布団から抜け出して洗面所で軽く顔を洗い布団を片付けたあと、真新しいトレーニングウェアに着替えて髪をひとつにまとめあげる。
冷蔵庫から昨日冷やしておいた麦茶入りのペットボトルを取り出して軽く唇を濡らし、そのままホルダーに突っ込む。
足音を立てないように玄関口に向かい、これまた真新しいシューズを履いて戸を開く。途端に朝の冷たい空気が身体中を包み込み震え上がらせるけど、それが気持ちいいと感じている自分がいることに少し驚く。どうにも自分で思っていたよりも楽しみだったのかもしれない。
眩い朝日に目を細めながら軽く身体を動かして準備運動をする。寒さを感じないくらいに身体が温まったところで1度水分を口に含み、まだあまり人のいない道路を走り出す。
「おはよう響、もう、こんな朝早くから運動するんだったら事前に教えてほしかったよ。そしたら私ももうちょっと適した服を着てきたのに」
「フッ、フッ、フッ、フッ、」
目指すのは広めの公園、緑豊かだけどしっかり整備されてて走りやすそうだったからそこを選んだ。少し遠い場所にあるけどそこまでも走ればいいトレーニングになる。
実は私にはランニングの習慣があった。まあ最初はどちらかというとランニングの習慣があったのはみくのほうで私はそれに付いて行ってただけだけども、小学生のころから毎朝のふたりきりの時間はとても楽しくて、いつの間にか天気が悪かったりして走れない日にはそわそわして落ち着かないくらいには私の生活にも入ってた習慣だった。
だから、走り始めてしばらくは純粋にランニングを楽しめていたし信号に捕まることもなく順調に進めていたけど、だんだんと、少しずつ物足りなさを感じてきて、それがどんどんと重石のように積み重なっていく。
「フッ、ハッァ、ハァッ、フゥッ、」
「響?呼吸乱れてきてるよ、ペースも安定しないしフォームもめちゃくちゃ。久しぶりだから適切なペースがわからなかったの?」
どれだけ走っても満たされない。むしろ心の奥底がとても寒くて息苦しい、手足の先のほうからじわじわと熱が奪われていくように冷たくなっていく。だけれど治ったはずの胸の傷だけはまるで熱を発してるかのようにふつふつと、じくじくと、私を責め立てる。
視界が歪み、クラクラフラフラと平衡感覚が乱れているのを自覚する。もはや自分がちゃんと走れているのかすらよくわからない。
「フゥッ、ゥ、ぅぅぅぅぅ……」
聞こえてくる足音はどこまでもひとり分しかなくて、たまに私をみては意地の悪い笑みを浮かべてペースをあげられることもなくて。思えばずっと、一度だってひとりで走ったことはなかった。いつもみくと一緒に、いつだってみくと一緒にっ……!
私は結局独りなのだと、みくはもうどこにもいやしないのだと、世界に改めて突きつけられたみたい。
「っ、うぅ、あぁぁぁぁ……」
「響?え?どうして泣いてるの?泣き顔供給してくれるのは嬉しいけれど」
いつの間にか足が止まり、立ち尽くしていた。どうしようもなく涙が溢れてくる。
けど実際には何一つ受け入れられても、整理できてもいなかったみたい……。
「ひぅ、ぐすっ、みくぅ……」
「え、なになに?もしかしてさみしくなっちゃったの?まったく、響は可愛いなぁ」
こんなことでもみくの姿を探してる。みくを求めて、みくが隣にいてくれないのが酷く苦痛で。そうなってしまったのは私のせいなのに、私のせいで未来は死んでしまったのに……!
なんて、醜くて自分勝手なんだろう。死に追いやっておきながら、そばにいてくれないと嘆くなんて。助けられておきながら、どうしてなんて思うなんて。
私は他の何よりも、ことある事に集団で石を投げつける他人よりも、理不尽極まりない世界よりも、
考えてみれば単純な話だったんだ。私は私の最愛の人を死に追いやった人間が許せない。憎くて憎くてたまらない。
だからどれだけヤツらに酷い扱いを受けても学校に行き続けたんだ。みくを死なせた罰なんかじゃない、報いを受けさせるために。赦された気になってたんじゃない、大っ嫌いな自分がボロボロになっていく様が嬉しかったがために。
「ぅぅぅぅぁぁぁ、あ、あは、あはははは!あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
「うわっ、ほんとに響どうしたの?情緒不安定過ぎだよ」
わらう、笑う、嗤う。どこまでも愚かで、救いようがない……
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あれ、
「ようやく落ち着いた?泣き喚く姿は確かに愉しめたけど、そうなった理由がわからないと愉しさ半減なんだよ?」
たしか私は、体力作りのためにランニングを始めて……そして……。ダメだ、
どうして記憶が飛んでいるのか少し考え思い至る。このところ慣れないこと続きだったし寝付きももともとよくない。きっと知らず知らずのうちに疲れが溜まっていたんだろう。
兎にも角にも、太陽も本格的に仕事を始めてしまっている。おかげで街も活気が出始めていることだし今日はもう戻った方がいいだろう。
泣いていたせいで何故だか無性にのどが乾いていたから、多めに水分を取り再び走り出す。
「あれ?まだ走るの?私も物足りなかったからいいけど」
何でか1歩1歩がとても重くて苦しいけど、それもきっと疲れているせいだろうと自分を納得させる。
街中にはすでに多くの人が出歩いていた。なかでもよく目につくのが一様に同じ制服姿の女生徒、たしか近くにあるらしいリディアンとかいう学校の制服だったか、常連の3人組が通っているのもそこだったはずだ。
「あちゃ~、通学時間に被っちゃったね。人が多いと走りづらいんだよなぁ」
さっきまでみくのことを考えていたせいかふと、あの事件が起こらなければなんて如何ともし難いことを考えてしまった。
みくと同じ高校に入って、同じ制服を着て一緒に登校して。お昼の中庭で一緒にご飯食べたり、お小言貰いながら勉強を教えてもらったり、寮では同じ部屋に入って、ちゃんと人数分あるのにひとつのベッドで一緒に寝たりする。そんな、何でもないような幸せな日々があったのかもしれないと。
なんだそれは、あまりにも夢見すぎている。あまりにも虚しくて滑稽で、愚かな私らしい、醜い欲望に塗れた儚い夢だ。
胸がきゅうっと締め付けられる。自分が傷つくだけだと分かっていたのに莫迦なことを考えてしまった。
「あれ、響ちゃんじゃん!お~い!」
「あ、弓美ちゃん、創世ちゃん、詩織ちゃんおはよー」
タイミングがいいこと悪いことに、常連3人組とばったり出くわしてしまった。そのまま通過すればいいのになぜだが止まってしまう。
この3人を見てると否応なく考えてしまう。先ほどの続き、あり得ない可能性。考えるな考えるなと思考を放棄しようとするほどに鮮明に描かれていく。
私とみくがリディアンに入学してこの3人と仲良くなって、みんなで楽しく談笑しながら登校している。その中の私はとても楽しそうで、とても幸せそうで。そんなあまりもあんまりな学校生活を思い描いてしまった。
「っ!いや、いやぁ!なんでっ!」
「っ、びっくりしたぁ。もう、急に発狂しないでよ、今日の響の情緒どうなってるの?」
「響ちゃんッ!?どうしたの!?落ち着いて!」
慌てふためく3人が視界の端に映るけど、彼女たちのことを気に掛ける余裕なんてあるはずがなかった。
「こないでっ!やだぁ!みたくないっ!わた、わたしだって……っ!うわあああああああああ!」
「待ってよ響ー!みんなごめんね、私響を追いかけるから、またね」
差し伸べられた手を払いのけて、一目散に逃げだす。
誰かの藁は誰かの宝物かもしれません