東方史上最強の弟子 レンイチ   作:浜栲なだめ

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第四話「激戦」

「やだ! 私母さんに修行つけてもらいたい!」

 

 霊夢は目の前の母に向かって必死にそう訴えかけていた。

 一年前、霊夢が修行のため紫の屋敷へ住む事になった日。霊夢は半泣きになりながらもその決定を拒んでいた。

 紫は霊夢と母の様子をじっと伺っている。

 

「霊夢……ごめんなさい、私ではあなたの才を生かせない。紫が師についた方があなたのためなの」

「なんで!? 母さんだって博麗の巫女でしょ!? 博麗の巫女から巫女へその秘術を継承していくのが習わしじゃないの!?」

 

 いくら霊夢が必死に声を張り上げても母は霊夢を弟子に取る事を良しとは言わなかった。それどころか、ますます表情を曇らせてしまう。

 母は霊夢にとって憧れの存在だった。妖怪を退治し、人々から尊敬や感謝の念を集める母はまさに霊夢の描く理想の博麗の巫女であったからだ。そして、だからこそその修行には母に立ち会って欲しかった。

 しかし、それは叶わなかった。母が霊夢とはあまりに異質過ぎると言う理由で。

 

「大丈夫よ! 私母さんの修行にだってきっと合わせるわ! だから――」

「それは、あなたが天から受けた才をドブに投げ捨てるような行為よ。それだけは許されないわ」

 

 母の様子を見かねて唐突に紫が会話に入ってくる。霊夢は紫を睨みつけると、母に助けを求めるように視線を向ける。

 

「母さん……!」

「……霊夢、ごめんなさい」

「霊夢、あなたもわかっているでしょう? あまり母親を困らせるものではないわ」

「でも……母さん、私は……」

 

――結局、いくら望んだところで母さんが私を弟子に取ってくれる事はなかった。だから私は紫に修行をしてもらい、自分の才能が開花し、強くなる実感を得る事で満足する事にした。

――でも、母さん、私はずっと――――

 

 

「あらあら、どうやら霊夢を怒らせてしまったようね」

 

 ズズとお茶を啜りながら紫はスキマから見える霊夢の様子を見て楽しそうに呟いた。靈夢は何も言わない。ただじっとどこかへ走って行く蓮一を目で追うだけだ。

 そんな面白味のない反応が紫は気に入らなかったのか、紫はさっきより大きめの声で呟く。

 

「本気になった霊夢なら蓮一は下手したら死んでしまうかもしれないわね。最近は(ラン)(チェン)二人がかりでも手が付けられなくなってきているしね」

 

 藍と橙というのは紫の使役する式神の事である。正確に言えば紫自身の式神は藍の方だけで橙は藍の式――すなわち、式の式である。

 しかし、双方共に強力な妖怪をベースとしている。特に藍の方は九尾の妖狐、知らぬ者のいない大妖怪である。そんな一匹でさえ手に余る式達は既に霊夢にとっては良い練習相手位にしかならなくなっていた。

 昨日、霊夢を置いて博麗神社から帰ってきた時にその事を藍がさぞ悔しそうに話していたのが紫の脳裏に浮かぶ。

 

「いいのかしら? 折角できた弟子が再起不能。良くて自信喪失してしまうかもしれないのよ?」

「……紫、私は今非常に複雑な気分よ」

「え?」

 

 紫としては靈夢の焦燥する顔や不安気な顔を期待していたのだが、その期待とはまるで対照。靈夢の顔には満面の笑みが浮かんでいた。今にも盛大に笑いだしそうな程に楽しそうな様子に紫は驚きを通り越して怒りさえ覚える。

 蓮一の不利は誰の目にも明白。何故そこまでこの隣の女は余裕そうな笑みを浮かべられるのか、不思議でならなかった。

 

「紫、私は結構自分でも親バカだなぁっておもうのだけれども」

「ええ、そうね。良かったじゃない、霊夢にもその愛が通じたのかよく懐かれているようだし」

「ああ、だけどね、これから娘が負けてしまうっていうのに何故か嬉しくなってしまうのよね」

「……なんですって?」

 

 さらっと勝利宣言をされ、紫は思わず驚愕の表情を露わにして靈夢の方を見てしまう。そして、しまったとすぐにその表情を扇で覆い隠すが、時既に遅く、目の前の巫女はニヤニヤと自分を見つめている。

 

「紫のそういう顔見るのも久しぶりね」

「あなたが訳の分からない事を言っているからよ」

「まぁ、見てなさい。私の弟子の戦いぶりってやつを」

 

 

「はぁ、はぁ……疲れた」

 

 博麗神社の本殿の屋根によじ登り、霊夢が追い付いてくるのを待つ。人間とか一般的な動物というのは『上』に関して注意が疎い。ほんの斜め上にいるだけでも、相手が四方ばっかりを伺って気付かない何て事はざらにある。

蓮一は、取り敢えずしばらくはこうして上からの奇襲、そしてヒットランナーウェイを繰り返すつもりだった。霊夢と真正面からぶつかるにはあまりにも分が悪い。しばらくは霊夢を攪乱し、攻撃の手の緩まった所で勝負を仕掛ける、そんな作戦を企てていた。

目の前に突然上から赤い札が落ちてくるまでは。

 

「なッ!?」

「また奇襲でもやろうとしていたのかしら?」

 

 その声は後ろでも横でもなく、上から聞こえてきた。恐る恐る顔を上げると、そこには宙に浮かんで蓮一を見下ろす博麗霊夢の険しい顔があった。

 上に注意が薄いのは蓮一とて同じ。自分の警戒心のなさを激しく叱咤しつつ、霊夢の姿を視認するや否や蓮一は屋根から跳躍し、飛び降りていた。

 

「くそ! 何でここがバレた!?」

「ただの勘よ。もうあなたは私から先手を奪う事はないわ」

 

 霊夢の怒りの籠った声と共に蓮一に向け、無数の札が放たれる。空中で回避行動を取れる筈もなく、蓮一の背中に何枚かの霊力のこめられた札が炸裂し、その勢いでバランスを崩しながら蓮一は境内の地面へと落下していく。

 着地もうまくいかず、全身を鈍い痛みが襲うが、それに構ってもいられず、半ば転がりながらもなんとか立ち上がると、蓮一はとにかく走って霊夢の視界を振り切ろうと試みる。

 しかし――

 

「がッ!?」

 

 突然、見えない壁のような何かにぶつかり、蓮一の逃走は虚しく失敗に終わる。よく目を凝らしてみれば、博麗神社本殿前方に広がる境内を正方形型に薄紅色の壁のようなものが囲んでいるのが見える。

 

「結界よ」

 

 上空からゆっくりと蓮一を見下ろしながら降りてきた霊夢が蓮一の目の前の壁をそう呼ぶのが聞こえてきた。

 どうやら、そこら中を逃げ回る蓮一を一定範囲に留めておくために事前に仕掛けられていたものらしい。霊夢が上から降りてきたにも関わらず結界が見えない所を見ると、結界は上方に蓋はされていないのか、はたまたここから黙視できない位上空まで結界が続いているのか。いずれにせよ、ある程度上の方に開けた空間ではあるようだ。そして、これでさっきまで企てていたヒットランナーウェイも封じられ、霊夢と直接対決に持ち込むしかない状況まで追い込まれてしまった訳である。

 

「参ったな……」

「言っておくけど降参なんて聞かないから」

「どちらかが負けを認めたら試合終了って話じゃなかったっけ?」

「聞かなきゃいいのよ、そんな戯言」

「理不尽だ!」

 

 霊夢の手から新たに札が四枚放たれる。最初の時と比べ、圧倒的に速く、そして狙いが正確だ。今の所蓮一の方へ飛んできているのは四枚中、一枚だけ。しかし、左右に避けても後ろに躱しても残りの三枚がその回避地点に飛んでくるよう計算して放たれている。まず『普通』なら混乱して回避不可能な攻撃。

 だから、ここは『異常』に身を委ねる。

 

「うおおおおおおお!」

「札に突っ込んでいった!?」

 

 蓮一が行ったのは前方に飛び込む行為。斜めから放たれている札に余計近づいていく行為だ。

 しかし、限りなく危険ではあるが、道はここしか残されていない。斜め方向から入射する札の軌道から逃れるには前へ突っ込んで射程外に出るしか手はなかった。上手くいけば攻撃を全て回避できるが、失敗すれば自ら札に突っ込んで致命傷にもなりかねない。

 

「――っしゃあああああ! 避けた! 避けたぞ!」

「ちッ!」

 

 判断が早かったのが幸いし、札は蓮一の服を掠っただけだった。蓮一の後ろで霊力が大きく爆散する。普通に回避しようとしていたらあの霊力の爆発に飲まれて決着は着いていただろう。

 しかし、それだけにかなり拙い状況だった。蓮一は霊夢の攻撃を躱す他に攻撃をしなければならない。この防戦一方の状況を打開するため、なんとか霊夢の懐に入りたかった。だが、当の本人は空中。手の届かぬ領域にいる。しかも、単に浮いているのではなく、『空を飛んでいる』のだ。もちろん移動もできるので、蓮一からの投擲も当たりはしない。どう考えても蓮一が霊夢に攻撃する方法は皆無だった。

 空を飛べる、というだけでここまで一方的な展開になるとは思わなかった。蓮一の額に汗が滲む。

 なんとか霊夢からの怒涛の攻撃を躱してはいるが、徐々に札を掠る回数が増えてきている。蓮一の動きが霊夢に捉えられてきている証拠だった。

 

「くそ! 反則だろ! その空飛ぶの! 降りてこいよ!」

「別にこれと言って禁止されてるルールなんてないでしょ? 悔しかったらここまで飛んできなさい!」

 

 新たに札が放たれ、蓮一を追撃する。息もつく暇のない攻撃。狭い空間を素早く方向転換しながら走り続けるというのは一方方向に走り続けるよりも体力を使う行動だ。蓮一の身体は滝のように汗が吹き出し、いつ体力の限界が来てもおかしくない位にまで疲労が蓄積されようとしていた。

 しかし、依然として霊夢への勝機は見えない。

 

「ふぅ、よく避けるわね。なら……これでどう!」

 

 突然、霊夢は留まっていた空中から蓮一の方へ半ば落下するように、あるいは滑空するように向かってくる。決して反応できない程に速い訳では無い。ただ、あまいに遠近感のないその移動に反応が遅れた。

 気付いた時には霊夢はすぐ目の前、そして、その右手からはすざましい霊力が集まり、眩い光が放たれている。

 それを握り込むように霊夢は右手に握り拳を作り、一旦自分の額近くへ掲げる。

 

宝符(ほうふ)陰陽宝玉(おんみょうほうぎょく)』!」

 

 次の瞬間、勢いよく右拳を開きながら蓮一に向ける。同時にその手の先からとんでもない密度の霊気が放出され、次第に巨大な光弾のような形を形成しながら膨らんでいき、蓮一をいとも容易く飲み込んでいく。今までの攻撃とは比べ物にならない威力。霊夢が紫の修行の最中に自然と身に付けていった『技』の一つだった。

 しばらく、その霊力の塊はその場で蓮一を蹂躙するかの如く停滞し、やがて力尽きたかのように霧散していった。

 その中から最早意識があるのかすらわからない状態の蓮一が姿を見せ、力なく霊夢の前に倒れた。

 

「勝負、ありね」

「…………」

 

 霊夢の勝ち誇った勝利宣言に蓮一は微動だにしなかった。おそらく霊力のあまりの密度に意識を失ってしまったのだろうと判断し、霊夢は結界を解いてその場から去ろうとする。当初の目的である半殺しとはいかなかったが、あの霊力の密度にまともに飲まれてしまえば最低三日は意識は戻らない。霊夢は取り敢えずそれで満足していた。何より、あれだけ大口を叩いていた蓮一に指一本触れさせないまま勝てたという優越感と戻った時の母と紫の反応を考え、胸が高鳴った。

 だから、霊夢は早々に母と紫の元へ戻るのに夢中であったし、蓮一の事など既に意識の外だった。

 それ故に、霊夢は声を掛けられるまで自分が間抜けにも後ろを取られている事に気付かなかったのだ。

 

「まぁ……待てよ。まだ勝負は終わっていない」

「――ひッ!?」

 

 不意に肩を掴まれ変な声を出して驚いた霊夢にほとんど瀕死に近い状態である筈の蓮一は不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「戦いの、心得……一つ! 相手の意表を……突け! 相手に先を読ませぬ事で……自分のペースに相手を引きずり込むべし……!」

「――ッ! もう立ってるのもやっとの奴が何を……!」

「じゃあ、倒してみろよ……丁度、お前の攻略法が見えたんだ。この勝負、勝たせてもらう……!」

 

 その言葉に動揺の色を見せながら、霊夢は蓮一を振り払い、再び宙に浮かび上がる。そして、さっきのおおよそ数倍の霊力を右手に込め、蓮一の方に振りかざす。

 

「あんたなんかを……弟子だなんて認める訳にはいかないのよ! 宝具(ほうぐ)陰陽鬼神玉(おんみょうきじんぎょく)』!」

 

 瞬間、さっきの陰陽宝玉の二倍はある巨大な霊力の塊が光球となって、蓮一へと向かっていく。明らかに瀕死状態の、しかも格下の相手に使う技ではなかった。しかし、霊夢の直感が告げていたのだ、早く決着を着けないと何か取り返しのつかない事になると。

 

「くそッ……まだ、そんな霊力を……!」

 

 蓮一に回避のような行動はなかった。というより、どこに回避しようとも間に合わないのは明白だった。だから、蓮一は発想を変えた。無駄な体力を使わず、じっと耐え抜く事、防御に全身を集中させる事に。それでもこの攻撃を耐え切れるかはわからないし、その次の攻撃に備える体力が残っているかはもっとわからない。

 

――大丈夫……おそらくはもう……

 

 眩い光が蓮一の視界を包み込み、その身体と意識はまるで激流に飲まれたかのようにめちゃくちゃに引っ掻き回されていった。

 

 

「……今度こそ勝負あったんじゃないかしら? 靈夢?」

 

 隣で無表情にスキマに映る蓮一達を見つめ続ける靈夢に紫は勝ち誇ったように言った。正直紫にとっても陰陽宝玉を受けて尚、蓮一が立ち上がった事には表情や声に出さなかったものの、非常に驚いていた。

 しかし、流石に陰陽鬼神玉を受けては立ち上がれないだろう。既に立っているのもやっとで、今の攻撃には避ける素振りすら見せなかった。つまりはもう避ける気力すら残していないという事だ。そんな状態であんな攻撃をまともに食らってしまえば立ち上がれない。むしろそこで立ち上がってはいけない。それは明らかに人間の領域を超えた所業なのだから。

 紫はそう自分に言い聞かせたものの、何故か一抹の不安が拭えない。今の靈夢への言葉もその不安を少しでも払拭するためのものだった。

 しかし、靈夢はまるで紫の言葉など聞こえていないかのようにスキマに映る二人の様子に見入っている。あたかもまだ勝負が続くとでも言うかのように。

 そして、そんな靈夢の姿を見てまた紫もそんな予感が現実になってしまうように思ってしまい、スキマの方を見ざるを得なくなるのだ。

 

「蓮一……!」

 

 まるで我が子を叱咤激励するかのように呟いた靈夢の一言が静かに縁側に響き渡った。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 肩で息をしながら霊夢は未だ霧散しない霊力の嵐ともいえる光球を見下ろしていた。光球は着弾と共に自分の見えている範囲を覆い尽くす程の広範囲に爆散した。

 これを受けて立ち上がってきたのは藍や橙――つまりは妖怪だけだ。人間相手にここまでの技を使った事などなかったし、使うなと紫からも警告されていた。

 今回の決闘に限り、紫に死なない程度の威力に収めるという条件の元使用を許可されていた。本人は念のためというだけで、当初は全く使うつもりはなかった。

 

――そう、こんな技使わずとも勝てる相手だったのに……何を私は焦って……!

 

 霊夢は強く唇を噛んだ。もちろん力は抑えているので蓮一が死んでいるという事はないだろう。しばらく寝たきりになるだろうが、それだけの事で大きな傷も後遺症もない。この後は気絶している蓮一を担いで母と紫の元へ持って行って勝負は終わり。

 完勝、とは決して言えない結果だ。自分のように修行を積んだ訳でも妖怪という訳でもない。『ただの人間』に霊夢は全力を尽くして戦ってしまった。それが悔しくて仕方がなかった。

 そして、もう一つ、このべた付く様な不安感。嫌な直感が纏わりついている事が気にかかっている。嫌な感じだ。少なくとも敵を倒したという感じではない。

 

――まさか……。

 

 不穏な予想が脳裏を過り、それを慌ててかき消す。有り得ない、とはわかっていてもどうしても直感は拭えない。

 一応、確認のためと霊夢は蓮一の姿を見届けるまで臨戦態勢を解くのをやめた。ようやく霊力が霧散し、光に包まれた地面が姿を現す。

 

――格下の奴が格上に勝つって事は奇跡に等しい

 

 おぼつかない意識の中で蓮一はそんな事を考えていた。もしくは無意識に呟いていたかも知れない。ふと、思ったのだ、ここまで戦ってきた自分を振り返り、一種の達成感に満ち溢れていた。

 格下が格上に勝つためには正当な手段では不可能だ。必ずそこには卑怯な手段や命懸けの無茶が必要になる。楽に勝てる戦いには決してならない。そして、なにより運が必要だ。運に見放されてしまったら勝利はない。

 今回の戦いも同じだ。あの時、師匠と霊夢が『親子喧嘩』をしてなければ、きっとこの勝利はなかった。

 

――俺は運が良かった。そして、だからこそ勝たなくちゃいけない。

 

「――!」

 

 声にならなかった。それ程の驚きがあった。今の状況に博麗霊夢は今までにない衝撃を受けていた。

 そして、それはスキマ越しに同じ風景を見ている紫にも言える。

 

「……嘘……でしょ……?」

 

 横を見ると、靈夢が静かにほくそ笑んでいるのが見えた。まるでこの展開をわかっていたかのような落ち着き具合だった。

 何千年と生きてきた大妖怪である紫の中で記憶に残る景色や出来事というのは限られている。あまりの情報量に自然と脳が保存しておくべき記憶を厳選し、大して重要性の見られない記憶をすっかり消してしまうのだ。だから、自分より格下の『人間』の記憶など博麗の巫女に関する事を除けばほとんど残る事はない。

 しかし、今紫が目の前のスキマ越しに見ている光景、そしてその中の一人の少年の事をきっと自分は千年後も忘れないだろう。紫は心からそう確信した。

 

「ぜぇ……ぜぇ……ほら、耐え……た……ぞ……!」

「あんた……本当に人間なの……?」

「俺は……ただの人間さ……見て分かんだろ?」

 

今にも倒れそうではあるが、確かに蓮一は立っていた。非常に危うい、風が吹けば倒れてしまいそうな、そんな極限状態の中で蓮一の目は確かに空中の霊夢を見据えていた。

 

「ただの人間が何でそこまでボロボロになりながらまだ立ち上がってくるのよ! ただの人間なら大人しく気絶してなさいよ!」

「……俺は、師匠の弟子……だからな。宣言する、お前は次の攻撃で敗北する……!」

「――ッ! この……!」

 

 蓮一の言葉に霊夢は激情を抑えきれなかった。こんな普通の人間が、才気の欠片もない人間が母親の弟子を語る事が、自分の勝利を語る事がこの上なく許せず、耐えがたかった。

 

「なんで……なんで……あんたなんかに……!」

 

 わなわなと今まで心の奥底に沈んでいた感情が浮かび上がってくるようだった。初めて蓮一を母から自分の弟子と紹介された時からずっと抱いていた思いが喉の奥まで込み上げる。

 霊夢は一枚の札を天に掲げる。周囲の空気が重みを増していく。空気中に霊気が充満している証拠だ。

 

――なんでお前が私の望むものを持っていく……!

「なんで、あんたなんかに……私の母さんを取られなきゃならないのよぉぉぉぉぉ!」

 

 霊夢の掲げた札が眩い光を放ち、それはやがて霊夢の周囲に色とりどりの光弾を発生させる。その一つ一つにとんでもない霊力が込められており、こんなものが襲って来れば大抵の生物は死滅してしまうであろう威圧感をそれは誇っていた。

 

霊符(れいふ)夢想封(むそうふう)――――」

 

 その瞬間、霊夢の全身の力が抜けた。感情の高ぶりに霊力のペース配分を誤った結果だった。

霊力切れ。それが、蓮一が今まで攻撃に耐え続けて狙っていた勝機であった。いくら天才といえども霊夢はまだと年端のいかぬ少女だ。いかに訓練を積んでいてもその体力には限界がある。同様にその霊力にもある程度限界がある筈だ。

 それに気付いたのは昨日の親子喧嘩、あれの決着は霊夢の方の霊力切れが原因だった事を思い出したのだ。つまりは霊夢の弱点はスタミナ。そして、あれだけ大きな霊力を何度か続けて発散すればその限界が来るのは蓮一にもすぐに分かった。問題はそれまでに蓮一の身体が持つか否かという点であったが。

 しまった、と思った時にはもう遅い。霊夢のコントロールを失った周囲の光弾はその膨大な霊力を維持できなくなり、その場でその霊力を放出させる。つまりは近くに居た霊夢を巻き込み、光弾は大爆発を起こした。

 霊夢にそれを避ける術はなく、巨大な霊力爆発に一瞬にして意識は飲まれ、その小さな身体は遥か上空にまで舞い上げられていった。

 

――はは、『次の攻撃でお前は敗北する』、ね。まんまと踊らされて、つまらない感傷で私は勝機を逃した訳ね…………本当に、馬鹿みたい。

 

「拙い! あの高さから落ちたら……死ぬわ!」

 

 縁側の紫は即座に気絶している霊夢が舞い上げられている箇所にスキマを発生させようと試みるが、形の歪な不安定なスキマしか作る事ができない。

スキマは本来一体どこに繋がってしまうかも分からない危険な空間だ。その入り口と出口とを紫が能力で制御しているからこそワープや中継のように自由自在に扱える代物なのだ。

しかし、その制御が不安定な状況下では紫も容易に霊夢をスキマに入れる事ができず、あえなく一度出したスキマを消滅させる。

 

「あの結界に阻まれて安定したスキマが作れない!」

 

 霊夢が蓮一の逃走を防ぐために張った結界。それが紫の境界を操る程度の能力の障害となっていた。

 霊夢の突出しすぎた才能がここにきて裏目に出てしまった。結界を解くまでには霊夢は既に地面に衝突してしまっているだろう。

 紫が焦って縁側から立ち上がるのを靈夢が手で制止した。

 

「靈夢!?」

「大丈夫だ。あそこには私の弟子が居る」

 

 蓮一は閉じていた目を開き、霊夢がさっきまで居た場所を見る。そこに霊夢の姿は見当たらない。さっきまで今までにない大きさの霊力が霊夢の周囲に集まっていたのは確かに感じた。だが、それから霊力の塊や何やらが飛んでくる事は一向にない。

 そして、霊夢の身体が遥か上空にまで舞い上がっている事を確認した。まだ大分上空に居るが、既に落下が始まっており数秒後には霊夢は頭から地面に激突してしまうだろう。

 見事に蓮一の策は成功したが、状況は想像をはるかに超える最悪さだった。

 

「くそ……!」

 

 蓮一は霊夢の落下地点までよろめきながら走って行く。このまま霊夢を見殺しにする訳にはいかない。

 蓮一の村の惨劇が脳裏にフラッシュバックする。

 

「俺の前で……二度と誰かを死なせてたまるかぁぁぁぁッ!」

 

 咆哮と共に頭から真っ逆さまに落ちてくる霊夢に蓮一は全力で飛び込んでいった。

 

 

「――以上が私の教えられる戦いの心得よ。これを胸に刻んで戦いに臨みなさい」

「これを実践すれば、あの霊夢に勝てるんですか?」

 

 決闘の始まる数刻前、蓮一は師匠から決闘に向けての指南を受けていた。

 蓮一は今まで全く武道に関わりのなかった正真正銘の素人である。そんな蓮一が多少何かを教わった所で勝利に手が届くとは思えなかった。

しかし、あえて師匠は蓮一にこう言った。

 

「あなたの長所を活かす事ができれば必ず勝機は見いだせる筈よ」

「俺の長所……?」

「あなたが誰にも負けないと思える事って何?」

 

 師匠の問いに蓮一はしばらく考え込んでから、恥ずかしそうに頬を掻きながら一言呟いた。

 

「……頑丈さ、ですかね」

 

 

「――蓮一! 蓮一! 起きろ! 蓮一!」

 

 誰かの自分を呼ぶ声で蓮一は薄らと目を開ける。ぼやけた視界一杯に見慣れた紫髪の女性が映る。

 ようやく意識がはっきりしてくると、蓮一はさっきまで自分が決闘をしていた事を思い出し、慌てて起き上がる。

 瞬間、身体全身を鋭い痛みが襲い、あえなく蓮一はまた仰向けに倒れる。

 

「まだ傷が完治している訳でもないのに急に動かないで頂戴」

 

 蓮一のすぐ横に霊夢の身体に包帯を巻く紫の姿があった。良く見れば自分の身体中にも包帯が巻かれていた事に気付き、何があったのかを今度こそ完全に思い出した。

 

「ああ、そうか。俺は落ちてきた霊夢に飛び込んで……」

「ええ、自らクッションになって霊夢を救ったのよ。まぁ、重傷には違いないのだけれど、霊夢も生きているわ」

「……良かった」

「良かったじゃないわよ! あんな速度で落ちてきた人間のクッションになろうだなんて……いくらなんでも無謀よ! 死んでいてもおかしくないわ!」

 

 突然の師匠の罵声に蓮一は驚きながらもそれでも笑っていた。その姿に師匠も紫も呆れて溜息をつく。

 結果としては、蓮一は大満足だった。目の前で霊夢が命を落とす事も防げた上、自分も生き残る事ができたのだから。

 

「全く、本当に馬鹿ね。自分が死ぬとか思わなかったの?」

「まぁ、俺は頑丈なのが取り柄なので」

「いくら頑丈でもあなたは一週間は安静よ。何せ内臓破裂に複雑骨折、脳震盪まで起こしていたんだからね」

「……え?」

 

 紫から自分の重傷加減を聞かされ、思わず顔が青ざめる。自分が今生きて会話までできるのが不思議な位だ。

 紫は蓮一の怯えた様子を見て悪戯っぽく笑う。

 

「ふふ、まぁ、既に止血も内臓の縫合も接骨も私の能力でやっておいたから今はそこまで重傷でもないわ」

「……なんだ、ビックリした。あ、治療ありがとうございます、紫さん」

「気にする事はないわ。あなたは霊夢の命の恩人なのだから、これ位はね」

 

 紫はそう言うと蓮一から顔を背ける。少し、当初とは異なる紫の意識を蓮一は感じていた。最初にあった時のような興味のないようなそっけない雰囲気は消え、今は一人の人間として自分と接しているように感じる。

 この戦いで得た物は大きいと蓮一は心から思った。

 

「さて、霊夢、そろそろ狸寝入りはやめなさい。決闘はあなたの負けよ、異論ないわね?」

「…………」

 

 霊夢に反論はなかった。

現在、霊夢の身体からは全身の力が抜けきっており、札を投げつけるどころか、立とうとする事さえ困難な状態にある。霊力のオーバーヒート。昔は紫の無茶な修業の最中でよくこうなっていたからわかる。

 こうなれば、もう、戦う事は愚か動く事もできない。あの落下で蓮一がクッションになってくれなければ今の自分は確実になかった。

 自らの敗北を最もよくわかっていたのは霊夢自身に他ならなかった。もう減らず口を叩く事さえ億劫に思え、そんな自分が情けないと思ったし、そんな姿を誰にも見せたくはなかった。

だから何も言わない。せめて自分の口から敗北宣言をしない事が最後の抵抗だった。

 不意に霊夢の身体がひょいと持ち上がる。空を飛ぶ程度の能力を発動した訳じゃない。師匠に、母に抱きかかえられたのだ。

 

「霊夢、負けを知り学ぶ事もまた大切な事よ。今日は負けても明日もっと強くなって勝てばいい。そうでしょ?」

「……母さん、本当は蓮一が弟子入りするなんてどうでも良かったの。ただ私……ずっと母さんと一緒に居たかっただけなの」

 

 霊夢は悲痛な顔で目の前の母親にそう訴える。霊夢はまだ親に甘えていてもいい年頃だ。しかし、博麗の巫女の修行でその親に甘える機会も少なく、ただ辛い修行に一年間身を投じていたのだ。

 そして、ようやく母と同居できるようになったと思えば、母の弟子を名乗る蓮一が現れ、弟子のため今度は母が修行に行ってしまうかもしれない。それが霊夢には我慢できなかった。

 蓮一も霊夢のその一言を聞き、ようやく霊夢があそこまでムキになって自分を目の敵にしていた理由がわかった気がした。

 

「……ごめんなさい、母さんが無力なばっかりに辛い思いをさせたわね」

 

 師匠は苦笑いを浮かべながら霊夢に謝る。その表情には何か後ろめいた憂いが垣間見えるようだった。

 

「……母さんは、蓮一を弟子にしたい?」

「ええ、私は蓮一をもっと強くしてやりたいわ」

「……わかった、蓮一を母さんの弟子として認めるわ」

「いいの?」

「その代わり、私にも構って欲しい。今まで我慢した分たくさん」

「もちろんよ。今日は良く頑張ったわね、霊夢」

 

 霊夢を優しく抱きかかえる師匠の姿に蓮一は生前の母の姿を重ねた。極限状態のせいか、最早イメージが幻覚となって目の前に浮き上がってくる。

 自分も昔はこうやって母の腕に抱きかかえられていた時期があった。

 師匠に身を委ねる霊夢と小さかった頃の自分が不意に重なり、霊夢も年相応の子供なんだと心の中で笑い、同時に蓮一もその場で眠るように意識を失った。

 外傷はほとんどない。霊力による攻撃とは外面ではなく、内面への攻撃。外見からはそのダメージの程は計れないが、蓮一に蓄積されていたそれは蓮一の精神強度を遥かに超えたものだった。

 本当にギリギリの戦いだったのだ。

 戦いは終わり、勝者も敗者も共にそれぞれの休息についた。その傷を明日への力へ変えるために。新たな一歩を踏み出すために。

 この日を境に蓮一は平穏を捨て、妖怪退治の道を行く事になる。それが修羅へと誘う闇となるか、真実を照らす光となるのか、まだ誰にもわからない。




 はい、まずはここまでで「弟子入り編」としてこの章を区切りたいと思います。
 ここまで読んでくれた読者の皆様には心より感謝を申し上げます。
 
 次回からは新たに「修行編」を書いていくつもりです。更新スピードが落ちる可能性が高いですが気長に待っていただければ幸いです。

 それではまた次回、皆様にお付き合い頂ける事を願って。
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