横須賀の新藤提督に増援を頼んだ結果、志願してくれたのは意外にも雷が荒れていた時代を知る面々であった。
龍鳳、藤波、三日月といった北方では頼もしい戦力や教育係になってくれそうな面々が来てくれるという事で鈴谷達は喜ぶが、肝心の雷はその過去故に微妙な顔。
只、これも雷の人脈がもたらした結果だと皆が言う事で、ひとまずは納得をする事になる。
一方その頃、佐渡達を始めとした海防艦娘6人は、密かに集まり会話をしていた。
忌々しい記憶を持つ大湊から出世をする為に、佐渡が用意したチャンス。
そう言いながら取り出したのは、執務室からこっそり盗み出して来た、貨物船の護衛任務のサインが書かれた書類であった。
海防艦娘達は、佐渡が取り出した書類を思わず凝視する。
その内容は、こういうものであった。
まず、今晩この大湊警備府に、最北端の幌筵泊地に食料などを届ける為の貨物船が到着するらしい。
幌筵泊地は深海棲艦の気象の影響を受けやすい事も有り、極寒の地。
深海棲艦が出現した時の為に、定期運航する貨物船は、必ず大湊警備府や何処かの軍港鎮守府が護衛に付く。
書類に記されたサインが確かならば、今回は第九十九駆逐隊がその任務を受け持つ予定であるとのこと。
「佐渡さん………この任務、私達のじゃないわ………。これじゃあ………。」
「馬鹿だなぁ、石垣。サイン入りの書類がここにあるんだ。だったら、佐渡様達が任務を奪ってしまえばいい。」
「奪う?それって、命令違反でしょ………?」
「貨物船側からしてみれば、護衛する艦隊なんてどこでもいいんだよ。重要なのは、任務を果たす事だ。実績さえ作っちまえば、こっちのものさ。」
佐渡は、意地の悪い笑みを浮かべながら言う。
貨物船の護衛任務を果たす事が出来れば、少なくとも相手への信頼は上がる。
急造の九十九駆よりも、自分達が役に立つ事を示してしまえば、護衛を求める声は増えるだろう。
そうなってくれば、艦娘提督の鈴谷達はやむを得ず、自分達に任務を回して来るはずだ。
ひいては出世し、この大湊から飛び出す為の布石になる。
「あいつ等の座学で習った知識だけど、横須賀とかはいい所だ。そんな華やかな場所に行けるなら、多少の危ない橋は渡るべきだよ。」
「確かに、今のままじゃ延々とここで訓練させられるだけよね。」
「そうだよ、能美。どれだけ力を付けても、あいつ等は佐渡様達を外には出そうとはしないぜ。この警備府の、使い走りで終わるのが目に見えている。」
『……………。』
能美だけでなく、他の面々も佐渡の言葉に考え込んでしまう。
決闘の賭けに負けたから仕方ないとはいえ、今のままだとずっとこの「忌々しい」大湊で訓練漬けだ。
それでは、佐渡達の目的は達成できない。
「行こうぜ、横須賀へ。佐渡様達は、こんな所でおさまっている器じゃない!」
「………でも、どうやってみんなの目を欺くんだ?貨物船は大湊に寄るんだろ?給油とかするんじゃないのか?」
「え?………あ、それは………。」
扉の前を見張っている福江の真っ当な言葉を受け、佐渡は思わず掲げた右拳を下ろしてしまう。
そこまで具体的な計画は、考えてはいかなかったらしい。
だが、ここで平戸が笑みを浮かべながら言う。
「貨物船は横須賀から来ています。そして、中継地点で何かあった時の為に、燃料や食料は、到着地までの分はしっかりと確保されてはいますよ。」
「そ、そうなのか?」
「座学で習ったじゃないですか。………今晩、自主的な夜間訓練を装って抜錨しましょう。そして、大湊に着く前の船にそのサイン入りの指示書を貨物船の船長に見せるんです。」
平戸の提案によれば、大湊で異常があったと嘘を付き、貨物船をそのまま幌筵に向かわせれば、こっそりと護衛をすり替わる事が出来ると。
確かにやり方としては大胆で危険ではあるが、確実に遂行できる意見を述べている彼女の言葉に、佐渡は驚きながらも少しだけ引く。
「な、何か………凄い思い切ったやり方を提案できるな。」
「この「汚れた」町から抜け出す為ですから。それくらいの冒険はしませんとね。」
「………そうだな、平戸は特にそう思うよな。」
佐渡は思わず、バツの悪い顔で俯く。
笑みを浮かべる平戸の目は、やはり笑ってはいない。
むしろ、これまで見せた事が無い位に深い闇を帯びていた。
その目を見て佐渡は拳を更に握りしめると、周りを見渡して言う。
「よし、この計画で行こう。八丈もさっきから黙っているけど、いいよな?」
「………いいの、かな。」
「何?」
佐渡はここで、ずっと黙っていた八丈を見て驚く。
彼女は青ざめた顔で、ずっと膝の上に両拳を置き葛藤をしていた。
「あたし達のやろうとしている事………一生懸命教えてくれている、雷達への立派な裏切り行為だよ。そんな事して………許されるのかな?」
「お、おい………八丈!?今更何を言って………モゴ!?」
「声が大きいよ。」
狼狽える八丈が信じられなくなり、思わず叫ぼうとする佐渡だったが、周りに聞こえると踏んだのか、咄嗟に能美が口を抑える。
福江も扉の外を確認するが、人はいない。
石垣が何かを言おうとしたが、その前に平戸が曇った瞳で八丈を見た。
「雷さん達に………私達の気持ちが分かるわけありませんよ。」
「でも………少なくとも雷は「捨て子」だった。私達と同じで、親から「痛い目」を見ていた………。」
『……………。』
八丈の独白に、空気が固まる。
昼食前に、彼女は雷にその過去を聞いてしまっていた。
その境遇は、自分達とほとんど変わらない。
だけど………いや、だからこそ、彼女は捻くれた自分達に親身になってくれている。
「雷は荒れていた自分のミスで、仲間の艦娘を沈める原因を作ったとも言っていたよ………。そんな艦娘の期待に………背いていいのかな………。」
過去を直に聞いてしまったからこそ、八丈は迷っていた。
雷に………僅かながらでも、温かいものを感じてしまっていた。
もしかしたら、それは「母性」なのかもしれないと。
しかし、直に会話を聞いていない仲間達は、その気持ちが分からない。
特に、目の前にいる「闇が深い」平戸には。
「うふふ………だったら………八丈さんだけ、大湊で一生くすぶっていればいいですよ。」
「そ、それは………。」
「貴女がどうしようと、私達は行きますから。………ね、佐渡さん。」
「あ、ああ………八丈、夜までに決めてくれ。」
下手に踏み込めない事情があるだけに、最後は引き気味であった佐渡だが、皆を見渡すと告げる。
良からぬ企みで渡る、危険すぎる橋………しかし、彼女達にはそれだけこの町から飛び出したい理由があったのだ。
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その頃、庁舎の医務室では夏雲が、第三十一駆逐隊の4名の定期診察を行っていた。
岸波、長波、朝霜、沖波と服を着ている状態でも見える古傷が酷い面々であったが、実際に服を脱いでもらうと、その凄惨さはかなりのものだ。
第一級工作艦技術者免許を所持する夏雲は、表情には出さなかったが、その傷を診る度に痛々しい思いをしてしまう。
今まで定期診察を担っていた、移動鎮守府「はくちょう」で働く北上が、どんな気持ちで診ていたかを考えると、やるせない想いすら感じてしまっていた。
その空気を敏感に読んだのか、服を着ながら沖波が問いかけて来る。
「大丈夫?夏雲さん。私達の傷、ちょっとショックかもしれないけど………。」
「いえ………大丈夫です。でも………考えてみれば、4人共………、お風呂の時間は、ずらしていましたね………。」
思い返せば、全員が入った後で、三十一駆の4人は風呂に入ってくれていた。
これは、なるべく自分たちの傷を見せたくないという想いがあったのかもしれないが、周りを気遣っている部分があったのだろう。
そう考えると、余計に悲しさを覚えてしまった。
「とにかく………、これで4人の診察は終了です………。なるべく無茶はしないでください………。」
「医者は、みんなそう言うよな。あたい達、この大湊のエースなんだぜ?」
「診る立場からしてみれば、そう言いたくもなりますよ………。」
朝霜が少々納得していないような表情であったが、夏雲は正直な感想を漏らす。
仕方ない事情があったとはいえ、三十一駆は文字通りその身を削る思いで大湊を守って来たのだ。
その代償がこの古傷だというのならば、あまりにも理不尽である。
「体を大事にしてください………。これじゃあ、鈴谷さん達も気が重くなるだけです………。」
「そうだな、ありがと。………んじゃ、これから訓練しようか!」
「話………聞いてます?」
「長姉も結構真面目だからね。でも………私達、この大湊が好きだから。美味しい秋刀魚の取れる、この大湊が。だから、これからも全力で守るわ。」
何か感想がズレてないだろうか?………と岸波の言葉に夏雲は疑問を覚えたが、彼女なりの場を紛らわすジョークだと思って、苦笑いを浮かべておくことにする。
4人は夏雲に対し改めてお礼を言うと、医務室を去っていく。
結局、これから訓練をして更に己を鍛えようとするのだろう。
「さてと………。」
1人になった夏雲は、椅子に座りながら静かに7枚のカルテを取り出す。
それは、第九十九駆逐隊所属の7人のものだ。
医務室で第三十一駆逐隊の4人の定期診察をするに当たり、秘書艦の熊野から、ついでに自分の所属する駆逐隊の病状の管理をした方が、効率がいいだろうと言われ渡された物。
只、その際に彼女は目を伏せながらこう述べた。
「できれば………誰もいない場所で、このカルテを見て下さると有り難いですわ。」
つまり、他の者がいる前でカルテを見ると、動揺が走る可能性があるという事だ。
20年も艦娘をやっている夏雲にすら、そう言ってしまうのだから、何かしらそこまで忠告する理由がある。
「一体………何が………。」
夏雲は慎重な手つきで、順番に見ていく。
まずは、夏雲自身のカルテ。
次に、同郷の竹。
そして、海風、春風、早霜、不知火と、順番に念入りに確認をしていく。
ここまでは、そこまでカルテ上には異常は書かれていない。
「だとしたら………やっぱり………。」
一番下に隠されているように入っている、雷の診察記録を示したカルテ。
見る前に、夏雲は風呂での彼女の姿を思い描く。
自身と同じ小柄な部類に入る艦娘は、外見上は何の異常も無かったはずだ。
だとしたら………異常があるとしたら、「見えない部分」。
「覚悟を決めます………。」
そっと大事に取り出すと、夏雲は雷のカルテを順に見ていく。
一見、特に特別な病気を抱えているわけでは無い。
だが………。
「っ!?」
とある記載された文章を見た途端、夏雲は大きく震えた。
覚悟をしていたとはいえ………そこに書かれた内容に、信じられないように目を見開いてしまう。
「そんな………っ!?」
正直、吐き気すら覚えてしまった。
雷が過去30年間ずっと、こんな「悲しい症状」を抱えていたと知ってしまったから。
その長年の苦しみと葛藤を想像しただけで、夏雲は「女として」嗚咽を覚えてしまう。
「雷さんが荒れていた、本当の理由は………。」
「夏雲、遊びに来たわ!ちょっと朗報伝えに来たわよ!」
「うわ!?」
ところが、次の瞬間、医務室の扉が開け放たれてその雷が入って来た事で、夏雲は思わずカルテを落としてしまう。
更に運の無い事に、ひらりと舞ったカルテは、雷の前に落ちてしまった。
「ん?何か飛んできたわよ?………これって………。」
「あ………その………。」
雷がそのカルテを覗き込んでしまった事で、夏雲は思わず目を背けた。
幸い、他の面々は同行していなかったが、雷自身に夏雲の今の行動が知られてしまった。
これで逆上したとしても、夏雲は文句を言えない。
「なるほどねぇ………私達の診療結果も管理する事になったんだ。」
「………ゴメンなさい。」
バツの悪い顔をする夏雲であったが、雷は意外にも顔色を変える事無く、医務室の扉を閉めて中に入ると、夏雲に自身のカルテを返す。
そして、両膝を付き座っている夏雲の目線まで腰を落とすと、彼女を見据えた。
「貴女が謝る必要は無いわ。ノックをしなかった私が悪かったのだから。」
「………私が貴女の秘密を知ってしまった事で、動揺はしないのですか?」
落ち着いている様子の雷に対し、夏雲は衝撃すら覚えてしまう。
ある意味、カルテで自身の秘密を知られるという事は、裸を隅々まで見られるよりも耐えられない行為でもある。
それでも夏雲を気遣う余裕すら見せる目の前の艦娘に、夏雲は思わず聞いてしまう。
「30年前………貴女が荒れていた本当の理由は、「この事」が原因であるはずなのに。」
「まあ………否定はしないわ。「こんな体」になった時は、原因である父の荒れっぷりを思い出すのも忌々しかったし、ずっと見捨てていた母の冷めた目も許せなかった。」
雷は両腰に手を当てると、僅かに鼻を鳴らして軽く憤ってみせる。
しかし、その怒りは明らかに夏雲が思っているよりも、なりを潜めていた。
だが、遠回しであるとはいえ詳しい理由を話す雷の言葉に、カルテに書かれていた事が事実であると痛感してしまう。
「じゃあ、この紙に記載されている事は………本当なのですね。」
「ええ。私………もう子供を産めない体なの。」
雷は、少しだけ寂しい顔をして、夏雲の言葉に回答した。
海防艦娘達も、雷達と接するうちに一枚岩では行かなくなってきた模様。
八丈は、雷から母性を感じ取ってしまった為に、安易に出世を望む事は悪いのでは?………と思い始めます。
一方で、何やら相当深い闇を抱えている平戸は、大湊がとことん嫌いなようで………。
そして、カルテを見ていた夏雲が知ってしまったのは、雷が横須賀時代に荒れていた本当の理由。
彼女が30年どんな思いを抱えて過ごしていたのかと考えると、痛々しいものです。