東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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 皆様お久しぶりでございます。
 二週間もお待たせしてしまい本当に申し訳ありませんでした。
 今週からまた連載を再開させて頂きたいと思います。



第二十三話「空と山の戦い」

 幻想郷の澄み渡るような青空の中。

 拳と拳が、蹴りと蹴りが、風弾と風弾とが交差し、飛び交う。しかし、戦っている者達の姿はそこには見えず、攻撃が交差する刹那に拳や蹴りの残像が朧げに見えるのみ。

 天狗同士の戦いとは、幻想郷最速の種族の戦いとはそういうものである。人間は愚か、妖怪でも、その亜音速の空中戦に目がついていかない。

 ましてやそれが幻想郷最速の天狗の中でもさらに最速を誇る、天狗の頂点同士の戦いであれば尚更の事。

 天狗の英雄、「風神」射命丸刃空と天狗の頂点、「天神」天魔の戦い。幻想郷でも最も壮絶なものの一つに入るであろうにも関わらず()えないその戦いを示唆するのは、戦闘地点から逃げ行くように円形状に霧散していく雲の動きのみ。

 

「よくも妖怪の山(ここ)に帰って来れたものね! ねぇ、刃空!」

「ぐッ! 予想はしてたけど、本当に面倒ね、お前の相手はッ!」

 

 空気を震わせる怒声と共に遥か上空から殺意の籠った亜音速の踵落としが刃空の脳天目掛けて放たれる。

 その攻撃を、両腕を十字に交差させて受ける十字受けで防御しながらも苦悶の表情を浮かべる刃空は目の前の天魔の姿をその目に捉える。

 黒い翼に黒い髪に黒い目、そして黒を基調とした山伏衣装。彼女と会うのは何十年ぶりだったかわからない。しかし、彼女は昔と変わらず――むしろ以前より美しくなっているようにさえ見える。

 変わる事のない、溜息が出る程の美しさ。それが自分の細君『だった』天狗。

 

――もう、あの時のように馬鹿旦那とは呼んでくれないのかね。

 

 そんな一瞬の雑念、それが刃空の次の攻撃への反応を遅らせた。

 

発勁(はっけい)ッ!」

 

 踵落としから続けざまに、打ち下ろすように放たれた掌底が刃空の十字受けを破り、彼を妖怪の山へと叩き落とす。

 山全体に響き渡る轟音と立ち上る砂煙が妖怪の山の頂上一帯を包んだ。

 

 

「え!? 射命丸師父が、君の父親!?」

「ちょ、ちょっと! あんまり大声出さないでくれる!? 後、父親『だった』よ!」

 

 妖怪の山の山中を追手から逃れるべく駆ける蓮一と文。

 その道中で発覚した文と刃空の血縁関係に蓮一は驚きの声を上げずにはいられなかった。まさか、刃空が既婚者、しかも子持ちだとは想像すらしていなかったのだ。

 本人もそれらしき事は一度も口にしていなかったし、まず何故そんな立場で家族を放っておいて高天原に住み込みで自分の師匠などしているのか。そして、父親『だった』とはどういう事なのか。

 そんな様々な疑問と驚愕の混じった声を上げる蓮一の口を文が慌てて塞ぐ。

 

「あんた……自分が今どういう状況にいるかわかってんの?」

「すまん」

 

 声のトーンが一つ低くなった文に蓮一は危険を察知し、間髪入れず謝る。

 その様子をまじまじと見て、文はようやく蓮一の口を覆っていた手を離し、解放する。

 

「全く、この状況で見つかったら私まで面倒事に巻き込まれるじゃない! それだけは本当に勘弁よ。あなたは別に構わないけど」

「俺はいいのか……」

「いいからさっさと足を動かしなさい。話だけは父さんから『風の噂』で聞いてるから。あなた、もっと強くなる必要があるんでしょ?」

「風の噂?」

「そう、私達天狗は風を操る程度の能力を持つ種族。その風に乗せて遠く離れた場所にも情報を伝える事ができるわ。これを『風の噂』と呼んでるの。まぁ、そんな事はどうでもいいのよ。あなたはもっと強くなりたくて父さんと共にここに来た、大事なのはそれだけでしょ?」

「――! ああ!」

 

 そうだ、状況はともかくとして、自分は強くなるためにここに来たのだ。周りの環境や移りゆく状況に動転するばかりですっかりその目的を見失いかけていた。

 文の言葉によって頭の中が今一度整理された。

 しかし、折角整理された部屋を再度散らかしにかかるかのように、状況というのは絶え間なく、突発的に移り変わり、時に牙を剥く。

 

「――全く、非常に残念です、文様」

「なッ!? しまった、追手!」

 

 突然、文と蓮一の目の前に現れたのはつい先刻、蓮一を縛り上げ、そして文の助太刀によって戦闘不能になった筈の犬耳の天狗の姿だった。

 

「な……お前、あの時あの風に巻き込まれて、やられた筈じゃ……」

「まぁ、確かに、あの攻撃は完全に直撃してましたよ?」

 

 不意に、彼女の周りにさらに数体の天狗が現れる。

 皆その手には槍や日本刀、手甲など、様々な武器を手にしている。あから様に文が面倒そうな、そして、焦りと不安を募らせた表情を浮かべている。

 

「しかし、あの程度でこの私が倒れるなどと侮られては困りますね。この犬走椛(いぬばしりもみじ)、これでも隊長として哨戒天狗隊を預からせて頂いている身なので。侵入者、文様、これにて鬼ごっこはお終いです」

 

 瞬間、蓮一の手を掴んで文が飛行体勢に入る。

 

「絶対に手離すんじゃないわよ!」

「――――捕えろ」

 

 その椛の声と、文が地を蹴って飛び立つのがほとんど同時だった。そして、それに数コンマ遅れて蓮一と文を椛の部下の哨戒天狗達が追う。

 両者とんでもないスピードで木々を最小限の動きで避けて森の中を飛んで行く。無論木々に掠りながら未だかつて経験した事のないスピードで山中を引っ張り回される蓮一は気が気ではない。

 

「て、手がああああ! ちぎれる! ちぎれる!」

「そんなの気合で我慢しなさいよ!」

「そんな無茶な!」

 

 右へ、左へ、数多と生える木々を縫うように飛んでいく文。しかし、哨戒天狗達とはジリジリと差を詰められつつあった。

 哨戒天狗の主な役目は天狗の領域に入る侵入者の排除、そして見張り。それは同時にこの山の地形を知り尽くしている事の裏返しでもある。

 勿論、このスピードの中で不規則にそびえ立つ木々の間を縫う文の反射神経は類稀である。しかし、それでも彼らにとっては、妖怪の山の木々の配置すら暗記している哨戒天狗達にとっては文の飛行ルートは無駄そのものであった。

 

「ああ、そこを右に曲がっちゃあ、すぐ目の前の並び立つ二本の木に当たって急カーブする事になる。それじゃあ、無駄に失速するだけだ」

 

 一人の哨戒天狗が文の飛行ルートを見てそう呟く。

 その呟きの通り、木を右に避けた彼女達はすぐ目の前に現れた並び立つ二本の木を見て、慌てて急カーブする。

 その時の急激な減速を哨戒天狗達は見逃さなかった。

 

「よし、囲め」

 

 一瞬。一瞬失速しただけ。

 その一瞬の失速で文と蓮一はたちまち哨戒天狗達に追い付かれ、その周囲を囲まれてしまった。

 こうなってはもう逃げる事はできないと、文も地に降り立って蓮一を下ろす。

 

「いくら、天魔様譲りの天狗随一の速さを誇る文様でも、この山の中を我々から飛行して逃げようというのは無理のある話です」

「ま、予想はしてたけどね……でも、ここまで簡単に追い付かれると流石に自信なくすわね」

「文様、その侵入者をこちらに引渡し、どうか御同行を。今なら天魔様にもこの事は報告致しませんので」

 

 取り囲んで刃を向けている癖に、言葉遣いだけは丁寧な哨戒天狗達に対し、文は何も言わず、ただ彼らを睨みつけるばかりである。

 蓮一も決して捕まるものかと臨戦態勢を取る。

 

「文様、今までは天魔様のご息女故、我々も貴方の行いには多少目を瞑ってはきましたが、これ以上抵抗なさるのならば、我々も貴方に対しそれなりの対応を取らざるを得ません」

 

 間もなく追い付いてきた哨戒天狗達の長、犬走椛がまるで脅すように文に言う。

彼女の言う「それなりの対応」とは、すなわち、文に対する武力行使の事を言っているのだろう。

 しかし、誰もが絶望し、声も出ないこの状況でむしろ文は笑った。

 

「――はっ、天魔様、天魔様と、哨戒天狗風情がさっきから黙って聞いていれば偉そうに」

「……文様?」

「――! お前達、もういい! 早く文様を捕えろ!」

 

 寸前で椛は気付いたのだろう。文の静かに発する殺気に。

 しかし、椛の指示が哨戒天狗達に届くよりも、文が動く方が早かった。一瞬で木の上で槍を構えていた哨戒天狗と、その付近に浮かんでいた刀持ちの哨戒天狗をとんでもないスピードで薙ぎ倒し、地面に叩きつける。

 叩きつけられた二人の哨戒天狗達には既に意識はなく、白目を剥いて、口から血を流して倒れている。

 周りの哨戒天狗達がざわめき、動揺が伝わる。

 

「あんた達のそういう所が大ッ嫌いなのよッ!」

「……残念です、文様。全員、戦闘開始。侵入者、文様、共に生死は問わない。武力制圧を開始せよ!」

 

 椛の声と同時に、哨戒天狗達が蓮一と文に襲い掛かってくる。今度は皆文に対してさえ殺意を抱いて襲い掛かってきている。

 蓮一が構えを取ると共に、背中越しに文が降り立つ。

 

「さぁ、蓮一。早速お待ちかねの修行よ。哨戒天狗達との実戦組手。どう? 嬉しいでしょう?」

「全く、俺が今までやらされた中で最低な修行だ。でも――――」

 

 蓮一に向かって槍を持った二人の哨戒天狗が同時に刃を向けて突撃してくる。

 それを『制空権もどき』を素早く展開する事で槍の刃の側面を叩いて軌道を逸らす。同時に前に踏み込み、間合いに入った敵二人に掌打を放つ。

 

「双掌打ッ!」

 

 右手と左手で二人の天狗のそれぞれの腹部に掌打を叩き込む。天狗ならではの飛行スピードも相まってその威力は通常の二倍。

腹から空気が押し出され、二人の哨戒天狗は苦しげな声を上げながら拳の入った腹部を押さえ、木の枝の上に立膝をつく。

 

「――でも、強くなれるというのなら、嬉しい事この上ない!」

「オーケー、その意気よ。何体かは私が相手するから、残りは頼んだわよ!」

 

 蓮一の戦いぶりを見て、とりあえず安心したように彼から視線を外すと、文も襲いかかってきた手甲を付けた哨戒天狗の拳を軽々と避け、その側頭部にキレのある上段蹴りを入れる。

 蹴りが空を切る音が少し離れた蓮一の所まで響いてくる辺り、その尋常ならざるスピードがよくわかる。

 

「ぐふッ!?」

「まだまだぁッ!」

 

 さらに続けざまに足を戻す勢いで、軸足を中心に時計回りに回転しながら反対側の側頭部へ回し蹴りを叩き込む。この間、0.1秒。

 哨戒天狗は回し蹴りを受け切れず、蹴りが側頭部に入ったまま、蹴りの軌道と一緒に、頭から地面に叩きつけられた。

 

「凄い、なんだあのスピード」

 

 迫りくる敵の攻撃を払いつつ、蓮一は横目で文の戦闘を見て驚嘆の声を洩らす。

 まるで彼女の足が哨戒天狗の左側頭部から右側頭部へ瞬間移動しているようであった。しかも、それでいてそのフォームは流麗そのもの。

 スピードを意識してやっているようには見えない。

 

「余所見をしていていいのか!? 侵入者!」

 

 蓮一の眼前を鉛の手甲が通り過ぎていく。さらにもう一発、今度は脇腹に掠る形で蓮一を捕える。

 目の前には巨体で筋肉質な哨戒天狗の姿があった。おそらくは一発でもあの手甲をつけた拳を喰らえば人間の蓮一は木端微塵になってしまうだろう。

 しかし、蓮一にはその攻撃が怖いとは思えない。

 当たらなければ、どんな攻撃も決して恐ろしい筈がないのだから。

 

「くそぅ! ちょこまかと!」

 

 何度も繰り出される拳をまるですり抜けるかのように躱していく蓮一。彼にとってこの程度のスピードの突きは止まっているようにすら見える。

 それは、高天原の師匠達との毎日の修練の賜物であった。

 

「この程度の突き、幽香さんに比べたら!」

 

 哨戒天狗の攻撃を最小限の動きで躱し、素早く間合いに入り、蓮一は拳を哨戒天狗の顔面めがけて放つ。

 しかし。

 

「ふん、当たらぬわ!」

「なっ!?」

 

 蓮一の拳の当たる寸前、哨戒天狗は翼を広げて宙へ舞い上がり、拳を躱して見せる。

 

「ず、ズルいぞ! 空を飛ぶなんて! 正々堂々、かかってこい!」

「ズルい? 貴様、何か勘違いしていないか?」

「――ッ!? くッ!? 後ろから!」

 

 巨体の哨戒天狗に気を取られていた蓮一の隙を縫って他の哨戒天狗が攻撃を仕掛ける。しかも、滑空しながら蓮一の傍を通り過ぎる一瞬に攻撃を加え、その攻撃が当たったか当たらなかったかに関わらず、すぐさま蓮一の拳の届かぬ空中へと逃げる。

 典型的なヒット・アンド・アウェイ戦法。しかし、これは今の蓮一には大きな効果があった。

 そもそも、蓮一と天狗の間には一つ大きな差異がある。

 それは、空を飛べる、という事。空を飛べると言うだけで、彼らの動ける範囲は地につく範囲から、戦闘空間全てにまで広がり、さらに、蓮一の攻撃の届き得ぬ絶対安全領域まで手に入れる事ができる。しかも、哨戒天狗達は数にも武具にも分がある。非常に有利な状況である事は明白である。

 一方で、蓮一は文が半数近くの哨戒天狗の相手を引き受けているとはいえ、実質残りの哨戒天狗は一人だけで戦う事になる。さらに、武器など携帯していないため、攻撃のリーチは手足の届く範囲まで。

 これだけでも十分に不利な状況に間違いないが、何より不利なのは、蓮一が今まで大きな武器としてきた『制空圏もどき』が天狗相手には全くもって意味を為さないに等しい事である。

 

「くそッ! そこだッ!」

「甘い甘い!」

「ほら、後ろがガラ空きよ!」

()ッ!」

 

 蓮一が相手の攻撃タイミングに合わせて制空圏もどきを利用してカウンターを入れようと試みるが、まるで重力など感じないかのように、三次元的な動きで軽々と蓮一の攻撃を避けて見せる。そして、隙の生まれた背中に他の哨戒天狗から錫杖(しゃくじょう)が叩きつけられる。

 背中の鈍い痛みに、顔を歪めつつ、蓮一はすぐに場所を移動し、哨戒天狗全員の姿を捉える事のできる位置を探すが、彼らがそう易々とそんな事をさせる筈もなく、蓮一はほとんど袋叩きに近い状態で防戦一方に回っていた。

 

――くそ……! この場所にこの相手じゃ、制空圏もどきの弱点をむざむざ晒すようなものだ!

 

 制空圏もどきの弱点、それはその範囲の狭さ。いくら天狗達の攻撃が日々の修練のおかげで視認する事が可能でも、それがそもそも視界に入らなければ意味がない。

 視界の範囲内に収まる攻撃を蓮一の鍛えられた反射神経によって捌く制空圏もどき。それも結局は蓮一の視界の範囲内のみでしか使えない。敵が地に立って襲いかかって来るのなら、向きを変えつつ対処する事ができたため、そこまで隙が生まれる事はなかった。

 しかし、空を飛ぶ天狗達から見れば、蓮一の制空圏もどきなど死角だらけで脅威すら感じぬ代物に過ぎなかった。

 人の視野は左右に約200度、上下に約120度あると言う。すなわち、蓮一の制空圏もどきもその範囲内が限界値。

 同じ地に立つ部類の敵ならその死角は蓮一の真後ろの約160度の平面範囲。しかし、空間的に移動可能な天狗から見れば、真後ろ160度の平面範囲に加え、240度の立方範囲にも死角を見出せる。

 視野に頼る制空圏もどきは、まさに天狗達とは相性最悪の技であると言える。

 

「くそッ! なら木を背にすれば……!」

「させると思うか?」

「私達、哨戒天狗が!」

 

 武村との戦いの時にコーナーを背にする事で制空圏もどきの死角を消したように、木の幹を背にしようと、近づくが、すかさず三次元的な連携攻撃であっという間に距離を離されてしまう。

 高天原では様々なパターンの組手をやってはいたが、空飛ぶ敵と多対一でのパターンはやった事がない。つまりは対策を知らない。

 今までに見ぬ特殊な動きについていけず、蓮一は反撃どころか防御すら難しい状況まで追い込まれていた。

 

「くそ! 卑怯な……!」

「お前の勘違いを一つ訂正しておこう、侵入者」

「お前は私達との戦いを死合いか何かと思っているようだが」

「これはそんなものでは断じてないわ」

 

 ほぼ無傷の哨戒天狗達それぞれが言葉を連ね、ボロボロの蓮一を囲むようにして空中で円陣を形成する。

 

「これは、ただの武力制圧。すなわち狩りと変わらん。何故狩人が獲物の立場に立ってやらねばならん? 狩人が獲物を狩る。これはそれだけの話なのだ」

「勘違いするな、お前と私達は対等な立場ではない」

「お前は唯狩られるだけ。それまでの時間が長いか、短いか。それだけの問題なのよ」

 

『我らが狩人で、お前が獲物。そこに逆転はあり得ない』

 

 蓮一の表情から今まで隠してきた焦燥が滲み出てきた。

 

 

烏龍盤打(うりゅうばんだ)!」

「ぐぅうう!」

 

 気血を巡らせ、鋼鉄と化した天魔の手刀が防御した刃空の腕の骨を軋ませる。

 苦悶の表情を浮かべつつ、腕の力で手刀を押し返し、天魔と距離を取る。

 

「何故?」

「何がね……?」

「何故、攻撃してこないのかしら?」

 

 『風神』刃空と、『天神』天魔。両者の実力は完全に互角である筈であった。これは周知の事実であると共に本人達自身も認めている事だ。

しかし、今、刃空は傷を負うばかりの一方で天魔は掠り傷一つ付いていない。

 簡単な話である。刃空は今まで天魔に一度も攻撃をしていないからだ。彼女の攻撃を受け流し、防御するばかりで自身は一切攻撃しようとしない。

 ダメージに差が出るのも当然であった。

 

「もしかして、私、舐められてるのかしら?」

「…………」

「それとも、逃げた事に対する私への謝罪のつもり?」

「…………」

「図星かしら?」

 

 刃空は何も言わない。一方で天魔の方はそんな彼の思慮を全て見透かしたかのような表情で見下ろす。

 戦闘には硬直状態が訪れたものの、その緊迫感はむしろ色濃く増していくばかりである。

 

「別にそんな過ぎた事を気にする事はないのよ? あなたが私と娘に妖怪の山での『戦争』を押し付けて逃げた事なんて」

「…………」

「だってそうでしょう? 私はそもそもあなたを(ゆる)すつもりなんてないのだから」

「――――!」

 

 言葉の途中、天魔の姿が空気に溶けたように消えていく。そして、次の瞬間には彼女は刃空の背後を取り、鋭い突きを繰り出す。

 突きを寸前で受けたものの、その力まで相殺できず、刃空は6、7メートル後ろに吹き飛ばされる。

 それでもやはり、刃空に反撃の予兆はない。黙って再度構えを取るだけ。天魔の顔がここで初めて苛立ちに歪んだ。

 

「無駄って言っているでしょう? あなたがいくらそういう態度を取ろうと、私はあなたの犯した罪を赦す事はない。物事には『規律』が必要よ。この妖怪の山にも例外なく規律が存在する。そして、規律を破ったものには罰を与えなければならない」

「……わいちゃんにはどんな罰が必要ね?」

「追放。あるいは死よ」

 

 淡々と、低いトーンで天魔は言い放った。その口調に嘘や冗談の類は一切感じられない。

 彼女が刃空を見つめる瞳は真っ暗な闇に包まれていた。

 

「手厳しいね」

「……正直、『戦争(あの時)』の事はどうでもいいのよ、もう終わった事だもの。当時の私ならともかく、今の私はその件について体裁上赦さないというだけで、あなたには何の憤りもないわ」

「だったらここを通し――――」

「でも、この山に英雄面して、文の父親面して入る事は絶対に許さないわ」

「……!」

「傍にいるべき時に文の、娘の傍にいなかったあなたに文と会う資格は無い。親子という規律を破ったあなたが文の居るこの山に入る事は私が許さないわ」

「……成程、確かに、その通りね」

 

 特に言い訳をするでもなく、あっさりと刃空は自身の非を認めた。

 

「でも、わいちゃん今回は英雄面も父親面もする気はないね」

「そう、じゃあさっさと帰りなさい。今なら追わないであげてもいいわ」

「それはできないね」

「……あなた、さっきから私をおちょくってるのかしら?」

 

 明らかに周囲の空気に殺気が混じり始めた。

 天魔の周囲の空気から殺伐とした気が流れ出ている。しかし、刃空はそれから距離を置くどころか、むしろゆっくりと近づき、口を開く。

 

「わいちゃん、最近面白い人間と出会ったね」

「急に何の話?」

「その人間はまだ若いのに、『死』を知っていたね。なんでも妖怪に滅ぼされた村の唯一の生き残りらしいね。それで、妖怪と戦える力が欲しいって日々鍛錬に励んでいるね」

「…………」

「わいちゃん、その子に聞いたね。自分の全てを奪った妖怪が恐ろしくないのかって。そしたら――――」

 

 

『え? 勿論めちゃくちゃ怖いですよ? あの時の事は俺の中ではトラウマですから』

『じゃあ、妖怪退治なんてやめた方がいいんじゃないかね?』

『同じ事を紫さんにも言われました。まぁ、でも……ここで逃げればもっと辛くなると思うんです』

『へ?』

『一度何かから逃げたら、それは一生続きます。ここで逃げたら、俺にはあの妖怪の影に怯えて逃げ続ける未来しかない。苦しい今から逃げた先に、それ以上の未来はないんです。だから、俺は逃げない。辛い今から今以上の未来を掴むために、絶対に逃げない。そう決めたんです』

『…………成程、信念という奴かね。ほっほ、それはそれは、急に明日の修行をハードにしたくなってきたね』

『え? いやあの、戦略的撤退と逃げるはまた別ですからね!? あ、ちょっと! 射命丸師父~!?』

 

 

「……ふぅん、逃げない、ね。まだまだ、世間知らずな子供って感じね」

「そうかもしれないね。でも、わいちゃんには少し胸打つものがあったね。『苦しい今から逃げた先にそれ以上の未来は無い』、良い言葉じゃないかね。わいちゃんの十分の一も生きていない人間の子供に、“我弟子(ウォーデイーズ)”にそこまで言われちゃ、わいちゃんも考えを改めるしかないねッ!」

「我弟子……?」

 

 その言葉と同時に今まで防御と受けに徹していた刃空が動いた。一歩、空中をまるで一歩だけ歩くかのように右足を浮かして前に出す。

 そして、その一歩が踏みしめられた時、5メートル弱開いていた筈の二人の距離は一瞬にして肉薄していた。

 天魔がそれに気付いた時には刃空が既に技をかけ終えた後だった。

 

「射命丸奥義・縛札衣(ばくさつい)!」

「い、いつの間にッ! くそ、身体を、私の服でッ!?」

 

 天魔の手足、そして翼は彼女自身の纏っていた道士服と山伏衣装を混ぜ合わせたかのような着物によって丁寧に縛られ、身動きを封じられていた。

 当然翼の動きも封じられているため、飛行もできない状態だが、現在は刃空が胴回りの帯を掴んでいるため落下せずに済んでいる状態だ。

 だが、捕縛だけでそれ以外は掠り傷一つついていない。相手の着物によって相手を捕縛する。技の性質上、相手は半裸になる下心を感じる技だが、この技の本質は相手を傷一つ付けず行動不能にするという点にある。

 まさに活人の技の極み。

 最初、何が起きたのか理解が追い付かず驚いた表情を隠せなかった天魔だが、やがて全てを理解し終えると、悔しそうに刃空を睨みつける。

 

「くッ……成程、最初から手を抜いていた訳ね。本当ならこうして一瞬で勝負をつけられたものを。しかも、私には掠り傷一つ付けないままにッ!」

「別にそう言う訳じゃないね。わいちゃんが身を削ってまで守備に徹していたからこそ隙を見せてくれたね。最初から全力でやってたらまだまだ決着はついてないね」

「ふん、攻撃をして来なかった事すら計算、か」

「それは違うね。わいちゃんはただ、ケジメをつけたかったね。そのためにはわいちゃんが攻撃する訳にはいかなかった、それだけね」

「……ケジメ?」

「天魔、わいちゃん、もう逃げるのはやめるね、取り返しのつかない事ばかりだけど、それでもこれからやり直して、今以上の未来を目指していくつもりね。今日はそれを伝えたかったね」

「……あなたの弟子とやらの影響なのかしら?」

「弟子が逃げないって言ってるのに、師匠のわいちゃんがいつまでもお前と娘から、この山から逃げている訳にはいかないからね」

「随分とその弟子にご執心のようね」

「ふ、元よりわいちゃんは英雄面も父親面もできないね。今わいちゃんにできるのはたった一人の弟子のため必死に師匠面を保つ事だけね」

「はっ、何よそれ。弟子に言われてようやく逃げるのをやめた奴が偉そうに」

 

 そこで、初めて天魔は刃空に向けて笑顔を見せた。

 刃空が逃げてから決して彼だけには向けなかった表情(かお)。刃空はそれに一瞬目を大きく見開くと、また同じように笑い返す。

 

「じゃ、悪いけど、わいちゃんは弟子を迎えに行って来るね。いつかは必ず、父親面もできるようになってみせるね、それまで待ってて欲しいね、“我妻子(ウォーツィーツー)”」

「今更、遅いのよ…………馬鹿旦那」

 

 刃空の手が開かれ、空中で支えるものを失った天魔は真っ逆さまに山の頂上へと落下していく。

 

――ああ、駄目ね。今更帰って来て、もう逃げないとか、やり直すとか、ケジメとか。こんな駄目な人に何で私は……変な期待なんてしてるのよ。

 

 中々下がらない口角をそのままに、天魔は遠ざかる刃空を地に衝突するまで、熱の籠った目で見つめ続けていた。

 

 

「はぁ、はぁ……とりあえず、もうあいつらの姿は見えないわね?」

「あ、ああ……!」

 

 現在、蓮一と文は哨戒天狗達と戦っていた場所から少し麓の方へ降りた地点に居た。

 あの後、蓮一が空中からの攻撃に苦戦し、絶体絶命となった瞬間、タイミングよく自分に襲い掛かって来た哨戒天狗を掃討した文が煙玉で煙幕を張り、なんとか哨戒天狗達の追跡を逃れた。

 しかし、蓮一は全身を激しく負傷しており、体力も削られている。文の方も決して無事という訳では無く、流石に所々に擦過傷や切傷が見られる上に、ここまで蓮一を引っ張って全速力で飛んできたために疲労も見える。

 つまりは二人とも既に満足に戦える状態ではなかった。これは決して文と蓮一の実力が不足しているだけの問題ではなかった。

 自分達を狩人と、蓮一達を獲物と称するだけあり、彼ら哨戒天狗達の戦術と連携は見事だった。

 しかも、妖怪の山という哨戒天狗達のホームグラウンドでの戦い。今の状況は決して想定し得なかった事ではなかった。

 

「それでも、想定していた所でやっぱりキツイわね、この状況は」

「これから、どうする……?」

「取り敢えずはあいつらの追跡から完全に逃れるのが先ね」

「え? まだ危険なのか?」

「煙幕程度で撒ける相手ならここまで苦労しないわ。あんたも気抜くんじゃないわよ? 常に周囲を警戒していなさい」

「……わかった」

 

 蓮一はできうる限り木に張り付くようにして身を屈め、自分の周囲を警戒する。

 昔、父と山に入った時にこういう時の対処は教わっている。

 

「まず、心を静め、周りの景色の動きと音に集中。そして、体勢はいつでも立ち上がれるように……」

「中々様になっているわね。山に入った経験でもあるの?」

「ああ、昔山に狩りに行った時に父さんにな」

「へぇ、父親かぁ……」

 

 その時の文の表情は非常に印象的だった。憧憬と、寂寥、そして卑屈の入り混じった表情。それは村と家族を失った時のいつかの自分と酷似していた。

 そして、それが彼女にとって気持ちの良い話題ではないと理解していて、尚蓮一は聞かずにいられなかったのだ。

 

「そういえば射命丸師父、いや、刃空師父が父親『だった』って言っていたけど……」

「……全く、会って間もない女の子にそう言う事聞く?」

「悪い。気になって」

「……いいわ。どうせもう哨戒天狗共に見つからない限りはここから不用意には動けないし、それに父さんとも知り合いらしいし、話してあげるわ。暇つぶしに」

 

 そう言うと、正面の木に腰かけていた文は立ち上がって蓮一の座る巨木へと歩いて行き、蓮一の隣に腰かける。

 突然すぐ隣に座って来た文の肌と蓮一の肌とが触れあう感触に、蓮一は慌てて立ち上がる。

 

「な、何で、俺の隣に座るんだ!?」

「私が座ってた所からあなたの所まで届く大きさの声で喋ってたら見つかるじゃない。こうしてあなたの隣に座れば小さな声でも話せるでしょ?」

「……わかった、それもそうだな」

 

 蓮一は顔を若干赤らめながらも文の隣に座る。

 

「もっと近づきなさい! 声量は小さい方がいいんだから!」

「ちょ、おま……!」

 

 再び蓮一と文の肌が密着する。

 普段、修行か自警団の仕事か、寝るかの生活しかしていない蓮一にこういった機会は乏しかった。

 確かに高天原にも女性はいる。しかし、彼女達と肌が触れあう機会は組手などで突きを入れられたり、関節を極められたりする時だけだ。

 少しも胸はときめかない。

 なので、こうして女性と密着する機会は蓮一にとっては珍しく、耐性もない。

 さっきから蓮一の心臓の鼓動は速まる一方であった。

 

「……警戒も怠らないでよ?」

「わ、わかってる!」

 

 実際は文に言われるまですっかり忘れていた。

 蓮一は慌ててもう一度警戒態勢を整える。周りの景色も、音も、文の肌の感触も、声も、その全てを、心を静めて感じ取る。

 それでもやはり恥ずかしさは拭えないが。

 しかし、それもゆっくりと口を開いた文の最初の一言で彼方へと飛んで行った。

 

「……実はね、私、今まで父さんと一度も会った事ないんだ」

 




 章管理にて章タイトルを変更させて頂きました。
 『修行編』→『霧雨魔理沙編』
 『高天原結成編』追加
 『自警団八武長編』→『拳鬼編』
 
 
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