「道場破りって……なんで急に」
「はっきり言って、落ち目の私が岩流にしてやれる事などもうない」
慌てふためく蓮一に一刀斎は絶え間なく水しぶきを上げる滝を見上げながらそう言った。
「だが、奴の師匠として私はあと一つ極意を教えてやらねばならん事がある。それを伝えんがための道場破りなのだ」
「極意……?」
「うむ、武の極意だ」
道場破りの中で伝える武の極意などあるのだろうか。技の伝授にしても道場破りの中で見せるには他の武人の目があるのだから不自然過ぎる。
しかも、それが高天原の名だたる達人と知っての事ならば尚の事、極意を晒すなどという方法は取らないものだろうが。
「だから、蓮一よ。明日の正午にお主の道場へと出向き、正式に道場破りを申し込む。その際の立会に岩流を呼んではくれまいか?」
「はい、それは構いませんけど……本当にいいんですか? その、極意というものを道場破りの中で見せるなんて……」
蓮一は改め一刀斎に達人の目の前で極意を見せる気なのか、その意思を確認した。当然、蓮一の考える事など目の前の彼も承知の上なのだろうが、それでも蓮一は口に出して尋ねた。
その言葉を聞くと、一刀斎は愉快そうに大笑いを始め、しばらく山中にその高らかな声を響かせたかと思うと、蓮一の肩を叩いた。
「そんな事を心配していたとは、お主は優しいな! しかも、黙っていれば極意を見れただろうものを本人に直接確認するとはなんと律儀な! いや、気に入ったぞ、蓮一!」
「い、いや、そんなつもりじゃ」
「まぁ、心配せずとも良い。私が岩流に伝える極意など、高天原の連中には当然すぎて極意ともわからぬのでな」
「当然……?」
「ああ、お主にとっても、そこまで特別なものではなかろう」
一刀斎のその言葉を聞いて、蓮一の顔はますます困惑の色を濃くしていった。
その様子を見て、また一刀斎は愉快そうに笑うと、滝から離れ、森の中へと足を進める。
「まぁ、全ては明日わかる事よ。それよりももう暗くなる、山の出口まで送ろう。来い、蓮一」
「は、はい!」
そうして、蓮一は一刀斎に連れられ、あっさりと山を抜けた。
あれだけ時間をかけて、深くまで入っていたと思っていたのに、大よそ十五分程度で入り口についてしまった事に若干の悔しさを感じる。
生まれてからその三分の一近くを山で過ごしてきたが、まだまだ自分も山には翻弄される側の人間のようだ。
「それでは、明日はよろしく頼むぞ、蓮一」
「はい、師匠達と岩流さんに必ず伝えます」
「うむ、あ、忘れていたが、明日私が勝てば道場は本当に貰い受けるし、お主はその一番弟子になるから覚悟しておけ、蓮一」
「ええ!?」
「はっはっは、何、お主の師匠が負けたら、の話だ。ほとんど冗談の域を出ん話、そう気に病むな。お主は岩流とどこか似て生真面目だから、からかうと良い反応をする」
そう言って、面白そうに笑う一刀斎に対し、蓮一は返す言葉もなく脱力してうなだれた。
☆
「――冗談の域の話、では済みそうにないな」
先程から防戦に回る鈴鹿と、怒涛の攻撃で畳みかける一刀斎。その戦況を見ながら昨日の一刀斎の言葉を思い出して蓮一は小声でポツリと呟いた。
五天と岩流が言っていた技。五つの秘剣という話だったが、まさか、それだけでここまで鈴鹿が終始押されるような戦況になるとは想像もしていなかった。
「五天の弐、『絶妙剣』」
正面の敵から刀身を隠すように構える脇構えから鈴鹿の懐へ一気に飛び込んでいく。
すかさず防御態勢に入る鈴鹿の剣を、立膝をつきながら剣を掬い上げるように振り上げ柄の真下を叩いて上へと払い上げ、無防備になった喉に突きを放つ。
「く……」
寸前で半歩後ろに下がり、喉突きは回避するが、一刀斎は続けざまに上方に挙げられたままの鈴鹿の持ち手を狙って斬りつけにかかる。
喉突きを躱すために強引に半歩下がったために重心が後ろに偏った不安定な姿勢を取っている鈴鹿にその攻撃を返す術はない。
だから、彼女は逆に不安定さに身を委ねた。
後ろへ偏る重心に抗おうとせず、そのまま重力に引っ張られるように後方へ転倒する事で小手斬りをもギリギリで躱して見せる。
そのまま後ろに倒れる鈴鹿は受け身を取りながらその場で素早く後転して体勢を立て直す。
あの息もつかせぬ怒涛の一刀斎の剣戟を躱すと同時に距離も稼いだ訳だ。
「……五天の参、『真剣』」
しかし、鈴鹿の神懸かり的な回避にも一切驚いた様子も見せず、さらに容赦なく防戦一方の鈴鹿との間合いを詰め、構えを取る。
今度の構えは妙剣、絶妙剣とは異なり、刃の先端を正面に向け、刀身が点となるように構える霞の構えからの右斜め下ろし斬り。
さらに後ろに下がって躱す鈴鹿に再び霞の構えを取ってからの左斜め下ろし斬り。なんとかこれを、立膝をつきながら受け切る鈴鹿に、さらに一刀斎は正眼の構えから面斬りを加える。
流れるような三連撃。敵を追い詰め続け、反撃も許さぬまま斬り伏せる。王道的で超攻撃特化の剣術。それが一刀斎の興した剣術流派、『一刀流』の姿を見た蓮一の素直な艦装であった。
一度、相手を防御に回らせてからの猛攻に微塵の容赦も油断もない。流れるように技の上に技を、攻撃の上に攻撃を叩き込み、一切攻防を逆転させる気がない。
一刀斎の剣は相手を確実に仕留めるまで決して攻撃を止める事はなかった。
そして、ついにその剣は鈴鹿に届いた。
「木刀……が!」
面切りを同じく防御した瞬間、鈴鹿の木刀はミシリと嫌な音を立てて、その表面に大きなヒビを走らせた。
一刀斎の剣が、ついに鈴鹿を捉えた瞬間であった。
鈴鹿はそれでもなんとか一刀斎の剣を受け流して距離を取る。さらに鈴鹿の長刀に走るヒビは広がっており、もう一合でも受けてしまえばへし折れてしまうだろうという損傷具合であった。
鈴鹿はそれを腰に差す。それを見て一刀斎はようやく攻撃を一旦停止させた。
その額には今までの猛攻からか大量の汗が流れており、息も上がっているのか肩が上下に動いている。
「ふ、ようやく、捉えたぞ……鈴鹿御前!」
「…………ふ、ふふ……ふふふ」
腰に差したひび割れた長刀を見ながら、突然鈴鹿は不気味な笑い声を上げ始める。
その様子を見て、慌てて刃空、霖之助、幽香が動く。
「蓮ちゃん! 早くわいちゃんの後ろに!」
「え、どうしたんですか!?」
「岩流君、君もだ、急げ!」
「は、はい!」
「小夜、あんたは私の後ろにいなさい」
「え? わ、わかりました!?」
困惑する蓮一達を強引に自分達の背に隠す。明らかに異常だった。普段、滅多な事では取り乱さない高天原の豪傑達が揃って何かに対し全身全霊で警戒体勢を取っている。
瞬間、まるで自分が極寒の氷原の中に裸でなげだされたかのような強烈な、痛みすら覚える程の寒気が蓮一を襲う。
岩流と小夜も同様に、自分の身体を抱きしめ、小刻みに震え始めていた。
自分達の前で盾になるようにして佇む刃空、霖之助、幽香も若干汗ばみながら、その寒気の根源を、妖刀振るう最凶の戦乙女、鬼姫、鈴鹿御前。
その鬼姫たる由縁を、蓮一はその日、嫌という程思い知ったのだ。
「ふふ、ふはははははははははははははははははははは!」
「まずいね……鈴鹿どんが久々にキレちゃったね……」
「あれを止めるのか……」
「面倒過ぎて今から気が滅入るわね」
まるで地の底から響くような笑い声を上げる鈴鹿。その様子に刃空達は心底嫌そうな表情を向けている。
そこに立っているのは最早それまで蓮一が知っていた彼女ではなかった。
「面白い、面白いぞ、一刀斎! 妾をここまで昂ぶらせた剣士はお主が二人目じゃ! 愉快、実に愉快ぞ!」
「だ、誰ですか、あれ?」
「いつも顔を合わせているじゃないかね、鈴鹿どんね」
「いや、知りません! 俺が知ってる鈴鹿師匠はあんなハイテンションな喋り方はしません! もっとボソボソ何言ってるかわかんない不気味な喋り方でした!」
「まぁ、あれが鈴鹿どんの本来の姿、というか……むしろ今までの鈴鹿どんの方が不自然だったのね」
「鈴鹿は、ああやって自分と対等かそれ以上の武人と戦うと、気の発動と共に過去の自分を取り戻すんだ。鬼姫と呼ばれていた頃の、全盛期の彼女に」
「鬼姫……? っていうか、この突き刺すような寒気はまさか気の発動なんですか!?」
「ああ、ただの動の気の発動だよ」
「気の発動だけで、これなんて……」
「小夜、しっかりしなさい。顔真っ青よ」
「まぁ、今はわいちゃん達が動の気を中和してるから死ぬことはないね」
「直で受けたら俺達死ぬかもしれないんですか!?」
「しかし、そんな中で平然と立っておられる一刀斎様、流石だ……!」
「惚れ惚れしてる場合じゃないですよ、岩流さん!」
次々と師匠達から放たれる規格外の情報に、蓮一は今にも倒れてしまいそうだった。
☆
その昔、鈴鹿御前は常に戦いの中に身を置いていた。
毎日毎日敵を作ってはそれを斬り殺し、それによってまた現れる敵を斬り殺す。そうして常に戦いの中で生き、戦いに飢える事こそ彼女の至高であった。
当時の彼女は戦いの狂気に飲まれていたのだ。
しかし、この度を越えた暴れ具合を問題視した紫は博麗靈夢にこれを退治させるべく彼女をあてがった。
「お前が、噂の鬼姫か。成程、その強さにその美貌、確かに『鬼姫』という二つ名にふさわしい」
「誰じゃ? そなたは?」
「博麗の巫女、博麗靈夢。お前を退治しに来た」
「成程、合点がいった。その漆黒の鬼仮面と並々ならぬ気、そなたが噂の『鬼巫女』か。最近は骨のある相手がいなくて退屈しておった所じゃ。丁度良い、博麗靈夢よ、妾と死合え」
「最初からそのつもりだ」
その後、三日にも及ぶ彼女達の死闘は最終的に戦いの場となった山一つを平野に変えてしまいながらも博麗靈夢の勝利に終わった。
「……まさか、妾が負かされる時が来るは……のう……」
「…………」
「どうし……た? 早く妾を殺せ。そなたはそのために来たのじゃろう?」
「いや、殺さない」
「何……?」
「その代わり、今後一切の『殺し』を禁じる。勝者の言葉は敗者の絶対。いいな?」
「成程……殺したのは、妾の中の狂気……か」
それ以来、鈴鹿御前から『殺し』の概念と『狂気』は彼女の心の深層に消えた。同時に、戦わなくなった事で常に一人でいる事が多くなった。
戦いのない孤独な日常は、徐々に彼女の精神状態を悠長にさせ、滅多に言葉を発さないためにその口調は次第に劣化していき、声のトーンが変わらず、変な所で言葉を区切る特殊な口調になった。
所謂、平和ボケ状態に彼女を陥れ、鬼姫としての彼女を封印したのである。
しかし、その封印を解き、眠っている鬼姫を再び覚醒させてしまう状況が一つある。
それは、かつての戦いの熱を取り戻させるような豪傑との戦い。それによって彼女の心の奥底に眠る戦いの狂気が蘇り、かつての鬼姫へと返るのである。
「――――という訳なんだ」
「つまりは、今までの鈴鹿師匠は平和ボケしたゆるゆるな状態で、今高笑いしながら殺気を放つあの人が本来の鈴鹿師匠って事ですか……?」
「そういう事ね」
普段からどこか抜けているとは思っていたが、まさかあれで平和ボケした状態だったなど正直信じられない。
普段から鈴鹿の修行で何回走馬灯を見たか分からない程に死の恐怖を沁みつけられている蓮一には普段の彼女も十二分に脅威そのものだった。
それが、さらに強大となったというのだから、正直師匠達の後ろに居てもあまり生きた心地がしない。
「以前、鈴鹿の封印が解けた時には僕達三人がかりで止めたけど、あの時は丸一日かかったよ」
「そ、そんな相手を一刀斎さんと戦わせて大丈夫なんですか……?」
「わからないな」
既に、霖之助達は傍観者ではなかった。
いつ試合の一線を越え、死合いへと踏み込むかわからない彼女を止めるべく、彼らは鈴鹿の一挙一動に集中して臨戦態勢を取っていた。
しかし、その不穏な空気とは裏腹に、当事者たちは実に楽しそうに笑みを浮かべ、睨み合いを続けていた。
「成程、それが貴殿の本性という訳か、鈴鹿御前よ」
「まぁ、そういう事じゃな。さて、後ろの奴らも何やら穏やかでない空気を漂わせ始めておるし、止められぬ内に再開といこうか――――」
「――――!」
「――のう!」
その瞬間、鈴鹿の身体は一瞬透けて消え、気付けばその身体は一刀斎の真後ろにあった。
一刀斎が回転しながら横凪ぎに木刀を振るが、それを容易く腰から半分程度引き抜いた短刀で防御する。
「鈴鹿流居合、橘則光」
腰を落とし、一刀斎の真下に入り込むように姿勢を低くしたかと思うと、中刀を右手で逆手に持って引き抜くようにして一刀斎の身体を下から上へと縦に斬りつける。
その神速たるや、鈴鹿が木刀に手を掛けたのを見た瞬間には既にその右手は振り上げられた後に見えた程で、蓮一、岩流、小夜は愚か、霖之助達でさえ、完璧には目で追えぬ程の速度であった。
しかし、ただ一人、一刀斎だけはその斬撃をその目で捉え、寸での所で躱していたが。
「なんというキレのある居合よ。さっきまでとはまるで別人だな、鈴鹿御前」
「一太刀躱した程度でもう終わったつもりかえ? 一刀斎よ?」
「なっ!?」
「鈴鹿流居合、山吉長久」
今度は右腰の長刀による居合。
通常、居合斬りは一度鞘から引き抜いてしまえば再度鞘に戻すまでは使えない。つまりは居合の連撃は一般的には不可能であった。
しかし、鈴鹿は事前に三本の木刀を携えている。しかも、初撃の居合は右腰右手で行われたために左手が空き、右腰のもう一本の長刀での居合が可能であった。
通常は考えられぬ居合の連撃を彼女は可能にしていた。
「ぐ……中々やる!」
居合を受け切れずに大きく弾き飛ばされながらも、なんとか防御する一刀斎。
お互い、依然として一度たりとも互いの身体にだけは一太刀も入れさせない。どんな予測外の攻撃にも持ち前の反射で防御する。
それは、剣士として、一太刀浴びる事が即ち敗北と死を意味する所である事を両者が理解しているからに違いない。
「……初見で今の『二段居合』を躱したのはお前が初めてじゃな」
「私も少し焦ったがな。まだこういう反射は衰えてはいないらしい」
未だ双方どちらにも勝負の流れは見えない。
依然として互角、どちらも一歩も引かぬ攻防が続いていた。
「それにしても、変わった技名だな? まるで人の名のようだ」
「名はその技で斬り初めた武人の名を冠しておるのじゃ。妾と太刀を交えた武人達へのせめてもの手向けよ」
「戦闘狂、ここに極まれりと言った所か」
「そなたの名も使うてやろうか?」
「結構だ、斬られる気は毛頭ないのでな」
「そう言われると意地でも斬ってやりたくなるのう」
不穏な台詞に口角を釣り上げ、再び鈴鹿が居合の構えから追撃を掛けに踏み出す。
今度は、一刀斎は迎え撃つように剣を構え、その場に留まる。
「一刀流奥義、
再び、一刀斎の周囲に制空圏が復活する。しかし、さっきのような特殊な形をしたものではなく、無手の制空圏よりも少し広めの球体をとる制空圏であった。
「鈴鹿流居合、六角時信」
鈴鹿から放たれる中刀の下段への斬撃。
しかし、その斬撃が一刀斎の木刀に触れた瞬間、その刀身は大きく跳ね上がり、最終的には一刀斎の遥か上段を空振りしていた。
「何?」
「隙あり!」
大きく隙を見せた鈴鹿に容赦なく攻めに転ずる一刀斎に、迷わず鈴鹿は今一度距離を取る。
「え? 今の何が起こったんですか? 下段に斬りつけた筈がいつの間にか木刀が一刀斎さんの頭の上に移動して……?」
「廻し受け、ね」
刃空がそう目を見開いて呟いたのが聞こえた。
通常、剣を防ぐには横斬りには縦に構え、縦斬りには横に構える。所謂、自分の剣と相手の剣で十字を作るようにして防御するのが一般的と言われている。
今一刀斎がやって見せたのはその発展形。
横から来た剣に対して縦に構えるまでは一緒だが、そこから円を描くように手首の回内を利用して、相手の剣を自分の流れに乗せてやる。
十から卍を書くように円運動させて剣を受け流すのである。
すると、相手は下段を斬ったつもりでも、気付かぬうちに剣は遥か上段に逸らされるために認識の誤差が生まれ、致命的な隙が作り出される。
これは達人であれば達人である程、自分の技のイメージが鮮明なので、効果が大きい。
結果として今の鈴鹿は気付かぬうちに剣を上に逸らされていた事で動揺し、追撃が遅れて一刀斎に攻勢に回る事を許してしまった。
「一刀流が攻めだけの流派だと思ったら大間違いだ」
「成程、これは厄介じゃ。仕方ないの、それならばこちらも取って置きとやらで対抗しよう」
そう言うと、鈴鹿は再び腰に木刀を戻して同様に一刀斎に向けて真っ直ぐ向かっていく。
「鈴鹿流
「三段……面白い、受けて立つ!」
一刀斎の表情が強張り、空気が一気に張りつめていく。
同時に鈴鹿からこれまで以上の動の気が漏れ出し、道場全体を気で包み込む。
「
「ッ……!」
一太刀目、右腰短刀による下段居合斬り。今までの居合よりさらに速度と威力が増し、『廻天』で受け流しきったにも関わらず、一刀斎の手首に軽い痺れが走る。
しかし、同時に鈴鹿の短刀はその負荷に耐えきれずにミシミシと鈍い音を立てながら折れ、刀身が宙に舞う。
「二ッ!」
続けて二太刀目、今度は左腰中刀による上段斬り。同じように廻天で受け流し、また鈴鹿の木刀が木端微塵に砕け散る。しかし、今度は一刀斎の木刀も一瞬、大きく歪み、軋む音を響かせて、また手首に電流が走ったかのような痛みを走らせる。
そこで、ようやく一刀斎は気付いた。
――まさか、受け切れていない……!? 円運動で受け流すよりも早く、奴の斬撃が届いているのか……!? 奴の剣戟のスピードに、私が追い付けていない……!
「――鈴鹿御前ッ!」
咆哮のように、一刀斎は目の前の剣士の――否、剣鬼の名を叫んだ。
剣鬼は二太刀目を放つ際に同時に戻していた左手を右腰の長刀に既に掛け、三段目の居合を放とうとしていた。
なればこそ、一刀斎は卍の構えを解いた。
鈴鹿は、自身の剣を犠牲にしながら自分の命へと迫ってきている。ならば防御に回るのは愚手だ。
相手の全身全霊の攻撃を返すのは全身全霊の防御にあらず。
それは全身全霊の攻撃による迎撃でしかあり得ない。
一刀斎は木刀を頭上高く振り上げていた。完全な無意識によるものであった。ただ、自分が打てる最高の剣を放つため、自然と身体が動いた。
その時、一刀斎と木刀との境界は消えた。一刀斎は剣士にあらず、また木刀も剣ではない。二つは一つの事象となり、一刀斎と木刀は一振りの刀となっていた。
剣がまるで身体の一部になったかのように寸分の無駄なく完璧な斬撃を繰り出すイメージが出来る。
剣との一体化。剣士としての極地に一刀斎は足を踏み込んだ。
――無の中に有を見出す、すなわち無想。我が絶技、しかと見せてくれる!
「一刀流絶技、『無想剣』!」
「――――三ッ!」
鈴鹿の三段居合、三太刀目、長刀中段居合斬りと武器と一つとなった一刀斎の上段
その中でも、蓮一は二人の剣戟から一切目を離す事ができなかった。
「凄い……!」
蓮一の心の内を代弁するかのように、隣で同じように二人の勝負を見る岩流がそう呟いた。
そして、道場内が再び元の静寂を取り戻した時、決着はついていた。
「…………」
「…………」
そこに生き残っていた刀はただの一本だけであった。一刀斎の振り切った手の中には木刀の柄が残るだけで、その刀身はへし折れて道場の壁に突き刺さっており、一方、鈴鹿の長刀だけは、全身にヒビを入れながらも辛うじてその形を保っていた。
お互い、動こうとしない。ただ、真っ直ぐと互いの目を見据えている。
そうしてしばらくの時間が過ぎた後、一刀斎が諦めたかのように笑い始めた。
「私の、負けだな。剣を折られては認めるしかあるまい」
「そう……だな」
鈴鹿も、いつの間にまた元の調子に戻っている。おそらくは今の一刀斎との戦いで十分に満たされたという事なのだろうか。
兎にも角にも、霖之助達はその様子を見て胸を撫で下ろしている。
蓮一達も戦いの緊張感から解放された途端に急激に疲れが出てくる。ただ見ているだけだった筈なのに、普段の修行と同等の疲れを感じる。
小夜と岩流も同じようにぐったりとしていた。
「ではこの勝負、高天原、鈴鹿御前の勝利とする!」
その師匠の言葉で、此度の道場破りは幕を閉じた。
☆
「一刀斎様!」
決闘が終わり、高天原を出ようとする一刀斎を岩流の声が引き止めた。
一刀斎はゆっくりと後ろを振り向き、そして涙ぐむ弟子の顔を見て優しく微笑む。
「岩流、久しいな。道場の皆も息災か?」
「一刀斎様……また道場に戻ってきてはくれませんか?」
「それは出来ぬ。これからの剣はお前達で築いてゆけ」
「しかし、私には……一刀斎様のように出来る自信が……」
「阿呆、誰が私のようにやれと言った」
「痛い!」
未だ不安げな表情を見せる岩流の脳天に一刀斎は手刀を振り下ろした。
「……岩流、世界は広いぞ。まだまだ私より強い武人など両手の指では足りぬ程おる。岩流、お前ももっと広い視野を持て。私を目標にしていては、所詮は私を越えられん」
「それで十分です! それに私は心が弱い。どう足掻いても一刀斎様には届きません、それならば、貴方を目標にしたい……!」
「違う、違うぞ、岩流。お前は戦いに余計な雑念を持ち込み過ぎなだけだ。この試合に勝たないと師匠の名を汚してしまう、だとか、道場の看板を背負うのだから勝たなければ、だとか。そうやって自分で自分を追い詰めているだけに過ぎん。お前は本当は私など遠く及ばないだけの剣の才を持っている」
「そんな事は……」
「持っていると言っておるだろうが!」
「痛い!」
さらに二度目の手刀を振り下ろす。
そして、振り下ろされた箇所に手を当てる岩流に、溜息を吐き、一刀斎は言った。
「岩流、今この時を持ってお前を私の弟子から解任する」
「……え?」
「これでお前は誰の弟子でもない、ただの岩流に戻った」
「そ、そんな、嫌です! 一刀斎様!」
「嫌ならば駆け上がって来い、私の立つ高みまで!」
「――!」
「もしそれが出来たら、また弟子として取ってやろう」
その言葉を最後に、一刀斎は岩流に背を向け、高天原の門を開けて、外へと出ていった。
「……わかりました。必ず、必ず上り詰めて見せます、必ず追いつきます、貴方に!」
静かに、岩流は拳を固め、去っていく一刀斎の背を見送っていた。
☆
「もういいの? 弟子との最後の時間なんでしょう?」
「おう、博麗の巫女、そして蓮一。見送りとは
門から出てきた一刀斎を博麗靈夢と蓮一が待ち構えていた。
「一刀斎さん、あれで良かったんですか?」
「……武の極意とはな、蓮一。到底届き得ぬ程の上を見据える事だと私は思っている」
蓮一の言葉に、一刀斎は夕焼けに赤く染まる空を見上げながら呟いた。
「岩流の奴は私以上の才がある。もっと私などより上を目指すべきなのだ。それなのに、奴は私を終着点にしておる。もったいないではないか、そんな事は」
「それだけ岩流さんが一刀斎さんの事を慕い、尊敬しているという事です」
「だからこそだ。だからこそ申し訳が立たぬ。自分のせいで岩流の才が枯れるなど見てはおけぬ……師匠としてな」
最後の一言に強い力が籠っていたのを蓮一は聞き逃さなかった。
師匠も一刀斎の言葉を黙って聞いている。
「だから、岩流から離れる事にした。私などよりも上の世界をあの決闘で見せる事で岩流により上を目指して欲しかった。しかし、中々どうして、上手くはいかぬな。結局、私の事など忘れろと突き放すつもりが、また弟子に取ってやる約束までしてしまった。私の方がとんだ阿呆だ」
「いいと思いますよ、それで」
「良い訳があるか、そのおかげで――――」
「だって、弟子は師匠の背中を追うものですから」
その蓮一の言葉に一刀斎は視線を下ろして蓮一を見つめた。
後ろの師匠も、穏やかな笑みを蓮一に向けている。
「本当にそうだろうか?」
「弟子の俺が言うんだから間違いないですよ」
「……ふ、ふはは、あっはっはっはっは! そうかそうか、蓮一。お主は本当に面白い奴だ、弟子に取ってやりたい位だ!」
「え、ええ、それは困りますよ!? これ以上師匠が増えたら多分修行による過労で俺が死にます!」
「はっはっは、冗談だ、冗談。ふう、笑ったら、心の憂いも晴れたわ。では、そろそろお暇させてもらおうか」
大きな笑い声を響かせた後、晴れやかな表情を見せて一刀斎は蓮一達に背を向ける。
その背中に向けて、師匠が口を開く。
「これから、どうするの?」
「何、また流浪の旅にでも出るつもりよ。お主に負けた時のようにな、博麗の」
一刀斎は立ち止まって背を向けたまま答える。
その発言に、蓮一は師匠と一刀斎を交互に見て驚愕を露わにする。
「え!? 師匠と一刀斎さんって知り合い? え!?」
「ええ、そうよ。当時は一刀斎なんて大層な名前じゃなかったけどね」
「放っておけ、昔の話だ。さらばだ、蓮一、博麗の。もう二度と会う事はないだろが、お前達との出会いは生涯忘れん」
そう言って、また一度笑うと、一刀斎は足を進め、やがて沈みゆく夕日の中に消えて見えなくなった。
「――さようなら、『こんがら』」
もう見えぬ一刀斎に向け、師匠がそう一言小さく呟いたのを蓮一は聞いた。
「――さて、これからどこに行こうか。また西の方の村々を転々と歩き回るか」
歩きながら、一刀斎は嘗て道場を始める前に歩き回った村の数々を思い出す。
そして、あの旅から実に長い年月をこの里で過ごしていたのだと今更気が付いた。
「……実に満ち足りた日々だった」
『――むぅ、連日道場破りをしてみたものの、いまいち手応えのない。しかし、西から旅して来てここが終着、東端の里。そして今破ったのがこの里にある最後の道場と聞く。さてどうしたものか……』
『あ、あの!』
『む? どうした少年、迷子か? どれ私が両親を探すのを手伝ってやろう』
『い、いや、違います! その、さっきの決闘、感動して! それで……僕を、貴方の弟子にしてください!』
『で、弟子……だと? むぅ、困ったな、弟子など取った事もないぞ……』
『だ、駄目ですか……?』
『むぅ……あいわかった! ここの道場を貰い受けて、私の剣術道場を開こう! そしてお前が私の一番弟子だ!』
『本当ですか! やったー!』
『うむ、喜んでくれて何よりだ。して、少年、名はなんという?』
『はい、僕の名前は――――――――』
岩流との、自分の初めての弟子との出会いを思い出し、一刀斎はいつの間にか足を止めて、時間も忘れて耽っていた事に気付く。
気付けば、人里からまだ大して離れてもいないのに辺りは真っ暗になっていた。これでは今日は野宿になってしまう。
一刀斎は自分の失態に頭を掻く。
「ふぅ、弟子に情が移ってしまうとは。全く、つくづく私は落ち目だな」
そう呟き、一刀斎は夜の闇の中に消えていった。
☆
道場の新たな師範を決める決闘の日。道場にはこれまでにない熱気が籠められていた
「ふん、取り敢えず逃げずに来た事だけは褒めてやる、岩流」
大きな木刀で素振りを繰り返す弥五郎は、正面で細身の長い木刀を置いて座る岩流に向けて威圧的に声を掛けた。
しかし、岩流はまるでその声が聞こえていないかのようにピクリとも反応を見せず、ただ目の前の木刀をじっと見つめている。
その反応に弥五郎は苛立った様子で鼻を鳴らし、岩流の目の前に立つ。
「おい、聞いてるのか、岩流! それとも緊張で声も出ないか!」
「……慣らしは終わったのか、弥五郎?」
「ん? お、おう」
弥五郎の声と同時にゆっくりと木刀を持って立ち上がる岩流は、そう言って静かに弥五郎を見る。
その不気味な威圧感に、思わず弥五郎は少し後ずさりしてしまう。
――なんだこいつ……いつもなら、緊張で汗だらだらの癖しやがって、妙に涼しい顔してやがる。
「では、決闘を始める前に一つルールの追加を提案したい」
「あん? なんだよ?」
「何、簡単だ。勝った方は道場の新師範となる。そして、負けた方は道場を去る」
周りの他の門下生達がその言葉に大きくどよめいた。本来道場の次の師範を決めるための決闘であるにも関わらず、それに加えて、負けた方は破門させられるというのだ。
あまりに重圧がかかり過ぎる。一気に決闘の緊張感が増し、空気が重くなっていった。
「て、てめぇ、何言ってやがる……そんな事すれば……」
「自信がないのなら今すぐ勝負を降りろ、弥五郎」
その言葉で弥五郎の中の何かが切れた。
全身を震わせ、ひきつった笑みを浮かべながら青筋を浮かばせて岩流に詰め寄る。
「いい度胸してるじゃねぇか、岩流。いいぜ、二度と剣が握れなくなるまで完膚なきまでに叩きのめしてやる……! 覚悟しておけ、泣き言なんて聞かねぇぞ!」
「それでいい。ならば、決闘を始めよう」
周囲が困惑に包まれる中、審判の緊張した声で決闘は開始された。
「おらぁ!」
「…………」
弥五郎が何度も繰り返し面打ちで岩流を斬りつける。岩流の細い木刀は弥五郎の力も相まって、攻撃を受ける度に軋む音を立てる。
しかし、岩流は一呼吸置くと、弥五郎が面打ちを繰り出すと共に木刀で剣戟を受け流してみせた。
弥五郎は前につんのめるようにして姿勢を崩す。
「くそ、小癪な!」
「足りない」
「は? ――――あ、ああ!?」
その時の岩流の目はその場の全員を凍り付かせる程のものだった。
その目の中に静かに燃える闘志は、一睨みで弥五郎を含めた全員を圧倒していた。
「こんなものじゃなかった。あの時の戦いは……」
――な、何だこいつ! 数日前とは別人じゃねぇか! 一体何があったんだ!?
「お前を相手にしている暇はないんだ、あの人に早く追い付くために!」
その次の日、『文々。新聞』の一面は人里の剣術道場の新たな師範が決まったという記事が大きく書かれていた。
――昨日、門下全186名が立会の元行われた決闘にて、師範候補、岩流氏は圧倒的な力量差で同じく師範候補であった弥五郎氏に完勝。その後、弥五郎氏は道場を破門となり、岩流新師範による新たな剣術道場の幕開けとなった。なお、――――――――――
文々。新聞一面記事、一部抜粋。
今回は三話構成と予定より長くなってしまいました。
鈴鹿御前にスポットを当てると共に旧作キャラを出してみたかった、というだけの理由でできた回だったんですが、ここまで長くなるとは予想外でした。
そのおかげで依頼回が思ったより長くなっていますが、後二つ(うち一つはまた二編構成)依頼回を書く予定です。
早く人武祭始まれよ、と思ってらっしゃる読者の方もいるかもしれませんがどうぞ気長にお付き合いください。