人里伍番エリア、スラム街最奥部、周囲の建物は先刻アーサーに破壊されたものを除き一切見当たらない荒れ地。
街は燃え盛る火に包まれ、逃げ場は徐々に無くなっていく中、風と共に肌に伝わってくる熱気を感じながら荒れ地には三人の武人が立っていた。
武村、アーサー、そして蓮一。炎に包まれたスラム街で最終決戦がついに始まろうとしていた。
「――何で君がこのタイミングで、しかも空から現れたのか。気になる点はたくさんあるが、そんな事はもうどうでもいい。やっと、この時が来た。君の『活人』と僕の『孤高』、どちらが上か、決着の時……!」
「武村、お前の相手はこの私だ」
蓮一に向けて嬉々として笑いかける武村に対し、アーサーは威圧的な口調で蓮一と武村の間に割って入る。
それを見た武村の表情がみるみる面倒そうなものに変化していくのが誰の目にも見てわかった。
「……アーサー、良い事を教えてあげよう。さっき君は僕に協力者がいると言ったね?」
「ああ、その力は人間のものじゃないな? 人外の者から何かしらの対価を支払って得られる類のものだろう」
「御名答。そう、僕には墓吐武頭の他に化物の仲間がいる。では、その化物は今一体どこで何をやっていると思う?」
「…………」
顔全体が包まれたヘルムの下のアーサーの素顔がその時どのような表情をしているのかはわからない。
しかし、少なくともそれは穏やかなものではなかっただろう。今にも武村に襲い掛かってしまうかのような、妖怪のそれにも劣らぬ殺気が、沈黙に佇む彼から放たれているのだから。
「さぁ、君は知ってしまった。知ったからには選ばなくてはならないじゃな~い。仲間を助けに行くか、それとも仲間を見殺しにするか。人でいるか、鬼となるか」
アーサーは何も言わず、握り拳を固め、目の前で卑しく笑う武村を睨みつけるばかりであった。
アーサーは指揮官だ。武村を倒すのが指揮官として彼に課せられた使命であり、同時に仲間を守るのは一人の人間としての彼の持つ使命だ。彼は今試されていた。武村を取るか、仲間をとるか。
心を鬼とするか、人情を優先するか。
鬼となるか、人でいるか。
それから数秒の沈黙の後、アーサーは決断した。
「すまない、武村を頼む……!」
「はい!」
アーサーからそう頼まれ、蓮一は力強く返答する。
きっと様々な葛藤があったに違いない。それでもアーサーは敵よりも仲間をとった。人である事を選んでくれた。
その気高い精神に蓮一は敬意を持って力強く彼の言葉に応えた。
蓮一からの返事を聞くと、一目散にアーサーは二人に背を向けて仲間の元に向かい、走り去っていった。
そして、荒れ地にはついに蓮一と武村、その二人だけが残された。
「これで邪魔者はいなくなった。これで思う存分戦えるじゃな~い」
「その前に聞いておくことがある」
「なんだい?」
「小夜さんはどこだ?」
「ああ、その事かい? 大丈夫だよ、安全な場所にいる。今は他の墓吐武頭と一緒に避難してる筈じゃな~い」
「場所はどこだと聞いている」
「そうだねぇ、僕に勝ったら教えてあげるじゃな~い」
飄々と蓮一の追求を躱す武村に、これ以上の詰問は意味をなさないと蓮一も拳を構える。
おそらく武村の言っている事に嘘はないのだろう。そこまで深く分かりあったつもりはないが、確証はある。
自分との戦いに勝ったらと彼は言った。すなわち、自分の武に誓ったのだ。自分の嘘に自分の武を賭ける程、武村に武人としての誇りがないとはとても蓮一には思えなかった。
「わかった、武村さん。あなたを倒す!」
「よし、じゃあ、僕からも一つお願い良いかな?」
武村は蓮一と己の武に誓い、約束をした。ならば、武村からの要求も蓮一は飲んで然るべきである。
蓮一に否定の言葉はなかった。
「武村『さん』っていうのはもうやめてくれよ。僕達はこれから
「……わかった」
「よし、じゃあ、始めようか! 蓮一!」
武村が再び黒いオーラと動の気を全開にして拳を構える。
「ああ、行くぞ、武村!」
そして、二人の足が互いに向けて踏み込まれ、闘いが始まった。
☆
「ふぅ、蓮一の奴大丈夫かしら? 結構高い位置から落としちゃったけど…………まぁ、あいつの頑丈さなら大丈夫か」
つい先刻、妖怪の山から人里まで蓮一を運び、謎の光と爆発が起こった付近でそのまま彼を投下してきた文は人里の外周の空を飛びながら一人、落としてきた蓮一がどうなったか考えていた。
「椛や他の哨戒天狗との戦いもあったから結構疲れてるだろうし、もう少し優しく下ろしてやるべきだったかな……いや、それよりも傷薬とか塗っておくべきだったんじゃ……」
文は今頃になっていくつかの後悔を馳せながら、さっきまで蓮一の身体を抱えていた自分の両手を見つめる。
既にその手の中には蓮一はおらず、両手は彼の重みから解放されて羽のように軽く感じる。
「……蓮一、結構重かったな」
さっきまではあった重みが何故か恋しくなった。
「――文? こんなところで何してるね?」
「うひゃあ!?」
じっと、両手を見つめ思いふけっていた文の背後から突然、聞き覚えのある声が聞こえ、思わず、文の口から奇声が上がる。
「わ、悪かったね。そんなに驚くとは思わなかったね」
「と、父さん……帰って来たの……?」
「ああ、あの後すぐに天魔が解放してくれたね」
背後にいた刃空に文は大きく息を吐いて脱力する。
驚いたせいか、まだ心臓の鼓動が早い。
「それで、蓮ちゃんはどうしたね?」
「……蓮一は、もう戦いに行ったわ」
どこか寂しげに呟く文に、刃空は慰めるように言う。
「大丈夫ね。蓮ちゃんは強いね、きっと帰ってくるね。だから、心配しなくても――――」
「し、心配なんてしてないわよ!」
「え、でもなんだか文が物寂しそうにしてたから、てっきり」
「そんな訳ないでしょ!? こ、ここまで運ぶのに少し疲れてナイーブになってただけよ!」
「そ、それはすまんね……」
急変して刃空の言葉を全否定する文の様子に刃空はどうすればいいかわからず、何故か謝ってしまった。
「……ちょっと、様子見に行ってくる」
「え? 蓮ちゃんのかね? やっぱり心配してたんじゃ――――」
「違うわよ! ここであいつに死なれるとここまで運んできた私の目覚めが悪いじゃない! それに、何故か街は火事みたいだし……戦いに勝っても逃げられなくなってるかもしれないし……」
「…………それって、やっぱり心配――――」
「違うって言ってるでしょ! 父さんの馬鹿!」
「ええっ!?」
刃空に罵声を浴びせ、文は逃げるようにまたスラム街の方へと飛び去って行ってしまった。
刃空は半ば放心状態で娘が飛び去っていくのを見送っていた。
「……年頃の娘の気持ちがわからないね」
刃空はぽつりと呟く。
そして、文の言葉の中に街が火事だという情報があったのを思い出し、すぐに刃空もスラム街に向けて飛んでいこうとする。
しかし――――。
「む? あれは……?」
視界の端に映った里の建物の一角。他の木造の屋敷とは違って何故か煉瓦造りの西洋風な屋敷があった。
しかし、それ以上に目に留まったのはその屋敷に入っていく武器を持った屈強そうな男達。
見るからに怪しい光景であった。
「むむ、これは悪事の予感がするね。しかし、火事の方も放っておけないし、どうしたもんかね……ん? あれは?」
次に刃空の目に入ったのは屋敷から少し離れた大通りを歩いている数少ない知人の姿であった。
「おーい、霖之助どん! こんな所で何してるね?」
「刃空殿? という事は蓮一君も帰ったんですね!?」
「ああ、今頃は宿敵と再戦している筈ね。それよりも力を貸して欲しいね」
里を歩いていた霖之助を偶然発見し、刃空は彼の元に助けを求めるべく彼の正面に降りていく。
周辺の人々から奇異な視線を向けられているが、今は仕方がないと、刃空は周りの視線を無視して話を進めた。
「――成程、怪しい屋敷にスラム街の火事ですか。では、すぐに火事の方に向かいましょう」
「怪しい屋敷の方はどうするね?」
「大丈夫です。そっちの方にはついさっき心強い味方に向かって貰いましたから」
「ん? まぁ、いいね。そう言う事なら早くスラム街に向かうね!」
刃空は霖之助を抱えると、再び翼を羽ばたかせ空へと舞いあがると、スラム街に向け、全速力で飛んで行く。少しして、すぐに真っ赤に燃え上がるスラム街の惨状が目の前に広がった。
「拙いな、火が大き過ぎる……! 刃空殿、ここは一旦人々の救助を優先しましょう!」
「わいちゃんの風で炎を吹き飛ばすのは駄目かね?」
「駄目です! 火を余計に大きくしたり、火の粉が飛んで火災が広がる可能性が大きいです」
「じゃあ、どうやって消火するね!?」
「僕は一旦、ここで降りて避難の誘導をします。刃空殿は急いで幽香や阿八、鈴鹿を高天原から連れて来てください! 少しでも燃え広がらないために、火の回っていない建物を壊します。そのために人員が必要です!」
「わかったね!」
「後、それが終わったら刃空殿にやって頂きたい事があります」
そして、指示を終えると、霖之助はその場から火の海と化したスラム街へと一直線に落下し、両手と片膝をついて、地面に着地した。
すぐそこにおそらくは自警団と思われる集団がバケツリレーで水を運んでいるのが見える。
「君達! 自警団の人達だね!?」
「あ、まだ避難できていない方がいらっしゃったんですね!? 早くこっちに!」
「いや、違う。僕は君達を助けに来たんだ」
常人でもある程度妖怪の放つ妖気というのは本能的に察知できるものである。しかし、霖之助は半妖の上に妖気を隠す技術にも長けているので、自警団の団員達には彼が妖怪の部類には見えなかったらしい。
避難誘導を行おうとする団員の一人に霖之助は救援に来たと強引に押し通り、状況確認を行う。
「スラム街の人々の避難状況は?」
「は、はい、墓吐武頭のメンバーを除いてはおおよそ完了しています」
「負傷者や死傷者は?」
「軽傷の者が多数です。死傷者は今の所いません」
「流石だな。この火災の原因は?」
「おそらくは墓吐武頭の仕掛けていた爆薬によるものです。私達大隊が進軍中に急にあの建物が倒壊して、それから炎が……」
団員の指差す先に、巨大な炎を上げる建物の倒壊した姿があった。
あれが倒れて来たのなら大隊はひとたまりも無いだろう。
「それだけの攻撃を受けて、君達自警団に死傷者はいなかったのかい?」
「は、はい。団長が、辻秋さんが倒壊する建物から私達を助けてくれて……先頭にいた八武長の方々は倒れてくる前に建物の横を走り抜けていきました」
「ほぉ」
思わず霖之助は感心してしまった。
突然、建物が倒れてくるという状況で混乱状態の部隊を一人の死傷者を出さずに救った辻秋に関してもだが、その建物の倒壊に対し、迷わず前へ走り抜けていった八武長達の判断力も大したものであった。
急に建物が自分達目掛けて倒れてこようものなら、普通は足が止まるか必死に後退しようとする。しかし、大隊で動いている以上は急に後退する事などできない。だから、理想としては建物の付近にいる者は前へ、少し離れた場所に居る者は後ろへと動くのが望ましい。しかし、それが実際に出来るかどうかと言えば、無理だ。
だが、先頭を歩く彼らは逆に前へ進んだのだ。倒壊し、倒れてくる建物恐怖に打ち勝ち、正しい判断をした。
その心臓の強さと頭の冷静さに霖之助は素直に感嘆した。
「よし、おおよその状況はわかった。さぁ、君達自警団もすぐに避難するんだ。もうこの火災はそんな少量の水ではとても抑えきれない」
「できません! 八武長の全員がまだ敵と戦っています! 私達だけ先に逃げる訳には……!」
「君達の団長は命を投げ捨てるような行動を許すのかい?」
「しかし……!」
霖之助は悔しそうに唇を噛む団員の肩に手を置き、労わるような優しい口調で言った。
「君達のその使命感は素晴らしい。だが、如何なるものも命とは決して釣り合わないんだ。君達はまだ若い。そんな風に命を粗末にしないで欲しい。生きて、これからも里を守って欲しいんだ」
「…………わかりました。しかし、避難は我々だけで出来ますので誘導は必要ありません。貴方はどうするんですか?」
「うん、他に避難し損ねた人がいないか見回るよ。後、弟子も迎えにいかないとね。ねぇ、皆?」
心配そうに霖之助を見る団員に向けて、霖之助はそう笑いかけながら、団員の背後に視線を移す。
団員がその視線の先に気付き、慌てて後ろを振り向くと、そこには高天原の全員が勢揃いしていた。
「全く、仕方ないから来てやったわよ」
「アバ!」
「うわ~、ここ暑……い」
「霖之助どん! 全員連れて来たね!」
「さぁ、私達はここからどうすればいいの、霖之助?」
「あ……ああ! 巫女様や阿八さんまで……!」
団員は並び立つ面々に口を開けて驚き、視線を霖之助に戻す。
「ま、まさか……貴方達が……噂の高天原!?」
「よし、じゃあ皆。まだ火が移ってない建物を片っ端から壊してくれ。その時、中に逃げ遅れた人がいないかも必ず確認して欲しい。刃空殿はさっき頼んだことをお願いします」
「わかったわよ」
「アバ! 壊すのは得意よ!」
「ちゃんと人がいないか確認してから……ね」
「よし、やったるね!」
「さぁ、さっさと片付けて私達の弟子を迎えに行くわよ!」
靈夢の声と共に全員がスラム街の各所に一瞬で散っていった。
それを唖然として見ていた団員達は我に返り、急いで避難を開始した。
「あれが、高天原……」
全員、ものの数秒見ただけの高天原の面々にすっかり圧倒されてしまっていた。
☆
「シュッ! シュッ!」
「はッ!」
武村から放たれる鋭いジョブ。以前はまともに避けられなかった速度のパンチ。リングのコーナーを利用した制空圏もどきでようやく対応できたものだ。しかし、今の制空圏を完璧にマスターした蓮一にはそれをいなし、かつ反撃に出る事すら容易い。
右、左、と顔面に向け放たれた拳を軽く首を動かして最小限の動きで避けると、一気に武村の懐目掛けて踏込み、正拳突きを放つ。
「ぐっ……!」
妖怪の山での修行や椛達哨戒天狗との戦いを経て、基本的な筋力や技のキレも格段に上がっている。
そのせいか、今腹部に入った一撃で武村は足をよろめかせ、後退する。
「……成程、君も制空圏を手に入れたという訳か」
「悪いけど、あなたの拳がいくら強力でも、当たらなければ意味は無い」
「ふふ、その通りだ。でも、制空圏に攻略法がないと思ったら大間違いじゃな~い!」
好戦的な笑みを浮かべ、武村は再び蓮一へ飛びかかっていく。
「今度はアッパーカットかッ!」
蓮一は顔を上向きにし、顎を引いてアッパーを躱す。
「ほら、顔が上に上がったよ? 次の攻撃が見えるかい?」
「――!」
現在、アッパーを躱したために蓮一の顔は上向き、つまり、自分の首から下の範囲の視界がない。
今の状態で、次の武村の攻撃を躱し切るのはほとんど不可能だった。しかし、それはさして問題にはなり得なかった。
何故なら、制空圏は自分の間合いに入った攻撃を反射的に打ち払うもの。視界の及ばぬ後方にまで機能する制空圏に視界はさして関係無い。
「ならば、受け止めるまで!」
制空圏内に入った武村のパンチに反射して右手が拳を受け止めに動く。しかし、武村の拳の感触を捉えたかと思うと、次の瞬間、想像を絶する力に右腕に鈍い痛みが走り、蓮一は勢いよく地を蹴り、後退する。
「く、くそ……これは……!」
武村の拳を受け止めた右腕は完全に痺れて感覚がなく、力も入らない。
武村は右腕を押さえる蓮一を見て笑みを浮かべる。
「ふふ、これが制空圏の攻略法の一つさ。君が防ぎきれない程の圧倒的な力で真正面から制空圏を叩き潰す。制空圏は身体が反射的に防御行動を取る以上、躱しきれない攻撃は自然と受け止めようとする。その防御を叩き破れば攻撃は通るって訳じゃな~い」
これでしばらくは右腕が使えない。制空圏も右側の部分が大きく抉られるような形に変化してしまっている。これで、もう片方の左腕まで防御に使ってしまえば制空圏が保てなくなり、防御の手段は完全になくなる。ただでさえ防御に回りつつある戦況が防御一辺倒になってしまう。
つまり、勝機は消える。
「フフ、さあ、どんどん行くじゃな~い!」
武村は後退した蓮一に向け、再び攻撃を仕掛ける。
しかし、この時点で武村はほとんど勝利を確信していた。
――ふ、一発だ。一発でも蓮一に受けさせればそれで良かった。これで勝負は僕に流れたじゃな~い!
「シュッ! シュッ!」
「う……! くそ……!」
蓮一は先刻とは打って変わり、後退しながら武村の猛攻を躱す。さっきのような隙あらば攻めに転じようという気概が感じられなくなっていた。
武村はそんな攻めの気を失くしつつある蓮一を見てますます勝利を確信した。
――そう、僕のパンチの威力はその身体に刻み込まれている。今君はこう考えているだろう、『絶対に受ける事はできない。全ての攻撃を躱しきらなければ』と。どうだい、君はもう攻撃を躱す事で精一杯で攻める事なんて頭にないんじゃないかい?
数発避けては受けざるを得ないように追いつめられ、その度に地を蹴って後退を繰り返す。まるで防御――否、回避一辺倒だった。
――まだ、
「こんなものが活人拳かいッ!? 笑わせてくれるね、蓮一!」
再び、右のアッパーカットで視界を封じてからの左ストレート。
これで左腕も使えなくなり、詰みだ。
しかし、左腕に衝撃が走ったのは蓮一ではなく、武村の方であった。
「なッ!?」
「ようやく、タイミングが掴めた」
蓮一の左の掌底が武村の左ストレートの側面を直撃し、軌道が外に逸らされていた。
ある方向に働く力は真横からの力には弱い。だから、如何に威力ある拳でも比較的少ない力で軌道を変える事は可能なのである。
ただし、それには相手の攻撃を見切る集中力と真横から力を加える精密なコントロールが必要になるが。
「頭ががら空きだッ!」
「しまっ――――」
「チャイキックッ!」
防御が一切出来ない武村に、蓮一の鋭い上段蹴りが彼のこめかみを抉り、その身体を地に倒した。
「な、成程……今まで避けてばっかりいたのは、僕の拳に怯えていたのではなく、僕の拳を見極めていた訳か……!」
武村が頭を抱えながらふらふらと立ち上がる。今の攻撃で大分ダメージを負ったらしく、立ち上がっても尚、足元がおぼつかない様子だ。
しかし、彼の顔から依然、笑みは消える事はない。
「ふ、流石だ、以前戦った時とは大違いじゃないか。だが、その姿は随分無防備じゃないか、蓮一? 『両手』をだらしなく垂れ下げるなんて」
武村は蓮一の左腕を指差す。
いつの間にか、左腕は右腕のようにだらしなく、力なく垂れ下がっていた。蓮一に左腕を下ろしていた自覚はなく、武村に言われてようやく気が付いたのだ。
そう、まるで左腕の感覚がなかった。
蓮一の額から汗が流れ、顔から血の気が引いていく。
「これで、左腕も貰った……!」
武村はこれ以上になく勝ち誇った笑みを蓮一に向けた。
「嘘だろ……何で……!?」
「僕のこの拳はね、ただ動の気と妖気で威力が強化されているだけじゃない。拳に纏わせたのは動の気と妖気を練り上げた巨大な気、それを炸裂させる事で拳に触れた身体の『経路』を遮断し、気血を断つ。要は、この拳が触れただけでその箇所は力が一切入らない無防備な状態になる」
「触れた、だけで……!?」
「そう。そして、これが僕の鬼拳の一つ『羅城門』。気を練り上げるのが一苦労でね、いつもは体に負荷が掛かり過ぎて多用できないんだが、この妖気のおかげで今はノーリスクで使い放題さ」
人間の肉体は普段、何も力を込めない時は柔らかく、弾力のあるスポンジか綿のような状態である。だが、その肉体は筋肉の硬直と気血を送り込む事によって鋼鉄のような状態となり、外からの衝撃を軽減し、内臓へのダメージを防ぐ堅固な鎧へと変わるのである。
裏を返せば、何も力の籠められていない状態の身体は非常に弱く、軽い衝撃でも内臓にダメージが届きうるのである。
そして、蓮一の両腕は今まさにその状態にある。腕に内臓と呼ばれるものはないが、次に両腕にダメージを受ければ、骨が容易く軋み、武村の拳の威力ならまず間違いなく折れるか砕けてしまうだろう。
攻撃手段を削がれ、防御手段を失っただけではない。今まさに、弱点とも言える箇所が露見しているのである。
「う、動け……!」
「無理だよ。一度断たれた『経路』はそう簡単に回復しない。そして、君の経路が回復するまで悠長に戦っているつもりもない」
武村がゆっくりと蓮一に近づいてくる。
もう蓮一に防御の手段はない。一応、足は残されているが、防御しようにも範囲が狭すぎる上に足まで使えなくなれば、もう攻撃を躱す事すらできなくなる。足を防御に使う訳にはいかない。
万策尽きたかに思われる絶望的な窮地に蓮一は立たされていた。
「蓮一、これで終わりだ」
☆
「ひ、火が回ってくるッス! 宇喜畑さん、早く!」
「……おう」
スラム街の中、火の回っていない所を迂回して進むヤスと宇喜畑。二人はようやくスラム街の出口の付近にあるマンホールに辿りついていた。
勿論、唯のマンホールではない。墓吐武頭のもう一つの基地に繋がる緊急用の避難経路である。下水にあるため、衛生的な問題から普段はほとんど使われていないが、下水ならば火が回る事もなく、また自警団の捜査が及ぶ事もない。
臭いには慣れるのに時間が掛かるが、衛生的な問題を除けばこれ以上ない絶好の隠れ家であった。
おそらく、他のメンバー達も八武長に倒されていない者達はおおよそここに避難してきている筈だ。そして、戦いが終わり、武村が帰ってくるとしたら、ここしかない。
ヤスと宇喜畑は下水の基地で武村の帰りを待つつもりであった。
しかし、マンホールの目の前まで来て、宇喜畑の足が止まった。早くマンホールの中に入るよう促すヤスの声にも返答はするものの、行動には移さず、何かを考えあぐねて、決めかねているかのような表情だった。
そして、彼のグラサンの奥の瞳がどこを見つめているのかなど分かり切っている。
武村が八武長達と戦っているであろう場所だ。
先刻、眩しい光と共に武村の居た建物が跡形もなく倒壊していくのが二人にも見えた。宇喜畑の内心は今、武村の安否で一杯であった。
「宇喜畑さん……武村さんは、俺達に逃げろって言ったッス」
「ああ、分かってる」
「じゃあ、一刻も早く、俺達も基地に行って他のメンバー達に事情を説明しないと」
「分かってる」
「だったら、何でマンホールの中に入ってくれないんスか!?」
「そんな簡単に入れる訳ねーだろうがっ!」
しつこくマンホールに入るよう促すヤスに宇喜畑が思わず罵声を上げる。
「そんな、簡単に……見捨てられる訳ねーだろ。何年の付き合いだと思ってんだ? もう15年だ! このクソみてーなスラムでクソみてーな生活を、3歳で路上に捨てられてからあいつともう15年もやってきた。スラムで15年生き残ってきたんだ、あいつとよぉ!」
「…………」
「そんなダチを、こんな事で見捨てられる訳ねぇだろ……お前だってあいつと付き合い長いだろ? あいつが何のためにこんな馬鹿げた戦争起こしたのかも知ってんだろ? だったら何でそんな簡単にあいつの事見殺しにできんだよ? 何であいつが悪人扱いされなくちゃいけねぇんだって思わねぇのか!?」
「でも、俺らが行っても何もできないッス。今俺らに出来る事は、武村さんが無事俺達の元に帰ってくるのを祈る事だけッス。だから、早くマンホールに入ってください。武村さんに言われた逃げろって指示くらい守んなきゃでしょ……!」
ヤスの言っている事は正論だった。所詮、宇喜畑もヤスも喧嘩はやれど、武術などやった事もないただのチンピラ。そんな自分達が武術を極めた戦闘のプロを相手にしている武村の力になれるのかと問われれば当然、そんな訳はない。
宇喜畑もヤスも墓吐武頭の中では武村との付き合いは一番長い部類だ。だからこそ分かってしまう。自分の力では武村の足を引っ張るだけだと。
しかし、宇喜畑はそれを自覚していながら、尚ヤスの言葉に首を振った。
「
「違うッス」
「ああ、そうさ。俺達は欲しいものを『おねだり』なんかしない。欲しいものは全部『奪って』手に入れてきた。他人の都合なんて考えもせず、自分の力で自分勝手に自分の欲しいものを手に入れてきた。それが
「…………」
「だったら、いつも通り奪おうぜ? 俺は武村が生きてますように、なんて祈らねぇぜ。武村の奴が死ぬ前に、生きてるあいつを連れてくりゃいいんだからよ。
「宇喜畑さん……」
「ヤス、俺は戻る。お前は基地に行って他の奴らに事情を説明して来い」
そう言って来た道を戻ろうとする宇喜畑の行く手をヤスが両手を精一杯に広げて阻んだ。
「宇喜畑さん……残ってくれないッスか」
「……ありがとうな、ヤス」
「宇喜畑さ――――ンッ!?」
一瞬、ヤスに向け優しい笑みを見せたかと思うと、次の瞬間、宇喜畑は軽々とヤスの小柄な身体を持ち上げ、そして蓋が開きっぱなしのマンホール目掛けて投げ落とす。
ヤスの身体と悲鳴がマンホールの奥底に吸い込まれ、消えて行った。
「悪ィな、ヤス。俺、不良だからよ。人の言う事素直に聞けねーんだわ」
マンホールの奥に消えたヤスに背を向け、両手を叩いて埃を払いながら、宇喜畑はグラサンを人差し指で押して、改めて来た道を戻ろうとした。
「――――奇遇ね、私も人の言う事って素直に聞けないのよ。例えば、『戦争が終わるまでここで大人しくしてろ』っていう兄さんの命令とか」
「――――!? お嬢……いつの間に逃げ出してたんですか……?」
すぐ後ろに立っていたのは下水の基地に入念に縛り付けて捕えてあった筈の小夜の姿であった。
「私も連れてって。あと、兄さんの目的も洗いざらい話して貰うわ」