「……本当にこれが必要なのですか?」
「うん。今回は細心の注意を払わないといけない。本当ならアヤメさんにも秘密にするべきなのかもしれないけれど、保険としてね」
リンとアヤメは二人きりで話していた。なお、来た時のアヤメは「知っていましたよ。知っていましたけどね」とブツブツ呟いていた。逢瀬か告白の誘いだと一瞬でも思ったのが間違いだったと後悔しているのである。
「リンさんの美学は知っていますけれど、今回ばかりは小夜風家に頼ってくれても良いのですよ? 相手は権力者なうえに暴君です。権力には権力で立ち向かうという方法もあります」
「ごめん。こればかりは譲れない。アヤメさんの家に頼った方が簡単なのかもしれないけれど、それは最終手段に取っておきたいんだ」
「それは何故か、お聞きしても?」
リンは一息ついて、話す。
「情けない話だけれど、きっと怖いんだろうね。小夜風家の権力は確かに強大だよ。それを使えば大抵の事は解決するだろうさ。でも、その力は強すぎて、懸命に生きている無関係な人を知らず知らずのうちに取り返しがつかないほどの事態に追い込んでしまう可能性もある。僕は確かに反逆者だけど、破壊者にはなりたくないんだ。悪いね。根っこは庶民なもんでさ」
「…………」
「それに、アヤメさんは怒るかもしれないけど、人間なんて自分の力を過信した瞬間に足元から腐り始めるというのが僕の持論だ」
「……小夜風家の権力は腐敗の源泉であると?」
「そこまでは言わないよ。だけど、僕が過信しない自信はないって事さ。さっきも言った通り、根っこは庶民だからね」
アヤメはそれを聞いて、少し息をついた。そして、柔らかい笑顔でこう答えた。
「少し、安心しました」
「……どういうこと?」
「だって、迷いなく私の家の力を使うという事は、私が激昂した意味が無くなるということでもありますもの。世界を愛するという事を忘れていない精神、大切になさってください」
リンもまた、アヤメの言葉に安心していた。どうやら怒らせたり、嫌われたりしたわけではないらしい。だが、アヤメは少し残念そうな顔をしてこう続けた。
「ですが、もう少し私の事を信用してくれてもいいのに」
「というと?」
「もしリンさんが権力に溺れるような事があれば、私が止めますよ。どんな手を使ってでも」
リンはその言葉に背筋が固まる思いがした。それこそ、剣で以てアヤメが止めにかかって来たら嘗ての悪夢が再来する事を意味する。それでなくとも、アヤメと対立するのは心情的に避けたかった。
「でも、アヤメさんが僕の身を案じてくれてることも分かっているつもりではある。だから、保険としてだけど、頼ることにした」
「ええ。それは嬉しく思いますよ」
アヤメは牽制するようなことを言った直後ということで、友好の印なのかリンの頬にキスをして耳元で囁いた。
「そういう事であれば分かりました。それに、私もこのようなことで語り合える相手がいるのは嬉しいです。お教えしましょう。私の作った第二の言語〝アイリシア〟を」
味方を騙すための新たな手を、リンは女友達から得たのだった。
「Terno syer conquiata, zaine igu larcheda」
「Faira. Willia naria, willia nari-aria alliale ederi」
翌日、誰も聞いたことの無い謎の言語で話すリンとアヤメが星彩学園で目撃された。悪友を含め、何を言っているのか分からない様子を見て、作戦の成功を確信する。
「何やら最近目障りですねぇ」
毒島瑠璃がそう呟くと、彼女の配下は顔を青ざめてご機嫌を取ろうとする。
容姿は端麗、生まれは流麗。毒島瑠璃の人生に不可能は無かった。欲しいものは何でも手に入り、気にくわない存在は取り巻きを誑かして、もしくは自分の手で
「っ!」
とりあえず目についた女子生徒を蹴っておく。コイツの名前なんだっけ……ああ、確か青野星香とかいう名前だったか。たしか万引きしている所を見つけて従わせたんだったか。ただ、そんな事は至極どうでも良い。あの八方美人な態度を見ているだけで腹が立つ。この青虫を自分の手で直々に教育してやっている事を感謝してほしいくらいだ。
「ゴホッゴホッ」
涙目で咳き込む
まあいい。それでなくとも、あの生意気な女は教育してやらなければならない。音楽しか脳の無いくせして、何度も自分に楯突いた。あの女は許せない。
アヤメが時折見せる、メフィストのような笑みには気付かないフリをしながら、毒島瑠璃は憎悪を拡大させる。
「地獄はもぬけの殻だ。全ての悪魔は地上にいる……どうやらこれは本当らしいな」
リン達は毒島瑠璃が青野星香とは別の相手を脅迫している所に突入した。
「お前は恵まれた立場にいる人間が絶対に想像できないような他人の痛みを利用して自らの欲求を満たすという、絶対にやってはいけない禁忌の罪を犯した」
毒島瑠璃は無感動にリンを見つめる。路傍の石を見るかのような視線にもリンは動じなかったが、自分がやらかした時に同じ目を向けるアヤメと違って随分と品が無いなとは思った。
「これは忠告だ。今すぐ悪事をやめるならお前を破滅に追い込むことはしない」
毒島瑠璃は一瞬呆けたような顔をした後に、「ああ……」と呟き、そして醜悪な笑みを浮かべて言った。
「最近目障りなことをしている人たちですね」
すると、毒島瑠璃は勝手に転んで悲鳴を上げた。他三人が「なんだ?」と訝しむ中で、リンはすぐに嵌められたと感づいた。
「助けてくれよ先生! こいつらに殴られたんだ!」
「なんだと!?」
「言いがかりだよ。詭弁どころか盲言だ」
「ふん、信用ならんな。お前達が何かやったんだろう」
駆け付けた教師に、毒島瑠璃の取り巻きは我先にとリン達の偽りの罪を告白する。一応言いがかりだと訴えてみるが、教師は聞く耳を持たない。更に、教頭である毒島
「わが校にこのような暴力的な生徒がいたとは驚きだな」
「絶望的な生徒が一人放置されているようですが?」
「これは問題だ。実に問題だ……ふむ、ちょうど二週間後に職員会議があるな。そこでこの四人を退学にしよう」
「異議を申し立てます」
「却下だ」
「どういう根拠で?」
「教頭の権限により……いや、説明の必要を感じない。秩序に従いたまえ」
リンの抗議は封殺され、周りの教師はそれに反対しない。既に名前で察しているだろうが、毒島孝と毒島瑠璃は親子だ。教師も所詮は人の子、上に逆らって自分が苦しい立場に追い込まれるぐらいなら生徒四人の人生なんてどうでも良かったのだ。
(栗原君……)
相談相手の脳筋に出て来てはいけないと言われ、こっそり様子を見に来た青野星香も含めて万事休すかと思った時、やたらと
「リンさーん。やっと日誌が終わりました。さあ、一緒に帰りましょう」
「アヤメさん……空気読もう?」
それは小夜風アヤメだった。そして、状況を
痺れを切らした毒島孝はアヤメに話しかけた。
「君は……小夜風君か。君の実家は間接的とはいえうちの学校のスポンサー……しかし、どうやらその四人と懇意にしていたらしいね。悪い事は言わない。こちら側につきなさい。聡い君なら、その判断が付くだろう。選ばれた人間である我々と、そこの下民とどちらにつくのが得か」
「んだと……!」
「脳筋、ステイ」
リンはアヤメを信じている。自分を叱ってくれた友人の、気高い精神を信じている。
だが、アヤメの表情は少し雲行きが怪しい。
「ふむ……しかし、私が
「この学校で自由に振舞えるのだ。進路も成績も学費も思いのままだよ。仮に君が失敗しても、私が便宜を図ろう」
「はあ……全部自分でどうにかできるのですけれど。敵対勢力を引き入れるにはもう少し上等な報酬が無いと。何せ一度裏切っていますからね。もう一度裏切らないとも限らない」
「っ、強情な子だね。我々ならば、そこの小僧どもや娘の手を煩わせる下民の10倍の利益を約束しよう!」
アヤメはその言葉を聞いてフッと笑った。そして、屈託のない笑顔で答えた。
「いいでしょう。そちら側につきます。つきましては、誓約書を書いていただきましょうか。何せ、学校内とはいえ、公然と犯罪行為を見逃すのですもの。協力関係はきっちりと、綻びの無いようにしておかなければ」
「お安い御用だ」
リンはアヤメに抗議しようとする他三人をなんとか抑えるが、教師たちはいよいよ孤立無援となったリン達を嘲笑うばかりであった。
だが、リンはそれほど慌てていなかった。自分でも逆転の手を持っているのもあるが、アヤメが裏切ったとは思えない。むしろ、アヤメが自分の現時点での利益を明らかにしていない事、それから誓約書などという書類を都合よく持っている事も疑惑を深めていた。
「では、私が要求する報酬の話をしましょう。今の利益の10倍でしたね」
毒島一派と教師達の中で、アヤメはスマートフォンを取り出す。どこかに電話をかけ、相手が出た。通話はスピーカーにしてあるため、周りの人間にも聞こえている。
「こんにちは。青野由美さん」
「!?」
不安に思いながらこっそり様子を見ていた星香はひどく驚く。何故なら、アヤメの口から飛び出した名前は彼女の母親の物だったからだ。
「時間が惜しいので手短にお伝えします。お手数ですが、私達の契約の内容を復唱していただけますでしょうか?」
その場の人間が訝しみ、星香は不安に思う。その中で、青野由美の声は静かに告げた。
「私が小夜風アヤメに支払った報酬は、ゼロ」
「!!?」
「ゼロ円ゼロ銭ゼロ
「—————!!!!!」
「ありがとうございます」
星香は思わず飛び出した。母親に真意を問い質そうとしたのだろう。だが、アヤメからスマートフォンをひったくった時には、既に通話は終了していた。
アヤメは音も無くスマートフォンを取り返して、笑顔で伝えた。
「青野由美様のご依頼により、貴方方に罰を下しに参りました」
「は……はは……罰? それに命だと? 随分と芝居がかった契約だね」
「はて、人命を等価値に変換する方法は存在しますよ。私は彼女にちょっとした契約を持ちかけただけです。娘さんを救う代わりに、自分の命を賭け金にしたんですよ。あ、契約書もしっかりとありますよ」
美しいですね、とアヤメは笑顔で言う。星香は足元で「うそ……うそ……」と
『魂ト引キ換エニオ前ノ願イヲ叶エテヤラウ』
まさに悪魔の契約だった。
そして、アヤメはその命を弄ぶように教頭を巻き込んだギャンブルに使っている。
「さて、教頭先生? 数学の時間です。ゼロは10倍してもゼロのまま。貴方の命を10倍にして返して下さるのでしょうか?」
「む、無効だ……! そんな契約は成り立たない!」
「はあ、でも、誓約書は書いてしまいましたよね。結局、私を引き入れなければ貴方方は勝利を盤石にすることができませんし。だって、私が開き直って権力を振りかざせば、結局最終的に負けるのはそちらの方。さあ、早くBETしてください。違法なオッズ。賭け金がこれ以上増えたら、困るのは貴方達。友達百人、いらっしゃいますか? さあ、ルーレットを廻してください。d20を振ってください。 非情に選ばれてしまえば怨みっこなし。譲歩案としては眼球でしょうか? 何も見えていないその可哀想な目を、欲しい人に分けて差し上げましょう? これなら5人で済みますよ。ほらほら、教師、生徒、家族、友人、チップが無いと賭けには勝てませんよ? Now have a seat. No more bets ? I’ll bet. さあ、All or nothingです」
アヤメの演説は狂気の色を帯びてゆく。人命を等価値の何かに変換する方法。人道的なものは思いつかない。そして、小夜風家の力を知っている者はそれを戯言とは思えなかった。
姿勢、喋り方、演出、アヤメの行動の全てで冷静さを奪われた毒島一派は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
「Leadelia eze ruen. Tiela nula iliech. Nula giekie di vivir xaliet(天秤は均衡です。後は貴方の策略次第ですよ。切り札は適切な時に)」
「Faira. Mizllia(分かってるさ。感謝するよ)」
同じく母親に電話がつながらなくなった星香に半狂乱になって掴みかかられながらも、アヤメはリンとアイリシアで会話する。命の契約を出したのはやりすぎだったかと思いつつも、一時的にとはいえ毒島一派を混乱に陥れる事ができたのは僥倖だと思うことにした。そして、この騒ぎは想定以上に拡がらないように手を打ってあるのだ。
>タイトル
意訳すると、悪魔との賭け。どっちが悪魔なんでしょうね。
>小夜風家の権力を使わないリン君
マルスプミラの方でも言及されていましたが、強い力を使って一気に解決するということには慎重になります。
>Deal with devils
ポケモン世界なら総じて非難されるアヤメの策略。青野由美さん(星香の母親)の命をチップにして教頭とギャンブルを始めてしまいました。一応元ネタはあって、『憂国のモリアーティ』という作品です。富裕層は金で解決しようとする。ならば、金ではなく命をチップにしましょう。これを思いついて即座に実行に移すアヤメは、富裕層の生態を完全に理解していると言っていいでしょう。