東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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拳鬼編ラストです。

前回短めだった分、今回少し長めになりました。


第三十二話「かくして、鬼は人に戻りけり」

「豊金様。こいつ、どうしましょうか」

「離せ! はな――ムグッ!」

 

 暴れて騒ぎ立てる僕の口を黒服の男が塞ぐと共に動けぬよう身体の動きを封じる。

 そんな僕の姿を見てしばらく豊金は顎に手を当ててなにやら考え込んでいたかと思うと、突然手の平に拳を乗せ、何かを思い出したかのような仕草を取ると、地面に叩き付けられている僕に卑しい笑みを向けこう言った。

 

「お前、そういえば妹がいたなぁ? 確か、名前は小夜」

「――――ッ!」

 

 背筋が凍った。

間違いない。この男は小夜に何かするつもりなのだ。一層激しく暴れ、顔を青ざめさせている僕を見て確信を得たようにますます愉快そうな笑みを向けると、豊金は地面にへばりつかされている僕の髪を引っ張って顔を上げさせる。

 

「お前みたいな奴を一人消すなんて私には簡単なことなんだ。しかし、お前みたいな奴でも突然消えると厄介な事になる。人は突然消えたりしないからな。何か、事故とか、自殺とかに見せかけられればいいんだがそれも面倒でね」

 

 豊金が何やら色々と話を始めるが、僕の頭にはさっきの豊金の言葉から一体何をする気なのかはおおよそ予想がついていた。

 豊金はしばらく話を続けてから言葉を一旦区切ると、指を一本立てて見せる。

 

「そこでだ、君のたった一人の家族、妹を人質に取らせて貰おう」

「小夜は関係ないだろう……! さっさと僕を殺してしまえばいいだろう!」

「だぁーかぁーら! それが面倒だって言ってるんだろうが、間抜け! それに、君にとっても悪い話じゃない。まず、君の妹、自警団に入らせてやる」

「な!?」

 

 豊金が言ったのは到底予想もつかない提案だった。

 何故妹を自警団に入れてくれると言うのか。むしろ二人揃ってスラムに追い返されるのかと思っていたのに。

 だが、次に放った豊金の言葉が僕にこの提案の真の目的を知らしめた。

 

「自警団には私がスパイ目的で潜り込ませている手練れが何人かいてね。彼らには本来の仕事と一緒に彼女の監視もやって貰おう。もし君がこの事を口外すれば、私の指示一つで妹は死ぬ。そうだ、寮は確か相部屋だったな? 折角だから同室の相手も監視役にしてしまおう! あっはっはっはっは!」

「…………」

 

 豊金の言葉を聞くうち、血が沸騰しそうな程に熱くなっていくのがわかった。

 心臓の鼓動が早まり、頭が真っ白になって視界が急激に狭まって豊金しか映らなくなった。周りの雑音が消え、豊金の高笑いだけが耳障りにいつまでも残っていた。

 そして、僕の中で何かが『キレタ』

 

「おい! 暴れるな!」

「な、なんだ……こいつ!? 急に力が……強く!?」

 

 黒服の男達二人が上から体重をかけているのにも関わらず、その時の僕はまるで埃でも払うように二人を払いのけ、悠々と立ち上がった。

 男達の驚愕の声と、僕の豹変に気付いた豊金の悲鳴めいた奇声が聞こえた。

 体の内から無尽蔵に力が溢れてくるようで、今ならどんな相手にも負けない気がした。

 それが『動の気の発動』だと、その時の僕は知らなかった。

 

「この! 黙って地面に這いつくばってろゴミが!」

 

 男の一人が後ろから飛びかかって来た。

 普段の僕なら避けていたであろう。だが、その時の僕は横目でチラリとその大男の姿を見ると、その顎目がけて、『軽く』拳を振り払った。

 

「ゴギャッ!?」

「ぐ、うわッ!?」

 

 それだけで僕の左拳は男の顎を砕き、後ろのもう一人の男の元までその巨体を吹き飛ばしていた。

 二人の大男が一瞬にして後ろで倒れる音を聞き、豊金は生まれたての小鹿のように足を小刻みに震わせ、僕から逃げようと足を動かしていたようだが、腰も抜けてしまっているのか、すぐに転んで地面を哀れに這いつくばっていた。

 僕はその姿を見て嘲笑を浮かべるとゆっくりと豊金の元へ歩いていく。

 僕を怒らせた事を、小夜に手を出そうとした事をできるだけ長く後悔させるように、一歩一歩、足音が近づくのが豊金にも聞こえるように踏みしめて歩いた。

 

「ひ、ひいいいいいいい! 誰か! 誰か、助け……たふけて!」

「誰が、お前の事なんて助けるものかよ」

 

 僕は地面をのたうつ豊金を片手で軽々持ち上げ、涙や鼻水でまみれた汚い顔を睨み付けて冷たく言い放った。

僕は豊金を殺すつもりだった。一切の未練も躊躇もなく。

五発。それで彼を殴り殺せると確信した。

だが、僕はあえて十発殴る事にした。なぜなら、それが豊金をできる限り殺さずに苦痛を与え続けられる事のできる回数だからだ。

そして、一発目を僕は右手に打ち込んだ。僕の髪を引っ張り上げた小汚い手に。

彼の右手は乾いた音を響かせておかしな方向に曲がり、彼の身体が一瞬痙攣した。

 

「ぎゃあああああああああ!」

 

おそらくこれまでの人生で経験もした事ないであろう激痛を豊金は味わっているのだろう。だが、まだ足りない。

僕は二発目を右足あたりに定め、拳を振りかぶった。

しかし、そこに突然、僕と豊金の悲鳴以外の声がその場に響いた。

 

「う、うわあ! な、何をしているんだ! ひ、人が!」

「……人?」

「だ、だすげでぇ……人殺しぃ……!」

 

 お前が人殺しなんて口にするのか、ゴミが。

 僕は必至で救援を求める豊金を怒りに沸騰した目で睨み付ける。しかし、この場を見たあの一般人の男性には何と説明しようと豊金は哀れな被害者で僕は人殺しの極悪人にしか映らないだろう。

 それに、人を呼ばれて僕の素性がバレればますますスラム出身の僕の言い分など誰も聞いてくれない。それどころか妹の試験にまで影響が出てしまうかもしれない。

 だから、僕はここで渋々手を離し、最後に豊金に顔を近づけ、脅すように言った。

 

「豊金、約束通りあの事は誰にも他言しないでやる。だが、それで小夜に、あいつに少しでも手を出してみろ……」

「ひ、ひいっ! た、助け……!」

「お前をどんな手を使ってでも、絶対に殺してやるッ!」

 

 それだけ言い残し、僕はその場から逃げた。

 あの場で豊金を殺せば間違いなく他の一般人が止めに入って、そして巻き込んで殺してしまう。

 僕のために、何より豊金のために他の関係ない誰かが死ぬ選択はできなかった。

 僕は歯軋りをしながら必死で殺意を抑えて通りに出ると里の外まで逃げた。スラムまで逃げるよりそっちに逃げるほうが早かったからだ。

 どうせ、豊金の兵隊も里の外までは追ってはこないだろう。

 一人残す事になる小夜の事が唯一気がかりだが、今はどうしようもない。

 済まない、小夜。

 そう一人後悔を馳せながら通りを人の視線も意に介さず走っていると、後ろから一人追ってくる何者かの足音が聞こえてきた。

 

「待てぇえええ!」

「あれは……さっきの黒服のもう一人か!」

 

 二人いた豊金のボディガードの内一人は顎を砕き、再起不能にした。

 もう片方は吹っ飛んだその一人の下敷きになっていた筈だが、主と仲間を傷つけた仇討ちに追ってきたのだろう。

 しかも、相当足が速く、みるみるうちに僕と大男との差は縮んでいった。

 

「く、くそ! こんな所で……!」

「貴様だけは逃がさん!」

 

 ついに大男の腕が僕の肩を掴もうとしたその時、ヒュンという風切り音と共に何かの残像が僕の耳元を通り過ぎて行ったかと思うと、それは鈍い音を上げて大男の鼻柱を叩き割っていた。

 立ち止った僕は、その残像の正体である木刀と、その持ち主であろう、気絶した大男のすぐ傍で佇む金髪の少女の姿を目に留めた。

 少女は目を丸くしている僕の方に気付くと、柔和な笑みを見せてこちらへ近づいて来た。

 

「大丈夫ですか? 暴漢に襲われていたようでしたので助太刀致しましたが」

「あ、ああ、助かったじゃな~い……君は……」

 

 そこで僕はいいアイデアを閃き、急いで先刻懐にしまってあった二人分の握り飯と水筒を取り出してその金髪の少女に渡す。

 

「不躾ながら、君の実力を見込んで頼みがある。今日自警団に入団するはずの小夜って女の子にこのおむすびと茶を届けてくれないか? 二人分あるから一つは君にあげるじゃな~い。そして、できる事なら……小夜を守って欲しい……!」

「え? おむすびを届けて? え? 守る?」

 

 やはり、あまりに唐突で混乱している様子だったが、少女に一から事情を説明しているような時間は僕にはなかった。

 

「頼む! 情けないが、僕ではあいつを守ってやれない……! 君しか、頼める相手がいないんだッ!」

「――――! わ、わかりました! 小夜さん、でしたね? 私も自警団に所属している身なのでなんとか、やってみます!」

「有難う、恩に着る!」

 

 僕は金髪の少女との出会いを天に感謝しながら、その場を去り、里の外へ走った。

 昼の内ならまだ妖怪はさして出ない。夜までに次の村に辿り着いてそこで一旦物乞いでもやって凌ごう。

 そう考えていた矢先、僕は突然、肩に弓矢を受けてその場に転んだ。

 矢に毒でも塗ってあるのか、すぐに身体が痺れて動かなくなっていった。そして、茂みから数人の男達が姿を現し、ニヤニヤと笑みを浮かべ、地に伏す僕を見ていた。

 

「こいつが豊金さんに手を出したっていう命知らずのガキかい?」

「ああ、間違いねぇ。しかし、一撃で大男の顎を砕いちまう程の馬鹿力らしいが、本当かねぇ?」

「ま、そんな事はどうでもいい。さっさと殺しちまおうぜ? 死因は妖怪にでも襲われた事にしちまえばいいさ」

 

 豊金の差し金のようだった。まさか里の外まで追ってくるとは予想外だった。

 最早全身が痺れて口すら動かず、意識も朦朧としてきた中で僕は死を悟った。しかし、僕が死ねば小夜も狙われる事はないだろうし、仮にそうなったとしてもあの相当な実力者であろう金髪の少女になら小夜を託しても心配なさそうだ。

 最早未練はないと目を閉じた瞬間、まるで地の底から響いてくるような、人の恐怖の根源を湧き立たせる、そんな声が僕の真後ろから聞こえてきて、僕はまた瞼を見開いた。

 

「妖怪に殺された事にするなら、五体満足っちゅーのは不自然じゃのう? 妖怪っちゅーのは人を喰うんじゃから。のう?」

「う、うわ! な、なんだこの爺ッ! 突然現れやがったぞ!?」

「よ、妖怪か!?」

「お、おい、落ち着けお前ら。俺達はそこらの妖怪ならむしろ喰ってやれるだけの実力はある。ターゲットはもう毒が回って動けねぇんだ。こっちを先に片付けるぞ!」

 

 三人の男達はそれぞれの武器を取って、僕の後ろの妖怪に向けているようだった。

 どうやら僕はこの男達に殺されるか、妖怪に食われるからしい。

 後ろにいる妖怪は男達が武器を取るのを見て高笑いをする。

 それだけで、後ろから風が吹き、木々が揺れる音がした。明らかにそこらの妖怪とは格が違う。本能的にそれだけはわかった。

 

「儂も舐められたもんじゃのう? まぁ、ちと小腹も空いて来た所じゃ。三人とも程よく肉も付いておるようじゃし、喰ってやるとするかの?」

「舐めるな、妖怪がぁああ!」

 

 刀を掲げた一人の男が妖怪に向けて突進していく。

 しかし、その男が僕の視界から外れる前に、後ろの妖怪が動いた。

 

「ほれ」

「あ、ゑ?」

 

 僕の目の前で刀を持った男の首が落ち、その首の根元から血が噴水のように噴き出した。

 一体何をしたのか、僕にも他の二人の男にも分からないようだった。

 

「どれ、一人目」

 

 視界に移る血を噴いて倒れる男に向けて伸びる異形の手が僕の視界に入って来た。明らかに人間の手の長さじゃない。後ろに立っている妖怪が手を伸ばしてきているのだ。

 そのまま男の身体は持ち上げられ、僕の視界から消える。

 そして、後ろからグチャ、ヌチャ、バリ、ボリという気色の悪い音が聞こえてきた。

 男達の顔は僕の後方に釘付けになっており、その顔は青白いを通り越し、死人の如く真っ白で一切の血の気を失くしていた。

 喰っているのだ、人を。それも今、僕の後ろで。

 音を聞いているだけで胃の中のものを戻してしまいそうだった。そして、どうしようもない死の恐怖に、痺れている身体が小刻みに震えていた。

 

「ひ……ひいいいいいい!」

 

 男の一人が手に持っていた弓を捨てて一目散に逃げ出した。

 それが何の意味もない事を知りながら。

 

「あ、これ待たんか」

「いやだあああああ! やめてくれぇえええ! 死にたくない! 喰われたくない! たすけてぇぇええええ!」

 

 またさっきの異形の手が伸び、逃げ出した男をずるずると僕の後方へと引きずって行った。

 それから少しの間悲鳴が聞こえたかと思うと、何かが潰れたような音と共にその声も消えた。

 残された一人は動かなかった。ただ、息を荒くしながら持っている小刀を握りしめて妖怪の方をじっと見つめていた。

 

「ふう、さて、最後はお前かのう? のう?」

「ふふ、はは、ひひひひひ! あははは、うひひひひひひひひひひひ」

 

 二人の人間を食べ終えたのか、咀嚼音が止み、妖怪が最後の男に声を掛けた瞬間、男は狂ったかのように笑い出すと、持っていた小刀で自分の脳天を突き刺した。

 ゴキ、という頭蓋を砕いた音と共に白目を剥いて男は倒れた。

 妖怪へのあまりの恐怖に耐えきれず自ら死を選んだのだろう。この場では一番賢い判断だと僕は思った。

 妖怪に食われるくらいなら自分で死に方を選びたい。しかし、僕はそれを選ぶことすらできないのだ。

 自決した男の身体も伸びてきた妖怪の手に持っていかれ、しばらく真後ろで咀嚼音を響かせたと思うと、それも数分で止まった。

 僕の頭が何かに掴まれたような感触と共に身体ごと持ち上がる。

 いよいよ僕も最後かと虚ろな頭で考えながら、三人の男を喰った妖怪の姿をそこで初めて見る。

 妖怪は一見、しなやかな老人に見えた。しかし、その体格はゆうに人間の二倍はあり、白鬚に包まれた口には赤い鮮血が、白髪の生える頭髪には二本の角が生えていた。

 妖怪は三白眼で僕の顔をまじまじと見つめ、言った。

 

「ふむ、小僧。最後はお前じゃが、運がいいのう。儂の腹は満ちた。あの三人の男、中々に喰いごたえがあったのう。そこで、あやつらを連れてきた礼を小僧にしてやろうかのう」

「礼?」

「うむ。あの三人の男、お前を追ってきたのじゃろう? そして、それが結果儂の飯となったわけじゃ。だからお前は儂に飯を出してくれた事になるのう。一飯の恩は必ず返す。どれ、願いを言ってみい、ほれ」

 

 どうやら、僕は殺されずに済むらしい。

 しかも、目の前の妖怪が僕の願いを叶えてくれるという。

 この妖怪が里を襲えばきっと。

 しかし、僕は反射的にこう答えていた。

 

「だったら……僕に力を……! たった一人で、何人をもなぎ倒すだけの絶対的な力を……僕に……!」

「ほう。業が深いのう、小僧。力を求め、自ら修羅に堕ちるのを望むか?」

 

 妖怪の目が鋭くなった。

 しかし、僕も負けじと妖怪を睨み返した。

恐怖がない訳ではなかった。だが、僕には自分の力で奴に、豊金に復讐出来るだけの力がどうしても欲しかった。

妖怪はしばらく僕と睨み合っていたかと思うと突然愉快そうにゲラゲラと下品に笑った。

 

「ガッハッハッハ! 久々に外に出て来て、人も(あやかし)もすっかり(なま)ったかと思うたが、まだこんな目付きのできる小僧がいたとはのう! 愉快、愉快! いいじゃろう、気に入ったぞ、小僧。鬼の儂に力を求めるその命知らずの気概を買って、儂の喧嘩をお前に叩き込んでやろうかのう!」

 

 そして、僕はその鬼と共に一旦人里を離れた。

 里では僕を追った豊金の傭兵が無残な姿として見つかり、僕は豊金への仕打ちも相まって『拳鬼』という大層な二つ名の付いた犯罪者になっていたみたいだ。

 だが、僕はその二つ名に恥じぬ力を手に入れた。僕は『鬼』となって帰って来た、復讐のために。

 スラムで新たに仲間を集い、小夜の監視役であろう豊村の兵隊を調べ上げ、全員を叩き潰し、そして、ようやく小夜の障害を取り払った上で宣戦布告した。

 自警団を潰すと。僕の口を塞ぐため作った小夜の監獄をぶち壊すと。

 そして、ようやくここまで来た。あと少しで豊村の喉元にも手が届く。自警団さえ潰せば、そう、この戦争にさえ、勝利すれば――――――――

 

「――――だから! 僕はこんな所で負けられないッ!」

 

 僕は燃え盛るスラムの一角で、目の前の宿敵(蓮一)に向け、自分に向け、そう叫んだ。

三歩必殺。

 鬼拳の最高峰にして、これ以上にない究極の殺人拳。鬼によりそれぞれ技名や技の内容まで個性があり、全く違うものになっているものまであるらしいが、全てに唯一共通しているのがその一撃こそ、その鬼の最強の一撃である事。

 そして、故に僕があの鬼から伝授されたのもまた、最強の一撃。

 

「一歩ッ!」

 

 全ての力を込めて右足を地面に叩き付ける。

 妖気と動の気も相まって、地面には大きくヒビが入り、凹む。これが三歩必殺の一歩目。

 全ての力を地に叩き付け、気や勁を零にリセットし、完全に脱力する。

 目の前の蓮一は僕のその一歩に驚き、何もしてこない。その時点でこの三歩必殺は半分決まったようなものだった。

 この技は脱力の一歩目こそが最も無防備になるのだから。

 

「二歩ッ!」

 

 腰を大きく沈め、静かに気の廻り易い姿勢を取り、左足を踏む。そして、同時に右拳のみに勁と力を圧縮していく。

 これで身体0、拳100の究極的一点集中状態を作り出せた。

 どんな素人でもここまでやれば本能的に僕の右拳から命の危険を察知し、距離を取ろうと動く。

 しかし、その時にはもう遅いのだ。

 

「三歩ッ!」

 

 縮地法という歩行術がある。

 膝の力を抜き、前に倒れそうになる自然落下を利用し、むしろ早く歩く。沖縄古武術などに見られる独特の歩法。

 相手に間合いを悟らせぬまま歩くため、相手には一瞬にして距離を詰められたように感じるこの歩法は完全な脱力状態にある今ならば、例え達人級といえども容易には見破れない。

 そして、間合いさえ詰まれば、後は100の拳を叩き込むだけ。

 完璧な脱力状態から繰り出される完璧な全力全開状態の拳は最速にして最強の突きとなり、あらゆるものを無慈悲に粉砕する鬼神の一撃。

 

「鬼拳奥義『三歩必殺』ッ!」

 

 蓮一は反応すらできなかった。

 制空圏すら張る間を与えぬまま、踏み込まれた三歩目の右足と共に、僕の拳は彼の心臓に確かに叩き込まれた。

 

――これで、僕の……勝ちだ……!

 

 

 武村との最後の一戦。その最中に考えていたのはこれまでの師匠達との修行だった。

 森近霖之助は言った。

 

『受け身には時に脱力も大切だよ? 君は投げられる最中にまで抵抗を続けるけれど、投げ技はもう技に入った瞬間にほぼ決まったようなものなのだからそこで暴れると逆に受け身を取り損なってしまうよ? だから、むしろ投げられる力に身体を任せ、頭を守り、素早く立ち上がって臨戦態勢を立て直す事に集中するんだ。勝負は最後まで立ち上がっていた者が勝つのだから』

 

 鈴鹿御前は言った。

 

『蓮一、動くと危な……い。人間は恐怖に負けて避けようとすると、何故……か攻撃に突っ込むように動……く。恐怖に身体を任すのは愚手、それをする位なら、動く……な。勝負は恐怖に打ち勝てる者が……勝つ』

 

 射命丸刃空は言った。

 

『化勁のコツは相手の力に抵抗しない事ね。むしろ身体の支えさえ相手に委ねてしまえばいい位に抵抗を一切なくす。自分が落ちる木の葉か紙にでもなったとイメージするね。相手の力に真っ向から抵抗しない。これが化勁の第一歩ね。勝負は無駄な力を省いた者が勝つね』

 

 師匠達の言葉を思い返している間に武村が大きく地面を抉るような一歩を踏み出したかと思うと、動の気や妖気を含めた全てのエネルギーが消し飛んだかのように消えてなくなり、次の二歩目で、その全てが右の拳一点に集中し始めた。

 俺はあの拳に直観的な恐怖を覚えた。今まで見て、受けた妖怪の攻撃のどれよりも、彼の拳の方が自分の命を奪う圧倒的な力を感じたのだ。

 しかし、次の瞬間、今まで数メートルは距離があった筈の武村との距離は一瞬にして肌と肌が触れ合う程の距離にまで近づいてしまっていた。

 訳の分からぬまま、制空圏で拳を弾く事すら叶わず、俺は武村の拳を無防備に受けた。

 そう、無防備に。無力に、不動に、無抵抗に、俺はその拳を受けた。

 

「“我流受け”『行雲流水(こううんりゅうすい)』!」

「な、なんだこれは……!? まるで手応えがない!? 違う、手応えは確かにある! だが、その力の大半が、蓮一を通り越して後ろに流れている!?」

 

 そうだな。俺が教えて貰ったのってそういえば、大半が『受け』だったな。

 攻撃の避け方じゃない。むしろ攻撃の受け方。

 だから、いくら攻撃されても何度でも立ち上がってこれる。元々の身体の頑丈さもあるだろうけど、この受け身を毎日千回以上練習していたおかげであの拳に一切の力みを取り払って受け入れられるんだ。

 身体を軽く折り、足を半分宙に上げて、前方からの力をそのまま貫かせる。

 拳での単純な突きの場合、放たれる力は一瞬。その一瞬に力の流れを合わせて、それからは相手の突きに身体を支えてもらうように重心を傾ける。

 少しでも逃げようという気持ちから横に力を逸れたり、加えられる力に抵抗してしまえば、受けた力が体内で爆発し、俺は死ぬ。

 抵抗せず、そして恐怖に負けて動かない。だが、俺に流石にそこまでの力を全て不動のまま受け流せるだけの技量はないから当然吹っ飛ばされる。

 だから、受け身で頭を守り、素早く臨戦態勢を立て直す。

 

「はっ!」

「自ら倒れに行ったかと思えば、一瞬で体制を立て直した!?」

「何万回も、畳に跡ができるまでやらされた受け身だ……! どんな時だってしくじらない!」

 

 拳の威力の大半を背中から後ろへ流し、余波で飛ばされるダメージも受け身で軽減。

 そして、即座に受け身で起き上がる。

 これこそが俺の『受』の集大成。空を行く雲のように、また川を流れる水のように全てに身を委ね、力を受け流す。それが俺の編み出した合作技、『行雲流水』。

そして、相手の攻撃を受け切ったならば当然次はことらが『攻』。

 今までの脱力から一変、動の気を発動し、再び異能の両腕を具現する。

 

「く……そ……!」

 

 武村が急ぎ防御の体勢に入ろうとするが、技の反動か動きが非常に鈍い。これなら十二分に攻撃は間に合う。

 風見幽香は言った。

 

『喧嘩っていうのは基本攻め続ければ勝ちなのよ。そのために、どこでもいいから攻撃は必ず当てなさい。攻守交替の機を作っては駄目。勝負は最後まで攻撃を続けた奴が勝つのよ』

 

 阿八は言った。

 

『殺す気で蹴るよ! 躊躇するのは技のキレを鈍らせるし真剣に戦う相手にも失礼よ! それに、蓮一まだ弱いから殺す気で蹴っても死なないよ! だから難しい事考えず安心して殺す気で蹴るといいよ! 勝負は気合で勝った方が勝つよ!』

 

「おらおらおらおらおらおらぁああああああああッ!」

「ぐっ! がっ! ごっ! げっ!」

 

 先刻の脱力感から一変、怒涛のラッシュが武村の無防備な身体に全てクリーンヒットしていった。

 一発一発を全力で、武村がもう立ち上がってこれなくなるまで力の限り何発も殴り続けた。

 攻撃の間に武村が気絶したとしても、もう止まらない。力が尽き果てるまで永遠に攻撃し続ける。

 この戦いを俺が終わらせるために。

 しかし、その攻撃は思いの外早く終わる事となった。

 

「ぐっ!?」

 

 突然身体を走り抜ける雷に打たれたかのような激痛。

 それは、三歩必殺で受け切れなかった分のダメージ。気に関して未熟な俺が流しきれなかった気の爆発によるダメージ。

 それと同時に、俺の攻撃は止まり、同時に異能も限界となり、両腕は空気に溶けるように消えていった。

 そして、まだ、武村は立っている。何十発もの殴打を受け、全身血だらけで意識もほとんどないだろうが、それでも彼にはまだ戦意があり、立ち続けるだけの気力が残されていた。

 

「ど……うやら、君も……気のダメージだけは……受け流しきれなかった……よう……じゃな~い」

 

 ニヤリと欠けた歯を見せながら武村は笑っていた。その手に握られているのは傍に転がっていた大きめの尖った瓦礫。そして、それを大きく振りかぶりぶつけるつもりらしい。

 流石にこの至近距離でノーガード。まず外さないだろうい、頭に当たれば死ぬだろう。

 

「勝つのは……僕だ……ッ!」

 

 武村のその執念に、すっかり俺は威圧されていた。

 異能は限界、もう両腕はない。それどころか気のダメージで全身が動かせず、避ける余地すらない。

 このままでは避けられない、死ぬ。そう諦めかけた瞬間、博麗靈夢の、師匠の言葉が脳裏に蘇った。

 

『蓮一。戦いとは勝敗の決する時までどちらが勝つかは誰にも分からない。そして、どんなに惨めで、格好悪くて、情けなくても、生きていれば勝ちだ。だから、決して生きる事を諦めるな。勝負は、最後まで往生際が悪い者が勝つ!』

 

――そうですよね、師匠……ここからですよね、勝負は……!

 

「うがああああああああ!」

 

 俺はその瞬間全身を大きくのけぞらした。

 もう、後自分にできる事はこれだけしか思いつかなかった。

武村の攻撃よりも1コンマでも早く届けばそれでいい。これが正真正銘最後の、生き残るための足掻き。

 

「僕は――――」

「俺は――――」

 

『――――生きるッ!』

 

――ゴンッ!

 

 

「ヘラクレス、終わったのか?」

「ん? ああ、ついさっきな。意外と手こずったが、あの通りミンチにしてやったわ! ガハハハ!」

 

 武村と蓮一の戦場から少し離れた廃倉庫の連なる地点。アーサーは息を切らしながら、鉄骨の上に座る他の八武長の面々の前に立っていた。

 ヘラクレスの笑って指さす方向には文字通りぺしゃんこになった状態のグロテスクな鳥人の無残な死骸が残っていた。

 

「そうか、ご苦労だったな」

「それより、小夜は! 小夜はどうなったのですか!?」

「アーサー、早く無事だっていってよ。この女さっきから小夜小夜って五月蠅くって敵わないよ!」

「……すまない、小夜と他の墓吐武頭のメンバーも武村以外はいなかった。おそらくは別の本拠地があるのだと思うが、この火ではもう探索も無理だ」

「……そんな」

 

 ジャンヌはがっくりと肩を落とし、まるで世界の終りのような表情でうなだれた。

 それをアキレスはますますうざったそうな顔で見つめ、他の面々もどう声を掛けるか考えあぐねているようだった。

 

「取り敢えずは一時戻って火災の鎮火活動に入る。スラムから脱出するぞ!」

 

 大規模な火災に妖怪の乱入と、この戦乱はあまりにも乱れ過ぎた。一旦退いて現状の回復に努めるべきだ。そのアーサーの一言と共に、八武長達は一斉にスラムの外に向け、アーサーに続く。

 アーサーは、武村と蓮一が闘っているであろう戦場を横目で一瞬見つめると、また視線を前方の火の海に戻し、最短の脱出ルートを先導する。

 

「武村、蓮一…………終わったのか?」

 

 

「――――か……はっ……! ず、頭突き、だと……!?」

 

 先に届いたのは、武村の石ではなく、蓮一の頭突きだった。

 これが最後に残された蓮一の一撃。生への執念を込めた頭突きは互いの額を割り、その顔に互いの血が流れた。

 武村の手から石が零れ落ち、彼は小さく笑みを零した。

 

「見事……僕の負け……だ……!」

 

 そう言って力なく倒れる武村を、蓮一は肩で支える。

 武村は朦朧とした意識の中、蓮一の行動に異論を唱える。

 

「何をやっている……? 僕を、置いて早く逃げろ……!」

「助ける。あなたを死なせるために俺は来たんじゃない!」

「助けられるんもんか! もう……火の手は回っている! 瀕死の僕を連れては逃げ場がなくなるぞ!」

 

 武村の必死の呼びかけに蓮一はただ笑って、言った。

 

「大丈夫。仲間が助けに来る」

「助け……? そんなものは来ない! いいから君だけでも逃げるんだ……!」

「やっぱり優し過ぎるな、武村。あなたには孤高なんて無理だよ。周りがきっとあなたを一人にしないから」

「…………」

 

 蓮一が指さす方向に武村は顔を上げる。

 そして、そこに幻覚ではない、確かな人影が近づいてくるのを確かに見た。

 

「あ、武村さん! 武村さん、やっと見つけたッスよ! 何こんな所で死にかけてんスか!? 生きて戻るって言ったでしょ!?」

「お! この野郎、やっぱりこんな所で一人無茶してやがったなッ!」

「兄さん! 蓮一さん! 二人とも、酷い怪我……早く運び出さないと!」

「ヤス、宇喜畑、それに小夜……なんで、こんな所に……」

「馬鹿か、テメェは? 助けに来たに決まってんだろ、仲間だろうが!」

「仲間……」

 

 武村は茫然としたまま宇喜畑におぶられ、蓮一は小夜とヤスに両肩を抱えられてスラムの火の海を歩く。

 しかし、重症の人間を二人も抱えて速度を出せる筈もなく、徐々に火の海は五人を取り囲んでいった。

 

「くそ! このままじゃ……!」

「ミイラ取りがミイラ取りになるっス!」

「ミイラ取りが……ミイラになる……だ。何も変わってないだろう、それじゃ……! こんな時まで突っ込ませないでくれ……!」

「このままだと……蓮一さんが!」

 

 その時、隣の家屋から燃え盛る木柱が小夜の方へ倒れ掛かってくる。

 蓮一も武村もそれに気づいても身体が動かない。

 しかし、小夜が倒れてくる木柱に気付くよりも早く、何者かの拳圧がその木柱を遥か彼方まで吹き飛ばした。

 

「そこの五人、逃げ遅れたのなら脱出を手伝いましょうか?」

「師匠……!」

「み、巫女様!」

「僕達もいるよ」

「霖之助師匠に幽香師匠に阿八師匠、鈴鹿師匠! 皆来てくれたんですね!」

 

 蓮一達の前に、久しい師匠達の姿が現れた。

 その時の五人の感じた安心感は圧倒的なものだったのだろう。小夜はそこで膝から崩れ落ち、蓮一はその時点で力尽きて気絶した。

 

「あ、あなた達が……噂の高天原……!」

「ええ、そうよ、拳鬼さん。うちの馬鹿弟子が随分お世話になったようね?」

「う、これは……」

「やめないか。もう勝負はついているんだ。それに、弟子の喧嘩に師匠は出ない、だろ?」

 

 武村を威圧しにかかる幽香を霖之助が諌める。

 幽香は不機嫌そうな顔で小夜と蓮一を軽々と抱えて歩き出す。

 

「さぁ、行くわよ。さっさとついてきなさい」

「え、でもそっちはまだ火が」

「大丈夫よ、もうじき雨が来るわ」

「え?」

 

 靈夢の突然の予言めいた台詞に武村やヤスや宇喜畑は不可解な表情を浮かべる。

 が、その数秒後、武村の額に冷たい滴が落ちてきたのを境に、突然、大雨が降り始め、火はだんだんと弱まっていく。

 

「な、なんで……今日はずっと晴れの筈……」

「ああ、だから動かしたんだよ天気をね。やってるのは刃空殿だけど」

 

 天気は雲量で決まる。

 晴れという事は雲量が少ないという意味であるし、曇りという事は雲量が多いという事である。そして、その雲を動かすのは気流、である。

 だから、刃空は雨を呼ぶために、気流の流れを操り、急ピッチでここ数日分の雲をスラム上空まで流し、雨雲を呼び寄せたのである。

 今降っている雨は本来別のどこかで降るはずだった雨、という訳である。

 実質的な意味は理解できても、それが如何に超人めいている事かは武村達にもすぐにわかった。

 

「はは、敵わないじゃな~い……」

 

 そして、気絶している蓮一と今のこの『仲間達』の情景を見て、笑う。

 

――そうか、これが仲間との絆が、君の力か。改めて完敗じゃな~い、活人拳。

 

 そして、武村もまた、今まで背負ってきた荷を下ろし、一時の眠りについた。

 こうして、降りしきる雨の中、武村と蓮一の戦いは静かに終わりを迎え、『鬼』はようやく人へと戻ったのであった。

 

 

 一方、その頃。豊金邸。

 執事からの知らせを受け、豊金はテーブルを乱暴に叩く。そして、急ぎ足で庭へと歩を進めると、そこに集うありったけの傭兵達に向け、罵声にも似た指示を叫ぶ。

 

「貴様ら! あの妖怪、武村の暗殺に失敗したようだ! こうなれば仕方ない。お前達でスラム街へ行って武村とその妹、小夜を殺せ! 報酬は弾む! 死体は里の外の妖怪にでも食わせてしまえ! いいな、行け!」

「了解!」

 

 五十はいる傭兵達が豊金の言葉と共に一斉に敬礼し、武器を持って門へと駆けていく。

 豊金は満足そうに鼻を鳴らし、その様子を見つめていた。

 

「全く、どいつもこいつも何で人間一人も殺せないのだ……! やはりあいつは三年前に殺しておくべきだったのだ! 死体など気にせず殺しておけば……今頃……!」

 

 過去の自分の選択に歯軋りする豊金が屋敷へ戻ろうと傭兵達に背を向け、歩を進めた瞬間、その背後で爆発にも似た轟音が響いた。

豊金が背後を振り返ると、同時に二、三人の傭兵達が宙を舞い、白目を剥いていた。

 何事かとその爆心辺りを目を凝らして見つめると、どうやら門の出口に何者かがいるようだった。

 

「な、何者だ! 侵入者か!?」

「あー、いや、侵入者って程のもんじゃないですがね」

「そ、その声は……!」

 

 傭兵達が自然と距離を取り、その正体は容易に目に見ることができた。

 自警団団長、辻秋。

 門の前に立って傭兵達の進路を塞いでいるのはその男ただ一人であった。

 狼狽する豊金に向け、辻秋はさらに続ける。

 

「あー、えっとこの匿名希望者から貰った資料からあなたに関して色々ヤバい証拠が見つかりましてね。とりあえず、豊金さん、無駄な抵抗をせず、大人しく私についてきませんか?」

 

 辻秋の目付きが鋭くなった。

 しかし、豊金は以前強気だった。自分の側に腕の覚えのある傭兵達がまだ数十人はいるのだ。束に掛かればなんとかなると思ったのだろう。

 

「ふふ、そうか辻秋殿。じゃあ、その資料に目を通して問題があれば出頭するからそこにその資料を置いて帰ってくれないか? 私は忙しくてね」

「……そのようですね。じゃあ、任意同行はなしの方向という訳で」

「ええ、そうですね。ついでに少し痛い目にあっておいてください。庶民が私の時間を邪魔するとどうなるか、叩き込んでやるよ! お前達、殺れ!」

 

 豊金の言葉で傭兵達が一斉に辻秋に襲い掛かる。

 辻秋は資料を懐に大切にしまい、面倒そうな表情で笑ってこう言った。

 

「あー、じゃあ、しょうがない。少し手荒になりますが、全員強制連行という事で」

 

 それから屋敷内では血気盛んな傭兵達の声が辺りに鳴り響いていたが、数十秒でそれは悲鳴に変わり、そして数分で何も声は聞こえなくなったという。

 

 

七月五日 晴れ

 

 自警団と墓吐武頭の戦争から数週間が経ち、色々な事が変わった。

 まず、スラム街は実質的な全焼、崩壊を迎え、大量の難民が里に流れた。半分は長屋などに押し詰めていたが、もう半分は里の人々の協力でそれぞれの家に置いてもらったり、貴族の家に住み込ませて貰ったりする事で対処した。

 当初はスラムの人々への反発が大きく、中々受け入れては貰えなかったが、自警団の人達の説得や、何より元スラムの住人であった小夜が熱弁を奮ったのが大きかった。

 小夜は里の人々からも親しまれていたようだったらしく、彼女のスラムでの生い立ちを聞いて涙する人々も少なくなく、あっというまにスラムの人々は里の住民に溶け込んでいった。

 二つ目は、武村達のグループ、墓吐武頭が全員揃って出頭したという。武村を含め、他のメンバーも逃げる選択もできた筈だが、皆揃って自警団に出頭し、土下座までしたと聞く。

 そんな彼らに対し、辻秋は「でもこんなに急に来られても収容所ないから」と言ってスラムの再興を彼らに任せているらしい。

 今度はスラムなどとは呼ばせないよう、綺麗で健康的な街を目指し、現在瓦礫撤去の作業中だという。

 一体彼らが作る新しいスラムがどのような街になるのか、今から楽しみでならない。

 三つ目は、豊金が逮捕されたらしいという事だ。

 なにやら裏金、賄賂、横流しなど金に物を言わせて色々裏で悪事を働いていたらしく、武村の件も相まって、貴族称号や財産も剥奪。彼はその一生を牢獄で過ごす事になるようだ。これまでして来た事を考えればいい気味、というべきだろう。

 四つ目は、これは前の三つと関わる事だが、文が新聞を書き始めたのだ。

 スラムの崩壊によって里の人々に協力を求めたいと聞くや否や、スラムの人達や小夜にまでインタビューし、それを記事に纏め、数百部刷ったかと思うと、上空から里にばらまくという手荒な手法で里の人々に新聞を読ませる。

 この新聞が実に面白いらしく、一度手に取ればその場でしばらくは誰もが読み耽る程だったという。読んだ人の話によると「字が直接語りかけてくる」らしい。

 そんなとてつもない才を図らずも発揮し、彼女の新聞は好評を博し、同時にスラムの人々への理解と協力にも役に立ったのである。

 また、武村達の起こした事件に関しても実際にインタビューをしてその明細を詳しく纏め、彼らへの悪いイメージを払拭しようと新聞を出せば、その記事は武村達への同情を呼び、むしろスラム再興を手掛ける彼らを応援する者も出て来ている。

 一方では公表されていない筈の豊金の悪事の数々をどこからか調べ上げてはゴシップ誌のようなものを出し、里全体に豊金の悪名を知らしめるなどと、最早文の新聞はこの里の世論を左右するものになっている。

 そして、五つ目。これが自分としては一番の変化だが、小夜さんが高天原に入門した。

 小夜さん曰く、「もっと強くなりたい。兄に守られなくてもいい位に」という事らしい。小夜さんも宇喜畑さん達から武村が何故あのような復讐に走ったのかを聞いていたらしく、自分に責任があると思っての今回の入門らしい。

 しかも、師匠達は断ると思いきや「丁度蓮一君と同じ位の組手相手が欲しかった」とか「可愛い女の子なら大歓迎ね」とか「まぁ、別にいいんじゃない」とか何故か否定意見が全く出ず、満場一致で即入門となった。

 自分の時は結構皆嫌々やっていた感じがあったのに、幽香師匠とか結構打ち解けるのに時間かかったのに、なんか納得いかないと思っている自分がいる。

 まぁ、しかし、以前から来ていた霊夢は勿論、文や魔理沙師匠もしばしば訪ねてくるようになったし、これまで以上にこの高天原は賑やかになりそうだ。

 今回の戦い。今まで以上に厳しいものであったし、また色々と考えさせられた一戦でもあった。

 家族の事、孤高と活人の在り方の事、強さの事。

 俺はまだ高天原で色んな事を学ばなければならないのだ。武術だけでなく、人間の事、妖怪の事、世界の事。何もかもが俺は未熟なのだ。

 だから、日々研鑽し、修行しなければならない。新たな『戦い』に向けてもっと強くならなければならない。

 と、こんな思考ができるようになった所を見ると、我ながら自分も武人としての心構えが出来てきたのかもしれない。

 

「蓮一さーん! ご飯できましたよー! 夜の修行はここまでにしてご飯にしましょう!」

「はーい、小夜さん、今行きます!」

 

 あの戦いが終わってから書くようになった日記を書き上げ、蓮一は食卓へと走っていく。今日は小夜と師匠達に加え、霊夢や魔理沙師匠、文に武村も一緒に食卓を囲む予定である。

 辛い戦いはきっとこれからも何度も待ち構えている事だろう。

 だけど、きっとその度に新たな出会いも待っている。今回の武村や文、椛達のような戦いを、武術を通した出会いが。

 そして、その度にこの食卓も賑わっていくのなら、そんな戦いも悪くない。

 蓮一は心の中で日記の最後の一行をそう締め括った。

 




拳鬼編、思いの外長編になりましたが無事完結させられました!
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

次回からは大分前から伏線みたいな感じでちらほらワードとして出ていた
『人武祭編』をやっていこうと思います。
今の所拳鬼編よりもさらに長丁場になりそうです。

そして、申し訳ありませんが区切りが良いので作者GW休みを頂ます。
おそらく次回投稿は再来週辺りになると思われます。
(さらに伸びたらごめんなさい)

それでは改めまして、ここまで読んでくれた読者の皆様有難うございました。
再来週からの新編もよろしくお願い致します。
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