中々展開が進みませんが、もうしばらくお付き合いください。
生まれて来てからこれまでものを教えるという事をした事がなかった。
ものを教えるのが下手だからではない。「教える条件」が揃った事がなかったからだ。誰かに何かを教授すると言う行為をするために、私は次の三つの条件が必要だと考えている。
教える事で自分に利益がある事。
教えても自分に不利益がない事。
教えたいと思える事。
この三つの条件が揃わない限り、物事を教授するという行為は成り立たないと私は考えている。
まぁ、一つ目や二つ目は割と頻繁に達成はするのだが、三つ目の条件が整った事は一度たりともない。
だから、博麗の巫女が自分に「弟子の修行の手伝いをしてくれ」と頼んだ時も最初は断った。
三つ目の条件どころの話ではない。顔も知らない人間の子供なんかに自分の武術を教えるなど私自身にメリットがない上に技を公然と盗まれるデメリットまでついてくる。
そんな条件が一つも成り立っていない条件で受けられる筈もない。
それに、私はまだ手加減が完璧にできない。万が一手加減を誤って殺してしまうリスクを自分から背負うなど以ての外である。
しかし、それら全てをわかっていながらあの博麗の巫女は、あの女は言うのだ。
『会ってみればきっと弟子にしたくなる』
私は信じられなかった。だが、自分を倒した博麗の巫女にそこまで言わせる蓮一という人間が一体如何程のものか、同時に好奇心も湧き、私は一応、一目見ておこうと暇つぶし感覚で博麗神社に顔を出したのだ。
しかし、結果は期待していたものとはあまりにもかけ離れていた。いや、最初から私は期待などしていなかったが。
ああ、やっぱりね、と再確認を終えた時のような虚しさ溢れる心境だ。
即刻帰ろうとしたが、鈴鹿御前とかいう妖怪に邪魔をされ、結局高天原とかいう怪しげな道場屋敷に住む事になった。
蓮一は毎日あの歳の子供がやったら過労死するような拷問じみたトレーニングをやらされていた。
その時、私はほんの暇つぶしに蓮一が何日でこの道場から逃げ出すか賭けた。賭け相手もチップもない、たった一人でやる暇つぶしの賭けである。
予想は三日だった。
一日目、蓮一は余りの疲労に意識が虚ろな上、夕食に手が付けられていなかった。
これは三日も持たないと私はその様子を楽しげに見ていた。
二日目、霖之助が蓮一の疲労に合わせてトレーニングを緩くする事はない。今日も自警団から帰って来た後に何度か気絶して倒れ、ほとんど瀕死の状態だった。
これは明日には逃げるどころか死んでいるかもしれない、それもそれで面白い。
三日目、私の賭けは外れた。どうやら霖之助が怪しげな薬を飲ませて疲労を回復させつつ、トレーニングをしていたらしい。しかし、いくら体力が回復しようともあのトレーニングの苦しさは本人が一番身に染みていると思うが。
意外と精神的にタフなのかもしれない。
四日目、薬の回復力のせいか、この短期間で蓮一の身体が大分頑強になっていくのが見て取れた。しかし、それでも修行や自警団の仕事が相まって辛そうなのは変わらない。さっさと逃げ出してしまえば楽になるというのに、蓮一の考えは理解できない。
ただ、そのやせ我慢だけは賞賛に値する。
五日目、相変わらず蓮一は修行を続けている。もう賭けはやめた。きっとこの先もどんな修行が繰り広げられた所で逃げ出す事はないだろう。今日も私以外の高天原の妖怪に武術を習っている。
しかし、筋が悪い。構えはもっと腰を下ろせ。
六日目、大分体力がついてきたのか、いつもはほとんど夕食には手をつけられない蓮一が今日はむしろ、皿まで食べてしまいそうな勢いで夕食を頬張っていた。
今日はそれ以外に特筆すべき所はなかったが、妙に気分が良い。
きっと今日はいつも夕食時に死人のような面を下げて倒れる蓮一を見なくて済んだからだろう。食欲が削がれなかったから、この昂揚感の理由はきっとそれだけだ。
七日目、今日も蓮一は自警団から帰って来てから修業漬けの一日を過ごしている。ふと夜に散歩に出かけようと部屋を出ると、一人で正拳突きをひたすら反復して突き続ける蓮一の姿を見かけた。
ただでさえ身体は疲弊しているのに睡眠時間を削って自主練習とは呆れて物も言えない。
少し離れた所から蓮一の練習風景を見ていてやった。
だから、腰を下ろせ、腰を回せ、力むな。全く、他の奴らは一体蓮一に何を教えているのだ。
これでは蓮一が間違った型を覚えてしまうではないか。明日嫌味を込めて霖之助か天狗あたりに言ってやろうと色々考えている内に長い事無駄な時間を過ごしてしまった。
八日目、天狗が蓮一の突きの型を修正していた。中々様になっている。
しかし、私ならもっと――――いや、何を考えているのだ、私は。
今日は珍しく蓮一が私に話しかけてきた。何故いつも自分の修行の様子を見ているのか聞きたいらしい。それに乗じて天狗や霖之助も会話に入ってくるのが五月蠅い。
弟子は取らない主義だと、当初から言っているそれらしい理由を付けて一蹴してやる。
その夜、私を追ってきたらしい蓮一が大量の妖怪に人里の中で囲まれていた。頑張ってはいるが、あのままではいずれ殺されるに違いない。
蓮一が殺されてしまえば高天原の存在理由もなくなる。つまりは私もあんな広いだけが取り柄のような退屈な屋敷に縛られる事は無い訳だ。
やっと解放される。早く太陽の畑にある家に帰って紅茶でも飲んで一服したいものだ。
ふと見ると、蓮一を囲む妖怪達の円が徐々に小さくなり、その汚らしい牙や爪が蓮一に届こうとしていた。
気付けば、私は蓮一を襲う妖怪達に向けて『睨み倒し』を放っていた。
☆
「さて、そろそろ飽きてきたし、さっさと全員掃討して帰ろうかしら」
数多の妖怪達に囲まれながらもそんな軽口を叩く幽香はまさしく戦場の支配者であった。
敵は数の面で圧倒している。その筈にも関わらず戦況は幽香に傾いていた。
一旦、操った妖怪達を幽香から距離を置かせたまま動きがない鳥人は表情こそ梟の顔のために変化しないが、その所作には明らかに動揺が現れていた。
幽香が相手を殺せないという隙を見破り、妖怪達にあえて捨身の攻撃を行わせるように戦わせたまでは良かったが、まさか幽香があそこまで繊細な力のコントロールができるとは思わなかったようだ。
どうにも幽香へのいい戦法思いつかず、鳥人は攻めあぐねていた。
ただ、『幽香の撃退を諦める』前提ならばいくらかやりようはあるが。
「ホー……全員、『一斉攻撃』」
途端に距離を取っていた妖怪達が全速力で幽香の方へ一斉に襲い掛かる。
鳥人は気付いていないが、これは思いの外『幽香を撃退する』という作戦において良策である。
さっきは妖怪が幽香の拳の軌道上に入ってくるというのが幽香自身予測できたから、そのつもりで集中し、手加減して拳を打つ事ができたのだ。
詰まる所、未だ幽香は格下相手の敵に対し、頻繁に拳を打つ事はできない。正確に言えばできない事はないが、それなりの集中力を要する。そもそも手加減を完璧にマスターしているのなら、睨み倒しや拳圧の空気砲を習得したりはしていない。
幽香も格下に対して手加減して当てるという技術が未熟なのを自覚しているからこそ今まで拳を直接当てないまま、もしくは当てるにしても一撃で戦闘不能にできるよう戦ってきたのだ。
そういう点を考慮して、鳥人のとった一斉攻撃という手は図らずも良い手である。一部は空気砲で蹴散らされてしまうだろうが、流石に全ての妖怪の接近を退ける事は不可能だ。
必ず近接戦闘に持ち込める。
ただでさえ集中力を要する手加減を四方八方から近づいてきた妖怪全てに対して行うには、どうしてもどこかで隙を生じさせてしまう。
幽香もそれを理解しているので、流石に最初のように悠長には構えていない。妖怪達の動きを察知してすぐさま空気砲を放つ。
突く瞬間の残像すら追えないスピードで打たれた拳は巨大な空気の砲弾を目の前に迫る妖怪達に向けて飛ばし、数体の妖怪を跳ね飛ばす。
「くそ! 数が多すぎる上に扇状に広がっている……これじゃ埒があかないわ!」
これも鳥人が幽香への攻撃として意図的に行った訳ではないが、妖怪達は出来る限り横に広がった状態で幽香に迫って来ていた。
空気砲はその直線状の敵にしか当たらない。今扇状に広がっている敵に空気砲を打った所で弾き飛ばせるのは数体のみである。
こういう時はかなり広範囲にその影響を及ぼす睨み倒しが効果的なのだが、『人形』となって意識を失っている妖怪達には通用しない。
結局、向かってきた半分以上の妖怪の接近を許し、幽香は苦戦を強いられてしまう。
さらに、この状態で鳥人の本来の目的が達成されようとしていた。
「しまった、蓮一! 何匹かヤバいのがそっちに行ったわよ!」
「ホーホー、貴方を倒すのは諦めました。しかし、かといって誰も殺めず退いてしまえば私の目的が果たし難くなってしまう。まぁ、今回はそこの子供一人で良しとしましょう」
鳥人の目的とは妖怪達が絶対安全領域である筈の人里に踏み入り、それが人々の間に知れ渡る事で人里の持つ安全の概念を崩す事にある。
しかし、里の門付近は家屋が建てられておらず、倉庫や泊まり込みのできない店舗ばかりが並ぶため、今、この時間、この場所の人里は一切人の気配がなかった。
このまま引き下がっては妖怪が人里に踏み入った事が一切認知されない、もしくは認知されたとしても結局被害は出ずに撃退されたのだからと、ほとんど関心を寄せられないだろう。
では、どうすれば人里にショックの大きい形で妖怪が人里に侵入した不安を煽ればいいのか。
簡単である。死体があればいいのだ。
人里の中に妖怪に殺されたらしい人間の死体があれば、人々は里の中を安全とは思えなくなる。そうして種を撒いてやれば後は何もしなくても、人間達が勝手に不安に不安を重ね、人里という概念は崩壊するだろう。
そのためには、まず人間の死体を一体作ってやらねばならない。
鳥人は自らの目的と幽香という障害とを天秤にかけ、障害の排除よりも目的達成を優先させた。
すぐ傍にいる人間、それも子供の蓮一を手早く死体にしてしまおうと持てる限りの駒を惜しみなく使って幽香の動きを封じ、蓮一を確実に
妖怪達の一斉攻撃も、扇状の襲撃陣形も、近接戦に持ち込もうとしたのも、全ては蓮一一人を確実に殺すため。そして、いくつか想定しない偶然も重なった事で見事幽香の動きは封じられ、操った妖怪の中でも特に強い者を複数体蓮一の方へ向かわせる事ができた。
状況を第三者が映像か何かで全体像で見ていたならば、襲われようとしている人間の子供は『詰み』であると誰もが思うだろう。
そう、鳥人の読みは完璧だったと言っていい。
それでも一つ、鳥人が見誤ったとすれば、その子供が蓮一であった事――史上最強の弟子であった事。
この一点に尽きる。
「ふッ!」
「ッ!?」
蓮一に向かっていったのは一体が細見の妖怪、一体が筋肉質な妖怪の人型妖怪二体。
ただ、走力に差があるためか、大きく差をつけて筋肉質な妖怪の方が先に蓮一に突進しながら拳を顔面めがけて打ちだしてきた。
しかし、蓮一は迫りくる妖怪に一切怯えた様子はなく、拳の軌道を読み、半身になって一歩踏み込み、妖怪と密着する事で拳を躱し、さらにその打ち出された腕を両腕で掴み取る。
「ガ、アァ!?」
妖怪が腕を掴みとられた事に気付いた時には既にその身体は蓮一の腰に乗せられて浮いていた。あまりに滑らかな体裁きに妖怪は自分の身体が蓮一に浮かされている事に対し、驚きの声をあげる以外何もできなかった。
「――背負い投げぇぇぇッ!」
「ギャッ!?」
そのまま、そこからコンマ0.5秒かからず、容赦なく妖怪の身体は固い地面に、それも頭から勢いよく打ち付けられた。
筋肉質な妖怪が起き上がってくる事はない。完全に想定外の出来事である。
鳥人やその鳥人の操る妖怪達は愚か、幽香すらその光景に目を見開き固まっている。
戦場が、完全に蓮一というたった一人の少年によって一時的に停止させられていた。
「……次、来い!」
静寂を打ち破る蓮一のその言葉と共に、止まっていた時間が動き出すかの如く、また戦いは動き始める。
蓮一はその目に沸々と燃える闘志を宿し、次に向かって来る細身の妖怪に向け再び構えた。
☆
「……霖之助師匠、この地獄のような筋力トレーニングを俺は後どの位耐え続ければいいんでしょうか」
「せめて5年かな」
「やめてください、死んでしまいます!」
高天原での修行が開始してから二日目にして蓮一の身体は限界が来ていた。
霖之助の考案した地獄のような筋力トレーニングによって。
自分の身体の限界と生命の危機を真摯に訴える蓮一に対し、困ったように、しかし悪びれる様子は一切なく霖之助は言う。
「でもねぇ、なんだかんだ言ってもまず『力』、だからね。特に妖怪を相手取るなら尚の事頑強な身体にしておかないと」
「でも、流石にこれはキツ過ぎますよ。これじゃ筋肉がつくどころか壊れる……」
「いや、それでいいんだよ」
「え?」
「君には僕独自に開発した筋肉トレーニングをやってもらうからね。そのためにはまず今の筋肉を完全に破壊して零の状態にする所から始める必要があるのさ。勿論、僕の調合した薬があればその程度の損傷は一日で回復するから、その後は全身を白筋と赤筋両方の特質を備えた桃色筋に……ってあれ? 気絶してる?」
これからの事を考え、現実逃避を計った蓮一の防衛本能は、その意識を現実から断った。
また、その翌日。
「――違う違う! まだ体裁きが遅い! もっと重心を読むんだ!」
「あ、あの筋トレの後にさらに柔術の修行が待っていようとは……」
蓮一は高天原の畳が床一面に敷かれた道場に立ち、蓮一より少しばかり大きい地蔵を相手に投げ技を練習していた。
一度投げるだけでも途轍もなく疲れる上に、筋トレの疲労で手はほとんど麻痺しかかってすらいる。
霖之助の指導を受けて動きを修正する気力すらなくなりかけていた。
「いいかい、柔よく剛を制すという言葉があるように、柔術というのは力の強い相手に対し、力の弱いものが重心や相手の力を利用して制圧する武術だ。投げ技はその中でも比較的力が必要な分、精密な技量を問わない、しかも上手く決まれば実践では一撃必殺にも成り得るというとてもお得な技なんだ」
「は、はい……」
「今、君の身体は私の改ぞ……ゴホン、鍛錬によって以前よりも大きな力を出せる身体になってきた。そんな君がこの投げ技をマスターする事ができれば、そこら辺の下級妖怪となら十分勝負になる筈なんだ」
「……はい」
なんとかモチベーションを高めようとしてくれているのだろうが、今の蓮一は気持ちの問題で修行に励めないのではなく、体力的な問題で修行ができないのだ。
いくら投げ技のメリットを聞かされた所で身体の疲れが取れる訳ではない。霖之助もそれはわかっているようで、仕方ないと頭を掻くと一旦、修行を中断し、蓮一を高天原の外へと連れ出す。
「ま、休憩がてら僕が投げ技の手本を示そう」
高天原の裏に回り、しばらく森の中を歩いていると、突然霖之助は足を止める。
「さて、ここらでいい。そこで隠れて様子を伺っている者、出て来るんだ」
「へぇ、気付かれてたか」
どこかの木から蓮一の身の丈のさらに半分程度しかない赤子のような妖怪が二人の目の前に飛び降りてきた。
蓮一は驚いて、小さく「わっ」と声を上げてその場で尻餅をついてしまう。
その様子も見て妖怪はあからさまに嘲るように蓮一の方を見て笑う。全く赤子らしくない醜悪な、妖怪の表情だった。
「まぁ、気付かれたならしょうがない。どうせそろそろ食っちまおうと思ってたんだ」
「悪いが君には僕の弟子の成長のため犠牲になってもらうよ」
「……なんだ、てめぇ。さてはおいらが小さいからって馬鹿にしてるなぁ!」
妖怪が霖之助の言葉に怒ったような反応を見せると、次の瞬間、妖怪の小さな体はみるみるうちに巨大に膨れ上がり、終いには霖之助も見上げなければその妖怪の顔を見る事ができないまでに大きくなった。
さっきまで霖之助と妖怪が話している姿を見て、大人と子供のような体格差だと思っていたのが、一瞬で逆転し、霖之助の方が子供のようになってしまっていた。
「どうだ、恐れ入ったか! おい、今すぐおいらに土下座して謝るんだったら痛みを感じねぇように頭から一思いに食ってやるぞ?」
「蓮一君、これから柔術の実戦を見せる! よく見て参考にするように」
「は、はい!」
「……やっぱお前むかつくなぁ。やっぱり謝っても許さねえ! 下半身からボリボリと苦痛を味あわせながら食ってやる!」
霖之助の一切動じない態度が妖怪の癇に障ったのか、怒りの形相で向かって来て掴みかかろうとする。
しかし、霖之助はそれを避けようともしない。それどころか、蓮一の方を向いて余裕のある口調で蓮一に言う。
「まず、悪い例だ」
霖之助は向かってきた妖怪の両手を真っ向から自分の両手で掴む。
つまりは二人とも純粋な力比べをするように組み合っている。
しかし、驚く事に霖之助より一回りも大きな体格の妖怪がいくら力を込めても、霖之助の方は微動だにしない。
「妖怪相手に真っ向から対峙してはいけない! 力負けしてしまうからね」
「え!? 負けてないじゃん!」
思わず蓮一は大きな声でツッコみを入れてしまう。
確かに、普通あれ程の体格差があればあんなに勢いよく組みかかってきた妖怪に真っ向から対抗して勝てる筈がない。
普通ならいとも容易くひねられているだろう。霖之助はどうやら例外らしいが。
「う、動けー!」
「よし、では次は正しいやり方だ!」
「うおッ!?」
急に霖之助が組んでいた手を離し、なんとか彼の身体を動かそうと押したり引いたりを繰り返していた妖怪は引っ張っていた時に手を離され、体勢を崩しながら後ろに退く形で霖之助との取っ組み合いから解放される。
しかし、今の力の差を見ても妖怪に諦めた様子はなく、今度は太い腕を振り回し、がむしゃらにパンチを繰り出す。
次は、霖之助は真正面から拳を受けず、半身で真っ直ぐ動きながら体を妖怪に密着させる形でそのパンチを全て避けて見せる。
「入り身のコツは真っ直ぐ進むように見せて外に進み、敵の死角を取る事だ」
「なッ、消えた!?」
「そして――」
さっきから霖之助に翻弄されっぱなしの妖怪は死角に入っていた霖之助を見つけると、気性を荒くして、大降りで力強い、しかし隙だらけのパンチを霖之助に繰り出した。
その瞬間、蓮一はわかってしまった。
あ、終わった、と。
「――相手の重心が偏った所で素早く腕を絡み取り、同時に相手と密着し、両足の平行を意識しながら腰を下げて相手を乗せてやる」
「お? おぉ!?」
妖怪のパンチを素早く両腕で絡み取りながら体の向きを妖怪と同じ向きになるよう回転し、一瞬でその腰に一回り大きいその妖怪を乗せ、いとも簡単に浮かせる。
空中に持ち上げられた妖怪は自分に何が起こっているのかわからず、狼狽するばかりだ。
「そして、相手のパンチの力と重力を利用し、同じ方向に真っ直ぐ引っ張りながら地面に――――」
「おおおぉぉぉぉぉッ!?」
「――投げる!」
ドォン、という地鳴りのような衝撃音と共に妖怪は勢いよく地面に叩きつけられ、その衝撃で辺りの地面が僅かに揺れる。
妖怪の方は白目を向いて完全に気絶しており、起き上がってくる様子は一切ない。
「これが、投げ技……!」
「すごいだろう? 背負い投げだ。これができれば自分より体格の大きい相手への決め手になる」
「何でですか?」
霖之助は倒れている妖怪を指差して微笑みながら言う。
「投げ技は重くて力の強い者に掛けた時にこそ相手の力と重力の増大で威力が上がるからさ。こんな風にね」
「うわぁ……」
「後、最後にもう一つ言っておく事がある」
急に神妙な顔つきになって霖之助は蓮一の両肩を掴む。
蓮一と霖之助の視線が交差し、その射抜くような眼光に蓮一の身体に緊張が走る。不思議とさっきまで風で木々の枝葉が揺れる音や小鳥の鳴く声で溢れていた周りの空気も妙に静けさを帯びている。
「さっき、悪い例として見せたものを覚えているかい?」
「は、はい。相手と真っ向から対峙してはいけない、力負けしてしまうから、です」
「うん、その通りだ。だが、もっと悪い例がある。わかるかい?」
「え、と……」
「それは、戦いから『逃げること』だ。『退くこと』とは違う。己の武を捨て、敗北に怯えて戦わない、それが『逃げること』。『逃げること』とは弱いことだ、己の持つ武を信じられなくなった者に勝利はない」
「…………」
「実例をだそう。さっきの妖怪、体格や重量が何もかも大きく、強そうに
「……はい、逃げます」
霖之助の言った言葉を反復すれば、この質問に対して自分が「戦う」と言わなければならない事はすぐにわかる。
しかし、蓮一はそれでも嘘は吐けなかった。今霖之助がしている話は、とても重要なものだから、きっと今後の自分の人生にまで関わる話であるだろうから、だからこそ、ここで自分の心を偽る事はできなかった。
最初、怒られるだろうと覚悟していた蓮一だったが、意外にも霖之助が返事を聞いた後に浮かべたのは怒りの形相ではなく、何かを見通したような不敵な笑みであった。
「ふ、そうだ。今はまだ、それでいい。未熟で弱い君がそう簡単に武人としての覚悟は決められないだろう。でも、いつかは君が今の質問に『逃げない』と答えてくれる日が来る事を期待しているよ」
☆
――今俺に向かって来ている妖怪。一体はとても筋肉質で体格も大きいし、強そうだ。
俺は向かって来る妖怪の一体を見ながら霖之助に教わった事を思い出していた。
俺は意気消沈している。理由は自分が強いと幽香さんに示す前に、自分が弱いと悟ってしまったから。
数多の妖怪に囲まれた時、俺は何もできなかった。いや、何もしなかった。あの時幽香さんが現れなければきっと自分は死体になっていたという自信がある。
流石に幽香さんのように一睨みしただけで妖怪が倒れてくれる程の成果を期待した訳ではないし、そこまで自分の力を過信している訳でもない。
だが、自分はもっと戦えると思っていた。
この数日、高天原で地獄のような修行に耐え、僅かな技を覚え、少し思い上がっていたのだ。
自分は妖怪とそれなりに戦える力がある、と。しかし、実際は違った。こうして大勢に囲まれてしまえば足が
戦い方がわからず、どうすればいいかもわからない。そして、俺は戦いから『逃げた』のだ。それだけで自分の強さが如何に脆く、未熟なものかわかった。
まだ、自分は弱いのだ、どうしようもなく。
――だが、戦う。
しかし、だからと言ってこのまま逃げている訳にはいかない。
ここにいる、まだ命があり、立っている。それは、まだ、弱さを克服できるチャンスが残っているという事だ。
確かに俺はまだ弱い、だがそれは決して強さが皆無であるという意味ではない。
――俺の得た僅かな強さ、それは高天原で師匠達から教わった『武』! 自分の、師匠達の武を信じろ!
いつの間にかさっきまでの緊張や怯えは消え去り、心の中を静かな闘志が支配していた。
幽香に襲い掛かるフェイントをかけ、こちらに向かってきた二体の妖怪の内、筋肉質な妖怪の方が突進しながら拳を振り上げる。
どうやら突進力をパンチ力に付加させて一撃で自分の息に根を止めようと言う算段らしい。
――拳の軌道は見えている、まずは入り身だ。前に進むと見せかけて外側に進み相手の死角に、そして懐に潜り込む!
妖怪の勢いづいた拳を半身で踏み込んで躱し、妖怪の懐に入る。
間髪入れずに、続けて妖怪の打ち出された腕を両腕で絡み取り、腰を低くして持ち上げる。
――腰を低くすればする程相手を持ち上げ易くなる。でも、今の筋力ならこの程度の重量は、重さじゃない!
スピードを意識し、腰は最小限に歪曲を留めて上手く妖怪を腰に乗せ、浮かす。
案の定、妖怪は自分に起きている異常に動揺しているようだ。
正確には人形とされた妖怪に操縦者であるあの鳥人の狼狽が伝搬しているのだろう。
――感じる、最初の突きでこいつの重心はかなり前に傾いている。今更慌てても遅い、投げ技っていうのは体が浮かされたら決まったも同然!
「背負い投げぇぇぇッ!」
掴んだ腕を引っ張りつつ、片足を勢いよく蹴り上げると腰に乗せられていた妖怪は綺麗な弧を描き、空中に投げ出され、地面へと落ちていく。
頭から落ちて行ったその妖怪は起き上がってくる様子はなく、ただピクピクと痙攣しているだけであった。
妖怪を一体倒し終えると、戦場はまるで時が止まったかのように停止していた。しかし、別に気に掛ける程度の事じゃない。
俺のやるべき事はたった一つ。
――強さとは何かじゃなく、弱さとは何かを考えるべきだったんだ。
幽香さんに自分を弟子にしてもらうために、自分が『弱く』ない事を示すために、俺は戦う。
――そう、弱さとは逃げる事。諦めて、怯えて、誰かに守ってもらって、戦わない事だ。
「……次、来い!」
だから、俺は戦う。自分の『弱さ』を克服する事が、俺が示せる『強さ』だから。
☆
――全く、不思議な奴よ、お前は。
見事に洗練された背負い投げを決め、さらに油断なく次に襲い来る敵に備えている。蓮一に向けて幽香は穏やかな視線を送っていた。
目の前に迫り、牙を剥く妖怪達などまるで気にも留めず、その攻撃だけは最小限の動きで躱し続ける。
――ただの人間の子供。特別な点と言えば霊力を使える事位の筈なのに、何故かお前は私を惹きつける。
細身の妖怪、さっき蓮一の方へ飛び出していった二体の妖怪の内のもう一体が今度は襲い掛かる。
今度は投げ技対策だろうか、極力間合いを取って、不用意な攻撃は避けている。一瞬近づいて何発か攻撃をした後はその攻撃が当たったか避けられたかに関わらずまた距離を取る。
細身の妖怪の得意とするらしいスピードを活かした典型的なヒット・アンド・アウェイ戦法である。しかし、それは裏返せば攻撃した後に間合いを取る時、最大の隙が生まれるという事でもある。
数発の拳を避け、妖怪が間合いを取ろうと足を後退させ始めたのを蓮一は見逃さなかった。妖怪に向けて突進していきながら右拳を顔面めがけてねじ込むように打つ。
逃げている最中、間合いを取っているという安心感に防御が疎かになった妖怪の鼻に容赦のない霊力を込めた拳が叩き込まれる。
細身の妖怪は倒れ、同じくそれから立ち上がってはこなかった。
「幽香さん! 助太刀します!」
「…………」
あっさりと自分の何倍も力のある妖怪達を倒し、自分の方へ向かって来る蓮一を見る。
――霊夢の言っていた事が分かった気がするわ。確かに『弟子にしたくなる』、こいつは、蓮一は、たった今自分の弱さを克服した。
さっきまで大勢の妖怪達に怯え、自分の後ろに下がったまま戦えなかった一人の人間の少年はもう、そこにはいなかった。
今、目の前にいるのは、一人の武人であり、弟子。
史上最強の弟子、蓮一だ。
――そう、蓮一、お前はそうやって何かキッカケを与える度に僅かに、でも確実に成長する。それが私を惹きつける。
「蓮一、これからお前に私の技を伝授するわ。今から実戦で覚えなさい」
「――! はい、幽香さん!」
――私もつくづく馬鹿だ。別に教えても利益は無い。教えれば事実上、私には自分の技を無償で門外したという不利益しかない。しかし、私は蓮一に教えたいと思っている。ただそれだけで自分の技を進んで教えようとしている。
自分の掲げた「教える条件」を訂正しなければならない。
教えるための条件など、自分が教えたいかそうでないか、それだけで十分だ。
「それと、これから私の事は幽香師匠と呼ぶように」
「はい、幽香師匠!」
幽香と蓮一、それぞれの中で何かが変わった。
その時、襲い来る妖怪達を前に、並び立つ師匠と弟子が彼らに向けていた表情、それは笑顔であった。
次回、幽香編完結です。
次々回からは新章に突入していこうと思います。