~呉慶視点~
「抜かったか……」
我は滎陽城に向けて進軍する最中,自身が乗る特殊な馬車の上でそう呟いた。
秦の城を奇襲して陥落させることによって秦軍に混乱をもたらし,戦の主導権をこちらが握るという当初の作戦は,我々が攻めた丸城が予想以上に強固だったことで失敗に終わった。
こちらが撤退する際は兵数の差によって追撃はなかったが,城攻めによる兵の損害は少しばかり痛手である。
加えて,秦軍は本来であれば攻める側であるはずにもかかわらず,明らかに守城戦の備えがなされていた。
……恐らくこちらの動きは敵に読まれていた,もしくはどこからか漏れていたとしか思えない。
もし後者であった場合,これ以上の漏洩は阻止せねばならん。念のために兵の一部を内側への警戒に回すことにするか。
情報戦では後手に回ってしまったやもしれんな……。
……だが,この作戦が失敗したところで致命的な後れを取るわけではない。
籠城という手段を取らぬと決めた我らにとって現在重要なのは,今回の戦場となる蛇甘平原の要所を先に抑え,有利な形で秦軍と対峙することである。
今回の副将を務める晶仙と太呂慈の2人には我が軍の将をそれぞれ付けた上で我の帰還を待たずに動くことを許可しているので,出し抜かれることはなかろう。
そう思っていたが――
「呉慶様,これは……!」
「……」
戦場に到着したと同時に,我が幼き頃より仕えてくれており,今も側に控えているじィが発した驚愕の声は我が軍の兵たちの内心を代弁したものでもあっただろう。
滎陽への帰還後に城兵を吸収して蛇甘平原に急行した我らの目に飛び込んできたのは,先行したこちらの両将の軍と睨みあう"麃"と"紫"の旗を掲げた秦軍だったのだ。
さらにこの地の要所である丘……それぞれを結ぶとこちらに三角形の頂点が出来る3つの内の1つ,晶仙率いる右軍の前にある丘の上ではこちらのものではない,青く縁取った"麃"の旗が揺れていた。
馬鹿な……敵の動きが速すぎる。
そう思いながらも務めて冷静を装いながら,我の軍もこちらに最も近い丘に布陣するように指示を飛ばす。
そのまま我らが丘の上に登り終えた直後,敵軍の後方から砂煙が上がったかと思えば,今度は赤く縁取った"麃"の旗を掲げた軍が戦場に到着した。
たしかあれは秦軍総大将である麃公の旗……となると本軍か。そう考えると残りの2つは報告にあった奴の副将である麃然と紫詠のものだろう。
これまでの経過についてはこちらの両翼からの詳しい報告を待つほかないため,今は目の前の侵略者どもを潰す策を練ることにしよう。
いずれにせよこれであちらの軍も出揃ったというわけか……事前の情報によると今回の敵軍の総数は約15万でありこちらとほぼ同数だが,この呉慶の敵ではないわ!
近づいてくる敵の本軍を眼下に捉えながら,我は決意の炎を漲らせる。
「薄汚い侵略者が我が魏の地を踏むことは断じて許さぬ!」
~晶仙視点~
「晶仙様! 兵の混乱も完全に収まりました!」
「うむ。本陣への伝令は?」
「すでに発っております!」
「ならば良い……しかし丘を取られたか」
そう言って視線を側近の男から前方の丘に移す。
我が軍の前にそびえるその丘の頂上には,現在は忌まわしき敵軍の旗が立っており,既に兵の展開も形になっている。
これにより,この地を奪い取る難易度は格段に上がったと言えるだろう。
すると,同じように丘を見上げていた側近の男が悔しそうに言う。
「くっ……! 敵襲による足止めがなければ……!」
確かにこの者の言うように,我が軍は先ほどまで行われていた敵の小部隊による執拗なまでの襲撃を受けて疲弊していた。
加えてこの敵がかなりの手練れで,こちらの将にも無視できない被害を与えていたのだ。
藁の衣装で統一された襲撃者たちは,その手際の良さや引き時の見極めの良さから見て,こういった働きに慣れているように感じられた。
厄介なのは,襲撃者たちが数度に渡って襲撃を仕掛けてきたことによって,常に警戒しながらの行軍を行わざるを得なくなったことだ。
これによって我が軍の進軍は大幅に遅れることとなり,敵による丘の占拠という醜態を晒すことになってしまった。
それにしても,我が軍の将たちは少しばかり焦りすぎだと感じる。
「そのように声を荒げるでない。今の我々がすべきことは2度目の襲撃を許さぬように体制を築くこと,そして目の前の敵を如何に退けるか考えることだけだ」
「は,はい!」
まだ戦は始まったばかりなのだが,近頃はこのように出し抜かれることも減ったためか,部下たちの中にも驕りがあったのだろう。
上に立つ者の動揺は兵たちにも伝播する。ゆえに如何なる状況であっても我らは泰然として構えていなくてはならんのだ。
「丘の上の敵の数はいかほどだ?」
「はっ! 高所ですので正確にはわかりかねますが,旗の数も考えるとおよそ5万程かと思われます」
5万か……それにここより左方に展開する2つの敵軍も同程度の規模であろうから,敵は兵を完全に3つにわけたと考えて良さそうだな。
そうなると,それぞれの戦場が主戦場たり得るか……ならば我らも動いていかねばな。
「前にいる"馬介"に使いを送れ。先陣を任せるゆえ目の前の敵がどれほどのものか確かめて来いとな……」
「はっ!」
そう答えてから伝令に指示を出している部下の様子を見ながら,私は手に持った扇を自分の顔の前に添えた。
そしてそのまま考えるように目を瞑りながら,この戦の前に同じ魏火龍の輩である霊凰から聞いた話を思い返していた。
・
・
私が王都である"大梁"に召還されたことを知った霊凰は,話があると言って私を呼び出すと,不思議なことを話し始めたのだ。
「……何? 麃公軍との戦い方だと?」
「その通りだ。お前たちは普段は北の戦場ばかりを渡り歩いてるから教えてやろうと思ったのだ」
私はこの霊凰と特段親しいというわけではない。むしろ,他の魏火龍も交えて政治的に対立することも少なくない犬猿の仲と言える。
ただ,今回攻めてきた秦軍の総大将である麃公という将……話には聞いたことがあるが,我が軍が実際に戦ったことはない。
ゆえに少し考えることもあり,付き合ってやったに過ぎない。
「ふむ。聞こうではないか」
敵を知ることは非常に重要なことであるからな。
「まぁ,そうは言うが何も特別なことではない。奴らとの戦いで大切なのは負けぬ戦いをすることだ」
「は?」
……仮にも列国から"大軍師"と呼ばれる男が何を当たり前のことを言っているのだ。
「……何を当たり前のことをと思っているかもしれないが,奴らと戦う上で最も大切なのは序盤で一息に崩されないことだ」
「……詳しく聞こうか」
「いいだろう。まず言っておくが,奴らの武はお前が想像しているよりも遥かに脅威だと考えた方が良い。頭である麃公の下にいる四獣たちの軍でさえ,我ら魏火龍の精鋭といえども真面にぶつかれば粉砕されること請け合いだ」
俄には信じがたいことだ。霊凰のところにも狂戦士と呼ばれる"乱美迫"という猛将がいるが,奴も武力に限れば魏火龍の列に並び得るものを持つと聞く。
それだけの戦力を携えていながら,武力において敵方の副将にすら劣るなどとは冗談が過ぎる。
……それは霊凰の指揮に問題があるのではないだろうか?
私がそう疑念を抱いている間にも霊凰の話は続く。
「ただ,奴らの体力も無限ではない……侵攻軍なら尚更だ。序盤を守りに徹して乗り越えることが出来れば打てる手は増えてくる……とは言うが,奴らを殲滅しようなどとは考えるな。実際に魏国はここ何年間も秦国相手に大規模な攻勢を仕掛けていないが,それによって致命的な大敗を避けることが出来ているのだ」
こやつ……自身の無能を晒すだけでは飽き足らず,この偉大なる魏国を侮辱するとは……!
「まぁ言うまでもないことだが――」
・
・
……そこまで思い出したところで,その先へ続く前に私は目を開けた。
これ以上は思い出すだけで腹が立つ。戦場で感情を乱すなどという愚かなことはすべきではない。
私がそう考えていると,人影が近づいてきた。
「晶仙様。是非ともこの私も丘攻めに加えて頂きたく」
「"宮元"か……」
この者は呉慶の軍に所属している将で,彼の軍との連携を強化するためにと派遣されてきた男である。
「……そなたは軍師ではなかったか?」
「ご心配召されるな。私もかつては呉慶様と共に前線を荒らした武人ですぞ」
そう語る宮元の目からは確かな自信が伺えた。
それに確か宮元の下には,この中華でも名うての弓使いが得ることの出来る称号である"中華十弓"に名を連ねている"黄離弦"という者もいたはずだ。
「ふむ,良いだろう。呉慶にそなたの死を伝えることにならぬよう祈っておるぞ」
「はっ! お任せくだされ」
そう言って離れていく宮元の背を見送ると,改めて目の前の丘に立つ旗に目を移した。
「さて,その手並みを拝見させてもらうとしようか,四獣麃然とやらよ……」
~紫詠視点~
「丘は取られてしまったか……」
俺たちの軍が蛇甘平原に到着した時には既にこの軍が目標としていた丘には魏軍が陣取っていたため,俺たちは仕方なく丘のふもとで軍を整えているところであった。
かなり急いだため,古参の兵たちはともかくとして今回の戦の為に徴収された農民兵などは疲労が溜まっていたのだ。
俺はとn……いや,麃然様の策の成功を信じて,報告を受けるより前にあらかじめ平原に軍を進めていたのだが,それでも敵の方が少し早かったようだ。
これに関しては流石は魏火龍と言ったところか。
だがこちらの左軍は丘を手に入れているのだ。この結果は純粋に俺の力不足によるものだろう。
本来であれば,いつものように俺が先頭に立って俺の軍だけで敵へ切り込みたいところではあるが,今回はとある事情によりそうもいかないのだ。
とはいえ,今しがた殿の軍勢が到着したのでそろそろ始めても良い頃合いだろう。
俺がそうしたことを考えていると,左目に大きな傷を負った男が馬に乗ったまま隣に並んできた。
「この敵の配置ですと,我らの獲物は太呂慈ということになりそうですな」
「ああ,そうだな"黒剛"……」
俺も目の前の丘に立つ"太"の旗を見つめながらそう返事をする。
この黒剛は,俺がかつて麃然様の軍にいた頃から付き従ってくれている俺の右腕的存在である。
兵を纏める能力は素晴らしいのだが,強いて言えば個人の武力という面では少しばかり不安が残るのが残念なところだ。
ここに来たということは用意が出来たか……。
俺はそう思って後ろをチラと見ると,黒剛が率いる予定の第1陣の兵たちが俺たちの後ろを空けるように左右に展開しており,合図があればすぐにでも目の前の丘に突撃できる体制が整えられているようだった。
そこで俺は前に向き直って黒剛と話を続ける。
「太呂慈の名は俺も以前から聞いていた。魏国ではその剣の腕前で鳴らしている猛将のようだな……。しかしなぜだろうか……あの男に近づくほどに,俺の心が奴をこの手で殺せと叫ぶのだ……」
なぜだ……魏国にいた頃ですら奴と会ったことがないにも拘わらず,どうして奴が近くにいるというだけでこれほどまでに胸が苛立つのだ……!
「……それは武人としての本能でしょうか?」
黒剛がそう聞いてくるが,それすらもわからぬのだ。
俺はその瞬間,なぜかかつて麃然様に見出して頂いた時のことを思い出していた。
・
・
俺はかつて魏国の人間だった。そこでは母の再婚相手である"紫太"という男に嫌われたことで若き頃より戦場で酷使され,どれだけ懸命に働こうともいつも死を願われていた。
だからだろうか……義理の父親から,俺と,もう1人……同じように連れ子として家の中で厄介者扱いされていたことで仲の良かった妹の"季歌"を共に他国へ売るという話を聞いた時も,あまり家族に未練はなかった。
それから,俺たちを買ったという物好きな人物の部下を名乗る者たちが用意した馬車に揺られながら到着したのは,大きな屋敷の前だった。
恐らくは奴隷のような生活をさせられるのだろうが,命が危険な場合は妹だけでも逃がして見せると俺が決意を固めていたところ――
「――お前がそうか!」
そう言って俺の顔を後ろから首の横を通して覗き込んだ男の登場に,驚きで俺の体が固まってしまった。
しかし,俺たちを連れてきた集団が恭しく頭を下げているのを見るに,この随分と大柄な若い男が俺たちを買ったらしいことがわかった。
「ははは! なんだ,そこまで緊張することもないだろう。お前が来てくれたことで寿命が延びた気分だ! 俺は飛ぶように嬉しいぞ! さぁ早く来い! 良い時間だし飯にしよう!」
俺たちは,心底愉快そうに笑うその人物……麃然様に手を引かれて屋敷に連れていかれたのだ。
――そしてそれが,俺の新しい人生の始まりだった。
それからの俺たちの生活は,以前と変わらないようでいて,大きく異なるものだった。
俺は以前と同じように戦場に連れていかれたが,麃然様が所属する麃公軍は厳しくも暖かく,活躍を評価されて仲間から親しみを感じられるような場所だった。
妹の季歌は,俺たちが最初に案内された屋敷で侍女たちと共に以前のように手習いや楽器の稽古などを教わるようになり,そこでは真面目な彼女は随分と可愛がられているようだった。
俺たちは以前のように死なないために生きるのではなく,生きる楽しみを感じることが出来るようになったのだった。
それからの俺は麃然様に少しでも恩を返そうと自分に求められているだろう槍の腕を磨き,戦場でもより苛烈に槍を振るうようになった。
その中で,人を率いることを覚えろと言われて黒剛を側に付けてもらったり,長く苦楽を共にした季歌と祝言を挙げたりなど様々なことがあった。
そうして過ごしていると,いつしか俺の実力が軍内で認められて第四将に任じられて軍を任されるようになっていた。
その際には殿……いや,麃然様の下から離れる寂しさと誇らしさが混ざって年甲斐もなく号泣してしまったものだ。
しかし,麃然様も同じくらい共に泣いて下さり,これほどまでに自分に価値を感じて下さったことに感謝の念が溢れそうだった。
俺は,この秦国で自分の居場所を見つけることが出来たのだ――
・
・
そこで現実に戻ってきた俺は,黒剛の問いに答えようと口を開いた。
「わからぬ……わからぬが,いずれにせよ奴の首を獲るのが俺の役割であることに変わりはない……はずだ……」
昔のことを思い出して少し感傷的になったことで,余計にわからなくなってしまったかもしれない……。
「……此度の戦の一番槍はこの黒剛にお任せを……殿は後の為に力を溜めることに集中して下され」
……流石は俺の右腕だな。
『将ならば敵軍にどうやって勝つか以外に心を囚われてはいけない』……これも殿の教えだったな。
俺はそこで気持ちを完全に切り替えると,黒剛に向かって口を開いた。
「ああー―」
そこまで言ったところで,俺は丘に背を向けて後ろに整列する軍の間を進みだす。
「――任せる」
「黒剛軍! 出るぞォ!!」
「「「うおおおおお!!!」」」
後ろに兵たちの響くような足音を聞きながら,俺は一言だけ呟いた。
「さあ,
一応開戦はしましたよね……ヨシ!
因みに麃然が紫詠離脱で泣いたのは,自分の周りの戦力ダウンも嘆いたガチ泣きです。
次回からはドゴォバキィブラッシャァッッ!!!!……な戦場をお送りできるかと思います!
それではまた!('ω')ノシ