原作設定や時系列などにズレが生じていますがあらかじめご了承ください。
この第一話からまずは『弟子入り』編を始めていこうと思います。更新速度はまちまちになると思いますができる限り頑張ります。
感想やレビューを頂けると作者が狂喜乱舞します。
それでは本編へどうぞ↓
第一話「其の始まり」
赤、赤、赤。
それが今の少年の目に映る世界全てだった。自分の村に燃え盛る炎、夕焼けに赤く染まった空、そして、人々の鮮血。見渡す限りの「赤」が数刻前に山で狩りを終えて帰ってきた少年と父親の目を村の出入り口で釘付けにしていた。
一緒に狩りをして帰ってきた父親も少年同様何が起こったのかわからないといった表情で燃え盛る村の惨状に少年の隣でただ呆然と佇むばかりだ。
「村が……皆が……なんということだ……!」
目の前の現実に父親は力なくそう一言呟くと、すぐに思い立ったかのように火の海に包まれた村へと走っていく。
少年も父親の後を懸命に追って走る。別に少年自身、何か意図があってついて行った訳ではない。ただ、狩りの最中で父親に「迂闊に一人になるな」と厳しく言い聞かされていたのを現状に当てはめ、行動しただけだった。
既にあちこちに火が回ってしまっている村の中に入っていくのは命を投げ出すに等しい行為だ。村に入ってから火が回って逃げ道がなくなる可能性が非常に高い。少年もそれは理解している。しかし、それでも「一人になる」事の危険性の方をより重く判断し、父親の後を追ったのだ。
その姿は懸命に親から離れまいとする子供のようにも見える。実際、父親にはそのように映っていたのだろう。火や、血だまりの中に倒れている村人の数多の死体にも臆せずに自分の後を懸命に追ってくる息子の姿を見て父親は内心で自身の配慮不足を嘆きながらも少年に怒鳴り声を上げた。
「馬鹿野郎! 何でついてきた! お前は足手纏いになるだけだから村の外の安全な場所で待ってろ! 今すぐ戻れ、早く!」
「でも……」
「父さんのいうことを聞け! 今お前を構ってやる余裕はないんだ!」
乱暴な言葉ではあったが、確かにそこには自分の息子の身を案じる父親の情が込められていた。少年は困惑の表情を見せながらも渋々父親の指示に従い、再度来た道を急いで戻っていった。
元の方向へと走っていく少年の背中を祈るような表情で見送り、父親は少年とは逆の方向へと走っていく。向かう先は父親のよく知る場所、本来なら今頃はそこへ帰り、家族団欒の幸せな時間を過ごすはずだった場所。
少年と父親、そして少年の母親の住む家である。
父親は息を切らしながら自分の家のあった場所へと炎の中を走り抜ける。火の近くを走り抜ける度に手や足に火傷を負い、髪の毛や皮膚が焦げていくのが、次第に増していく痺れるような痛みでわかる。しかし、父親は足を緩める気配を微塵も見せなかった。
父親にとってそんなことは些細なことだ。それ以上に気掛かりなのは彼の細君、少年の母親の安否だった。今の所死んでいる村人は数多と見ているが、生きている者を見ていない。視界一面に広がる死体とそれらが焼かれて臭ってくる異臭が不安を増大させる。
「――ゴホッ、ゴホ!」
火に包まれた村の中を走った事で、喉や肺に熱された空気や煙が入り、それによる息苦しさと喉と肺の焼ける感覚が火傷の痛みと相まって父親の表情をさらに歪ませる。それでも歯を食いしばり、なんとか父親は満身創痍になりながらも自分の家のあった場所へと辿りついていた。
朝、妻の見送りを受けて少年と共に狩りへと出て行った木造の家は案の定、炎によって跡形もなく崩壊していた。
「くそ……! おい、
焼かれた肺と喉を酷使したせいか、不意に父親は口から咳と共に大量の血を吐き出す。父親は咳き込みながらも必死に自分の妻の名を何度も叫ぶが、徐々に掠れていき、しまいには人の言語からも程遠い、獣の咆哮のようになっていた。
何度叫ぼうとも返事はない。父親は力尽きたように地面に手をつく。既に身も心も限界を超えていた。
せめて、家族で過ごした幸せな思い出の詰まったこの場所で果てよう。そう覚悟し、死に身を委ねるように目を閉じ、永遠の眠りへと入ろうとした瞬間、崩れた家の木片、その隙間から微かにではあるが、誰かの声が聞こえた。
瞬間、父親は飛び起き、声の聞こえた場所の木片を急いでかき分けていく。
「――! お……初……!」
木片と木片の間から頭から血を流す妻、お初の顔が見えた。お初は父親の声に薄らと目を開けると弱々しく笑みを浮かべる。
「あ……なた、私は……もう……あなたとあの子だけでも……逃げ……」
「馬鹿をいうな……一体、ゴホゴホッ……何があった……?」
「刀を持った妖怪が……村を、襲って……火を……」
「なんだと……!?」
妖怪、という言葉を聞き、父親の背筋は凍った。下っ端妖怪と呼ばれている妖精でも人間にとっては厄介な存在なのに、村をこんな惨状にしてしまう程強い力を持つ妖怪など父親や息子が到底太刀打ちできる相手ではない。間違いなく出会った瞬間、死は免れない。その恐怖も無論あったが、父親の脳裏にはもう一つ懸念があった。
「まさか……『気付かれて』しまったのか……」
「もう……私達は終わりよ……せめて、あなたと蓮一だけでも……」
「
父親は気付いた。村を襲ったその妖怪がまだ近くにいるとしたら火の回った村の中ではなく、外にいるはずだ。
そして、外には自分の帰りを待つ息子、蓮一が居るのだ。
父親が焦燥の表情と共に口に出した息子の名を聞いたお初はさっきまでの弱々しい表情から一変、困惑と焦燥の入り混じった必死の表情で父親を問い質す。
「蓮一が……!? どうしたの!? あの子に……何かあったら……私は……私は……!」
「大丈夫だ……すぐに助けに行く……!」
「あ……なた、お願い……蓮一をどうか……!」
「あたり前だッ! 俺達の息子を死なせてたまるかッ……!」
父親は自分以上に蓮一に気を掛けるお初に大きく頷いて見せると、今まで無我夢中で肩からかけていた猟銃を両手で持ち、銃弾を装填すると、よろめきながら立ち上がる。
「あ……なた……」
「心配……するな、ゴホッゴホッ……蓮一の後は……お前も……助けに戻る……!」
肩で息をしながら来た道を走って戻っていく父親の姿を見えなくなるまで虚ろな視線で見送ったお初は息子の安否を祈るよう目を閉じる。
木片の隙間から顔しか見えなかったため、父親は気付かなかったが、お初の身体はほとんどが家の下敷きになっており、その下半身は既に原型を留めない程に潰れてしまっていた。偶然にもその時に気絶していたのと火事に見舞われ傷口を焼かれたのが幸いし、気付いた時には出血はある程度治まっており、痛みも麻痺していたため、失血死やショック死には至っていなかった。
しかし、既に助からないのは紛れもない事実。感覚が、痛みがなくとも下半身が無くなってしまっている感覚が絶望的な現実を彼女に突き付けていた。遅かれ早かれ、自分が死ぬ事をお初は最もよく理解していた。
『心配……するな、ゴホッゴホッ……蓮一の後は……お前も……助けに戻る……!』
父親の先刻の言葉が脳裏によぎる。
――あんなに火傷して……あんな重傷で……ごめんなさい、あなた。私が不甲斐ないばっかりに、あなたに全てを押し付けてしまった。私の事はいいから、蓮一をお願い。でも助けに来てくれるって言ってくれて嬉しかった……。
いつの間にかお初の目から一筋の涙が流れていた。
突然、上の方の木片が炎に焼かれ、今までバランスを保っていた木片の山の一部が崩れる。途端に、お初のまだ辛うじて残っている上半身が強い圧迫を受ける。
突然、胸部を圧迫され、細く呼吸をしていた肺から空気が押し出され、血反吐と共に吐き出される。自分の口から吐き出されたその赤い血を見て、いよいよ自分の死期を悟り、ゆっくりとお初は目を閉じる。
――蓮一、できる事ならいつまでもあなたの成長を見守っていたかった。もっと長く一緒に生きたかった……。
さらに木片の山が崩れていき、上半身への圧迫がさらに増していく。死に向かっていく現実をお初は肌身で感じ、恐怖した。今までの人生の中でこれ程に恐怖した事はなかっただろう。気が狂うのではないかと思う程に上半身への圧迫に比例し、彼女の心は抗えぬ死への恐怖に支配されていった。
――怖い。この木片が徐々に私を死に近づけていくのが恐ろしくて気が触れてしまいそう。でも、これは私達の、この村の『罰』。いつか、こんな日が来る気がしていた、こうして私達の罪が裁かれる時が。
さらに木片の山の崩壊は大きくなっていき、お初を押しつぶす木片はその力を増していく。最早呼吸すら困難な程に圧迫され、お初は必死に肺に空気を取り込もうと口を開け、目を見開いて呼吸を繰り返すが息苦しさはなくなるどころかむしろ増していくばかりだ。既に肋骨の何本かが圧力に耐え切れず折れ、息苦しさと同時に激痛が彼女を襲う。
――蓮一、どうかあなたは、生きて……――――
何か縋るように、あるいは背を押すように、自分達の息子のために走る夫の背に向け伸ばされた彼女の右腕。しかし、その手を遮るように視界いっぱいに焼けた木片が落ちてくる。
木片が大きく崩れ、ごうごうと木片を燃やしながら勢いよく燃え上がる炎の音に混じり、肉が潰れたような気色の悪い音と、鮮血が勢いよく飛び散る音が鳴り響いた。
「――お初!?」
父親が木片の大きく崩れる音、そしてその中に僅かに聞こえた命の消える音。それに思わず後ろの様子を確認したい衝動に駆られる。
しかし、その衝動を父親はあえて抑え、再度前へと一歩踏み出した。
お初が生きていると信じているからではない。むしろ彼女の死を悟ったからこそ彼は前へ進む事を選んだ。
きっと彼女の死など確認してしまってはボロボロの自分の心は今度こそ完全に折れてしまうと悟ったから。
――約束したのだ、お前に。必ず蓮一を助けると……! だから……今はお前の方を振り替える事はできない……!
父親の動かす足に力が籠っていた。自分の息子の危険、お初の死、約束。それが彼に自然と力を湧き上がらせていた。
「――うおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
いつの間にか彼は叫んでいた。息子を助けたいという執念、お初の死への悲しみ、そしてその元凶である妖怪への深い憎悪。
それらが混ざり合い、彼は泣きながら雄叫びを上げて走っていた。
☆
蓮一はただ一心に歩き続けていた。辺りに転がる村人達の死体も、燃え盛る炎も気にしない。ただ、父親に言われた通りに村を出て安全な場所で父の帰りを待つ。それだけを考えるようにしていた。
死体の様子とこの火事に関して気になる点はあるが、今は村から出るという事を一心に考えるようにしていた。そうしないと、きっと恐怖に足がすくんで動けなくなると確信しているからだ。
煙を吸い込まぬよう、姿勢を低くして進み続けていくと、ようやく村の出入り口が見えた。それを見て安堵の表情を一瞬浮かべ、蓮一はすぐに新たな異変に気付き、その表情を再度引き締める。
出入り口である巨大な門の所に誰かがいるのだ。
もう少し近づかないとわからないが、シルエットからしておそらくは武士だろう。もしかしたらこの騒ぎをどこからか聞きつけて助けに来てくれたのかもしれない。
一筋の希望を見出し、蓮一は手を振りながら走って近づいていく。すると、武士もこちらに気が付いたのか蓮一の方へゆっくりと向かってきた。しかし、その数秒後、その武士の姿を見て自分の抱いた期待がどれだけ検討はずれなものだったか蓮一は思い知る事になった。
「――! あれは……骸骨……?」
こちらに歩いてくるのは骸骨だった。骸骨が武士の甲冑を着ていたのだ。蓮一の足は自分の冒してしまった失敗に絶望し、止まる。どうすれば上手くあの異形の類から生きて逃げられるかについて、彼の頭はそれだけを必死に思考していた。
しかし、思いつくはずもない。今まで父親と行った狩りで動物はよく相手にしていたから戦い方や逃げ方に関しては熟知している。しかし、妖怪など見るのすら初めてで逃げ方を想像するなど到底できない。
甲冑の骸骨は立ちすくむ少年から2、3m離れた場所まで近づくと立ち止まり、蓮一をまるで値踏みでもするかのように骸骨の空洞の目で少年の方をジロジロ見回す。
「お主は何者だ?」
「え……?」
「この村の者か?」
目の前の骸骨の口からおぞましい声で放たれる質問はまるで自分をどう対処するかを考えあぐねているかのようだった。同時に蓮一は気付いた。恐らく目の前のこの異形こそが村に火を放ち、村の皆を殺した犯人なのだ、と。
「お……お前が村をこんなにしたのか!?」
「問答に問答で返すとは無礼な。
「う……」
骸骨の武士が腰の刀に手を伸ばすのを見て、蓮一は焦りと恐怖を隠せなかった。本当はこんな核心を突いた質問などするつもりなどなかった。不用意に相手に怪しまれれば自分はすぐにでも死んでしまうだろうとわかったからだ。しかし、一度頭によぎった予感を蓮一は確認せずにはいられなかったのだ。
今すぐこの場から逃げ出したい気持ちで一杯だが、足がすくんでそれを許さない。ここまでかと諦めかけて骸骨が刀で自分を斬りつけるのを覚悟して待つが、一向に動きがない。骸骨は刀に手をかけたまま静止しており、何かを考えているような様子を見せると、そのままの姿勢で骸骨はさらに蓮一に質問を投げかけた。
「む……? 待て、貴様、何故私がこの村を襲ったと思った?」
「……村の皆には俺が見た限り全員に大量の出血があった。火事によって血が流れるっていうのはあまり頻繁にある事じゃない。しかも、ただの火事なら必ず何人かは逃げ切れているはず。でも、村の皆は皆殺しで、そこにそんな立派な刀を持った妖怪が現れれば……」
「ほう、成程。こんな血生臭い状況で随分と肝の座った童よ。それに『立派な刀』とは……その歳にしては見る目がある。気に入った、先の無礼は水に流そうぞ」
骸骨は随分と機嫌良さそうに高らかに笑うと、刀から手を離す。
それを見て少年は取り敢えず胸を撫で下ろす。よくわからないが、自分はなんとか助かったらしい。しかし、現在の自分の状況がやはり寸分も変わっていない事に激しく焦燥する。
急いで今の内にこの場を離れる案を立てなければならない。確かにこの骸骨が村を壊滅させたのだ、当然母親や仲の良かった同じ位の年齢の友達も目の前の骸骨に殺されたに違いない。しかし、それを理解したところで少年は怒りを抱きつつもそれを目の前の骸骨にぶつける勇気はなかった。
村の皆を殺された怒りよりも遥かに死の恐怖の方が勝っていたからだ。
その時、高笑いしていた骸骨の身体が突然の銃声と共に大きく吹き飛んだ。骸骨が銃弾の威力に耐えられるはずもなく、骨は砕け散り白い粉しぶきをあげ、骸骨はバラバラになって地面に崩れ落ちていった。
何が起こったのかわからないまま、銃声の聞こえた方向を見ると、そこには猟銃を構えた父親の姿があった。身体中火傷でボロボロ、口元には吐血と思われる血がこびり付いている。
「父さん!」
「無事か! 蓮一!」
蓮一が父親の元へ走っていくのを父親も心底安心したように受け入れようと手を伸ばす。
猟銃を手放し、両手を広げ、ボロボロの身体をその安堵から完全な『無防備』に晒して。
「――ぐぅッ!?」
「…………え?」
何かが蓮一の横を掠めていった。何かとてつもなく速く、そして鋭いものが。
そして、気付いた時には父親の胸に飛び込んでいたのは蓮一ではなく、一本の抜き身の『刀』だった。父親は自分の胸を貫いている刀を見て震えると、そのまま膝をつき、口から大量の血を吐き出し、力尽きたようにそのまま前のめりに倒れる。
蓮一は何が起こったのか未だ把握できずにいた。確かに骸骨は父親の撃った銃弾で破壊され、粉々になったはずである。骸骨の方を見ると、やはりさっきまで形を成していた骸骨は骨の山を作って微動だにしない。
では、一体、何故父親の胸に刀が刺さっているのか。
不意に、倒れていた父親がゆっくりと起き上がってきた。胸に刺さった刀を右手で掴み、ゆっくりと引き抜く。引き抜いていくにつれてその箇所からも大量に出血するが、父親は意にも介さず、機械的に刀を抜き払った。刀身全体には真っ赤な血がこびり付いている。
「父さん……大丈夫なの!?」
「…………」
父親は蓮一の呼びかけに返事もせず、ひたすら刀を振り、こびり付いた血を払う。そして、ようやくそれが終わると蓮一の方を向き、ニタリと笑った。
蓮一が今まで見た事のない父親の表情だった。
「また会ったな、童」
「……え?」
何故父親が自分の事を『童』などと呼ぶというのか。それは、さっきまであの骸骨が自分を呼ぶときに使っていた人称のはずだ。
蓮一の身体は震えていた。彼の頭の中に嫌な想像が生まれていた。あれは、もしかしたら、いや、確実に――――
「何で、何で父さんが……『お前』になっているんだ! 骸骨!」
「やはり察しの良い童よのう、お主。しかし、お主もやはりこの村の人間であったか、童。いや、蓮一」
「――!」
目の前の父親だったものに名前を呼ばれ、蓮一の背筋に激しい悪寒が走った。父親の姿で、父親の口で、父親の声で発声された『蓮一』という発音が無性に恐ろしかった。逃げなければならないのに、足がピクリとも動かない。
父親だったものは刀を持ってこちらへゆっくりと近づいていく。刀身に映る炎といまだこびりつく鮮血が刀身全体を赤く輝かせているように見えた。
「この村の人間は一人残らず斬らねばならぬ。そこで大人しくしていろ、蓮一。何、案ずる事はない。痛みすら感じさせず冥土へ送ってくれようぞ」
父親の身体で、声で、妖怪は蓮一にそう言って近づいてくる。最早、蓮一には逃げる気力すらなかった。目の前で父親が殺され、そして今その父親の身体に殺されようとしている状況に完全に心を折られてしまっていた。
ついに、目の前まで来た父親を虚ろな目で見つめる。父親だったものは躊躇なく蓮一の脳天に向け、刀を振り下ろす。
――いやだ! 死にたくない! 誰か!
蓮一は目を瞑り、振り下ろされる刀に恐怖し、蹲る。しかし、いつまでも刀が蓮一の身体を裂く事はない。薄らと目を開けると、蓮一に向けて振り下ろされた刀身はその頭上でピタリと止まっていた――否、止められていた。
何者かの両の掌が刀の側面を押さえつけ、挟み込む事でその動きを止めていた。
「むぅ!? 白刃取りとは……何奴!?」
父親の視線は蓮一ではなく、その後ろにいつの間にか立っていた長身の巫女服姿の人間に送られていた。合掌の姿勢で刀を挟み込むその巫女の顔のほぼ全体は鬼を模した黒い仮面で覆われていた。唯一、口元だけが唯一彼女の顔で見える部位だった。
突然、現れたその巫女を蓮一は訳も分からずただ見つめている事しかできなかった。
巫女は挟み込んだ刀をそのまま上に持ち上げ、押し込むようにして刀を離す。父親は、その力のままに後方へと3、4歩押し戻され、体勢を崩す。
「妖怪よ、この村から去れ。でなければ、貴様を滅する!」
「成程、お主が噂に聞く博麗の巫女とやらか……この身体ではいささか分が悪い。不本意ではあるがここは引かせてもらおう」
妖怪と呼ばれた父親は巫女を見て何かを呟くと、巫女に背を向ける。そして、振り向き様にこちらを向くと
「蓮一、お主は必ず拙者が斬る。また会おうぞ」
そう、言い残して消えた。
完全に父親の姿が見えなくなると、巫女は一つ息をつき、放心状態の蓮一の肩を掴んで安否を確認する。
そして、ほとんど掠り傷位しか見当たらない事を確認すると今度は心からの安堵の溜息を漏らす。
「君、名前は?」
「……蓮一」
蓮一にはそれしか言う事ができなかった。今日という一日に色々な事が起こり過ぎたのだ。もう、心身ともに限界がきていた。
「――! おい、蓮一!?」
急に意識を失って倒れる蓮一を辛うじて地面に接する前に抱きかかえ、巫女はとりあえずこの子だけでも安全な場所に運ぼうと抱きかかえ、村の出口へと走ろうとする。
しかし、その直前に響いた新たな声が彼女の動きを止めた。
「
「……
突然、空間に裂け目ができ、その隙間から紫色の西洋風ドレスを身にまとった金髪の美女が姿を現す。
紫は靈夢と呼んだ巫女が抱きかかえる気を失っている少年を見て、僅かに微笑むような表情を見せる。
「唯一の生き残り、かしら」
「……この村の他の住民は全滅という訳か」
「ええ、全員酷い有様だったわ。中には家の下敷きになって身体が潰されて――」
「もういい、わかった」
村の惨状を物珍しそうに語る紫の口調に多少、苛立ちを感じながらも靈夢はそれを悟られぬように紫に背を向け、彼女の報告を制止した。
そんな靈夢の心の内を見透かすかのように紫は目を細めると、自分のすぐ横に新たに空間の裂け目を作り出す。
次に、天に向けてゆっくりと線を描くように右手を動かすと、たちまち夕焼けに赤く染まった空を重圧な雲が覆い、やがて大粒の雨が降り始める。
紫の持つ『境界を操る程度の能力』で水蒸気と水の境界を操作し、この地域一帯の気体中の水蒸気量を急激に増加させた事で雨を降らせたのだ。
「さぁ、火は雨が消してくれるわ。神社へ戻りましょう。その子も手当てが必要でしょう?」
「……ああ」
靈夢は紫に愛想のない返事を返すと、先に空間の裂け目に入っていった紫に続き、自分もそれに続いた。
激しく降りしきる雨音が靈夢の耳には耳障りに聞こえていた。
☆
朝日、味噌汁とご飯の炊ける匂い。なんだ、もう朝か。
そろそろ起きないと、母さんがいつもみたいに布団を引っぺがして叱りに来るし、そろそろ起きておこうか。
そうだ、今日は父さんと一緒に山に行って、上手く気配を消して動物に近づくコツを教えて貰う約束だった。早く準備しないと父さんにも怒られる。
ほら、そんな事を考えていたら足音が近づいてくる。きっと二人して俺を起こしに来たんだ。
今日もまた一日が始まる――――
「――ここは……?」
「――! 意識が! 紫、意識が戻ったわ!」
「はいはい、はしゃがないの。別に死ぬ程の傷を負っていた訳でもないのだから当然意識だって戻るわよ」
目を開けた蓮一の目の前に最初に見えたのは木造の天井。自分の家のものでない、どこか知らない場所の天井。
次に目に入ってきたのは自分の寝ている横で蓮一の意識の回復に対照的な反応を示す二人の女性だった。
片方の紅白の巫女服を身に纏う紫髪の女性は蓮一の意識の回復に大層喜んでいるように見える。まるで自分事のように嬉しそうに、立ち上がって周りに笑顔を振りまいている。その姿を見ているだけで、幸福さえ感じてしまえる、そんな笑顔を彼女は持っていた。
一方、もう片方は見た事のない型の着物を着ており、髪は金髪で室内にも関わらず日傘など差して正座している。しかし、その容姿は顔立ちのみならず、その見た事もない着物の着こなしや日傘を差す姿を含め、誰が見るにも優雅、妖艶の一言に尽きるだろう。彼女の放つ魅力というか、色気というものはそれ自体が気を帯び、周囲を圧倒する力さえあるように思えた。
しかし、その視線はとても冷淡かつ無関心極まりない。まるで死にかけの虫を見るかのような、死のうが生きようがどうでもいいと言わんばかりの非情さをその視線からひしひしと感じる。
とりあえず、周りの状況を把握した蓮一は上体を起き上がらせる。巫女服の女性は慌ててその補助に入ろうとするが、その必要はない事を手で制す事で伝える。
体に特にこれといって違和感や痛みはなかった。むしろ今から起き上がって狩りにだって行ける位に調子が良いように感じる。
「あの……ここはどこでしょうか……?」
蓮一のその質問に一瞬、巫女服の女性は心配そうな表情を見せるが、すぐにまた笑顔になり、優しく母親のような穏やかな口調で蓮一の質問に答える。
「ここは博麗神社という所で私はここの巫女をしている博麗靈夢。君の治療のために勝手ながら連れてこさせてもらったわ。君の住んでいた村は――――」
「あなたの村とあなた以外の村人全員は妖怪によって滅ぼされたわ。もうあなたはあの場所には二度と戻れない」
「紫! もう少し言い方を……!」
「言葉は事実を伝える道具よ。ならば、しっかりと伝えなければ意味がないでしょう?」
紫と呼ばれた金髪の女性の淡々とした言葉に巫女服の女性はしばし言葉に詰まり黙り込んでしまう。その表情には何か言葉で表せない程に複雑な感情が込められ、それは紫に向けられ続けていた。
紫の方もそれに気付いていながらもあえて気付かぬふりをしていると言った感じで、巫女服の女性から目を逸らして日傘を傾けて目を隠している。
険悪な空気がその部屋中に立ち込めていた。
「――ええ、知っていますよ。俺の村がどうなったか、父さんがどうなったかも全部……憶えてますから。でも、大丈夫ですよ。だからって自分も死のうとか考える程じゃありませんし、一人で生きる術はある程度教わってきてますから」
その蓮一の言葉が二人の間の空気を断ち切った。紫の方は少し日傘を上げてこちらを興味深げに見つめ、巫女服の女性はその言葉を聞いて俯いてしまった。
「……強い子ね。靈夢、早速この子の受け入れ先の村を探しましょう。あの白澤の住んでいる村はどうかしら? あそこにはこの子と同じ位の歳の子もたくさんいるし」
「……紫、もう少し様子を見てからでも――――」
靈夢の態度にいよいよ嫌気が差してきたのか紫はあからさまに面倒そうな顔を向ける。しかし、一方で靈夢にも引く様子はなかった。
しばしの間二人の視線がぶつかり合う。再度、静寂の空気、息が詰まるような緊迫感漂う雰囲気の中、時間が過ぎていく。しかし、しばらくして紫の方が一つ大きな溜息を漏らすと
「……わかったわ、もうしばらくよ。彼の体調が万全に戻るまで様子を見ましょう」
「ありがとう、紫」
「……でもね、あなたが思う程人間は弱くないのよ?」
「…………」
靈夢は何かを言いたげな表情をしているが、結局それを言葉に出す事は無かった。蓮一は紫と靈夢のやり取りを取り敢えずは黙って聞いていた。自分が原因で揉めていたのは理解していたが、かと言って口を挟めるような雰囲気でもなかった。
この重苦しい空気からなんとか解放されたいと考えあぐねていると、その心情を汲み取るように紫は無言で立ち上がると、蓮一に手を差し伸べる。
「こんな空気の中じゃ息苦しいわ。外へ行きましょう、神社を案内するわ。もうしばらくこの神社で生活する事になるのだしね。靈夢、あなたも」
「わかってるわ」
蓮一は紫に付き添われる形で障子を開き、外へと連れ出されていった。
紫と若干よろめきながらも自分の足で歩く蓮一の後ろ姿を3、4歩離れた場所から靈夢は見ていた。
「確かに人間は私が思う程弱くない。でも、あなたが思う程人は強くもないのよ、紫」
そう、誰にも聞こえないように呟きながら靈夢は哀れみと同情を含んだ悲しい瞳で蓮一を見つめていた。
その目にはかつての幼い自分が彼と重なって見えていた。
――彼は、昔の私と同じだ。