拾われた幼女
「……大丈夫ですか?」
人通りが多く、剣や槍、盾を携えた冒険者も行き交う街路。
通りすがりの男に蹴飛ばされ、地に倒れ伏す幼児の頭上から透き通った声がした。
幼児の年齢は僅か五歳ほどに見え、肩に触れるかどうかの長さの髪は、その瞳と同じく、濡れたような黒。
肌は本来瑞々しく綺麗な白だったのだろうが、埃が垢に混じったためか、やや黒ずんでしまっており、着用している衣服にもほつれや破れている箇所がある。
そんな幼児は大の大人に腹部を蹴飛ばされた痛み故、強く目を瞑って中々顔を上げることが出来ずにいたが、何かしら反応を返そうと声の方向へ視線を飛ばした。
そして視てしまった。
差し伸べられた手の先に女神を。
碌に身体を清めることも出来ず、薄汚れた自分とは正反対の白く、汚れ一つない腕。
そこから目線を徐々に上げれば、表情に乏しくも、神秘的な雰囲気さえ感じさせる金髪金眼の美貌。
屈んでいるため背丈は分かりづらいが、幼児に比べ、遥かに成熟した女性であることは認識出来る。
「あの……大丈夫、ですか?」
もう一度尋ねる少女。
ただ、反応を返すことは出来ない。
目を奪われてしまった。その美しさに。
心惹かれてしまった。矮小な自分にすら手を差し伸べるその優しさに。
だからこそ、無意識に口が動いてしまったのは運命の導きか。
幼児の脳や脊髄の芯にまで、求める夢の形が刻まれてしまったのは。
先程まで鈍い刺激を与えてきた腹部すら、今はもう気にならない。
心が、今ここで胸の内を
「僕は……貴方みたいになりたい」
「……!」
手の大きさが足りない故に、差し出された手の指を力の限り掴む。
少女の問いかけに対し、文脈も何もない回答。
ただ真実、これが幼児の求める全てだった。
先程蹴られた男からの視線も、通りの喧騒も意識に入らない。
地面に触れていた顔を持ち上げ、眼前の少女の瞳の奥に訴えかける。
その握りしめる力の強さか、眼に映る意識の炎か、はたまたその両方に感じ入るものがあったのか、少女は小さく息を呑む。
一瞬少女に躊躇いの気配が浮かんだが、何かを決断した様子であるその声音は、やはり控えめながらも透き通っていた。
「……私と、一緒に来ますか?」
この金の少女と黒の幼児の出会いによって、大きく世界の運命が変わることになる。
これは、最後の英雄が存在しない世界線。
代わりに、『オラリオの天使』と近い将来
世界に
無能の神々と人類が住まうこの下界に、救いの手を差し伸べるべく奮闘する黒き童の物語。
これより
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
都市北部、北の目抜き通りから外れた街路沿い。
高層の塔が幾つも重なっており、まるで城のようにも見える長大な館が建っていた。
その中でも最も高い中央塔には、それまでの歴史や功績を誇示するように
【ロキ・ファミリア】
迷宮都市オラリオにおいて最高峰と謳われるファミリアの中でも限られた者しか入ることが許されない執務室では、問題児が持ち帰ってきた一つの
「……ほんでぇー?大人に蹴られてた、かっわいそうな子供に声かけてー?なんか自分に憧れてたみたいだから持ち帰っちゃいましたー☆テヘペロ♪ってか、アイズたぁああああああん!?いくら眼球に入れても痛くないアイズたんとはいえ、ちょっとやり過ぎやでー!?」
「やれやれ……アイズ、君はどうも僕達を困らせるのが趣味なのかい?」
「アイズ、お前は早朝に素振りをし、暇が出来ればダンジョンに潜るような娘だ。そんなお前が拾うのならば犬猫だとしても反対意見が出ることは容易く想像出来たろうに、何故人間の子供を拾ってしまったのか」
「ふははは!仕方あるまい。儂等が目を離せば、すぐ何かやらかすのがアイズじゃろう!寧ろ最近がおとなしすぎたくらいだわい」
「ガレス、笑い事じゃない。私達は探索系ファミリアなのだから、託児所を開く余裕は無いぞ。……アイズ?子供を拾ってきたは良いものの、その後のことまでしっかり考えていたのか?」
「……ごめんなさい」
【ロキ・ファミリア】の主神である女神ロキ、そして派閥を束ねる三首脳であるフィン、リヴェリア、ガレスの前で、子供を拾ってきた金髪金眼の少女――アイズは、正論で詰めてくる首脳陣にすっかり恐縮してしまっていた。
幼い頃からファミリアにいた大先輩であり、親のような存在でもある彼等には、さしもの第一級冒険者といえども頭が上がらないのである。
とはいえ、アイズもこのまますごすごと引き下がる訳にはいかない。
彼女も、ただ同情心のみで連れてきたわけではないのだから。
「……フィン、勝手に連れてきてごめんなさい。でも、私はただ可哀想になったから連れてきたわけじゃない」
「ンー、それならば、あの子をお風呂に入れている今のうちに、訳を説明してもらおうかな?」
控えめな態度ながらも、引く気のないアイズの発言にフィンは興味を持った。
自身の鍛錬やダンジョン探索には一切妥協の無いアイズだが、こと人間関係においては、それほど強い拘りがあるわけではない。
そんなアイズが強気に出るのなら、その胸の内が知りたくなるのも至極当然のことだろう。
勿論連れてきた罪の無い子供をただ追い返すわけにも、このような会話に混ぜるわけにもいかないため、予めお風呂に入れさせるよう団員――幼いこともあるが、見た目が中性的で性別がいまいち分からないため、女性団員を
「……あの子はきっと強くなる。それに、私とは違って、綺麗な心のまま強くなってくれるって、そう思ったから」
「アイズ、あの子供もまた、お前のように胸に炎を宿していると言いたいのか?」
「……多分、そう。でもあの子は私よりも白い炎を灯してる、って私は思う」
アイズの回答に、彼女の過去を知っているフィン達は眉を曇らせる。
彼女が心に黒の衝動を抱えていることを把握している首脳陣としては、娘のように思っている少女の返答に思うところはあった。
しかし、同様に、彼女の強さに対する執着もフィン達は当然理解している。
本当にアイズが拾ってきた幼児に才があるのなら、そしてその子がアイズに、ひいては【ロキ・ファミリア】に何かしら良い影響を与えてくれるのなら、仲間とするのも
(これも、いい機会か。それにしても、少し前まで子供だと思っていたアイズが、まさか幼子を連れてくるとは。時が経つのは早いものだね)
「……君の言いたいことはわかった。ただし、幼児とはいえ無条件で加入させる訳にはいかない。例えばラウルやアキも歳は二桁に届いていたとはいえ、若いながらに正当な手順を踏んで入ってきているんだ。これは分かってくれるね?」
「……はい」
「だからこそ、あの幼子と話がしたい。最終的に誘う決断をしたのはアイズだけど、向こうから君に望みを伝えたようだしね。……何を思い、何を成し遂げたいのか。何より、夢や野望を叶える為の勇気があるのかを問うつもりだ」
フィンは此方を真っ直ぐ見つめるアイズの金眼に、視線を投げ返す。
幼児を甘やかすことはしないが、アイズの意思には応えると。
言葉と視線、そのどちらからも団長の考えを正しく受け取ったアイズの身体より硬さが抜ける。
「団長、アマネちゃ……アイズが連れてきた子をお風呂に入れてきました。入室してもよろしいでしょうか」
「ご苦労だったね。構わないよ」
「失礼します」
一連のやり取りが終わったのを見計らったかのようなタイミングで、彼等がいる執務室の扉がノックされる。
フィンが許可を出すと、扉を開いた黒猫――アナキティ・オータムに促されて黒髪の幼女がひょっこりとアキの背中から顔を覗かせた。
「こ、こんにちは……」
「んッッッッぎゃわいいぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「ぴっ!?」
「初めの一歩を誤りすぎだろう、たわけ!」
「ぐぶふぇッ!?」
恐る恐るといった態度は見えるものの、しっかりと此方に目線を合わせて挨拶をしてくる幼女。
そのいじらしい姿に、大興奮で全力ジャンプ&ハグチューをお見舞いしようとする
……女神の迫力に押され、アキの背後にまた引っ込んでしまった事実があるため、間に合ったと評して良いかどうかは議論の余地があるが。
「まあ、ロキの気持ちも分からなくは無いわね。こういう子を極上の美少女って言うのかしら」
「髪の色は異なるが、昔のアイズに通じる部分もある
「うちにいる娘はみーんな美少女ばかりやけど、その中でも中々に格別やなあ。フィン、もう入団決定でええんちゃうか?」
「勘弁してくれロキ……。君と僕のファミリアだから、ロキの趣向も取り入れはするけど、完全顔採用なんてした日には団員や世間の僕に対する評価は地に落ちてしまうよ」
汚れや垢を落とし、生まれたてのようなキメと瑞々しさを取り戻した白い肌。
くりくりとしたつぶらな瞳。
小ぶりな鼻に、程よく口角の上がった唇。
それらは見事に均整がとれており、狂いなき黄金比で完成されている。
瞳と同色の黒髪も
そんな美幼女に興奮するロキや、狂った女神に共感したり苦笑しているアキやフィン、嘗てのアイズと重ねるガレス等の軽い会話で場の空気も温まる。
可愛い女子にロキが暴走するのは常のことであるが、それをただの暴走で終わらせない。
内気であったり、緊張しているゲストにとって話しやすい空気を作ることも、大手ファミリアの長年のノウハウの賜物――ということにしておこう。
「……それじゃあ、」
フィンが2回手を軽く叩き、柔和な笑みを浮かべたまま幼女に視線を送る。
「軽く自己紹介をしてもらってもいいかな?」
再度強ばる幼女の身体。
ただ入室時と異なり、アキに促される前に彼女の背後から抜け出して視界にエルフやドワーフ、その中央の執務机に座するフィンを捉える。
先程の下卑たオヤジくさい表情から一変、ロキは口元を薄くニヤつかせながらも、その光景に真剣な眼差しを送っていた。
「僕……私はアマネといいます。5歳です」
「自分のことを僕と呼ぼうが、私と呼ぼうが
「ありがとう、ございます」
若干おどおどした様子のアマネに、フィンは微笑ましさを覚えながらも、次に尋ねる予定の問に意識を飛ばす。
風呂に入れる前、この年齢にして肌が黒ずんでいたり、ボロボロの衣服を着用していたことから推し量ることは出来るものの、それでも敢えて聞かなければいけないこと。
それは――
「――アマネ、君を傷つけることになるかもしれないが、敢えて聞かせて欲しい。君には保護者と呼べる人物はいないのかい?」
「……うん。親は顔も知らないです。僕が4歳の時までは一緒に住んでくれるおばあちゃんがいたんだけど、死んじゃったから今は誰もいません」
「……そうか。辛いことを聞いて悪かったね」
「ううん、大丈夫です」
「そこから1年間は1人で生きてきたのかな?」
「うん。おばあちゃんが靴磨きでお金を稼いでくれていたから、僕も真似しようとしたんだけど、子供の靴磨きなんて客がつかなくて。おばあちゃんの貯金も無くなっちゃったから、申し訳ないけどゴミ箱とか残飯を漁って生きてました」
一度顔を俯け、フィンは顎に手を添えながら思い耽る。
(経歴に関しては言ってしまえば、今の世界では
机に向いていた己の視線を一瞬アマネへと戻し、彼女の姿を盗み見る。
今の会話における着目すべき点は、5歳とは思えぬ受け答え。
フィン自身も甞て神童やら賢者のようだと言われていたが、それに近しいものを覚えた。
「話してくれてありがとう。よくここまで頑張ってきたね」
「えっと、ありがとう、ございます」
初めてアマネの返答が詰まった。
境遇的に褒められることや労われることに慣れていないのだろうとフィンは当たりを付ける。
「それにしても、アマネの受け答えは5歳とは思えないほどしっかりしているね。君の保護者に教え込まれたのかな?」
「うん。おばあちゃんが『自分が学が無くて苦労してるから』、って
「素晴らしいね。本に向き合うことだけが勉強では無いことも、経験として理解しているようだ」
ここまでの会話から、アマネが一般的な子供に比べて学力や知性においては秀でたものがあるとフィンは結論付けた。
冒険者が腕っ節第一の職業であることは全く否定出来ない。
しかし、戦術や戦略、技と駆け引き、それらの基盤となる武器や立ち回りの知識を得るには勉強が欠かせないのもまた事実。
故に、この幼女をファミリアに加入させることは、長い目で見てプラスになり得ると派閥トップの立場から冷静に分析する。
「アマネ、
「――はい。アイズさん?に近付く為にアイズさんや、その周りの環境に触れ合いたい、って今はそう思ってます」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。結論から言えば、君の現時点の能力や将来性を
「!」
身体をびくーん!と硬直させ、目を見開くアマネ。
その勇名を世界の果てまで轟かせる【ロキ・ファミリア】は、無論オラリオに暮らしていれば如何なる環境・境遇に置かれていても知らない者はいない。
その首領に将来性を評価されているとなれば、恐縮やら喜びの奔流で固まるのもやむを得ないだろう。
「ただ【ロキ・ファミリア】に於いて……というよりは僕個人が才能や実力よりも、何よりも重視していることが一つある」
「な、なんでしょうか……?」
それまで人当たりの良い雰囲気を出していた小人族から僅かに試すような圧が漏れる。
ただの子供からすれば、英雄候補と名高い勇者からの圧など、たとえ少量だとしてもたまったものではない。
フィンの鋭い視線を受け、アマネはやや上体を逸らしてしまう。
「アマネ。君の夢、そして到達すべき終着点に突き進む覚悟――勇気を問いたい」
「夢と……勇気?」
「ああ。君はどうやらアイズのようになりたいと告白していたみたいだけど、彼女も人間だから色々な一面がある。だからこそアマネが彼女のどこに惹かれ、そして理想に近づく為に何を成さんと欲するのか。興味が湧いているんだ」
「……ん〜」
難しい問を投げかけられることは分かっていたものの、想像以上に答えにくい質問にアマネは唸ってしまう。
アイズ相手に適当なことを言ったわけでは無いものの、心の赴くままに口を開いてしまっていたため、振り返ると言語化が難しいのだ。
「うまく言えないんですけど、」と控えめに切り出す。
「たぶん……、アイズさんの優しさに感動したんだと思います。」
「ほう?」
アマネの回答にフィンではなく、片目を瞑った状態でリヴェリアが反応する。
アマネとフィン両名から視線を頂戴したハイエルフは「……すまない、続けてくれ」と先を促す。
「えっと……。僕はここ一年間生きることにすら必死だったけど、その中で助けてくれる人は誰もいませんでした。――あ、皆さんに何か言いたいわけじゃないですよ!……でも、そんな中で見返りも用意できないのに、何の縁も無い僕に手を差し伸べてくれたことが凄く嬉しかったんだと……思います」
「なるほどね。……でも、その言い方だと、もし君に声を掛けたのがアイズじゃなくて他の誰かだとしたら、【ロキ・ファミリア】以外の誰かだとしたら、君は他所の誰かのようになりたいと思っていたのかな?」
「うっ。……それは、正直そうだと思います。でもここまで惹かれたのは、他の誰かじゃなくて【ロキ・ファミリア】のアイズさんだからっていうのも、多分間違いじゃない……かな~って……」
「ははは。すまない。意地悪な質問をしてしまったね。その状況ならアマネが自分を助けてくれた人に気を持つのも当然だし、その上で君がアイズをそこまで高く見積もってくれていることも分かって嬉しいよ」
アマネもふわふわした答えだとは自覚していたものの、フィンからのやや突っ込んだ質問に面食らってしまう。
年齢以上に大人びた少女だからこそ、興が乗って意地悪な質問をしてしまったと自覚するフィンは笑って謝罪しつつ、アマネのアイズに対する感情は本物だと再認識した。
「君がアイズに憧憬のような感情を抱いていることはわかったけど、その上でアマネは何を為したいのかな?」
「僕は――この下界全てに手を差し伸べられる人になりたい」
ここまでの発言は言いたいことが定まっていなかったが、この一言だけは力強く、確固たる意思を持って発した。
弱冠5歳にして(だからこそと言うべきか)あまりにもスケールの大きな理想にフィンも
ちらりと己の主神に視線を飛ばすも、アマネの嘘偽り無い本心であることをロキは頷くことで肯定した。
「それは……非常に大きな理想だね。僕自身にも野望があるけれど、アマネのそれは僕のものより険しい道のりになるだろう。理想を遂げるために、君はこれからどうしていくつもりなんだい?」
「先ずは強くなります。冒険者全盛の今は力が第一優先の時代だと思うから。でもその過程で世界を知ることも疎かにしたくない。ずっと暗くて狭い場所にいたから、今の世の中がどんな現状で、どんな救いを求めてるかを知っていきたいんです」
「それならば君はこのファミリア、いや世界中の誰よりも研鑽を重ねなければならない。それも、相当に長い期間、もしかしたら死ぬまで続く可能性もあるだろう。果たして君に――その覚悟があるか?」
黒の双眼が碧眼を貫く。
「生涯を懸けてでも」
歴戦の団長は今度こそ己の主神に確認を取るような真似をしなかった。
彼女の声色、表情、視線、その全てが真実だと訴えかけてきたから。
これはまた手のかかりそうな子が来たな、とフィンは内心で独り言つ。
「君の覚悟は十二分に伝わった。面接の結果、僕としてはアマネを歓迎したいと考えている。ロキ、リヴェリア、ガレス、どうだろう?」
「フィンがええなら、うちとしてもオールオッケーや!嘘も言っとらんかったし、何よりごっっっっっつ美少女やしな~」
「フィン、お前の話の振り方で異議を唱える方が難しいだろう。だが、私も異論は無い。アマネが私達に新しい風を吹き込んでくれることを期待している」
「そうじゃのう。やはり、小童ならこのくらいの威勢はないとな!アマネ、お主の活躍を楽しみにしておるぞ」
「……はい!これからよろしくお願いします!」
フィンからの確認に満場一致で賛成の意を表する首脳陣。
英傑達による歓迎の言葉に、アマネはこの日一番の返事をするのだった。