東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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引き続き、一話完結回です。


第三十四話「慢心」

「妖怪の退治の依頼?」

「はい! 急遽入った任務のようで、辻秋さんから直々に頼まれたんです!」

「団長から、直接……?」

 

 ある日の朝。いつものように朝の修行を終え、手拭いで汗を拭きながら、蓮一は隣に座る小夜と話していた。

 小夜が来てから、修行の内容に小夜との組手が多くなっていた。以前までは師匠達が直々に相手をしてくれていたのだが、射命丸師父や霖之助師匠曰く、自分達が加減してやるよりも、実力の近い者同士で組手をやった方が練習になる、とのことだった。

 妖怪の山の時も射命丸師父ではなく文に組手を付き合って貰う事が多かったので、その考え方には蓮一も賛同していた。

 いくら師匠達が手加減をしようと、所詮蓮一はまだ緊湊に至ったばかりの弟子級の武人。達人級の中でも選りすぐりの特A級の達人級である高天原の豪傑達とではあまりに差があり過ぎて、手加減にも限界があったのだ。

 そうして、新たに高天原に住み込みで修行している小夜と共に今日も朝から組手をしていた訳だが。

これは少し恥ずかしいというか、あまり歳の近い女の子と話す経験の乏しかった蓮一にとって、この状況はまだ慣れがたいものである訳で――――

 

「――蓮一さん? 聞こえてます?」

「え!? あ、すみません、なんでしたっけ?」

「だから、妖怪退治の話ですってば!」

 

 小夜に何度か声を掛けられ、ようやく、蓮一は意識を現実に戻した。

 目の前に、不満げに頬を膨らませた小夜の顔が映る。

 

「もう、本当に気を付けてくださいよ? 妖怪退治なんて……あまりに危険じゃないですか」

「だ、大丈夫ですよ! 俺は霊力が使えますし、異能の力もあります! それに、今までの戦いで多少は自信がついてきたんです!」

 

 小夜の心配げな表情に、慌てて蓮一は言葉を並べ立てる。

 しかし、決して強がりではなかった。確かに今までの戦いを経て、自分の実力に自信がついてきたのは本当であるし、それに、異能の力を身に着け、魔理沙と師匠に教えて貰った霊力のトレーニングの成果か、随分と霊力も上手く練る事ができるようになってきた。

 今回の妖怪退治に関して、蓮一は失敗する気がしていなかった。

 そんな蓮一の所へ、今まで小夜との様子を静観していた師匠が近づいて来る。

 

「蓮一、本当に大丈夫なの?」

「師匠まで、そんなに心配しなくても俺は大丈夫ですよ……?」

 

 師匠の表情はいつもの柔和なものではなく、真剣なものだった。

 普段は鉄仮面をする時以外は温厚な師匠が、そこまで真剣な表情を向けている。自然と蓮一の表情や背筋も引き締まったものになる。

 

「蓮一、最近のあなたを見ていると、どうも少し心の隙が伺えるわ」

「心の、隙?」

「ええ、確かにあなたはこの数ヵ月で驚く程強くなったわ。それは一重にあなたがどんな困難にも打ち負けず、ひたむきに乗り越えてきた賜物。私も師としてそれは誇りに思うわ」

 

 師匠の言葉は静かだが、どこか重みのある口調で、心に直接訴えかけてくるものがあった。

 

「でも、最近のあなたには余裕が見えてくるようになった。自信がつき、修行生活にも慣れてきたからか、初めの頃あなたにあった『必死さ』が欠けているように見えるわ」

「そ、そんな事は……」

「蓮一、忘れないで頂戴。妖怪は、『人間を襲うもの』よ。くれぐれも決して気を抜かないこと」

「は、はい……」

 

 表面では大人しく返事を返すが、内心、蓮一は納得いかなかった。何故そこまで師匠は自分を心配するのだろうか。

 勿論、師匠として弟子の身を案じてくれるのはとても嬉しい。だが、自分も以前よりは遥かに強く成長したのだから、少しは信頼して任せて欲しいという気持ちもある。

 流石にそこまで心配されると、まるで自分の成長を否定されているように感じてならない。

 蓮一はそれが不満でならなかった。

 

――だったら、この妖怪退治を完遂して少しは成長したってとこを見せてやる!

 

「――と、いう訳で早速妖怪退治の件、詳しく教えてください、辻秋さん!」

「あ、ああ、随分気合入ってるね」

 

 食い気味に迫る蓮一に辻秋は少しのけぞり気味になりながら、一呼吸おいてから退治するべき妖怪に関して話を始めた。

 妖怪は今の所どんな容姿かはわかっていない。ただ、最近人里の西の方に出ていった数人の住民が戻らない、との事だった。

 人里に来たのはその失踪者達を探して欲しいとの依頼だったが、辻秋はこれを妖怪の仕業と考え、妖怪退治に移る事に決めたのだ。

 本来ならば八武長を動かすべきではあるのだが、間が悪い事に八武長達は今別の妖怪の討伐で里内におらず、連絡手段がない。

 しかし、そこで博麗の巫女に依頼を回しては依頼主達に失踪者の捜索を諦めたと言っているようなものだ。

 あくまで博麗の巫女は妖怪退治の専門家であって、失踪者の捜索の専門家ではないのだから。

 そんな事をして依頼主からの信頼を損なう訳にもいかない。そこで、博麗の巫女の弟子であり、自警団の団員でもある蓮一に白羽の矢が立ったという訳だ。

 

「――残念だが、失踪者の事は諦めた方が無難に思う」

 

 最後に辻秋は口惜しそうにそう一言付け加えた。

 

「わかりました。でも、一応失踪者の方も探してみます」

「蓮一君……」

 

 蓮一の言葉に辻秋は何か言いたげに口を開きかけたが、結局、その開かれた口からその言葉が出る事はなく、頼んだよ、と一言そう言っただけで蓮一を送り出した。

 

 

 差し当たって、蓮一はまず依頼主の所に足を運ぶ事にした。生存の可能性が低いとはいえ、失踪者を探す際に顔の出で立ちがわからなければどうしようもない。

 蓮一は依頼書に書かれていた住所の長屋を訪ね、大家に自警団の者である事を伝えると、すぐに客間に通され、しばらくして大家と共に依頼主らしき三十台位の女性が現れた。

 

「……本日はわざわざご足労頂きありがとうございました」

 

 女性は疲れた様子でそう言った。

 彼女は見るからに精神的にも身体的にも疲弊しているように見え、髪は乱れ、肌は荒れ、寝ていないのか目元には深いクマが浮かび、その目は散々泣きはらした跡が伺えた。

 大家に促され、女性は虚空を見つめながら、呟くように話を始める。

 

「失踪した、というのは私の夫と、娘です」

 

 女性はそう言ってまた目から大きな涙を零した。

 夫は木を切ってはそれを売る所謂、木こりだったらしい。決して裕福という訳ではなかったが、二人は互いに愛し合い、子を成し、この長屋で助け合いながら今日までそれなりに幸せな生活を家族三人で送って来た。

 しかし、一昨日に事は起こった。

 その日もいつものように夫は木を刈りに里の外の北の山へと向かっていった。が、うっかりしていたのか弁当と水筒を持ち忘れている事に彼女が気付く。

 彼女にも仕事があり、とても届けに行くだけの時間は作れそうにない。そこで、彼女は娘にお使いを頼むことにした。

 以前も同じような事でお使いに行かせた事があり、その時は難なく一人で父の元へと辿り着き、何事もなく帰って来たので彼女も娘にお使いを頼むことにそこまでの危機感はなかったという。

 娘も最近は外の世界を探検したい年頃のようで、お使いを頼むと喜んで父と自分の二人分の水筒と弁当箱を風呂敷に包み、元気に駆けていった。

それから昼を過ぎても娘は帰ってこなかった。しかし、その時はきっと里のいろんな場所を見回って遊んでいるのかもしれないと、小さな不安しか覚えなかったらしい。

だが、夕方になっても娘どころか夫も帰ってこないのを見て、彼女の不安は大きく膨らんだ。

仕事を切り上げ、里の人達に夫と娘の行方を聞いたが、皆里の外へ出ていく夫と娘の姿は見たらしいが、誰一人二人が帰ってくるのを見てはいなかったという。

その夜、結局夫と娘は帰ってこず、彼女は縋るような思いで自警団に夫と娘の捜索を依頼した、という訳だ。

 

「わかりました。申し訳ありません、辛い事を聞いてしまって」

「いえ、こちらこそ御免なさいね、あなたみたいな子供にこんな事を頼んでしまって……」

 

 ただでさえ自分の事で手一杯な筈なのに、彼女は蓮一の方も気遣う素振りを見せた。

 彼女は立ち上がって、少し席を外すと一枚の古びた写真を持ってきてくれた。写真の中には彼女と、おそらくは夫と娘。幸せそうな三人の家族の笑った顔が映っていた。

 

「ごめんなさい、写真はこれしかなくて……あなた、夫と娘の容姿を確認したかったのよね?」

「すみません、有難うございます」

 

 写真に映る二人の姿をしっかりと目に焼き付けると、丁重にその写真を女性に返した。

 彼女は改めて三人の映る写真を見つめると、また大きな涙を零して写真を抱きかかえるようにして胸に押し付けた。

 彼女の悲壮に暮れた様子を見て、蓮一は立ち上がると頭を下げて長屋を後にした。

 そして、北の山へと全力で駆けて行った。

 

 

 北の山。来るのは初めて師匠に妖怪退治へ連れられて依頼だった。

 あの時は猟銃も全く効果がなく、逃げる事すらままならないまま殺されかけた。今思い出しても背筋が凍る。

 だが、今の自分は違う。蓮一は心臓の辺りを強く叩く。

 

「絶対探し出して見せる……!」

 

 しかし、蓮一のその決意とは裏腹に、いくら探しても人の気配一つ感じない。時間だけが刻々と過ぎ去っていき、ついには日が暮れて夜になってしまった。

 蓮一は時折雲間から差す僅かな月明かりと、音に五感を集中させながら森の中を慎重に進む。

 少し前の蓮一ならば、今の状況はあり得ない事であった。普通なら夜は避けてまた日中出直す事を選んでいただろう。しかし、妖怪の山での天狗達との戦闘経験を経て、今の蓮一は以前よりも遥かに妖怪との戦いに自信がついていた。

 天狗という幻想郷の名だたる妖怪の中でも比較的上位に位置する種と渡り合ったのだ。もうこの人里近くで出没する妖怪には苦戦はしないだろう。

 そう思っていた。それに、少なからず、依頼主の女性の話を聞き、早く依頼を果たさなければならないという焦りもあったのだ。

そして、それが大きな間違いだった事を蓮一は思い知らされる事になる。

 

「ん? あそこに誰かいる……?」

「うっ、ひぐっ、誰かぁ、おかあさん……」

「っ! 君、大丈夫か!?」

 

 月が雲に隠れたせいで分かり難いが、視界の少し先に木の幹に寄りかかりながらしゃがみ込み、膝に顔を埋めながらすすり泣く少女が見えた。

 よく姿は見えないが、声の高さやおおよその体格から考えると、写真で見た娘ではないだろうか。しかし、今の状況は奇跡的だ。今まで少女の存在が妖怪に気付かれなかった事は幸運としか言いようがないだろう。

 何はともあれ、無事だったのだ。

 急いで蓮一は安堵と共に少女の元に駆け寄り、声を掛ける。

 

「君、もしかしてお使いに行ったままずっとここにいたの? ここに居ては危ない。すぐに逃げよう、さぁ、俺について来て、立てるかい?」

「ううっ、ぐすっ、おにいちゃんだれぇ?」

 

 少女は顔を埋めたまま、蓮一の声に応答する。

 その体はよっぽど怖かったのか小刻みに震えている。蓮一は少女の頭を撫でながら優しく話しかける。

 

「大丈夫、俺は自警団の蓮一。君のお母さんに依頼されて君とお父さんを捜しに来たんだ。村まで必ず無事に送り届けてあげる。こう見えても妖怪よりも強いんだぞ?」

「本当に……?」

「ああ、勿論、本当……さ……?」

 

 蓮一はそこで僅かな違和感を覚えた。

 何故だ。何故目の前の少女は未だ『顔を上げない』のだろう。人間、一人になって不安な時に誰かに、それも人間に声を掛けられれば安心して顔を上げるものではないだろうか。

 なのに、何故目の前の少女はまだ顔を埋めたまま、こちらに顔を向けようとしないのだろう。

 一瞬考えて、一つ思い当る事があった。

 もしかしたら、自分がまだ妖怪かもしれないと少女に警戒されているのかもしれない。それなら彼女の対応は正解だった。

妖怪は人間を襲い、時には喰う。しかし、それは人間の肉を喰っているのではない。正確には人間の肉と共に、そこに蓄積された妖怪への恐怖、『畏れ』を喰っているのだ。人間の畏れが妖怪にとって最も美味な栄養源となる。

 だから、大抵の妖怪は人間に自分の異形の姿を見せつけ、畏れを得る。突然、人間が認知できぬままに殺したり喰ったりはしない。そうする場合は、その近くに大勢の他の人間が居て、その人間達から『畏れ』を得たい時だろう。

 だから、万が一妖怪に見つかった時はその妖怪の姿から目を塞ぐのは一つの有効な方法と言える。特にその姿を畏れの源としている妖怪はこれをやられると厄介らしく、中には諦めてしまう妖怪も少なくはない。

 だから、目の前の少女もきっと親にそう言い聞かされていたのだろう。森で迷子になった時は誰に声を掛けられても姿を見てはいけないと。

 しかし、かと言ってこのまま少女を置いていく訳にもいかない。蓮一は取り敢えず、もう顔を上げてもらえずとも、とにかく少女をまずは里に送り届ける事を最優先に考える事にした。

 

「さぁ、俺が里まで連れて行ってあげる。顔は上げないままでいいから立ち上がって」

「……うん」

 

 少女はそう言うと立ち上がって顔を上げる。

 相変わらず、両手で目を覆っているが、その他に見える顔立ちは間違いなく写真に映っていた娘のそれであった。

 蓮一は心の中で良かったと、僅かに安堵した。それから少女とはぐれぬよう手を差し伸べる。

 

「さ、手を繋いで歩こう。すぐにお母さんの所に連れて行ってあげるね。ずっとここで泣いててお腹も空いただろう? あまり手持ちはないけれど、最低限の食料と水は持っているから、欲しいものがあれば言ってくれ」

「……うん、じゃあ――――」

「うん?」

 

 その時、雲間から再び月明かりが差し、月光に照らされた少女を見て、蓮一は気付いてしまった。

 その少女の口がずっとニタニタと『笑っていた』事に。

 

「――おにいちゃんの目ん玉、私にちょうだぁい」

「っ!?」

 

 少女がゆっくりと両手を下ろし、ずっと隠していた目を蓮一の前に見せる。

 そこにはおおよそ目というものは無かった。あったのは、抉り取られたかのように綺麗に空洞になっている真っ暗な穴二つ。

 そして、そこから絶え間なく真っ赤な血が流れているのだ。

 蓮一は少女の異形の姿に驚き、数歩後ろによろめいた。

 

「お前、今、『畏れ』た?」

「しまった……!」

 

 畏れとは、妖怪にとっての最高の栄養源と共に、妖怪の格付けでもある。

少しでも妖怪を畏れれば、その場はその妖怪に掌握される。少女の目を見た瞬間、蓮一の身体がピクリとも動かなくなる。金縛りだった。

妖怪を畏れた事により、蓮一は容易く相手の術中に嵌ってしまったのだ。少女がニタニタと笑いながら動けない蓮一に近づくと、突然、その空洞になっている目から巨大な棘のような禍々しい槍が蓮一の眼球目がけて飛び出して来た。

 

「目ん玉、もーらったあっ!」

「うわあああああああああ!」

 

 グチャ、という何かが潰れたような音と同時に、蓮一は血を滴らせながら倒れた。

 

 

 自分の眼球に迫ってくる巨大な棘、その間に蓮一が思い出していたのは、村で襲われた骸骨の妖怪、そして、この北の山で襲われた二匹の異形の妖怪。

 そうだ、妖怪とはこれだ。蓮一は思い出した。

 『妖怪は人を襲うもの』。師匠の言葉が頭の中をこだまする。

 妖怪は人を襲うんだ。本来妖怪は人間よりもずっと強くて、そして、『人間を殺せるもの』なんだ。

 生物にとって天敵足り得るものとは何か。その生物よりも体格が大きいもの、力が強いもの、動きが俊敏なもの、目がいいもの、耳が聞こえるもの、ある武器を持っているもの。挙げていけばキリがない。だが、これらに共通しているのは総じて一つ。

 その生物を殺せること、だ。

 すなわち、自分を殺せる生き物は総じて天敵足り得る訳で、その定義に乗っ取れば人間の最大の天敵とはすなわち『妖怪』に違いない。

 そう、自分は今まで天敵と戦ってきたのだ。ただし、魔法の森では魔理沙が手助けをしてくれた、里に妖怪が来た時も同様に幽香が傍に居た、そして妖怪の山では天狗達は捕縛が目的であったために殺意がなかった。

 総じて、今までの自分の戦いには命の駆け引きが足りていなかった。だから、きっと慢心して忘れていたのだ。

 『死の恐怖』を。

 

「ぐ、ぐふッ……!」

 

 蓮一は呼吸を荒くして、金縛りから解放された蓮一は目の前で血だまりの中に倒れる妖怪の姿を『見た』。

 蓮一の眼球は無事だった。寸前で蓮一が異能の力を発動したからだ。

 手数を増やす程度の能力。霊体の腕を二本顕現させるだけの異能だが、金縛りの中で唯一蓮一が動かせたものであった。

 間一髪の所で蓮一の『腕』が攻撃の軌道を下に逸らし、攻撃を躱した。流石に二本の棘の軌道を完全に逸らしきる事はできず、右肩と首を掠った事で、流血しているが、まだダメージは小さい。

 そして、そのまま蓮一は霊体の腕で妖怪を全身全霊で攻撃した。

 霊体である以上、その腕は妖怪の命を奪う事の出来る凶器。霊体の腕で吹っ飛ばされた妖怪は後ろの木に叩き付けられ、同時にその体は霊体の全力攻撃と木に叩き付けられた衝撃に耐えきれず、『潰れた』。

 

「まさか、人間に化けて襲い掛かってくるなんてな……」

「ぐ、くそ……人間め……あと少しで喰えたのに……でも、残念だったな、私の棘は毒の棘……ちょっぴりでも掠れば、たちまち身体は動かなくなり、死に至る……せいぜい、苦しんで逝……け」

 

 そう言って妖怪は卑しく笑うと、そのまま目を閉じて、眠るように死んだ。

 蓮一は首と肩の傷に触れ、急いで人里へ帰ろうと足を動かす。しかし、途端に視界が歪み、足がもつれて倒れかけてしまう。

 思ったよりも早く、毒が効いてきていた。

 

「くそ……! 早く、早く帰らないと……!」

 

 今の自分の状況は完全に自分の心の隙が原因だった。もう失踪から二日経っているのだ。まず助かっている可能性などないし、そもそもあんなに綺麗な状態で見つかるはずがない。まず、服はボロボロで髪も乱れ、飢餓状態が襲って年端もいかぬ少女ならまず泣く気力すら失われているのが普通だ。

 なのに、そんな事にも気付かず、依頼主と一緒になって感傷に浸って、希望的観測ばかりに目が行って、考えたくない可能性から一切目を逸らした。

 自分が夜の森、妖怪の巣窟にいるという自覚と危機感が薄れていた証拠だった。

 

「もう、足が……」

 

 足が痺れて動かず、蓮一は前のめりに地面に倒れた。しかし、その感覚も全くない。ただ視界が90度回転しただけだった。

 もう全身が痺れて感覚がなくなっているのだ。意識もぼやけて視界が妙に暗い。

 もう何も見えない。

 

「――さん! 居た! いました!」

 

 何か幻聴まで聞こえてきた。でも、もう誰の声かも思い出せない。

 意識が闇に包まれていく。

 

「蓮一! 大丈夫、蓮一!?」

「蓮一さん! しっかりしてください! 目を開けて!」

 

――師匠、と小夜さん……?

 

 

気が付いたとき、見えたのは自警団の医務室の天井だった。

ゆっくりとぼやけた意識のまま起き上がると、自分の太もも辺りに重みを感じた。見ると、うつ伏せで蓮一の身体に頭を乗せて寝ている小夜の姿があった。

 

「倒れたあなたをここまで小夜が運んだのよ。お礼を言っておきなさい」

「……師匠」

 

 部屋の隅に、寄りかかって起きた蓮一を見る師匠の姿があった。

 師匠は起き上がった蓮一に歩み寄りながらこれまでの事を説明した。

 朝の様子から蓮一が心配になった小夜は自警団の仕事を早めに切り上げ、蓮一の動向を聞いて回っていたらしい。そして、蓮一がどうやら北の森に一人で向かっていったらしい事を聞くと、嫌な予感がした小夜は急いで高天原に帰り、師匠に助けを求め、共に北の森に蓮一を捜しに向かい、瀕死状態に陥っていた蓮一を発見、すぐに自警団の医務室に運び込み、医者と協力して朝までかかってなんとか毒を抜き治療を終えた、という経緯だったらしい。

 

「すみませんでした……」

「…………」

 

 師匠は何も言わず右手を振りかざし、蓮一の頬に平手を打ち付けた。

 乾いた音が医務室内に響き、残響の後はまた室内には重苦しい静寂が戻った。

 

「これは私の忠告を無視した分。言った筈よ、くれぐれも気を抜かないように、と」

「……はい」

 

 さらに、反対の方に一発平手打ちが放たれる。

 さっきよりも大きな音が鳴り響く。

 すぐ傍で寝ている小夜が起きないのが不思議な位大きな音が鳴った。その分、頬も焼け付くように痛んだ。

 

「これは、小夜を心配させた分よ」

「……はい」

「そして――――」

 

 師匠がまた手を振り上げるのを見て蓮一は思わず目を瞑る。

 しかし、その後に感じたのは頬を打ち付ける痛みではなく、抱き寄せられる感覚と、暖かな体温だった。

 

「よく、生きて戻って来たわ、蓮一。あなたが死ななくて、本当に良かった……!」

「し、師匠……」

 

 涙が出そうになった。だが、まだ泣くのには早い。

 自分は何もまだ成し遂げていない。まだ、やるべき事が残っている。蓮一は小夜が起きないようにゆっくり立ち上がり、師匠から離れると、外に出る準備を始めた。

 

「また、行くの?」

「はい、まだ、やり残したことがありますから」

「今度は大丈夫?」

「はい……!」

「よし、じゃあ、さっさと行って帰って来なさい!」

「はい!」

 

 蓮一は師匠に背中を押され、そのまま医務室を飛び出していった。

 蓮一が去っていた後、寝ている小夜に向けて師匠が口を開いた。

 

「良かったの? 寝たふりなんかしてて」

「はい、今の蓮一さんならきっと帰ってきますから」

「ま、そうね。じゃあ、私達は今日の夕飯の献立でも考えてましょうか」

 

 そう言って、師匠と小夜は互いに笑いあった。

 しかし、その直後に二人して蓮一の寝ていたベッドに力尽きたかのように倒れ込む。

 

「その前に、少し、仮眠を取りましょうか……」

「そ、そうですね……ほとんど徹夜でしたからね……」

 

 

「すみません、この壺、売ってくれませんか?」

「お、おう? 何に使うんだこんな壺?」

 

 里で丁度よく見つけた壺を買っていき、それを背負うと、改めて蓮一は北の山に向けて走って行った。

 汗だくになりながら山に辿り着き、昨日妖怪に襲われた場所に辿り着く。一日経って身体は消滅してはいるが、依然として生々しい血だまりが其処にはあった。

 

「やっぱりここにはないか……だとしたら――――」

「た……助けて……誰か……!」

 

 蓮一が次の方針を決めようとしていた矢先、近くで弱弱しい声が聞こえた。

 蓮一が声の方向に走ると、獣の妖怪に襲われている痩せ細ったボロボロの男の姿が見えた。

 素早く蓮一は二人の間に割って入り、獣の妖怪の前に立つ。

 獣の妖怪は、蓮一の練る霊力を見て、勝ち目がないと悟ったのか、すぐにどこかに逃げて行ってしまった。

 

「あ……ありがとう……君は……」

「自警団の蓮一です。あなたは木こりの……?」

 

 彼の容姿は写真のものと比べ随分痩せ細り、消耗している様子だったが、間違いなく女性の夫に違いなかった。

 男はまるで三日三晩歩き回ったかのように服や足袋はボロボロになっており、ほとんど飲まず食わずだったかのようにすっかり痩せこけて、相当な恐怖に見舞われていたらしく髪は白髪が増えて一部が抜け落ちていた。

 そして、ついさっきまで妖怪に襲われ、蓮一が助けに駆けつけなければきっと喰われていただろう。

 

「た、助かった……木の実や草を食べて凌いできたが……もう駄目かと……」

「ええ、危なかったですね。あなただけでも助かって良かった……」

「という事は……娘は……?」

 

 蓮一が首を振ると、男は悔しそうに地面に顔を伏せ、小さく震えていた。

 娘の事を聞いてのこの反応、飢餓状態も木の実や草でも入れておけばなんとか凌げるだろうし、男の風貌や言っている事に不自然な点はない。

 

「大変だったでしょう、もう大丈夫です。さあ、行きましょう」

「はい……」

 

 間違いない、この人は人間だ、間違いなく。

 

「じゃああああ! 逝ギまじょうが、蓮一ざんんんんんんん!」

 

 蓮一が背を向けた途端、男は立ち上がって異形の叫び声と共に隠し持っていた斧を振り下ろす。

 男の眼球はだらりと零れ落ち、そこには少女と同じ真っ暗な空洞が見え、そこから真っ赤な血を流していた。

 

「死ねえええええええええええッ!」

 

 妖怪は斧を蓮一の脳天目がけて振り下ろす。

 しかし、その斧の切っ先は蓮一の頭部に触れる前に、蓮一から放たれた捻り切った拳が斧の側面と並行に入れられ、その拳が一気に捻りあげられる事によって側面から斧の軌道が逸らされると同時に、回転力で倍増した霊力を練り上げた拳が妖怪の顔面を砕く。

 

「白刃流しッ!」

「グギャッ!?」

 

 突きと同時に捻り上げにより相手の攻撃の側面を叩いて軌道を逸らす、攻防一体の技。幽香が使えばおそらく斧と一緒に妖怪の腕も木端微塵に吹き飛ばしていただろうが、今の蓮一の技の練度では精々斧の軌道を逸らしつつ攻撃するので精一杯だ。

 それでも目の前の妖怪を叩きのめすには十分だったが。

 

「な、なんで! 俺の演技は……完璧……絶対に人間に見えた筈……!」

「そうだな、お前の風貌や言ってる事に何一つ不自然な点はなかった。すごい衣装の作り込みと名演技だったよ。しかも、お仲間に自分を襲わせるなんてな」

「だったら……なんで……!」

「生きて夜を越せたんなら何故昼の内に山を降りなかった? 一日目の夜を越した後、まだ体力が残っているうちに逃げ出せただろ。誰が好き好んで人間が三日もこの山に居座るんだ?」

 

 そもそも冷静に考えれば、失踪したその次の日の昼間に帰ってこない時点でもう生きている余地などないのだ。

 足を怪我しているならまだしも、ここから山のふもとまで歩いても三十分とかからない。這いずっても昼下がりには麓に出られる筈なのだ。

 なのに、それが出来なかったという事はそういう事なのだ。

 

『――残念だが、失踪者の事は諦めた方が無難に思う』

 

 辻秋の言葉が脳裏に蘇る。

 彼は既にわかっていたのだ。だから、蓮一には何も言えなかった。折角人を助けようと意気込んでいる蓮一に彼は何て声を掛けるべきか言葉が見つからなかったのかもしれない。

 こんな事にすら頭が回らなかった自分が恥ずかしい。要は簡単な事だった。

 

「お前の存在、そのものが既に不自然なんだよ」

「は、はは……確かに……! まだ演じ切れていなかったか……人間を……」

「おい、死ぬ前に教えろ。お前の巣穴はどこだ」

 

 目の前の妖怪は既に虫の息だった。放っておいてもすぐに死ぬだろう。当然ながら蓮一の練り上げた霊力が妖怪の身体を滅しているからである。

 その前に、どうしても蓮一はこの妖怪の巣穴を知っておく必要があった。可能性があるとすれば、もう後はそこしかないから。

 

「そんな事を聞いてなんになる?」

「それが分からないから、お前は人間を見誤ったんだ」

「……いいだろう、この先の洞窟が俺の巣だ」

「そうか」

「……人間っていうのは……難しいなあ……」

 

 それが妖怪の最後の言葉になった。妖怪の身体が真っ白な煙のようになって蒸発し、後には僅かな血痕とおそらくは木こりの男が使っていたであろう、古びた斧以外何も残らなかった。

 蓮一は斧を拾っていくと、妖怪に言われた方向へ走る。

 数分して、妖怪の巣と思われる洞窟が見えてきた。

 洞窟内からは腐った肉の臭いが漏れて来ており、近づくだけで吐き気を催す。

 蓮一は半ば息を止めるようにして洞窟の奥に入り、近くの太い木の枝にマッチ火を灯して洞窟内を照らす。

 

「……そうか、やっぱりここにあったか」

 

 蓮一は洞窟の奥にあった『それ』を悲しげな瞳で見つめると、今まで背負っていた壺をゆっくりと下ろした。

 

 

 夕刻、長屋の扉を叩く音が聞こえた。

 今は大家が不在で、留守を任されていた女性がゆっくり扉を開ける。

 

「どちら様ですか?」

「どうも、自警団の蓮一です」

 

 女性は驚いたような顔で蓮一を見つめる。

 

「妖怪に襲われて重傷を負ったと聞きましたが……?」

「こう見えて頑丈なもので」

 

 蓮一は苦笑いを浮かべると、女性に促されるまま長屋の中へと入って行った。

また以前の茶の間に通されると、蓮一は背負っていた大き目の壺を下ろし、目の前の机に置いた。

 女性は不思議そうにその壺と蓮一を交互に見つめる。

 

「あの、蓮一さん、これは……」

「……依頼にあった旦那様と娘さんですが、ようやく見つかりました」

「……では、娘と夫は今どこにいるんです? 今は治療を受けているとか……?」

 

 おおよそ、蓮一の苦しそうな表情を見て何を言いたいのか察したのかもしれない。女性の声は徐々に震え初め、その視線は彼女の目の前に置かれた壺に集中していた。

 辛いが、言わなければならない。蓮一は覚悟を決め、その一言を彼女に言った。

 

「この壺の中に……旦那様と娘さんの骨が入っています。おそらく全部はないかもしれませんが、どうか供養なさってください」

「…………あ」

 

 何か、糸が切れたかのように彼女はそう一言呟くと、震える手で壺を胸いっぱいに抱きかかえ、すすり泣き始め、それはやがて号泣へと変わった。

 蓮一が妖怪の巣にまで行って探したものは彼女達の骨だった。妖怪は人間の骨までは食べないらしく、その巣には食べカスの骨があると師匠から聞いた事があった。

 だから、蓮一はその骨を集められるだけ集め、綺麗に清めて壺に入れて収めた。せめて、供養だけでもできるように。

 

「それと、骨のあった場所の傍にこれも落ちていましたのでお返しします」

 

 そう言って、大声で泣く彼女の前に夫のものである斧と、当日に娘が届けに行った二人分の水筒と弁当箱を置いた。

 きっと当日二人で一緒に食べたのかもしれない。中身は綺麗に空になっていた。

 それを見て、また彼女は大声で泣いた。

 蓮一は見ていられず、深く頭を下げて、長屋の戸に手を掛けた。

 

「……蓮一さん、―――――――――――」

「……!」

 

 最後に言われた言葉に蓮一は何も返せず、そのまま泣き止まぬ彼女を一人置いて帰ってしまった。

 その日の高天原までの道はあっという間だった。

 きっと色々な事に思いを馳せていたからだろう。気付けば肩や頭に鈍い痛みを感じる。知らず知らずの内に色々な所に身体をぶつけたのかも知れない。気付けば高天原に到着しており、門に頭を擦り付けていた。

 初めてだった。

 妖怪を自分の意思で『殺した』のは。

 だが、これは妖怪退治としては当然起こりうる事なのだ。今更奪った命の重さに耐えかねる訳にもいかない。

 そして、妖怪が退治されるという事はその裏で誰かが殺されているという事だ。あの女性のように誰かが悲しみと絶望に暮れているという事だ。

 妖怪退治、自分の目指す道の険しさに改めて気付かされた。そんな二日間だった。

 妖怪の恐怖に正面から立ち向かう事も、その妖怪の命を奪う事も、そして妖怪が生んだ悲しみに触れる事も、全て総じて妖怪退治なのだ。

 

「俺なんてまだ未熟の内にも入らないって事か……」

 

 ここ数日で慢心して緩み切っていた気が引き締まったような気がした。

 

「よし! 気合入れなおして明日の修行量を増やしてみるか!」

「――うん、そう言うと思ってね。蓮一君のために新しい修行からくりを作っておいたんだよ」

「……霖之助師匠、いつからそこに居ました?」

「いや、君が全く中に入ろうとしないで考え事をしているようだからね。考えが纏まるまで待ってたんだ」

「…………」

「…………」

 

 霖之助師匠と視線が交差し、しばらく時間が止まる。

 

「……ところで、新しい修行からくりの件だけど――――」

「戦略的撤――――」

「逃がすか」

「うわああああああああ! 明日から! 明日から頑張りますから!」

「今日頑張れない者は明日も頑張れない」

 

 逃げ出そうとする蓮一の襟首を掴み、霖之助は軽々と高天原の門を片手で押し開けていく。

 それは蓮一には地獄の門が開いていくかのようにも見えた。

 

「あ、蓮一さん! お帰りなさい!」

「あ、ただいま、小夜さん、じゃなくて、助け――――モガ!?」

「いやー、悪いね、小夜君。僕と蓮一君はもう少ししてから夕飯にするよ。さぁ、行こうか蓮一君」

「ムゴー! ムゴゴゴー!」

 

 口を塞がれて喋れない蓮一と、それを引きずっていく霖之助を小夜は苦笑いで手を振って見送るしかなかった。

 

 

「――うがああああああ! り、霖之助師匠! これは! いつまで! 走り続ければ! いいんでしょうか!?」

 

 まるでハムスターの回し車をそのまま人間大にして機械的にしたかのようなからくりがそこにはあった。

 その回し車の中に閉じ込められ、蓮一が必死に回し車を回している。

 霖之助は本を読みながら笑ってその様子を見ている。

 

「回し車をある速度以上で回し続ければ発電が始まる。その電圧が一定以上になったら扉が開いて外に出られる仕組みさ。しかも、発電した電気は高天原の方で使える。修行と電力確保を同時にこなせる。なんというエコ!」

「俺にエコじゃないですが!?」

 

 そんな突っ込みを入れつつ重たい回し車を必死に回す蓮一の元に師匠が歩いて来た。

 

「あら、精が出るわね、蓮一」

「し、師匠……」

「それで、どうだった? 妖怪退治は、もう嫌になった?」

「し、正直大好きといえば、嘘に、なりますけど!」

 

 蓮一の回し車の回転速度が一段階上がった。電力が僅かに発電され始める。

 

「じゃあ、やめる?」

「いえ! 続けます!」

 

 さらに回転速度が増し、しばらくして扉から機械音が響き、ドアのロックが解除された。

 蓮一はふらふらになりながらドアを開けて外に出て、師匠と視線を合わせる。

 

「ふふ、そう。良い経験をしてきたようね」

「はい!」

「さ、もう夕飯にしましょ。皆待ってるわよ」

 

 師匠はそう言って微笑むと、背を向けて霖之助と共に一足先に食卓の方へと向かっていった。

 蓮一は最後に彼女に言われた言葉を思い出していた。

 

『……蓮一さん、夫と娘を見つけてくれて、本当にありがとう』

 

 妖怪退治も楽しい事ばかりではない。というかむしろ苦しい事や辛い事だらけだろう。しかし、その中で一言あの言葉が聞ければ、妖怪退治という道を歩き続ける事ができるだろう。

 蓮一はその言葉を胸に抱き、皆の待つ食卓へと走って行った。

 

 




今回は蓮一がお灸を据えられる感じの内容でシリアスになりました。
やっぱり蓮一も人間なので必ず失敗もします。そして同時に失敗を経た成長も必ずあるものです。



後、たまには師匠も話にだしたいなとか思ったり。

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