~~秦国・南虎塁~~
秦楚国境部に延々と連なる防衛壁である南虎塁……ここには楚軍の来襲に備えた将兵たちが詰めており,その中に秦国大将軍の1人であり現在この地の防衛を任されている男——麃公の姿もあった。
そして,この日の朝の彼は塁壁の上で空になった盃を片手で弄びながら東方を睨みつけていた。
「ほう……来よったか」
そう呟いて口角を挙げる麃公の目線の先では,地平線の彼方から立ち昇る砂煙の波と,それに覆われるようにして少しずつ近づいてくる楚国の軍旗のはためきが存在感を放っていた。
「何やら胸騒ぎがすると思い,気晴らしに酒でも飲みながら眺めておったが……フッ,面白いではないか」
そう言って彼が密かに気分を高揚させていると,その後方から1人の将——麃公の副官を務める岳牙が塁壁を登って麃公の側まで近づいてきて拱手した。
「殿,お寛ぎのところ失礼します。もうお気づきかと思いますが,此度の楚軍はどうやら我らと一戦交えるつもりの様子。後方で練兵中の蒼弓隊を除き兵の大部分は既に出陣の用意が整っておりますゆえ,殿の号令さえあればいつでも出られます」
その岳牙からの頼もしい言葉を受けた麃公は,更に笑みを深めた。
「ご苦労であった岳牙よ。しかしこれまでワシらの挑発を散々躱してきた楚軍が動いたか……此度の対陣は退屈を覚悟しておったが,これもあやつの置き土産であろうかのォ?」
「ハッ,若様こそ真の孝行者でありましょう」
麃然が密かに心配していた彼らへの負担というものは,戦に飢えた戦人たちには完全なる杞憂でしかなかったようである。
「バッハッハ! さて,そろそろワシも下へ行くとするか。なにせ今この軍には先走りかねん荒ぶる龍がおるからのォ」
「では,私もお供させて頂きます」
しかし,麃公が岳牙を連れ立って塁壁を降りようと足を踏み出した直後,先ほど彼らが見ていた方角からいくつもの喊声が響いてきた。
それを聞いた麃公は,目を細めて鼻を鳴らす。
「フンッ,少し遅かったようじゃな……こうなっては火付け役はあやつに譲るとしよう。岳牙よ! 急いで蒼源を呼べィ! あやつが支度を終え次第ワシも出るぞ!!」
「ハッ! それでは失礼します!!」
命令を受けた岳牙が下へと続く階段の奥に消えていく様子を確認すると,麃公は再び戦場となるであろう平原に視線を移した。
そこには,"汗"の旗を掲げた一軍を中心とした先ほどより距離を詰めてきている楚軍に向け,手前側からその旗に真っすぐ猛烈な勢いで駆ける"紫"の旗を掲げた一軍の姿が見えた。
「楚軍の数はそれなりといったところじゃが,面白いやつが出張ってきておるなァ。お前さんも血が騒いだか……紫詠よ」
そう呟くと,麃公は今度こそ悠々と下へ降りていった。
麃公による号令を待たずして南虎塁を発した一軍は,進軍してくる楚軍目掛けて脇目も振らず直進していた。
そして,楚軍までの距離を半ばほど進んだ辺りで,その集団の前方にいた左目に大きな傷を負った将——黒剛が先頭を駆ける男の背に声を掛けた。
「今更ながら殿,抜け駆けは我ら麃公軍内での常とはいえ,此度は流石に昂る大殿からのお叱りを受けかねませんぞ」
「案ずるな,殿であればご承知の上であろう……。なにより,わかるだろう黒剛,一番槍こそ戦の華だ……。目の前に差し出されたそれを俺が逃すことも他の将に渡すことも決してない……」
堂々と開き直るかのようにそう答えた長髪の男——紫詠の反応を確認し,黒剛は内心で嘆息しつつも目つきを鋭いものへと変えた。
「そうでしたな。して,我らを待ち受ける敵の掲げるあの旗はやはり——」
「ああ,奴らを率いるのは楚将"汗明"に間違いあるまい……」
汗明——楚国大将軍の1人にして列国から楚の巨人と恐れられる豪傑の将である。
そして,麃公軍にとっても何度も戦いを繰り広げていながら未だに雌雄を決するに至っていない強敵であった。
「これまで奴の相手は因縁のある満羽たちに譲り続けてきたが,遂に槍を交えることが出来ようとは……。これもやはり…………いや,やめておこう……。フフッ……アァ,滾るなッ……!!」
思いがけず転がり込んできた機会に感謝しながら,紫詠は不敵な笑みを浮かべた。
「後詰の気配はないようですが,僅か数万の兵で我らを抜けると考えているはずもなし。此度は一体何の目的で……ッ!? 殿ッ!!」
黒剛が楚軍襲来の理由を考察していると,楚軍の方角から突如として飛来した謎の物体——巨大な分銅鎖のようなものが彼らに迫ってきた様子を視界に収めたために思わず叫んだ。
——だが,彼が声を上げるより先に紫詠の体は動いていた。
「慌てるな……。フンッ……!!!」
一瞬で速度を上げて更に前に出た紫詠は,そのまま目にも止まらぬ速さで槍を繰り出すと,迫りくる金属塊を木っ端みじんに粉砕した。
すると,砕けた金属の破片が彼の後ろにいた兵たちの馬を傷つけたために騎馬の一部が足を止めてしまった。
その様子を見て顔をほんの少し歪めつつも紫詠が速度を緩めると,それを待っていたかのように彼らの進軍方向にいた楚軍の足も止まる。
……そして,その内側から太鼓の音が鳴り始めた。
——ドン! ドドドドッドッド!! ドン!!!
さらにその音に合わせるかのように,突然にして楚兵たちによる大合唱が始まる。
——ドン!
「「「誰が至強か!? 誰が至強か!? 誰が至強か!?」」」
その大音量の波の中,今度は楚兵が道を作るように左右に分かれて動き始める。
——ドン!!
「「「それは誰か!?」」」
すると,それに応えるかのように彼らの作った道を通って,カニを象ったかのような髪型をした1人の巨漢が騎乗した状態で奥から姿を現すと,その歩みを止めぬままに左手を前方に突き出し,戦場全体に声を響かせた。
——ドン!!!
「汗明!」
——ドドンドドンドン!!!
「「「汗明!!」」」
——ドドンドドンドン!!!
「「「汗明!!」」」
たった一言,その男の一声だけで,周りの楚兵たちはそれに呼応するように彼が叫んだ名前を何度も狂ったように復唱し始める。
先のものに倍するほどの声量と見る者を圧倒する熱狂を伴うその大合唱には,並みの兵なら身動きを封じられるだけの見えざる力が確かにあった。
——だが,無情にも次の瞬間に周囲を支配したのは鋭い風切り音と激しい金属音だった。
その音は,いつの間にか楚軍のすぐそばまで到達していた紫詠の槍と,楚軍から進み出てきた巨漢——汗明の手に握られた大錘の衝突点が発生源となっていた。
楚軍による大合唱に紛れて急接近した紫詠によって放たれた疾風の如き一突きが,楚軍全軍を背負う位置に移動していた汗明の大錘の一振りによって受け止められたのだ。
「もう気は済んだか……?」
大錐の表面に槍を突きたてた状態ながらも,落ち着いた声色から繰り出された紫詠の問いに対して,汗明は少しの苛立ちとそれを優に上回る満足感を込めた声で答えた。
「フッ……風情を解さぬつまらぬ奴よ。だがこの重み……期待外れというわけではなさそう……だなッ!」
汗明が答え終わると同時に,その口から漏れた力み声とともに押し込まれた大錘を紫詠は受け止めるも,その勢いを完全に殺すことは出来ずに,彼の騎乗する馬の馬蹄で地面を抉りながら後退した。
「チッ……やはりそう易々と獲らせてはくれんか」
紫詠は相手の膂力が想像以上であると感じて自身の認識を改めると,吐き捨てるようにそう言いながら素早く体勢を整え,再び汗明に向き直る。
だが,それに対して汗明が次に放ったのは,大錐による振り下ろしなどではなく,言葉だった。
「話には聞いているぞ。龍の紫詠……麃公軍四獣の中で最も激しく武を振るう将よ。俺は此度,お前に会いに来たと言っても過言ではない」
「…………」
言葉は発さずに怪訝そうな顔を浮かべている紫詠を見て,汗明は語り始める。
「今,俺の身体は歓喜に震えている。初陣以来,俺を初めて熱くさせた麃公軍が,それ以降幾度となく俺の武を受け止め続けた麃公軍が,その中からまた新たに俺を熱くさせ得る敵を目の前に連れてきたのだ。これを喜ばずしてなんとする!」
汗明は言葉に熱を帯びさせながら話を続ける。
「お前たち秦国が六将と崇める"王齕"の撃破にすら高揚を感じなかった超越者たる俺は,つまらぬ戦に明け暮れ,自身を強者と勘違いした愚か者を叩き潰す責務に殉ずる運命にあった俺は,この身体を熱くさせる戦場を求めて王都郢から——「存外,口数の多い男だな……」——ヌウッ!?」
紫詠の声とともに汗明の話を突き破った彼の槍は,辛うじて防御が間に合った汗明の体を後退させた。
「クッ,下郎がッ」
話を遮られただけでなく,不意を突かれて怒りを露わにした汗明の激情が籠った眼差しを受け止めた紫詠は,汗明に匹敵する激情をその目に宿して言葉を発する。
「俺はそんな戯言を聞きに来た訳ではない……。俺はお前のふざけた頭を叩き落とし,そのやかましい口を二度と利けなくしてやるためにここに立っているのだ……」
紫詠がそう言った直後,彼の後方から地響きが近づいて来た。
そして,それを感じ取り目を見開いた紫詠は,ここへきて初めて焦りを見せる。
「チッ,早く始めるぞ自称超越者よ……この槍でお前が井の中のカニに過ぎんということを教えてやろうッ……!」
「フンッ,ほざくな小男がッ……!」
「「ハァッ……!!/ヌンッ!!」
互いのそれまでとは一線を画した激しい掛け声とともに,秦楚の両大国が誇る生粋の武人が激突した。
紫詠軍の後方から近づく地響き……その発生源とは当然,麃公率いる一軍であった。
「やはり向こうは始まっておるか……フン,ではワシらも新たな火種になるとするかのォ」
そう言う麃公の目に映り込むのは,敵の本軍と別れて自分たちの方へ向かってくる一軍であった。
「あれは汗明軍副官"貝満"か……いや,それに加えて見慣れぬ旗もあるな」
そう訝しむ麃公に,後ろに続いていた岳牙がその疑問に答える。
「恐らく楚将"臨武君"でしょう。先王の治世に起きた信陵君率いる合従軍との戦いに従軍していたと記憶しております」
「ほう,すると4年ぶりというわけか……であれば並みの将ということはあるまい。これは楽しめそうじゃなァ……!」
そういった会話が続くうちに両軍の距離はどんどんと近づいていくが,どちらも止まる気配は一切なかった。そして——
「突撃じゃァァ!!!」
「「「オオウッ!!!」」」
遂に楚軍と接敵した麃公は,先頭で自ら矛を振るって敵中に斬り込み,無人の野を進むが如く周りの楚軍を蹴散らしながら,その中を突き進んでいった。
勢い収まらずに麃公軍が楚軍を蹂躙すると思われたところで,その目の前に2人の男——貝満と臨武君が立ち塞がる。
「臨武君,相手はあの麃公だ。油断せず2人がかりでやるぞ」
「クッ,分かっている。だが飽くまで俺が主でそちらが助だ!」
そう言葉を交わすや否や駆けだした2人は,その手に持った互いの得物を麃公目掛けて振り下ろした。
だが,それを迎え撃つ麃公は,矛を横なぎに一閃することでその攻撃を弾き返し,2人に向けて告げる。
「なるほど,そなたらの熱さは認めよう。じゃが,この燃え上がるワシを止められるかのォ? ……ヌッ!?」
麃公が話し終えた瞬間,その空間を突き破るように風を切る音が彼の耳に届いた。
その音の正体であろう突如として飛来した矢が麃公に迫るが,麃公は冷静にそれを掴み取り,即座に握りつぶした。
「フンッ!! ほう,楚軍にも中々の弓手がおるようじゃな。このワシの手を痺れさせるとは……」
麃公はそう称賛したが,矢を放った主の味方であるはずの楚軍に属する将の1人の反応は異なるものだった。
「余計な真似はするな"白麗"ッ……!!」
そう叫んだ臨武君の目線の策には,彼らから離れた位置で弓を構えて残心をとる若い男がいた。
「余計な真似って……。その男は敵の総大将だぞ,狙わないわけにはいかんでしょーが。何よりこんなところであんたに死なれたら困るし」
白麗と呼ばれたその男は,そう零しながら再び矢を放つべく弓に矢を番えて構えようとする。
だが,その様子を遠目から見ていた麃公は,一瞬だけ後ろを振り向いた後に目を細めて言った。
「お前さんが気に入るほどか,なるほどそれは稀有な才じゃのォ」
麃公が呟いた直後,今度は先ほどとは比べ物にならない,空気を穿つかの如き轟音が響き渡り,一直線に戦場を駆け抜けた。
そしてその音の閃光,もとい矢の道筋の先にいたのは——白麗だった。
「ッ!? しまっ——」
その目にもとまらぬ速さに彼の反応は遅れ,もはや回避行動を起こす時間は残されていなかった。
そのままその体に風穴が開くかと思われた瞬間,凄まじい速度で彼に近づく影があった。
「ウオオオオォッ!!! ……こッ,んにゃろォ!!!」
その陰は間一髪のところで白麗と矢の間に滑り込み,迫りくる矢を弾いた。
「"項翼"ッ!!」
「ハァ,ハァ……ッこれで貸しは五十を超えたぞ麗!!」
「……フッ,馬鹿なこと言うな。俺の貸しは百ある」
項翼と呼ばれた白麗と同年代に見える若将が疲れを感じさせる声ながらもそう冗談を言えば,白麗もそれに返した。
「へッ……ったく素直じゃねェな。だが今のはマジでヤバかった。いくら俺様とはいえ愛刀のこの"莫耶刀"がなきゃ押し負けててもおかしくなかったぜ。一体なにモンだよこれを打ったのは……」
「……秦でこれほどの弓使いだと,間違いなく十弓蒼——!? また来るぞ項翼ッ!!」
「なにッ!? ……ッて今度は俺かよ!? ……ッラァ!!!」
今度は先ほどとは別の方向から項翼目掛けて飛来してきた矢だったが,危うげながらも再び彼によって防がれる。
「クソッ,どこから撃ってきてやがんだ! おい麗! お前も撃ち返せよ!!」
「待て,俺も今探してるとこだ……いたッ,あれか!!」
その視線の先には,麃公軍の後方からこちらに回り込むように接近する騎馬の一団があった。
「ハァッ!? あの距離からか!? マジかよ!!」
「うるさいぞ項翼,今度はこっちからも狙う! 飛んできた矢の対処はお前に任せたぞ!!」
「ハァッ!? ……あーもう,わーったよ! この項翼様を弾避けにするなんて贅沢なやつだぜッ,絶対負けんじゃねーぞ!!」
「ああ!」
戦場において美しいとすら思える信頼と絆を見せる彼らだったが,彼らの目線の先にいた男はというと——
「——フフッ,フハハハハッ!!!」
突然笑い出した蒼源を見て,彼が率いる蒼弓隊に所属する部下の1人は,困惑したような声を漏らす。
「ど,どうされましたか隊長」
「いやなに,楚にもおるのだなと,考えれば至極当然のことを思っただけよ」
そう言う蒼源の目には珍しく興奮の色が浮かんでいた。
「輝かんばかりの腕を持つ弓打ちが次々と世を去る様を見続け,私が心躍らせた戦場はもはや我が子らが育つまで訪れることはないと思っておったが……フフフ,愉快,実に愉快だ!!」
普段は口数が多い方ではない蒼源の様子に周りの部下が困惑を深めているのをよそに,蒼源は今度は急に落ち着いた表情に戻る。
「愉快ではあるが……育ちゆく芽を摘むのも戦国の世における先達の務めだ」
そう話す蒼源は,楚将との戦闘を再開した自身の主の様子を横目に,更なる狙撃を行うべく背中の矢筒から矢を数本取り出すと,それに指を絡めて弓にあてた。
「前途有望な青二才どもよ……この乱世を生き抜けるか否か,我が生涯に等しきこれで見定めてくれよう……!」
そう言って,蒼源は久しく戦場で見せていなかった自身の誇る絶技を繰り出すべく,深く意識を集中させた……。
~~夜郎国~~
ここ夜郎国の王都に聳える,周囲の地形を利用して建てられた王城の広間に,風貌の異なる3人の人物が一堂に会していた。
彼らは部屋の中央に置かれた机を囲むようにして集い,互いを睨みあっているようにも見えたが,そのうちの1人——目元の化粧が特徴的な長髪の男が唐突に声を上げた。
「夜郎王はまだ来んのか……。儂も暇ではない,このまま時を無駄に費やすくらいであれば帰らせてもらうとしよう」
そう言って男が立ち上がろうとすると,別の男が引き留める。
「待たれよ戎翟公,先ほど兵たちが慌ただしくしているのを見た。侵攻してきた秦軍との戦いで何か起こったのやもしれん」
戎翟公と呼ばれた男は名を"ワテギ"と言い,数年前から密かにこの国で夜郎王の庇護を受けていた。
彼は過去に秦国に領土を奪われた憎しみから,その恨みを晴らすべく長年に渡り雌伏の時を過ごしていたものの,秦国に制圧されることを警戒して放浪しているうちに夜郎王の誘いを受けてこの地で身を潜めていたのだ。
「……なんじゃと,お前は何も聞いておらんのか"樊於期"よ」
「……生憎と何も」
彼を引き留めた方の男の名は樊於期と言い,以前は秦国の呂不韋の元に身を置いて表沙汰に出来ない類の仕事をこなしていたが,ある仕事での失態による粛清を恐れて出奔した先でワテギと同じように夜郎王の誘いを受けてこの地に身を置いていた。
そんな2人のやり取りを見て,残った1人の人物——動物の全身を使ったような毛皮を身に纏った男は鼻を鳴らした。
「フン……逃げ癖の付いた年寄りなんぞいてもいなくとも変わらぬわ」
そう言った彼は,北の遊牧民族と流れを同じくする部族の王として趙国にある自領内で一時期は絶大な権勢を誇っていた"ロゾ"という男だった。
「お前は確か犬戎の王ロゾであったか,貴様こそ趙将に城を追われ,おめおめと逃げてきたというではないか? それが西方の産物を献上することで,南蛮の王に降るとは……ワハハッ,部下を見捨てた者が未だに王を騙るなど片腹痛いわッ」
「……ッほう,貴様死にたいようだな」
ワテギとロゾの煽り合いによって険悪な空気になった室内だったが,その空間を突き抜けるような声が響く。
「——やめよ」
その場にいた3人がそれを聞いて一斉に部屋の奥に備わっている玉座に顔を向けると,そこにはいつの間にか筋骨隆々の半裸の男がどっしりと腰かけていた。
——その男こそがこの城の主であり、近年瞬く間に周辺の部族を呑み込んで西南夷の実質的な王の座に君臨した稀代の傑物、夜郎王である。
彼は自身に注がれる視線を意に介した様子もなく尋ねる。
「樊於期よ,城の北東に広がる平地に今から軍を展開させるとなれば,どれほどの数が用意できる?」
「ハ……ハッ! 北部に常駐している軍を除けば、我が息子"樊琉期"による西方の邛討伐の遠征の後詰にと,昨日進発した5万の軍を呼び戻してそちらに回すのであれば,周辺の者を招集して1万ほど集まることを考えれば合計で6万は動員できるかと……」
それを聞き,夜郎王は数瞬の間だけ目を瞑り何かを考える様子を見せると,再び目を開けた。
「そうか,であればワテギが隠れて育てておる兵1万と,先頃我らに降った南の部族の兵3万を合わせれば10万か……悪くないな」
それを聞いてワテギの顔が一瞬強張るが,それを見て見ぬふりをした樊於期が尋ねる。
「……先頃降ったとなると,あの獰猛な者たちを? よもやそれほどの何かが……?」
「現在北から侵攻を仕掛けている秦軍に対しては,地の利を生かした戦術によって防衛が成功しているらしい。しかし,とある東からの情報によれば,秦軍は江を伝い奇襲を仕掛ける策も用いるつもりのようだ。その数は数万とのことだが,それを率いるはあの麃然だという」
夜郎王の言葉を聞き,部屋の中に緊張が走る。
そんな中で,真っ先に口を開いたのはまたもや樊於期だった。
「琉期を呼び戻しましょう……間に合うかは定かではありませんが,邛どもとの戦いももうじき終結するでしょう。今から帰還を促す使者を発すれば可能性はあるかと……」
「許可しよう。それと麃然との戦には俺自ら出る。お前は俺の本陣に加われ」
「ハッ!!」
夜郎王は次にロゾに視線を向けた。
「ロゾよ,お前の武は我がそれに次ぐほどだ。その腕を見込み,先頃降った者たちからなる勇敢なる精兵3万を預ける」
「……フンッ,いいだろう」
彼はさらに続けて今度はワテギを見た。
「ワテギよ,お前には先行して敵を牽制する役を与える。決戦の際には4万の兵を預けよう」
「フハハッ,承知したッ!!」
そして,夜郎王は徐に立ち上がると,その拳を余裕ある仕草で天に突き上げた。
「俺が築き上げてきたものが今,ようやく実を結ぼうとしている……。奴らを江周辺に釘付けにしている間に勢力を拡大し,恥を重ねつつも耐え忍んできた……! そして今,我が国の兵はかつてなく精強であり,それを束ねる将もようやく揃ったッ……!!」
そう言って拳を強く握りしめた夜郎王は,自信をのぞかせる声を周囲に聞かせるように言葉を重ねる。
「我らの命運を賭けたこの大戦,そこで振るわれる武には必ずや祖霊の加護が宿るだろう!! 夷狄と蔑んできた中華の者どもに,我らが備えし誇りの力をとくと示そうぞ!!!」
よ,よし……なんとか1月で更新出来たぞ。あとは……堯雲に……(趙峩龍並感)
次話でようやく決戦が始まりそうです! スピード重視でいき……たいなぁ(願望)
それではまた!('ω')ノシ