東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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この頃いいペースで書けてる気がします。
魔理沙編、ようやくバトル回です。

なんだか中々仕込みに時間がかかって本格的に妖怪退治編に入るメドが立たないっていう。
妖怪退治の弟子が妖怪退治を始めるのはいつになるのか……。

どうか気長にお付き合い頂ければ幸いです。


第十話「二の矢」

「なぁ、お前腹が減っているのか? はは、じゃあ俺と一緒だな」

 

 山の中、俺は苦しそうに息をしながら目の前のそれに語りかけた。

 それは人ではなかった。一匹の巨大な狐。白い毛並が際立って美しい妖獣であった。その白い狐が鋭い牙をチラつかせながら俺の目の前に立っているのだ。

 俺は自分の死期を悟り、改めてこれまでの人生を思い返す。

俺は捨て子だった。今日まで盗みや殺し、生きるためならどんな事でもやって、同じような生い立ちの仲間達とこの歳まで助け合ってなんとか生きてきた。

 しかし、その生活に唐突に終わりが訪れた。いや、今までこんな生活がまともに続いていた事自体が奇跡のようなものだった。自分達は彼ら『普通』の人間達にとっては何の価値もない害虫だ。いつ無慈悲に殺されてもおかしくはないのだ。

 既に仲間は自警団らしき村人共に全員殺された。自分だけが命からがらこの山まで逃げ延びたのだ。

しかし、既に身体は限界。しかも丁度倒れていた所に妖怪が現れた。希望が無いにも程がある。

ああ、思い出すだけで胸糞悪くなるような、何一つ良い事のない人生だった。

 

「まぁ、この山に逃げ込んだ時からもう覚悟はしてたぜ? ここは人間なんて恐れて近づけないかの名高い『妖怪の山』だもんな」

 

 俺の語りかけにも目の前の狐は一切反応しない。ただ、俺の事を見下ろしている。

 だが、恐らくあと数秒後には俺はあの狐に食い殺されて、きっと骨一本残っていないだろう。そもそも仲間を見捨てて自分だけ生き残ろうなんて虫がよすぎたんだ。

 そんな自分には妖怪に食い殺されて惨めに死ぬのがお似合いだ。

 

「おい、もういいぜ? 一思いに食っちまってくれ」

 

 すると、狐は俺の方に向かって来るどころかそっぽを向いてそのまままた森の奥に消えて行ってしまった。

 何故かあの妖怪狐は俺を食べる気にならなかったらしい。

 

「はは、妖怪の餌にすらなれない、か。惨めを通り越して感動するな」

 

 本当に誰からも必要とされていないのだ。そう思った時、俺から溢れてきたのは涙ではなく笑いだった。

 なんで自分という存在がまだ生きているのか可笑しくて仕方がなかった。

 そう俺が大笑いをしていると、木々の中から音を立ててまた何かがやって来た。

 狐だった。さっきの白い狐がまた戻ってきたのだ。そして、その口には四房程の葡萄が咥えられていた。

 狐は近づいてきてその葡萄を俺の傍に落とした。

 

「な、なんだよ、お前……これ、俺にくれるのか?」

 

 狐は頭をまるで頷くように動かす。俺は傍らの葡萄に目をやる。葡萄はみずみずしく、大きな実をいくつもつけており、その時の俺にはそれが宝石のようにすら見えた。

 俺は力を振り絞って震える手で葡萄の実を一つつまんで口に運ぶ。

 軽く噛むだけで中の実から甘い果汁が溢れ出し、喉へと流れ、乾ききった身体を潤していく。さらに歯を実の中に食い込ませていくと柔らかい果実の感触と舌の上に甘味が広がっていく。

 葡萄をゆっくりと飲み込んだ時、俺の手はいつの間にか次の葡萄に手を掛けていた。

 

「うまいな…………ありがとうな、狐」

 

 狐は満足そうに一声鳴くと、俺の傍に寄り添うように横になり、そして目を閉じる。

 俺は狐に何度も繰り返し礼を言いながら葡萄を食べる。

 いつの間にか、俺の目からは涙が零れ落ちていた。

 

 

 蓮一の目の前には依然として孤助と名乗る男が周りに細い狐のような動物を飛び交わせながら立っていた。

 魔理沙はほとんど動けるような状況にはない。さっき蓮一を庇うので精一杯だったのだろう。苦しそうに何度も希薄な呼吸を繰り返し、なんとか意識を保っている。

 今この場であの孤助に対抗できる者がいるとすれば、間違いなく蓮一しかいなかった。

 

「くそ! なんだ、あの細い真っ白な狐達は!? 当然のように宙に浮いているし妖怪なんだろうけど、あんなの見た事ないぞ? どうする、どうやってあいつと戦えばいいんだ……」

 

 蓮一はおおよそ数メートル先の竹筒しか持っていない孤助に一向に近づけないでいた。魔法使いである魔理沙が為す術もなくこんな状態にされるような輩に無策に突っ込んでいける筈もなかった。

 しかし、いくら考えても孤助の周りを舞うあの白い狐のようなものの正体がわからなければ話にならない。

 蓮一が頭を悩ませているその時、突然脳内に聞き覚えのある声が響き渡った。

 

『蓮……一……!』

「魔理沙!?」

『蓮一、今僅かに残った魔力でお前の脳内に直接話しかけているわ。でも、長くは続きそうにないから手短にお前のやるべき事を話すわよ』

 

 聴覚を失ってからしばらく魔理沙が使っていた脳内に言葉を送る魔法だった。横の魔理沙を見てもさっきとは変わらず、苦しそうに息をするばかりだ。

 しかし、確かに魔理沙は蓮一に何かを伝えようと魔力を振り絞って念話を行っていた。

 

『いい? まず、あいつの使っているアレは管狐という妖獣よ。召喚した術師に使役される狐の妖獣で管に入ってしまう程に細い頭身が特徴よ。今私はこの管狐に憑かれているせいで根こそぎ魔力を奪い取られ、身動きすら取れない状態よ。お前にはあいつの持っている管狐の召喚具を破壊して欲しいの。そうすれば私も戦う事ができる』

「召喚具を破壊って言ってもその召喚具がわからないと……」

『お前、あいつの持っている竹筒から管狐が飛び出したのを見たでしょう? おそらくはあれが召喚具よ。あれを壊せば管狐は消滅するわ』

「わかった、とにかくあれを壊せばいいんだな?」

『気を付けなさい、あいつら単体は大きな力は持っていないし普通の狐と同程度と考えていいけど何せ数が多い。憑かれたら一巻の終わりだからね』

 

 蓮一は小さく頷くと、未だ動く事なく魔理沙を一身に睨み付ける孤助との間合いを測る。

 そこまで距離は離れていないが、かといって手の届く距離でもない。間違いなく近づこうものなら確実に周りの管狐に邪魔をされる。

 何があってもお互い確実に対応できる距離。それが蓮一と孤助の間の距離だった。

 

――近づきにくい。

 

 蓮一は構えて孤助の方へ近づこうと試みるも、そこに上手く行くイメージが浮かばず、一歩を踏み出せずにいた。

 やはり最大の障害は孤助の周りを漂うあの管狐達であった。大半は魔理沙に『憑いて』いるため、最初に竹筒から出てきた量からは大分減っており、視認できる範囲でおおよそ十匹と言った所である。

 例え個々の力が普通の狐程度であったとしても不用意に近づけばあっさりと食い殺されるだろう。

 

――なんとか、やつの近くまで行って拳を打てれば勝機が見えるんだが……。

 

 そう蓮一が考えあぐねて一瞬気が逸れた所を的確に突くように、突如孤助が動いた。

 考えてみれば当然の事だ。別に動いてはいけないという制約がある訳でもないのにあの場所に棒立ちのままである筈がない。

 当然孤助から攻撃される可能性もあるのだ。むしろ、魔理沙という障害が消え、孤助には攻撃を懸念する要素が何一つない。

 むしろ彼からの先制攻撃は自明の理であった。

 

「ッ!」

 

 向かって来る孤助に不意をつかれて退き気味になっていた蓮一であったが、それでも何とか持ち直すように足を一歩前に出した。

 逆に考えれば、さっきまで蓮一が攻め入る隙など微塵もなかった相手がわざわざ攻撃をしかけ、その間合いを勝手に詰めてくれるのだ。蓮一としても悪い状況とは一概に言えなかった。

 孤助が竹筒を蓮一の方に向けると狐達はそれに反応して一斉に蓮一に襲いかかって来る。

 

――焦るな、この数の管狐を捌き切るのは今までの修行から…………無理だ!

 

 その場から動かない蓮一に向けて、先行して三匹の管狐が突撃し、それぞれ、右腕、脇腹、左足を鋭い爪で攻撃する。

 各部位から真っ赤な血が衣服の内から滲み出てくるが、蓮一は何事も無かったかのように一点を見て前へ一歩進み始める。

 元々触覚が鈍っている以上、痛みは普段より感じないのだ。傷の程度が軽くなった訳ではないが、痛みにより怯む事がないのは不幸中の幸いと言える。

 

――今の俺には十匹は捌けない。だから今はひたすらに耐える……!

 

 さらに続けて五匹の管狐が今度は今傷を受けた部位に加え、右肩と左肩に噛みついてきた。流石に傷にさらに管狐の鋭い牙が食い込み、蓮一の表情も流石に歪むが、それでも進む足取りは緩めない。

 最後の二匹はそのまま猛スピードで鳩尾に体当たりを仕掛けてきた。

 

――よし、二匹なら。行ける……!

 

 

「魔理沙の本って魔道書とか図鑑の他にたまに武術書みたいのも混ざってるよな? もしかして魔理沙も戦えたりするのか?」

 

 魔理沙の部屋で座学に使った本を片づけていた蓮一はふと疑問に思い魔理沙に尋ねた。

 

「まぁ、魔術師っていうのは元来魔法に頼り過ぎて肉体的な面が劣っている奴が多いからね。私もそれが弱点になるのが嫌だから霖之助からそういった本を『借り』てるのよ」

 

 魔理沙の『借りた』という単語は世間一般的に言う『盗んだ』と同義である。蓮一も偶然彼女の郵便受けに大量に詰まった霖之助からの代金催促状を見て、薄々その事には気付いているため、ここではそれを咎めるのが正しいのだが、魔理沙が武術に精通しているというのを聞いた蓮一はそれ以上にその知識について興味を持った。

 

「へぇー、どんな武術をやるんだ?」

「まぁ、見よう見まねだから大した事はできないわ。この通り筋肉も足らないからお前に教えられるような王道めいた武術はないわ。強いて言うなら私の体得している武術は大半が技術によるものや相手の力を利用しているものよ。それでもいいかしら」

「勿論だ、これからの戦いのためにはどんな戦術も身に付けたい」

「あら、勉強熱心ね。じゃあ、少し教えてあげるわ。実践しやすいものからね」

 

 妖怪という強大な相手と戦う上で蓮一は戦いに対する拘りを捨てていた。空手、柔術、中国拳法など、妖怪と戦うためならどんな武術も会得する覚悟であった。

 

――そう、俺が出来る事はなんだってやる。妖怪との戦いに無駄な拘りはいらない。俺がこれからやっていくのは命の駆け引きなんだから……!

 

 

「グギィィ!?」

 

 苦しそうな悲鳴を上げたのは体当たりをされた蓮一ではなく、体当たりをした管狐達だった。

 管狐達は蓮一の鳩尾ではなく、寸前に蓮一が右の脚を一歩退くと同時に前に突き出した右腕に二匹揃ってぶつかり、弾かれた。

 特に勢いのある突きではなかった。むしろ周りにはただ管狐が突進してきた方向に蓮一が右手を突きだすよう動かしただけのように見えていた。

 

退歩掌破(たいほしょうは)……!」

「何だぁ、今のは……?」

 

 予想外の展開に足を止めた孤助に向き直り蓮一は構える。横目で先程蓮一の退歩掌破を食らった管狐は地に横たわり、やがて空気に溶け込むように消えていった。

 なんとかまず二匹は倒す事ができたらしい事に思わず蓮一の口元から安堵の溜息が漏れる。

 退歩掌破。前に突きだした手と反対に一歩退いた脚で直線を為し、相手がぶつかってきた勢いをそのまま攻撃力に変換して返すカウンター技。

 例えるなら、今の二匹の管狐は斜めにささった頑強な木柱の先端に勢いよく体当たりしたのと同じ。

 猛スピードの突進が反作用により自分の身体にそのまま返ってくる。まさに相手の力で相手を制す技。

 一直線にした手脚が管狐の体当たりに負けてしまわぬよう霊力を集中させてより強固にしていたとはいえ、実戦で初めて使用してここまで上手く行くとは思わず、内心で蓮一は笑みを浮かべていた。

 一方でそんな事は知らぬ孤助は自分のやられた二匹の管狐を見下ろし、不可思議な表情を浮かべるばかりだった。

 

「さぁ、どうした? これで終わりか孤助!」

「…………ふぅん」

 

 急にまた元の勝ち誇った笑みを向けて蓮一の方に向き直る。まるでその目からは自分が追いつめられているという焦燥は愚かかすかな動揺も見られない。

 目の前で自分の理解できないまま管狐が一撃で二匹を消されて尚、孤助は自身の勝利を疑う事はなかった。

 

「まるで、俺が少しでも追いつめられているみたいに言うじゃないか、ガキ。お前なんぞ消そうと思えば一瞬だぞ? 今俺が数秒間固まっている内に逃げておかなくて良かったのか?」

「なんだと?」

「ハッ! 気付いてないとでも思ったかぁ? その似合ってねぇ眼鏡! イヤーカフ! そいつは視覚、聴覚の補助道具だな? つまりはお前、全盲なわけだ、あぁ?」

「…………」

「何でわかったって面だなぁ? この程度同じ魔道の道を行く者なら一瞬で見抜けんだよぉ、マヌケが! むざむざ自分の弱点晒して勝ち誇っているとは笑いもんだぜ!」

 

 同時に孤助のその言葉が合図だったかのように管狐達は一斉に蓮一の頭部を中心に襲い掛かる。

 今まで噛みついていた狐達もその場所から離れ、蓮一の眼鏡とイヤーカフをしつこく狙って来る。

 形勢逆転。気付けばまた蓮一は窮地に立たされる事になっていた。

 

――くそッ! この眼鏡とイヤーカフを奪われるのはまずい! なんとかしないと……。

 

「がはァ!?」

 

 突如、蓮一の腹に鈍い衝撃が走る。

 管狐の役割は二つあった。一つは蓮一の目と耳の代わりを担う眼鏡とイヤーカフの奪取もしくは破壊。

 そして、もう一つは頭部周辺を飛び回り、蓮一の視界を塞ぐ事。

 蓮一は管狐の猛攻を裂けるのが精一杯でその間に近づいてきていた孤助の存在に気付かなかった。

 ノーガードの腹部に入った一撃は重く、その痛みは蓮一に膝をつかせるに事足りた。

 目の前では孤助が恍惚の表情を浮かべ、欠けた歪な歯と歯の間から汚らしくよだれを垂らしている。

 

「ククク……ああ、楽しいぜぇ、人間を痛ぶるのはよォォ」

「――ッ!」

 

 さらに屈みこんだ蓮一に蹴りを入れる。何度も何度も繰り返し。

 管狐が襲ってこないのはおそらくは蓮一が立ち上がる事を防ぐためだろう。真上に管狐がいるとわかれば眼鏡とイヤーカフを守るため、立ち上がれないだろうと読んでいるのだ。

 事実、蓮一は真上に控えているであろう管狐を警戒し、体勢を持ち直せず、孤助に蹴りを入れられ続けている。

 

「もっとだ! もっとだ! もっとだぁぁ!」

「ぐッ! ッ! くぅ!」

「まだまだだぁ、ガキ! 俺が……俺があいつらに受けた『仕打ち』はこんなもんじゃねぇぞぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 興奮状態のせいか、訳の分からない事まで口走り始める孤助を見て蓮一は一つ賭けを思いついていた。

 この状況をさらに逆転する賭けを。

 ただ、非常に分が悪い賭けには違いなかった。まず、この賭けに失敗すれば命はないだろう。そして、成功したところで満身創痍は必至だった。

 必要な材料はある。後はタイミングさえ計ればいい。今孤助は興奮状態で隙が大きい。

 今は眼鏡とイヤーカフを守るので精一杯だが、いつか大きな隙ができる。そこを確実に決める。

 

「死ね! 死ね! シネェェェ!」

 

 何度も蹴りを入れるうちに徐々に疲れたのか、あるいはいつまでも倒れない蓮一に苛立ち、より力を込めているのか、徐々に孤助の蹴りは大降りになり、溜めが生まれた。

 そして、蓮一がただひたすらに待ち続けた逆転への活路であった。

 

――今だ!

 

 蓮一は右の拳を懐に入れ、何かを取り出すと同時にその拳の中に握りこむ。

 そして、立ち上がる力をバネに、突き上げるようにその拳をノーガード状態の孤助の顎へと打ち込む。

 

「ガハァ!?」

 

 蓮一の拳は見事孤助の顎にクリーンヒットし、予期せぬ反撃によろめきながら孤助は頭を抑えながら後退する。

 顎から振動が伝わり、脳が揺らされていた。

 視界が歪み、バランスが取れない。しかし、蓮一の力不足か、孤助の頑強さによるものか、その意識はまだハッキリと残っており、それは目の前の蓮一に管狐達をぶつけるのに十分なものであった。

 孤助が管を持つ手を蓮一に向けると同時に管狐が蓮一に襲い掛かる。蓮一に全方位からのその猛攻を防ぎきる術はない。

 一応眼鏡とイヤーカフを守るようにしたものの、大した意味はなく、右耳のイヤーカフがその周辺の耳の肉と共に削ぎ取られる。

 

「痛ッ!」

 

 耳に鋭い痛みが走る。しかし、実際はこんなものではないのだろう。耳を大きく欠けさせるまでに強引に食いちぎられたその右耳からはボタボタッと重い音を響かせながら赤い鮮血が流れ落ちる。

 同時に、蓮一から右耳の聴力が消える。まるで自分の右側に広がる世界がなくなったかのようだった。思わず、その不安感を拭い取るように右に視線を動かしてしまう。それがまた致命的な隙になってしまうと知りながら。

 

「ぐあッ!」

 

 次は左耳だった。同じように耳ごとイヤーカフを持って行かれる。さっきの右耳のショックが心理的に効いていたのか、同じ程度の痛みの筈なのに蓮一は思わず身震いする程の激痛を味わっていた。

 ショック効果。傷の具合が同じでも、その傷からの出血を見るか否かだけで本人の感じる痛みの度合は変化する。つまりは心理的なショックが痛覚をも操るのである。

 今の蓮一は耳を食い破られるという事実と右耳から流れ落ちた大量の血を見て左耳を食い千切られた際に本来の感覚以上の痛みを感じていた。

 さらに、両耳の聴覚が完全に奪われ、敵の攻撃を目で見て避けなければならない。全方位からの攻撃に対し、視覚だけで戦う事の厳しさを今更ながら蓮一は痛感していた。

 

「は、はは! 終わりだ! ガキがラッキーパンチではしゃいでんじゃねぇぞ!」

 

 ようやく、完全に回復した孤助は笑いながら必死で管狐を避ける蓮一に罵詈雑言を吐きかける。

 既に聴覚を失った蓮一には聞こえていないが。

 

「どうせ、俺の攻撃が大振りになった所で隙をついて全力で攻撃しようって作戦だったんだろうが甘すぎる。俺がガキの一撃で完全に沈む訳ねぇだろぉが? さっさとくたばってりゃ良かったものを」

 

 眼鏡をガードしながら管狐の攻撃をなんとか躱すが、少しずつ掠り傷を負い、蓮一の腕と頭部は血だらけだった。

 

「もう、テメェは泣いて謝っても許さねぇ。精々痛ぶって嬲り殺しにしてやるから楽しみにしてな」

 

 急に、管狐達は今まで頭部以外の場所は最低限にしか攻撃していなかったのを切り替え、蓮一の足や胴、腕も積極的に狙い始める。

 いつ眼鏡に攻撃が来るか分からない状態で全身をガードする訳にもいかない。管狐達の攻撃はどんどんクリーンヒットしていき、やがて頭部と同じ位まで身体中も血塗れになっていく。

 

「おらおらどうした!? しっかり避けないと殺されちまうぞ?」

 

 また腕を裂かれる。次は足、胴。蓮一はもう避ける気力すら失いかけていた。

 

「ほら、そこだ!」

 

 ついにガードの緩んだ腕の隙間を縫って管狐の一体が顔面に突進する。

 蓮一の頭が後ろに逸れ、フレームが歪み、レンズの砕けた眼鏡が地面へと落ちていった。

 それを見るのと同時に孤助は高笑いして管狐達を竹筒に帰らせる。

 

「ははははは! ザマぁないな! 終わりだよ、もう目も視えない耳も聞こえないお前は何もできない! ま、そこでしばらくくたばってな、魔理沙を殺した後でまた相手してやるからよ」

 

 倒れた蓮一を見て見下すように唾を吐きかけ、孤助は浅い呼吸を繰り返し、今にも息絶えそうな魔理沙の方に向き直る。

 魔法使いにとって、魔力とは命と同義である。魔法使いにとっては魔力が自らの全てであり、魔力を完全に全損してしまえば、それはすなわち死を意味する。

 魔理沙に憑いた管狐はその命の源たる魔力を延々と吸い取り続けている。孤助はおそらく十分も持たないと考えていたが、その予想に反してまだ霧雨魔理沙は生きていた。

 とはいっても生と死の間を彷徨っているような状態ではあったが、その意識はまだ微かに残っている。

 魔力を吸われ続けても未だにまだ魔理沙が生きているのは、日頃から内に溜めた魔力の膨大さと魔理沙がまだ人間のように『食事』をして生きていた巧妙と言えるだろう。

 他の魔法使いのように完全に魔力のみで生きる身体になっていたならば、既に彼女の命は潰えていたに違いない。

 

「まだ生きているのか、しぶとい。だが、そうでなくては面白くない。どうだ、魔理沙? どんな気分だ?」

 

 魔理沙は薄らと目を開けると、僅かに口角を釣り上げ、掠れた声で言った。

 

「最高……ね」

 

 瞬間、魔理沙の全身をさらに大きな呪力が支配し始める。

 一瞬意識が飛びかけたが、魔理沙は寸前の所で唇を噛み切る事で持ちこたえた。

 孤助の方を見ると、彼の持つ竹筒から管狐が飛び出し、魔理沙に『憑いて』いた。

 

「まだ減らず口が聞けるのか。大したもんだ」

「お前……に……私は……殺せない……」

「あ?」

 

 魔理沙は同じように嘲るような笑みを浮かべて真っ向から怒りに引きつる孤助の顔を睨んでいた。

 

「てめぇ……この状況で何言ってんだ? 頭でも狂ったか?」

「気付いて……ないのね……頭の悪い……」

「――ッ! てめぇ、いい加減にしとけよ――――」

 

 魔理沙の言葉に血が昇った孤助は大きく拳を振り上げる。

 しかし、振り上げた途中でその拳は止まった。後ろの何かに振り上げた拳が当たったのだ。

 孤助の表情が固まったのが魔理沙にはよくわかった。

 次の瞬間、何かの手が頭髪の生えていない孤助の頭を鷲掴みにする。今の状況でそんな事ができるとしたら一人しか思い当たらない。

 魔理沙はだらだらと汗を流し始める孤助に向かってこれ以上ない嘲笑を浮かべ言う。

 

「お前……臭うわよ……」

 

 次の瞬間、後ろから孤助の側頭部に拳が放たれ、1m程吹っ飛びながら頭から地面に叩きつけられる。

 頭部から血を流しながら見上げたそこには一人の少年が立っていた。

 全身血塗れ、聴覚も視覚も失い最早立っている事さえできない筈の蓮一の姿がそこにはあった。

 

「こ、このクソガキィィィィ!」

 

 孤助は蓮一に向かって咆哮した。

 しかし、その声には僅かながら、さっきまではなかった蓮一に対する恐怖の感情が混ざり込んでいた。

 

 

「蓮一、お前実戦経験はほとんどないのだったわね」

 

 座学の途中、不意に魔理沙は蓮一に尋ねた。丁度座学では歴史上の武人について学んでいた。

 蓮一は戸惑いながらも頷く。確かに蓮一には妖怪との実戦経験は未だ一度きりだ。

 

「まぁ、これは妖怪との戦いだけに言える事ではないけれど、戦いには必ず戦法が不可欠よ。どのように相手と戦うつもりか、しっかりイメージがあるのとないのでは千差万別よ」

「まぁ、それは勿論そうだろうな。狩りの時もある程度作戦を立てたりするしな」

「ああ、そういえば狩りをしていたんだったっけ? じゃあそこまで問題はないと思うけど、これだけは徹底しなさい。『戦法や作戦は最悪の場合を考える』こと」

「え?」

 

 つまり、魔理沙は蓮一に作戦や戦法は失敗するものだと考えろと言っていた。蓮一の考え方ではありえなかった。

 狩りとは必ず獲物を仕留めるのが前提だ。よって作戦、戦法に綻びや失敗があってはならない。

 間違っても失敗するなんていう一歩退いた思考で狩りに臨んでいてはそれこそ成功するものも成功しない。

 蓮一はそう考えていた。

 

「別に作戦や戦法が必ず失敗すると言っている訳ではないのよ。ただ、優れた武人は必ず二の矢、三の矢を用意しているものよ。自分の作戦、戦法が必ずしもうまくいくものではない、という意識は持っていなさい」

「あ、ああ、そうだな。俺がこれから相手にしていくのは今までの常識も通じない相手だしな」

「そうよ、実戦では特に何が起こるかわからない。用心深いに越した事はないわ。まぁ、一の矢で相手を仕留められればそれが一番いいのだけれどね」

 

 魔理沙はそう笑って言っていた。

 

 

――あの時の事が脳裏に蘇る。今は視界が無いから尚更鮮明に。

 

 蓮一は孤助が倒れているであろう方向を見てそんな事を考えていた。

 きっと今頃は自分に対して怒りの言葉を並べているのだろう。

 しかし、それも聞こえないのなら、蓮一にとってはないのと同じだ。

 

「ぐぼぁ!?」

 

 蓮一は立ち上がりかけていた孤助の方に進み出て、彼の身体にぶつかると、その場で腰を回転させ肘打ちを放つ。

 見事に肘は彼の左頬に入り、その拍子に彼の口から欠けた歯と血が吐き出される。

 孤助はまた地面に倒れ、訳が分からないと言った様子で肘打ちを受けた頬に触れる。

 

「な、なんでここがわかる!? こいつには視覚も聴覚もないのに!」

 

 孤助は蓮一が再び拳を振り上げるのを見て慌てて立ち上がると距離を取る。

 

――何故だ!? あのガキは何で俺を攻撃できる? 何か目印になるものが? 『目印』だと? 視覚も聴覚もない障害者になんの目印があるって!? 

 

 蓮一はその間にも孤助が移動したのを当然のように察知し、徐々に間合いを詰めてくる。

 

――落ち着け! あいつの足取りは今までのダメージと視覚が無い事で大分のろい! 逃げようと思えば一生でも逃げ切れる。その間に奴のトリックを暴くんだ。畜生、全ての管狐を魔理沙に憑かせたのはミスだった! まさか、まだ立ち上がってくるなんて……。

 

 空の竹筒を睨み、今更魔理沙の挑発に乗った自分を恥じる。

 しかし、相手は満身創痍のただの少年。普通に考えればほとんどダメージもなく、力で圧倒できる孤助が断然有利なのだが、孤助は得体のしれない蓮一の攻撃に完全にのまれていた。

 とても真っ向から突っ込む事はできなかった。

 

――俺にぶつかってから攻撃を仕掛けた事から視覚がないのは確実。だが、何故か俺の居場所だけは正確に把握してきやがる。やはり、何か目印がある……。

 

『あなた……臭うわよ』

 

 蓮一に攻撃される寸前、魔理沙が言った言葉を思い出す。

 

――そうか、臭いだ! あいつ、臭いを追ってきやが―――

 

 次の瞬間、孤助の腹部に強烈な衝撃が走る。

 いつの間にか血塗れの蓮一が目の前まで来て正拳突きを放っていた。

 

――なッ!? こいつ……殺気も足音もしなかったぞ!? いつの間に……!?

 

 フォックスウォークによって足音を消すと同時に極限状態による消耗により無意識に蓮一が攻撃の時に放つ殺気は皆無だった。

 蓮一は憎しみを込めて孤助を攻撃していない。ただ攻撃しなければならないという一種の強迫観念ともいえるそれに文字通りとり憑かれた機械になっていた。

 機械から殺気は放たれない。同様に今の蓮一からも殺気というものが跡形もなく消えていた。

 

「くそ! 臭いだ! さっきから俺の身体から臭うこの強烈な刺激臭、なんで気付かなかったんだ、畜生が! クソが、なんなんだ、てめぇはァァ!」

 

 蓮一は最初からあの時の不意打ち一発で孤助を倒せるなど微塵も考えていなかった。それどころか、例え攻撃が命中してもどちらにせよ眼鏡とイヤーカフは守りきれないと確信していた。

 だから、蓮一はその最悪を見越し、二の矢を立てた。聴覚と視覚がなくても孤助の位置を知る事のできる目印。

 ある強烈な臭いをつける。それがあの一発の目的であった。それで孤助を倒せれば幸運、倒せなければ予定通り二の矢を放つ。それだけだった。

 

――モドキ草。あの時採集しておかなければ為す術もなかった。

 

 蓮一はずっと握りかためていた右手を開く。そこからしわくちゃになったモドキ草が落ちてくる。

 モドキ草は生体に触れる事で強烈な刺激臭を発し、その臭いは周囲にまで伝搬する。あの時モドキ草を握り込んだ蓮一の拳を受け、孤助にもその臭いがついていた。

 後はそれを嗅覚のみで探知するだけであった。

 さして難しい事ではない。何故ならここは魔法の森、五感全てが強制的に特化する場所なのだから。

 

――さぁ、決着をつけよう。

 

 蓮一の拳から伝搬された臭いは既に孤助の全身に隈なく染みついている。

 勿論、彼がずっと大事に握りしめていた竹筒にも。

 今、特化された嗅覚によって蓮一は臭いでものの場所だけでなく、おおよその形も捉えられるまでになっていた。

 以前、竹筒は彼の左手にしっかりと握りしめられている。

 

「く、来るな! 来るなぁぁぁ!」

「うおおおおおおお!」

 

 雄叫びと共に、蓮一は拳を放った。

 突き出された拳は、誰も寄せ付けないように前へ出している孤助の左手に命中し、その竹筒をついに砕いた。

 

「魔理沙、やったぞ……」

 

 竹筒を砕いた感触を確かめつつ、蓮一はついに倒れた。

 あまりにも多くの血を流し、ダメージを負い過ぎた。

 蓮一が地面へ倒れる所を寸前で管狐の呪詛から解かれた魔理沙が瞬間移動(テレポート)魔法で抱きかかえ、支える。

 

「よくやったわ、蓮一。流石は私の弟子ね」

 

 しかし、喜びも束の間。一方で孤助に異変が起こっていた。

 

「う……ガぁぁ……ギギ……!」

 

 今まで魔理沙に憑いていた管狐が今度は孤助に群がり、彼を苦しめているようであった。俗にいう『呪詛返し』である。

 呪詛を掛けた者はその呪詛を破られた時、その身に呪詛を返される。『人を呪わば穴二つ』まさに孤助は自分の呪詛で自身の墓穴を掘ろうとしていた。

 

「……いい気味、ね」

 

 魔理沙はそう言って踵を返すと目の前の家へと蓮一を担いでいく。

 しかし、その途中で足が止まってしまう。普段の、というよりは以前の魔理沙にはない躊躇であった。

 魔法使いに情は無用。常に冷静に的確に、それが魔法使いとしての在り方であり、半端者の魔理沙とてその例外ではない。

 しかし、今はすぐ後ろで凄惨な呻き声を発しながら呪詛に苦しむ孤助が気掛かりでならなかった。

 

――目の前の家に入って、扉を閉めてしまえばそれで全てが終わる。それに、なんでわざわざ自分を殺しに来た敵に情けを掛ける必要があるのか。

 

 頭ではいくらそう理屈を通しても足が一向に動かない。一刻も早く蓮一の手当てをしなければならないというのに、自分の身体は既に孤助の方を向いていた。

 孤助は先刻の魔理沙同様、身体中に赤い文様が出て白目をむいて苦しそうな唸り声を上げている。

 体に何度命令しようとも身体は一切家に向けて動こうとはしない。

 だから、魔理沙は諦めた。

 仕方がないのだ。自分は本心には逆らえない、そういう性格だと彼女は自覚していた。

 

「……全く、人間なんかと戯れすぎたせいか、私も随分生温くなってしまったわね、まるで人間みたいよ」

 

 魔力供給は呪詛から解放された瞬間からほとんど回復しており、現在は六割程度の魔力を既に生成してある。

 呪詛を『殺す』のには十分な魔力を有していた。

 

「弱くて、偽善的で、情に流される、そんな人間が――――」

 

 横目で蓮一の事をチラリと見る。既に意識を失っている彼は魔理沙による応急処置の魔法で止血が為され、今の所命に別状はない状態だ。

 その安らかな、全てを出し切った寝顔を見て思わず笑みがこぼれる。

 

「そんな人間が、『私』なんだ。私は『魔法使い』である以前に、何よりそういう『人間』に生まれてきてしまった」

 

 魔法使い、霧雨魔理沙はそう言うと手を前に出し、転移魔法でその手に箒を、その頭に藍色の唾の広いとんがり帽出現させる。

 そして、その箒の先端を孤助に向け、帽子の唾を片方の指でつまみながら言う。

 

「だから、今宵私は魔法使いではない、弱くて、偽善的で、情に流される、そんな人間、霧雨魔理沙としてお前を全力で助け出してやる!」

 

 人間、霧雨魔理沙はそう叫ぶと呪詛の塊に侵されている孤助の元へ駈け出して行った。

 

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