「残念ながら、我々の行う事は、この歪んだ社会の中では悪事にカテゴライズされてしまうものです」
「悪事……? 星香を苦しめている奴らが正義だとでもいうの?」
「ええ、まことに残念な話ですが。ただ、正義というよりは、完全犯罪と称した方が良さそうですけれど」
「そう……」
青野由美は毛布を握りしめる。最初に会った時も、星香が苦しんでいることに気が付けなかったと後悔していた。
「All or nothing……賭けた先に有るのは勝利の美酒か、それとも敗北の苦渋か。しかし、万象を金銭と掌の上で操る敵側に比べ、こちらのカードはあまりにも貧弱です」
「…………」
「なので、違法なオッズによって支配されている盤上をひっくり返すだけの手札が必要なのです。ご自分の全てを賭ける覚悟はできましたか? 青野由美様?」
由美は少し逡巡したが、確かな意志を以て頷いた。
「では、この小夜風アヤメが、今回に限り
現在、青野宅へと赴いた時の会話を思い出しながら、
「どういうことなの小夜風さん!?」
小夜風邸にてアヤメは青野星香に掴みかかられていた。星香の顔面は蒼白で、歯がガチガチと音を立てている。星香の表情から読み取れるのは怒りと恐怖だった。当然だろう。自分に何の了解も無く母親の命を賭けの材料にされていたのだから。
「……僕からも説明してほしいな。別に咎めるわけじゃないけれど、僕達を助ける為だけの策としては壮大過ぎる。それに――――」
「この契約には穴がある、でしょう?」
アヤメは涼しい顔で両者を見据えた。
「まず、青野さんの不安材料を取り払いましょうか。お母様は無事です。相手の手が伸びないように、この邸宅に避難していただきましたが」
「無事……?」
「それに、近いうちに死んでいただく、というような事もございません。こんなところで無駄遣いされては困ります」
依然として青野由美の命は小夜風アヤメの掌の上だが、ひとまずは無事だと知って安心から腰が抜けたのだろう。星香は床にへたり込んでしまった。回復してから由美に会いに行くように伝え、彼女をかくまっている部屋の場所を教える。
そして、星香が去った後に、アヤメとリンは二人きりになった。
「それで、アヤメさんの作戦は? 君は一体何をしたいの?」
リンの言葉に、アヤメは優雅に紅茶を飲んでから答えた。
「まず、この契約の穴についてお話ししましょう。リンさんは『ヴェニスの商人』を御存じですか?」
「シェイクスピアの戯曲だろう? あらすじと結末くらいなら」
「
ヴェニスの商人とは、大雑把に言えば商人が高利貸しから金を借りる話であり、その時の契約内容は、指定された日付までに高利貸しに借りた金を返すことが出来なければ、シャイロックに彼の肉1ポンドを与えなければいけないという条件だった。
「だけど、『肉は切り取っても良いが、契約書にない血を1滴でも流せば、契約違反として全財産を没収する』って結論になって……て、まさか!」
「ええ、〝命〟の定義が曖昧過ぎるんですよ。極論、毒島一派が青野由美さんを人間扱いしていないならば、いくらでも代用が効きます。命を等価値の物に変換できるというわけです」
「アヤメさんと話していると、どんどん人間不信になっていくよ……」
リンはアヤメの言葉に顔を顰めた。確かに、毒島一派は青野一家を含む被害者たちを人間扱いしていない可能性がある。また、アヤメの契約において、命は等価値の何かに変換できるという前提条件が存在するのだから、代わりの物で代用するというのは有り得る話だ。
「まあ、そもそもあんな穴だらけの契約を実行するつもりはありませんよ」
アヤメは退屈そうに欠伸をして賭けを否定した。あくまで賭けに固執するのであれば別の案も有るのだが、アヤメにとってこのセンセーショナルな契約は真の目的から敵の目を逸らす隠れ蓑に過ぎない。
「しかし、ここで一言の流言を広めれば、どうでしょう?」
「えぇ……」
「元から猜疑心の強い彼らです。仮に冷静になって真実に気が付いたとして、一度生まれた疑心は晴れる事は無い」
「本当にえげつないな……」
命を使った賭けで混乱に陥れ、そこに流言を流す。内容は、『教師の一人は小夜風アヤメと繋がっており、〝命の賭けの対象外にする〟ように交渉している。その証拠に、あの一件以来、彼はアヤメに積極的に話しかけるようになった』。これを全員ではなく、特定の一人に流すのだ。
ここで、アヤメに話しかける教師をA、流言を流された教師をBとする。そして、更に別の教師Cに別の情報を流す。『教師Bは小夜風アヤメと結託している。その証拠に、BはAを吊るし上げようとするだろう。BはAが敵と繋がっている事を大義名分とするだろうが、信じてはいけない』。更に教師Dに『教師AとCは敵と同盟関係にある。教師Bはそれに薄々気づいていて、Aを糾弾しようとする。しかし、それを裏切り者であるCが止めに入るだろう』……
これを教師の数だけ繰り返すのだ。
「数日のうちに教師たちは疑心暗鬼となり、同盟は内部崩壊するでしょう。成功率は高いと思いますよ。何故なら教師たちは毒島家に忠誠を誓っているわけではなく、彼等の地位と家柄に寄生しているだけなのですから」
中途半端な同盟ほど、崩すのは簡単です。と、美しい声で宣うアヤメにリンは珍しく戦慄した。魔法も権力も使わずに学校を混乱に陥れる。まるで完全犯罪の講義を受けているようである。
更に、情報の流し方も巧妙だった。
「〝
そして、トドメとばかりにアヤメは言った。
「仮に工作員の一人が捕まったとしても、作戦の全容は見えず私達には嫌疑すらかからない。何故なら彼らの中では、突飛な賭けを仕掛けた一生徒のせいで自分達が
そして、アヤメはリンに心配するような顔をして言った。
「まあ、このように罪から逃れるような真似はリンさんの美学に反するでしょうが、今回ばかりはご了承ください。毒島瑠璃の焼却は小夜風家としても決定事項なのです。彼女の取り巻きが我が家に不法侵入をした時点で、生徒同士のいざこざではなくなった。その範疇には収まらなくなったのです」
やるからには徹底的に反撃の芽を潰す。教頭一人でも妨害は出来るだろうが、教師全員が妨害に動くよりはやりやすくなるだろう。少なくとも、リン達を退学にするかどうかの話し合いなどにうつつを抜かしている暇など無い。
リンは少し息をついてアヤメにこう返した。
「……流石に、この状況で自分の趣味を優先するほどに青くはないよ。それに、僕にペラペラと話したのは、僕が妨害するとは思わなかったからだろ?」
アヤメは溜息を吐く。3分の1は正解だが、もう少し踏み込んだ理由もある。
「そうですね。後は、リンさん達には全容を知った上で〝
アヤメはリンの耳元に口を近づけて囁く。
「純粋に貴方を好意的に見ている。ということです」
リンは耳に吹きかけられた声に驚くものの、〝好意〟の意味までは分からなかった。
「Catch me if you can, Rin」
アヤメのその声はあまりにも甘く、蕩けるような音色だった。まるで、リンに自分を捕まえて欲しいと言わんばかりの。そして、リンに捕まえられない事が分かってしまっている事への悲しさも含まれていた。
「では探偵さん。
「言われるまでもないよ。少し順番は前後したけど、隠し撮りや秘密録音はこれからやるつもりだからね。幸いにも、奴ら自身がこれから証拠を作ってくれるさ」
リンは不敵な笑みで宣言した。
探偵とそれを助ける黒令嬢。という構図で書いてみました。リン君の美学に則っているのか、反しているのかは微妙な所ですが、ポケモン世界ではドン引きされるのは間違いありません(二回目)。
センセーショナルな賭けを囮にして、教師陣に疑心の種をばら撒く。おまけに噂の出処は分からず、同盟関係が勝手に壊れていくという作戦です。信頼し合っているわけではなく、猜疑心の強い富裕層の弱点を突いた作戦二つ目ですね。