東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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大変長らくお待たせして申し訳ありません。
また今週から再開です。

幽香編其の弐と言った所でしょうか。
後々は高天原全メンバーのをやれるといいなぁ。


第十五話「不殺」

「殺すな」

「はぁ?」

 

 現実世界と夢幻世界の狭間にある夢幻館。その中で二人は対峙していた。

 一人は珍しい紫髪に巫女装束を身に纏い、その顔には鬼でも模したかのような黒塗りの鉄仮面を被っている。

 また、もう一方は随分と気の抜けた格好をしており、寝癖のついたウェーブがかった緑色のロングヘアーに夜中とはいえ、ピンク色のネグリジェなど来て目の前の敵と対峙していた。

 しかし、逆に敵に対する気の抜けたその格好は彼女の内にある自信の表れでもある。要は別に準備を整えるまでもない程度の敵――いや敵とも見なしてはいないのかもしれない――とあからさまに舐めているのだ。

 たかが夜に蝿が五月蠅いからと言って、わざわざ蝿を潰すために身支度を整えるだろうか。彼女は暗にそう見下していた。

 しかし、実際として彼女にはそのような傲慢さが許される程の大き過ぎる実力が備わっている。

 種族こそ一人一種族である妖怪の括りにまとめられているが、その力はこの幻想郷でも五本の指に入るものである。

 そんな彼女に対し、巫女装束の女は一歩も引く事なく、あくまで対等に立ち回っていた。

 

「この悪霊騒動。お前が騒ぎの元なんだろう?」

「何よ、こんな時間に突然館に来たかと思えば人を妖怪扱いして」

「人じゃない癖によく言う」

「……で?」

 

 深夜、眠っている所を突然起こされたからか、気怠そうに緑髪の妖怪は言う。

 

「これ以上、悪霊を湧かせられると人が死ぬ。だから、私はお前を退治しに来た」

「それは大変。敵なのね」

「寝ぼけてるのか、それとも舐めているのか、どっちだ」

「失礼ね。寝てなんかないわよ」

「…………」

 

 欠伸をしながら悠々と言い放つ彼女に巫女は仮面越しにその表情を僅かに歪めながら、腰を落として構えをとる。

 目の前の巫女から殺気が放たれ始めても依然として彼女は大して戦闘態勢をとらず、右目にかかった前髪を指に巻きつけて遊んでいる。

 

「……自己紹介がまだだったわね。私はこの館の主人の幽香よ。まぁ、数秒後にはお別れしてるでしょうけど」

「そうだな、ここでお別れだな。手早くお前を封印してこの異変も解決するとしよう」

 

 ここで初めて幽香の口元が不快の表情に歪む。

 互いに一歩も引かず、自らの勝利を予言する。そのせめぎ合いに互いの殺気のぶつけ合いが加わるのはさして時間の掛かる事ではなった。

 

「……一つ、忠告してあげるわ。寝起きだからって甘く見ない事よ」

「…………」

「少しでも長生きしたければね」

 

 瞬間、凍てつくような、また剥き出しの刃のような鋭い殺気が幽香から巫女に対して放たれる。

 あまりの殺気に巫女は一歩後に下がるが、決して隙は見せない。

 館内の空気が重みを増していき、妖怪と人間の戦いが始まろうとしていた。

 

「一つ聞きたい。何故、こんな異変を起こした」

「これはまた存外くだらない質問が来たわね。簡単な話よ、ただ『暇』だったから。この異変なんて一時の暇つぶしよ」

「だが、お前のせいで妖怪、人間問わず多くの命が失われようとしている。いささか、遊びが過ぎるんじゃないか?」

 

 さっきまで怒りの表情を浮かべていた幽香は巫女からの質問に一変して嘲るような笑みを浮かべる。

 

「大量虐殺も遊びなのよ。妖怪相手にも、人間相手にもね」

「……気が変わった。この館は封印するが、お前は封印しない事にする」

「あら、嬉しい」

「その代り、約束しろ。私が勝てば、今後お前は『二度と誰も殺さない』と」

「……成程、いいわよ。力こそが全て、勝者の言葉は敗者にとって絶対。万が一、お前が私に勝てたなら、誓いましょう。『二度と誰も殺さない』と」

「フッ、では始めようか、幽香。お前がやる最後の『死合い』を」

 

 巫女のあから様な勝利宣言にも、幽香はまだ笑っている。

 だが、その笑みは恐らく、幻想郷に留まらず、外の世界のものまで含めても、これ以上に恐ろしく、邪悪な笑みはないだろう。

 

「人間風情が何を狂っているのか知らないけど、その身体にたっぷり刻み付けてあげるわ。お前(弱者)(強者)に蹂躙されるものであると!」

 

 瞬間、巫女と幽香が同時に動き、二人の拳が周囲に乱気流を巻き起こしながら空中で交差する。

 これが博麗の巫女、博麗靈夢と風見幽香。その最初の出会いであった。

 

 

 幻想郷の夏。

 外の世界同様に幻想郷にも四季がある。そして、これも外の世界と同様に幻想郷の夏は日が長く、夜が短い。

 つまりは、人間の時間が長く、妖怪の時間が短い訳である。だが、不思議な事に人間が妖怪に襲われる事が最も多いのはこの夏である。

 何故か。いたって単純な話である。人間の気が緩むのだ。夜の時間が短いから妖怪と出会う事も少ないという道理で平気で夜道を歩く人間が増えるのだ。

 実際はそんな訳はない。むしろ、下級の妖怪は自分の行動時間が制限されるとむしろ必死になって辺りをうろつく。

 人間の気が抜け、妖怪の気が引き締まるのだから、妖怪に襲われる人間が増えるのは自明の理である。

 また、それを理解している者でも、夏の日の長さに欲が出て、ギリギリまで里の外で仕事をしていたりすると、さっきまで夕暮れだったのがあっという間に辺り闇一色となり、妖怪達のいい標的となる。

 夏は明るい時間が長い分、夕暮れでも夜の実感が薄れる。秋や冬の場合は夜の方が長いために用心して夕暮れになれば里の中へ入っていくものだが、夏にはその用心が全体的に見て薄れていく傾向にある。

 そして、油断して里の外を出歩いた結果が、今の蓮一のようになる。

 

「うおおおおおおッ!」

「まてぇぇぇぇい!」

 

 全力で里までの道のりをダッシュで駆け抜ける蓮一の後を数多の妖怪達が追いかける。

 下級妖怪の集まりに過ぎないとはいえ、数が数なので、今の蓮一には逃げる以外の選択肢はなかった。

 そもそも、師匠達からも妖怪との実戦についてはまだ何一つ教えられていないのだ。蓮一が師匠から教えられたのは僅かな基本技と基本的な構えや型だけである。

 ましてや、ここまで大量の妖怪達との戦い方なんて教わっている筈もなかった。

 

「さ、里まで逃げれば……! 里の中なら、安全の筈!」

 

 基本的に、人里は博麗神社の近くにあり、しかも妖怪の賢者、八雲紫などの大妖怪が顔を見せている事に加え、自警団最強、阿八が里に害を為す妖怪に目を光らせている。

 並みの妖怪は愚か、そこそこ名の知れた妖怪でさえ、人里を襲う事は決してなかった。

 それを知っている蓮一はとにかく全力で人里の中に逃げ込む事を考えた。

 今蓮一を追いかけているのはどう見ても下っ端妖怪の集団。とても人里に迂闊に手を出せるような実力はない。ならば、人里まで逃げ切れば妖怪達も諦める筈。そう踏んでの戦略的撤退であった。

 もう長い事今までにないスピードで走っているが、緊張状態でアドレナリンが大量分泌されているためか、あまり息苦しさは感じない。

 このまま人里まで妖怪達から逃げ切る事は可能であると蓮一は確信していた。

 

「ぬおおおおおお! 後、少し!」

「逃がすかぁぁぁぁぁ!」

 

 妖怪達も少しスピードを上げるが、この数日鍛えに鍛えられている身体は蓮一の想像以上の働きを見せていた。

 妖怪達も尋常ではないスピードで走ってはいるが、蓮一とのその差は全く縮まる様子はない。

 

「あ、あのガキ、驚く程逃げ足が速いぞ!」

「くそ! 我ら妖怪があんな子供に追い付けないだと!?」

 

 妖怪達が蓮一のあまりの足の速さに驚きと困惑に包まれていると、ついに人里の入り口である巨大な門が見えた。

 蓮一は視界に門が入ると、ここぞとばかりにさらにスピードを上げ、一気にラストスパートをかける。

 妖怪達も必死に追い縋ろうとするが、どんどん距離は開いていき、数秒後、蓮一は人里の門を潜り抜け、人里の中に入っていた。

 

「よ、よし! 逃げ切ったぞ! ハァ……ハァ……」

 

 門を超えた瞬間にその場で四つん這いになって息を荒げ、滝のような汗を流しながら蓮一は片手でガッツポーズをとって、妖怪の方を見る。

 案の定、妖怪達は門の目の前で足を止め、恨めしそうに蓮一を見つめている。

 予想通り、助かった、と蓮一がようやく安堵の息を漏らした時、異変が起こった。

 突然、妖怪達の前に何かが空から舞い降りてきたのだ。

 砂埃を巻き上げながら現れたそれは、人間ではなく妖怪。頭がフクロウで胴と足は人間のもの、そして、その腕は大きな翼となっている鳥人の姿をした妖怪であった。

 そして、蓮一の第六感は、その妖怪が今までの妖怪達とは別格である事を告げていた。

 蓮一の額を嫌な汗が流れ始める。

 

「ホー、ホー。これはこれは、妖怪の皆さん、人里の目の前で集まって一体何をしておられるのです?」

「な、何だオメェは!?」

「ここらでは見ない顔だなぁ。新入りか?」

「ホー、ホー。まぁ、そんな所です。で、現状から察するに――」

 

 今まで妖怪達に身体を向けていた鳥人の首が突然グルリと180度回転し、未だに動けないでいた蓮一の姿を捉える。

 

「ホー、あの少年を追っていらしたのですかな?」

 

 自分の事を言われ、思わず蓮一は身震いする。

 なんというか、蓮一は突然現れた鳥人に不気味な印象を抱いていた。何か、他の妖怪とは違うどす黒い何かがあのフクロウの真っ黒な目の中に渦巻いて見えた。

 できれば今すぐにでもこの場を離れたい所だが、一度緊張が解けたためか足が思うように動かない。

 蓮一はあの鳥人の次の行動を見ているしかなかった。

 

「何故、皆さんここで立ち往生しているのです? さっさとあの疲れ切って動けないでいる少年を喰ってしまえばいいではないですか?」

「おいおい、バカか、てめぇ? そんな事したら俺達の命があぶねぇよ!」

 

 鳥人の発言に、戦闘を走っていた人型の妖怪が人里の中に入る事のリスクを鳥人に語る。それを聞いて納得したように首を振ると、鳥人はまた蓮一の方へ首を回し、今度は蓮一だけでなく、その周りの人里の様子も視界に入れてしばらく観察する。

 それがしばらく続いたかと思うと、また首を元に戻すと、鳥人は改めて妖怪達に向けて口を開く。

 

「ホーホー。どうやら今は博麗の巫女とやらも八雲紫という妖怪も阿八という人間の姿も見当たりませんな。というより、人の気配がまずしません。今なら人里に入っても問題はないのではないですか?」

「で、でもよぉ……」

 

 鳥人の的を射た発言に蓮一は冷や汗が止まらなかった。

 確かに、今は師匠や阿八は高天原にいるし、紫も顔を見せているとは言っても人里には滅多に出てこないので基本的にはいないと考えた方がいい。

 つまりは、妖怪達が恐れるような脅威は実際今の人里にはなかった。

 そして、それに気付いたあの鳥人の発言に蓮一は心臓が止まる思いであった。

 幸いにも他の妖怪達は人里に迂闊に手を出す事の危険性がその身に沁みついているためか、乗り気ではない様子であるが、蓮一は直感していた。

 今すぐ逃げなければならないと。

 

「……ホー、私の目を見なさい」

「あ? 目? おめぇ、何言って……?」

「あ……?」

 

 あ、やばい。

蓮一がそう確信した時にはもう遅かった。

徐々に鳥人の目を見つめる妖怪達が一体一体力が抜けたようにダラリと手を垂らして虚ろな目で虚空を見つめるようになっていく。

 みるみるうちに、妖怪の集団は皆一様に呆けた表情で動きを止めていた。

 

「ホーホー、よろしい。では、『進みなさい』」

「え?」

 

 一瞬、鳥人が何を言ったのか、そして今あの妖怪達に何が起こっているのか理解できなかった。

 さっきまで散々人里に入るのを渋っていた妖怪達は、あの鳥人の一言でゆっくりと歩き始め、次々と人里の門をくぐって蓮一の方へ向かって来る。

 蓮一が予想していた最悪の展開が今目の前で起こっていた。

 

「な……何で!?」

「ホーホー、ほらお前達、あの少年を喰らってしまいなさい」

「あー……喰らう、喰らう、喰らう」

「食っちまおう……食っちま……おう」

 

 ぼそぼそと抑揚のない口調で近づきながら、妖怪達の牙が蓮一に迫ってくる。

 

「く、くそ! 何をした! そこの鳥人!」

「ホー、私は少し里に入る手助けをして差し上げただけですよ? ほんの少し、意識を封じ込めて私の『人形』にして、ね」

 

 そう言って鳥人は宙に羽ばたき、門の上に降り立ち、悠々と蓮一達を見下ろす。

 

「この数相手に戦うしかないのか……!」

「人間……喰わせろ」

「あー……喰いたい喰いたい喰いたい」

 

 焦点の定まらない目でまるでゾンビのように襲い掛かる妖怪達は動きこそ鈍いが、その攻撃はとんでもなく正確で何度も蓮一の急所を掠める。

 蓮一はその異様な状況に狼狽しながらも、何とかあらゆる方向から来る攻撃を紙一重で躱し、霊力を込めた拳や蹴りを妖怪達に叩きこむ。

 高天原であの達人達相手に組み手を毎日やっていたおかげか、蓮一の反射神経、動体視力は以前の数倍にまで高まっており、攻撃を避けるだけなら今の妖怪達の攻撃にも十分に対応できるだけの力がついていた。

 しかし、流石に数が多すぎる。しかも、避ける事に集中しているために霊力の練りも悪く、多少妖怪達の身体を後退させる程度にまで威力は落ちていた。みるみる内に蓮一は取り囲まれ、ついには逃げ場を失っていた。

 

「くそ……!」

「ホー。よく頑張りましたが、ここまでのようですね」

 

 徐々に蓮一を囲む妖怪達の円が小さくなっていく。

 攻撃する間隙も見つけられず、ついに万策尽きたと蓮一が諦めかけたその時、まるでタイミングを見計らったかのように、それは現れた。

 

「ホッ!? 何ですか! この殺気は!?」

 

 突然その戦場を支配したのは妖怪でも蓮一でもない。何者かの『殺気』だった。

 それも尋常ではない。ただの殺気で妖怪達の動きは完全に止められていた。辛うじて蓮一と鳥人だけが動く事を許されていた。

 その殺気が場を支配して数秒後、少し先の曲がり角から蓮一の良く知る人物がその尋常ではない殺気を放ちながら姿を現す。

 

「あら、蓮一。中々面白い事になっているじゃない?」

「ゆ、幽香さん!」

 

 殺気の主である幽香は蓮一の姿を視界に収めると、蔑むような笑いと共にその殺気を収める。

 その瞬間、好機とばかりに鳥人が妖怪達に命じる。

 

「妖怪達! 今です! その化物を先に喰らっておしまいなさい!」

「がー……ガァァァアアア!」

 

 鳥人の命令通り、傍の蓮一には目もくれず、妖怪達が一斉に幽香に向かって牙を剥く。

 しかし、幽香は向かって来る妖怪達に物怖じする気配は微塵もない。むしろ、その気に留めているのかどうかすら怪しい程に幽香の歩調に乱れはなかった。

 

「……虫けら共。全員、『去ね』」

 

 瞬間、蓮一は幽香から眼光が発せられているような錯覚を覚える。

 同時に、嵐のように荒れ狂った殺気がこの周囲一帯を包み込む。それだけで妖怪達は意識を保つ事ができず、その場で泡を吹いて次々に倒れていった。

 下っ端と言えど、あの数の妖怪を指一本触れずに全滅させてしまったのだ。

 

「ほ、ホー……」

「全く、手ごたえのない。『睨み倒し』程度で参ってるようじゃ暇つぶしにもならないじゃない」

「す、凄い……!」

 

 辛うじて意識を保っていた蓮一の口からはもうその言葉しか出てこなかった。

 勿論、高天原の豪傑達も負けず劣らずにとんでもないが、今の幽香の睨み倒しと呼ばれていた技は蓮一が今まで見たどの技とも異質であった。

 言うなれば『格の違い』そのものによる攻撃。弱者を落とすふるいのような技である。

 今まで力や技で相手を倒すものはいくつも見てきているが、このような文字通り圧倒するだけの技を現実に見るのは初めてであった。

 蓮一は改めて幽香や師匠、高天原の豪傑達のいる領域の規格外さを思い知った。

 

「さて、全員どうやら術で操られていたみたいだけど、お前は何者?」

「ホー、ホー。まさかここまでの手練れが人里にいたとは不覚でした。しかし、私の『人形』達はその程度で伸されてしまう程脆弱ではないですよ?」

「が……あぁ……」

 

 今まで倒れていた妖怪達が再び起き上がってくる。

 蓮一は慌てて戦闘態勢をとり、幽香は起き上がってくる妖怪達をただ見つめている。

 今度は幽香と蓮一まとめて妖怪に囲まれてしまう。

 

「……まぁ、別に何度雑魚が這いあがって来た所でこれと言って問題はないのだけれど」

「ゆ、幽香さん! もう一度、もう一度睨み倒しを!」

「え? 嫌よ」

「は!?」

 

 徐々に迫ってくる妖怪達の事など一切気にも掛けず、幽香は淡々と蓮一の要望を却下した。

 

「もうこいつらには意識がないわ。身体だけが操られているまさしく『人形』よ。睨み倒しを使った所で何も意味はないわ」

「そんな!」

「まぁ、安心しなさい。あんた一人の子守しながらでも十二分に掃討できるわよ」

「…………」

 

 幽香の言葉に蓮一は何とも言えない思いを噛みしめていた。

 蓮一はそもそも幽香に自分が弱く脆い人間とは違う所を見せに来たのだ。しかし、現状では蓮一は結局この数の妖怪達に圧倒され、幽香に守られる側に成り下がっている。

 これでは目的など達成出来る筈もない。しかし、実際現状を蓮一一人では打開しきれないというのも事実である。

 どうしようもない袋小路で蓮一は唇を噛みしていた。

 

「さてと……まずはそこから!」

 

 幽香が何もない所に思い切り突きを放つ。

 それだけで拳が放たれた空気は拳圧に押され、まるで空気の弾丸――否、大砲のようにその直線状にいた妖怪をまとめて吹き飛ばす。

 蓮一はその姿を黙って見つめる事しかできない。自分の無力に苛立ちを覚えながら。

 

「…………ホー」

 

 幽香が次々と操られた妖怪達を薙ぎ倒していく様子を空中から鳥人は観察し続けた。

 元より幽香に対し、今の持ち駒の妖怪で効果があるとは全く思っていない。鳥人の目的は蓮一や幽香の殺害ではなく、妖怪が里の中に入っているという緊急事態を認知させる事にあった。

 人里の持つ絶対安全領域という概念の崩壊。それこそが、鳥人が『主』に命じられた任務であった。

 しかし、思いがけず鳥人は今の幽香の戦い方を見て、ある事に気付いていた。

 

「あくまで『不殺』を貫きますか。貴方ほどの大妖怪が」

「…………」

 

 幽香が鳥人のその言葉を聞いて横目で視線を送る。

 明らかに今の言葉に過剰な反応を見せていた。

 

「相手が格下だから? それとも私が彼らを操っているから妖怪達には殺されるような罪はないと? いや違う、貴方は別の何かに縛られてそのような戦い方をしている」

「何だ? あの鳥人何を言ってる?」

「――そう、例えば誰かとの約束か制約」

「――ッ!」

 

 鳥人の最後の言葉に、幽香に明らかな動揺が生まれる。

 それを見て鳥人は笑いを漏らし、翼を妖怪達に向けて軽く一振りする。瞬間、妖怪達の動きが一変する。

 今まで幽香の拳とその直線軌道からは離れるように動いていた妖怪達は今度は一斉に幽香の方に向かって全速力で突進していく。

 幽香は同じように拳圧で吹き飛ばそうと拳を振りかぶるが、拳を放つ軌道上に突っ込んできた妖怪の一体が重なる。

 

「チッ!」

 

 幽香は拳を止め、その場から素早く後退する。

 しかし、その一瞬の隙は致命的だった。拳を止め、防戦に回った幽香に妖怪達の一斉攻撃が襲い掛かる。

 明らかに不自然な動きだった。今の状況で幽香が押されていた点はない。拳の軌道上に入って来たならむしろ好都合。そのまま妖怪を殴りつければいいのだ。

 しかし、今の幽香はそれを避けるかのように攻撃をやめ、後退し、それによって防戦に回る事を余儀なくされた。

 幽香は拳を止めた。ただ、それだけが蓮一にはどうにも不自然に映った。

 何とか幽香は攻撃を捌き続けるが、その動きにも同じように不自然なものが混じり、それが仇となって数回攻撃をもろに喰らってしまう。

 

 

「幽香さん!」

「問題ないわよ、五月蠅いわね。心配されてるみたいで腹が立つわ」

「ホー、ホー、これは愉快ですな。その不殺の制約さえなければ今頃は私も肉塊と化していたでしょうに。一体どれ程のものかは知りませんが、その『不殺』の型をやめようとしないのが命取りですねぇ」

「…………」

 

 幽香が受けた攻撃は四撃。脇腹と両足のふくらはぎ、そして背中。脇腹への攻撃以外は鋭い爪か牙による攻撃であったため、彼女の皮膚から真っ赤な血を滴らせている。

 特に肩の傷は思いの外深いのか、出血が中々止まらない。

 そんな中で幽香は靈夢との戦いの事をぼんやりと思い出していた。

 

 

「ガハッ! ぜぇ……ぜぇ……」

 

 決して手を抜いたわけではない。

 確かに最初は寝起きに襲撃された上に、戦闘態勢もとっていなかったために遅れをとったが、一旦退却し、配下の妖怪達に時間稼ぎをさせる事で万全に臨戦態勢を整えた状態で再び靈夢と戦った。

 人間如きに遅れをとる筈がないと思っていた。数秒後に血反吐を吐いて地に伏すのは確実に巫女服のあの巫女の方であると、確信していた。

 しかし、結果、地に伏していたのは幽香の方であった。

 倒れて動けない状態の自分を傍で見下ろす鬼仮面と紫髪が特徴的な巫女。幽香にできるのは彼女を下から睨みつける位であった。

 

「……無様ね。人間如きに敗北するなんて」

「私が勝ったら、お前は二度と誰かを殺さない。そういう約束だったな?」

「くそ! 殺さないなんて! そんな手ぬるい戦いをこれから続けろって言うの!?」

 

 幽香の激昂にも靈夢は一切表情を崩さない。

 幽香の中では殺さない戦いなどただの遊びに過ぎなかった。命の駆け引きのない戦いなど、殺さないよう手を抜いた戦いなど幽香には退屈以外の何物でもない。

 幽香は『不殺』という道に一切の価値を見いだせなかった。

 

「手ぬるい戦い? それは違う」

 

 しかし、目の前の巫女から返って来たのは幽香の不殺の価値観を真っ向から否定する言葉であった。

 

「不殺の道こそ、棘の道に等しい苦難の道。殺すだけの道こそくだらない」

「何を馬鹿な! 命を奪わない戦い方なんてただのお遊びよ!」

「……殺すだけなら誰にでもできる。だが、相手を生かして、尚も勝つという事は誰にでもできる事ではない。お前にもすぐにわかる」

 

 最初は靈夢のいう事は幽香には一切伝わっていなかった。しかし、幽香のいた夢幻館が封印され、太陽の畑にその住居を移す時、ようやく彼女は靈夢の言っていた言葉の意味を、不殺の意味を知る事になった。

 

「この太陽の畑に住みたいだとぉ?」

「ええ、ついでにここ一帯は私の支配下になるから、さっさとお前は出て行きなさい」

 

 太陽の畑、その主である幽香の数十倍の大きさを誇る巨躯の妖怪に対し、彼女はあからさまに、挑発的に退去を命じていた。

 ほとんど八つ当たり目的であった。

 かくして、幽香と怒り狂った巨躯の妖怪との戦いが始まった。

 

「オラァ!」

 

 巨躯の妖怪の拳一振りで周りに台風の如き乱気流が発生する。しかし、攻撃自体は幽香にとってはあまりにも遅く、いくら力が強かろうがそれに対する警戒も恐怖も微塵も湧き出てこない。

 大振りの攻撃によって巨躯の妖怪に大きく隙が出来たのを見計らって幽香は一気に妖怪の懐に入り、その身体に拳を叩き込もうとして動きが止まった。

 

「あぁ、そう言えばもう殺せないんだったわね。はぁ、面倒臭いわね!」

 

 おおよその加減をつけて攻撃を加える。

 しかし、巨躯の妖怪はその攻撃にまるで無反応。一切ダメージは与えられていなかった。

 再度、大振りの拳攻撃が来て、幽香は一旦巨躯の妖怪から距離を取る事になった。

 

「くそ! 加減が難しいわね、今のは弱すぎたか……」

 

 大妖怪になればなる程、そのプライドはおのずと高くなっていく。だから、大妖怪は勝負による約束事は必ず守る。

 『敗者は勝者に従う』これがある程度力のある妖怪の中での暗黙のルールであった。これを破る事はすなわち、その程度の制約も守れない程脆弱で下等な存在である事を示す。

 自身の力に誇りを持つ大妖怪はそれ故にそのルールを命を掛けてでも守る。幽香も例外ではなく、靈夢と果たした不殺の制約を律儀に守って戦っていた。

 その後も巨躯の妖怪の攻撃を縫っては何発か攻撃を加えるが、ろくに加減もした事のない幽香は中々決定打を与えられない。

 

「ああ、もう! こんな忌々しい制約さえなければ……!」

「カスが何度攻撃してこようが、俺様にはきかねぇんだよ、マヌケがぁぁぁ!」

「――ッ!」

 

 中々加減の上手く行かない幽香が苛立ちに任せて無理矢理突っ込んだ所に巨躯の妖怪の拳が直撃する。

 幽香は攻撃を受けきれずに、太陽の畑の中心から一気にその端まで吹き飛ばされていく。

 太陽の畑の端で地面に叩きつけられた幽香は口の中を切ったために溜まった血反吐を吐き出すと、起き上がって遥か遠くにそびえ立つ巨躯の妖怪を睨む。

 巨躯の妖怪は幽香にとっては、格下もいい所なレベルの妖怪。普通に戦えば一発で消し飛ばす事のできる雑魚であった。

 しかし、それ故に不殺の制約の縛りが強い。殺さない事が前提である故に、弱すぎる相手では逆に力加減が難しいのである。

 少し強めに攻撃したくても絶対に殺す事だけは避けるあまり、つい弱めに攻撃してしまう。

 あの巨躯の妖怪が死なない程度に倒せる繊細な力加減を探していくのは幽香からすれば高価な陶器の、そこから落としても割れないギリギリの高さを見極めているようなものであった。

 

「……これが、『不殺』。これが殺さないという事の厳しさ……!」

 

 幽香はようやく、最後に靈夢が言っていた言葉の意味を理解した。

 そして、同時に靈夢に負けて以来自分の中で消沈していた闘志が沸々と再び湧き上がり始めていた。

 

「いいわ、面白いじゃない」

 

 瞬間、幽香の姿はそこから消え、次の瞬間には再度巨躯の妖怪の目の前に居た。

 巨躯の妖怪は突然現れた幽香に少し驚いたように固まっていたが、ボロボロの彼女の姿を見て好機と攻撃を仕掛けてくる。

 しかし、幽香にはその攻撃を避ける気配も向かい打つ気配もない。

 幽香は顔を上げて巨躯の妖怪をその視界に捉えると、ありったけの殺気を一気に巨躯の妖怪に向けてぶつける。

 当然、行動に移さないだけで『殺す』という気は本物である。

 格上である幽香の殺気に飲まれた巨躯の妖怪は攻撃の途中で意識を失い、振り挙げたその拳は幽香のすぐ横を通過して、その身体と共に太陽の畑の地に倒れた。

 

「……ふん」

「どう? ようやく不殺についてわかって来たかしら?」

 

 いつからそこに居たのか、幽香のすぐ後ろに靈夢の姿があった。服装は変わらず巫女服であるが、以前戦った時とは違い、黒塗りの鬼の鉄仮面を付けていない。

 また、口調もいくらか柔らかくなり、女性らしい言葉遣いになっていた。

 幽香は靈夢の素顔をまじまじと見ながら尚も敵意を剥き出しに対峙する。

 

「博麗の巫女、何の用?」

「いや、あなたが太陽の畑に住むらしい事を知って様子を見に来たのよ。あと、これ引っ越し祝い」

 

 そう言って能天気に蕎麦を幽香に手渡す。

 つい最近敵同士だったとは微塵も感じさせないような態度であった。

 

「全く、面倒な制約を押し付けてくれたわね。この私があんな妖怪の攻撃を喰らうなんて」

「わかったでしょう? 敵を殺さずに倒す事の難しさが。でも、きっとこの不殺という制約はあなたをさらに一段階上のレベルへと昇華させてくれる筈よ」

「ふん、そんな事してお前に何のメリットがあるのかしら?」

「……まぁ、色々とね。とにかく、まずはまともに手加減された拳を当てられるようになる所から頑張りなさい」

 

 何か含みのある言い方をする靈夢の魂胆も気になったが、それ以上に幽香は目の前にいる博麗の巫女に対する闘争心を燃やしていた。

 

――いつ以来だろうか、ここまで胸が躍るのは。

 

「見てなさい。この程度数日でマスターしてみせるわ。そして、次こそお前を倒す。最高の屈辱を味あわせてやるわ」

「ええ、楽しみにしているわね、幽香」

「笑ってんじゃないわよ。殺すわよ、靈夢」

 

――いつ以来だろうか、私が人間の名前を覚えたのは。

 

 

「あの日と同じね」

「ホー?」

「いや、少し違う」

 

 幽香は横目で後ろに立つ蓮一に目をやる。

 あの日もこんな風に下級妖怪の攻撃を喰らった。

 あの日も手加減が上手く出来ないせいで苦戦しようもない相手に苦戦した。

 ただ、一つ、あの日と違うのは――――

 

「……格好悪い所、見せられないのよ」

 

 幽香は再び拳を振りかぶる。瞬間、反射的にその軌道上に妖怪が入ってくる。

 しかし、幽香は動きを止めない。拳をそのまま妖怪の顔面にめりこませながら、その周辺の数体も巻き込んで吹き飛ばした。

 妖怪達は体を痙攣させながら、もう一度立ち上がろうとするが、ダメージが大き過ぎていくら操られていても手を僅かに浮き上がらせるので精一杯の状態だった。

 まさにギリギリで生かされた状態で妖怪達は戦闘不能になった。幽香の繊細に手加減のされた拳によって。

 

「な、な! 貴方のような大妖怪がまともに下級妖怪を攻撃して生きている筈がない! 一体何なのですか、これは!?」

 

 幽香は激しく動揺する鳥人に向けていつもの見下すような笑みを向けて言う。

 

「何って、ただの『手加減』に決まってるじゃない」

 

 ただ一つ、あの日と違うのは、後ろで蓮一が、私の弟子が見ている。

 ただ、それだけだ。

 




冒頭の霊夢と幽香の会話はほんの少し原作要素を取り入れています。

来週からはいつも通り一週間ごとの投稿予定です
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