ファーストレディー   作:山田甲八

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十一 総選挙

 それからさらに日は流れ、一月二十日の月曜日、通常国会の初日を迎えた。午前中は開会式があり、午後は解散となる。それでもマコちゃんと一緒に朝の食卓を囲む風景はいつものと変わらないものだった。

「いよいよだね。」

 テレビに解散のニュースが出てくるとマコちゃんが言った。

「ああ。マコちゃんにも迷惑かけるけど、よろしくね。」

「迷惑だなんて。あたしがお兄ちゃんにかけた迷惑に比べればちっぽけなもんだよ。」

「今日中に柏崎に移動だよね?」

「うん。解散のシーンはお兄ちゃんの晴れ舞台でもあるだろうからテレビで、ライブで見るつもりでいる。それ見てから新幹線に乗るね。それでハルナちゃんから引継ぎを受ける予定にしてる。でもお兄ちゃんは選挙期間中、柏崎には入らないんでしょ。」

「まあ、全国遊説があるし、内閣総理大臣臨時代理としての公務もあるからね。東京と全国を行ったり来たりだよ。」

「よく分かんないんだけど、投票はしないの?前はチャコちゃんと一緒に柏崎で投票してたよね?」

「こっちで不在者投票をするよ。期日前投票と違って不在者投票は東京でもできるんだ。」

「そっか。また、しばらく会えなくて寂しいけど、頑張ってね。あたしもどこまでできるか分からないけど、チャコちゃんになったつもりで頑張るから。」

 マコちゃんはいつものようにニッコリ笑った。チャコがいなくなってしまってからまだ一年もたっていないけれども、なんだかとても長い時間、マコちゃんと僕は二人でこうして生きてきたんじゃないのかとそんな思いに駆られた。

 マコちゃんはいつものように出かける僕を玄関先で見送った。今日は解散ということもあり、門の前には報道陣が詰めかけていた。黒塗りに乗り込もうとする僕にマコちゃんは「行ってらっしゃ~い!」と明るく手を振った。そんなマコちゃんがチャコにも見えた。

 

 官邸に到着した僕は、数週間官邸の金庫に眠っていた閣議書を取り出した。閣議書の最後には「内閣総理大臣高橋綾乃」とよれよれの文字が書かれている。彼女が死の数時間前に全身全霊を捧げて記した最後の署名だ。閣僚全員の署名を確認した僕は傍に立っている内閣総務官にその閣議書を渡した。内閣総務官は一礼し、宮中に向かい、僕は国会開会式に臨んだ。

 開会式が終わると、僕は続いて開催された両院議員総会に臨んだ。両院議員総会では当然、僕にもマイクが回り、短めに挨拶をして今日限りで引退する議員の長年の労をねぎらった。それから何人か役員がスピーチした後、最後に幹事長が少し長めのスピーチをし、「今回の解散総選挙は我が党圧勝の予想が既にマスコミ各社によって報じられておりますが、こういう時こそ決して奢ることなく、油断することなく、真摯に国民の声に耳を傾け、白石政権誕生に向け鋭意頑張りましょう」と締めくくった。既に政権与党圧勝、白石政権の誕生は誰もが予想するところだった。それから全員でカツカレーを食べ、僕は一度、官邸に引き上げた。

 官邸に戻ると既に「解散勅書」はできていて、僕はそれに副署した。そして内閣総務官に写しと伝達書の作成を命じ、いわゆる「紫の袱紗」を完成させると再び議事堂に向かった。

 そして午後一時、本会議開会の時間を迎えた。僕は議長席の後ろで「紫の袱紗」ののったお盆を持って議長の開会宣言を待った。僕は内閣総理大臣臨時代理ではあるが内閣官房長官でもあるのでそれを議長に届けるのは僕の役目だ。僕の人生の中で案外、一番緊張した時間だったかもしれない。定刻となり議長が入場し、着席し、「会議を始めます」と開会宣言した。

 それを合図に僕は「紫の袱紗」ののったお盆を持ったまま入場し、議長の脇に立っている事務総長に手渡した。事務総長が中身を確認する。議場は静まり返っている。そして中身を確認したタイミングがあって、事務総長はそれを議長に手渡した。議長は「ただ今内閣総理大臣臨時代理から勅書が発せられた旨、伝えられましたから朗読致します」と言い、議長を含む、議場にいる全員が起立した。

「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。御名御璽。」

 議場から一斉に「万歳!」の声が沸き起こり、僕も少し控えめに参加した。万歳三唱が終わると僕は握手を求めてきた議長と握手をし、それから議員席に降りて行って、与野党問わず、今日限りで引退する議員、一人一人と握手をし、改めて長年の労をねぎらった。

 

 それからおよそ一ヵ月が経過し、二月二十二日、投開票日前日の土曜日の朝を迎えた。鹿児島市内のホテルでその日を迎えた僕は最上級の客室で一人テレビを見ながらルームサービスの朝食をつまんでいた。外は晴天だが予想外の大雪が降り積もっている。テレビでは僕が率いる政権与党の選挙向けキャンペーンコマーシャルが流れていた。

「あなたのどりょく♪ てんしはみている~♬」

 裕ちゃんが中学三年生の時に作った「天使の翼」を歌うハルナがアップで映し出され、風が吹いてハルナ自慢のサラサラストレートがふわっとなびく。サビを歌い終わったところで画面が僕に変わり、ガッツポーズで選挙のキャッチフレーズを言って十五秒のCMは終わった。

 このCMは放送以来、大評判となり、二十代、三十代、そしてかつての裕ちゃんのファン層だった今の四十代、さらには五十代の女性のハートをがっちりとつかんだ。裕ちゃんは二十代から三十代の女性に広く支持された歌手だったし、ハルナもアイドル時代は男性よりもむしろ女性ファンが多く、ファッション雑誌の表紙を何度も飾っていた。世論調査での政権与党の圧勝はもはやゆるぎないものとなっていた。

 不意に部屋のドアがノックされた。僕が「どうぞ」と言うと、「失礼します」と言ってさっきテレビの中で「天使の翼」を歌っていたのと同じサラサラストレートが入ってきて僕に一礼した。

「大雪のため鹿児島空港は閉鎖になりました。今日の発着便はすべて欠航が決まりました。明日には、空港は再開できるそうですが、機体のやりくりがつかないので少なくとも午前は欠航になる見込みです。」

「そっか。最終日だっていうのに、ここで足止めか。」

「もう選挙の結果に変わりはありませんから明日の午後、帰京するでもいいと思いますけど。」

「新幹線は動いてるよね。」

「はい。少し遅れてはいますけど。」

「新幹線をつないで帰ろうかな。」

「七時間以上かかりますよ?」

「たまにはそういうのもいいんじゃない?ギリギリセーフで最後の街頭演説には間に合うかもよ。」

「確かにドラマチックではありますね。警備の都合もありますからすぐに検討します。失礼します。」

「ああ、ハルナ。」

 僕は下がろうとしたハルナを呼び止めた。

「はい?」

「色々ありがとう。お蔭さまでなんとか恰好はついたよ。」

「お役に立てたかどうか。」

「キャンペーンもうまくいったしね。すべてハルナのお蔭だよ。」

 ハルナは実際、選挙運動期間中、ずっと僕に張り付いて精力的な日程をこなしてくれた。一緒に有権者と握手をし、変なじじいに抱き付かれても嫌な顔一つせずに笑顔を振り撒き、「天使の翼」を歌った。

「いいえ。なんだか先生の初当選のときみたいで私も楽しかったです。」

「後少しだけど、よろしくね。」

「はい、私の方こそよろしくお願いします。」

「それで、……ちょっと…聞きたいことがあるんだけど今、いいかな?」

「はい。なんでしょう?」

「友美ちゃんのことなんだけど。」

「友美のこと…ですか?」

「この前、っていっても去年の年末だからもう二ヶ月くらい前だけど、野島事務所のパーティーで友美ちゃんと会ったとき、友美ちゃん、ハルナと久し振りに長い時間話をしたって言ってたけど、どういう状況で、なんの話をしたの?」

「スミマセン。中々報告できませんで。そうですね~、なんの話をしたのかって聞かれると難しいんですけど、今まで二人で歩いてきたこと、それからこれからのこととか話しました。先生のご自宅で友美と鉢合わせした時は二人ともブチ切れてましたから、なんか私の方から会いたいって言うのも照れ臭かったんで、先生には申し訳なかったんですけど、その日は先生の名前で友美を呼び出しちゃいました。」

「僕の名前で?」

「はい。勝手なことしてスミマセン。永田さんに頼んで、友美を都内のホテルの一室に呼び出してもらいました。『白石臨時代理がぜひお会いしたいとおっしゃっている』とか言っていただいて。」

「ああ、そうだったんだ。」

「友美、おもしろかったですよ。先生にプロポーズされると勘違いしたみたいで、丸二日、エステ行ったり、美容院行ったり、洋服買ったりしたそうです。二日で何十万も使ったって言ってました。それで、ホテルの部屋の扉を開けたら私が出てきて、とてもビックリしてました。」

「そっか。」

「友美とはそれからその部屋で二泊しました。色々な話をしました。友美とは昔、事務所の寮でルームメートでしたけど、あんなに濃い時間を過ごしたのはそれ以来でした。先生がおっしゃってた、友美が私に嫉妬していたという話も聞きました。一発逆転を狙って先生に近付いたって言ってました。」

「そう……」

「でも、もう友美は大丈夫です。十分すぎるくらい二人で話しましたから。」

「なんだか友美ちゃんには悪いことしちゃったみたいだね。友美ちゃんは何も悪くなかったのに。」

「いいえ。先生は全然、気になさる必要はないです。実際、友美は先生に気があったわけじゃないですから。本当のこと言うと、友美にはついたり離れたりのお笑い芸人がいるんです。」

「ああ、そうなんだ。」

「ちょこちょこ、週刊誌ネタになったりしてるんですけどね。」

「そう言われるとマコちゃんからそんな話も聞いたことがあるかもしれない。」

「ですから友美は大丈夫ですよ。私達の友情も今まで以上に深くなりましたから。先生がどうしてもお気にされるということであれば、この前の友美をプロデュースするという約束を果たしてくださればそれで十分だと思います。」

「そっか。プロデュースの話はマコちゃんか野島さんから何か聞いてるかな?選挙でそれどころじゃないか?」

「解散の日に柏崎でマコちゃんと引継ぎをしたとき、ちょこっとだけ聞きました。曲ができていて、詞がこれからで、私と友美が歌うんですよね?」

「ああ。その予定だけど。」

「マコちゃん、友美に作詞させるみたいですよ。その他にもアイデアが色々あるようです。本格始動は選挙が終わってからになりますけど。」

「フ~ン。ところでマコちゃんといえば、マコちゃんには伝わったかな?友美ちゃんと僕がなんでもないことを。」

「柏崎でもちょこちょこ話題にはなったんですけど、マコちゃんの誤解を解くことはできませんでした。スミマセン。選挙の準備でそれどころじゃなかったってところもあったんですけど。」

「まあそれは時間が解決する問題だけどね。」

「ところで先生。今、ちょっとよろしいですか?私も先生にお話ししたいことがあるんです。」

「ああ、別にいいけど……何かあったの?」

「こんな時になんなんですけど、……先生と二人きりでお話しできる機会もそうないですから。」

「うん。」

「私、先生にここまで育てていただいて、先生にはとても感謝しています。子どものことも。……もし、先生に出会っていなかったら今の自分はなかったと思っています。」

「どうしたんだよ、急に。」

「ですからこんなこと言えた身分じゃないんですけど……」

「いいよ。なんでも言ってごらんよ。」

 僕がそう言うとハルナはうつむいてしばらくモジモジしていたが、急に顔を上げ「マコちゃんのことです」ときっぱり言った。

「マコちゃん?」

「先生はマコちゃんのことどう思ってるんですか?」

「どうって、……何が言いたいんだ?」

「ハッキリ言います。マコちゃん、先生のこと待ってます。マコちゃんの気持ち、分かってください。」

 僕は黙った。ハルナと僕はお互いに視線を合わせた。こんな真剣なまなざしを見たのは初めてではないだろうか。しばらく間があった。

「……マコちゃんと何か話したの?」

「マコちゃんとは同期ですし、ユニットを組んでいたくらいですからマコちゃんの気持ちは分かります。そうでなくても年末年始は柏崎で一緒だったんですから。」

「ありがとう。マコちゃんのことそんなにも考えてくれていて。……せっかくだから質問には答えておくよ。マコちゃんのことは……妹だと思ってるよ。」

「……先生。」

「世間はマコちゃんのことを僕の義理の妹とか言ってるけど、僕は、マコちゃんは僕の本当の妹だと思ってる。もう十年以上も兄と妹をやってきたんだ。今さら関係を変えろと言われてもいきなりはできないよ。」

「チャコちゃんのことはどう考えていらっしゃるんですか?」

「チャコがああ書き残したこと、そしてチャコがマコちゃんと僕に望んでいることは十分に理解しているつもりだよ。きっとマコちゃんも僕と同じだと思う。でも、さっき言った通り、もう十年も兄と妹をやってきたんだ。兄と妹として築いてきたものもある。それがあのチャコのメッセージに触れた瞬間にガラガラと崩れてしまうんじゃないかって、そんな気がしている。マコちゃんも同じ気持ちだよ。それを僕はマコちゃんの口から直接、聞いている。」

「これからどうされるおつもりなんですか?選挙が終われば先生は、今度は正式に総理大臣になるんですよね?」

「そんな先のことはまだ分からないよ。今はただ、目の前のことをやるだけさ。」

「何がつかえているんですか?先生がマコちゃんと寄り添うことには誰も反対できないはずです。いや、誰もが望んでいるんじゃないんですか?チャコちゃんだってそれを望んでいると思いますけど。」

「……僕が白石裕子と婚約していたことは知っているよね?」

「ええ。もちろんです。」

「白石裕子は二十六歳の誕生日を迎えることができなかった。」

「……」

「チャコもそうだ。二十六歳まで後一歩というところだったのに。」

「そんなのただの偶然だと思いますけど。」

「僕だってそう思いたいよ。でも世間では『白石家の呪い』とか言われている。だから……マコちゃんもいつの間にか僕の前からいなくなっちゃうんじゃないかってそんな気がして怖いんだ。」

「本当はマコちゃんのこと大好きなんですね?」

「いいじゃないか、今のままで。このままずっと兄と妹で。マコちゃんもそれを望んでるんじゃないかな。」

 僕がそう言うとついていたテレビが大雪のニュースに変わり、鹿児島空港が閉鎖されていることを伝えた。

「先生としては新幹線に乗ってでも今日中に東京にお戻りなることをお望みですね?」

「そうだね。どうせ今日の遊説日程は全部キャンセルになるんだろうから。案外、有効な演出になるかもしれないし。」

「では警察庁に連絡して警備の編成を調整します。三十分後にまた来ます。……それから先生?」

「ん?」

「しつこいですけど、マコちゃん先生のこと待ってます。…では失礼します。」

 ハルナは一礼して僕の視界からいなくなり、テレビの画面に視線を戻すとさっきここにいたのと同じ顔が映っていて「天使の翼」を歌っていた。

 

 お昼過ぎ、僕は小倉駅に停車中の新幹線のぞみの中で駅弁をつついていた。結局、飛行機を諦めた僕は、新幹線で帰京することにし、警備の手配を待ってから鹿児島中央駅を出発、陸路で東京を目指した。新幹線は、動いてはいるものの、大雪のため無傷ではなく、進んでは途中駅で長時間停車の繰り返しだった。

 大容量の携帯充電器を携えたハルナはスマホやパソコンを操りながら党本部と連絡を取り、大雪でスケジュールがすべてひっくり返った選挙戦最終日の陣頭指揮を僕に代わって取っていた。僕はというと、そんなハルナが時折出してくる「お伺い」に頷いたりしながら、選挙戦の現在進行形をリアルタイムで感じていた。

「先生、今、選対から連絡が入ったのですが、マコちゃんが東京に帰るそうです。」

「はい?」

「マコちゃんが東京に戻るそうで、これからクルマで長岡駅を目指すようです。上越新幹線も遅れてはいますが、動いてはいるようですので。」

「それはいいんだけど、あしたは投開票日だよ。確かにもう結果は出てる話なのかもしれないけど、投開票日に白石の人間が誰も地元にいないのはまずいと思うけど。」

「ですから白石最高顧問がマコちゃんと入れ替わりで柏崎に入るそうです。」

「権蔵先生が?」

「白石最高顧問も重鎮ではありますけど、国民的な人気はそんなに高くないですから。あちこち応援に飛び回ってますけど、東京にいてもあまり意味はないので、それより先生が最終日の最後の街頭演説をできないのならマコちゃんを引っ張り出そうと選対は考えたようです。先生の代役が務まるのは白石最高顧問とマコちゃんぐらいでしょうけど、どちらかを選べと言われればマコちゃんの方がいいと思います。」

 ハルナがスマホをその細長い指で操作しながら言った。確かに巨漢の参議院議員を一言で表すと「老害」と言えなくもない。なんとか理由をつけて柏崎に疎開させたい選対、すなわち選挙対策本部の面々の気持ちは僕にも分かる。

「そっか。でもマコちゃん引き受けるかなあ?」

「本人はやる気満々みたいですよ。」

 ハルナはそう言って僕にスマホの画面を見せた。画面にはマコちゃんのブログがアップされている。ブログには「東京に向かいます」というタイトルが貼られていた。

 

皆さんこんにちは。

 

皆さん既にご承知のことと思いますけど、この大雪でお兄ちゃんがピンチ!

今日中に東京に帰って来られなくなるかもしれないという情報が入りました。

 

で、お兄ちゃんの代わりは到底、務まらないんだけど、マコちゃんがこれから東京に向かうことになりました。今、クルマに乗りました。取り敢えず、長岡駅に向かいます。

 

上越新幹線も遅れてるみたいなんだけど、夜の八時までには東京につけると思います。それからクルマの上に乗ってマイクを握ると思いますけど、それがどこかは秘密、じゃなくてまだ決まってないの。だから皆さんもウエブとかつぶやきとかで最新の情報をチェックしてみてくださいね。

 

もし、お兄ちゃんが間に合えば、ハルナちゃんも一緒だから久し振りにハルナちゃんと二人でマイク握れるかもね。歌っちゃったりするかも。

 

それからファンクラブの皆さんにお願いです。とても寒いです。街頭に出て、マコちゃんがマイク握るのを見に来てくれる人、いっぱい来てくれるとうれしいんですけど、寒いのは申し訳ないので、皆さんでホッカイロを見に来てくれた人に配って欲しいんです。申し訳ないですが完全ボランティア、自腹でお願いしま~す。

 

それと東京は快晴のようですが、雪の影響でまだ交通機関が乱れているようです。どうか無理をなさらないでくださいね。お出かけできない人はおうちでネットのライブ中継を見ててください。といっても、ライブ中継の予定なんかありませんから、どなたかライブ映像のアップをお願いしま~す!肖像権とか難しいこと言いませんので。

 

ではでは。東京が近付いたらまた、アップします。

 

 それを読んで僕はチャコがマコちゃんに乗り移ったような気がした。選挙の「せ」の字も出てこないのは、取り巻きがしっかりしていて、文章をチェックしているのだろう。

「なんだかチャコみたいだね。」

「そうですね。なんか、私も元気が出てきました。」

「そんなに無理しなくても良かったのに。」

「そうも行かなくなってきたみたいですよ。これは非公式ですけど、選対が選挙の目標を上方修正しました。今までは三百議席が勝敗ラインと読んでましたけど、ここまできたら三百二十、三分の二を取りに行きたいと思っているようです。ですから勝負はまだまだこれからですよ。」

 ハルナは早口でそう言うとカップホルダーの紙コップをつかみ、中のコーヒーをごくりと飲んだ。

 

 それから僕の乗ったのぞみ号の各駅での停車時間は東京が近付くにつれ短くなり、駅間でのノロノロ運転も徐々に解消されていった。快晴の静岡県内を通過する頃、通路側の席に座るハルナが僕の方を向いた。

「先生。上越新幹線も大幅に遅れているようですけど、マコちゃん、そろそろ上野駅に到着するみたいです。上野からクルマで渋谷に移動するそうです。最後の街頭演説は渋谷に決まったそうです。」

「そう。」

「それで、またマコちゃん、ブログにアップしましたよ。」

 ハルナはそう言って今度は折りたたみ式テーブルの上に置いたノートパソコンの画面を僕に見せた。「東京が近付きました」というタイトルが貼られていた。

 

新幹線、よーやく大宮を出ました。

それでマコちゃんのこれからの行き先が決まりました。最後の街頭演説は渋谷のハチ公前で行います。上野からクルマで向かう予定です。雪で道路が混んでないといいけど。

 

多くの人に見に来て欲しいんですけど、渋谷の街が混乱してしまうといけないのでどうか皆さん、整然と行動してくださいますようよろしくお願いします。午後八時を過ぎると何もしてはいけないのがルールなのでルールの順守もお願いしますね。

 

だからこうしましょう。八時の前に大晦日みたいにカウントダウンするね。五、四、三、二、一と言って、ゼロは言わないのがルール。それで八時になったら皆さん静かにお帰り下さい。渋谷駅が混雑するといけないから若者は隣の駅まで歩いて各駅停車で帰ってもらおうかな。色々と注文つけてごめんなさい。マコちゃんも初めてなので良く分からないのだけれど、楽しい演説会にしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 

それと寒いのでどうか暖かい服装で来てね。そういうマコちゃんはラッキーカラー、ピンクのスキーウェアで登場する予定です。

 

では、七時頃にお会いしましょう。

 

ライブ映像のアップ、どなたかよろしくお願いしま~す。

 

「すごいですね。『チーム』を仕切ってた時もこんな感じでしたけど。」

 僕が何も言えないでいるとハルナがポツリと言った。

「確かに集客力はチャコよりあるかもね。それで僕は東京駅から渋谷に直行になるのかな?」

「はい。東京駅には選対本部長、御自らお出迎えになるそうです。本部長も段々興奮してきてるみたいですよ。雪で足止めくらいましたけど、今回の選挙戦、案外、最高のクライマックスになるかもしれませんよ。」

 ハルナがそう言うと、僕の乗った新幹線は新富士駅を通過した。

 

 東京駅に着いた時には午後七時を随分と回っていたが、ここからパトカー先導の黒塗りに乗れば午後八時までには十分間に合うだろう。選対本部長の出迎えを受けたハルナと僕はSPに囲まれながら東京駅を早足で進み、八重洲口から黒塗りに乗った。サイレンの音が響き、黒塗りは出発した。

「どうもお疲れ様でした。間に合いそうで良かったです。」

 僕の隣に乗った選対本部長が言った。選対本部長は年齢も当選回数も僕よりはるかにベテランだ。ハルナは助手席に座っている。

「いいえ、僕の方こそ遅くなってすみませんでした。それでこれから渋谷に向かうと聞いているんですけど、どんな感じですか?」

「とにかくすごい状況になっているの一言です。人があふれて、警視庁がスクランブル交差点を車両通行止めにしました。それでも真子さんの呼びかけのお蔭か、聴衆の皆さんは整然としています。」

「マコちゃんはもう到着してるんですよね?」

「七時頃に到着されてからずっとしゃべりっぱなしです。そこは、さすがにプロですね。とにかく話が面白くて聴衆はずっと真子さんのトークに引きつけられています。飽きてきたなと思ったらすかさずジョークを入れたりして。さっきも近松門左衛門の物真似とかやってたんですけど、私もゲラゲラ笑っちゃいました。不思議ですよね。元ネタなんて知らないはずなのにそっくりなんですよ。」

「…そうですか。」

「こんなことなら白石最高顧問にはサッサと柏崎に行っていただいて、真子さんにご登場いただければ良かったです。……いや、失礼しました。今のは聞かなかったことにしてください。」

 選対本部長はとても興奮していた。現地での興奮は恐らくこれ以上なのだろう。僕はクルマの中で本部長から各地の情勢を聞きながら渋谷を目指し、宮益坂を下る頃になると、既に周囲が物々しいことに気付かされた。正面は人だかりでようやくクルマが一台通れるスペースが開けられている。その群衆の中を渋谷のスクランブル交差点へと滑り込んだ。そのうちマコちゃんの声が黒塗りの中にも聞こえてきて、左側に街宣車も見えてきた。

「あっ、お兄ちゃんだ~。あのパトカーそうだよね。皆さんお待たせしました。お兄ちゃん、早く来てよ。八時になっちゃうよ。ダッシュだよ~!」

 マコちゃんがそう叫ぶ声が聞こえ、パトカーに先導された黒塗りは街宣車の前に到着し、まずハルナが助手席から下りて街宣車の外梯子を駆け上がり、マイクを渡された。

「間に合って良かった~。どうもお疲れ様でした。」

 まずはマコちゃんがハルナをねぎらった。

「皆さん、お待たせいたしました。今日はこんなにお集まりいただきましてありがとうございます。」

 そう言ってハルナが深々と一礼した。聴衆からは黄色い声が飛ぶ。その間、ようやく僕は外梯子を上り、街宣車の上に到着した。

「そして、よーやく愛するお兄ちゃん。白石啓一内閣総理大臣臨時代理の到着です。どうも皆さんお待たせいたしました。」

 マコちゃんが仕切り始める。この辺はさすがにプロで、そうでなくても元々マコちゃんはMCの上手いタレントとして知られているのだ。

「とにかく間に合って良かったです。ここだけの話だけど、ホントのこと言うと、あたしは今回の選挙、初めの頃はお兄ちゃんを落選させたいなあと思ってました。落選しちゃえば総理大臣にはなれないもんね。お兄ちゃんには総理大臣じゃなくて、いつまでもマコちゃんの優しいお兄ちゃんでいてほしかったから。それにあたしは政治家としてのお兄ちゃんよりも音楽プロデューサーとしてのお兄ちゃんの方が好きだったし。でも色んな人にこの話をしたんだけどそれは無理だろうってみんなに言われちゃった。それで方針転換。さっさと総理大臣にしてしまおうかなって考えるようになりました。だから今回の選挙、あたしはお兄ちゃんのことをこの世で一番応援しています。まあ、あの世までいっちゃうとチャコちゃんとか裕子叔母さんとかも入って来ちゃうからね。さすがにあたしはあの二人にはかなわないから。ハルナちゃんとは結構、いい勝負なんだろうけど。何言ってんだか自分でも良く分からなくなってしまいましたけど、もう時間もありませんのでお兄ちゃんにマイク渡しま~す。」

 マコちゃんがそう言って僕を紹介し、僕にマイクが渡った。

「どうも遅くなりました。白石啓一です。今日の午前には東京に戻っているはずだったのですが、自然には勝てず、ギリギリの東京入りとなりました。寒い中、お待ち下さいました皆さん、どうもお待たせして申し訳ありませんでした。また、お集まりいただきありがとうございます。もう時間もありませんので一言だけ、お話しさせていただきます。今回の選挙、キャンペーンソングに白石裕子作曲の『天使の翼』を使わせていただきました。なぜ、この曲なのか。それは僕が、本当に努力しているような人に天使が微笑むような、そんな国を作りたいからです。もし、ご賛同いただけるのなら、いや、ぜひご賛同いただき、明日の投票には……」

「はい~、残念ながらもう制限時間一杯です。」

 まだ僕の演説の途中だったがマコちゃんが横から入ってきた。

「マコちゃん。」

 僕はマイクが拾えない小さな声でマコちゃんをたしなめたが、マコちゃんはそんな僕には構わず、マイクを口につけたままだ。

「お兄ちゃんゴメンねえ。せっかくなんだけどもう時間がないの。八時でおしまいだからね。それでね、オーラスはハルナちゃんも来たところで『天使の翼』で締めたいんだあ。歌うのはもちろんハルナちゃんと今、あたしに降りてきたチャコちゃん。」

 マコちゃんがそう言うと聴衆の興奮は最高潮に達した。「天使の翼」はその昔、ハルナやマコちゃん、そして友美ちゃんも参加したアイドルグループ「チーム」のお正月ソング「ア・グッドイヤー・フォー・ユー」のカップリング曲でチャコとハルナそれぞれのソロがCDに収められていたが、二人で一緒に歌うことはなかったはずだ。

「ハルナちゃんと二人で歌うのは初めてだね。実はね、こういうこともあろうかと密かに練習してたの。では今回の総選挙もこれでおしまい。フィナーレはハルナちゃんと二人で歌う『天使の翼』です。みんなも一緒に歌ってね~。」

 マコちゃんがそう言う途中から前奏が始まり、僕を挟んでマコちゃんとハルナは歌いだした。「歌姫」と言われた裕ちゃんを継承したハルナの歌唱力は裕ちゃんを上回るものがあり、元来、歌が下手なマコちゃんを支えた。マコちゃんは自身が歌うというよりもマイクを持って笑顔を振り撒くのが役割のようで、聴衆の歓声に一々応えていた。そしてフルコーラスを歌い終わったところで、どこからかレンタルしたのだろう、スクランブルのあちこちに止まっている、マラソンの移動中継に使うと思われる大型計時車のデジタルが十九時五十九分を表示した。マコちゃんがMCを再開した。

「ああ、もう時間来ちゃいましたね。残念ですが演説会、そして総選挙の選挙活動はこれで終了します。皆さん、寒い中集まってくれてありがとう。ではカウントダウンに入るね。さっきも練習したけど。五、四、三、二、一まで言ったらゼロは言わないからね。それで皆さん、気を付けて帰ってください。みんなで譲り合ってね。そして明日はぜ~ったいに投票に行ってください。この際、誰に入れてもいいです。もちろんお兄ちゃんのところに入れてくれるとうれしいけど。じゃあ、カウント始めま~す。二十九、二十八、二十七……」

 計時車のデジタル時計に合わせて聴衆が声を合わせ、マコちゃんとハルナと僕の三人も街宣車の上でカウントダウンをした。

「五、四、三、二、一」

 何人かが「ゼロ」と言ってしまうのが聞こえたが、街には静寂が戻り、街宣車の上で僕は黙って一礼し、マコちゃんとハルナが続いた。

 それから僕は街宣車を中梯子で降り、そのまま街宣車の中で暖をとった。街宣車はマイクロバスを改造したもので、中はさながら移動選挙事務所といった感じで仮眠用のベッドやキッチンやトイレもついている。スタッフがコーヒーを入れてくれ、しばらくするとマコちゃんも中梯子を降りてきた。

「お兄ちゃんお疲れ~」

「マコちゃんの方こそお疲れ様でした。ハルナは?」

「スタッフさんとなんか打合せしてるよ。」

「マコちゃんありがとう。さすがだね。いきなりなのにここまでできるとはね。選対本部長があっけにとられてたよ。こんなことなら最初から柏崎は権蔵先生に張り付いてもらえば良かったって。」

「ハハハ。自分でも言うのもおこがましいけど、マコちゃんの本領発揮ってとこだね。まあこちらはMCのプロですからね。」

「天性のものだよなあ~。」

「これもお兄ちゃんのお蔭だよ。で、これからどうするのかな?」

「僕は党本部に戻ることになると思う。打ち上げみたいなのがあるんじゃないのかな。選対の皆さんの労もねぎらいたいしね。」

「あたしはどうすればいい?」

「マコちゃんもお疲れだろうから好きでいいよ。碑文谷に帰るでもいいし。マコちゃんはどうしたい?」

「じゃあ、お兄ちゃんと一緒に党本部に行くでいいかな?今日はお兄ちゃん、碑文谷に帰るよね?」

「ああ。そのつもりだけど。」

「じゃあ、あたしもお兄ちゃんと行動を共にするね。どうせ新幹線遅れてるだろうし。今日中に柏崎には戻れないだろうから。」

 そんな話をしているうちに街宣車は動き出し、党本部に移動するようだった。

 

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