~麃然視点~
「時が経つのは早いものだ……」
俺は自室の席で背もたれに体を傾けながらそう呟いた。
中華を賑わせた馬陽の戦いが終結してから早くも年が明け,いつの間にか時代は始皇4年へと移り変わっていた。
「———貴殿もそうは思いませんかな,"袁公"殿?」
俺は机を挟んで正面に座っていた身なりの良い老人にそう話しかけた。
彼はかつて満羽が属していた汨国の元王なのだが,満羽を取り込むために領民共々秦に移して以降俺が色々と策を弄した今では,もはや半家臣化している状況だと言っても良いだろう。
彼は曲がりなりにも元王族なのでかつては潜在的脅威だったが,満羽の心象的な問題と,あと当時は(今でもだが)人手が足りていなかったことから,南方の開拓の一環ついでに城をプレゼントしてあげたのだ。
あれから色々あって満羽との立場的な切り離しも十分だと判断した俺は,晴れて潜在的脅威から苦労仲間に昇格した彼らと偶にこうして会って親睦を深めているのである。
ちなみにこれは千斗雲が属していた暦の元王にも同じことが言える。
彼らは2人とも君主時代から気苦労が絶えなかったらしく,むしろ今の方が気楽なようだ。
そんな袁公は俺の問いに対して,ゆっくりと答えた。
「ええ……特に近頃は色々とあったゆえ尚更そう感じるのやもしれませんな」
彼の言うように,ここ最近の中華も相変わらず騒がしい。
中華も疲れているだろうに……少しくらい休めば良いと思うのだが,俺の意に反してまだまだ騒ぎ足りないらしい。
まず,魏国では今年になって"安釐王"が亡くなり,新たに"景湣王"が後を継いだことで少し混乱しているようである。
それ以外で特に最近よく話題に上がるのが,秦も昨年に戦ったあの趙国だ。
ついこの間も,趙国が燕国に侵攻して武遂や方城などの難攻不落と名高い名城を陥落させただの,その趙で宰相となっていた李牧が来秦して秦趙同盟が結ばれただの色々と話題に事欠かない状態になっていた。
ん,俺? 俺はもちろんその間,当然のように領地に引きこもっていました。
…………
……だってこの前の時に李牧に顔見られちゃったもん。何かの間違いで出くわして,万が一にも覚えられてたら面倒だもん!!
ま,まぁその辺りのことについて詳しく話し出すと長くなりそうなのでこれ以上は触れないでおこう。
俺はそんなことを考えながらも袁公に向かって口を開いた。
「……やはり昨年の馬陽が大きな波を起こしたのでしょう」
そして,それを聞いた袁公も然もありなんといった様子で頷いた。
いや~,本当に大変な戦だった……。
そんなわけで,いつの間にか終結から随分と経ってしまった馬陽の戦いについて思い返すとしようか。
兎にも角にもまずは戦としての勝敗の行方を……と言いたいところだが,これそのもの自体は原作通りだ。
結果的には趙軍を撤退させた秦軍の勝利ということになるのだと思う。
しかし,この戦で俺と趙にとっての最大の重要事項はそんなことではない。
俺が危険を冒して蒙毅たち軍師ーズに護衛と言う名目で付いていってまで成したかった最大の目的は王騎将軍を生かすことだったのだから。
終わった戦の内容をあまり引き延ばすのも面倒なので先に結論を言うと――
——王騎将軍は生還した。
俺としては一安心だったんだが,戦の後の部分も含めて大変だったんだよ?
個人的に今回の功労者は複数いると思っているのだが,その筆頭はやはり蒼源だろう。
戦の終盤で蒼源が放った弓による狙撃だが,あの一矢は勢いそのままに見事に龐煖に命中してその無防備な脇腹へ突き刺さった。
それが龐煖の手元を僅かに狂わせ,本来は王騎将軍に致命傷を与えるはずだった奴の一撃すらも僅かに鈍らせたのだ。
それによって王騎将軍を貫いた攻撃は急所を外れたようで,その命を奪うには至らなかった。
ちなみに,実はその辺りの様子は俺の視力では全く見えていなかったのだが,あの直前に魏加の矢も王騎将軍に命中していたようで,こちらの介入があとほんの一瞬遅れていたらと考えると肝が冷えた。
戦の推移が原作と比べれば割と秦軍優勢に見えたので油断していたのかもしれない。
いわゆる世界の修正力とでもいうヤツなのかもしれないが,ここは反省が必要な点だろう。
とにかくまずは蒼源に喝采を送ろう。やっぱり持つべきものは優秀な狙撃手だな!
様々な条件が揃う幸運も含めての狙撃成功だったが,彼の弓の腕前ありきなのは言うまでもない。
そんな彼には帰ったらメシをご馳走するという道中での約束通り,今回の礼も含めて帰還後すぐに2人で川へ繰り出してそこで釣れた魚を俺自ら焼いてあげた。
もし『そんなことより良い店に連れていってやれよ』などと思う奴がいれば考えを改めて欲しい。
川の主と呼ばれていた巨大なフナを共に味わう経験の方が貴重でしょうが!
あれは決して自分の懐事情を憂いてケチったわけではないのだ!
……少し話が脱線してしまったが,そんなわけで王騎将軍は原作での死線を越えた。
しかしそれでも,魏加の矢も含めて王騎将軍がかなりの重傷を負ったことに違いはなく,いくらキングダム世界の大将軍とはいえ,そのまま処置をせずに戦を続ければ危険な怪我を負っていた。
加えて,そんな状態でなお龐煖との一騎打ちはまだ決着してはいなかったのだ。
そのままでは一騎打ちや戦の継続は疎か戦場からの離脱すらも難しいと思うだろうが,その状況を打開した男がいた。
——ハイ,蒙武さんです。
彼も功労者の1人だろう。
李牧たちの参戦によって戦場の注意が王騎周辺に集中したことで体力回復の機会を得たあいつは,王騎将軍の撤退と共に息を吹き返して李牧軍へ突撃を敢行し,その撤退を助けた。
それまで趙軍の策に嵌まって追い詰められつつもどうやら意外と要領よく戦っていたみたいで,あそこでの爆発には俺も驚いた。
あの勢いは明らかに原作を越えていたね。間違いない。
その後は蒙武による暴威の嵐のどさくさに紛れて秦軍が城まで退却する流れになり,執拗に追撃してくる趙軍と熾烈な戦いを繰り広げた。
しばらくして戦場に散っていた王騎軍も集結する流れが起きたことで再び決戦となるかと思いきや,その最中で悪化した王騎将軍の重傷を見た李牧は彼の死と再度の決戦による自軍の多大なる流血を確信でもしたのか,しばらくして撤退を決めたようだった。
——そして,この李牧の甘さが王騎将軍の生存を決定づけた。
確かに王騎将軍の傷はそれまでの一連の行軍で悪化しており,そのままであれば咸陽への帰城すらも危ぶまれる状況だったのは間違いない。
王騎軍にも医療班のようなものはいるのだろうが,たとえ彼らが死力を尽くしたとしても限度がある。
ならどうして助かったのかと言う話だが——
「しかし麃然殿は先の戦では負傷した王騎将軍の元へ麃家の医師を派遣していたとか……戦後すぐにも関わらず間に合ったとなると,やはりそれ以前から既に戦の終着点を読んでおられたので?」
1人で記憶を辿っていた俺の耳に,急にそんな袁公の疑問の声が届いた。
「まさか,本来は彼らには別の役目を与えようと考えていたのです。偶然というものですよ」
そうなんだよね。本当は俺がもし李牧の暗殺に失敗して怪我をした時のために呼んでいたんですよ……。
彼らはウチにしては珍しく非戦闘員なので護衛としての招集候補には入っていなかったのだが,出発直前に日和った俺が万が一の為に追ってくるように命じていたのだ。
俺は彼らと合流すると急遽秦軍の元へ派遣して,王騎将軍の治療に当たらせようと考えた。
腕前の方に関してだが,戦は友達でお馴染みの麃家が抱える医師団を舐めてもらっては困る。
少なくとも,その腕を振るう機会は大王直属の医師たちすら圧倒的に上回ると自負している。
幸いにして騰副官が速やかに受け入れてくれたので治療は問題なく進み,無事に成功した。
この治療によって,ようやく本当の意味で死の危険は去ったのだ。
それにしても,見た目からは想像しにくいがあの人もこの時代基準で考えるならば十分高齢なのにも関わらずあのタフネス……そのあたりも大将軍級だったということだろう。
ただ,手術が終わった後も完治には時間がかかったようで,体力的な面なども考えると戦場に復帰するにはまだ少しかかるかもしれない。
それはともかく,医師団の皆もよく頑張ってくれた!
結果を見れば,俺と皆の力が合わさったからこその快挙だな!
うんうん……あれ? 俺って何か直接的に貢献するようなことしたっけ?
…………
……も,もしかして俺がしたことって人を手配したことだけだったりする?
俺が驚愕の事実に今更ながら気が付いてしまって震えていると,俺の耳が天井付近から微かな音を拾った。
「……入れ」
俺が落ち込みそうな気分を抑えてそう呼びかけると,天井の一部が開いてそこから1人の男が音もたてずに降りてくる。
その姿は梟明にも少し似ているが,独特な化粧をしているところや首の辺りから無数の帯が垂れているところに違いが見える。
「麃然様,"ムタ"だべ」
「お前か……ということは後宮で何かあったか?」
彼はベッサ族のムタという男で,原作では王弟反乱時に大王の暗殺任務に臨むも信に敗北する運命だった男である。
ベッサ族には基本的に秦国内の諜報活動を任せているが,他にも領内に入り込んだ密偵の排除などもその仕事の内だ。
一応そっちに関しては過去の蚩尤の襲撃があるまでは鉄壁だったんだよ?
しかし,ムタの現在の任務は後宮に忍ばせたこちらの手の者である"趙高"との連絡役だったはずなので,報告というのは恐らくそれ関連だろう。
ちなみにこの趙高というのは,原作では太后の懐刀として色々と暗躍したあの男だ。
この世界では何の因果かウチの城で働いているのが見つかったので,身元の再調査が完了すると共に大抜擢したのである。
「んだ。どうやら楚国の息がかかった"虎歴"ってのが何か動いてるみたいだべ」
ふーむ,虎歴ね……確か原作では呂不韋が仕組んだ"嫪毐"の反乱で何か主要な役割を果たしていたんだっけ?
いかんな,どうにも印象が薄くて詳しいことは覚えていない。
だが正直なところ,いずれにしてもあの反乱は俺的にも未然に防いでも問題ないイベントの1つだろう。
後に呂不韋を断罪する材料とするにしても,もう既に余罪は有り余るほどあるわけだし……。
まぁ1人消えたところで反乱そのものがなくなるとまでは思わないけど,念のために対処するか?
そもそも趙高の計画立案力なしで反乱が成り立つのか甚だ疑問ではあるが,後宮には三大宮家をはじめとした厄介な者たちもいる……深入りするつもりはないが,せっかくなのだから芽を摘んでおくべきだろうか……。
とはいえ,俺はそもそも後宮事情にあまり詳しくないので,その辺りも含めて具体的なところは向こうに任せようかな。
ただ,その前に確認を……。
「趙高の様子はどうだ? まさかとは思うが怪しまれてはいないだろうな?」
先ほども紹介したが,彼は去勢していない組なのでバレると普通にマズい。
俺の名で直接ねじ込んだわけではないので俺が罪に問われることはないだろうが,気になるものは気になるのだ。
「大丈夫そうだべ。夜中に庭で素振りをしてるのが不気味がられてるくらいだべ」
「あ,そう……」
俺の価値観的にはそれは大丈夫じゃない気もするのだが,その道のプロであるムタが言うなら実際に問題ないのだろう。
うーん,今更だが間者とするには勿体なかったかな?
「ならばよし。では先ほどの何某という者のことは趙高と相談し,そのうえで問題ないようなら足が付かぬよう直ちに始末しろ。後の災いの種になりかねん」
「承知したべ」
ムタは俺の返事を聞くや否や飛び跳ねて,そのまま再び天井裏に戻っていった。
……君たちそこ好きだよね。別に何か言うつもりはないけど,このままじゃそのうち屋根裏好きみたいな渾名とか付けられちゃうよ?
「ひょ,麃然殿……今の話は儂が聞いても良かったので?」
ん? ……あ,袁公がいたの忘れてた。
というか今のって俺に対するイヤミですよね?
流石にゲストを放って隣で話し続けるのは失礼だったよな……まぁでも彼なら許してくれるでしょ!
「これは失礼。ただ,今のは貴殿への信頼と受け取って頂ければと」
「そ,そうですか。ハハハ……」
うんうん,袁公も笑っておる笑っておる。
俺が得意とする勢いで乗り切る作戦は大成功だったみたいだ。
さて,原作イベントの話題で思い出したが,今年はともかく来年には再び原作での大イベントがやってくる。
次に起こる大戦は,来年の始皇5年に魏国との間に起こる山陽の戦いだ。
ちなみに原作のこの戦で秦軍の総大将を務めたのは,あの蒙武の父で蒙恬の祖父でもある白老こと蒙驁将軍だったはずだ。
彼は昨年に大勝を収めた韓国攻めでも総大将を務めており,現在の秦政府から最も信頼されている将軍なので,この世界でもその人選は変わらないだろう。
この戦いだが,魏国に亡命していた元・趙国三大天の廉頗将軍と後に新・秦国六大将軍となる"桓騎",王翦の2人を擁する蒙驁将軍が激突するという次代を占う重要な一戦となる。
ついでに言えば,原作主人公の信にとっても同世代のライバルである王賁や蒙恬たちと本格的に大戦を共にする最初の機会でもあったりする。
そして何より重要なのは,この戦いは危うい場面はありつつも馬陽の戦いと違って秦国がしっかり勝利する戦なので,俺の精神面に対して非常に優しい一戦ということだ。
この世界の魏国は現時点で魏火竜を動かせるという原作との違いはあるものの,未だ混乱が収まりきらない魏国が一つの戦線にそれらを終結させることは難しいだろうからあまり心配はしていない。
いや~,これだから蒙驁将軍は最高だ。彼の戦はいつも安定感がある。
ただ,今回に限っては残念ながら俺としてはただ勝てて嬉しいとはならないのが辛いところだ。
その理由は,この戦が後に起こる新たな大戦の火種を生み出すことになるという点にある。
原作の秦国はこの戦で山陽一帯の中華における要衝を領有することになるわけだが,この地を秦国が押さえたことが列国の秦国に対する警戒心を大いに煽る結果となってしまった。
これは特に趙国にとって深刻な問題で、国の南方を塞がれたことによって魏・韓との国境の繋がりが断たれただけでなく、地理的に国土全体が秦国に半包囲を受ける形になってしまうという割と危機的状況だったりする。
そしてそれらの結果として,原作での合従軍編に繋がっていくのだ。
この場合の合従軍というのは,対秦の目的で利害が一致した列国が組んだ連合軍のことである。
標的となった秦国自身と秦国中央政府の外交努力によって離脱させることに成功した斉国を除く戦国七雄の各国が,秦国ただ一国を滅ぼすべく攻め寄せてくることによって原作最大クラスの大戦が勃発することになる。
そして何より,この戦で俺にとって最も重要なイベントが――
——親父の戦死である。
親父は原作のこの戦いで,あの李牧による咸陽攻めの奇策を看破するも,それを阻止しようとする過程であの龐煖との一騎打ちにより命を落としてしまうのだ。
それにこの戦はそもそもの規模が大きすぎて,これを回避するというのは難しいだろうとも思っている。
そういった理由で,親父を戦で死なせないという俺の究極の目的を考えればこの戦は俺の人生で最も重要な戦であると断言できる。
原作では多大な犠牲を払いつつもなんとか勝利できた戦だったが,この世界では敵軍の陣容が同じとは限らない。
とはいえ,それを踏まえても勝利できる程の将をこれまでに集めてきたつもりだ。
その上で将の質以外の不安要素といえば……本来のお役目関連があったな。
原作通りであるならば,幸いにも今はまだ合従軍戦まで約2年間の猶予がある。
……後顧の憂いを絶つなら今を置いて他にはないか。
それにどうせもうすぐ各国が攻めてくるんならタイミング的にも悪くないし……。
う~ん。でもそうなると俺も行かなきゃならないのか……ヤダなぁ。
俺がうんうんと唸りながら悩んでいると,もはやここ数分でも聞きなれた袁公の声が聞こえた。
「……何かお悩みのご様子ですが,麃然殿の決められたことであれば,皆が喜んで付いていきましょうぞ。満羽を見ておればわかりますわい」
穏やかな顔をしてうんうんと頷いている袁公を見て,俺はこう思った。
——いやいや,あいつらは戦馬鹿なんだからそりゃぁ付いてくるでしょうよ。
相変わらず自分でも失礼だと感じるが,事実なんだから仕方がない。
だが,今の何気ないやり取りで不思議と決心が付いたみたいだ。
「……左様ですな。では,たった今急ぎの仕事が出来たので失礼させて頂く。袁公殿は気のすむまで寛いでもらって構いませぬ」
そう言ってそそくさと部屋を抜けて廊下へ出ると,そのまま歩きながら大声で叫ぶ。
「敦はいるか! 戦だァ!! 戦の準備をするぞ! 領内全域に布告を出せ!!!」
次回は信視点になると思います!
それではまた!('ω')ノシ