせして生意気な
口火を切った少年Aに続いて少年Bも便乗して悪口を言い始めた。際限のない悪口を聞きながら、「永久機関が生まれてしまいましたねえ」と、とっぽい事を言うアヤメの横で、春が日本刀で床を叩き、夜叉の形相で口を開く。
「分を
その声は実体は持たずとも温度は持つ。極地のような極寒の声色だった。
「貴様らは法を犯した。そればかりか、愛しい私の娘を手籠めにしようとした。小夜風の娘を犯そうとした。それだけで扱いは獣畜生と変わらぬ。宣告しておくが、こちらにはお前達を駆除するだけの力がある。病死、事故死と報告されたいか? 小僧ども」
相手が法を破って来るというのであれば、小夜風の方にも応戦する用意がある。超法規的措置を行えるのは自分達だけではないと、賊達はようやく思い知ったのである。小夜風家は富裕層の中では絶大な力を持つ家だ。
だからこそ、その力を徒に振りかざす事は禁じ手としている。それを犯せばたとえ身内であろうとも容赦なく処断されるのだ。しかし、法で押さえられぬ敵が現れた場合は、小夜風の家は修羅の巣窟となることも肯定されている。
「覚えておけ。小夜風の名はただの富豪を指すだけの物ではない。夜の風となる修羅の群。
すると、少年AとBは命乞いをし始めた。やれ「こんがらがって目が眩んだだけ」、「水に流して容赦してくれ」と。
しかし、母に続いてアヤメも通告する。
「本来、権力を笠に着た振る舞いは禁じ手としているのですけれど、先に禁じ手を使ってきたのは貴方達の方ですからね? Dust to dust.
それは二人の
女王の取り巻き×2、攻略完了。こんな頓狂な行動するか? と書きながら思いつつも、犯罪心理学の本で似たような事例が紹介されていたので、あり得ない話ではなさそうです。幸い、そのケースは未遂で終わったそうですけれど。
あと、お春さんは名前とは裏腹に敵に対して容赦ないです。普段の大和撫子な振る舞いから一変して鬼となります。
>タイトル
末広鉄腸の小説『雪中梅』と、古典落語の『死神』より。最初にリン君が言っていた小夜風家の家訓も雪中梅の序文を一部改変したものです。
>アヤメの両親
父親が梅次郎、母親が春という名前です。元ネタは雪中梅の登場人物。春の実家が富裕であったり、梅次郎が(国と会社の違いはあれど)政治に切り込む行為をしているのは元ネタ準拠です。
一時期は金色夜叉であったこの夫婦。今ではアヤメを愛しています。梅次郎は苦労人の重役、春は和服の美人で賊や怪異に日本刀で立ち向かえる猛者。
>ナントカの刀
『まちカドまぞく』のシャミ子と母の会話に登場したナントカの杖が元ネタ。アヤメと祖父の会話も元ネタ準拠である。