彼方楽園のレチタティーヴォ   作:三文小説家

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 ちょっとした、存在しないかもしれない記憶。


Interludeー夢見の国のアイリス

「ここは……どこ?」

 

 リコは【ライジングボルテッカーズ】の船内に立っていた。だが、見える景色は雲霞の如く曖昧で、非存在的にして非現実的だった。まるで、自身の記憶から継ぎ接ぎで作り上げたかのようなハリボテじみた景色である。

 

 しかし、

 

『ニャア……』

 

 隣でリコと同じく不安そうな顔をするニャオハの存在が、この空間を虚構であると断言できない状況にさせていた。仮にコレがリコの夢であるならニャオハもイメージの産物という事になるが、どうにも現実感のある感覚が返って来る。

 

「何にしても、この空間から出ないと。他に人がいるかも探さなくちゃ……『Drithleogas, ahsilel ea dulav.』何!?」

 

 リコがニャオハに聞かせるように今後の目標を呟くと、聞いた事も無い言葉で歌が聞こえてくる。やや薄暗いこの船で、これまた非現実的に綺麗な声が聞こえてきた。エクスプローラーズかセプテムの攻撃なのだろうか。それとも、自分と同じく巻き込まれた人間がいるのか。

 

 リコはそれを確かめるために警戒しながら声の主を探した。

 

「Sile ea sula. Kaf yesilia zaf resulea. Gyfu zaf qide ea puslav. Briongloid, reyuroa pusla lu nydu kaf.」

 

 相も変わらず聞いた事も無い言語。しかし、ややアップテンポだった先程の歌とは違い、今度は子守歌のような歌が聞こえてくる。蕩けるようなその声に、リコは非常事態にも関わらず眠気を誘われる。

 

 だが、声に近づくと、途端に歌声は止んだ。もしや気付かれたか、とリコは警戒を強める。

 

「怖がらずとも、大丈夫ですよ。何も、しませんから」

「!?」

 

 あろうことか、向こうから話しかけてきた。場所はウイングデッキの前。扉一枚隔てた向こうに、声の主はいる。

 

「貴方の心音、血流、筋肉の音、そして、此処に来るまでの足音から、敵意が無いのは承知しております」

 

 あくまでリコの方から踏み込むことを求めているようだ。念の為、ニャオハに備えるように指示してから扉を一気に開ける。

 

「こんばんは。とても可愛らしい方ですね」

 

 そこには、一人の美しい少女が立っていた。少女と言ってもリコより五歳は年上なのだが。

 その少女は風に身を任せ、靡く髪は夜をそのまま溶かし込んだような質感で、纏う空気は静謐にして全てが美しかった。

 先程までとは別の意味で非現実的な感覚を覚えるリコ。地球ではエーリエルやセイレーンに喩えられたこともある人物なのだからさもありなんと言ったところか。

 

 一方で、リコは相手の正体に薄々感づいていた。その外見はあまりにもある人物と合致する。そして、

 

〝貴方の心音、血流、筋肉の音、そして、此処に来るまでの足音から、敵意が無いのは承知しております〟

 

 という彼女の言。リコは以前にリンからこんな話を聞いていた。

 

『彼女の前では嘘は通用しない。心音や発汗、血流の音を聞いて見抜かれてしまう。彼女から逃げる際に隠れるのも不可能だ。心音の元を探せば簡単に見つかってしまうし、音の反響で端から居場所なんて把握されてる。僕達はこの特徴をこう呼んでいた。〝プロビデンスの耳〟と……』

 

 それは確かに恐ろしいだろう。敵に回れば。リンが「鉄鬼と同じく人類のバグ枠と言っていいだろうね」と言うような、そんな人間が何人もいるというのはやや現実的ではない。それらの根拠から、リコは相手の名前を発した。

 

「貴女は、小夜風アヤメさん……?」

 

 そう言うと、相手は心底驚いた顔をしている。

 

「その、リンから聞いて……」

「貴女は、彼の知人なのですか」

 

 リコからリンの名前が出てくると、アヤメと思しき少女は食い気味にリコに問う。その後、リコの実家がリンの身元引受人になった事、今は一緒に旅をしている事、リンは無事でいる事を伝えると、彼女は心底ほっとしたように息をつく。

 

「良かった……彼が生きていて。貴女には、お礼を申し上げねばなりません。彼を嵐から、守ってくれたことに」

「い、いえ……そんな……」

 

 相手の少女から恭しく頭を下げられ、リコは慌てる。

 

「改めて、私は小夜風アヤメ。Milsas……天野リンの友人です」

「私は、リコです……貴女が、アヤメさん」

『ニャア……』

 

 リン曰く一番の親友であり、同時に一番クレイジーでもあるという何とも複雑な評価をされている人物。そんなアヤメがどうしてここにいるのか、リコは聞いてみたがアヤメは首を横に振る。

 

「確定的な事は何も……しかし、私の存在は夢の織り成す糸のような物だということは明らかです。或いは蛍のような欲望が、私の頭蓋から抜け出したようなものかもしれません」

 

 とりあえず、アヤメ本人にも何も分からないという事は分かった。比喩と婉曲表現が入り乱れる論調の中で、リコは何とか意味を拾ってゆく。

 

「I know the moon, and this is an alien city. この詩にあるように、私のこの空間における旧友は夜空に浮かぶ月だけなのです。そのために、この船の中に入る事を躊躇ってしまった。リコさんには、お手間をかけさせました」

「あ、はい……」

 

 しかし、次の言葉はリコの理解の範疇を超えていた。まず以て冒頭から知らない言語である。そして、月を旧友と思う感性も、それによって船に入れなくなるという感情も中々に理解しがたい。隣のニャオハも宇宙猫状態だ。

 

「そして、それは天野リンさんも同じだったはずなのです。エイミー・ローウェルの詩のように、夜の散歩者となり窓枠に寄りかかって眠るような生活では、やがて来る嵐から身を護る事など叶いません。仮に貴女がいなければ、彼の青春は悲惨な嵐に終始したでしょう。時に一筋の光明が訪れたとしても、凄まじい雷雨に打たれ、一つの果実として実を結ぶ事は無い。ですから、私は改めてお礼を言いたいのです。彼を豪雨から守ってくれたエーリエルである貴女に……」

「ミ……ニ……」

 

 ニャオハが白目を剥き始めている。こういった言い回しや感性を理解できそうなのはリンが連れているイーブイくらいだが、生憎と彼はここにはいない。何ならお堅い言い回しをするイーブイでも「まるで意味が分からんぞ!」とか言いそうなレベルである。

 

リコもあまりの情報量に同じ状況になりかけていた。リンもややぶっ飛んだ言動はあるが、基本的に簡潔に物を言うし、これまで出会ったフリードやドット、ミレーユといった人物も方向性は違えどこんな回りくどい言い回しはしないので、あまり免疫は無いのである。

 

(リンがクレイジーって言ってた理由分かった気がする。佇まいは常識的なのに、意識が異次元に持ってかれる……)

 

 そんなリコの反応を見て、アヤメは悲しそうに目を伏せる。

 

「……ごめんなさい。私の言い回しがおかしい事は自覚してます。しかし、私にとって、世界を観測するとはこのような事なのです。私には、普通の言い回しという物がどうにも理解できないのです。あまりにも不足していて、何一つとして情報も感情も伝わらない。何故それで会話が成り立つのか、何故それで感動するのか、故に、私が言葉を発すると、どうしてもこのような言い回しとなってしまうのです」

「そう……なんですね……」

 

 リコは悟った。アヤメはリンと真逆のタイプだと。

 

 リンは嘘やイカサマで相手を惑わす。それで勝利を収めた事は何度もある。しかし、アヤメは正直に物を言えば言うほど相手が混乱する。詩に、音楽に、様々な言語を織り交ぜた感性が理解できる人間はそう多くは無いのだ。

 

 同時に、アヤメがその体質(?)故に苦労してきた事も分かった。何より、半ば意図的にやっているリンと違い、アヤメはパッシブスキルなのが悲しい所である。

 

「……話題を変えましょうか。Milsas……天野さんは、そちらではいかがお過ごしでしょうか?」

「アヤメさんはリンの事をみるざー? と呼んでいるんですね……リンはとても頼りになりますよ」

 

 そう言って、リコはリンが悪党に対して反逆した出来事を語る。【アルテミス】との闘いも、難癖をつけてきた上級生とのテニスバトルもリコにとっては鮮烈に心に残っていた。

 

「ふふ、彼はそちらでも変わりないようですね」

「じゃあ、そっちでも……」

「残念ながら、人間が人間である以上、悪は無くなりません」

「人間が人間である以上……」

「ええ、細かい部分は省きますが、悪人だけであれば争い合って互いに大きなダメージを受ける。しかし、それによって争いをやめ、平和主義者ばかりになれば、悪人となった方が大きな利益を得る事になります。そして、それらの現象が繰り返される結果、悪人と善人が一定割合で存在する事で安定してしまいます。しかも、異常気象や不景気などの外的要因によって大きな利益を上げる必要に迫られ、悪人の発生が後押しされる事もあるのです」

「…………」

 

 アヤメは先程のロマンチストな詩人から、現状を冷徹に分析する数学者となっていた。彼女が示した結論は、どれだけリンが奮闘しようとも悪人はいなくならないというものである。

 

「それは……リンも言ってました。人間が逃れられない原罪だって……でも、改めて聞くと……残酷ですね」

 

 悲しそうな顔をするリコに対し、あくまでもアヤメは冷静だった。

 

「残酷。確かにそうかもしれませんね。謂わば、私が話す事は信念も勇気も無意味で無価値なものと断じているに等しいのですから。実はこの内容で彼と喧嘩した事もあるんです」

「…………!」

「しかし、私は彼の行動を支持していますよ。これは嘘偽りのない本心です」

 

 あまりに強い言葉に、思わずアヤメを睨みつけるリコ。すると、ニャオハがリコの服の裾を掴む。それで少し落ち着きを取り戻した。

 

「天野リンは確かに、自分に有利な生存戦略を取っているに過ぎないのかもしれない。しかし、それは私が彼の存在を否定している事と同義ではないのです」

「何を……言っているんですか……?」

「少し、昔話をしましょうか」

 

 そう言ってアヤメは語った。

 

 『苦しみよ。お前が私から永久に離れないが故に、私はお前を尊敬するに至った』という詩にあるように、アヤメの心には苦しみが宿り続けていた。アヤメは当初、それを永遠の業として受け入れていた。

 

 アヤメは唐突に人を飲み込む濁流を見たことがあるだろうか、と問う。彼女は川になぞらえて自分達の状況を語った。

 

 荒く地を削る上流と、曲がりくねった中流を越え、やがて下流に至れば、そこには上流や中流から流れてきたあらゆる泥や堆積物が蓄積している。上流と中流で生み出され、受け止めきれなかった全てが果てしなく広く、限りなく平和に見える下流に堆積してゆく。

 

「猛り狂う濁流を、積もり積もった残骸を受け止めるには自我が必要なのです。たとえそれが理論に裏打ちされた生存戦力に過ぎずとも、嵐に抗うには自我が必要なのです」

 

 アヤメの眼から光が消える。死んだ魚のように変貌し、ただ一点を見つめる。声も低くなっていった。彼女の過去にどんな悲劇が有ったのかは分からない。だが、そこにはゆるぎない意志があった。

 

 だが、アヤメは一転して優しい目つきとなる。

 

「先程の理論に、一つの変数を追加しましょう。それは私です。問い、問い、問い、返事も無く、(きず)だらけとなった私です。虹の街は燃え、拭えない、拭えない緋色で染まってしまった私です。唯の確立演算と量子論でしかなかった世界に、彼は私のクロニクルを作ってくれた。世界の事が好きになってしまった。それで、充分です」

 

 アヤメはそう締めくくった。アヤメの抱く思いは、リコには複雑すぎて理解できない部分もあったが、彼女もまたリンを慕う者の一人であることが痛い程によく分かった。

 

「ごめんなさい……私、貴女の事を誤解してました……」

「こちらこそ、感情的になってしまいました。少し、大人げなかったですね」

 

 アヤメはリコの怯えを感じ取っていた。自分が感情的になってしまったばかりに罪のない少女に恐怖を抱かせてしまった。それは自身に非があるとアヤメは思っていた。ついでに、ニャオハにはしっかりと警戒されてしまったようだ。

 

「話題を変えましょう。私には一つ心配事があるのですが、天野さんはそちらに迷惑をかけていないでしょうか」

「それは……どういう意味で……」

「え~……非常に申し上げにくい事なのですが、彼は英雄的反逆の他にも余計な騒動を起こす事が有りまして……」

「ああ……なるほど……」

 

 リンのやらかしで印象に残っているのは、やはりケイドロである。確かに女子達も多少禁則事項を使ったと言われれば反論は出来ないが、それでもトゲキッスを持ち出すのは反則である。

 

「なんと大人げない……」

「悪が滅びる瞬間を初めて見ました」

「突飛な言動はそちらでも相変わらずのようですね……」

 

 これには流石にアヤメも苦笑いである。虚空を見つめて、「本当に手がかかって……」と呟くアヤメにリコも内心で少し同意しておいた。

 

「やっぱり、やらかした時はお説教を……?」

「ええ。許しは慈悲に非ず。ですから」

 

 「慈悲は義務のように与えられるものではありません」というセリフもリン経由で聞いた気がするリコ。慈悲があるのか無いのかよく分からない。

 

「茲非ならありますよ」

「心がこもってない気がするなあ!?」

 

 リコのツッコミにもアヤメは朗らかに笑うだけで反論も弁解もしなかった。と、突然リコとニャオハに猛烈な眠気が襲い掛かる。何かのポケモンの攻撃かと意識を振り絞って警戒するも、

 

「貴女の身体が現実世界で目覚めようとしているようです。今夜はここでお別れですね」

 

 アヤメがリコの身体を支え、瞼を手で撫でるように閉じる。リコと彼女に抱えられたニャオハは眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷわ……ふわ……」

「ラ……」

 

 リコとニャオハが来る前、アヤメの立つ夢の中のウイングデッキの下の方で投擲剣に傷つけられたフワンテとランプラーが倒れ伏していた。リン達と闘いを繰り広げたゴーストタイプのポケモン達である。

 

 リン達の攻撃で飛ばされた霊界と精神世界とでも呼ぶべきこの空間が、偶然繋がってしまったのだ。そこにいたアヤメ……少女というにはやや大きいが、手頃な魂と見て奪いにかかった。

 

 しかし、接近する前にアヤメが振り向き、彼女が服に隠し持っていた投擲剣で貫かれてしまった。この剣、材質は樹なのだが金属のように鋭く、更に何かしらの魔法でもかかっているかのようにポケモン達に焼けるような痛みを与えた。

 

「祈りの時間です。吹雪は終焉の使令なりて、死者は歯ぎしりしながら囁く。しかし赦しは慈悲に非ず、齎されるは悲劇最果ての旋律。死神がヴァイオリンを奏で、青白い骸骨が屍衣を纏いて跳ね回る夜の喧噪にて、貴方の苦しみにコーダを捧げましょう」

 

 ポケモン達はリン達に対する物とは別の脅威を、もっと言えば恐怖を感じていた。彼らが自分達に向けてくるものは敵意だった。ユキカブリ達が自分達に向けてくるものは恐怖や服従心だった。

 

 しかし、アヤメから向けられるのは慈悲や憐み。敵対していながら何故そんな感情を抱けるのか、ポケモン達には分からない。訳の分からないこの武器と言い、混乱の極致であった。

 

 そして、ランプラーの顔に最後の投擲剣が撃たれる。

 

Salutis supplicium(救済執行)

 




 さて、書いては見たものの、この時間軸においてリン君の世界がどうなっているのかとか、霊界と精神世界が繋がるなんて有り得るのかとか、ちょっと分からない部分が多くて怖いのも事実です。仮に設定が食い違っていたら、作者様に土下座した上で三次創作の戯れ、Ifの話とさせていただきます。

 はい、言い訳終了。アヤメに何やら謎めいた設定が存在したり、リン君に対する感情が分かったりと何気に伏線回でもありました。しかし、リン君に対して全て肯定しているかと言われるとそうではありません。本文にも登場した通り、一部真逆の性質も持つのが彼女です。

備忘録

茲非ならあります:『化物語』より。慈悲から『心』を抜くと……小説ならではの遊び方。

『苦しみよ。お前が私から永久に離れないが故に~』:フランシス・ジャムの『桜草の喪』より

投擲剣:どっから出てきた……というのはこの先の話で書きます。

アヤメの祈り:色々混ざってる。私の他作品で登場した兵器の行動指令であったり、サン・サーンスの『死の舞踏』の元になった詩であったり。
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