~麃然視点~
長い船旅のせいで長江の川波に揺られることにも慣れ始めていた頃,遂に俺たちは今回の上陸目標地点に到達し,今後を見越した橋頭保の建設と航路確立のための船団の大部分の一時帰還を指示した後,斥候を放ちながら西方の敵本拠地に向けた迅速な進軍を開始した。
そこからしばらくの道中は,起伏の激しい地形の中で経路選びに苦労しながらも,敵からの襲撃はなく比較的順調な道のりが続いたため,その勢いのまま何事もなく敵の本拠地へ……とは残念ながらいかなかった。
——ドガラッ! ドガラッ!
「発見したという敵軍の場所まであとどれくらいだ,羌象!」
「もうすぐです! ここを登りきれば見えてきます!」
そう言って先導する羌象に続いて,俺は馬に跨り坂の上を駆けていた。
先行させていた羌象たち梟鳴族の斥候から敵軍発見の報告を受けた俺は,行軍の列の先頭を任せていた満羽軍の足を速めさせ,全体の統制を慶舎に委任するや否や,左慈を含む千騎ほどの兵を引き連れて敵の姿の確認に向かっているのだ。
……それにしても,羌象さん足速くね? こっちは騎馬だよ?
そんなどうでもいい(?)ことを考えているうちに,少し先にいた羌象がいつの間にか足を止めていた。
「見えました!」
「ッ,……これでも慎重に進んできたつもりだったんだがな」
そう言ってこちらに振り向く羌象に追いついた俺は,眼下に広がる敵軍の様子に微かに驚きの声が漏れた。
そこには,こちらを優に上回る数の敵軍が,丁度こちらが布陣できるほどのスペースを挟んで,整備された陣地とともに待ち構えている光景が広がっていたからだ。
そこに,同じく追いついてきた左慈の呟きが聞こえる。
「ここはまだ敵の城からも距離があります……そして今のこの様子を見るに,我らの動きが露見していた可能性が高いですな」
左慈の言う通り,これほどの数の将兵の招集,移動にはそれ相応の時間がかかるため,敵がこちらの予想より早い段階で俺たちの動きを掴んでいたと考えられる。
ここは千斗雲軍の進軍経路からも外れているため,そちらに向けたものである可能性も低いだろう。
「奇襲などの小細工もなく,堂々と待ち構えていたのを見るに,此度の奴らは随分と自信があるようだな」
俺は心の中で目の前の夜郎軍への警戒度を引き上げた。
「クッ,申し訳ありません……私の失態です」
羌象がそう言って悔し気な顔を浮かべているが,俺は首を左右に振ってそれを否定する。
「いや,そうとも限らん。こちらの偵察に引っかかる人間が全くいないのは流石に不自然だと思っていたんだ。恐らくは道中で食らいついてきたあの楚軍あたりと敵が繋がっていたんだろうよ」
川を下っていた際に追ってきた楚軍たちだが,やけにしつこいと思っていたんだ。
実際は違うのかもしれないが,過ぎたことを悔やんでここからの戦いに支障が出ても困るので,今はそういうことにしておく。
切り替えは大事だ。
「殿,それよりも今は目の前の敵にどのように当たるかが肝要かと」
左慈がそう言って話題を逸らしてくれたので,俺も乗っかろう。
「そうだな。それにどうやら,見慣れない旗があるようだ」
そう言って敵軍に視線を移すと,奥にある敵本陣であろう場所に見える旗は見慣れた夜郎共のものだが,その手前でこちらから見て左側に陣取る軍の旗は少なくともこれまでの奴らとの戦では見かけたことがないものであり,右側の軍に至ってはまさかの旗無しだった。
しかし,左側に見える三角形の細長い旗,あれはどこかで……。
「……! なるほど,そういうことか。随分と手広く集めたものだ」
俺は前世の記憶を引っ張り出し,敵右翼の旗が原作では趙との戦いで登場していた犬戎王ロゾの軍が使用していたものであると気が付いた。
それによく観察してみれば敵軍の中にいる馬の体格も想像以上に立派に見えるが,あれらも外から齎されたものだろう。
こちらのアドバンテージも1つ潰された形になったか。
「数に関しては敵左翼が少し多いか……」
正確な敵軍の数はまだわからないが,総数はざっと見てこちらの倍かそれ以上,3軍に分かれており右側だけ多いとなれば,本陣,右翼,左翼の順でそれぞれ大まかに3万,3万,4万といったところだろう。
……うん,よくあることだが見事なまでに数的劣勢だな。
こういう時の戦い方はいくつかあるが,さてどうしようか……。
「敵左翼のいる北側には山があるな,少数であれば隠密行動は難しくなさそうだ。船の積載量の圧迫を押してまで持ってきた槌や雲梯といった攻城兵器は無駄になったが,これらは陣地の建設に利用できるか? これまでに見ていない組み合わせの敵軍だが,その連携に付け入る隙はないか? そもそも敵左翼を率いる将は誰なんだ? それに————」
俺が周囲の視線が突き刺さる痛みに耐えながら思考の海に沈んでいこうとしていると,突然体が大きく揺れた。
——ヒィィン! ブルルルルッ!
「おおッ,どうした"飛燕"!?」
俺が,愛馬である飛燕が体を大きく震わせたのに驚き,視線を下げて声をかけていると,それを見ていた左慈が言う。
「どうやら長旅で鬱憤がたまっているようですな。早く戦場を駆けさせて欲しいと言っているようにも見えます」
それを聞いて飛燕の目を覗き込んでみると,どうしてだか本当にそう言っているような気がしてきた。
普通なら休ませて欲しいとか考えるもんだと思うんだが……。
うーん,今回はそもそもの運んできた馬の数が少ないので,こいつにへそを曲げられると非常に困るんだよなぁ。
自軍の有力な将やその側近には配備できているが,今回の戦では大規模な騎馬隊の運用は現実的ではない状況だ。
俺が後ろに従えている騎馬隊の数も,今回の隠し玉を除けば軍の指揮系統を乱さないよう調整したうえでの限界に近いものだ。
………………。
ハァ~~~~。
……今の開戦前の段階で少しばかり後れを取ってしまっているが,まぁなるようになるか。
なにより,小難しいことは慶舎に丸投げしたほうが上手くいきそうな気がする!
こうやって悩んでいる間に満羽軍が戦場に到着したのが見えてしまったこともあり,俺は難しく考えるのを止めた。
「羌象!」
「はいッ!」
「満羽軍には急ぎ敵右翼の前に陣取るよう伝え,慶舎には段歯,龍羽の両将を率いて残りの軍を動かし本陣の構築と並行して敵左翼への威圧を行うよう伝えよ! その後は梟鳴は慶舎の指示に従え!!」
「ハッ!!」
返事を返すや否や走り去っていこうとする羌象を見て,俺はもう1つだけ伝えておくべきだと思い,呼び止めた。
「あぁそうだ,もう1つ伝えて欲しいことがある,こっちのは全軍に対してだ!」
「うおっと!? なんでしょう!?」
急ブレーキをかけたことで躓きそうになっている羌象を見て申し訳ないと思いながらも,俺は追加の内容を伝えた。
「敵からの逆襲への備えを講じつつ,こっちの旗はなるべく本陣に集めさせてくれ!」
「……? わかりました!」
そう言って今度は止まることなく走り去っていく羌象の背を見送っていると,なにやら目を輝かせた左慈が近寄ってきた。
「敵からの逆襲に備えさせたということは……行かれるのですな?」
「ああ,やはり挨拶は大事だからな。どのような状況においても先手を譲らないのが我ら麃公軍の戦だ。それに,愛馬の望みに応えてやるのも飼い主の務めというやつだ」
……誠に不本意ながらな。
俺がそう思いつつも飛燕を撫でると,ムフーッと鼻息で応えてくる。
「では,手始めの獲物はどちらに?」
「無論,旗も掲げぬ無礼な敵左翼よ」
左慈からの問いに,俺は即答する。
先ほど満羽を敵右翼に張り付かせるよう命じた時点で,これは決まっていたようなものだ。
何より,敵左翼の将の顔を拝んでおきたいからな。
「左慈,お前も飛燕同様に鬱憤がたまっていよう。此度の戦の先駆けにしてもいいぞ?」
俺は言外に敵からの抵抗が強い面倒な役目を代わりにやってくれという想いを込めてそう伝えたが,その返答は案の定というか期待外れのものだった。
「ハッハッハ! ご冗談を。戦の華である一番槍の役を殿から掠め取ろうと考えるほど,この左慈は強欲ではありませんぞ」
それを聞いた周りの兵たちも笑い声を上げている。
……いや,こういう時こそ強欲であれよッ!
俺はお前らのやる気スイッチがどこに付いとるのか,てんでわからんぞ!
俺は内心でそう叫んで辟易しながらも,周囲の笑い声が収まるのを見計らって拳を天に突き上げた。
「敵の新顔に麃家の戦の作法を叩きこんでくれるッ! 気張れよお前らァッ!!!」
「「「おうッ!!!」」」
一糸乱れぬその声とともに皆の気配が切り替わるのを確認し,俺は手綱を握る手に力を籠める。
「出るぞッ! 敵軍の真正面から風穴を開けてやれェェェッ!!!!!」
「「「オオオオオオォ!!!!!」」」
俺が叫びながら駆けだしたのと同時に,それぞれが思い思いに雄たけびを上げながら,俺に続くように前方の急斜面を駆け下りていった。
~~夜郎軍左翼~~
「……ん?」
夜郎軍で初めにその違和感を感じ取ったのは,夜郎軍左翼を率いる将として自軍の後方から自軍全体を視界に捉えていた戎翟公ワテギであった。
彼は遂に姿を現した秦軍に対して先制して攻撃を加えるべく急いで行っていた軍内の隊の配置換えを終えようとしていたところであった。
実は,確かに夜郎側はある程度早い段階で麃然率いる秦軍の別動軍の動きを把握していたものの,その進軍の速さは彼らの予想を大きく超えていたのである。
この点に関しては,麃家水軍を束ねる青忠の巧みな指揮と,梟鳴族らによる的確な先導が大いに効果を発揮したと言えるだろう。
しかし,夜郎側もある程度の誤差は織り込み済みであり,決定的な準備の遅れに繋がることはなかった。
そして,今回の戦で最も多い兵数を抱えていることで開戦の狼煙を上げる役割を任されていたワテギだったからこそ,いち早く敵の接近に気が付き,対応することが出来た。
「左前方に敵だッ! 周囲の隊を前方に押し出し壁を作れェ!!」
その命令は,彼らの陣容が整っていたことにより速やかに前線に届けられ,敵の到着より前に防御の体制を構築することが出来た。
その様子を見ていたワテギは,隣にいた側近に対して静かに問いかけた。
「……"ブダイ",お前にはあの敵がどのように見える?」
「ハッ,乱れのない隊列を見るにかなりの練度を誇るでしょうが,数は千騎を少し超えるかどうかと言ったところ……恐らく,敵軍が配置に着くまでの間に少しでもこちらの足止めを行うことを目的とした牽制の部隊かと」
「そうか……儂には,あわよくばこちらの芯を貫こうとする鋭利な嚆矢に見えるがな」
ワテギは麃公軍,そして勿論のこと麃然軍との交戦経験はない。
しかし,秦国を見る眼差しに警戒の色が混じる人間であれば,その名を聞いたことがないものなどいない。
曰く,僅か一日で万の軍を正面から斬り尽くした。
曰く,一兵卒に至るまで鬼人の如き強さを誇る。
曰く,将たちは血を被るごとにその武を増す。
曰く————
ワテギは,この南方での生活の間もその脅威を忘れたことはなかった。
「……"ノコ"隊を後詰に送れ。あの敵は突き抜けてくるぞ」
「なんと! しかし……いえ,仰せのままに」
そう言って離れていくブダイを視界から外し,再び前線へ視線を戻す。
そこでは,遂に敵の巻き上げる砂ぼこりがワテギ軍に覆いかぶさろうとしていた。
坂を駆け下りてから一直線に夜郎軍左翼に向かった麃然率いる騎馬隊は,大将である麃然を先頭に縦陣を組みながら敵の先頭に迫った。
そして,ワテギが嚆矢に例えた麃然の先駆けであったが,その初撃は矢に例えるには余りにも似つかわしくない——
「バハァァァッッ!!!!!」
——特大の衝撃を伴った一振りであった。
その麃然の一撃を足掛かりとして,彼に続く兵たちも一度空いた傷口を食い破るように敵中に侵入し,ワテギ軍の奥深くに入り込んでいった。
しかし,敵中に深く食い込むことは,それだけ危険を伴っており,騎馬の弱点を大きく晒すことにもなる。
その弱点とは側面からの攻撃に対する脆弱性であり,騎兵は歩兵と比較すると小回りが利かないため,その弱点を突かれればそのまま敵中で孤立する危険性を孕んでいた。
そのため,騎馬突撃においては敵中からの離脱のタイミングが非常に重要である。
さらに,麃然は敵中への侵入後に予想以上に敵による隊列修復が早かったことから敵軍の能力を高く評価し始めており,軍を率いる敵将を確認できていないにも関わらず,余裕を持った離脱を図ろうと考えていた。
「最後尾まで入ったか……よし,このまま右に旋回して分断した敵兵をまとめて引き剥がすぞ!」
「ハハァッ!!!」
ちょうど疲労も溜まり始めていた麃然の一言を受け,その後ろに続く騎兵たちも流れるような動きで旋回を始める。
——しかし,ワテギに送り込まれ,遂に侵入者を射程に捉えたノコ隊はその隙を見逃さなかった。
「今だッ! 敵の土手っ腹を狙い穿てッ! 奴らを生きて返すなァッ!!!」
その声とともに攻撃を繰り出したノコ隊は,無防備な麃然軍の騎馬隊に堂々と襲い掛かった。
敵中での旋回は弱点である側面を向ける方向を増やしてしまうため,最も反撃を受けやすい瞬間の一つであるからだ。
そして…………そんなことは麃然も当然のように承知している!
「左慈ィッ!!!!!」
旋回後に後方を確認すらせずに叫んだ麃然の声に呼応し,最後尾付近から圧倒的なまでの暴力の気配を纏った男が進撃を開始する。
——シュパパパパパパッッ!!!!!
その発生源は'麃家の人斬り長'の異名を持つ左慈であり,彼は味方の隊列を覆い隠すように前進しつつ,側にいたワテギ軍の兵を切り裂きながら,麃然のいる方向へと狙いを定めていたノコ隊へと迫った。
「ッ……! 右方から来るぞッ! 敵の脅威を将軍格と想定し,数人がかりで囲い込めッ!!!」
ノコ隊も素早く迎撃に移ったが,速度を重視して少数でやってきたことが仇となり,ほどなくして隊長であるノコのもとまで左慈の接近を許してしまう。
そして——
「俺を舐め過ぎだ……フンッ!!!」
「カ……ハッ……」
抵抗空しく,ノコは左慈の一刀で切り伏せられた。
しかし,ノコ隊の踏ん張りのおかげでその間の左慈による被害は大幅に食い止められていた。
とはいえ,ノコの脱落を契機としてワテギ軍の混乱が拡大したことで,侵入してきた麃然たちへの追撃は中途半端なものとなってしまう。
その後,麃然は引き剥がした敵軍を存分にすり潰した後に悠々と自軍の元へ帰還することに成功する。
ワテギ率いる夜郎軍左翼は,致命的な被害を受けることは避けられたものの,緒戦からいきなり数千の兵を失うという大損害を被ってしまったのであった。
まさか前回の投稿から1年近く空くとは……作者も驚いております。
今話は,キングダムの第6シリーズが始まるなぁ……と思っていたらいつの間にか出来上がっておりました!
新しいゲームアプリなども出ましたし,作者のキングダム熱も高まっております!
それではまた!('ω')ノシ