ターフを去ったあの娘達   作:テルミ(ざわテル)

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幻の3冠ウマ娘
そう呼ばれるウマ娘が居た。
わずか4度のレースで見るものを魅了し、その将来に"夢"を見る者もいた。
瞬きすらも許さない一瞬の煌めき、超光速のソレはターフすらも瞬く間に駆け抜ける。
その光の名は、アグネスタキオン。
彼女がターフを去った少し後のお話。


lim x → ∞ f ( x ) = 夢

幻の3冠ウマ娘

 そう呼ばれるウマ娘が居た。

 わずか4度のレースで見るものを魅了し、その将来に"夢"を見る者もいた。

 瞬きすらも許さない一瞬の煌めき、超光速のソレはターフすらも瞬く間に駆け抜ける。

 その光の名は、アグネスタキオン。

 何もかも置き去りにした光はいったい、何を目指して進んでいるのだろう。

 

  *                *                *

 

 

「トレーナー君! もうレースまで5分しかないんだ、もう少し急げないのかい?」

「はぁ……はぁ……そもそもタキオンがなかなか起きなかったからだろう……」

 

 淀駅の改札を抜け、京都レース場直通の連絡橋を進む。屋根を叩くパラパラとした小雨が京の空を包んでいるらしい。気を使いながら進む俺の気も知らず、元担当ウマ娘は座る車椅子のアームサポートを2度、叩く。

 屋根の下を進むはずなのに額を伝うソレがなんなのかということすらも考えず、ただただその脚を進める

 

「せめて私が走れたら、こうはならなかったんだろうなぁ」

 

 返す言葉を探しながらも脚は止めない。レースを見ることは今のアグネスタキオンにとって心の"リハビリ"であったからだ。

 

「1回で起きてくれたらこうはならなかったんだよ。それに、そもそも構内は走れない」

 

 そして、アグネスタキオンももう、走れない。

 レース場に脚を踏み入れるたび、その事実がチクリと胸を刺す。当の本人は気にもしていない様子だが、その本心はよくわからない。

 4戦4勝、デビューしてからの彼女は期待に満ち溢れた超新星だった。

 メイクデビューで颯爽と現れた新星は見る者の目を惹き、迎えたG1皐月賞では掛けられた期待を気にもしない様子で駆け抜けた。

 まずは1冠、他所から聞こえたそんな言葉は今でもよく覚えている。クラシック3冠ウマ娘アグネスタキオン。俺だけではないだろう、多くの人が彼女に"夢"を見た。まさに夢中だったと言える。

 夢の中と書いて夢中、それをこの目にすることは叶わなかったのだ。

 それが最後の1冠となろうとはその時、誰も予測することはできなかった。一番近くに居た、トレーナーである俺すら、も。

 屈腱炎。腱繊維の一部が断裂することで発熱・膨張を起こすその悪魔が皮肉にも、未来の三冠ウマ娘アグネスタキオンを、幻の3冠ウマ娘たらしめた。

 『ウマ娘のガン』とも呼ばれるソレは治療できないというわけではない。けれど、前と同じように走れるかどうかと言われると、首は横を振ることしかできない。

 半年も満たないその選手生命をアグネスタキオンは潔く、終えた。胸の内に秘めている感情はわからない。けれど、その決断を彼女は呆気なく受け入れた。

 もしかしたらまたレースができるかもしれない。そんな漠然とした希望に頼らないのは彼女らしいところではある。よく言って現実主義、悪くは……考えたくもない。

 そんな過去を振り返っている間に観覧席に着く、ゲート入りギリギリではあるけれど幸い、発走までには間に合うことができたようだ。

 

「おや、まだ始まってないみたいだ。間に合わせてくれたようで嬉しいよ。トレーナー君」

「……あぁ」

「うぅん?」

 

 上の空となっていた俺をじっと見つめるタキオンの瞳思わず、吸い込まれそうになる。

 深い茶に染められたその二つの眼は俺を見ているようで見みていないような、そんな気がした。表面上の俺ではなく、深い深い深層を見ているような――

 

「っタ、タキオっ……」

 

 彼女の指が俺の頬を触れ、彼女の顔に引き寄せた。血が通っていないと思われるほどに冷たい指先、あちらにもこちらにも跳ねた栗毛、そのすべてが俺の中の時を止める。息をすることすら忘れる肺とは対照的に高鳴りの止まらない心臓。時を動かしてくれたのはゲートの開く、乾いた音だった。

 秋のメイクデビュー。12の地を揺らすほどの足音はまるで、初めての栄光へのファンファーレのよう。

 頬に触れる冷気はすでに無く、持ち主は小さく何かを呟きながらレースに夢中だった。

 

「3枠3番……」

 

 小雨の降る中となったデビュー戦は、あの娘達に試練を与えているようにも思えた。おまけに京都レース場だ。道中のキツイ坂に加えてテクニックが要される小回りなコーナー、それを初めてのレースで越えてみろだなんてことは俺にはできない。

 それでも一団は駆け抜ける。タキオンが呟いた3枠3番、どうしてかその娘をついつい目で追ってしまうのはなぜだろう。

 

「トレーナー君」

 

 袖をつまむタキオンは視線を話さずに、小声で俺に問いかける。

 

「3番の娘、誰だかわかるかい?」

 

 赤より紅い髪、女王然とするように掛けられたティアラ、3枠3番のウマ娘はタキオンもやはり気になっていたよう。取り出したレース表をタキオンの前に広げながら、指を差す。

 京都レース場第5レース3枠3番、ダイワスカーレット。

 

「ダイワ……スカーレットさん? と言うらしい」

「スカーレット……君」

 

 最終直線に入る一団を、いや、ダイワスカーレットを見つめるタキオンはその口元を緩めながら、笑った。満足げな表情を浮かべる彼女には今、何が見えているのだろう。

 

「外からはウィンスペンスが上がって来るがダイワスカーレット! ダイワスカーレット今ゴールイン!」

 

 そんなことを考えているうちにレースは幕を閉じる。小雨の中、そこだけが晴れているかのように眩しい笑みを浮かべる彼女に俺もタキオンも、小さな拍手を添えることにした。

 

「ふふっ、私もあの娘みたいに走れればねぇ」

「タキオン……」

「気に病むことはないよ。……次のレースまで時間があったね。今日もまた、ちょっとしたお話に付き合ってくれないかい?」

 

 タキオンがレース場に来た日は基本、最終レースまで残さず観戦をしていく。次レースが始まるまでの40分と少々は毎回、他愛のない話をすることが決まりになっていた。紅茶かコーヒーかなんてものから、各レース場における脚質の着順傾向と言ったものまで、その日の気分でジャンルなんてものはコロコロ変わる。無論、拒否権はない。

 黙ってうなずくと、こちらを見ることなく彼女は続けて口を開く。

 

「天皇賞、そこでのスズカ君のことを覚えているかい?」

「あぁ、忘れることはないだろうな」

 

 天皇賞(秋)2週間前に行われたソレは鮮明に覚えている。序盤から見せた大逃げでハナを取り、その差は開くことなく駆け抜けた彼女の、影をも踏ませぬその走りは、何年経っても忘れられないだろう

 

「同感かな。そこでだ、時にトレーナー君。なぜスズカ君はあれだけ走れたと思う?」

 

 なぜ走れたか。答えようのない疑問をタキオンが投げかけてくるのは珍しい。そう言ったときは決まって彼女自身としても答えを持っていない時だが、どう答えたものか……

 

「私たちウマ娘は確かに、人をはるかに超えた運動能力を秘めている。あの走りを見れば一目瞭然ではあるけれど、それにしても限界はどこかに必ずある」

 

 ウマ娘。彼女らはどこから来て、どこへ向かうのか。それは解明されていない謎のひとつではある。脚力という点だけを見ても、それは人間の俺が考えるには余りも大きすぎる命題だ。

 そこでなぜだと言われても、そもそも俺はウマ娘ではない。どれだけ語ってもそれは憶測の域を出ない。けれど一度、考えたことはある。

 

「ウマ娘は幾多の"想い"を背負い、走る生き物だと言われることもある。って言ってたよな」

「あぁ、私もそんな感覚があったけれど、あくまでそう感じただけ。実際どうかはわからないねぇ」

「その背負った"想い"が原動力で走れた……とか」

「非科学的な事を言うね。ただ、なにもかもがわからないんだ。ではその前提で聞くよ。背負える想いにも限界はあるだろう」

 

 彼女の言う通りだと思う。想いを背負う。逆に言えば、背負わされている。

 それは時にして、ひとりの"ウマ娘"には抱えきれないくらいに大きくて、その重さに耐えきれず"少女"に変えてしまうことだってあるだろう。それがタキオンの言う限界、それに近いものなのかもしれない。

 異次元の逃亡者、影をも踏ませぬ大逃げ、世代最強のウマ娘、そんな"想い"を背負って走れたのは多分、彼女がひとりでなかったからだろう。

 

「あの娘はひとりじゃない。チームの仲間が居て、トレーナーが居て、あの娘に寄り添う"誰か"が居たからこそ、限界を超えることができたんじゃないか? 」

 

 憶測で固めたソレを投げかけると、タキオンは氷のように冷えた指を顎に当てながら思考の海に潜る。

 "夢"彼女が名前を与えたその変数は実体を持たず、手を伸ばしても雲のように指の隙間から逃げ出してしまう。だが、それを俺は確かに見た、彼女は触れた、あったんだ。

 

「"夢"、というものは不思議だねぇ。もしかしたら私の研究の真理は"夢"、その先の景色にあるのかもしれない」

 

 タキオンもまた、"夢"見ていたのかもしれない。限界を超えたスピードの向こう側、プランAと呼称して突き進んだその先の景色に、希望を添えて。

 

「残念ながら、見ることはできないだろうけどね」

 

 彼女の撫でる脚は答えなんてものは出してくれない。

 命までもかけて手の伸ばした夢、そんな終わりの形で本当に良いのか? おそらく彼女は受け入れるだろう。けれど、けれども、こんな形で終わって良い夢なんてひとつも、ただのひとつもあるわけがない。

 

「見ることはできなくとも、推測することならいくらでも、いくらでもできるはずだ」

 

 自然と口は動いていた。

 

「……トレーナー君?」

「スズカの夢、他の娘の夢、タキオンはこれから、たくさんの夢を目の当たりにするんだ。タキオンの言葉を借りれば、研究材料はこれからもっと増えていく。俺たちは多くの夢からアプローチをかけるんだ。そうすることでいずれ、限りなく本質に近い何かを見つけることができるんじゃないか?」

 

 それは寝言でもなんでもない。タキオンの未来はこれからも続いていく。過ぎる日々の中で多くの"夢"に立ち会うことにもなるはず。そのひとつひとつはどれも曖昧で、タキオンの求める"答え"そのものではないのかもしれない。

 けれど、数えきれないほどの"夢"に立ち会うことができたら? その標本達から得られた考察を照らし合わせていけばいずれ、限りなく本質に近い何かに出会うことができるはず。

 

「クッ……クフフッ……」

 

 俺の"検証方法"に彼女は口元を緩めながら小さく、笑う。けれどそこには嘲笑という感情は無く、無邪気な子供のような、けれど狂気も孕んでいるような、彼女らしい笑みだった。

 

「実証のできない考察で答えを導こうと、サンプル数だっていくつ必要なのかもわからないのに? ククッ……トレーナーくぅん……やっぱり君も、狂ってるな」

「誰に似たんだかな」

 

 たしかに、どれくらいの"夢"を見届けることで近づけるのかなんてことは知らないし、想像することもできない。それでも、彼女ならたどり着けるはず、そんな気がしてならない。

 

「決めたよ。トレーナー君。私は"夢"を"見ない"。私は"夢"を――」

 

 ――"託す"ことにした。

 その言葉の重みは計り知れない。けれど、確かに今タキオンは、踏み出したんだ。その一歩はあまりにも小さいかもしれないが、彼女にとって、俺たちにとってそれはあまりにも大きい。

 

「これからは数えきれないほどの夢を見ることになるだろう。ただ、立ち会うための脚が今の私には無くてね。着れていってくれるかい? モルモッ……いや、トレーナー君?」

 

 答えはもう決まっていた。差し出された手をとり、見つめる彼女の瞳に映る俺を見る。そこには同情も献身も無くて、ひたすらに野心の色で染まる瞳がふたつあるだけだった。あぁなるほど。

 確かに俺も、狂っているのかもしれない。

 

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