ファーストレディー   作:山田甲八

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八 ディナー

「ねえ、お兄ちゃん?」

 友美ちゃんのカクテル事件があってからさらに一か月が過ぎたある平日の朝七時頃、朝食をとっていると対面に座っている妹が聞いてきた。

「ん?」

「お仕事忙しいの?」

「ああ、忙しいかと聞かれれば忙しいと答えるよ。内閣総理大臣臨時代理だからね。日本で一番、忙しいよ。」

「そっか。友美ちゃんとも全然会えないよね。」

「だからそういうんじゃないんだってば。」

 僕はため息と共に思い切り嫌な声で言った。

「ゴメンゴメン。今のは撤回します。違うの。茶々入れたいんじゃなくて、友美ちゃんに会えないくらいだったらマコちゃんとデートなんか無理だよね~とか思っただけ。」

「マコちゃんとデート?」

「最近、二人で食事もしなくなっちゃったじゃない。まあ朝ごはんは一緒だけど。二人で外食とかさ。」

「まあそれはそうだけど。」

「柏崎のときは楽しかったな~・・・・・・」

 マコちゃんが感慨深そうに言った。確かに東京に戻ってから僕は極端に忙しい。秘書の皆さんからも「少し休んだ方がいいのでは?」と言われているくらいなのだ。マコちゃんも一人で寂しいのだろう。

「そっか。確かに僕は働きすぎかもしれない。いいよ。たまには二人でどっか行こうか。」

「ホント!うれし~。お休みの日とかでもいいのかな?」

「いいけど、でもあまり遠出はできないなあ。警備の都合とかあるからね。あまりまわりに迷惑かけられないし。」

「おお、VIP並だね。」

「VIP並みじゃなくて僕自身がVIPなんだよ。」

「そうでした。でもそんなに贅沢は望まないよ。お兄ちゃん忙しいし。平日の夜に豪華ディナーでもいいよ。」

「ああ、そのくらいならできるんじゃないかな。」

「じゃあ決まりだね。日にち教えてね。あたしはもちろんいつでも合わせるから。お店はあたしが準備しとくね。行ってみたいお店があるの。」

「分かった。じゃあ後で秘書官に僕の予定を確認しておくよ。なるべく早い日でね。」

 僕がそう言うとマコちゃんはニッコリ微笑んだ。

 

 それからさらに三週間が過ぎ、臨時国会の閉会日を翌々日に控えた水曜日の夜、マコちゃんとのディナーは実行された。しかし、約束はしていたものの、忙しい僕は結局、遅刻し、会場に到着したのは二時間遅れで、ギャルソンに案内された一番奥の個室には既にマコちゃんが待っていた、……のだが、それでだけではすまなかった。個室のテーブルは円卓で、椅子は三つ用意してあり、マコちゃんの並びにサラサラストレートが座っていたのでドキッとした、というよりかなりの衝撃を受けた。マコちゃんはニタッとしたまま僕を見上げた。

「ようやく現れたね。お先にいただいてますよ。では今日のディナーのスペシャルゲストをご紹介します。『チーム』であたしの同期の越後屋友美さんで~す。」

 マコちゃんはそう明るく紹介したが、当の友美ちゃんにとっても僕の到着は知らされていなかったのだろう。バツが悪そうに立ち上がると深々と一礼した。

「何、他人行儀してるの。さあ座ってよ。乾杯しよう。」

 マコちゃんが引き続き仕切り、ギャルソンが入ってきて改めてワインを注ぎ直した。マコちゃんが「ではグラスをお取りください」と言ったので友美ちゃんと僕はその勢いに負けグラスを握り、マコちゃんの音頭で乾杯した。

「じゃあ、あたしはちょっと所要で席を外しますので、申し訳ないけど、お兄ちゃん、友美ちゃんのことよろしくね。」

 マコちゃんはそう一方的に宣言するとさっさとどこかへ行ってしまった。友美ちゃんと僕が狭い空間の中に取り残された。しばらくお互いに目を合わせてはそらすような、気まずい時間が流れた。

「あの~っ……」

 二人の声は偶然、重なった。

「あっ、お先にどうぞ。」

 右手の手のひらを返して僕が言うと、友美ちゃんは

「先生こそお先に。」

 そう言って、お互いに譲り合った。少し沈黙した。

「……じゃあ、僕から言うね。この前のことなんだけど。」

 僕が切り出した。

「はい。」

「申し訳ないんだけど、僕はこの前の夜のことは全然覚えていないんだ。なんか、お酒のようなものを飲んだら意識もうろうとなって、気が付いたら朝で、君が隣のベッドで寝ていたんだ。」

「私もビックリしました。先生がお酒に弱いことは聞いていたんですけど、あそこまで弱いとは思いませんでしたから。」

「まあ、疲れてもいたし、寝不足だったからね。……それで、その~、僕はあの夜、君に何か失礼なことしたのかな?」

「いいえ。あのまま先生は酔っ払ってしまわれて、私が二階の寝室に連れて行ったんです。そしてベッドに寝かせたらそのまま寝てしまわれて。……私も安心したのと、待ちくたびれた疲れがどっと出て、眠くなってしまったのでそのまま隣のベッドで寝かせていただきました。」

「ああ、そうだったんだ。よかった。」

 とりあえずホッとした。途端にお腹がすいてきたのでテーブルの上のシルバーを取り、まず、メインデッシュから手をつけた。牛ヒレのステーキのようだ。

「それを聞いて少し安心したよ。で、その後、朝になって僕は君を寝かせたまま出勤してしまったんだけど、あの後ハルナが来たの?」

「ええ。私はハルナに起こされました。」

「ハルナが寝室まで来たんだ?」

 十年前から僕の家に出入りしている秘書のハルナは合鍵を持っていて出入り自由だ。

「はい。『ちょっと、何やってるの?』ってすごい形相で言われて、ハルナも随分、驚いているようでした。それはそうですよね。私、下着姿で寝てたんですから。」

「それで?」

「ハルナが『先生と何かあったの?』って聞くもんだから私、つい『先生に優しくしてもらった』って言っちゃったんです。」

 それを聞いて僕は思わず噴飯しそうになった。あわててグラスに注いである水を飲んで口の中のものを押し込んだ。

「なんでそんなこと言ったの?」

「まあ、その~、ハルナをからかってやろうかなって思って。そしたらハルナ、本当に誤解したらしくて、私のことを随分、攻撃してきたんです。それで私もちょっとカチンときて、『今まではハルナの後ばかり追いかけてきて追いつけなかったけど、最後で逆転だね。次のファーストレディーは私よ』みたいなこと言ったんです。」

「なんでまた。」

「スミマセン、つい。でも、私、ハルナに嫉妬していたのは事実なんです。ハルナとは昔、ルームメイトでした。デビューも一緒で、一緒にチームのオーディションに合格できて。でもハルナは先生に見出されてあっという間にスーパーアイドルに上り詰めてしまいました。私はアイドルランキングのベストテンに入るのが精一杯で。」

「そうだったんだ。」

「もちろんハルナは親友ですからハルナが成功するのはうれしかったんですけど、でもうらやましいというか、妬んでる自分がいたことも事実でした。そういうことがなんだかその瞬間に爆発してしまって、なんかハルナに意地悪してみたくなっちゃったんです。ハルナの大切な先生を奪っちゃえみたいな。・・・・・・そうしたらハルナ、ホントにキレちゃって、『出て行け~!』ってどなって。それで私は出て行きました。あんなにマジ切れしたハルナ、今までに見たことがありませんでした。」

 確かにハルナと友美ちゃん、そしてマコちゃんも在籍していたアイドルグループ「チームスタジオL」のオーディションでは友美ちゃんが一位だった。トップアイドルになれなかったのは運に左右されたからだ。そんなことを話す友美ちゃんを見て少しかわいそうになった。

「そうだったんだ。で、その後、ハルナとはどうなの?何か話した?」

「話していません。絶交状態です。メールもないです。」

「そうなんだ。マコちゃんとは。」

「それからしばらくして、二、三日後だったと思います。テレビの仕事でマコちゃんと一緒だったことがあったんです。私がテレビ局の喫茶店でボーっとしていると、マコちゃんが来て、『お姉ちゃんって呼んでもいいですか?』って言われたんです。ビックリしちゃって、話を聞いてみると、その~、私が先生とお付き合いしているみたいなことになってて、それもハルナから聞いたことになっててどうなってるのかなって。」

「今日のことは?」

「いや、その~、マコちゃんには『いいお店見つけたから久しぶりに食事でもどう?』って誘われただけです。先生がいらっしゃるなんて思っていませんでした。先生はご存知だったんですか?」

「いや、僕もマコちゃんが久しぶりに外で食事がしたいって言うんで誘いに乗っただけだよ。こういうことだったんだね。」

「どうなってるんですか?」

「上手く説明できないんだけど、色々な偶然が重なって、マコちゃんは、僕達が付き合ってると勘違いしてるんだ。」

「先生は否定しないんですか?」

「もちろんそんな事実はないとは言ってるんだけど、マコちゃんは自分がおしゃべりだから本当のことを教えてもらえないと思い込んでいるようで、今回のこのディナーもマコちゃんなりに気を使った結果なんだと思う。僕たち二人を応援しようとして。」

「マコちゃんらしいですね。……先生、一つ聞いていいですか?」

「うん。」

「先生はマコちゃんとは結婚なさらないんですか?」

「そんなこと急に言われても……。」

「世間の皆さんが次のファーストレディーに随分関心を持っていることはご存知ですよね?次の総理大臣は先生で決まりな訳ですから。」

「まあゴシップのネタにされていることは理解しているよ。週刊誌の見出しに出ない週はないからね。」

「先生の本当のお気持ちはどうなんですか?マコちゃんのこと好きなんですよね?」

「それは、『好きか?』と聞かれればもちろん答えはイエスだよ。そもそもマコちゃんのこと嫌いだっていう人はいないと思うけど。」

「そうじゃなくて、結婚してもいいと思ってるかどうかっていうことですよ。」

「確かに、色んな人にそれは聞かれるけど、なんとも言えないよ。」

「どうしてハッキリしないんですか?優柔不断だと思いますけど。ここだけの話ですけど、マコちゃん、先生のこと待ってますよ。」

「優柔不断かなあ?」

「そうですよ。だから私みたいな女に隙を突かれるんじゃないですか。」

「随分言うね。」

「もちろんチャコちゃんのことがあってまだ日が浅いですし、こんなことお聞きするのは不謹慎だということは分かっているんですけど。」

「ハッキリさせるなんて無理だよ。だってマコちゃんは……」

「マコちゃんのこと、どう思ってるんですか?」

「そりゃ、妹だと思ってるよ。」

「それはあたりまえじゃないですか。」

「義理の妹じゃないよ。世間はマコちゃんを義理の妹というけど僕はマコちゃんのことは本当の妹だと思ってる。もう十年間も兄と妹をやってきたんだ。今さら関係を変えろと言われてもおいそれとはできないよ。」

「……そうですか。これからもマコちゃんはずっと先生の妹なんですね。」

「そうだね。たとえマコちゃんと夫婦になったとしても、チャコと離婚することはもうできないんだし、マコちゃんが妹でなくなることは永遠にないよ。」

「それでしたら、先生……」

「何?」

「私、ファーストレディーに立候補してもいいですか?」

「何バカなこと言ってるんだよ。」

「バカなこととしか思っていただけないんですか?私は結構、真剣なんですけど。」

「だって……友美ちゃんと僕は、…その…知らない間柄じゃないけど、あんまり話したこともないじゃないか。君だって僕のことはそんなに知らないだろ?もちろん碑文谷の家には出入りはしてたけど。」

「私のことは嫌いですか?」

「嫌う理由はないよ。」

「じゃあ、好きですか?」

 僕はため息をついた。

「……好きかと聞かれれば好きだよ。でも今すぐ結婚したいほど好きというわけじゃない。」

「それでもいいですよ。チャコちゃんも最初は先生のところに押しかけ女房してきたんでしょ?」

 それを聞いて僕はもう一度ため息をついた。確かにチャコは裕ちゃんから僕のことを引き継いだと言って中学の卒業式の次の日、僕のところに押しかけてきた。友美ちゃんは続けた。

「私も先生のところに押しかけ女房しますよ。確かにチャコちゃんはマコちゃんを指名したかもしれないけど、そのマコちゃんが応援してくれるんだったら私も心強いです。」

「確かにチャコが僕のところに押しかけてきたのはその通りだけど、あの頃とは僕の立場が全然違うよ。今の僕はとても友美ちゃんを受け止めることはできないと思う。」

「そんなはずはありませんよ。先生はあの天真爛漫なチャコちゃんを十年間も受け止め続けたんですから。チャコちゃんには申し訳ないけど、私はチャコちゃんよりも夫に尽くす妻になる自信はあります。」

「それに友美ちゃんは僕と結婚したいんじゃなくてファーストレディーになりたいっていうだけじゃないの?それもひどいと思うけど。」

「確かにそうかもしれません。でも女として幸せになりたいだけだって思っていただけませんか。懐の深い先生なら私のこと受け止めてくれると思いますけど。」

「今の僕には無理だよ。」

「先生は学生の頃、公認会計士の勉強をされていたそうですね?」

友美ちゃんが急に話題を変えた。

「…ああ、確かにそんなこともしてたけど、それがどうかしたの?」

「私、簿記一級を持ってるんです。」

「ああ、そうなんだ。それはすごいね。友美ちゃんって商業高校の出身なの?」

 簿記一級は大学レベルで、かなり難易度の高い試験だ。僕も何度か受けたことがあるが結局、合格はできなかった。

「いいえ。私は本当に『おぎゃあ』と生まれたときからずっとアイドルとして英才教育を受けてきました。親がそういう人でしたから。レッスンや子役としての活動が忙しくて学校にはまともに通っていません。高校も広域通信制の高校です。それも卒業したのは二十歳過ぎてからです。」

「じゃあいつ勉強を?」

「チームが解散してからです。」

「新しい自分を見つけるため?」

 僕がそう聞くと友美ちゃんは小さくため息をついた。

「事務所に残るためです。」

「事務所に残るため?」

「先生にはご理解いただけないかもしれませんけど、毎年デビューするアイドルはたくさんいるんです。その中で最後まで芸能人として残っていられるのは本当に一握り。私のいたチームでも残っているのはマコちゃんと後一人くらいではないでしょうか。あの伝説的なアイドルだったハルナですら引退したんですから。」

「それは分かるけど。」

「チームのメンバーとは今でもネットとかで繋がってるんですけど、ほとんどの子は普通の生活に戻っています。中には公務員になってる子もいるんですから。」

「うん。」

「でも私はそんな事情でこの世界しか知らないんです。この世界でしか生きていかれないんです。二十五が近付くとアイドルとしては賞味期限です。本格的な歌手とか、マコちゃんみたいに女優とか、そういう道もあるのかもしれないけど最初からそっちで走ってきた人にはかなうわけありません。」

「でも友美ちゃんも、確かにアイドルとしてはトップではなかったかもしれないけど、成功した方なんじゃない?」

「ええ。でもそれはハッキリ言って先生のお陰です。十年前、チームがチャコちゃんとコラボしたことがありましたよね?あれは先生がプロデュースされたはずです。」

「ああ、あったね。」

「先生としてはチャコちゃんを引っ張り出すつもりはなかったけど、私をフロントに引っ張り出すためにチャコちゃんに一肌脱いでもらったんだって何年かたって聞きました。私とハルナとマコちゃんの三人の友情を壊さないために。あれがなかったら私はただのアイドルの卵として終わっていたはずです。」

「それはそうだったかもしれない。」

「先生のお陰で私は何年かアイドルとして素晴らしい時間を過ごすことができました。それ自体に悔いはありません。本当に精一杯やりましたから。私の青春です。」

「うん。」

「でも年齢を重ねればそれで終わりです。でも私は芸能界を離れることはできないし離れたくない。それから本当に必死に勉強しました。だから今でも事務所に残っていられるんです。今はもうほとんど経理係みたいになってしまいましたけど。」

「でも友美ちゃん、今でも時々テレビに出てくるよね?」

「でもそれだけではとても食べては行かれませんよ。事務所に残っていられるんで、事務所からお給料がもらえるんで生活できるだけです。チームのメンバーだった他の子はもう玉の輿にのっちゃってる子もいますけどね。」

「そう。」

「だから私も玉の輿に乗りたいんです。」

「随分、正直に言うね。」

「嘘ついても仕方ないですから。それに先生はあの天真爛漫なチャコちゃんを受け止めてきたんですから、私のこともきっと受け止めてくださるはずです。」

 友美ちゃんがそこまで言うと個室のドアがノックされ、マコちゃんが「ご歓談中のところ失礼しま~す。デザートで~す」と言って、ワゴンを押して入ってきたので、二人はかしこまり、黙った。

「まったく、折角、こういうシチュエーションをセットしたのに、お兄ちゃんが遅刻するもんだからもうデザートになっちゃったじゃない。」

 マコちゃんはブツブツ言いながらデザートとコーヒーを友美ちゃんと僕の前に並べ、自分の席の前にも並べてワゴンを押しやり、着席した。それからマコちゃんは一人で饒舌にしゃべっていたが、友美ちゃんと僕は静かにデザートをつつき、三人の晩餐会は静かに終わっていった。

 

 警備の都合で友美ちゃんを個室に残したままマコちゃんと僕は先に退室し、パトカーが先導する黒塗りに乗った。黒塗りの中でもマコちゃんは饒舌だったが、僕は頷く程度で、僕が口を開いたのは帰宅してダイニングで向き合ってからだった。僕は不機嫌だった。それはマコちゃんにも伝わっていたと思う。

「ねえ、お兄ちゃん、もしかして怒ってる?」

「まあ、上機嫌ではないよ。」

「あたしとしてはお兄ちゃんのために気を使ったつもりだったんだけど。」

 マコちゃんとしては本当に悪意ではないのだろう。それは認めてあげなければならないのかもしれない。

「僕のために色々と気を使ってくれるのはうれしいし、すまないと思っているよ。しかし、僕は公人だし、今や総理大臣臨時代理なんだ。全国の人が、いや、全世界の人が僕の行動に注目している。もちろん、好意的な人ばっかりじゃない。足を引っ張ろうとしている人も沢山いるんだ。だから軽率な行動は取れないんだよ。どうかそれは理解してほしいんだけど。」

「ごめんなさい。そうだよね。あたしが突っ走り過ぎでした。」

 いつも天真爛漫な妹がシュンとするとこっちも元気がなくなる。もちろんマコちゃんが百パーセント間違っていて、僕が百パーセント正しいに違いないが、僕の方が何か悪いことをしたんじゃないかという気分になってしまうから不思議だ。チャコや、裕ちゃんの時もそうだったけど、僕は元々強気に出られるタイプではないのだ。

「新聞には毎日、僕の動静が出る。明日もね。まあ友美ちゃんは古い知り合いだし、マコちゃんの親友だから一緒にご飯を食べてもそんなもんかと思われるだけかもしれないけど、今は国会開会中だし、僕も緊張感をもって仕事をしないといけない立場にあるからマコちゃんも分かってね。」

「は~い。今日はもう、お風呂入って寝ます。」

 マコちゃんは相変わらずシュンとしたままそう言うと、力なくダイニングルームから出て行った。

 

 次の日、目が覚めた僕がダイニングに顔を出すと「おはよ~」とマコちゃんがニコニコしながら元気にあいさつし、「昨日はどうもお疲れ様でした」としおらしく最敬礼した。昨日、あれだけシュンとしていたのに回復は早い。マコちゃんはキッチンで朝ご飯の準備をしている。

「おはよう。今日も早いね。」

 僕はそう言ってダイニングチェアに座り、テーブルに並べられている五紙のうちの一つを広げた。一番最初に向かったのは「首相動静」欄だ。総理大臣は入院したままなので「首相動静」には「飯田橋のセントラル病院に終日入院」としか書かれていない。入院してからずっとその記載が続いている。その隣には「首相代理動静」欄が特設されていて、僕の動静が分単位で刻まれている。昨日の最後の動静には「渋谷のフレンチレストランで義妹の真子さんと夕食。タレントの越後屋友美さんが同席」と記されていた。コーヒーを運んできて僕の前に置いたマコちゃんが新聞を後ろから覗きこむ。

「友美ちゃんの名前出ちゃったね。」

 マコちゃんがポツリと言った。僕はそれには答えず、既にミルクと砂糖が僕好みに入れられているコーヒーを一口飲んだ。マコちゃんは続けた。

「お兄ちゃんには申し訳ないと思ったけど、ブログには載せたよ。」

「そう。」

「ごめんなさい。でも、昨日のお兄ちゃんとのディナーは前から予告してたことだったからブログに載せないとかえって不自然だと思ったし。でも、友美ちゃんが来たことは、『お兄ちゃん、忙しいからすっぽかされるといけないと思って、保険に友美ちゃん連れていきました。案の定、お兄ちゃんは遅刻して、デザートくらいしか一緒に食べられませんでした』ってことにしといたから。事実そうだったんだし。」

 妹は背後から前の方に回り込むと僕の対面に座った。昨日の表情が嘘のようにケロッとしている。

「友美ちゃんからは何か連絡来たの?」

「まあね。お兄ちゃん、あまりいい顔しないかもしれないけど、今度はここのおうちに遊びに来たいって。」

「そっか~。」

 押しかけ女房するというのも案外、嘘ではないのかもしれない。

「でも、遊びに来るくらいいいんじゃないの?だって、今までは普通にこの家に出入りしてたんだよ。それが相思相愛になった瞬間に遊びに来なくなっちゃうのは逆に勘ぐられちゃうと思うけど。」

 僕はそれには答えず、話題を変えた。確かにマコちゃんの言う通りなのかもしれない。僕が友美ちゃんを避けたければ公邸に寝泊まりすればいいだけの話だ。友美ちゃんが来るというのであればマコちゃんも寂しくはないのだろう。

 

 それからいつも通り永田秘書官が迎えに来て僕はパトカーの先導する黒塗りに乗った。

「臨時代理。朝一番で大変恐縮なのですが、白石最高顧問が緊急に会談を求めてこられまして、朝一番でセットしています。」

 黒塗りに乗り込むと永田氏が開口一番、言った。

「権蔵先生がですか?なんでしょう?」

「プライベートなこととおっしゃっておりました。もう既に官房長官執務室でお待ちのようです。よほど緊急のことなのかもしれません。」

 それを聞いて僕は緊張した。友美ちゃんとのことが何か伝わったのかもしれない。それでなくてもあの老獪な政治家は周囲にアンテナを張り巡らしているのだ。官邸に到着し、黒塗りを降りると僕は早足で長官執務室に向かった。ドアを開けると既に巨漢の参議院議員はソファにどっしりと座って僕を待っていた。

「スミマセン、お待たせしまして。」

 僕がそう言うと、巨漢は僕に続いて入室した永田秘書官に人差し指を向け、「君!お茶はいらないから」と一言言った。巨漢の一言を人払いと解釈した永田氏は「失礼します」と言って一礼し、ドアを閉め、密室を完成させた。

「ちょっと言いにくいことを言わせてもらうよ。」

 僕が対面に座ると巨漢はいきなり切り出した。心当りはあるのでちょっとドキッとした。

「はあ。なんでしょう?」

「君の女性問題についてだ。」

 それを聞いて僕の鼓動はより激しくなった。天網恢恢疎にして漏らさず、この巨漢は友美ちゃんと僕のことを既に知っているのかもしれない。実際、この男なら盗聴器を仕掛けるくらい眉一つ動かさずにやってのけるだろう。

「女性問題と言いますと?」

「言いにくいのだが、君の女性問題が週刊誌で色々話題になっていることは知っているだろう?まあ君にはあずかり知らないことかもしれないから君の女性問題というのは筋違いかもしれないが。……要するに朝子がいなくなってしまった今、寄り添う人がやはり君には必要なのではないかというおせっかいな連中の話だ。」

「まあ、噂話となっていることは承知していますが。」

「それで、実はとんでもないことになってしまったのだ。本当に君には申し訳ないと思っている。」

 そう言って巨漢がいきなり頭を下げたのでビックリした。予想外の展開だ。

「どっ、どうされたんですか?」

「昨日、君が真子と一緒に飯を食ってる頃、実は斎藤先生に呼び出されてな、料亭で二人だけで話をしていたんだ。」

「はい。」

「それで斎藤先生はとんでもないことを言ったんだ。孫娘を君とくっつけたいと。」

「はあ?」

「斎藤先生の孫娘は知っているな?」

「ええ。恵里香ちゃんですね。まあ形の上だけですけど、僕の二番弟子ということになってますから。でもアメリカに行ってしまってからは本当にご無沙汰です。」

「私も、『桜を見る会』のときだったかな、一度、見たことはあるのだが、とんでもない不良娘だ。あんなのが君と一緒になるなんて考えるだけでヘドが出そうだ。」

「そこまでひどくもないですが。ということは、先生は斎藤先生のオファーを一蹴されたということですね?」

「ところが話はそううまくは行かないのだ。私は斎藤先生のお力で参議院議長にさせてもらったんだ。だから斎藤先生には逆らえないのだよ。」

「では先生も恵里香ちゃんと僕をくっつけようというんですか?」

「もちろんそんなことは認められない。斎藤先生は本当にとんでもないことを考えているんだよ。その恵里香とかやらを君とくっつけて君に斎藤を名乗らせたいというんだ。そんなこと認められるか?もう少しで白石総理大臣が誕生するというのにギリギリのところで斎藤総理になってしまうんだぞ。」

「はあ、……。では、先生はどうされたいとおっしゃるのですか?」

「うん。ちょっとややこしいロジックなのだが、ついてきて欲しいのだが、私はそういう事情で斎藤先生に逆らうことができない。だから、あの不良娘が君と結ばれるよう尽力するフリをする。君はそれに頑強に抵抗して欲しいんだ。」

「どんな話になってるんですか?」

「取り敢えず、昨日の段階では全面的に協力しましょうと言って油断させてある。『どうしたらいいだろうか?』と聞かれたので『すぐに帰国させて彼の私設秘書にでもしたらどうですか?私も彼にはその旨、言っておきますので』と言っておいた。だからそのうち斎藤先生からその話が来ると思う。でもそれを君はやんわり断ってくれればいいよ。『秘書にするのは構いませんが、向こうの大学院を出てからでいいんじゃないですか?』とか言って時間稼ぎするんだ。それで帰国を遅らせている間に、君は真子と一緒になればいい。」

「マコちゃん、…ですか?」

「真子は嫌かな?まあ、朝子と違って我ままだからな。私にもなつかなかったし。」

「そうは言ってませんが。」

「別に真子でなくてもいいよ。色々と報道されているようだが、鈴木さんでもいいよ。黒田君でもいいのだが、ご両親にちょっと問題があるようだな。まあお兄さんはノーベル賞受賞学者だからそれでお釣りがくると言えなくはないが。まあ、君はもう朝子とは離婚できないわけだし、姻族関係終了届も出していない。君はもはや白石の人間だ。とにかくあの不良娘でなければいいんだ。」

「しかし、先生。参議院議長も昔の話ですし、そんなに斎藤先生におもねる必要もないのではないですか?」

「そうもいかないのだよ。君が考えている以上に斎藤先生は老獪な政治家だ。私の弱みも握っている。もちろん私も斎藤先生の弱みを握っていなくもないのだが、斎藤先生が自爆攻撃を仕掛けてくる可能性は否定できない。もうそろそろ叙勲だというのに、そんなことになったら悔やんでも悔やみきれない。」

 巨漢がそこまで言ったところでドアがノックされた。巨漢はそれを「巻き」と解釈したようで僕に催促されるわけでもなく、自ら立ち上がった。

「最後に一言、言っておくが私がその恵里香とやらとの結婚を画策するのが芝居だというのは私と君だけの二人だけの秘密だ。秘書にも内緒だからな。どこから情報が漏れるか分からないからな。それじゃあよろしく頼むよ。」

 そう一言、言うと、席を立ち、自らドアをあけて官房長官執務室から出て行った。

 

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