彼方楽園のレチタティーヴォ   作:三文小説家

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 地獄はもぬけの殻だ。全ての悪魔は地上にいる。

 ———シェイクスピア『テンペスト』より



悪魔式(ノブレス)オブリージュ

「ねえ、お願いよ。天野君、小夜風さん……私を助けて? 毒島さんがあんなことをしていたなんて、知らなかったの! 職員室じゃいつも教師同士の怒号が飛び交って、担任だからって私が責任を追えだなんていう人までいるのよ? あんまりだと思わない? 貴方達に良心が残ってるなら、憐れな私を助けて頂戴?」

 

 アヤメとリンの目の前に立って、歪な笑みと祈りを捧げるような手で助けを求める女は毒島瑠璃と青野星香のクラス担任だった。過剰なまでの猫撫で声で紡がれる言葉は、二人が驚くほどに空虚であった。

 

 尤も、『いじめを認識していなかった』という言葉が嘘である事は調べがついている。毒島瑠璃の取り巻きと他の教師との言い争いで全部白状してくれた。

 

『……あの女教師もそうですが、他の方も僕が三日かけて調べた情報を洗いざらい喋ってくれましたよ。まあ、録音して証拠が出来たから良いんですけどね』

 

 と、複雑そうな顔のスパイから報告されて、リン達も同じく複雑な心境で天を仰いだ。スパイも泣くに泣けない結果である。

 

 そして、スパイが苦労して手に入れた録音を聞かせると、目の前の女教師の薄気味悪い笑みは一瞬にして消失した。

 

「最初は隠すという事は、一応〝悪い事〟だとは認識してるんですね。いじめを見逃す事を」

「……貴方の罪はそれだけじゃない。いじめられて助けを求めた生徒に、『いじめる側にも人生がある』と言い放ったそうですね」

「え……ちょっと……」

 

 リンが怒りと嫌悪を滲ませて指摘した()()()言葉に、女教師は唖然とする。

 

「更に『他人の人生を狂わせる権利があるのか』『責任を取れるのか』……面の皮が相当厚いか、神経に特殊合金でも使ってるのか、それとも心が防弾ガラスでできているのか分かりませんけど。加害者側の辞書には『自分自身を振り返る』という言葉は無いようですね」

「ねえ、待って! 違うの! あの場ではああ言うしかなかったのよ! 聞いて! 貴方達(生徒)私達(教師)じゃ、住む世界が違うのよ!! 均衡を保つためには仕方のない犠牲なの!!」

 

 リンがつらつらと口に出す過去の発言に、女教師は半狂乱になったように掴みかかる。せっかくの化粧が台無しだ。だが、アヤメとリンはそれに対して無感動に返した。

 

「均衡? 我々がこのような茶番劇を繰り広げている間にも、被害者の生徒は爪をも剥がす勢いでもがいている。これは紛れもなくアンバランスではありませんか」

「それは……!」

「……尤も、貴方が致し方ない事情でいじめを見逃したというなら、こちらもただ粛清するというわけにもいきませんね。まず被害者達に謝罪をして、贖罪の為に僕達に協力してください」

「贖……罪……?」

「これが最大限の譲歩です。こちらとて味方は欲しい。証言してくださるだけでも助かります」

 

 リンがそう言うと、女教師は俯いて黙った。そして、

 

「こっちが下手(したで)に出りゃこの餓鬼が……」

「はい?」

 

 小声で呟いた後に大声で叫んだ。

 

「いい加減にしやがれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 もはや善性も理性も、最後に残った虚飾でさえもかなぐり捨てて有らん限りに持論を語り出す。

 

「調子に乗るなよクソガキ!! テメエら生徒のお守りとご機嫌取りに、教師が毎日どれだけ疲弊させられてると思ってんだよ!! 授業や部活だけじゃねえ! 体育祭に文化祭、事務仕事に修学旅行、進路指導に頭湧いた親どもの対応!! その上お前らガキの心に親身に寄り添えって!? 赤の他人の私が!? 貧乏なんだか病弱なんだか知らねえが、親ですら出来てねえじゃねえか!!!」

 

 その姿は血に酔った獣そのものだった。それか、ままならない現実に対して喚き続ける子どもそのものである。だが、全てをかなぐり捨てたはずの彼女は、自分の正当性を主張し始める。完全に詰んでしまったこの状況で、自暴自棄になっているようだ。

 

「……本性、現したね」

「ええそうよ!! 私は青野さんがいじめられていると知っていながら放置した! 言ったでしょ!? アンタ達ガキと教師じゃ、見えてる世界も正義も何もかも違うのよ!!」

 

 その様は被害妄想で無差別通り魔をする殺人鬼のようだ。彼女が何を見ているのかは分からない。それが現実なのか妄想なのか、頭蓋の囚人である人間には永遠に解決しない何代であろう。

 

 ただ、頭蓋の囚人でも分かることはある。この教師、相当ろくでもない人生を歩んでいるようだ。

 

「いじめを認める教師が理想の教師? 違うわ……いじめを認めない教師こそが最良の教師なの!!」

 

 何やら風向きが変わった。リンとアヤメを糾弾するような口調から、自らの英雄的行為に酔い痴れるような口調へと変わる。

 

「現にこうしてクラスが、教室が健全に運営できているのも頑なにいじめを認めなかったおかげ! 観測できない者は存在しないの!! もし少しでも認めていたら、クラスの子達は関わった当事者として槍玉に挙げられてた!! それが学校なの!! それが大人の社会なの!!」

「……随分とご立派なご高説だね。おかげで耳が腐るかと思ったよ」

「私が腐ってる? まあ、アンタ達にとって()()はそうかもしれないわね。想像できる? いじめが発覚した学校が辿る、悲惨な末路を……! 私はね、罪の無い生徒まで道連れで奈落に引きずり込むいじめの告発から、学校を護ったの! たった一人だけの生徒だけに寄り添って全生徒を叩き落してゆりかごすら奪う教師と、一人を泣く泣く切り捨ててその他全員の人生に寄り添う教師! 果たしてどっちが正義かしら!? きっとその被害者とやらも、自分が『その他大勢』の側だったらこう言ってる。『先生のおかげで助かった』って!!」

 

 完全に開き直っている。そして、彼女の歌劇(オペラ)はエピローグへと突入した。

 

「それともこう言えば満足かしら!? 私は〝悪〟よ!! 人の犠牲の上に目的を達成するなど悪魔の所業! そんなことは分かってるわ! でもこれは正義よ!! 違う!? 少ない犠牲でより多くの生徒を護っているの!! これは立場ある大人の使命!! いわば高貴さに伴う義務(ノブレス・オブリージュ)よ!!!」

 

 自分が社会秩序を担っているという大言壮語まで言いだした。因みにほとんど息継ぎ無しである。ノブレスというよりノンブレス・オブリージュだ。

 

 さて、善か悪かは置いといて、一見すると女教師の論理は筋が通っている。

 

 言ってしまえば、これはトロッコ問題の理論最適解だ。トロッコを止める為には、誰かが犠牲にならなければならない。そして、女教師は迷いなく人数の少ない方にレバーを動かしたのだ。更に、サバイバーズギルトに侵されないように被害者達こそが秩序を乱す悪だというガスライティングまでおこなった。

 

 どうせ犠牲が出るのならば、くだらない倫理観に頭を悩ませるよりも登場人物全員が殺人鬼であることを証明した方が手っ取り早い。善人は作れないが、罪人は作れる。まさに神の所業である。誰を殺せども英雄だ!

 

 怒りに言葉を失うリンに対し、アヤメは優雅に笑っている。そして、(たお)やかな指先を自身の顎に当てると、まるで純粋な子供のように女教師に聞いた。

 

「つまり、貴女がたの言う秩序の為ならば、〝弱い立場の人間〟の人生など一方的に強奪しても構わない、ということでしょうか?」

「ふふ……ええそうよ! これ以上弱者を作らないための最適解だわ!」

 

 アヤメはいよいよ、獲物を見定めた肉食獣のような目で女教師に宣告した。

 

「ああ、安心しました。つまり、貴女のその論理を適用するならば、我々(強者)貴女方(弱者)の人生を一方的に強奪しても文句は無い、ということなのですから」

 

 優位を気取っていた女教師の表情が抜け落ちた。

 

 そう、女教師の論理自体は筋が通っている。自分が強奪される側になり得るという点を除けば。

 

 いわば、羅生門の老婆。悪事を働かなければ飢え死にする。その論理を展開して自身の正当化を図った。しかし、老婆はその論理を逆手に取られ、自身の着物を剥ぎ取られることとなる。

 

「そ、そんなの……」

「あら? あなたの望む通りに動いたつもりなのですけれど」

「貴方達のせいで学校は壊れるわ! そこまでして達成したい目的があるっていうの!?」

「あるんですよ。海を我が物顔で荒らしまわる白鯨に、(もり)を突き刺してでも達成したい目的が」

 

 アヤメの目的は奇しくも同じ高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)だった。毒島瑠璃の暴虐から小夜風家を護るために、そして、数多の人間を飲み込み、自分の足に噛みつく白鯨を討伐するために。

 

「破滅させる力はあれど、征服する力は持たない白鯨よ。私は波に乗って貴方達を襲い、最後まで貴方達と掴み合い、地獄の芯にまでくだりおりて、私は貴方達を刺し貫く。そして憎悪を込めた最後の息で、私は貴方達の顔に唾を吐く。黙示を此処に(Apocalypse now)!!」

 

 女教師よりも静かに、そして復讐に取り憑かれた船長(エイハブ)のような殺意を以て女教師を見据えた。なんということか。かつて強さに傾倒するエイハブであるリンを諫めた一等航海士(スターバック)のようなアヤメは、今度は狂気の船長となって白鯨を討伐せんとしている。

 

「Lasciate ogne speranza, voi ch'entrate. 汝、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。ダンテ・アリギエーリの『神曲』。そこに描かれる地獄の門に刻まれた銘文です。まあ、あなたの口ぶりだとそもそも地獄にいらっしゃるようですので、大して状況は変わらないかもしれませんね。良かったじゃないですか。秩序は保たれましたよ」

 

 アヤメは言いたいことだけ言って、リンを促して立ち去ろうとする。女教師はいまだに何かを喚いているが、聞く価値を見出せない。ただ、アヤメとリンはこれだけは言っておこうと教師の方へ振り返った。

 

「『僕達が退かなければ学園が乱れる、秩序が壊れる』ね……」

「ではこう返しましょう。勝手に壊れて下さい。願わくば是非、貴女方が圧死する形で」

 

 最後に教師の引き攣った顔を拝んでから、話があると連れ込まれた部屋の戸を閉めるのだった。

 




 女教師のセリフを千字近く書くの物凄く疲れました。或る意味この話は二つのノブレス・オブリージュがぶつかる話でもあります。弱者の救済と大多数の庇護。実際の事件を基にして書いた部分もある(割と記憶に新しいいじめ事件)ので、非常に胸糞悪い論理だったと思います。
 そして、その教師側の論理を逆手に取った上で白鯨呼ばわりし、エイハブのような狂気で追い込んだ後に神曲の地獄の門の銘文で締めました。リン君はまだ新人なので、若干女教師の論に気圧されていますが、アヤメがポケモン世界にお出しできないセリフで反撃しました。特に『地獄の芯にまでくだりおりて~』というエイハブ構文は全部規制音入りそう。

 備忘録

>タイトル

 高貴さに伴う義務という意味のフランス語。悪魔って確か爵位が付く事もありましたよね。

>女教師の論理

 様々な鬱作品を精神削りながら読んで、セリフを色々入れました。やたらとカロリーを消費した。

>白鯨

 ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』より。エイハブとスターバックは登場人物です。狂気や巨大な相手に立ち向かうというメタファーとして便利です。
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