東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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第二話「弟子入り」

 この神社に蓮一が運ばれてから既に一週間が経とうとしていた。

 紫とは意識が回復した日以来会っていない。また体調が全快した頃に迎えに来るとは言っていたが、それがいつの日かは蓮一当人にもわからない。

 一方でこの博麗神社でしばらく過ごして分かった事がいくつかある。自分を助けてくれた博麗靈夢という女性はこの若干寂れた神社の巫女、兼管理者である事。他に神主や祭司などはおらず、どうやら一人で住んでいるらしい事。この博麗神社は何やらこの世界のバランスを担う重要な存在らしい事。しかし、滅多に参拝客は来ない事。

 そして、彼女が「妖怪退治」を生業としている事。

 蓮一にとって重要なのはこの妖怪退治についてだった。村を襲ったあの妖怪。それについて靈夢なら何か知っているのではないかと思ったのである。

 昨日の夕食の時、その事について質問したが――――

 

「あの、靈夢さん……」

「何?」

「俺の村を襲った妖怪について何か知ってる事ありませんか?」

「……そんな事を聞いてどうするの?」

「いや、その……」

「下手な考えは起こさない方がいいわ。普通の人間が勝てる相手じゃないのよ、妖怪は」

 

 それ以降、彼女の前でこの話はできていない。何故か妖怪の話をすると彼女の顔は非常に険しいものに変わる。

 あの表情と鋭い目線を受けてさらに話を続ける事などできる筈もなかった。

 とても言えない、「妖怪退治を教えてくれ」なんて台詞は。

 そんな訳で昼下がり、蓮一はほとんど意気消沈した状態で縁側に座り、神社から見える外の風景をぼんやりと見つめていた。

 大分身体も回復したし、流石にそろそろ紫が迎えに来るだろう。そして新しい村での生活が始まり、歳をとり、天寿を全うする。そんな未来が目に浮かぶ。思わず表情が歪むような平穏で腐敗した生活が。

 

「そんなんでいいのか、俺の人生……」

「いいのよ、それで」

「――!?」

 

 溜息と共に漏らした呟きに唐突に背後から返答が返ってきた。

 驚きのあまり危うく縁側から落ちそうになるが、その体を靈夢が引っ張って支える。未だに落ち着かない動悸を整えながら靈夢の方を見ると、彼女は真顔で蓮一の横に何かを置く。

 それは年季の入った猟銃だった。黒光りする銃身に手垢まみれの持ち手。しかし、しっかりと手入れが行き届いたその銃は蓮一にとって忘れようのないものだった。

 

「これ、父さんの……」

「ええ、あなたの傍に落ちていたから拾っておいたの」

「形見にでもしろっていうんですか?」

「いいえ、使うのよ。これからね。準備しなさい」

 

 そう言って靈夢はまた中へと戻っていく。

 どこに行くというのだろう。猟銃を使うという事はまさか狩りだろうか。

 蓮一が靈夢に質問するまでもなく、部屋の中へと入る直前に振り向き、彼女は言った。

 

「これから、妖怪退治に行くのよ、あなたを連れて」

 

 

 靈夢と共にやって来たのは博麗神社から少し歩いた所にある大きな人里だった。まだ里の入り口に来たばかりだが、既に多くの人々で賑わっているのが見て取れる。

 蓮一の居た小さな村とは天地の差だった。

 靈夢はその人だかりを慣れた歩調で歩いていく。蓮一も何度か人にぶつかりながらも慣れない人だかりの中彼女の背中を追って懸命に着いていく。

 しばらく歩き、人里の中心辺りまで来たところで靈夢はある長屋の前で立ち止まった。長屋には看板が掲げられており、「寺子屋」と大きく書かれている。

 

「ここに入るわよ」

 

 そう言って、靈夢は戸を開けて中へと入っていく。

 蓮一もおぼつかない様子で周囲を見渡しながら後に続く。

 

「確か寺子屋って子供に字の読み書きとかそろばんとかを教える所ですよね? 初めて実物見たなぁ」

「ここに今回の依頼主がいるのよ。まぁ、お得意様なんだけどね」

 

 そう言って長屋内のとある一室で足を止める。中からは子供達の楽しそうな声が戸を挟んで聞こえてくる所を考えるとここは教室のようだ。

 戸に手を掛けた状態で一旦静止し、靈夢は蓮一の方を向くと

 

「蓮一、挨拶だけはしっかりね」

「え? は、はい……?」

 

 何度も挨拶に関して釘を刺すと、靈夢は改めて戸に掛けていた手を横に動かし、戸を開けて中に入る。依頼主とやらの待つ教室へ。

 

「慧音、入るわよ」

 

 靈夢に続いて中に入った蓮一を迎えたのは二十人余りの子供達の驚いた表情と、その子供達の前で綺麗に正座をして書を読み聞かせていたらしい白髪の女性の姿だった。

 白髪の女性は靈夢と蓮一の姿を交互に見ると、ゆっくりと立ち上がる。

 

「皆、先生は少しこのお客様方とお話しがありますから、今呼んだ書の書き取りをやっていてくださいね」

「はーい!」

 

 子供達の元気な声に満面の笑みを浮かべると白髪の女性はこちらに向き直り、一旦教室を出るように促す。

 そして、教室を出て戸を閉めると深々と頭を下げる。

 

「こんにちは、博麗の巫女様。お待ちしておりました」

「ええ、こんにちは。慧音」

 

 慧音というらしいその女性は丁寧な口調で挨拶を終えると、蓮一の方を見つめる。

 一体どうしたのかと様子を見ていると、不意に背中を靈夢に叩かれる。靈夢の方を見ると何か必死に目配せをしている。

 すぐに、挨拶の事だと気付き、真顔でこちらを見つめている慧音に慌てて挨拶する。

 

「は、初めまして、蓮一といいます! 今日はその――」

「蓮一は私の連れよ。気にせずいつも通りでお願い、慧音」

「成程、従者様でしたか。こんにちは、蓮一。私は上白沢慧音(かみしらさわけいね)、ようこそ寺子屋へ」

「え!? は、はい、こちらこそ」

 

 納得したと言った様子で慧音は蓮一に靈夢と同じように深々と頭を下げて挨拶をする。名前に様など付けられた経験などなかったので動転しておかしな返答をしてしまう蓮一を見て靈夢がニヤニヤしていた。

 

「それでは、お茶を淹れますのでこちらへどうぞ」

 

 慧音は靈夢と蓮一を教室から少し離れた部屋へと案内する。どうやらそこは慧音の自室になっているようで、部屋の中には難しそうな書籍や彼女が書いたであろう書類の束がしっかりと整理され置かれていた。

 急須に茶葉を入れてお湯を注ぐと、慧音は一つ咳払いを入れて話を始めた。

 

「まずは、いつもすまないな。靈夢」

「いつもの事でしょ、それに私は博麗の巫女なんだから」

 

 急に慧音の口調が中性的なものに変わり、蓮一は内心驚くが、さっきの堅苦しい丁寧語よりは幾分か話し易いと少し安堵した。

 さっきのような話し方でこられてもこちらはそれに相応する礼儀を返せる自信がない。今ぐらい砕けた話し方の方が返って緊張も解れるというものだ。

 

「それで? 今回の妖怪は?」

「ここから北にある小さな山のどこかにいる。腐臭をまき散らしているらしいからそれで近くにいるか判断できるだろう」

「成程、何人喰われた?」

「最初は山へ狩りに入った里の若い男が二人。そして、次にその二人の探索に向かった三十人位の猟師集団のうち半分が」

 

 慧音の話を聞いて背筋が凍った。猟師が三十人もいてその妖怪は殺されるどころかむしろその半分もの人間を食らったというのだ。

 そんな妖怪を二人、実質靈夢一人に任せて本当に良いのだろうかと蓮一は内心不安で一杯だった。

 しかし、横で茶を啜る靈夢に臆したような様子はない。むしろ、その目には妖怪に対する闘志さえ垣間見えた。

 

「ところで、蓮一と言ったか」

「え? はい」

「今度からは控えてもらいたいな。子供達の前にそれを持ってくるのは」

 

 慧音が顔をしかめて指差したのは蓮一の猟銃だった。教室に入った時は靈夢の後ろに立っていたし、猟銃は背中に背負っていたからそこまで目立たなかったのかもしれないが、確かにこんな物騒なものを持った人間を見れば誰しも不安になるのは当然だった。ましてそれが年端もいかぬ子供なら尚更。

 自身の配慮不足を指摘され、蓮一は素直に頭を下げざるを得なかった。

 

「すいません、配慮不足でした」

「ああ、次からは気を付けてくれ。それにその猟銃――」

「慧音、今日は蓮一に妖怪退治を見学してもらおうと思って連れてきたの。おそらくこれきりよ」

「――そうか」

 

 慧音が最後に何かを言いかけていたように思ったが、それを靈夢の言葉が妨げてしまう。それに靈夢の「次はない」という台詞も何か引っかかる。

 一体彼女は何のために自分を妖怪退治に連れてきたのだろうか。改めてその疑問が蓮一の脳内をグルグル回っていた。

 寺子屋の入り口、靈夢と共に妖怪がいるという山へ行く所で蓮一は見送りに来た慧音に呼び止められた。

 

「靈夢がいるから大丈夫だとは思うが。蓮一、気を付けろ。妖怪は強いからな」

「ええ、わかってます」

「なら、いいんだが……」

 

 その時の慧音の不安気な顔が蓮一の中でこびり付くように離れないでいた。なんだかよくない事が起こる前兆のようにも思えた。

 そして、結局その不安は拭えぬまま、遂に靈夢と蓮一は目的の山のふもとへと足を踏み入れていく。

 

 

 山に入ると、靈夢は懐から鬼の面を取り出し、それを装着した。その瞬間、彼女の周囲の空気が急に重くなったのを感じる。刺すような殺気が彼女を中心に放たれていた。

 この靈夢を見るのは最初に出会った時以来だ。あの時は体力が消耗しきっていて気付かなかったが、彼女の付けている鬼の面はよく見れば黒塗りの重厚な金属でできている戦闘用のものであった。おそらくあの面が彼女の臨戦態勢への切り替えの役割を果たしているのだと蓮一は前を歩く靈夢の背を見つめながら理解した。

 しばらく山道をゆくと、二本の分かれ道が見えてきた。右の道も左の道も大して変わった所は見当たらない。ここでどちらの道を行くべきか決めるのは難しい。

 

「……ここから二手に分かれる」

「え?」

 

 唐突な提案に蓮一は動揺を隠しきれない。確かに妖怪の探索に関してなら二人で固まっているよりは分かれて探索する方が効率は良いだろうが、戦闘の話になれば話は別だ。

 猟師の集団でさえ半分が殺されてしまうような妖怪相手にいくらなんでも一人は危険すぎる。靈夢は長年の妖怪退治のキャリアがあるだろうからそこまで心配はいらないだろうが、蓮一は全くの素人。しかもまだ成人すらしていない子供。そんな蓮一を、猟銃を一本だけ持たせて一人にするというのは最早、死んでくれと言っているのと同義だ。

 

「……妖怪退治について知りたいのだろう? ならば実際に体験してみるのが一番だ」

「何で……そのことを……」

「妖怪に村を滅ぼされたり大切な人を奪われたりした人間の考える事なんてたかが知れている。大抵は妖怪への復讐だ」

 

 全て図星だった。口に出さずとも元より靈夢は知っていたのだった。蓮一が何をしようとしているか。

 思えば当然の事だ。別に蓮一が初めてではないのだ。きっと靈夢はこれまでに妖怪に大切なものを奪われた人々を何人も見てきた筈だ。その中に蓮一と同じような考えを持っていた者が一体どれだけ居ただろう。

 それを考えれば蓮一の考えなど靈夢とってはむしろ当然、ありきたりなものに違いなかった。

 しかし、だからと言ってここで妖怪が恐ろしいからと靈夢の提案を断る訳にもいかない。おそらく靈夢は試しているのだ。きっと他にも大勢、同じように妖怪退治に連れて行った人々が居る筈だ。そして、妖怪への復讐を目論む人々にこうして諭すのだ。普通の人間が妖怪退治をするのは命を投げ出す事と同じだと。

 これで一体何人もの人間が妖怪への復讐を諦めたのだろう。まだ妖怪にすら会っていない、ただ分かれ道にさしかかっただけでこの恐怖と不安。普通は諦めざるを得ないだろう。

 だが、蓮一はここで諦める訳にはいかなかった。そもそも一人になるだけで恐怖していては妖怪退治など務まる筈もない。それに、逆にここで妖怪と渡り合うだけの実力を見せる事ができれば、靈夢は今度こそ断れない。これは彼女に妖怪退治の教えを乞うための最後のチャンスでもあるのだ。

 

「……わかりました。じゃあ俺は右の道を行きます。妖怪と遭遇したら何発か発砲するのでそれを辿って来てください」

「ああ、頼んだ」

 

 蓮一の意欲的な返答にも靈夢は微塵も動揺を見せないまま二つ返事で左の道へと走って行ってしまった。

 蓮一は一つ大きく深呼吸し、肩に掛けていた猟銃を両手で抱える。山での狩りには慣れているつもりだ。蓮一は気配を消しながらなるべく足音を立てぬようにゆっくりと右の道を進んでいく。

 フォックスウォークという狩り独特の歩き方がある。足の小指の付け根から地面に付け、それから徐々に体重をかけて足全体を地面に密着させていく。そうする事で足音が聞こえ難くなるため、自分の存在を他の獣に察知され難くなるのである。慣れてくれば通常の歩行速度でも全く足音が聞こえなくなる。

 狩りに重要なのはまず、獲物に自分の存在を察知されぬよう気配を殺す事だ。自分が見つからなければ、後はこっちが見つけるだけでもう事は済むのだから。

 なるべく低姿勢を維持し、草木に紛れるように動く。既に蓮一は山道ではなく、その横の木々の中を山道に沿って進んでいた。山道を歩いていてはいくら足音がなくても流石に目立つ。隠れながら探索を続けていくためにはどうしても自分も木々の中に身を潜める必要があった。

 しばらく進んだところで一旦足を止め、周囲を確認する。できるだけ首は動かさず、視線だけを左から右へゆっくりと動かしていく。

 しかし、まだそれらしい存在は視認できない。確か近くにいれば腐臭がするという話だったので最悪視認はできなくても妖怪の存在だけは認知できるだろうが、やはり視覚で位置を確認しておくのがベストだった。

 妖怪は猪や熊とは格が違う敵。絶対に後手に回る事だけは避けねばならなかった。

 額に滲む汗を拭って、今度は山道から完全に外れ、山奥に向かって草木の中をしばらく進んだ所で、不意に蓮一を鼻の曲がるような異臭が襲う。

思わず口と鼻を手で覆ってしまうような酷い腐臭だった。長時間その臭いを嗅いでいれば倒れてしまう程だ。

 蓮一は込み上げる吐き気を必死に抑えながらもその臭いの元を辿る。すると、蓮一の前方、おおよそ500m位先に異形の怪物の姿があった。

 身の丈は人間の三倍か四倍はある。しかし、その体は木の枝のように細長く、その表皮にはくっきりと歪な骨格が浮かんでいる。容姿としてはやせ細った人間を極限まで引き延ばしたかのような姿をしており、頭部と思しき部位には目や鼻といった類は見られないが、頭部の半分以上を占める巨大な口が見えた。

 まだ蓮一の存在に妖怪が気付いた様子はない。しかし、蓮一の身体は小刻みに震え、動悸も荒くなって全身から大量の汗が噴き出していた。

 

――あれが……妖怪……! あれを、殺すのか……俺が……!?

 

 かつてない恐怖が蓮一の身体を硬直させ、思考を半ば停止状態に追いやっていた。しかし、折角先手を取れたのだ。ここで撃たなければいずれは妖怪にも蓮一の存在を悟られる。遅かれ早かれここであの妖怪を殺せなければ死ぬのは蓮一の方である事は明白だった。

 蓮一は震える身体を無理やり抑え込み、猟銃を構える。既に弾薬と弾丸は込めてあるので後は狙いをつけて引き金を引けばいいだけだ。

 慎重に、息を整え、気配を殺す。照準に妖怪の頭を入れるようにして後は妖怪が動きを止めた一瞬に狙い撃つ。

 いつも父と共に動物やっていた事だ。恐れる事はない。

 

――どんな生物だって頭を撃ち抜けば……!

 

 一瞬、何かの気配を感じたのか妖怪の足が止まった。そして、草木の視覚に身を潜め、息を殺していた蓮一の方に妖怪の大口が向けられていた。何故か目を持たない筈の妖怪と目が合ったように感じた。

見つかった、そう思った時には蓮一は反射的に引き金を引いていた。

 銃弾は轟音と共に銃口から放たれ、妖怪の額辺りを撃ち抜いた。妖怪は銃弾の衝撃で頭を後方にのけ反らせながらズシンという見た目の割には鈍い音を立てて倒れていった。

 蓮一はしばらくその場から動かなかった。まだ自分が妖怪を撃ったという事実が信じられなかったし、本当に妖怪を倒せたのか手ごたえがなかった。しかし、いつまで経っても起き上がってこない妖怪を見て、今度こそ仕留めたと確信した。

 

――やった!

 

 隠れていた草木から顔を出し、ピクリとも動かない妖怪の額に大きな穴が開いている事を確認した蓮一はその場で拳を固め、天へ掲げた。

 確かに勝ったのだ。妖怪と対峙し、不意打ちに近い形ではあったが、確かに勝った。

 その喜びに猟銃を上に掲げて感極まって雄叫びを上げる――が、その雄叫びは口から発せられた時には呻き声へと変わっていた。

後ろから来た『もう一匹』の妖怪からの攻撃によって。

 

「――ぐぅッ!?」

 

 突然、身体の側面に衝撃が走り、気付いた時には蓮一の身体は横の木に打ち付けられていた。全身を鈍い衝撃が走り、一瞬呼吸が出来なくなる。

 地に伏した蓮一が見たのは妖怪の足だった。今さっき倒した妖怪と全く同じ足。視線をゆっくり上に持ち上げると、案の定今倒した妖怪と全く同じものがそこにはいた。

 

――同じ妖怪が……二匹……!?

 

 何故目的の妖怪が一匹だけだと思い込んでいたのか。極度の緊張感から解放された事で蓮一から二匹目という思考は完全に排除されていた。

 妖怪は蓮一の傍で倒れている同胞の姿を見てさっきから金切り声のような鳴き声で何度も鳴いている。おそらくは怒っているのか、悲しんでいるのかどちらかだろう。そして、おそらくこの妖怪はこの後蓮一を殺しに襲い掛かるのだ。

 蓮一は立ち上がった。幸い骨は折れてはいないようだが、全身打撲だらけで動く度に身体中を痛みが走る。しかし、せめて妖怪がこちらに攻撃してこないうちに何かこの妖怪に傷を負わせておきたかった。

 素早く新しい銃弾を装填し、猟銃を構える。妖怪はさっきから鳴き声を上げるばかりで蓮一のその行動に見向きもしない。その既に勝ち誇った態度が蓮一の怒りを駆り立て、戦う気力を生む。

 蓮一は妖怪によろめきながら近づき、その顎に猟銃を当てる。ようやくそこで妖怪が蓮一の方に意識を向ける。

 

バァンッ!

 

 轟音が響き、妖怪の顎に猟銃が撃ち込まれた。

 しかし――

 

「なッ……!」

 

 銃弾は確かに妖怪の顎に命中はしていた。しかし、銃弾は顎から先には進んでおらず、顎の部分の表皮を少し焼け焦がした程度に終わり、地面へと落ちていった。

 ひしゃげた銃弾を見て、蓮一は目の前が真っ暗になったように感じた。

 一匹目の時は見事に頭を貫いた弾丸が二匹目には表皮を焦がす程度にしか通用しなかったのだから。

 

――いや、まさか……一発目の弾丸も……

 

 考えるより速く、それは明らかになった。不意に何かに足首を掴まれた感覚が走った。今、蓮一の後ろにあるのは一匹目の妖怪の屍のはずだ。

 恐怖に震えながら恐る恐る足首をみると、一匹目の妖怪の右腕が自分の左足首を掴んでいた。

 

「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 額に空いた穴などまるでなかったかのように一匹目の妖怪が再び動き始めていた。

 慧音が言いかけた言葉の続きが今になってようやくわかった。

 

『それに、その猟銃――妖怪にはおそらく通用しないだろう』

 

 元より蓮一にこの妖怪と戦う術などなかったのだ。出会ったら最後、こうして足掻くだけ足掻いて最後には食われるのがオチ。

 そう、理解した瞬間、身体の震えは止まった。蓮一は猟銃を捨て、妖怪に殴り掛かっていた。勝算などある筈もない。ただ、妖怪と自分の力量差を体感し、今のこのやるせない感情の全てを発散したかった。

自分の無力と絶望に対する理不尽な怒りを目の前の妖怪達にぶつけたかった。

 右手に地面から適当な小石を拾って、拳を固め、それを無我夢中で一匹目の穴の空いた額めがけて思い切り打ちこんだ。

 拳が肉にめり込む感触と共に、妖怪はグギィィィと気色悪い悲鳴を上げる。

 

「ははッ、効いてやがる……! 銃弾受けてピンピンしてやがった癖によッ!」

 

 半分ヤケクソ気味に蓮一はもう一発同じ所に今度は左拳を打ち込む。しかし、今度はさっきより固く感じる上に妖怪にもあまり効いている様子はない。

 一瞬それに疑問を抱いたのが決定的な隙となった。後ろから二匹目の妖怪が噛みついてくる事に気付かず、左肩に鋭い牙がえぐり込んできた。

 

「があああぁぁぁぁぁッ!」

 

 つんざくような肩の痛みに意識が飛びかける。しかし、そんなのお構いなしとばかりに妖怪はさらにその牙を蓮一の肩に刺しこんでいく。

 肉を内側から抉られるような感覚に蓮一はただ悲鳴を上げる事しかできない。

 そして、前方の一匹目の妖怪からも刀のように鋭い牙が襲いかかって来る。狙いは明らかに蓮一の首から頭部、当然躱しようもない。

 

ゴシャッ

 

 突然、真横から凄いスピードとパワーを持った拳が現れた。それによって妖怪の頭部は見るも無残に叩き潰され、妖怪は絶命し、そのまま蓮一の目の前に倒れる。

 何が起こったのか理解できないまま蓮一はその拳を放った者の姿を目にする。

 紅白の巫女服と鬼を模した鉄仮面、紫髪をたなびかせるその猛々しい博麗の巫女、博麗靈夢の姿を。

 

「靈夢さん……!」

 

 肩に噛みついていた二匹目の妖怪も新たな敵の乱入に蓮一を置いて、靈夢の方へ襲い掛かる。異様に長い手足と妖怪の筋力を駆使し、鞭のように両腕を振り、周りの木々を倒しながら向かってくる。

 しかし、靈夢はその攻撃から逃げるどころか、敢えて突進していく。そして、いとも簡単に目で追い切れない鞭のような両腕の攻撃を躱し、妖怪の懐に入る。

 

「――『(しょう)』!」

 

 その掛け声と共に拳を妖怪の胴に打ち込んだ瞬間、妖怪はとんでもないスピードで後方へと飛ばされていった。靈夢の拳の辺りを中心に蓮一が立っていられなくなる程の突風がしばらく吹き荒れ、周りの木々を大きく揺らす。

その後、確認のために行った少し先の岩場で妖怪は原型をほぼ留めない形でめり込んで死んでいた。

 

 

 その後、一旦人里まで戻り、蓮一は慧音の居る寺子屋で治療を受ける事になった。最初、血まみれの蓮一を見て慧音は泣き出しそうな表情をしていたが、すぐにその表情は怒りへと変わった。

 唐突に靈夢の顔に慧音から平手打ちがいれられた。未だに鬼の鉄仮面を外していなかった靈夢のその時の表情は伺い知れなかったが、何も言わずに頭を下げ続ける靈夢を見る限り何も思う事がない訳ではないようだ。

 今は蓮一だけが寺子屋の中に入り、慧音の自室で治療を受けている。

 

「まったく、よく妖怪と丸腰で対峙してその程度の傷で済んだものだ」

 

 血塗れ、かつボロボロになってしまった着物を脱がし、大量の水で傷口を洗い流しながら慧音は呆れたように呟いた。

 やはり、猟銃は妖怪に対する武装の認識の内には入っていないらしい事を理解し、蓮一は言葉を詰まらせる。別に妖怪を甘く見ていた訳ではなかった。ただ、知らなかっただけだ。妖怪というものの異常性を。今まで山で狩りを行い、猟銃の弾丸が通らないものなどいなかった。ましてや弾丸を頭に受けて尚立ち上がってくるものなど尚更だ。

 この傷はその未知と無知の負傷なのだ。

 

「まぁ、今回は完全にやられました。でも、次は必ず勝って見せますよ」

「なんだ、まだ懲りてないのか? 嫌という程妖怪の強さと恐ろしさを思い知ったろうに。頭でも打ったのか?」

 

 言葉とは裏腹に慧音の口調は安堵の籠ったものだった。

 左肩に包帯を巻き終えると、蓮一は慧音に礼を言って寺子屋を後にした。出口には仮面を外した靈夢の姿があった。

 先刻、慧音に平手打ちをされた所は少し赤くなっている。

 これでようやく妖怪退治の依頼を終え、帰路につく事になる訳だが、既に辺りは暗くなってしまっていた。

 仕方なく、慧音から提灯を借りて博麗神社への夜道を靈夢と蓮一の二人で歩く。季節でいえばそろそろ夏になる。大分夜も過ごしやすい気温になってきており、夜風が心地良い。

 

「……蓮一、今日はごめんなさい」

「何がですか?」

 

 靈夢は気まずそうな顔で蓮一を見る。蓮一は一体何を謝られているのか見当もつかないと言った顔つきで靈夢の次の言葉を待っている。

 

「その……今日あなたを妖怪退治に連れてきたのは妖怪の恐ろしさを味わってもらうためだったの。結構よくいるのよ、蓮一みたいに妖怪の被害に遭った子の中に妖怪退治をしたいって言い出す子が」

「……知ってましたよ?」

「本当は二手に分かれようって言った時に諦めてくれると思っていたのだけれど、予想以上にあなたが意欲的で、しかもまさか肉弾戦までしてるなんて思わなくて……結局あなたに怪我を負わせてしまったわ」

 

 噛みしめるように、自分の胸中の後悔を言葉にする靈夢を見て、蓮一は思わず笑ってしまった。その様子を靈夢が不思議そうに見ている。

 

「別にそんな事気にしてませんよ? 肉弾戦に持ち込んだのは明らかに俺のミスです。本当はあそこで逃げなければならなかった。靈夢さんのせいじゃないですよ。それに最後には死ぬ直前だった俺を助けてくれたじゃないですか。むしろ命の恩人ですよ」

「死ぬ直前まで助けに行けなかったのよ!? 素人の、まだ子供の君を無下に危険に晒してしまった責は大きいわ」

「……そう思うんだったら、次は死なないよう、これから妖怪と戦う術を教えてください」

「……え?」

 

 足を止める靈夢の瞳を見つめ、蓮一は自身の中の決心を口に出す。今まで何度も言おうとして言えなかったその覚悟を。

 

「博麗靈夢様、自分に妖怪退治のご教授を願えませんでしょうか!」

「なッ……! あ、あなたは少し懲りなさい! 今日戦った妖怪なんて妖怪としての種族すら与えられていない下っ端中の下っ端妖怪なのよ!? これからそれ以上の妖怪と戦う事になる。常に死と隣り合わせの生活を送りたいっていうの?」

「はい」

「はいって……そんな簡単に肯定するんじゃないわよ……」

 

 困り果てた靈夢の表情とは対照的に、蓮一の表情は本気だった。冗談など欠片もない。今日の体験を踏まえて尚、蓮一は妖怪退治の道を望んでいた。

 その目を見て最早靈夢に蓮一の頼みを断る言い訳は見つからなかった。それに、靈夢の中で蓮一に対する認識は変容の兆しを見せ始めていた。

 

――今まで見てきたどの人間とも違う。妖怪にあれだけの傷を負わされて、妖怪の恐怖をその肌身で感じて尚、闘志の尽きぬ心。これが妖怪退治の素質というものなのかしら。

 

「……わかったわよ」

「――! 本当ですか!? 俺を弟子にしてくれるんですか!?」

「ええ、そうよ! もう勝手にしなさい! でも、もう後戻りはできないわよ、それだけは覚悟なさい」

「有難うございます、靈夢さん!」

「これからは師弟の関係なのだから、私の事は師匠と呼びなさい」

「はい、師匠!」

「全く、調子がいいんだから……」

 

 自分で蓮一に呼ばせたのはいいが、師匠という呼ばれ方が恥ずかしく、靈夢は蓮一に赤らめた顔を見られないよう、足を速める。

 一方で蓮一はそんな靈夢の様子に気付く筈もなく、妖怪退治の道へ進む事に対し、気合を入れている。

 そんなやり取りのあった数刻後、博麗神社に続く長い階段がようやく見えてきた。急に蓮一の身体を疲れがどっと襲う。無理もないだろう、今日という一日は今までの人生の中で一二を争う程命懸けの一日だったのだから。

 一段一段と石段を上るたびに疲れが増していく感覚に気怠さを感じていると、突然前を行く靈夢が石段を上る足を止める。おおよそ八割程度石段を登り終えた辺りだ。

 何事かと靈夢の様子を伺えば、何やら石段の頂上、博麗神社の鳥居の方を、目を凝らしてじっと見ている。蓮一もそれにならって斜め上を凝視してみれば、何やら人影が二つ見える。

 

「師匠、あれは……?」

「……ここからじゃ、まだわからない」

 

 靈夢と蓮一に緊張が走る。意味はないだろうが、一応蓮一は肩にかけている猟銃に手を伸ばす。

 不意に、片方の人影が突然動き出した。一歩一歩、カツカツと足音を立ててこちらへと下がってくる。遂に靈夢もどこからか札を取り出し、人影に対し臨戦態勢を取っている。

 しかし、その数秒後、靈夢は急に気の抜けた顔をして、持っていた札をしまう。蓮一にもその靈夢の行動の意味がすぐに理解できた。

 近づいてきた人影は自分達の良く知る人物だった。

 

「あらあら、靈夢に蓮一。随分遅い帰りだったのね」

「なんだ、紫だったのね……てっきり敵かと……」

 

 靈夢と蓮一の目の前に姿を現したのは八雲紫だった。依然会った時と同様にパラソルというらしい西洋傘を差し、紫色のドレスに身を包む彼女はいつものように謎めいた雰囲気を纏っていた。

 

「紫さん、今日はなんでここに?」

「あら、蓮一。そろそろ身体が全快した頃と思って来てみれば今度は肩にそんな傷を負って……よっぽどこの神社に長く居座りたいのね?」

「ああ、紫、その件なんだが……」

 

 靈夢が蓮一の傷について問い詰めにかかるのを靈夢が説明しようとしたその時、蓮一の丁度真上辺りからまた別の声が響いた。

 

「母さん、久しぶりね」

「――! その声は!」

「ああ、言うのを忘れていたわ。私が用意していた結界術式の修行を予定より半年早く終わらせてしまったから、連れて帰って来たわ。確か二カ月ぶり位のご対面よね?」

 

 その少女はおそらくは紫と一緒にあの石段の頂上に立っていた一人だ。しかし、既にその少女はその場所から移動していた。音もなければ気配もなく。

 その少女は大体紫と靈夢の間辺りの上空に『浮遊』していた。

 半ば自分は夢でも見ているのではないかと思いながら、その少女に蓮一の目は釘付けにされていた。

 

霊夢(れいむ)! 帰ってきていたのね!」

「ただいま、母さん!」

 

 靈夢と同じ紅白の巫女服、同じ髪型、同じ名前のその黒髪の少女は満面の笑みで母と呼んだ靈夢の胸元に思い切り飛び込んでいった。

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