期末試験の再試に引っかかりまくり、執筆時間がとれませんでした。
単位が心配な今日この頃です。
以下妖怪の山編、続きです。
「……どうしたんだ、文。そんな所で寝てないで家に入って寝ていれば良かったんじゃないのか?」
「蓮一こそ、何でそんなにボロボロの上、目隠しなんてしてるのよ」
「……色々あってな」
「こっちもよ」
妖怪の山に蓮一と刃空が入ってから一日目の朝が明けた。蓮一は何故か身体中ボロボロの状態で地べたに大の字で寝ている――というかほとんど倒れており、一方の文も何故か疲労困憊で同じく大の字に倒れていた。
それはそれぞれの昨夜の過ごし方に原因があった。
昨夜、森の中。刃空に連れて行かれた蓮一はしばらく行った所で刃空の束縛から解放される。
「師父、何も引きずらなくったっていいじゃないですか……」
「いや、この修行はちょっと蓮ちゃんに逃げられる訳にはいかなかったからね。それに、時間が惜しい。多少のオーバーペースを覚悟でも蓮ちゃんは次の段階に進んでもらわなくちゃいけないね」
刃空の目は闇の中でもしっかりと蓮一の姿を見据えていた。
その真剣な眼差しに、蓮一もこれから行われる修行に対して緊張感を覚える。
「次の段階、ですか」
「そうね、特にここは空気が『濃い』。きっと七日という短い期間でも十分な修行の効果が得られる筈ね」
「空気が濃い?」
「簡単に言えば集中し易い環境にあるという事ね。この山にいる短い間に制空圏を会得するにはうってつけの修行場ね」
「成程、それで、一体どんな修行をするんですか?」
蓮一が刃空に尋ねると、彼は懐から黒い布を取り出す。
そして、それを素早く蓮一の顔面に巻きつけ、結びつける。突然の事に蓮一は片目を隠すように巻かれた布を外そうと試みるが、何故か布はいくら力を加えてもずらす事は愚か、しわ一つつける事ができない。
「これより、七日間、片目の一切の使用を禁ずるね」
「え……これが、修行!? 制空圏と何の関係が!?」
「後は、自分で考える事ね。教わるだけでなく、自分から気付く事もまた修行ね」
「え!? そんな、ただでさえ時間がないって言うのに!」
「今はわいちゃんを信じるね、蓮ちゃん」
「……くそッ! こうなったらなんだってやってやりますよ!」
「その意気ね!」
その後、蓮一は組手で刃空にほぼ一方的にボコボコにされた後、日が昇った頃に休憩と言われ、文の家のある手前まで来て力尽き、倒れ伏したのであった。
「――成程、空気が濃い、ね」
「ずっと気になってたが、空気が濃いってどういう事なんだ? 師父は修行に集中し易いとかいっていたけど……」
「森、山の木々は有害な菌や植物から自分の身を守るためにフィトンチットという揮発性の物質を発しているからよ。この物質は肝機能の改善や自律神経の安定に効果があると言われているの。そのフィトンチットの濃い場所を空気が濃いと呼んでいるわ。普段より集中力や治癒力が高まったり、修行にはうってつけの環境、という訳ね」
「へぇ……よくわからんが、なんか凄いという事だけはわかった」
「……うん、多分父さんはあんたがそういう反応するから詳しく説明しなかったんだと思うわ」
文が失笑して横たわる蓮一に視線を向ける。
「で、文は何でそんなに疲れた様子なんだ? しかも、その様子だと一睡もしてないだろ?」
蓮一は自分の方へ顔を向けた文の目元の深いクマを指して尋ねる。
文は蓮一の言葉に激しく動揺を見せつつ、懐から手鏡を取り出して自分の顔を映し見る。丸い木枠で囲まれたそれに装飾などの飾りは一切無いものの、時間を掛けて丁寧に作られたのが一目で分かる、素朴で綺麗な手鏡だった。
また、手鏡の木枠に付いた細かい傷から、大分使い込まれているようにも見える。
「くそ! あの河童なんて追いかけ回してたから……私の美貌が……!」
「……その手鏡、綺麗だな」
「ちょっと、何でそこで手鏡なのよ、少しは女の子を気遣う素振り位見せなさいよ!」
「え、いや、すまん」
「……まぁ、あんたにそれを期待する方が馬鹿ね。この手鏡は、ただの貰い物よ」
「貰い物? それって誰から――――」
「おーい、蓮ちゃん! 朝ご飯ができたね! にとりどんと文も早く来るね!」
蓮一と文の会話は突然の刃空からの呼び声で中断された。
二人は漂ってくる焼き魚の匂いに立ち上がり、刃空の声が聞こえた方へと歩いて行く。
いつの間にか隣ににとりが当たり前のように並んで歩いていた。
「あ! 河童! 昨夜はよくもあのへんな装置で逃げてくれたわね!」
「いや、だって、文様あの時怖かったし、それに今の顔はもっと怖いし」
「誰のせいだとッ……! とにかく、早く私のプライベートを撮った写真やら動画やら全部明け渡しなさい!」
「い、いやですよ! 私は文様ファンクラブの人々や妖怪共にこれを売り捌いて一儲けするんです! 後、ちょっと距離が近い! 恥ずかしいから離れて!」
「人見知りの割に図々しいな」
「このクソ河童め。今に見てなさい……!」
蓮一を挟んで、文とにとりの間で激しい睨み合いが始まっていた。
☆
「椛様。準備が整いました」
「わかりました。では、これより侵入者、文様の捜索を開始します。各小隊ごと、小隊長に従い、効率よく捜索を進めること。尚、何かしらの痕跡や気付いた事があれば直ぐに私に伝えなさい。以上、散開!」
「ハッ!」
天狗の里の入り口。
椛の散開の声と同時に、六つの小隊に分かれた哨戒天狗達の内、五つの小隊がその場から飛び去り、山の四方八方へと散って行った。
これだけの哨戒天狗を動員すれば、山全体の捜索はおおよそ三時間足らずで終わるだろう。
そう脳内で簡単に計算を終えると、椛は次に、残った第六部隊に向け告げる。
「では、昨日説明した通り、これより第六部隊は私と共に山の麓近くまで下り、河童の集落へと向かいます」
椛が翼を羽ばたかせ、部隊を先導するように飛び立つと、小隊も陣形を保って椛の後ろに付いて飛行する。
木々の上を少し飛ぶと、あっという間に巨大な滝が見え、そこに続く川に一人の河童が立っているのが見えた。
椛は後ろに付く哨戒天狗達に合図すると、滑空を始め、ゆっくりとその河童の目の前に降り立つ。
椛が川岸に足をついた数秒後に、哨戒天狗達も次々に川岸に降り立ち、河童の目の前に立つ。
河童は長い白髭を生やした老河童で、河童の集落の長老をしている人物であった。
河童の長老は目の前に降り立った椛達にうやうやしく頭を下げると、髭に隠れたその口をゆっくり開く。
「ようこそおいでくださいました、天狗様方。椛様のご来訪、対空レーダーより気付きまして先んじてお待ちしておりました。して、今日は一体如何用ですかな?」
丁寧な言葉遣いで椛達の来訪の理由を問う長老。
レーダーとは河童達の異様な技術力により作られた探知機のようなもので、対地と対空の二つがあり、それらにより里に近づく物体の存在を余さず察知しているらしい。
相変わらず珍妙な技術を持つ気味の悪い奴ら、と内心で吐き捨て、椛も河童達と挨拶を交わす。
過剰すぎる程の物腰の柔らかさではあったが、椛は河童達の低姿勢に少しばかりも気を緩めはしなかった。相手は河童の長老だ。一体その腹の内に如何なる企みを含んでいるともわからないのだ。
河童と天狗は長らくの間、天狗が上で河童が下の上下関係を続けてきた。その背景には天狗の圧倒的な武力や天魔の言い含みもあったのだろうが、重要なのは、決して主従のような関係ではない点だ。
天狗の命令に必ずしも河童が従わねばならぬという決まりはないし、また、河童は天狗を敬うが、表向きの態度という面が大きく、所謂、上司と部下の関係に近かった。
つまり、ここで何か言葉を間違えれば、今は一見協力的かつ友好的に見える河童もその態度を変えてくる可能性は十分にあるという事だ。
「いえ、突然の来訪、誠に申し訳ありません、長老。別に大した事ではないのですが、今日は河童全体に一つ確認したい事があって来ました」
「ほう、確認したい事、ですかな?」
「ええ。実は、昨日我々天狗のテリトリーに侵入した者がいるのですが、その侵入者に河童が関与している可能性があります」
「ほう」
長老の目付きが一瞬鋭くなる。後ろの哨戒天狗達も、一気に緊迫感の増した空気と椛のその言葉に動揺を隠せない様子だ。
いくら上下関係があるとは言え、ここまでの嫌疑をかけるという事はそれなりに大きな影響を及ぼす。
河童は決して天狗の奴隷ではないのだ。天狗と河童の間でいざこざが起これば、天狗の社会にも決して小さくはない波紋が広がる。
「一体、何故、我々河童がその侵入者の手助けをしている、と申されるのですかな?」
「実は、昨夜哨戒中の天狗から河童の里の方に下りていく不審者の影を見たとの報告を受けまして、その真偽の程を確かめに来たのです」
嘘だ。
椛の後ろで控えていた哨戒天狗達は皆一様に椛を見て顔を青ざめさせた。
そんな報告は一切なかったし、そもそも侵入者が山を下りたかどうかさえ確定していないのだ。そんな適当な出任せが河童の長老に通用する筈がない。
椛の暴言に何とか表情だけは冷静に保っているものの、彼らは内心冷や汗が止まらなかった。
「……成程、そう言う事ならば、この河童の里を隅々まで調べてみるがよろしいでしょう」
「ええ、ご協力感謝します」
「ただし、目撃証言一つで我々河童の里に嫌疑をかけるんじゃ。これで何も見つからなかった場合は……わかっておろうな?」
夏になり熱の籠った空気が、その長老の言葉で一気に零下まで下がった気がした。
これだけ威圧してくるのだ。おそらくは長老はこの位にしておけと椛に警告しているのだろう。
「も、椛様。やはり、ここは…………」
「ええ、長老様。無論覚悟はできてます」
「も、椛様!?」
椛の反応に、流石に哨戒天狗達ももう黙ってはいられなかった。
彼女の肩を引き寄せ、引きつった表情で止めに入る。
そんな慌ただしい天狗達の様子を見て、長老は嘲笑を浮かべる。
――クク、やはりこの河童の里に侵入者が降りたのを見たなど口から出任せ。温いのう、未だに椛とかいう白狼天狗だけ表情一つ変えんのは立派じゃが、部下の方はそこまで肝は据わっておらんようじゃのう?
このまま天狗共が引き下がって終わりだろう。
長老は必死に椛を引き留めようと無様に慌てる哨戒天狗の姿を見て、もう一度笑みをこぼすと、背中を向けて歩いて行く。
「待ってください、長老様。どこへ行かれるのです?」
椛の声が去っていく長老の足を止めた。
「どこへ? 勿論里へ戻るのですじゃ。儂も暇ではないでのう? 続きは貴方達の意見が纏まってからで良いでしょう」
「そう言う事なら、今纏まりました。里を捜査させて下さい」
「…………」
苛立ちがつい口に出てきそうになり、長老は口を閉じた。
――なんなのだ、この天狗は。確かに、お前の推察通りじゃ、天狗。刃空様に力を貸すべく、にとりと共に潜伏用のからくりを確かに託した。だが、そんな証拠は刃空様かにとりが捕まらない限りは出て来ない。なにが侵入者が河童の里に降りた、じゃ? そんな訳がなかろうが。それなのに何故こいつは未だ引き下がらない? もう全てお見通しだという事は先の一言で気付いたであろう?
このまま意地を張って困るのは天狗側の方に間違いないのだ。なのに何故目の前の白狼天狗は涼しい顔をして尚も向かって来るのか。
理に合わぬ椛の食い下がりに長老は不気味ささえ感じていた。
「全く、椛様もしつこいですな。儂らのこの場を丸く収めようという配慮がお分かりになりませぬか?」
「……そこまで言うのならば、何か証拠でもあるのですか? 侵入者がこの里に入って来ていないという理由が」
「ええ、勿論ありますとも」
仕方がない。しっかり言ってやらねば分からぬらしい。
長老は河童の里に天狗達を入れる事に乗り気ではなかった。天狗達が捜査に里に入れば河童達は皆作業を中断しなければならない。
ふざけるな。何故天狗共の身勝手な勘違いで一分一秒が惜しい技術革新に向けての歩みを止めなければならないのだ。
元々河童と天狗の上下関係にも嫌気が差していた長老は椛の求めた証拠とやらを話始める。
「椛様もこの河童の里の対空レーダーの事は知っていましょう? 未だ微弱ながらもここから天狗様の里の少し手前までは反応をキャッチできます。昨日のレーダーの感知記録にこの里に向かってきたものはありませぬ。もうお分かりじゃろう? 昨夜ここに侵入者が来た訳がない」
「……成程」
椛は何も言わない。後ろで控える哨戒天狗達も顔を青ざめさせながら彼女と長老を見つめる。
どうだ、と長老は椛の反応を嘲るように見つめる。
ここまで明確な証拠をだしたのだ。目撃証言などという曖昧なものではない、物的な証拠を。
「椛様、どうかお引き取り下さい。後、この件は貴方の上司である大天狗様にも報告させて頂く。今後はこのような強行的な態度は控えて貰わねばなりませぬからのう。儂らは出来うる限りの協力は致しますが、決して天狗様に忠誠を誓っているのではないのだから」
今度こそ勝った。
背中を向け、また長老は里の方へと歩いて行く。
しかし、再びその歩みを阻んだのは哨戒天狗達の構えた槍や刀の切っ先であった。
突然の事に狼狽しながら長老は椛の方に向き直る。
「ど、どういう事じゃ、これは!? いくら天狗とはいえ、ここまでの所業は――――」
「黙れ、河童」
「――ッ!?」
椛の殺気が長老の言葉を打ち消す。
そのままゆっくりと歩み寄りながら長老に対し、椛は口を開き、続ける。
「長老様、一つ聞きたい事があるのですが?」
「な、なんじゃ……!」
「何故、今の証言だけで河童の里に侵入者が来なかったと断言できるのですか?」
「そ、そんな事も分からぬのか!?」
「ええ、何故、長老様が『侵入者が空を飛べる』という前提でお話しなされていたのか、私には理解できかねます。説明をして頂いても?」
「ッ!」
そこでようやく長老は自分の軽率な発言に気が付いた。
「私は侵入者が空を飛べるかどうかは愚か、人間か妖怪かすらも言っていませんよ? 何故今対空レーダーの記録に絞って証言をなされたのですか? 普通、対地レーダーの記録の方を優先するものでしょう? 空を飛べる者なんてこの幻想郷には限られているんですから」
「そ、それは……」
「何故貴方が対空レーダーの記録だけで十分だと考えたのか? それは貴方が、侵入者が空を飛べると知っていたからではないですか?」
椛の追求は止まらない。
攻守が逆転し、今度は河童側が慌てる番になった。矛先を突き付けられている長老は勿論の事、周りの河童達も一切動けないでいた。
「どうしました? 早急な説明をお願いします。私達もあまり暇ではないので」
「この……! そ、そうじゃ! お主らが言ったんじゃろう! 儂らに不審者が河童の里の方に降りていったと! だから儂は侵入者は飛ぶ事ができると判断したんじゃ!」
「『降りていった』? そんな事は言っていませんよ? 私は河童の里の方へ『下りていった』と言ったんです」
「なッ! そ、そんなややこしい言い回しを!」
「そうでしょうか? 私達のテリトリーから河童の里へ行くには山を『下りる』のだから、間違っていないと思いますが。それよりも『河童の里の方へ降りていった』という表現の方が不自然さを感じますね。まぁ、侵入者が飛べる事を知っているのなら話は別ですが」
「貴様……儂をたばかりおったな!?」
墓穴に墓穴を掘る有様。
まるで見透かされたように心理の穴を突かれる。
それ以降、長老は何も言わず、力なくその場にへたれこんだ。哨戒天狗達も刀や槍を収めた。
「さぁ、長老様。今後の貴方の姿勢次第では、この重大な裏切り行為を大天狗様に報告せずに済むかもしれませんが?」
「くそッ! 脅しか……!」
「とんでもありません。私のこの場を丸く収めようという配慮がお分かりになりませんか?」
「く……すまぬ、にとり、刃空様……!」
「さぁ、貴方の知っている事を全て話して頂きましょう」
☆
「甘いッ!」
「ぐあッ!」
文の掌底が蓮一の胸部を圧迫し、肺から空気が強引に押し出され、酸欠になった身体の動きは止まる。
さらに、息をつかせる間もなく連撃を浴び、蓮一は地に倒れ伏した。
朝食後に文との組手を始めてから実に38戦目にして蓮一の38連敗が決まった瞬間であった。
「蓮一、あんた、流石に手ごたえなさすぎるわ」
「し、仕方ないだろ! 片目が塞がれてると遠近感が掴めないんだ!」
「そうやって目ばっかりに頼らないための修行でしょうが!」
「どういう事だよ!?」
依然として蓮一はこの修行の意味に気付けていなかった。
結局制空圏と片目を封じる修業にどんな関わりがあるのか。今日を入れて残り六日でその意味を見いだせなければならない。
蓮一の心中に渦巻く焦燥は時間と共に増していくばかりだった。
そんな様子を見て文は立ち上がる。
「まぁ、まずは実際に制空圏を見てみた方がいいかもね。立ちなさい蓮一」
「できるのか? 制空圏?」
「当たり前でしょ。今回、私は一切攻撃をせず防御に回るわ。あなたは自由に攻撃してきなさい。それで一発でも当てられればあなたの勝ちでいい」
「おいおい、本気か?」
「ええ、本気よ。そもそも今の時点で私の制空圏が見えてないようじゃ、一生無理ね」
「なんだと。よし、何がなんでも一発当ててやる!」
蓮一が構える文の方へ走って行き、滅茶苦茶に拳を打ちこみ続ける。
しかし、まるで先読みでもされているかのように、ことごとく蓮一の拳は文の掌に収まり、それ以外には決して届かない。
「くそ、それなら!」
一旦、距離を取り、再度文の方へと走って行く。
――幽香さんに教えて貰ったこの突きならッ!
『蓮一、今からあんたに特別に突きを教えてあげるわ。この突きをマスターできれば、ある程度の弟子クラスの奴には必中の一撃になるわ』
「うおおおお! 山突きッ!」
「――ッ!?」
右拳を文の顔面に、左拳を腹部に向け同時に突きだす。
大抵の者は顔面への攻撃を最も怖がる。そのために、顔面の攻撃の方に意識が集中し、同時に放たれている腹部の拳に対応できない。
今の所師匠を除いた妖怪には一度も躱されていない、必中の突きであった。
唐突な攻撃に文は一瞬驚いたような表情を見せる。
だが――――
「今のもろ手突きは少し危なかったわ」
「嘘だろ!?」
蓮一の両拳は見事に文の掌に綺麗に収まっていた。
蓮一は力なく拳を戻し、降参の意を示す。流石に今の山突きを初見で躱されては今自分ができる如何なる攻撃も当たる気がしない。
「視覚だけに頼らず、自分の間合いに入った攻撃を反射的に打ち払う、これが制空圏よ」
「くそ…………」
確かにその通りだ。目だけに頼っているのならばあの山突きには対応できない。蓮一はがっくりとうなだれた。
「見の目弱く、観の目強く」
「え?」
「兵法書に書いてあった教えの一つよ。近くを見るのではなく、もっと広く、大きく、遠くを見るよう心掛けなさい、と言う意味。あなたの制空圏もどきはあまりに見の目、つまり近くばかりに集中して全体が見えていない。制空圏はもっと全体を見る事から始めなければならないわ」
「近くではなく、遠くを? 全体を見る?」
少し刃空が何を伝えたいのかわかった気がした。
あえて遠近感をなくすようにする事で、自分の視覚を見の目からはずそうとしていたのだ。
「よし、観の目、だな。やってみよう」
「じゃあ、その状態で私の攻撃を防いでみて」
蓮一は出来る限り視野を広く。しかし決して文を視界から外さないように。
徐々に文からピントが外れ、四方に広がる森林や、僅かに青い空までが映りこんでくる。今更ながら、蓮一は普段戦っている時の視野との差に歴然とする。
普段は敵の姿以外の景色はまるで視界の中にはなかった。
そして、ここまで相手が接近しているのにも関わらず防御の構えすら取れない程視野が広くなり過ぎていた事も今までにはなかった事だった。
「ちょ、避けなさいよ!?」
「ぐほッ!」
40戦目の組手の40連敗目が今決まった。
☆
「さて、皆お疲れ様でした。まず捜索隊の方から報告を聞きましょう」
天狗の里。
自警隊の駐屯所に哨戒天狗達が集まり、結果の報告を行っていた。
「はい、結果から言わせて頂きますと、侵入者達は一人も見つかりませんでした。ただ……」
「ただ?」
「その、何と言いますか、ある一帯だけ何故か近づけないのです。その一帯のみまだ捜査が終わっていません」
「近づけない、ですか」
「はい、向かおうとするといつの間にか通り過ぎていたり。何故か無意識にその場所を避けてしまうのです」
「成程、そこが潜伏地という訳ですか」
椛は今の報告と河童達に聞いた刃空達の持つ機械の情報とを統合し、二つの一致を確認した。
河童が刃空に渡した機械はその機会の周辺一帯にフィールドを張り、フィールド外のあらゆる生物がフィールド内に入る事ができなくなる装置と聞いている。
そして、今の哨戒天狗達の言い分とも概ね一致している。おそらくはその一帯のどこかに蓮一、文、刃空は潜んでいる筈だ。
「その近づけなかった場所とはどこですか?」
「はい、範囲が広いので正確ではありませんが、おおよそ文様の離れがあった場所です」
「成程、いかにもクサいですね。今日からローテーションでその地域一帯を見張りなさい。現状その河童の機械を無効化する術はフィールド内からの解除しかない筈です。ただし――――」
フィールド内にいる者もその外側には出られない。
「必ず、奴らはフィールドを解除してきます。そこを狙いましょう」
文はともかく、刃空や蓮一が一生あのフィールド内に閉じこもっているなどあり得る筈がない。必ず出て来る筈だ。
今はこれが最善の策。椛は自分にそう言い聞かせつつ、哨戒天狗達に指示を出し、集会を終えた。
「――フィールド内に誰か味方が居ればてっとり早いのですがね」
駐屯所を出て、文の家が建っている方向を見ながらぼやくように椛は呟いた。
☆
夕方が近くなり、夕食の準備を進めるために蓮一達は修行を一旦切り上げ、薪や水汲みに励んでいた。
山での生活とはただ生きるだけでも大変な事だ。
食糧、水、暖、全てを自分で手に入れなければならない。しかし、全員が山籠もりの経験がある――というか、文とにとりは山に住んでいる――のと、近くに川が流れていたのが幸いし、今の所生活に支障はない。
昼ごろはほとんど休む間もなく次々と天狗達が真上を通過していくのにビクビクしていたが、本当にフィールド外には内部が認識できないらしく、午後には天狗達も諦めたのか、一人も見かけなくなった。
改めて河童の技術力の尋常なさを感じる。ここまで上手く行っていいのかと言う程今の所順調に修行に時間を費やせている。
その成果は決して時間に比例している訳でもないが。
大分観の目というものには慣れてきたが、どうも間合いに入った攻撃を上手く捌き切れない。
何が足りていないのか。未だ暗闇に包まれた片目に触れながら十分に水を汲んだバケツを持ち帰る途中、視界の端に何かが映った。
「ん? なんだ、あれ?」
よく見るともぞもぞと動くそれは人の形をしていた。
最初それが認識できなかったのは彼女の身体が何故か彼女の来ている服によって縛られていたからだ。
一体どうしたらあんな事になるのだろうか。
「……なんか、あまり近づきたくないけど、見つけちゃったしなぁ」
流石にこれだけ注視した上で見なかった事にするのは少し心苦しい。
仕方なく蓮一はバケツをその場に置くと、着物んい絡まっているその妖怪か人かわからぬそれに歩み寄って声を掛ける。
「あの、大丈夫ですか……?」
「み、水…………死ぬ……」
「意外と大丈夫じゃなさそうだ!」
慌ててバケツを持って駆け寄ると、彼女の口辺りにバケツの中の水を流し込む。
大半は口から零れて身体中が濡れてしまっているが、それでも口に入った僅かな水を、喉を鳴らしながら飲む。
バケツ一つ分また汲みなおさねばならなくなったが、仕方ない。蓮一は続いて彼女の手足を縛る布を解いてやる。
体の自由を取り戻したその女は手首などを触りながら、蓮一の方を見て頭を下げる。
「有難う、誰かは知らないけど本当に助かったわ」
「いや、貴方はこの山の妖怪ですか?」
「……ええ、そうよ。貴方は、ここら辺では見ない顔ね? それに半分が布で覆い隠されてるし」
「ああ、これは、ちょっと色々あって……最近この山に棲みついた妖怪です」
取り敢えず、蓮一は人間とは名乗らなかった。妖怪同士なら襲ってくることはないだろうし、逆にここで人間と答えて目の前の彼女が哨戒天狗の仲間であったら大変な事になる。
「そう、名前は?」
「あ、えと……レンです」
「そう、レンね。私はクラマというの、よろしくね」
「あの、何で着物に絡まっていたんですか?」
「少し悪戯されてね。本当に助かったわ、中腹辺りに落とされてから這いずってここまで上がって来たのだけれど、歳かしらね。体力が尽きてしまって、危なかったわ」
「尋常じゃなく性質の悪い悪戯ですね……妖怪の山って妖怪が集まるだけあって、やっぱり物騒なんですか?」
「そんな事ないわよ? 山の上半分は天狗、下半分は河童がそれぞれ規律を持って管理しているから、揉め事は少ないし、平和よ。間違いなく」
クラマは長い黒髪を揺らしながら笑って自信満々にそう言った。
どうやら蓮一にはこの山に新しく入ってきた妖怪として先輩風を吹かせてくれているらしい。
「で、貴方は何故この山に来たの? レン」
「……俺は、強くなりたくて」
「強く?」
「ある人に勝つために、戦う力を付けるために、この山に修行しに来ているんです」
「そう、それで? 修業ははかどってるのかしら?」
「それが、全くで」
「そうでしょうね、今の貴方、落ち着きがないもの」
「え?」
気が付けばクラマの目が蓮一の心を見透かすように射抜いていた。
急いで目を逸らしたいが、逸らせない。何か視線を逸らしてはいけないという強迫観念にも似た直感が蓮一の身体を支配していた。
「……助けて貰ったお礼にいくつか修行のヒントを出して上げましょうか。まず、貴方、視野が狭いわ」
「観の目、ですか? それは意識しているつもりなんですけど……」
「いいえ、全く全体が見えていないわ。だって貴方の視界、
「っ!」
「貴方は相手ばかりを見て、何より自分の事が見えていない。心に焦燥が生まれて落ち着きがないせいね。もっと心を落ち着けなさい、鏡でも見て」
「え?」
突然、蓮一の目の前に手鏡が差し出される。
もう大分劣化してボロボロだが、丸い木枠で囲まれた小さな手鏡は、どこかで見覚えのある手鏡に思えた。
「どんな事にも言えるのだけどね、自分の求めている答えは大抵自分が持っているものよ。だから、何かに行き詰まった時は、まず自分を見つめなさい」
「自分の求める答えは自分の中に……」
「まぁ、こんな事を娘にも言って手鏡まで渡したのだけれど、あまり効果が無い所をみるとそうでもないのかも知れないわ」
「言うだけ言って台無しだッ!」
はっはっはと高らかにクラマは笑う。
そして、手鏡を置いたまま立ち上がると、上を見上げる。空は夕焼けで真っ赤に染まり、遠くでカラスの鳴き声も聞こえる。
「あの、手鏡は……?」
「いいわ、あげる。助けてくれたお礼。さて、そろそろ帰るかしらね。レン、それじゃあ縁があればまた会いましょう」
「はい、色々ご教授有難うございました」
「いいのよ。あ、あともう一つ。自信を持ちなさい、レン。貴方の師匠は口には出さないのでしょうけど、貴方の身体を見るだけで日々よく鍛錬されているのが目に見えて映える。まるで、そう『巨大な基礎の塊』よ」
「巨大な基礎の塊?」
「平原の真ん中に、城でも建てるかのような広大な基礎工事が着々と進んでいる、と言う感じかしらね」
蓮一はその様子を想像して、喜んでいいのか、悲しんでいいのかよく分からなかった。確かにそんな広大な基礎工事が行われていれば注意は引くだろうが、だからなんだというのだろうか。
「今はまだ、広大な基礎を作っているだけだから、大した事はないかもしれない。でも、それが完成した時、一体どれだけのものになるのか、とても楽しみね」
「そうなんですか……なんか、あまり師匠達にはそういう事言われないので照れます」
「ふ、まぁ、頑張りなさい。貴方が大成するよう、陰ながら応援してるわ」
「有難うございます、クラマさん!」
「それじゃあね、レン」
瞬間、クラマを中心に突風が吹いたかと思うと、既に彼女の姿はどこかに消えていた。
蓮一は結局本当に置いて行ってしまった手鏡を拾い上げ、懐にしまうと、もう一度水を汲みに川岸まで走って行った。
「あれ? そういえば、何でクラマさん、俺に師匠が居る事わかったんだろう?」
☆
天狗の里、その最上の位置に天魔の屋敷がそびえ立っている。
その入り口に一人の女天狗が舞い降りるのが見えた。
「ふう、やっと帰って来れたわ。なんだか結界みたいなものが張られてて厄介だったけど」
そう言いながら屋敷の扉に彼女が手を掛けたその時、後ろから彼女を呼び止める老人の声が響いた。
「全く、今までどこをほっつき歩いて追ったのですかな? 天魔様?」
「あら、一日ぶりね、どうしたの?」
後ろに立っていたのは哨戒天狗達で構成される自警隊の管理を任せている大天狗だった。彼は先々代の頃から幹部を務め続ける唯一の老公。
天魔と言えど、流石に彼には生半可な態度では接せない。大天狗の方を見て笑顔で応対する。
「それをこっちが聞いてるのです。まぁ、その事はいいでしょう、先刻、哨戒天狗隊の椛から報告が届きましてな、報告に参りました」
「そう、中で聞くわ。入りなさい」
「刃空とは和解できたか?」
大天狗の言葉に扉を開けかけていた天魔の手が止まる。
「天魔様。いや、
「無理よ、
互いを真名で呼び合うのは天魔改め鞍馬が天狗の長という証、『天魔』の名を継ぐよりも前の事であった。
大天狗改め猿田彦は大きく息を吐く。
「それに、文には面白い友達もできたようだし。これからはそれに賭けてみましょう」
「友達?」
「ふ、レン、ねぇ。確かに、刃空のいう通り、中々面白い人間だったわね。あの子が今の文の手鏡になってくれるのなら――――」
鞍馬はそこまでで言葉を区切り、後は微かに笑みを浮かべるばかりであった。
軽く元ネタを解説しておきますと、
天魔=鞍馬天狗
大天狗=猿田彦
鞍馬天狗に関しては有名ですね。牛若丸に剣術を教えた八天狗の一人です。
猿田彦に関しては鼻高天狗の元になった日本神話の猿田彦神が元ネタになります。