竜胆サキから骨引っこ抜いて竜骨作るお話   作:ゾエア

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竜胆サキはもう痛めつけられません。安心してください。


竜胆サキが一歩を踏み出すまで

 

 

 

「痛くない。すぅー、ふぅぅ……痛くっ、ない。痛くなっ……うゔぅ……」

 

 

 悪趣味な意匠と人骨のような材質でできたベッド。その上には白い患者衣を着た女が横たわっていた。長かった金髪は肩にかかる程度に切りそろえられ、顔色はすっかり白くなっている。呪文のように自分へ言い聞かせながら、竜胆サキは腰と下腹部の痛みを懸命に堪えていた。

 

 

「竜胆サキ。リハビリは継続が重要だぞ。術式も並行して扱えるようになると無駄がない。出来れば呪力操作を──」

 

 

「──んなこと……い゙っづぅぅ!!」

 

 

 この苦痛の最たる原因である男──裏鍛憚己に対して、竜胆は目を合わせることができなかった。ひと仕事終えた憚己が訪れる度に彼女は思い出してしまう。痛みと屈辱、そして暴力を味わって怯えながらも、今は憚己に頼るしかない現実が竜胆の自尊と理性を蝕んでいた。

 

 

「お前は歩けるようになりたい。俺はお前に動けるようになってもらいたい。互いの目的は概ね一致している。協力関係を築くことはそうおかしな話でもない」

 

 

「い゙ぃっ!?痛い!!痛い!!痛ぇ!!いてぇって!!」

 

 

 憚己は竜胆の腰に手をやると反転術式によって治癒を始めた。埋め込んだ呪物が馴染むまでの間、呪物の発する呪力で体内が傷つくため、定期的な治癒が必要であった。再生による痛みで悶える彼女の泣き言には意を介さず、憚己は反転術式の出力を一定に保つだけだった。

 

 

「呪力操作が少し甘いな。どれだけ痛みがあっても一定の出力と操作性を保っておけ。上手くやれば痛みは治まる」

 

 

「あぁぁぁ……!!すぅーっ……ふぅぅー、ぅうっ!!つぅ……」

 

 

 ここ数日竜胆はまともに眠れていなかった。自らの呪力を注いで回す──という作業をしなければ、埋め込まれた呪物が肉体に馴染まないためだ。当然ながら痛みはひっきりなしに訪れる。竜胆はひたすら呪力を練って回し続けるほかなかった。

 

 

「そうそう。上手じゃないか。そのうち痛みもなくなるだろう。脚の感覚も戻ってきたハズだ。案外すぐに歩けるようになるかもしれない」

 

 

「……ん」

 

 

 一般的に、心的外傷後ストレス障害──PTSDと呼ばれるものは、トラウマになる圧倒的な出来事を経験した後に始まる精神疾患である。

 

 3日前の"しつけ"と施術は、竜胆サキにとっての心的外傷(トラウマ)となっていた。自らを蹂躙した無慈悲な暴力と激痛は彼女の脳裏に深く刻み込まれている。

 

 そして、予後の生活全てにおいてはトラウマを生み出した元凶──裏鍛憚己に頼らざるを得なかった。爪を剥いだ手が傷を癒し、掴み抑え殴ったその腕で体を抱えてもらう。用を足すにも、食事を取るにも全て憚己に頼らなければ不可能。離れることなど到底出来なかった。腰から下の体を動かすにも激痛が走るのだから。

 

 その状況で怒りや恐怖を相手に長く向けられるほど人間の精神は強くない。ましてや、憚己は竜胆のリハビリに対する協力は怠らないうえに、どんなタイミングであっても介助の際は嫌な顔一つ見せることはなかった。呪術初心者の竜胆に対して丁寧に指導を行い、成功には賞賛と共感を、失敗には具体的な助言を適宜与えて、決して暴力を振るわなかった。

 

 誰かを憎み恐れ続けることはストレスを抱え続けることと同義である。疲労と痛みによって弱った精神であれば、気を許し緊張を緩め安らぎを欲するようになってもおかしくないのだ。傷つけられたことから目を背け、優しく労わられたことだけに気を向けていく。自分を支えて管理する者へ共感と信頼を向けてより協力的になる。飼い主に依存して媚びを売るような。

 

 つまるところ、竜胆サキはトラウマとストレス源に支持・支配される現実から逃避するため、俗に言う──ストックホルム症候群のような状態になっていた。

 

 

「……なんで」

 

 

 竜胆は言葉の途中で逡巡したように口を噤む。少しずつ現状を飲み込んでくると、介助される気恥しさや羞恥などよりも先に疑問が生まれていた。

 

 蹴られて、殴られ、爪を剥がされ……文字通り骨の髄まで彼女は痛めつけられたのだ。だというのに、その下手人である憚己が今になって労わってくる。そんな行動のギャップに不安や恐怖が完全に拭えなくても、三日も世話されれば少しは和らぎ絆されていた。邪気のないボディタッチや目線を合わせる真摯な仕草によって、温かみのある関わりがあったことも彼女の記憶に新しい。

 

 

「何故わざわざ治療しているのか。どうして生かしたのか……お前の疑問はそんなところだろう。安心しろ。動けるようになってほしいという要望は嘘じゃない。お前が"竜骨"を握るようになるまでが一つの作品なんだ」

 

 

「竜骨……あたしの骨……」

 

 

 憚己の言葉に竜胆はボソボソと小声で返した。自らを"作品"として見ていること。それは裏を返せば人間として扱われていないことを意味した。作品だから丁寧に扱うし、作品でない時は痛めつける。その価値観に面と向かって異論を唱えられるほど、正常な判断力は彼女に残っていなかった。

 

 

「これから……どうなるん、すか?」

 

 

 たどたどしい敬語は今にも震えそうで。この血なまぐさい一室から未だ出ることも、歩き出すことすら叶わない竜胆の不安は計り知れない。彼女の縋る先は憚己ただ1人しかいないため、媚びるように上目遣いで見つめる他なかった。

 

 

「作品として完成すれば晴れて自由の身だ。俺は支配や所有に頓着しない。興味もない。作りたいだけだ。どこへなりとも好きに歩いていけばいい」

 

 

「い、意味わかんないっす……」

 

 

 急に梯子を外されたような。骨を切り取って、生かしておいて、動けるようになれば自由にさせると。行動原理も価値観もまるで異常だと認識して、竜胆は理解を放り投げるしかなかった。

 

 本当のことを言っている保証もない。最初から猟奇的な行為を目的とした誘拐だったのかもしれない。この後また酷く痛めつけられるかもしれない。

 

 到来する不安から目を逸らすため彼女は目を閉じて呪力の操作に集中する。腰に添えられた手の温もりが痛みを和らげるようにじんわりと伝わっていた。

 

 

 


 

 

 

「素晴らしい。予定より早く馴染んできた。呪力操作も悪くない。よく頑張った。俺の補助も要らなくなってきただろう。歩き回ってみるといい」

 

 

「……うす」

 

 

 さらに数日経過した頃。容態の回復に伴い竜胆の表情も少しずつ明るくなっていった。大きな進展は歩けるようになったこと。憚己が肩を支えながら一歩を踏み出した際は、思わず彼女の目尻に涙が滲んだ。足裏の感触を噛み締めるようにゆっくりと歩く彼女へ、憚己は素直に賞賛の言葉を発していた。

 

 それは自尊心を保ち精神的な安定にも繋がった。なんといっても、憚己の手を借りずに用を足し、着替えもなんでも一人で済ますことができる。未だおぼつかないことがあっても、ひとつずつ尊厳を取り戻すように取り組んでいた。

 

 さらに、限られた範囲ではあったが、室内の散歩を許されたことで、彼女の行動範囲も大きく広がった。自らの足でもう一度歩くことができる。他の部屋を見物して回るというそれだけでも彼女の心は大きく満たされていた。

 

 今日も壁に手をつきながら、行ったことのない部屋を訪ねていた。完全に体が馴染めば晴れて自由の身だと。心配をかけた友人や家族の元へ帰ることができる。ようやく見えた希望が彼女の心を支えていた。次は支えなしで小走りや軽いステップを試す予定であった。もっと動けるようになる。そして元通りになる。その筈だった。

 

 

「……は?な、なんっ、で?」

 

 

ぃぎあ?

 

 

 薄汚れた室内。何かを運んだためか、ドアや床には引きずられたように赤黒いシミが伸びていた。札を貼って構築された結界内には()()()()()の3級呪霊が数匹飼われている。ここは裏鍛の工房のゴミ処理場。呪霊を飼って死体を廃棄処理するのは呪詛師としても分かりやすい生業の一つであった。

 

 その点について竜胆はひとまず納得できる。人体加工を手がけるような憚己の存在を知ったので、呪霊を飼って人肉を食わせていても大きく驚かない。呪霊が肉を食らう凄惨な光景を直に見て衝撃を受けてはいるものの、彼女が震えながら言葉をこぼした理由は他にあった。

 

 

 呪霊が咥えてぶら下げているそれ。青あざにまみれ土気色になった顔。力なくあらぬ方へ向いた両目に光は欠片もない。死人。その顔は彼女の──

 

 

「やめろっ……!!食うなっ!!食うなよ!!返せ!!母さん!!母さん……!!なん、でぇ……!!」

 

 

あぎっ

 

 

 呪霊から剥ぎ取るように奪って抱え込んだ。冷たい肉塊。首から上だけになっても、それを彼女が見間違えるはずがなかった。

 

 

「あぁぁ……母、さん。母さん……ゔぅぅ……あ、あっ……あぁぁぁ!!」

 

 

 どこか見覚えのあるものは他にも散らばっていた。1本だけ転がっている足に巻かれたミサンガは弟のもの。ちぎれた布の切れ端は妹お気に入りのブランド服の……比較的小さめの腕がいくつか見えたあたりで彼女は理解してしまった。

 

 

「竜胆サキ。適度な運動は悪くないがこの部屋は少々不衛生だ。リハビリなら場所を移した方がいい。それに、呪霊の仕事を奪ってやるな。死体処理は──」

 

 

「あたしのっ!!あたしの家族なんだよ!!みんな!!生きてた……!!うゔぅぅ……!!うぅぅ……生きてっ、たのにぃっ!!こんな゙!!バラバラに!!ああぁぁぁ……」

 

 

 呪霊達は途中から室内へ入ってきた憚己に慌てふためいて距離をとった。

 

 貪られたモノを目にして竜胆は掠れた声で喚き続ける。それに対して、憚己は口を噤んで思考を回すと、しばらくしてから言葉を発した。

 

 

「今朝運ばれてきた。いつも通りの死体処理(エサやり)だ。組屋が竜骨に付きっきりだった以上、誰も死体に用がない。だから腐る前にコイツらに食わせる。そういう仕事だ。だが今回は少し多い。一気に殺したんだろう。それもウチに流したがるような後暗いヤツらが。一家全員始末してるとすれば……どこかで足が付く」

 

 

「……どういう意味……っすか?」

 

 

 掠れた声で竜胆はそう返した。今の状態ではまともに頭も回らない。だからといって、憚己の言葉を聞き流すこともできなかった。この状況で彼が真剣に向き合っていることくらい、短い関わりであっても理解できた。

 

 

「お前が買った喧嘩の中にあったハズだ。一度殴れば徹底的にコトを起こすような、ネジの外れたヤツら。お前をバットでぶん殴るようなヤツらが──お前の家族にまで報復行為をした訳だ。ウチまで死体を流している。相応の後ろ盾もあるだろうな」

 

 

「あたしが……あた、しのせいで……?だって、あたしは、ただ!!なんっ、で!!そんなの!!」

 

 

 自分を支えていた柱が崩れるような。喧嘩じゃ負けなしだった自分。それが一撃のもとに仕留められ、ここへ運ばれるようになったこと。自負していた強さも、誇っていた何もかもを壊されて、それでも必死に立ち直ろうとしていた。

 

 既に全部終わっていたのに。

 

 家族とは仲がよかった。喧嘩に明け暮れていても、どんな時でも家に帰れば温かく迎えてくれた。女手一つで育ててくれた母の優しい眼差しも、今は虚ろに空を見つめるだけ。しつこいぐらいしがみついてきて、お姉ちゃんお姉ちゃんと呼びかけてくる弟も妹もみな、苦しげな表情で眠りについていた。ドタドタとうるさい足音が響く我が家の雰囲気は、薄汚れた呪霊達に囲まれてしんと静まりきっている。

 

 

 今や竜胆の魂の根幹は揺らぎ、強烈なストレスと胸中の不快感で視界がぐるぐると回り始めると──

 

 

「ゔぅっ。おぉぇっ……ぉえっ。ぇほっげほっ……うぅぅぅぅっ。おぉえっ」

 

 

 びちゃびちゃという水音が響いた。竜胆は冷たくなった()()()へ縋るように身を寄せ、静かに嗚咽する。

 

 

 憚己は彼女へ同情の視線も態度も見せない。彼女に必要なものはそれではないと。そう理解しているため、突き放すように平坦な声をかけた。

 

 

「立て竜胆サキ。己の魂を殺すな。それでは死んだも同然だろう。早く立ち上がって歩け。走れ」

 

 

「ぅぅぅ……ぉぇっ」

 

 

 ぐすぐすと鼻をすすりながら蹲る竜胆へ、憚己は痺れをきらしたように近寄っていく。

 

 

「お前は死んだのか?そこに転がってるモノと同じか?違うだろう。違うんだ。お前はまだ生きてる。死者に寄り添ったところでそこにはなにもない。あるのは生きた自分だけだ。お前にできることはそこで這いつくばって許しを乞うことじゃない。さっさと立て」

 

 

「ぅぅぅ……もう、なに、も──」

 

 

 憚己は竜胆の腰にそっと手を添えた。腰に刻まれた葉脈状に広がる紋様は呪印そのものである。そこへ──。

 

 押しつぶすように圧力をかけた。

 

 

「──あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!」

 

 

 激痛。あの時の痛みを思い出す激痛に、竜胆は思わず背を反らして濁った悲鳴をあげた。憚己はその髪を掴んで引っ張り、無理やり立ち上がらせる。

 

 

「立て。此処に魂はもう残っていない。あるのは死体だけだ。死体に追い縋るのはやめろ」

 

 

「づぅぅ!!じゃあ……!!どうすりゃぁっ!!どうすりゃいいんすかぁぁぁ……!!」

 

 

 弱々しい抵抗すら痛みにかき消され、力のままに立たされる。竜胆は己の無力と現実に憤り声を上げた。

 

 

「俺もお前も死人に対してできることなぞない。生き返らせることもな。だが、生きてるヤツを相手にできることはある。お前にもできる。お前にしかできん」

 

 

 憚己はひと振りの呪具を差し出した。

 

 反りはない直刀に歪な刃紋。峰には3つの噴出口。鎺から仙骨と刃を匠に融合させ、鍔には棘突起と横突起が広がる腰椎が用いられている。剥いだ人皮を金髪で縫い合わせた柄と、同じく金の髪が編み込まれた(かしら)が光を返した。

 

 

「斬れ。殺せ。呪え。お前が受けた仕打ちを全て返してしまえ。この"竜骨"で」

 

 

「あたしが、これで……でも、あの……えっ──」

 

 

 憚己は無言で柄を握らせるとそのまま竜胆から手を離した。彼女は軽く動きを確かめる。やけに馴染む手触りと、まるで勝手知ったる己の体のような振り心地に思わず目を見開いた。呪力もよく馴染む。それだけではなく、まるで役割を思い出したかのように腰から下の感覚が戻りつつあった。

 

 術師として、誰かを呪う者として目標を定めればあとはそこへ走るのみ。肉体、そして魂は目的を理解していた。術師の成長曲線は必ずしも緩やかではない。ましてや回復までの見込みを計り知ることなど今の竜胆にはまず不可能であった。

 

 

「素晴らしい。その峰から呪力を噴出する仕掛けがあるんだ。だがまぁ……実際に使ってみた方が早いな。試し斬りにいこう」

 

 

 憚己はそういって携帯端末を懐へしまうと、当たりをつけた()()()()()()()事務所の元へと向かい始める。リハビリの一環にしては早急であっても、呪具の試し斬りと捉えてみればそう早いわけでもなかった。

 

 

「は、はい……了解っす。でも、みんなを──」

 

 

「──持って帰りたければ組屋に頼むといい。防腐加工を施してくれるだろう。死体を手元に置くとは()()()()()()だ」

 

 

 竜胆サキは家族の遺体を寂しげに見つめ長い間逡巡したが、やがて部屋の外へと一歩踏み出した。呪霊達は食事を再開し、部屋のドアはゆっくりと閉ざされていく。

 

 

 

 

 

 






家族の死体を両手に抱えて生きるつもりか?
それができなければいっそ呪霊に食わせてしまえ。
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