それから僕の人生の中で最も忙しくなった十二月はあっという間に過ぎて行き、クリスマスイブの午後に党本部の最高顧問会議は招集された。政権与党には幹事会やら総務会やら政務調査会やらの色々な会議体が構成されているが、結局は長老支配であり、選挙の仕切りなど重要案件を最終的に決定するのは最高顧問会議である。僕が政権与党本部の会議室に入室すると総理大臣経験者、衆参両議院議長経験者である最高顧問のそうそうたる面々が僕の登場を待っていた。
長机の上座、つまりお誕生席に僕は座り、かなり距離の離れた対面には巨漢の白石権蔵参議院議員が座っている。そして二人の間を隔てている長机には政権与党の長老たちが整然と座っていた。僕が着座するとマスコミの写真撮影が始まり、撮影が一段落するとマスコミ関係者は会議室から出て行った。そして幹事長の開会宣言で会議は始まり、幹事長はまず、僕に振った。僕は座ったまま一礼した。
「高いところから党の代表でもないのに失礼します。既に皆様、ご承知の通り、来月、衆議院は解散し、二月に総選挙が行われることになりました。本日は党として選挙をどのように取り仕切るか、その大枠を最終決定したいと存じます。どうぞよろしくお願い致します。」
僕が殊勝にそう言って一礼すると「白石内閣総理大臣臨時代理!」と図太い声が遠くの対面から聞こえた。
「総理が逝去されてからもう二週間以上が経過してしまいましたが、選挙を目前に控えているというのに党の代表が空席だということが異常だということはご理解いただけますね?」
巨漢の参議院議員が外で待機しているであろう、記者達にも聞こえるような大きな声で言った。公の席なのでしゃべり方も家族モードではない。
「異常かどうかはともかく、客観的な事実は承知しています。」
「では今、ここで直ちに代表就任を受諾していただけませんか?代表選挙はおろか、両院議員総会すら開く必要はないでしょう。次の代表が臨時代理であることは党員の誰もが望むところですから。」
「それは違います。少なくとも僕は望んでいませんから。」
「……失礼しました。では党員の大多数が望むことと言い換えましょう。とにかく、次の代表は白石臨時代理以外考えられません。そして総選挙で大勝して、白石内閣をスタートさせようじゃありませんか。」
巨漢が一気に言うと、左右の長老たちから次々に「異議な~し」という声が発せられた。
「僕のようなものをそこまで評価していただいていることは光栄に思います。しかし、ご期待に添えず申し訳ありませんが僕にはそれを受け入れる意思はありません。ここは我ままを聞いていただきたいのですが。」
「どうかそんな子どもみたいなことを言うのは勘弁していただけませんか?」
「いや、これはどうか聞いていただきたいのです。選挙はあくまでも代表は空席のまま、ですからここにいらっしゃる幹事長が仕切るということになるかと思いますが、代表空席の状態で戦っていただきたいのです。これは高橋総理の遺志でもあるのです。新しい総理は国民に選んでもらいたいと。」
「では、もし特別国会で臨時代理が首班に指名されたのであれば、それを受け止めてはいただけますね?」
「もしそのようなことがあれば……、その運命は甘んじて受け入れましょう。そのときはもちろん、党代表の重責も引き受けます。」
「分かりました。その一言が確認できればそれでよしとしましょう。あえて代表空席のまま選挙に臨んだ方がいいと臨時代理が判断されるのであれば、確かにそれはその通りかもしれません。総理死去の折、同情票も呼び込めるでしょうから。但し、選挙は幹事長ではなく、どうか臨時代理に仕切っていただきたいのですが。」
「分かりました。ただ、一つ条件があるのですが。」
「なんでしょう?」
「鈴木春菜を選挙のキャンペーンガールに起用したいのです。そしてキャンペーンソングは『天使の翼』。」
「鈴木君を?」
「別にハルナでなくてもいいのですが、我が党のキャンペーンソングとして『天使の翼』を使いたいのです。『天使の翼』は白石裕子が中学三年の時に初めて音楽賞を受賞した作品です。僕が作詞したことになっていますが、僕が作ったのはサビの部分の一節だけで、本当は作詞作曲とも白石裕子のものです。そして彼女は、本当に努力した人に天使が微笑むような、そんな世の中を望んでいたのだと思います。それを今回の選挙の、さらには次期政権のテーマとしたいのですが、いかがでしょう?」
僕がそう言うと少し沈黙があったが、長老たちが次々と「異議な~し」と言い、総選挙の方針は決定されていった。
その日は約束通り、いつもよりも早めの帰宅をした。しかし、いかんせん、冬至が過ぎたばかりなので既に日は暮れている。玄関の前に立つと僕がドアを開ける前にドアは開き、仲からサンタクロースの帽子をかぶった娘のユメが出てきた。
「おかえりなさ~い。メリークリスマス!」
「ただいま~!もう帰ってたんだ。」
「うん。絵子ちゃんも一緒だよ。それで、あしたはマコちゃんも一緒に柏崎に行くの。」
そう言うユメを僕は抱き上げた。会うこと自体、久し振りだが、少し重くなった気がする。玄関には絵子ちゃんも立っていて相変わらずはにかんだ表情で僕の方を見ている。中に入ると二人の子供用の靴の他に、見慣れない大人の靴が置かれているのが見えた。男物と女物があり、二人の他にも客人がいるようだ。奥のリビングのドアが開いて、マコちゃんが顔のぞかせた。マコちゃんに会うのも久し振りなのだが、マコちゃんは今までの冷戦が嘘のようになぜかとてもニコニコしている。
「お帰りなさい。もうパーティー始まってるよ。」
「誰か来てるの?」
「うん。また押しかけ女房が来てるよ。さあ、早く来てよ。」
マコちゃんが明るくそう言ったので僕は凍り付いた。明日からマコちゃんはユメと絵子ちゃんを連れて柏崎に行く予定だ。しからばこの家の留守を友美ちゃんに預け、友美ちゃんと僕を二人きりにしようとする段取りなのだろうか。そう言えばハルナからの連絡もあれきりない。見慣れない男物の靴もあったがあれは所属事務所の社長のものだろうか。事務所の野島慎一社長との付き合いは古く、知らない間柄ではない。友美ちゃんが野島社長に相談し、社長自ら出てきたのだろうか。マコちゃんは頭の中が色々な仮説で一杯になっているそんな僕を明るく手招きし、リビングに誘導した。リビングに入ると長い方のソファに男女二人が座っているのが見えた。男性は座ったまま右手を上げ、女性の方は僕が視界に入るや否や立ち上がり、深々と一礼した。
「先生。どうもご無沙汰しています。」
「恵里香ちゃん!帰国してたんだ。」
珍客にビックリすると共に、今この席でマコちゃんと会わせるのは良くないんじゃないかと思う一方、マコちゃんが上機嫌なのも不思議で頭の中が少し混乱した。僕が絶句していると今度は恵里香ちゃんの隣に座っている猿顔の男が口を開いた。
「どうだ。ビックリしただろう。俺が連れてきたんだ。斎藤君から少し相談を受けてね。」
猿顔の男、聡美さんの実兄でノーベル生理学医学賞受賞学者の天才的心臓外科医、黒田潔博士がそう言った。
「スミマセン。状況が全然、飲み込めてないんですけど。そもそも二人はお知り合いなんですか?」
「ああ。実は斎藤君とは同じキャンパスなんだ。まあ医学と政治学で領域は違うけど、結構、近くにいるんだよ。それで君つながりということで親しくなってね。」
「そうですか。それは全然知りませんでした。」
「まあ、俺も君にはご無沙汰だからな。それで彼女から相談を受けて、成田経由だとまたマスコミとかがうるさいといけないんでいつものように米軍機で横田からやってきたよ。まあ密入国みたいなもんだ。」
「そうでしたか。ご連絡いただければ色々と手配もしましたのに。」
「それがそうもいかないんだな。まあ、お忍びで帰国したということだ。」
「何か問題でも抱えているんですか?」
「まあ、まずは彼女が君に頼み事があるようだから彼女の頼みを聞いてやってくれよ。」
博士はそう言うと、マコちゃんに目配せし、マコちゃんはスマートフォンを構えた。写真でも撮るようだ。恵里香ちゃんは僕の前でかしこまり、少し微笑みを浮かべて僕を見た。
「先生。実は先生にお願いがあってまいりました。」
権蔵先生はこの娘を不良呼ばわりしていたがそれはもはや過去の話だ。アメリカ暮らしが長くなった恵里香ちゃんはすっかり更生している。少なくとも外見だけはどこから見ても品行方正なお嬢様だ。
「なんだろう?」
恵里香ちゃんがかしこまったので僕の方もつられてかしこまった。
「急な話なんですけど、あたしのことを先生のお嫁さんにしてほしいんです。」
「はあ?」
いつものことだがまたもや話が急展開だ。
「まだまだ未熟なふつつかものですけど、一生懸命勉強して、頑張りますのでどうかよろしくお願いします。」
恵里香ちゃんはそう言ってペコリと頭を下げたが、僕はスマートフォンを操作しているマコちゃんの方が気になった。
「どういうこと?ってか、マコちゃんは何やってるの?」
「カット~。はいオッケーで~す。」
マコちゃんが明るく言った。
「どうなってるの?さっぱり分からないんだけど。」
「まあ、斎藤君が君に結婚を申し込んだということだ。それは事実で間違いないよね。俺も君の妹さんも証人だ。」
「証人だけじゃないよ。動画も撮っちゃったからね。動かぬ証拠だね。」
博士に続いてマコちゃんが言った。僕はますます分からなくなった。
「彼女のじいさんに何か言われているんじゃないのか?」
僕がキョトンとしていると博士が言った。
「はあ。」
「じいさんは君と彼女をくっつけようとしているな?」
「ええ。本人から直接は聞いていませんけど、恵里香ちゃんを帰国させる予定だということは聞いていますし、週刊誌のネタにもなってますし。」
「それで、先生に一つお願いがあるんです。」
今度は恵里香ちゃんが言った。
「お願い?」
僕はそう言って隣に座ったマコちゃんと目を合わせた。マコちゃんはニッコリ笑ってうなずいた。
「あたし、実はもう将来を約束した人がいるんです。」
「そうだ。俺も何度も会ってるんだがこれがいい男なんだ。ハッキリ言って石水君よりもはるかにいい男だよ」
恵里香ちゃんに続けて博士が僕の旧姓を呼んだ。
「ああ、そうだったんだ。」
僕はそう言って改めてマコちゃんを見た。
「ねえ。いい話でしょ?それでここからがお願いなんだなあ。」
マコちゃんはそう言って恵里香ちゃんに振った。
「おじいちゃんは先生と私をくっつけようとしています。それで、あたしもその気があるようなフリをしています。それで今回もクリスマス休暇を利用して帰国したんです。」
「うん。」
「おじいちゃんにはアメリカの大学は中退して、すぐに先生の秘書になるように言われています。それにはいい返事をしています。ここで本当のことを言うとおじいちゃん本気でつぶしにかかるでしょうから。ですから先生がそれとなくあたしの秘書就任を断って欲しいんです。『大学院を出てからでも遅くない』とか言っていただいて。」
なんだか言うことが巨漢の参議院議員と似てきた。
「まあ、そういう事情なら僕のことは利用してもらって構わないけど。」
構うはずはない。僕には最初からそんな気はないのだ。マコちゃんが上機嫌な理由も理解できてきた。
「でね、今、聡美ちゃんも呼んでるの。クリスマスプレゼントにお兄さんをプレゼントしようと思ってね。聡美ちゃん、お兄さんのこと大好きだから。それで、恵里香ちゃんが極秘に帰国してお兄ちゃんに会ってることも聡美ちゃんの知るところになるんだけど、恵里香ちゃんはあくまでもお兄ちゃんに気があるように振る舞うの。そうすれば内緒っていっても聡美ちゃんもマスコミの人だから誰かにばらさざるを得ないでしょ。そうすると話に真実味が出てくるじゃない。」
マコちゃんが言った。なんだか権蔵先生と展開が逆になってきてややこしい。まあ、僕が恵里香ちゃんと結婚しないという文脈は共通しているのでそれほど難しくはないのだが。
そんな話をしているうちに聡美さんもやって来て白石家の豪華なクリスマスパーティーとなった。聡美さんは愛するお兄さんのまさかの帰国に落涙していた。あしたは小学校の終業式だということでパーティーは早目のお開きとなり、博士は聡美さんのマンションに宿泊するということで、二人で帰っていった。恵里香ちゃんはマコちゃんと同じ部屋で寝ることとなり、ユメは久し振りに僕のベッドで、絵子ちゃんはその隣のチャコのベッドで寝ることとなった。久し振りに早目の帰宅をした僕はユメを寝かしつけながらあっという間に眠ってしまった。
次の日、目が覚めると僕のベッドで一緒に寝ていたはずのユメや隣のベッドで寝ていた絵子ちゃんの姿は既になく、階下が騒がしかった。階段を下りていく途中でダイニングから出てきたマコちゃんと顔を合わせた。ニコニコが復活している。
「あっお兄ちゃんおはよ~。今日の朝ご飯はリビングだからね。もう、みんな起きてるよ。」
マコちゃんはそう言ってリビングの扉を開けた。リビングでは恵里香ちゃんとユメ、絵子ちゃんがソファに座ってテレビを見ていた。
「は~い、小学生は料理をキッチンから運んで~。」
マコちゃんがそう言うとユメと絵子ちゃんは「は~い」と言って、リビングを出て行った。僕は恵里香ちゃんの対面のソファに腰掛けた。恵里香ちゃんはソファに座ったまま「おはようございます」と言ってしおらしく頭を下げた。
「おはよう。よく眠れたかな?」
「いいえ。まったく眠っていません。徹夜です。徹夜でマコちゃんとおしゃべりしてましたから。」
「そうなんだ。じゃあ、マコちゃんも徹夜なんだね?」
「はい。マコちゃん、今日はこれから柏崎に行くんですよね?」
「ああ、その予定だけど。」
「バスの中で爆睡するって言ってました。あたしも、今日、アメリカに帰りますけど、飛行機の中で爆睡します。」
「斎藤先生には会わないのかな?」
「会うとまた面倒ですから。今回の帰国はあくまでもお忍びということにします。あたしが先生にプロポーズした動画はもうマコちゃんからもらってるし、アメリカに戻ったら、メールに添付しておじいちゃんに送ります。それでしばらくおじいちゃんは大丈夫だと思います。まあ、おじいちゃんも選挙でそれどころじゃないでしょうし。」
「もう帰るんだ?」
「はい。朝一で黒田先生が迎えに来てくれると思いますので、そのまま横田に向かうと思います。」
そこまで言うと恵里香ちゃんは突然前かがみになり、僕の方に顔を近付けた。
「ねえ先生。」
「ん?」
「ここだけの話ですけど、マコちゃん、先生のこと待ってますよ。」
「はあ?」
「まあ、先生は相変わらず鈍感だから女の子の気持ちなんて分からないのかもしれないけど、でも、マコちゃんの気持ち分かってあげてくださいね。」
恵里香ちゃんがそう言うと、料理を持った二人の小学生がリビングに入ってきてテーブルに並べ始め、マコちゃんも登場して朝食が始まった。
それから聡美さんに連れられてやってきた博士は恵里香ちゃんと合流し、横田経由でアメリカへと帰っていき、マコちゃんと子どもたちは学校経由で柏崎に出発した。
その日の午後、僕は多忙な公務の間を抜け、ハルナの所属した野島音楽事務所の創立三十周年記念クリスマスパーティーに参加した。パーティーには友美ちゃんも参加するはずで、友美ちゃんとのことが何か進展するのではないか、そんな思いが僕にはあった。
SPの物々しい警備に守られながら僕はパーティー会場に入った。既にパーティーが始まっている会場では、僕の到着があるいはアナウンスされたのだろう、大きな拍手と歓声で僕は迎えられた。
「やあ、啓ちゃん。よく来てくれたね。ありがとう。」
マコちゃんとハルナがかつて所属したスーパーアイドルグループ、「チーム」の総監督を務めた野島音楽事務所の野島真一社長は相変わらずのキザないでたちで僕に握手を求め、僕もその求めに応じて右手を握った。本人に直接会うのは久し振りだ。多くは芸能記者なのだろう、マスコミが二人を取り囲み、盛んにフラッシュが光った。
「創立三十周年おめでとうございます。遅れてすみませんでした。」
「何言ってるんだよ。来てくれただけでも本当に感謝してるよ。……それで、お願いがあるんだけど。」
「はあ。」
「一緒に写真を撮ってもらってもいいかな?」
「はあ。構いませんが。」
僕がそう言うとキザ男は近くの若いスタッフに「ハルナと友美呼んで」と言った。しばらくすると場内に「鈴木春菜さん、越後屋友美さん、社長がお呼びですので正面ステージ脇にお越しください」と場内アナウンスが流れた。
「マコちゃんは一緒じゃないんだ。」
「ええ。残念ですけど。マコちゃんは今朝、柏崎に出発しました。」
「そっか。チームの同窓会もあるからマコちゃんにはぜひ来て欲しかったけど、選挙も近いし、そうもいかないんだろうな。」
そんな会話を交わしているとパーティードレスに身を包んだハルナと友美ちゃんがやってきた。さすがはスーパーモデルだけあって二人とも光り輝いている。友美ちゃんと会うのも久し振りで、「こんにちは」と普通に言われたので、僕も普通に「こんにちは」と返した。
「じゃあ、啓ちゃん、四人で並んでもらえるかな。」
キザ男がそう言い、「三十周年記念パーティー」の横断幕をバックに、左から友美ちゃん、キザ男、僕、ハルナの順に横一列に並び、プロのカメラマンが色々と注文を付けて何枚か撮った。その後ろでは多くの芸能記者が盛んにシャッターを切っていた。そのうちカメラマンが「はい、オッケーで~す」と言って、撮影タイムは終了した。
「この写真、広島のおやじとおふくろに送らせてもらうよ。」
キザ男がポツリと言った。ハルナがバンケットホステスからウーロン茶のグラスをもらい、僕に手渡す。
「はあ。」
「おやじとおふくろは二人とも音楽教師でね。」
「ああ、そうだったんですか。」
「それで、一人っ子だった僕は分不相応に期待されたんだ。地元で一番有名な音楽教室に通わされてさ。小学校の頃からコンクールとかで優勝して、神童とか言われたよ。」
「はい。」
「でも僕の音楽に対する興味はいつしかクラッシックからポップスの方に移ってしまってね。もちろん親はそんなこと認めないから早々に勘当されてしまった。」
「そんなこと存じませんでした。」
「話もしなかったからね。地元でも忘れられていたんだけど、啓ちゃんのお蔭で地元の三次市じゃ僕が一番の有名人になれた。それでこないだ名誉市民にもしてもらったよ。親子の間にあったわだかまりも完全になくなった。」
「それはおめでとうございます。」
「今じゃ自慢の息子だよ。不思議なもんだけど、これも啓ちゃんのお蔭だよ。芸大を中退して、この世界入って、もうダメかなって思ったことも何度もある。ここに来てようやく親孝行できたよ。」
「社長!いつまでそんな昔話してるんですか?社長は今日のホストなんですから、他のゲストの方ともお話ししていただかないと。」
キザ男がしんみり話しているとその長話を制するようにハルナが二人の間に入った。
「いや、そうかもしれないけど啓ちゃんは別格だろ?」
「白石先生は私がご案内しますから、社長は他のゲストの方の接待に回ってください。」
「そうか。じゃあ……よろしく。…じゃあ、啓ちゃん。また後で。」
キザ男はそう言ってニッコリ微笑むと、他のゲストの方へと歩を向けた。三人が残された。僕はハルナを見てから友美ちゃんを見た。
「先生。」
友美ちゃんはそう言って僕の前に進み出た。ハルナがその横から友美ちゃんと僕を見つめている。
「先日はどうも申し訳ありませんでした。私が間違ってました。私、……先生のこと諦めます。」
「友美ちゃん。」
「ハルナと久し振りに長い時間話し合いました。ハルナと話してみて、本当の自分が分かりました。私は先生のことを利用しようとしていただけでした。もう一度、等身大の自分に戻ります。」
「友美ちゃんはそれでいいの?」
「それがいいです。…それで……先生。……最後に一つお願いがあるんですけど、いいですか?」
ハルナがすかさず「友美!」と言ってたしなめたが、そんなハルナを僕は右手で制した。
「いいよ。なんでも言ってごらん。」
「私をプロデュースして欲しいんです。ハルナみたいにはなれないと思いますけど、一度でいいです。私も先生にプロデュースされてみたいんです。」
そう言って友美ちゃんはハルナをチラッと見た。僕はハルナと顔を合わせた。ハルナは困った表情を見せた。そんなハルナが少しほほえましくも見える。僕は少し考える振りをした。
「……いいよ。マコちゃんとも相談して売り出す方法を考えるよ。細かいことは僕に任せてもらっていいよね?」
僕がそう言うと友美ちゃんにも笑顔が出た。
「はい。よろしくお願いします。一生懸命頑張ります。」
友美ちゃんはそう言ってしおらしく一礼した。
年が明けた元日の朝、僕は首相官邸の執務室にいた。お正月といっても官邸は喪中なのでどことなく寂しい。マコちゃんは二人の小学生を連れて柏崎に行っている。一方、僕は、臨時代理内閣は総辞職したものの、引き続き七十一条内閣、すなわち次の内閣ができるまでのつなぎの内閣の首班として執務をこなしている。それなりの正月行事はあるが、やはり世間は正月であり、普段に比べれば忙しくはない。
僕が執務室に一人でいると不意にインターフォンが鳴った。入り口のところにいる秘書からだ。
「はい。」
「スミマセン。黒田記者が急遽、面会したいと申し出ておいでなのですが…」
女性秘書の声が聞こえたかと思うとドアがノックされ、「失礼します」と言って聡美さんが入室してきた。手に何か紙切れを持ったまま一直線に僕の目の前まで来た。
「石水君、これはどういうことなの?」
まだ朝の早い時間ではあったが、聡美さんは「おはよう」と言うでもなく、左手に持った紙切れを右手で叩きながら言った。新聞広告の切り抜きのようだ。
「聡美さん。日本の伝統的な新年のあいさつは『あけましておめでとうございます』だと思うけど。」
「はいはい。新年あけましておめでとうございます。でも官邸は喪中でしょ。」
「ついでにいうと僕の家も喪中だよ。」
「……そういうつもりじゃないんだけど。で、どういうことなの?」
「どういうことって?」
そう言って僕は紙切れを覗きこんだ。紙切れは新聞広告の草稿のようで、大きな活字で「斎藤元総理孫娘ファーストレディー本命に急浮上」と書いてあり、恵里香ちゃんと僕、そしてやや小さめに斎藤先生の写真が載せられてあった。恵里香ちゃんは高校一年生の時、通っていたチャコの母校でもあるお嬢様学校で人質立てこもり事件があった際に、自身も人質の一人となっていたのだが、「自分は前首相の孫だから解放されるのは一番最後だ」と言って最後まで人質として残っていたことがあり、その英雄的行為により紅授褒章を受章している。当時アイドル絶頂期にあったハルナの妹弟子だということとも相まって時の人となり、割と有名人だ。その顔写真がマスコミに出てくること、それ自体はそれほど不自然な話ではない。
「局の上層部が記事のゲラを取り寄せてるんだけど、この前、石水君の家に恵里香さんとお兄ちゃんが来てたことも載ってて、私もいたことになってる。どうしてこうなるの?あれは内緒ってことじゃなかったの?」
「どうしたんだよ。随分、興奮してるけど。聡美さんらしくないよ。まずは深呼吸して。」
「ごめんなさい。上の方に急にこのゲラ見せられて、怒られたのよ。『なんでお前が他社にすっぱ抜かれるんだ』って。」
「そっか。社内で気まずくなってるんだね。」
「まあ、そういうこと。」
「その記事は、斎藤先生がその週刊誌を出している出版社にお金を出して書かせてるんだよ。そうやって外堀を固めてるのさ。」
「この前の恵里香さんもそうだったけど、白石最高顧問も恵里香さんとのことを前向きにとらえているようだけど。」
「しょうがないよ。裕ちゃんのときも、チャコのときもそうだったけど、僕は自分の意思で配偶者を選択することができない運命にあるんだ。だから流れに身を任せるだけだよ。」
「石水君はそれでいいの?」
「いいのって?」
「だから、その~、……本命はマコちゃんじゃないの?」
「だから僕には決められないんだよ。」
「ここだけの話だけど、マコちゃん、石水君のこと待ってるよ。」
「えっ?」
「同じこと二回も言わせないでね。」
「分かったよ。……それで、僕はどうすればいいの?」
「何かしてくれるの?」
「じゃあ、こういうのはどうだろう。今ここで僕が聡美さんにプロポーズするよ。」
「はあ?何言ってるの?」
「それで明日の一面トップを飾ればいいじゃない。そうすれば聡美さんの局の系列の新聞社のスクープだよ。」
「何バカなこと言ってるの。……そんなことできるわけないじゃない。どうせ嘘でしょ?」
「でも、その記事も所詮は憶測記事だよ。僕は取材を受けていないし、聡美さんも取材を受けたわけじゃないでしょ?」
「それはそうだけど。」
「でも、ここで僕が聡美さんにプロポーズしてしまえばそれは完全な事実だよ。」
「でも冗談てか、嘘でしょ?」
「たとえジョークにしても、その週刊誌のすっぱ抜きを潰すくらいはできるんじゃない?」
「……そうだね。石水君も言うようになったね。」
「聡美さんは結婚しないの?」
「いい男がいないのよ。」
「でも言い寄ってくる男はいっぱいいるんでしょ?」
「まあね。石水君には謙遜しなくてもいいよね。古い付き合いだし。」
「今まで何人くらい振ったの?」
「まあ百人に満たないくらいかな。」
「おお。言うね。まあ実際そんなところなんだろうけど。」
「振られたのは一回だけ。」
「へ~、聡美さんのことを振る男なんているんだ。」
「何言ってんの。それは石水君でしょ?」
「はあ?全然、記憶にないんですけど。」
「今からちょうど、十五年くらい前かな?私が社会人一年生だった時だから十四年前か。石水君のアパートでお兄ちゃんと裕ちゃんと四人で忘年会やったことあったよね?」
「ああ、あったね。」
「あの時、お兄ちゃんと裕ちゃんはさっさと酔っぱらって寝ちゃって、私と石水君と二人だけの時間があったじゃない?」
「うん。」
「あのとき、私、裕ちゃんの代わりをやってもいいって言ったけど、石水君に断られたの。自慢じゃないけど、まあ、自慢なんだけど、私の人生で男の人に断られたのはあの時一回だけだよ。」
「だってあの時は、別に聡美さん、僕に興味があったわけじゃないでしょ?」
「興味はあったよ。なんで裕ちゃん、石水君を選んだのかな?っていう思いはあった。少なくともこの人とちょっと付き合ってみてもいいかなとは思ったよ。」
「でもあの頃の僕はダッサダサだったでしょ?まあ今もあんまり変わらないけど。」
「私くらいになるともう男を外見では選ばなくなるの。別にこっちからアプローチしなくてもカッコいいスポーツ選手とか寄ってくるからね。それに私にはあの頃の石水君、結構、カッコ良く見えたかも。でも不思議だね。あの時の二人が今や一人はノーベル賞受賞学者、もう一人は内閣総理大臣になる。」
「博士はともかく、僕はたまたまだよ。」
「ありがとう。随分、落ち着いた。今日のことは、上司には報告させていただきます。別に内緒でなくていいよね。」
「まあ適当にやってよ。」
「今の会話はボイスレコーダーに録音させていただきました。上司に聞かせて判断するね。じゃあ。」
聡美さんはそう言ってICレコーダーのようなものを上着の外ポケットからチラッと見せると、足早に部屋を出て行った。
それから一週間が経過した一月七日の夜、寝る仕度を済ませた僕が自宅一階のスタジオ兼書斎で楽譜達とにらめっこをしていると突然ドアが開き、マコちゃんが顔をのぞかせた。家は無人のはずだったのでかなりビックリした。
「ただいま~」
マコちゃんはニッコリ笑った、いつもの妹モードだった。
「マコちゃん!帰ってきたんだ!投開票日までずっと柏崎の予定じゃなかったの?」
「そのつもりだったんだけど、ことのほか地元の皆さんの士気が高くてさ。あたしの柏崎入りは解散してからでいいってことになったの。ハルナちゃんと入れ替わりということでね。それまではお兄ちゃんの傍にいてって。それで小学生と一緒に一時、帰宅したの。」
「ああ、そうだったんだ。ユメと絵子ちゃんはもうご実家だね?」
「そう。またデラックスバスを貸し切って三人で豪華に帰ってきたよ。実家寄ってからこっちきた。二人は明日から学校だね。……ねえ、何やってるの?」
マコちゃんはそう言って書斎の机の上をのぞきこんだ。机の上には楽譜が並べられている。
「何やってるの?と言われたら、音楽プロデューサーごっこと答えるかな。」
「また何かプロデュースするの?選挙近いのにそれどころじゃないでしょ?」
「まあちょうどいいところにマコちゃん帰って来てくれたよ。実際にプロデュースするのは、実はマコちゃんにお願いしたいんだ。」
「あたしに?」
「そう。この曲なんだけど……」
僕はそう言ってマコちゃんに一枚の楽譜を見せた。
「うん。」
マコちゃんは手にとってしげしげと見つめるがそもそも楽譜の読めないマコちゃんは何が書いてあるのかよく分からないはずだ。
「この部屋にある楽譜はほとんど白石裕子が作曲したものだけど、僕が作ったものもほんの少しあるんだ。その数少ないものの一枚がこれだよ。詞もついていない。それで、作詞はマコちゃんにお願いできるといいかなって思ってる。」
「あたし?あたしは無理だよ。そんな才能ないし。」
「まあ、マコちゃんでなくてもいいんだけど、誰かに詞をつけてもらうでもいいんだけど、この曲をマコちゃんにプロデュースして欲しいんだ。」
「誰が歌うの?」
「ハルナと友美ちゃんでユニットを組ませたいんだ。」
「……そうなんだ。そんな話、進行してたんだ。そう言えば柏崎でハルナちゃんが、お兄ちゃんが友美ちゃんをプロデュースするかもしれないってこと言ってたなあ。このことだったんだね。でもそれならますますあたしには無理だと思うけど。新人さんならともかく、元スーパーアイドルのハルナちゃんを復活させようっていうんでしょ?まあ悪い話じゃないけど。」
「分からないことがあれば野島さんに相談すればいい。話はつけておくから。」
「でも、なんで今、このタイミング?」
「まあ選挙も近いし、話題づくりと解釈してもらっていいよ。マコちゃんもこれからさらにステップアップするのにこういうの経験しといた方がいいと思うけど。」
「あたしが総合プロデューサーってわけか。面白そうだね。分かった。難しいけどチャレンジしてみるね。まあ作詞は他の人にお願いしちゃうんだろうけど。お兄ちゃん、色々教えてね。」
妹はニッコリ笑って言った。いつもの兄妹関係は完全に復活したようだった。