もしかしたら四話に伸びるかもしれません
掲示板回は終わったらやります
夕方になると、俺はチンカスのことなど考えていられなくなった。いつも広場を通る物売りが、荷車を押したまま引き返していったからだ。代わりに入ってきたのは見慣れない男たちで、ここでは見ないほどよい靴を履いていた。そいつらは露店の品物を見ず、路地の奥と家の入口を順番に見て回っていた。
俺は妹分を家の中へ押し込んだ。スラムに来る身なりのいい奴には、経験上ろくな思い出が無い。スヒリア様のようなのは例外だから、あの人を基準に他人を見たら痛い目に遭う。特に子供を数えるような目をしている連中からは、さっさと離れた方がよかった。
「おい、ガキ。ここによく来る冒険者がいるだろ。黒髪で、耳が少し尖った奴だ」
背後から声をかけられ、俺は止まった。男の腰には剣があり、柄に置かれた手の指には太い指輪が二つはまっていた。俺が知らないふりをすると、男は笑って、背中に回した俺の手を見た。戸板の隙間には、まだ妹分の指が挟まっていた。
「聖女様と一緒に来る奴だよ。菓子でも貰ったことがあるんじゃないのか。俺たちはそいつの古い知り合いでな、ちょっと会って話がしたいだけだ」
「酒場にいるんじゃねえの。いつも酔っ払ってるし」
「そうか。じゃあ、来たら伝えとけ。昔のご主人様の、そのまたご主人様がお探しだってな」
男は俺の頭に手を置いた。撫でるつもりなどなかったのだろうが、首が縮むほど重く、指輪の角が頭皮に当たって痛かった。俺が顔をしかめると、そいつは楽しそうに笑って手を離した。去り際、家の中をもう一度見たので、俺は戸板を閉めたまま、足音が遠ざかるまで動けなかった。
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チンカスが来たのは、日が落ちてからだった。俺が男たちのことを話すと、そいつは持ってきた袋を下ろし、人数と服と、どこから来てどこへ行ったかを聞いた。菓子の取り分で揉めたのかと思っていたらしく、最初は半笑いだったが、途中からその顔が消えた。俺の頭の傷を見ると、煙草を指に挟んだまま、しばらく黙った。
“そいつ、俺の名前は言ったか”
「言わねえ。お前の昔のご主人様がどうとか、変なことばっかり。知り合いなのかよ」
“知り合いの知り合いだ。ろくでもねえ方のな。今日、これを聞かれる前に、俺がどこに泊まってるとか話してねえだろうな”
「話すかよ。あの馬小屋の場所なんか、誰にも教えてねえよ」
それはいい、とチンカスは言った。褒められたのかと思ったが、そいつはすぐ別のことを聞き始め、俺が覚えていることを全部吐き出しても、まだ何か考えていた。俺たちに献上する食べ物の袋を開けることすら忘れているので、弟分が横から手を伸ばした。チンカスはその手を捕まえ、中を分けてから食えと叱って、いつもよりずっと早く帰っていった。
俺は袋の中のパンを数えて、自分を除いた六人分に分けた。自分の分は後で食えばいいと思っていたが、底にはもう一つ包みがあり、昨日から硬いパンを噛めないと言っていた子のために、柔らかいものが入っていた。誰も言っていないと思っていたのに、こいつはどこかで聞いていたらしい。
無駄に面倒見が良いなこいつ……それでもこの状況ではどうしようもないのが悲しい
圧倒的な暴力が無ければ身を潜めてガタガタ震えることしか許され無い
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酒場のジジイは、チンカスは黄金の剣の一員だと言っていた。大陸最優の冒険者で、あのパーティでも二番手に数えられる男なのだと、真顔で言う。黄金の剣を知らないわけではないからこそ、俺には信じ難かった。あの名前を、昼間から下着を眺めている奴へ結びつけるのは無理がある。
黄金の剣は、魔除けを取り戻すかもしれない、大陸最高の冒険者たちだった。六人で迷宮の奥へ潜り、街へ戻ってくるたびに、今度はどこまで進んだのかと噂になる。若い冒険者は六人の装備や職業、異名をよく知っていて、戦果の話になると、自分が見てきたような顔で喋った。俺もそんな話を聞くのが好きで、いつか同じところまで行きたいと思っていた。
中でも、アーサー様とスヒリア様は別格に人気があった。二人とも恐ろしいほど顔がよく、並んで歩いていると、用のない人間まで足を止める。アーサー様は大陸最強の冒険者で、この街の冒険者を代表する人でもある。スヒリア様はスラム街の聖女で、俺たちの暮らしている路地まで入ってきて、病人にも怪我人にも手を差し伸べてくれた。金のない奴にも、親のいないガキにも来てくれるのだから、俺たちが好きにならないわけがなかった。
「黄金の剣が戻ったって聞くと、ほっとするよ。あの人たちがまだ潜ってるなら、魔除けだって取り戻せるかもしれないだろ」
迷宮に入ったことのない店の親父まで、そんなことを言った。二人を見かければ店先から声をかけるし、余所者に街の話をする時にも、まず名前が出る。スヒリア様に診てもらったことがあると自慢する奴もいて、俺はそれなら何度もあると思いながら聞いていた。あの二人は、この街の誇りだった。
人の多いところでのアーサー様は、あまり喋らず、口元に静かな笑みを浮かべていた。誰に騒がれてもその顔をしているので、俺にはずいぶん落ち着いた人に見えた。留置所の看守や病院の職員には、あの兄妹はキチガイだと言う奴もいたが、信じる人間はいなかった。騒ぎを起こして運ばれてきたのを何度も見たと言い張っても、あんな立派な人たちがするわけがないと笑われていた。俺だって、あの二人をそんなふうに呼ぶ奴の方を疑う。
チェイニーさんも、その六人の一人だ。顔も綺麗だし、胸も尻も大きくて、声をかけた男に冷たい顔をすることもないので、うちに来ないかと誘われることがよくあった。しかも、拾ってきた品物をしょっちゅうただで鑑定してくれる。冒険者たちはありがたがっていたが、俺にとっては、薬包の文字が読めない時に、笑わずに教えてくれる人だった。スヒリア様もそうだけれど、俺たちが知らないことを、どうして知らないんだと怒らずに教えてくれる。
ソーンさんとグレゴリーさんは、あの三人ほど街で顔を知られていなかった。名前だけ聞いても分からなかった店番が、黄金の剣の一員だと知った途端に椅子を勧め、店の奥へ引っ込んでいた主人まで呼んでくる。その店で荷運びをした時、親父が奉公人たちに言い聞かせているのを、俺も聞いた。顔と名前は覚えておけ、誰が来ても黄金の剣の用件として扱え、と言っていた。
それでも、余所から来た奴の中には、名門の兄妹と高価な装備に恵まれた連中だと笑う奴がいた。顔の知られていない仲間のことは、兄妹について歩いているだけだと思うらしい。迷宮のどこまで潜ったのか聞かれると、自分はまだ来たばかりだと答えていたから、少なくとも見てきたわけではなかった。アーサー様やスヒリア様と一緒に働ける人が羨ましいのは分かるが、それだけであの二人に並べるわけがない。
アーサー・ペンドラゴン様も、スヒリア・ペンドラゴン様も、本当に三英傑の血を引いているのだろう。あれだけ立派な人たちなら、昔の英雄と同じ姓なのにも、ちゃんと理由があるはずだ。オーエン・ホークウィンドを名乗るどっかのクズとは大違いだった。
ホークウィンド、ゲートキーパー、ペンドラゴンという三傑の名は、英雄の話が好きなら一度は聞く。二千年前、【滅龍大戦】と呼ばれる戦いがあったのだそうだ。世界を喰らおうとする最強の魔物、金剛龍帝に、世界の全てが立ち向かったという神話だった。戦ったのは三傑だけではなく、世界そのものの埒外にいて、多元世界を見下ろす上位存在、【コズミックロード】たちまでが加わったという。宇宙の歴史も運命そのものも、片手間で書き換えられる連中なのだそうだ。
人類の全てを愛玩し、それ故に嬲る悪魔の王、ガルガンチュア・マイルフィックも、龍帝と同種で、傲慢極まりないが善良な多元世界全ての守護者、世界意思龍エル・ケブレスも、その戦いに加わった。人類最強、金剛騎士とも呼ばれた勇者、■■■■・ペンドラゴンまでが、同じ相手に立ち向かった。彼らはいずれも、【全能者《Wizardry》】と呼ばれていたという。
それでも龍帝は、そのほぼ全てを胃の腑に収めた。全能者を喰らうたびに、その力さえ取り込み、より深度の高い全能を得ていたのだという。その『深度』が違えば全能者でも逆らえないのだと聞いたが、俺には、全能に深いも浅いもあることから分からなかった。それでも全能者達を壊滅させながらもようやく弱り切った龍の王を封印したのは、全能者ですらない魔術師達の第十五魔法【月光殲滅】だったという。月を破壊する程度の威力しかない魔法が、そこでやっと通じたのだそうだ
嘘なのか本当なのか、確かめようもない話だった。それでも、その大戦の英傑の子孫を気取って、三つの姓のどれかを名乗る奴は大勢いる。名前の後ろへ英雄の姓をくっつけるだけなら、チンカスにだってできることだった。
領主や金持ちにしてみれば、黄金の剣は、一人でも抱え込めれば大喜びするような人材が六人も集まっているらしい。味方でいてくれるなら心強いし、関係を悪くして追い出すには危険すぎる。六人とも【超越者】、要は軍隊と正面からぶつかるのでなければ、一人で大概の国を落とせる化け物だ。しかも、迷宮では【
「一人ずつの腕も規格外だ。だが、それ抜きでもあいつらが六人揃った時に何をやるかまで分かって、喧嘩を売る奴はいねえよ。強い奴を六人集めりゃ同じことができると思うなら、あの迷宮でやってみりゃいい」
長く潜っている冒険者ほど、六人がどう戦ったかだけでなく、どう進んで、何を持ち帰ったかまで聞きたがった。若い連中がオークを何匹殺したかで騒いでいる横で、どこで気づいた、誰が先に動いた、その箱をよく開けられたな、と話し込んでいる。そして、一人だけ仲間に迎えられるなら誰がいいかという話になると、アーサー様よりも【不死者】の名が多く出るのだった。
俺は初め、それがよく分からなかった。大陸最強の人に来てもらえるなら、その方がいいに決まっていると思っていた。そう言うと、酒場にいた冒険者は、最強でも先に首を落とされたら死ぬんだよ、と答えた。それから、迷宮で戦う奴なら誰でも叩き込まれる、絶対の決まりを教えてくれた。
「敵だと分かりしだい即座に目の前の敵を殺せ。仲間が惨殺死体になろうと目の前の敵を殺せ。拷問された程度の痛みで止まるな、目の前の敵を殺せ。0.0000000001秒でも手を止めれば全滅する」
同じくらいの強さなら、冒険者も魔物も、相手を殺す力がありすぎるのだそうだ。こちらの一撃がよいところへ入れば、大抵の魔物はそれで死ぬし、相手に対魔術結界がなければ、魔術でまとめて焼き殺せる。だが、魔物の爪や牙には、傷の深さと関係なく命を奪ったり、体を麻痺させたりするものがある。三発も浴びれば六人とも全滅するようなブレスを、何匹もまとめて吐いてくることもあるという。俺には、そんなところでどうやって戦いを続けるのか、聞けば聞くほど分からなくなった。
だから、不意打ちでこちらが先手を取れれば、それだけで勝ちはほとんど決まる。危ない攻撃をしてくる相手を、その攻撃をさせる前に殺してしまえるからだ。反対に、同格の魔物から不意打ちを受けた冒険者たちは、そこで終わる。誰かが立て直してくれるとか、奥の手でひっくり返すとか、そういう話にはならず、確実に全員死ぬのだと言われた。
宝箱も同じくらい恐ろしいものだった。第四層以降は、宝箱から手に入る装備がなければ攻略できない。だが、その装備を取り出そうとして開け方を間違えれば、六人まとめて全滅する罠がある。敵を全部倒して生き残った後で、蓋を開けたせいで死ぬこともあるのだ。怖いから開けないで済ませていたら、今度はその先の魔物に勝てなくなる。
【不死者】は、その両方を一度も食らっていない。あれだけ深いところまで潜り続けて、敵から不意打ちを受けたことが一度もなく、宝箱の罠にかかったことも一度もないという。敵が潜んでいれば先に見つけ、宝箱を開ければ、中の物を持って帰ってくる。俺がそれをたいしたことだと思えるようになったのは、一度でも失敗したら、その冒険はそこで終わると聞いてからだった。
「あの兄ちゃんが前を歩いて、箱を開けてくれるんだぞ。俺がどれだけ気を張ってやってることだと思う。それをあいつ、一回もしくじってねえんだ。欲しいに決まってるだろうが」
そう言ったのは、自分も盗賊をやっている男だった。【不死者】はレベル十四の超越者で、大陸最強の忍者でもあるという。普通なら、それだけで酒場じゅうが騒ぐような話なのに、あいつを迎えられるならという話では、戦闘の腕の話は後回しにされる。誰も気づけなかった敵に殺されず、装備を取るための箱にも殺されずに済むのだから、強い連中ほど、そちらを欲しがるのだ。大陸最優という呼び名は、それ故についたそうだ
俺は一度、薬を運んだ帰りに、黄金の剣の中では誰が一番強いんですかと、アーサー様にも聞いたことがある。人に囲まれている時とは違って、その時はよく喋ってくれた。俺の将来の義兄様は、俺が【不死者】の名前まで知っていると分かると、なぜか少し楽しそうな顔をした。もちろん、そんな質問をしてくるガキを馬鹿にするような人ではなかった。
「試合なら、間違いなく最強は僕だよ。【不死者】やスヒリアにも、百回やって九十九回は勝てる。でも実戦だったら、黄金の剣で最強なのは【不死者】だ」
「……九十九回も勝てるのに、ですか?」
「うん。彼は残りの一回を、絶対に負けてはいけない戦いに持ってこられる。実際に殺し合ったことはないし、必ずそうなると証明できる根拠もないよ。でも、最後まで考えると、どうしても彼が勝つ気がするんだ。僕の勘だね」
あの人が自分も負けるとあっさり言うので、俺は相手の顔を見ていた。ふざけているようには見えなかったが、九十九回勝てるのに肝心な時だけ負けるというのは、やっぱりよく分からない。どうしてそう思うんですかと聞くと、アーサー様は、迷宮で龍と戦った時のことを話してくれた。
「あの龍にブレスを吐かれたら、誰かが死ぬところだった。僕はもう、間に合わないと思ったよ。ところが彼が、吐く寸前の龍の首を落としたんだ。そういうことが、一度や二度じゃないんだよ、危機的な状況を何度も覆すんだ」
「一度も、間違えないんですか」
「普段は用事を忘れることもあるし、勘違いもするよ。細かい失敗なら、僕だって知っている。でも、ここで間違えたら誰かが死ぬという時には、必ず正しい手を選ぶんだ。どうしてあそこであの手を選べるのか、僕にも分からないことがあるんだ。冒険全体の面倒を見る能力まで含めれば、僕は全く敵わないよ」
それで俺は、【不死者】という人にも会ってみたくなった。だが、あの人は迷宮の外でも、仲間の用事やら何やらで街じゅうを回っているらしく、俺がアーサー様やスヒリア様を訪ねた時には、いつも別のところで働いていると言われた。大陸最強の人がそこまで頼る相手なのだから、さぞ立派な人なのだろうと思っていた。アーサー様にそう言うと、口元へ手を当てて笑われたが、何がおかしいのかは教えてくれなかった。
自分たちを襲った追い剥ぎが、通りかかった黄金の剣にも手を出し、【不死者】一人に皆殺しにされたという話も聞いた。アーサー様が助けると決めた怪我人を、彼が退路も搬送の順番も整えて、地上まで帰したという話もあった。助けに来たんじゃなく、邪魔な奴を殺しただけなんだろうなと笑った男も、それでもあいつが通らなければ俺は死んでいたと、杯を置いて言い直していた。中には、俺の前であの人の悪口を言うなと、本気で喧嘩を始めた奴までいた。
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弟分が戸板へ手をかけたので、俺は引き戻した。向かいの店は、いつもより早く明かりを消していたし、昼間の男が家の中をのぞいた目つきも忘れていなかった。本当にあの【不死者】がチンカスなら、こんな連中、何とかしてくれるはずだった。そこまで考えると、スヒリア様があいつの額へ指を当てて笑った顔も浮かんできた。俺は弟分に残りのパンを押しつけ、酒場のジジイだって酔っ払っていたのだから、何を言ったところで当てにはならないと思い直した。
第一、俺はこいつと、もっと情けないところで知り合っている。金が入ったからと馬車を買い、自分で御者台に座って大通りを走っていたチンカスが、曲がり角で俺を轢いたのだ。馬の脚も、車輪が跳ねた拍子に緩んだ釘も、その上で調子に乗って手綱を振っている馬鹿の顔も見えた。見えたからといって、俺の脚が馬より速く動くわけではなかった。
俺は生まれつき、異常に目がいい。遠くが見えるだけではなく、速く動くものも、普通なら一つにしか見えない動きの途中も分かる。【魔眼】というものらしいと教えてくれたのは、スヒリア様だった。冒険者になれば、この目で飯を食っていけるかもしれないと思っていたし、他に自慢できるもののない俺には、それだけでも十分な理由だった。
その自慢の目で最後まで見ていたせいで、轢かれた時のことはよく覚えている。チンカスは馬車から転げ落ちるように下りてきて、俺に回復薬を使い、折れていた脚が戻るのを確かめてから、急にフードを鼻まで引っ張った。それで顔を隠したつもりになり、俺を抱えて病院へ駆け込むと、受付に俺と札束を置いて、無言で逃げていった。受付の人が誰に何を聞けばいいのか迷っている間に、俺を轢いた奴だけは、さっさと扉の向こうへ消えていた。
「おい! この前、俺を轢いて逃げた奴だろ! 顔覚えてるぞ、衛兵呼んでやろうか!」
“お前あの時の当たり屋みてーなガキかよ! クソガキ一匹轢いたくらいで逮捕されてたまるか! 治しただろうが、轢く前より元気にしてやっただろうが! つうか、顔隠してただろ、何で分かんだよ! ”
「轢いた時は出してたろうが。俺、まだ飯食ってねえんだけど。お前のせいで、あの日は何にも拾えなかったんだけど」
数日後、街で見つけたそいつを脅したら、飯を奢ると言った。俺は屋台の親父に、持って帰るから七人分包んでくれと頼んだ。チンカスが一人分だと喚いたので、俺が病院にいた日、弟分たちが何を食っていたと思ってるんだと言い返した。そいつは財布を引っ込めかけたが、屋台の親父までこっちを見ていたので、舌打ちしながら金を出した。
それからは見つけるたびにたかっていた。弟分たちにも顔を覚えさせたので、俺のいないところで捕まったこともある。大通りで轢き逃げの話をするなと怒られて、なら家まで持ってこいと言ったのは俺だ。毎日来るわけではないが、来れば弟分たちが袋に群がり、そいつは自分の分まで取るなと怒鳴る。
本人が配っていた伝記にも、ずいぶん立派なことは書いてあった。全部本当なら、スヒリア様と親しく仕事の話をしている理由までついてしまう。あの人に聞けば済む話なのに、そいつを褒める声まで想像すると、どうしてか聞く気がなくなった。俺はパンの包みを畳み、弟分たちを奥へ追いやった。こんな時まで、チンカスの自慢話を確かめている場合じゃなかった。
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夜中に叩き起こされた時には、何が起きたのか分からなかった。戸板の向こうからチンカスの声がしていて、入ってくるなり、まだ寝ている連中を片っ端から起こし始めた。泣きそうになった妹分には外で泣くなと注意し、その直後には自分の上着をかぶせていた。俺が怒鳴ろうとすると、クズの手が口を塞いだ。
“声出すな。荷物は自分で持てる分だけだ。食い物は向こうにある。寝具もある。今から引っ越すぞ”
「何でだよ。お前、こんな時間に来て、急に……」
“お前入れて七人だよな。今日は他所の奴を泊めてねえな。裏で寝てる奴とか、昼から帰ってねえ奴とかもいねえな”
「いねえけど。どこ連れてく気だよ」
“良いところだ。ここよりはな”
理由を聞いても答えなかった。チンカスは薬の包みを見つけて袋へ入れ、持ち主の分かるものを本人へ押しつけた。いつも食べ物を奪い合う弟分が一番に外へ出ようとすると、襟をつかんで引き戻し、勝手に先へ行くなと低い声で言った。ふざけている時とは違う声だったので、そいつも素直に頷いた。
「……昼の奴らかよ」
“分かったなら手伝え。一番ちっこいのを頼む。歩いてる途中で寝るから、最初から背負っとけ”
俺は妹分を起こして背負った。柔らかい髪が顎の下をくすぐり、眠そうな声で、スヒリア様のところへ行くのかと聞かれた。そうかもしれないと答えると、あいつは少しだけ機嫌を直して俺の首へ腕を回した。オーエンは戸口から全員を出し、最後にもう一度だけ家の中を確かめた。
いつもの道は通らなかった。広場の方へ曲がろうとすると止められ、細い路地を抜け、閉まった店の裏を通った。俺たちの足では越えられないところだけはオーエンが抱えて運び、その間、他の奴らは俺のそばに集められた。一度、通りの向こうから足音が聞こえた時は、そいつが立ち止まったので俺たちも止まり、音が消えてから歩き出した。
連れていかれたのは、スラムの外れにある屋敷だった。壁はちゃんと石でできていて、窓には板の代わりにガラスがはまり、玄関には俺たち七人が立っても余るほどの場所があった。中から出てきた年寄りがオーエンに鍵を渡し、俺たちの人数を見て、寝床は奥だと教えてくれた。床を踏んでも沈まないので、弟分が何度も足踏みしていた。
「お前、こんな家持ってたのかよ。いつもの馬小屋と全然違うじゃねえか」
“借りたんだよ。金かかってんだから壊すな、汚すな、火を使うな。窓から顔も出すな。お前ら、でかい家を見るとすぐ自分のものだと思いやがる”
「でも、あっちの家より全然……」
“比べんな。良い家住むと蕁麻疹の出る自分の貧乏性が悲しくなってくる”
奥には毛布と水と食べ物が揃っていた。朝まで眠れると分かると、泣きかけていた連中も静かになり、一番小さい子は俺の背中から下ろされる前に寝てしまった。俺はその子を毛布へ移して、残りの人数をもう一度数えた。オーエンも同じことをしていて、最後に俺と目が合った。
“明日はここの爺さんの言うこと聞いてろ。俺が来るまで出るなよ。菓子で釣られようが、知り合いが呼んでると言われようがだ”
「お前はどうすんだよ。あいつら、剣持ってたぞ。酒瓶で殴ってどうにかなるような奴じゃねえからな」
“だから何度も言ってんだろ。俺は冒険者だって。お前らの飯をどこから持ってきてると思ってんだ”
盗んでいるのだと思っていたが、さすがに今は言わなかった。チンカスは俺の顔を見て察したらしく、ひどく不満そうに鼻を鳴らした。それから管理人の爺さんに何かを渡し、玄関の錠を指で確かめて、外へ出ていった。俺は扉が閉まってからも、しばらくその場所を見ていた。
扉の向こうで、爺さんが一度だけ声を低くした。キューブの連中なのだな、と確かめる声が聞こえ、オーエンが“ええ”と短く肯定した。その名前を聞いて、俺は扉へ伸ばしかけた手を止めた。足音が遠ざかってからも、爺さんがこちらへ戻ってくるまで、そのままでいた。
一代目盗王、【ゾディアック】キューブ。二代目が現れるまで、人類最悪の生命体と呼ばれていた男だ。レベル十四の超越者で、一国を相手にしても対等に戦えるという。軍隊が出れば片づくような相手なら、そもそも人間一人に王様が金を払って、よその国へ行ってくれと頼んだりはしない。
その男の話は、船に乗って逃げてきた人間から聞いた。捕まった身内を助けるために集めた兵隊ごと、そいつの暇潰しに使われたのだという。何が起きたかを全部は話さなかったが、その人は誰かに優しく名前を呼ばれると、まず顔をかばった。
そのキューブよりも悪いとされるのが、二代目盗王、【最悪】チェイン・ペンドラゴンだった。捕まえた奴に助けを求めさせ、助けに来た相手ごと地獄に落とすのがよくやる手だったそうだ。家族を隠してくれた家の場所も、逃げる時に水を飲ませてくれた人の名前も、そいつは一つずつ聞き出して、そこまで手を伸ばしたという。死にかけの恩人たちに、お前のせいだと呪詛を吐かれる奴隷を見て、大爆笑していたそうだ。
チェインを討つために集まった連中が、後にはチェインのために人を狩っていたという話もある。なぜそんなことになったのかと聞いた時、そいつらにも家族がいたんだよ、とだけ答えられた。俺にはそいつの顔も分からなかったが、会って確かめたいとは少しも思わなかった。
奴らは、アーサー様やスヒリア様、チェイニーさんのような人たちとは、生まれたところから何もかも違うのだと思っていた。強くて、偉くて、餓死も凍死も程遠いくせに、わざわざ人間が苦しむところを見に来る。腹が減ったから喰う魔物の方が、まだ話が分かる気がした。そんな悪意の塊みたいな奴が、チンカスを探しに来ていた。
毛布へ戻ると、妹分が薄く目を開けた。スヒリア様は来ないのかと聞かれたので、明日になれば分かると答え、頭を二度ほど撫でた。あいつはすぐ眠ってしまったが、俺は寝つけなかった。昼間の男が言った、聖女様と一緒に来る奴、という言葉を何度も思い返していた。
感想いただけたら死ぬ程嬉しいです
オーエンのセリフのカッコは
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“”でくくったほうがよい
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「」でくくったほうがいい