東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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先週は結局忙しくて執筆間に合いませんでした。すいません。
自動車合宿も無事終了しましたので、また連載再開させて頂きます。


第二十八話「私を見ろ」

 制空圏を持つ者同士の戦いというのは持たざる者達のそれとはその本質が大きく異なる。

 制空圏を持たない者同士の戦いは見た目通り攻撃の当て合い、避け合いだ。自分の攻撃を如何に効率よく当て、相手の攻撃を如何に効率よく躱すか。そこに重点がおかれ、またそれに尽きる。

 しかし、制空圏を持つ者達の意識は少し違う。勿論、攻撃を当て、攻撃を躱す事の重要性が高い事は変わりないが、彼らがより重点を置くのはその先、如何に攻撃を当てられる『位置』を取るか、如何に攻撃を避け易い、あるいは封殺できる『位置』に立つか。

 すなわち、制空圏同士の戦いとは陣取り合戦。如何に相手より有位に陣地を取るか、という戦いである。

 

「く……そッ!」

「どうしました? 私の部下達との戦いで疲れましたか?」

 

 お互いの制空圏がぶつかりあい、反発するように弾きあう。

 しかし、よりそこから遠くまで飛ばされたのは蓮一の方であった。単純な力の差はそこまで見られない。

 椛の方が制空圏を扱う技術が長けているという技量の差。それが蓮一を追い詰め始めつつあった。

 

「くそ……なんて隙のない制空圏。陣地にあと一歩踏み込めない!」

「貴方では私には勝てませんよ。制空圏に関しては私に一日の長がある。あなたでは私の制空圏は破れない」

 

 制空圏同士の戦いの本質は陣取り合戦。より相手の陣地へ踏み込んだ者こそ勝利を掴む。

 しかし、現状、蓮一は椛の陣地に踏み込むどころか逆に彼女に自分の陣地を奪い取られている。このままでは決して勝利は無い。

 

「まさか、ここまで来てさらに隠し玉(制空圏)とか……本当に性格悪いな、お前」

「貴方が単調過ぎるだけです」

 

 言葉を交わし終えるやいなや、同時に二人は前に足を踏み込み、互いに向かって再度突撃していく。

 また蓮一と椛の制空圏が近づき、そして、重なり合う。

 

「おらあああああああッ!」

「さっきよりスピードとキレが上がりましたね。いい突きと蹴りです。確かにこれでは私の部下達も敵わない筈だ。しかし――――」

 

 蓮一の攻撃をことごとくいなし、受け切り、さらに反撃を加える椛。

 一見、蓮一が攻勢に見えるのに、椛に攻撃は当たらず、それどころか、攻撃している蓮一の腹や顔面に拳がめりこみ、再び蓮一はさっきよりも遠くへと吹っ飛ばされていった。

 

「ぐはッ……!」

 

 太い木の幹にぶつかり、蓮一は苦しげな声を洩らし、血と胃液の混ざった痰を吐く。

 そのまま木の幹のもたれかかり、呼吸を荒げている蓮一に近づくと、椛は追い打ちをかけるように言う。

 

「もう一度言います。貴方では私には勝てない」

「――――じゃあ、『私達』なら勝てるのかしら?」

「――ッ!?」

 

 突然、椛の後方の木の上から黒い影が目にも留まらぬスピードで飛び出し、彼女に向かって突撃してくる。

 辛うじて椛が制空圏によりその攻撃を止めた事で、攻撃の主の姿も露わになる。

 

「く……文様ッ……!?」

「文……!」

「遅れてごめん、蓮一」

 

 空中で止められた蹴りを、その場で縦に回転して振りほどくと、そのまま後方に二、三回転して文は地面に立った。

 文とは父親の件以来、ほとんど会話もなく、修行にも顔を出していなかった。蓮一にとっても、文の姿を見るのは久しぶりであった。

 文は、椛と蓮一をその目でしっかり見据えると、口を開き、ハッキリと言い放つ。

 

「決めたわ。私、山を下りるわ」

「え?」

「はい?」

 

 突然の文の言葉に、蓮一と椛は訳が分からず、同時に疑問符を呈した声を洩らす。

 

「私もそろそろ自由に生きてみるわ。風と気の向くままにね」

「な……!? 文様、貴方は……!?」

 

 椛が目を白黒させながら、信じられないという表情で文を見ている。

 天狗は普通、山で生きるものだ。生まれた山に一生棲み、寿命が尽きれば生まれた山へ還る。それが天狗の在り方であり、誇りでもある。

 山を下りるという事はすなわち、下界で生きるという事であり、堕落同然の意味になる。椛のような白狼天狗などの下っ端が命令され嫌々山を下りる事はあれど、烏天狗が、しかも、天魔の息女ともあろう高貴な身分の天狗が自分から山を下りると公言するなど天狗史上あり得ない事であった。

 

「文……」

「蓮一、あなたに言われて決心がついたわ。そう、私は、本当は父さんと居たい。たった一人の父親を忘れるなんてしたくはない」

「…………」

「でも、私、母さんとも居たい。でも、母さんが父さんと居たくないっていうのもわかる。でも、私は両親と一緒に居たい。だから――――」

「…………」

「だから、私が動く事にするわ。父さん、母さん! どうせどっかで聞いてるんでしょ!? 二人はそのままでいいわ! 父さんは高天原、母さんは妖怪の山に居てくれて構わない! でも、その代り、私が父さんと母さんの所に好き勝手行き来するから!」

 

 文は上を向き、どこにいるかもわからぬ刃空と天魔に向けて声高く叫んだ。

 その彼女の表情は蓮一が六日間彼女と寝食を共にして見た表情の中で、最も生き生きとし、輝いたものだった。

 文が一通り言い終えると、顔を下げて椛の後ろに立つ蓮一の方に視線を向ける。

 

「どうかな……蓮一?」

 

 少し、不安気に蓮一の言葉を待つ文。

 彼女に向かって蓮一は満面の笑みを向け、彼女に答えた。

 

「ああ、最高だ!」

「――! ……うん!」

 

 文は蓮一を見て、心底嬉しそうな表情で笑った。

 しかし、二人の間に立つ椛だけは恐らくはその真逆の感情を表情に僅かに出していた。

 

「ふざけないでください、文様。天狗が山を下りる? それが一体……どういう事なのかわかってッ……!」

「ケジメはつけるわ」

 

 激昂し、今にも飛びかかりそうな椛に一歩も怖気づかず、むしろ一歩前に進むと、文は懐から小刀を取り出し、それを掲げ、そして――――。

 

「なッ!?」

 

 文のたなびかせていた長く、美しい黒髪。それを片手で手荒く纏め上げると、掲げた小刀で勢いよく切り落とした。

 激昂から一変、驚愕の表情で固まる椛。

 女性の髪というのは命とも天秤に掛けられる存在だという。それは人間も、妖怪も変わらず、なればこそ、女性は皆自分の髪というものは極めて丁寧に、大切に扱う。

 それを躊躇なく切り落とす事で、文は今、自分の決意の強さを示した。

 切り落とした黒髪の束を地面に落とし、短髪になった文は続ける。

 

「今、この時点を持って、私の持つ地位と権限を全て捨てるわ。つまり、私はあんた達哨戒天狗と同等かそれ以下になったって事よ」

「な……!? 何を言って……!?」

 

 動揺を隠せず、まともに言葉が出ない椛にさらに一歩、文は彼女に詰め寄った。

 椛は、その異様な威圧感に、一歩退いてしまう。

 

「私は自由を手に入れるために、全てを捨てる……!」

「…………もう一度言う。巫山戯(ふざけ)るな、射命丸文」

 

 椛は静かに、しかし言葉に確かな憤怒を込めて彼女をこれまでにない殺気で睨み付けると、ゆっくりと拳を構えた。

 今、蓮一と文は椛を挟み撃ちするような立ち位置にある。このまま同時に攻撃を仕掛ければ、今の椛の興奮状態ならば、あるいは彼女の制空圏に綻びを見つけられるかもしれない。

 蓮一は木の幹に手を突きながら立ち上がると、深呼吸を繰り返し、呼吸を整え、再度制空圏を張る。

 

「絶対に、この山からは出さない。一歩たりとも、だ」

「行くわよ、蓮一。二対一だからって、卑怯だとか変な気起こさないでよ? こいつはそれだけやって向かい討たなきゃならない相手よ……!」

「当たり前だ! それに、ここで勝たなきゃ何も意味がないんだッ!」

 

 蓮一と文は同時に椛へと攻撃を仕掛けて行った。

 

 

「第八武長、ジャンヌダルク」

「はい」

「第七武長、ジークフリート」

「ここに」

「第六武長、アキレス」

「はーい」

「第五部長、ムサシ」

「おう」

「第四武長、クーフーリン」

「あいよ」

「第三武長、ベオウルフ」

「ああ」

「第二武長、ヘラクレス」

「うむ」

 

 アーサーは自警団八武長を一人一人呼び、点呼をとる。

 アーサーに呼ばれた八武長達も呼び声に応じてそれぞれ卒なく返答する。

 一見、ただの人数確認か戦力確認の点呼に過ぎない。しかし、背後が炎の壁に遮られたことにより後ろに続いていた部隊と切り離され、大打撃を受けた上に、燃え広がりゆく炎がやがてはこのスラムからの脱出も困難にさせていくであろうこの刻一刻を争うこの状況でその様子はあまりにも異様だった。

 指揮系統を失い、戦力を削がれ、そしてジワジワと逃げ場もなくなっていく。すなわち死が迫っている時に、彼ら八武長は皆至って冷静過ぎていた。

 死が迫っている事に気付いていないのか、あるいは実感がないのか。

 またあるいは、この程度では死に遠すぎるというのか。

 

「これが我々の現存している主力大隊だ」

「大隊っていうかもうこれ小隊だよねー? 敵の拠点に辿りつく前からこんなんで本当に大丈夫?」

 

 八武長の中でも一番の年下である少年、第六武長アキレスは嘲笑うような口調でアーサーに疑問の言葉を呈した。

 しかし、生意気盛りな年頃である事は全員承知の上か、その明らかに不敬な口のきき方に怒りを露わにする者は一人もいなかった。

 一人は微笑ましいと笑みを浮かべ、一人はやれやれと呆れた表情で眉間を押さえ、ある者はほとんど意にも介してさえいない。

 

「ああ、その通りだ、アキレス。我々はあの武村という男の実力を見誤っていたらしい。しかし、だから何だと言うのだ?」

 

 アーサーはアキレスに言葉を返し、その後、並び立つ八武長達にも同じように問いかけるかの如く視線を向けた。

 

「確かに我々はたった八人だ。あの炎の壁の向こうに残った大隊達も一旦引き返し、消火活動を始める事になるだろうから、実質援軍も期待できない。だが、それがなんだ? 今のこの状況を少しでも不安だと、危険だと、勝てないなどと微塵でも感じている者がいるのならば、今すぐ戻って消火活動を手伝え。勝つ気の無い者に戦場に立つ資格はない」

 

 誰も首を縦には振らなかった。決してアーサーの言葉にビクついて動かないのではないし、そんな者は八武長に存在しない。まごう事なく本心で彼らは当然のように勝つ気でいるのだ。

 アーサーは鎧の下で笑みを浮かべ、続ける。

 

「いいだろう。ならばこれより、反撃作戦を開始する。お前達に下す命令は唯一つ」

 

 アーサーが不意に八武長達に背を向けて腰の剣を引き抜くと、武村が居るであろうスラムの中心部に向けてその矛先を向ける。

 

見敵必殺(サーチアンドデストロイ)! 見敵必殺(サーチアンドデストロイ)だッ! 全員、敵を遊撃しながら武村を目指し、これを征討せよ! この戦争を迅速且つ圧倒的に終結させよ!」

「了解ッ!」

 

 瞬間、八武長達はアーサーを残して四方八方に散り、すぐに見えなくなっていった。

 アーサーもゆっくりとスラムの中心部へ向かって足を踏み出す。

 

「武村、お前が敵に回した相手がどれだけ常識外れか見せつけてやろう」

 

 そして、それから数刻が経った頃、異変は起こった。

 

「た、武村さん! 何か、各所で何かが徐々にこちらに向かって来ているッス!」

「そうか、やはり生きていたじゃな~い。自警団の最高戦力、八武長。よし、端の方で遊撃させていた部隊をここに集めて守備を固めるじゃな~い」

 

 ヤスからの報告に待っていたとばかりに武村は立ち上がって指示を出す。

 しかし、ヤスが無線機に向けていくら声を掛けても遊撃隊からの反応は帰って来ない。徐々にヤスの顔が青ざめていくのがわかった。

 

「た、武村さん! 遊撃隊からの反応……ないッス」

「まさか、やられたのか……?」

「おい! 武村、やべーぞ!」

 

 ヤスの報告が終わるのと同時に今度は宇喜畑が武村達の元へ走って来た。

 

「スラムの各地で待ち伏せさせていた奴らが全員やられた! クソがッ! あいつら何者だよ!?」

「……馬鹿な、攻撃範囲が広すぎる。もしや別の部隊が生き残っていた? 宇喜畑、敵は何人かわかるかい?」

「ああ、敵は……八人。敵はたったの八人だッ!」

「なんだって……?」

 

 八人。つまりは自警団八武長だけが現在進撃している敵であり、そのたった八人の戦力にみるみるうちに形勢が覆されているのだ。

 武村の頬を汗が伝った。

 

「全トラップ装置を解除、少しでもここに近づけないよう足止めするじゃな~い!」

「実は……それはもうやってるッス」

「何……?」

 

 その時、まだ通信が繋がっていた無線機の一つから声が流れた。

 

『う、うわ、来た! 来たぞおおおお!』

『今だ、トラップ、作動! よし、やったか……え? ち、違う、まだだ! 一体なんで……うわ! 来た!』

『うわああああああああああああああ!』

 

 そこで無線機からの音声は一旦途切れた。

 そして、すぐに別の、墓吐武頭のメンバーの誰の声でもない何者かの声が響いた。

 

『武村、そして墓吐武頭。私が指揮官の第一武長アーサーだ』

「なっ!?」

 

 武村を含め、その場の全員がその声に、言葉に絶句し、固まった。まるで蛇に睨まれた蛙のように、その場の誰もが目の前にはいない筈の、無線越しのアーサーの声に恐怖かそれに近い感情を抱いていた。

 

『待っていろ、我々はもう数刻もすればお前達の仲間を一人残らず殲滅し、お前の元へと到達する。そう、もうすぐだ』

「…………」

 

 そこで無線機は壊されたのか通信自体が途絶えてしまった。

 しばらく重苦しい空気が武村達に残され、誰も口を開けずにいた。しかし、武村は大きく息を吐き、傍にあった綿の抜けきったソファに倒れ込むように座ると、小さく笑い始めた。

 その武村の様子に皆同じく何も言えない。

 

「くく、あっはっはっは! 仕方ない、もう策は尽きた。よし待とう、ここでゆっくりコーヒーでも飲みながら」

「た、武村さん!? 今すぐ逃げれば絶対あいつらも追って来れないッスよ!?」

「それはできない」

「なんでだよ!?」

 

 ヤスと宇喜畑が諦めた様子の武村をなんとか外へ連れ出そうと引っ張るが、彼はビクともせず、その場から決して動こうとはしなかった。

 

「お前達は逃げろ。ここには僕一人が残るじゃな~い」

「何言ってんだ!? ここでお前一人置いて行けるか!」

「だからと言って僕が逃げる訳にもいかない。それは、まだ戦っている、そして戦ってくれた墓吐武頭のメンバーを裏切る行為だ。ここの頭として、それだけはできない」

 

 武村の目に、言葉に、威圧され、ヤスと宇喜畑は武村を引っ張る腕を力なく下ろした。

 そして、武村に背を向け、出口への階段を下りていく。

 

「……下に待機してる奴らも一緒に逃がしておく。戦闘不能になった奴らも必ず全員助ける。墓吐武頭はここじゃ終わらせねぇ。だから、てめぇも必ずまた帰って来い。いいな?」

「……何言ってんのさ、当然じゃな~い?」

「武村さん……」

「行くぞ、ヤス」

 

 最後まで武村の方を見ていたヤスを半ば引きずって行くように、宇喜畑はその場を後にした。

 一人残った武村は本当に周りの仲間が行ってくれた事を確認すると、笑みを浮かべ、今まで頑として動こうとしなかったソファから軽快に立ち上がった。

 

「よし、これでいい。ここからの戦いにあいつらは巻き込めないじゃな~い」

「――ホー、ホー。ようやく本番という訳ですか?」

「よう、居たのか。化物」

 

 いつの間にか武村の後ろに上半身は梟、下半身は人間のような成りをした鳥人が立っていた。

 武村は鳥人の姿を捉えると、屋上へと出てそこから真下に広がる戦火を見下ろす。

 スラムの街は炎に焼かれ、最早、逃げ道は無いように思われた。しかし、このスラムで十数年生き延びた自分達なら。ここから抜け道を辿って脱出できるだろう。

 宇喜畑達が何とか無事で済みそうな事を確認し、次にここに向かって来ているであろう八武長の姿を適当に探す。

 勿論、人間の視力でただでさえ入り組んだスラム街を見渡して数人の人間を見つけるなど不可能だが、とりあえずこの建物付近にはまだ近づいて来てはいないようであった。

 

「まぁ、上々じゃな~い」

「ホーホー。後は餌に釣られた八武長達を殺すだけ。それで貴方の『野望』は完遂される」

「おいおい、簡単に言ってくれるじゃな~い。あの八武長を殺すなんて君にできるのかい?」

「ええ、貴方の協力さえあれば簡単ですよ」

 

 真っ黒な丸い瞳で武村を見つめながら鳥人は淡々と言い放った。

 

「人間を殺す方法なんて、いくらでもあるのですよ」

 

 ホー、ホー、と鳥人はまるで笑っているかのように鳴いた。

 

 

「うおおおおお!」

「はああああ!」

「……ッ!」

 

 蓮一、文の同時攻撃で、ようやく椛の顔から余裕が消えていくのがわかった。

 徐々に制空圏を押し潰していくように間合いを詰めていく蓮一と文。その両者に挟まれながら二人の攻撃を掻い潜り続ける椛。

 制空圏使い二人対一人。陣取り合戦の観点から言って椛が追い込まれていくのは至極当然の事であった。

 蓮一の拳が椛の頬を掠り、文の蹴りがガードした左腕の骨を軋ませる。

 制空圏は重なり合い、そして、奪い合う。

 

「攻撃をやめるんじゃないわよ!? 一気に勝負を決めるわ!」

「わかってる!」

「…………」

 

 さらに蓮一と文の攻撃の威力、スピード、キレ、何もかもが上がっていき、椛が全ての攻撃を捌き切るのにも限界に近づいて来ていた。

 一撃。一撃当たってしまえばおそらく勝負は決まるだろう。

 このままでは負ける。その状況が酷く冷静に自覚できていたにも関わらず、椛がこの息も詰まるような激戦の中で考えていたのは、状況の打開策ではなく、自分の怒りへの疑問だった。

 

――何故、私は射命丸文を山から出したくないのだろう。

 

 椛の脳内はその疑問の答えを探していた。

 戦いなどほとんど反射的に防御するのみで、あくまで思考のための時間稼ぎのようなものであった。

 本来の彼女なら決してそんな事はしなかっただろう。だが、今の彼女にはその疑問に答えを出す事がどうしても重要に思えていた。

 

――何故だろう。私は、思えば最初から目の前の射命丸文という女が気に入らなかった。しかし、彼女の何が気に入らなかったのか、今一釈然としない。

 

 稽古に付き合った際に手加減されたから。自分とは真逆で全てに恵まれているから。我が侭だから。何の苦労もしていないから。

 いや、違う。椛は断言した。

 そんな表面的な事柄で私はここまで誰かを目の敵にはしない。

 では、何故か。椛の思考はそこから前に進めなかった。

 

「――ッ!」

 

 蓮一の手刀が頸動脈付近を掠る。

 霊力が込められているためか、当たり所が悪かったのか、あるいはその両方か。僅かに意識が暗転しかけ、椛はより一層追い詰められていく。

 

――しまった、少し油断するとさらに追い詰められる。この拮抗状態もおおよそ数分で崩れるだろう。

 

 それでも、椛は思考を重ね続けた。

 今の彼女にとってこの場での戦いの勝敗はもう半ばどうでも良いものだった。今は自分が何を思って怒ったのか。

 それがわからないのが異様に気持ち悪かったのだ。

 

――何故だ。これまでも射命丸文のような天狗はたくさんいた。それ以上に腹の立つ輩だっていた。何故私は彼女に限定的に拘り続けるのか。

 

「くそ……こっちは後ろから攻撃しているのに、未だに一撃も直撃しないなんて……!」

 

 蓮一は文と挟み撃ちをする形で椛を攻撃している。そうなれば、当然、椛は迎撃のためにどちらかの方へと身体を向ける事になるが、今の所、それが蓮一の方へ向けられた事はなく、しかも椛の制空圏を深くまで侵しているにも関わらず未だに攻撃が一発も当たらない。

 自分の未熟な制空圏は自覚している。しかし、一切蓮一を見ないままにその攻撃を捌かれ続けるのには流石に思う所があった。

 

「くそ……!」

「ッ!? 蓮一!? 焦ったら駄目よ!」

 

 痺れを切らし、蓮一が行動を起こした。

 さらに椛の制空圏の内側へ。その中心へと強引に足を踏み込み、さらに接近した。

 

「こっちを……こっちを見ろ、犬走椛ッ!」

「――ッ!」

 

 蓮一は椛に向けて掴みかかろうとその着物の襟に手を伸ばす。

 しかし、その手は襟の布に僅かに届かず、そして一瞬にして遠のいていった。

 不用意に踏み込み過ぎた蓮一が椛の迎撃に対処しきれず吹っ飛ばされたためであった。

 

「蓮一……この馬鹿!」

 

 罵声を浴びせながら、文の攻撃はさらに激しさを増していた。椛に反撃に出られ、今まで徐々に詰めてきた制空圏が崩れれば台無しである。

 文の攻撃を同じように迎撃しつつ、椛は今の蓮一の言葉を脳内で反復していた。

 

『こっちを……こっちを見ろ、犬走椛ッ!』

 

――こっちを、見ろ? 見ているさ、蓮一。お前は敵で、侵入者で、罪人なのだから。私がお前を見逃す筈がない。

 

 椛は木にぶつかって力なく倒れ込んでいる背後の蓮一に目を向けぬまま心の内でそう言った。

 そして、そこでようやく気付いた。

 

「ああ、そうか、私は――――ぐッ!?」

 

 椛は鈍い痛みを脇腹に感じる。

 文の攻撃ではない。それは、さっきまで木の近くに倒れていた筈の蓮一が繰り出した渾身の突きだった。

 完全に椛の油断が引き起こしたものであった。蓮一を吹っ飛ばし、それでもう蓮一は立ち上がって来ないと思い込み、認識を外してしまっていた。

 驚愕を露わに、同時に椛は悟ってしまった。

 自分の敗北を。

 

「こっちを見ろって、言ったろ……!」

「……想定外に頑丈ですね、あなたは」

「悪いわね、今度はこっちを向きなさい」

「しまっ――――」

 

 視線を蓮一から正面に戻したその時、椛の顎に真下から文の強烈な膝蹴りが直撃した。

 視界が無理矢理上の方へスライドし、脳が揺れているのが視界と朦朧とする意識から理解できた。

 その後はもうなされるがままだった。椛は文の連撃を防御しようとも、避けようともしない。

 ただ文の攻撃を受けるだけのサンドバッグのような状態になっていた。

 

「ガッ……ハッ……コフッ」

 

 こめかみを横殴り、腹を拳で押し潰し、肝臓をフックで抉り、文は椛に怒涛の攻撃を叩き込み続ける。

 小さな呻き声を時折上げながらも、椛は不思議と充足感に満たされていた。

 

――私を、見て欲しい。

 

 それが、白狼天狗である犬走椛の持つ唯一の願いであった。

 生まれた時から下っ端としての身分の彼女が最も恐れたのは山の中の他の妖怪や神、獰猛な獣でもない。

 自分を見る天狗達のゴミを見る目。

 まるで自分に価値がないかのような、必要とはしていないような、自分を自分と見てくれないという事に椛は恐怖していた。

 必要とされない白狼天狗は死あるのみ。幼い頃から過ごしてきた厳しい差別階級の生活は彼女に必要とされなくてはならない強迫観念を植え付け、同時に自分を一人の天狗として扱って欲しいという願望を生んだ。

 だから、椛は誰よりも強くなった。強くなれば必要とされるから。

 だから、椛はより上の階級へ上り詰めた。差別階級を脱すれば自分を一人の天狗として見てくれるから。

 だから、椛は文と出会った時、衝撃を受けた。ようやく哨戒天狗の誰よりも強くなり、白狼天狗では成し遂げられなかった自警隊隊長の階級まで上り詰め、他の天狗達が自分を、犬走椛を『ゴミ』や『下っ端』ではなく、犬走椛と見てくれるようになった。

 しかし、射命丸文だけは違っていた。

 彼女は椛の事を『ゴミ』や『下っ端』などとは見てはいなかった。

 そもそも、椛の姿はあの時の文には映っていなかった。まるで窓、その窓を通して映る景色を見ているだけで、窓自体は決して見てはいない。

 椛自体の存在を否定するかのような気持ちの悪い透明感が文の瞳に映る椛にはあった。

 

――だから、私は嫌だった。私を私として見てくれない射命丸文が恐ろしくて仕方がなかったのだ。

 

 だから、気に入らなかった。

 だから、根源的な恐怖を文への怒りで紛らわせ、椛は彼女を目の敵にするようになった。

 だから、文達の事を徹底的に追い詰め、自分の存在をどんな形であれ彼女に刻み付けたかった。

 だから、私を見ないまま勝手にどこかへ消えるのが許せなかった。

 

――私は、貴方に私を見て欲しかった。

 

 文の蹴りが側頭部に直撃し、その蹴りの軌道に巻き込まれる形で、そのまま椛は地面に頭から叩きつけられた。

 

――でも、もういい。

 

 椛は殴打で腫れ上がった両目をしっかり開け、目の前で拳を構える文を見た。

 逆光で彼女の姿は影のように黒く、見え難かったが、彼女の目にはボロボロで地に倒れたみすぼらしい自分の姿が綺麗に映り込んでいた。

 

「椛、決着よ」

「ええ……そのよう……ですね。もう、どこへなりとも行けばいい。好きに……してください」

「うん……ありがとう、椛」

 

 その言葉を最後に文の拳が振り下ろされ、椛は完全に戦闘不能となり、意識を失った。

 

――ああ、やっと。やっと、私の事を見てくれた。

 

 激闘の末の苦渋の敗北。それにも関わらず、あまりに安らかな表情で気絶している椛の姿が蓮一にはとても印象的に思えてならなかった。

 

 

「……さて、じゃあ、行くわよ」

「え?」

「え? じゃないわよ、里に帰るんでしょ!? 急ぎの用なんでしょ!?」

「ああ……え? お前も来るのか?」

「当たり前でしょ! 私が山を下りるって言ったの聞こえなかったの!?」

「ええ? でも師父がいないと……」

「里まで私が飛んでってあげるわ。幻想郷の地図は頭に叩き込んであるから大丈夫よ」

「え、でも……」

「えーえー五月蠅いわね、いいから、早く掴まんなさいッ! ウスノロ!」

「ウスノロ!?」

 

 文のまくしたてるような言葉に押され、困惑しつつも文と共に人里へ向かう事になった。

 

「いい? 今からかなり飛ばすから、しっかり掴まっときなさいよ。大体三十分で着くと思うから」

「え!? 早いな!?」

「父さんはあんたの身体の負荷を考えてのろのろ飛んでたのよ。私はそういう気遣いしないから安心してもがき苦しみなさい」

「え、負荷!? え、もがき苦しみ!? ええ!?」

「行くわよッ!」

「ぐああああああああああああああああああああああ!」

 

 刃空の時とは比較にならない速度であっという間に文と蓮一は空の彼方へと消えて行ってしまった。

 その様子を、見ていた二人の天狗が居た。

 射命丸刃空と天魔の二人である。

 

「追わなくていいね? 一人娘がお前の元から去って行ったようだけど」

「いいのよ。あの子もそろそろ独り立ちさせないとね。それに、永遠の別れという訳でもないわ」

 

 天魔はそう言って、どこか寂しげな笑みを浮かべると、文の去って行った空をいつまでも見つめ続けていた。

 

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