そろそろ魔理沙編もクライマックスに差し掛かってきます。
これから一体どうなっていくんでしょうか。(まだ考えていない)
『ほら、蓮一起きなさい。朝よ』
早朝の魔理沙の一言で蓮一は起こされた。
いや、正確には睡眠できていたのかは怪しい。昨夜は結局五感の失われた不安感で寝つけなかった事に加え、常時闇の中にさらされ、精神が半覚醒状態に陥っていた。
寝不足や気疲れ独特の気怠さを感じながら蓮一は体をベッドから起こした。依然として五感に回復は見られない。
予想していた事ではあったがそう簡単に元に戻るような状態ではないらしい。蓮一は深く溜息をつきながら僅かに残る触覚を頼りにベッドから降りようと動くが魔理沙がそれを制止する。
『起き上がる前にまずはこれを付けさせてもらうわ』
魔理沙が取り出したのは一見なんの変哲もない銀縁眼鏡と銀のイヤーカフだった。蓮一に動かないよう念を押してから両耳にイヤーカフを取り付け、眼鏡を掛けてやる。
すると、数秒して蓮一に反応が現れた。
「おお、何だこれ! 目が見える! 声も聞こえる!」
「取り敢えずしばらくはそれを付けて生活しなさい」
魔理沙が昨日徹夜して作っていたのは魔法薬の調合書だけではない。蓮一に取り付けたイヤーカフと眼鏡は魔理沙お手製の
眼鏡はレンズに映った景色を脳に直接イメージとして送る事で視覚を補う仕組みになっており、イヤーカフも同様にイヤーカフが聞き取った音を直接使用者の脳に送る事で聴覚を補うよう魔術が施されている。
しかし、それでも通常時との違和感は否めないのだが、蓮一は突然、視覚と聴覚が回復した感動でそんな些細な違和感を気に留めているような様子はない。
まずは応急処置までを終えたという感じで一つ小さく息をつくと、魔理沙は未だ喜びに浸っている蓮一をダイニングまで引っ張っていって席に座らせ、目の前にキノコシチューを注いだ皿を置く。
「さ、味覚を失っているから美味しくはないでしょうが食べるのよ。お前が求めていなくとも身体がエネルギーを欲しているわ」
一瞬、詰まった声を洩らしながら、蓮一は恐る恐るスプーンを手に取りシチューを口に運んでいく。
蓮一は昨日も同じキノコシチューを食べているのでそれ自体の味も美味しさも理解している。しかし、現在味覚が失われている蓮一は拒絶こそしないものの、昨日程に積極的に口に運ぶような事もなかった。
『味気ない』という言葉をよく耳にしたり自分自身口にした事もあるだろう。しかし、今真に味のない食事を体験し、蓮一は自身のその言葉に対する理解の浅さを認めざるを得なかった。
この世に味気ないものなど一つもなかったのだ。水にだって良く味わえばハッキリとした味があるし、無味に限りなく近いものにも『風味』がある。しかし、今の蓮一にはその風味を感じる嗅覚すらない。
僅かに残った触覚と目の前の湯気を立てているシチューが辛うじて僅かな温もりを身体全体に広げてくれるが、それ以外はまるで拷問だった。
まるでシチューを自分という別の容器に入れ替えているだけのような機械的な作業にさえ思われた。否、そうでも思わなければこの舌にまとわりつくドロリとした白い液体の違和感に耐えかねて、既に胃の中に入れたモノをまた外へ出しかねなかった。
昨日は結局何も食べていないため、身体が空腹を訴えているのは間違いない。しかし、結局蓮一は長い時間をかけて結局一皿分のシチューを完食するので精一杯だった。
「ごちそう様でした……」
「ご苦労様」
食事という行為の終了に労いの言葉を掛けられたのは初めてだったが、その言葉以上にふさわしい言葉はなかった。
自分の人生で食事にここまで辛い思いをするのは金輪際ないだろうと蓮一は水で口の中の違和感を流し込みつつ思った。
「さて、蓮一。この後だけど、今までやっていた修行は一旦中断して今日は私と一日魔法の森で採集に付き合ってもらうわ」
「ん、魔法の森で採集? また何で?」
「お前の五感を直す魔法薬に必要な材料を採集しにいくのよ。それを手伝って貰うわ。それに魔法の森を歩くだけでも軽い修行にはなるしね」
「わかった、準備してくる」
蓮一が準備を終えて玄関までいくと、そこには二人分の大きなリュックサックを用意した魔理沙が待っていた。いつものローブ姿に今日は唾の大きな黒いとんがり帽を被っている。
蓮一が来た事を確認すると魔理沙は片方のリュックサックを背負って扉を開ける。途端に外で舞っている魔力瘴気が霧のように室内へ入り込んでくる。
外に出ている時はそこまで感じていなかったが、外の空気は僅かに霞んでおり、室内の魔力瘴気の排除された空気との差は一目瞭然だった。
「よし、じゃあいくわよ」
「あ、ああ」
外の魔力瘴気を警戒しつつ、残されたもう一つのリュックサックを背負う。僅かに重みが肩に掛かるのを感じるが、そこまで重いようには感じない。
一体何が中に入れられているのか考えつつ、蓮一は魔理沙に続いて外へと出る。
今日はいつも薄暗い魔法の森も明るい日の光が差し込んでいた。そのせいかいつもより魔力瘴気による負担を感じない。
魔理沙の後をついていきながら森の中を移動する蓮一の足取りは軽やかであった。
「蓮一、まずは昨日の事は謝っておくわ」
「何のことだ?」
「修行中、お前が無茶をしているのを止められなかった事よ。本来ならそんな状態になる前に私が止めるべきだった」
蓮一に背を向けたまま、謝る魔理沙の言葉の意味が蓮一は理解できなかった。彼の中では今の自分は自分の失敗の結果であり、そこに魔理沙の落ち度はないという結論であるからである。
「これは、俺の失敗であって魔理沙に責任は……」
「まぁ、お前がそう思うならいいんだけど、ケジメと言う奴よ。失敗は口に出して反省しないと同じ失敗を繰り返すからね」
「成程……そういうものか」
「それで、次の話に入るけど――」
「切り替え早いな、おい」
唐突に口調の変わった魔理沙に蓮一は驚きを隠す事は出来なかった。だが、一方で霧雨魔理沙という魔法使いの新たな一面を見れた事で少し嬉しい気持ちもあった。
魔理沙は改めてコホンと一つ咳払いを入れると話を始める。
「お前の師匠、何者だい?」
「……何で急にそんな事を?」
「いや、昨日お前の師匠の目的を考えていたのだけれどね。最初は第六感の鍛錬だとは思ったけれど、やっぱり少々リスキー過ぎるんじゃないかと不自然に思ったのよ」
「師匠が何で俺をこの森に入れたのかなんてわかんないな。師匠には俺のための修行という目的があるんだろうけど、俺には俺で別の目的があるんだ。師匠の目的が例え達成されてなかったとしても俺は自分の目的を優先して、その後直接師匠に教えて貰うさ」
「ああ、そういえば元々それをダシに嵌められたんだったわね。確か……」
「霖之助さんに天体望遠鏡を貸して貰うんだ」
「そう、それ」
最初に出会った時、それまでの事の顛末はあらかた魔理沙に話している。しかし、蓮一は自分で口に出して改めてその目的を早急に達成しなければならない焦燥に駆られた。
いくら天体望遠鏡が手に入ったとしても、慧音の課外授業の日までに用意できなければ何も意味はないのだ。正確な日時は聞いて来なかったが、彼女は夏の星を見せたいと言っていた。
という事は夏が本格的に始まってからの筈である。大雑把な推測ではあるがそれでも早めに見積もってもまだ一、二週間の時間はある。しかし、なるべく早いに越した事はない筈だ。慧音にも早めに伝えて入念な準備をして貰いたい気持ちもある。
「もっと、頑張らないとな」
「ん? まぁ、そうね。でも、私の魔法薬が完成するまではこの森を離れる事は許さないわ」
「なぁ、それって何日位かかるんだ?」
「まぁ、リハビリも兼ねて一カ月ってとこね」
「はぁ!? 駄目だ、それじゃ間に合わない!」
それでは夏の中盤にまで食い込んでしまう。下手をしたらその期間内に天体望遠鏡を諦めて課外授業が白紙に戻されかねない日数だった。
蓮一は強い口調で魔理沙に言う。
「魔理沙、悪いが後一週間以内には森を出させて貰う! その後でまたお前の所に戻ってくる、それでいいか?」
「駄目よ」
「な、なんでだ!?」
「私の目の届かない所でお前に何かあると面倒だからよ」
「心配ないだろう!? このイヤーカフと眼鏡さえあれば――」
「逆よ、それがなくなったらお前は終わりなのよ。忘れていない? 自分が僅かな触覚を残して全ての五感を失った身である事を」
「――ッ!」
蓮一に反論はなかった。確かにこの眼鏡とイヤーカフを付けているうちはまだ蓮一は自由に動ける。しかし、それは裏を返せばその二つが欠けてしまえば自分が何もできない状態になってしまう危険性があるという事だ。
「リスクの方が大きい以上、お前を私の監視外には出せないわ」
「わかった……でも、せめて香霖堂にまでは行かせてくれ。条件の物が揃ったら慧音先生が天体望遠鏡を借りれるよう手配しておきたいんだ」
「まぁ、あそこまでなら私もついていっても問題ないから良いわよ」
「助かる」
「まぁ、元々私の監督ミスだから、お前の目的に関しては出来うる限り手は貸すわよ」
やはり、さっきはケジメと言って流していたが、蓮一の五感の消失に関して魔理沙はかなり気にしているようだった。
図らずも、そこに付け入るような形になってしまい、罪悪感が残るもののこれで蓮一の目的達成への支障は消えた。後は三種類の植物を探してくるだけだ。
「お、ついたわね。蓮一、最初の採集を開始するわよ」
気付けば、若干開けた空間に二人は入っていた。周りは背の高い木々があり、遠くは見渡せない。そして、この魔法の森の中でも今いる空間は特に薄暗く、夕暮れのような印象を受ける。
魔理沙はリュックサックから赤色の小さな直方体のケースと皮の鞘に入れられた小さめのナイフを取り出すと、中心近くにそびえ立つ巨大な木の幹へ近づいていき、慣れた手つきでその木の幹の表層を削り取っていく。
「蓮一、お前のリュックの中にも同じ赤色のケースとナイフが入っているから、それでこの木の幹を削ってケースの中に入れて頂戴」
「ああ、わかった」
リュックの中を開くと魔理沙の言った通り荷物の中に赤色のケースが、サイドポケットにナイフが入っていた。
ケースはストッパーらしき部分をスライドすると勢いよくその口を開いた。
早速、鞘からナイフを抜き取ると、裏手に持って幹に突き立てるようにして表面を削り取り、その破片を次々にケースの中へと入れていく。
「さっき話が逸れたからまた話すが、お前の師匠、本当に武術の師匠なの?」
「…………」
「実は私としてはお前の師匠に心当たりがあるのだけれど。それはできればお前の口から聞きたいわね」
「…………」
二人の幹を削る音だけがしばらく魔法の森に鳴り響いていた。しかし、魔理沙は一定のペースで効率よく幹を削っているが、蓮一は心ここにあらずといった様子で同じ場所にナイフを突き立て過ぎて必要以上に幹を深く抉ってしまっていた。
蓮一は悩んでいた。果たして自分の師匠が博麗靈夢であり、妖怪退治の師匠である事をこの霧雨魔理沙に打ち明けていいものか悩んでいた。
妖怪退治を生業にとは言っているものの、博麗の巫女の攻撃対象は基本的に人間以外全般に及ぶ。つまり、今幹を挟んで裏側にいる魔理沙も同じく攻撃対象ではあるのだ。
蓮一は自分がその弟子である事を告げれば警戒されて魔理沙からこれ以上の支援をうけられないのではないかと危惧していた。
出会った当初ならばいざ知らず、今の蓮一は魔理沙の助力によってある程度生活できるような状態だ。その状態で今魔理沙が離れるのは死と同義でもあった。
しかし、魔理沙は既に蓮一の師匠に関してある程度勘付いているような素振りを見せている。それでも尚敵意を向けないという事はもしかしたら問題なく受け入れてくれるかもしれない。
「……俺の師匠は妖怪退治を生業としている博麗の巫女なんだ」
必死に悩んだ末、蓮一は正直に打ち明ける事にした。決して何か確信を得た訳では無い。ただ、今まで短い時間ではあったが魔理沙と過ごした時間を信じた。
蓮一の知る霧雨魔理沙という人間は自分と敵対しない。そう彼女を信じた結果の告白であった。
魔理沙は蓮一の言葉を聞いて少し黙っていいたが、大きく溜息をつきながら笑って「やっぱりね」と呟いた。
蓮一に対して距離を置く様な気配は全くなかった。むしろようやくわだかまりが取れたかのような晴れ晴れとした表情さえ魔理沙は浮かべている。
「まぁ、大体予想はついていたわよ。それよりなんで嘘を?」
「別に嘘じゃない。師匠が武道に精通しているのも確かなんだ。ただ、妖怪退治の師匠っていうと魔法使いでも多少は警戒されると思って……」
蓮一は今まで黙っていた理由を話すが、魔理沙はそれを鼻で笑って一蹴してしまった。
「お前、妖怪退治っていうのは人間に害を為す人外を退治するのよ? 別に私は後ろめたい事なんてないわよ。それに、その程度の事で私は警戒なんてしないわ、警戒するに値しないもの」
「そ、そうなのか? 人の寄りつかない魔法の森に住んでいるからてっきり隠れ住んでいるのかと」
「違うわよ、ここの魔力瘴気は私のような魔法使いにとってはむしろ魔力を高めてくれる場だし、何より私は人だかりに居るのが嫌いなのよ」
「そうだったのか……」
「それに、私は人間だしね」
「え?」
蓮一が驚いたのも無理はない。今まで魔法使いだと散々そう公言していたのに魔理沙は急に自分は人間だと言い出したのだから。
人間と魔法使いは似て非なるものだ。その最大の違いを上げるのならばやはり『魔法を使う事』だろう。人間には魔法は使えないため、姿形は人間と同じでも魔法使いと人間の間にはしっかりと種族としての壁があるのだ。
「まぁ、正確に言えば『元』人間ね。人間が回路を手に入れて魔術を学んでいれば魔法使いにはなれるのよ」
「それができないから種族として壁があるんじゃ……?」
「そうかもしれないわね、私にはできたけど」
少し誇らしげな魔理沙の顔が見える。
「まぁ、でも……そうね。確かにお前がそう考えて私が警戒するのを恐れたのなら、お前の行動は正しいわよ。師匠の素性を明かすのは得策ではなかったわね、ええ」
言葉では納得しているようだが、その表情はかなり不満気なものが見える。理由はどうあれ、蓮一が魔理沙を信用しきっていなかった事も原因の一端にある。それが彼女には気に入らないのだろう。
理由を聞いて頭ではわかっていても、心が聞き入れないのだ。
その様子を見かねて蓮一はできるだけ自然に話題を変える。
「と、ところで魔理沙、なんで俺の師匠が妖怪退治を生業としているってわかったんだ?」
思いのほか不自然だったかもしれない。
しかし、魔理沙は特に不審がる様子もなく蓮一の話に乗ってきた。
「ん? それはお前の師匠の本当の目的が第六感の鍛錬でなければそれしかないからよ。蓮一、今日は魔法の森を歩いていてどう? 辛く感じたりするかしら?」
「え? ああ、そういえば全然しんどくない」
今まで魔理沙との会話に集中していて気にも留めてなかったが明らかに初めて魔法の森に入った時よりも遥かに身体への負担が少なかった。
むしろ全くないと言っても過言ではない程だ。
「うん、どうやらしっかりと『回路』が形成されたみたいね」
「回路? なんだ、それ?」
「ま、一旦休憩にして腰を落ち着けて話しましょう? もう十分集まっているでしょう?」
「あ」
気付けばケースの中は幹の破片で山盛りになって入りきらない程になっていた。
二人は採集を終えると適当な場所に腰を下ろし、リュックに入れてあった水筒の水を飲んで一息つく。
「昨日もお前は魔力瘴気による体力の消耗が少なくなっていると言っていたわよね? 私がその理由について二つの内一つだけを話したのを覚えている?」
「確か、五感が強制的に鋭敏化されているからそれで体力の消耗が激しいって……それで二つ目は俺の変化とか言っていたよな?」
「その通りよ。まぁ、一つ目に関しては今お前は五感のほとんどを失っているから負担のかけようがないのだけれども。おそらく五感を取り戻してからももう魔力瘴気による消耗は無い筈よ」
「どういう事だ?」
そこまで話すと魔理沙はまた水筒の水を口に含んで喉を潤す。そうして口を拭うと水筒をリュックにしまう。
どうやら少し長い話になりそうな雰囲気であった。
「さっき私はこの魔力瘴気が魔法使いにはむしろ魔力を高めてくれると言ったわよね」
「ああ、なんとなく納得するけど」
「それは私の中に魔力回路っていう器官があるからなのよ。まぁ、魔法使いだけが持つ特別な器官なんだけど、それが私の周辺の空気から魔力を吸収したり体内のエネルギーを魔力に変換してくれたりするわけよ」
魔力回路に関する説明は理解できたが、それが一体自分とどう関係するのかが蓮一にはわからなかった。
ただ、魔理沙が話すのだからきっと必要な話しなのだろうと判断し、蓮一は取り敢えず黙って聞いている事にした。
「だから、私達魔法使いにとっては魔力瘴気に満ちたこの森の空気はむしろエネルギー源の塊みたいなものでここに居る限り私達は魔力の枯渇とは無縁になるのよ。つまり、この場所で魔法使いを相手にするのは無謀と考えていいわ」
「ああ、だからさっき『警戒する必要もない』って……そういう事か」
「まぁ、ここに居る限りは無敵に近いからね。この場所で私を敵に回すのはかの妖怪の賢者八雲紫だって好まない筈よ」
「そ、そこまで言うか……」
紫と実際手合せした訳でも彼女の戦闘を見た事がある訳でもないが、彼女の強さは師匠から散々言い聞かされていた。
この幻想郷で最強を挙げるのなら間違いなく八雲紫、そう師匠は豪語していた。それ程の実力者を相手にするという想定なのに魔理沙はこの魔法の森にいる限りは八雲紫と同等の力を有しているという意の言葉を平然と言い放った。
紫の強さを知らないのか、それともよっぽど自分の実力に自信があるのかどちらだが、どちらにせよ蓮一には悪い冗談にしか聞こえない。
「ま、話が逸れたけど要は人によってはこの魔力瘴気の捉え方も変わるって事よ。普通の人間には害を及ぼす一方で私のように『持てる者』には何よりも強力な恩恵にもなるという事よ」
「それで、それと俺の身体が魔力瘴気に侵されなくなった事にはどんな関係があるんだ?」
「簡単な話よ。お前にもこの回路ができているっていうこと」
「え!?」
蓮一自身には全く自覚は無かった。
何故、何もしていないのに数日の内にその回路が形成されているのか、またそれが自分にどういった影響を及ぼすのか不安の影が差す。
「まぁ、私も同じような方法で回路を形成したからね。この魔法の森の魔力瘴気に長い時間当てられていると体がそれに適応し始めて新たな器官を作り出す事があるのよ。もちろん、凡人には無理。才覚がなければそうはならないわ」
「才覚……?」
「ま、お前には普通の人とは違う『適性』があったのね」
「俺は魔理沙みたいに魔法使いになったって事なのか?」
恐る恐る尋ねる蓮一に一瞬気の抜けた顔を見せると、ふふふと噛み殺すように魔理沙は笑い始める。
「いえ、そういう事じゃないわ。私とお前の回路は似て非なるものさ、私にはなかったものよ。それにしても、ふふ……そんなに焦った表情しなくてもいいじゃない、そんなに魔法使い嫌?」
「嫌って訳じゃないけど……妖怪退治の弟子が魔法使いっていうのは、ちょっと」
「あら、そのうち魔法使いだって妖怪退治をし始めるかもしれないわよ?」
本気で言っているのか冗談で言っているのかよくわからない口調で魔理沙は言う。
蓮一としてはやはり師匠の弟子になったからにはその道を行きたいという思いが強く、やはり魔法使いとしての道を進むのは望むところではない。
「それで、魔力回路ってやつじゃないんなら俺には一体何が生まれたんだ?」
「霊力回路というやつよ。博麗の巫女が使っているのを見た事はない?」
「ああ、そういえば……霊力ってやつで攻撃していたな」
蓮一が霊力の実例として思い浮かべていたのは師匠ではなく霊夢の方だった。あの決闘の時攻撃に使っていた生命エネルギーの塊のようなものがそれだと聞いた。
思い返してみると師匠は霊夢のように霊力を主体として戦うようなスタイルではなかった。この魔法の森から帰った時には師匠に聞いてみてもいいかもしれない。
「その霊力を生成する役割の器官が霊力回路。まぁ、厳密には違うんだけれど魔力回路の霊力版だと思っていれば分かり易いかしら」
「それが俺の身体にできたのか?」
「ええ、魔術回路に比べて霊力回路はそのほとんどが先天性で身についているものなのだけど、お前は何か特別な才を有していたようね」
「そう、なのか……あまり実感ないな」
「ま、できたとは言ってもまだ微量な霊力しか生成できない程度よ。それでも十分異端に近い才能だけれどね」
魔理沙はその後の数分間、霊力というものを人間が使う事の異端性について語った。
魔理沙曰く、おおよそ人間という種族が霊力の力を得る事はほとんど不可能に近いという。生命エネルギーの塊であるそれを人の身で扱うにはあまりにもその身体に負担がかかりすぎるためだ。
霊力とは一般的には人間、魔法使いを除く妖怪や神霊、妖精など不可思議な力を持つ者が有する力であり、それを人間の身で有しているのは代々の博麗の巫女に限られるという。
「そんなに凄いものを何で俺が……?」
「蓮一、お前もしかして……」
「ん?」
魔理沙は何かを口に出しかけて、寸前止まった。
蓮一が魔理沙を見つめて次の言葉を待つが、それ以上彼女の口から言葉が出て来る事はなかった。
「……いえ、何でもないわ」
「え? 気になる言葉の切り方だな」
魔理沙はそう言ったっきりその話題をそれ以上続ける事はなかった。
「ま、それはそれとして、お前が妖怪退治の道を進むならそれは強い武器になる。しっかりこれから鍛錬すると良いわ。鍛錬次第ではもう少しその霊力回路はマシになるわ」
「武器に……?」
「蓮一、妖怪と戦った経験はあるのかしら?」
「ああ、一度だけ」
蓮一が指したのは師匠に連れられて行った山の時の事であり、村が襲撃を受けた時のものは数に含んでいない。
あれは蓮一が妖怪に為す術なく蹂躙された経験であり、あれを自分の中で戦いとは認めたくなかったからだ。
「うん、じゃあその時、お前少しでもその妖怪を追いつめる事ができた?」
「いや、一度不意打ちの形で猟銃を頭に打ちこんだけど、すぐに立ち上がってきた」
話している内にその時の恐怖が思い出されたのか背筋に悪寒が走る。
蓮一自身は多くは言わないがあの時の絶望感は村を滅ぼされた時同様彼に強いトラウマを残していた。
このトラウマを克服するにはまだ時間が必要だろう。
「そう、妖怪にはおおよそ人間ができる普通の攻撃は通用しない。あいつらに通用するのは精神的な攻撃さ」
「精神的な?」
「ええ、妖怪退治の英雄譚とか聞いた事ある? 彼らは刀で妖怪を斬って退治していたわよね、おかしいと思わない?」
「確かに……」
妖怪退治の英雄譚なら蓮一も幼少の頃に両親からいくつか聞かされた事があった。特に一番覚えがあるのは鬼退治の英雄譚だった。
現在、幻想郷には鬼は消えてしまったと聞いたが、昔はその数多いた狂暴な鬼達を武士が刀一本で倒していたという。
しかし、実際蓮一が妖怪と対峙した時、その相手には猟銃すら通用しなかった。多少英雄譚にも時代を経て拡大解釈された影響もあるのかもしれないが、確かに矛盾していた。
銃で倒せない妖怪を刀で倒せる道理、それがわからなかった。
「何故昔の英雄達が刀で妖怪を退治できたのか、それは彼らも博麗の巫女同様に霊力が使えたからと言われているわ」
「霊力を?」
「ええ、霊力とは生命エネルギーであり、精神の力でもある。霊力を纏った攻撃は妖怪に大きな効果を見せるのよ」
「――!」
蓮一にとってこの情報は光だった。
自分の為しうる攻撃全てが通用しない妖怪。それと戦うための光明が蓮一の中に差した瞬間であった。
「昔は今よりも妖怪が暴れ回っていて混沌とした時代であったから誰もが戦う術を身に付ける必要があったんでしょうね。おそらく本人達は気付いていなかったでしょうけど。妖怪に立ち向かう心の強さがいつしか霊力となって妖怪を撃退する力となったのだわ」
「何で、今は人間のほとんどに霊力が備わっていないんだ?」
「備わっていない訳じゃないわ。特に幼少期には霊力を宿す子も多い。でも、今は八雲紫と博麗の巫女によって妖怪と人間の関係に均衡が為されてしまった。霊力を必要とする環境が消えてしまったのよ」
「でも、妖怪による被害は今でも出ているじゃないか!」
「昔に比べては激減したわ。あの頃は日々妖怪に人間が襲われ『続ける』のが当然だったのよ? 勿論、人里に妖怪が入ってこない保障もなかったわ。この魔法の森にも、ね。それ程に弱肉強食の絶対社会があったのよ。そう考えれば今の時代、霊力が衰えていくのは当然でしょう?」
「関係ない! 人が死んでいるんだぞ!? 妖怪の手で!」
蓮一の口調が荒くなっていた。
自分の村が妖怪に襲われて全滅している。それにも関わらず妖怪に対抗する力がいらなくなったという魔理沙の言葉に納得がいかなかった。
あの時、村の皆に霊力があり、妖怪に立ち向かう術があったなら。そう考えるだけで頭に血が上った。
「ええ、『妖怪は人を襲うもの』だからね。被害がなくならないのは必然よ」
「魔理沙も、紫と同じ事を言うんだな……」
紫も同じ事を言っていた『妖怪は人間を襲うもの』だと。あたかも、だから人が妖怪に襲われて死ぬのは仕方がないと言うように。
納得できなかった。それだけで片づけていい程に人間の生死は矮小だろうか、否である。だからこそ村の皆が何故死ぬ必要があったのか、その原因を探ると蓮一は言ったのだ。
それで村の事について納得がいく訳では決してないが、それでもあんな理由のために死んでいった事にされるよりは救われる。そう蓮一は判断した。
「お前の怒りはよくわかる。だけどね、ここは幻想郷、忘れられたもの達の最後の楽園なのよ。人間のために妖怪達をさらにこの場所から立ち退かせる訳にはいかないわ」
「ッ!」
「彼らにとって人間を襲う事は自分の存在のために必要不可欠よ、言ったでしょう、妖怪は精神的な攻撃に弱いの。この世界に忘れられてしまったら幻想郷にも存在できなくなる。そうなったら、彼らにはもう居場所がないのよ?」
この幻想郷とは隔絶された『外の世界』というものがある。そこでは妖怪や神などの類の存在が希薄なのだ。
その世界に生きる人間の大半がそれらを信じていないからだという。そうして徐々に世界から忘れられた妖怪達は外の世界で存在できなくなり、消滅していった。
そんな妖怪達が存在できる唯一の場所がこの幻想郷である。外の世界では存在できない妖怪が存在を許される最後の世界がこの幻想郷であり、だからこそ妖怪達は二度と忘れられないよう畏れと共に人間にその存在を示すのだ。
人が妖怪に襲われて死んでいるから妖怪を追い出す、という考え方は実に人間主体の傲慢な考え方だった。
だからこそ紫は『妖怪は人を襲うもの』、『妖怪は退治されるもの』と定義づけをしてこれまで人間と妖怪、両者の均衡を保っていたのである。
「蓮一、妖怪の脅威と成り得る力を手に入れた今のお前だからこそ考えてもらいたい。お前はその力で妖怪を『退治』するのか『殺戮』するのか」
「…………」
「決して選択を誤ってはいけない」最後にそう言うと魔理沙は立ち上がってリュックサックを背負う。
それから日が暮れるまで二人は魔法の森で採集作業を続けていたが、二人の間で新たに会話が始まる事はなかった。
☆
その夜、魔理沙の家。蓮一が寝静まった深夜、魔理沙はある気配を察知して布団から起き上がった。
そして、カンテラに火を灯して『店』の方の様子を見に行く。
魔理沙の家は表から見れば普通の三角屋根の西洋づくりの家にしか見えないが裏側から見ると大きく『
魔理沙は店と自宅を繋ぐ扉を開け、店内の様子をカンテラで照らしながら伺う。
店の棚には怪しげな薬や道具が所狭しと並んでおり、その全てに破格とも言える値札が取り付けられている。
よくみると蓮一の付けていたイヤーカフと眼鏡もその商品の一つとして置かれているのがわかるが、今はそれ以上に目を引くものが店内にはあった。
どこから持ってきたのかわからない安楽椅子を店のど真ん中に置いて、それに優雅に座って何かの書物を月明かりの光を頼りに読んでいる白髪の眼鏡をかけた男が居た。
そして、その相手を魔理沙は良く知っている。
「もう店は閉店したのだけれど。明日また出直してきてくれないかしら?」
男はその声に本をパタンと閉じると安楽椅子から立ち上がり、いつものにこやかな笑みを魔理沙に向ける。
魔理沙が香霖堂を訪ねた時に見せるいつもの営業スマイルだった。
「やあ、魔理沙。良い夜だね」
そう言って森近霖之助は目の前であからさまに迷惑そうに佇む魔理沙に挨拶した。