一か月ほどが過ぎても、アスカの記憶は戻らなかった。
原因もきっかけも掴めないまま、回復待ちという名の停滞が続いていた。
イズモ「ここまで回復しないとなると、何か大きな原因があるはずだ」
イズモ「待てよ……一か月前、アスカが突然記憶喪失になった瞬間、ドローンが飛んでなかったか」
イズモ「もしかしたら、あのドローンに何か……」
その瞬間、室内に羽音が落ちた。
一羽の小鳥が、どこからともなく現れる。
可愛らしさはなく、無機質な瞳が鈍く光っていた。
鳥は床に小さな発光体を落とすと、痕跡を残さず消え去った。
その直後から、イズモの中で何かが削られていく感覚が始まった。
大切だったはずの記憶が、砂のように指の隙間からこぼれていく。
イズモ「このこと……カエデやみんなに……」
イズモ「……カエデ?」
イズモ「誰だ、それ」
名前を口にした瞬間、胸の奥が空白になる。
なぜその名前を知っているのか、なぜ言おうとしたのか、それすら分からない。
半日後、その違和感すら完全に失われた。
それでも、今まで作り上げてきた装置や研究成果は残っていた。
イズモはそれを見て、自分はまだ大丈夫だと無理に納得した。
そんな折、アスカの記憶が回復し、退院が決まった。
そこから、事態は静かに、しかし確実に悪化していく。
イズモは自分の家にいるはずなのに、まるで他人の家で生活しているような感覚に陥った。
そして、カエデの存在を、ただのメイドロボットのようにしか認識できなくなっていた。
記憶が薄れていく恐怖を、ようやく自覚する。
イズモ「……これは、さすがにまずい」
彼は誰かに相談することを決めた。
リツコ「イズモくんも記憶喪失……」
リツコ「しかも、鳥型の何かが光る物を落とした直後に記憶が消えたですって」
リツコ「……まずいわね」
リツコはカエデの病室で資料を広げ、状況を整理していた。
リツコ「一応、記憶のバックアップはあるから復元はできるわ」
リツコ「でも、根本原因を潰さない限り、また消される」
眉間に皺を寄せ、考え込む。
さらに半日が過ぎても答えは出なかった。
リツコ「……何かあるはずよ」
防犯カメラの映像を洗い直すと、問題の場所に確かに鳥型ドローンが映っていた。
だが、その足取りを追うと、ある地点で忽然と消えている。
そこは、空間圧縮区画と通常空間を繋ぐ廊下の境界だった。
リツコ「こんな芸当ができるのは、空間設備課の人間か、イズモくん本人……」
リツコ「それか、幻想郷支部の紫だけね」
リツコは即座に判断する。
リツコ「幻想郷支部へ行きましょう」
紫は、いる時といない時がある。
本人曰く「幻想郷をフラフラしてないと世界の秩序が乱れる」らしい。
イズモは、これから待ち受ける残酷な結末を、まだ知らなかった。
夜。
幻想郷支部で、紫に映像を見せる。
紫「これは隙間を応用した空間圧縮じゃないわね」
紫「それなら、私たちにも分からない」
イズモ「君以上に詳しい人なんて、僕の知る限りいないからさ」
リツコ「そういえば……数か月前、空間設備課で不祥事があったわね」
リツコ「今、保安部の独房に入ってる人がいたはず」
紫「リツコ、悪いことは言わないわ」
紫「これは保安部に任せて、イズモくんのケアに専念してあげなさい」
その直後だった。
サーバルーム付近で、爆発が起きた。
リツコ「被害状況は?」
カエデ「サーバルームより爆発を確認しました。近くのオンラインカメラにアクセスします」
映し出された映像には、異様な光景が広がっていた。
サーバルーム内に、無数の花びらと鳥が舞っている。
それは、イズモとアスカの記憶を消した鳥だった。
この鳥には、記憶操作に近い能力がある。
解き放たれた鳥たちは、人々の記憶を次々と奪っていく。
リツコ「隔壁閉鎖。機動部隊を派遣して」
リツコ「敵は鳥よ」
ミサト「了解」
本部の隔壁が次々に閉じられ、防衛区画が形成される。
セキュリティレベルを最大まで引き上げ、機動部隊が動き出した。
だが、排気口から投入された戦闘ドローンは、次々と墜落した。
プログラムが、完全にリセットされていた。
リツコ「……まさか、プログラムまで消されるなんて」
リツコ「こうなったら、隔壁内に硬化ベークライトを満たすしかないわ」
イズモ「どうせ、俺は元々記憶が曖昧だ」
イズモ「俺が行くよ」
イズモ「記憶が完全になくなっても動けるように、油圧式パワーワードスーツを使う」
イズモ「腕にメモ帳を付けて、遠隔で指示を飛ばしてくれ」
イズモ「最悪、ずっと鳥を殺せって書き続けてもいい」
リツコ「バカ言わないで」
正論だった。
二人は同時に舌打ちする。
対策は万全に整えた。
問題は、これ以上、イズモのような人間を出さないことだった。
イズモ「ダミーシステムのデータ、残ってる?」
リツコ「この前の戦闘のならあるわ」
イズモ「それでいい」
イズモ「俺の記憶領域に接続して、ダミーシステムを流し続けてほしい」
リツコ「分かったわ」
リツコ「暴走したら、イズモという人格は消える」
リツコ「それでもいいのね?」
イズモ「いいよ」
イズモ「リツコなら、やること分かってるでしょ」
イズモはダクトから対象区域へ侵入した。
鳥が記憶を消すよりも早く、ダミーシステムが脳内を埋め尽くす。
彼は無心で、鳥型ドローンを破壊し続けた。
数十分後。
サーバルームは、イズモ以外、完全に無人になっていた。
奥に、今まで見たことのない存在が立っていた。
全身が筋繊維のように浮き出た、女子高生ほどの体格。
薄く白い、人形のような姿。
トレーシー「僕のことはトレーシー。砂霧・沙和だよ」
イズモ「話してもらおうか」
イズモ「全員の記憶と、このサーバルームの損害、どうしてくれる」
トレーシー「無理だよ」
トレーシー「リンクが散乱しちゃったから、復旧なんてできない」
トレーシー「証拠もないし、逃げることもできない」
トレーシー「アハハ、絶望だね」
イズモ「理由は?」
トレーシー「簡単だよ」
トレーシー「君たちへの見せしめさ」
紙切れを差し出す。
イズモ「そんな曖昧な感情で計画立てるなんて」
イズモ「組織にとって危険でしかない」
トレーシー「まあ、そうだよね」
トレーシー「じゃあ、ここにいる全員の記憶、消すね」
次の瞬間、空気が震えた。
一斉に衝撃音が響き、予備戦力まで無力化される。
援軍は、もう来ない。
記憶損失数、約十二万人。
とてつもない被害を残し、事件は形だけ穏便に幕を閉じた。
リツコ「報告を聞きに来たわ」
リツコ「アスカ、あなた……前からこんな症状あった?」
イズモとトレーシーの記憶を最後に失い、アスカは人に戻った。
だが、幼児退行を起こしていた。
創造能力だけは、失われていない。
リツコ「診断結果は、普通……」
リツコ「これじゃ、どうしようもないわね」
特定の条件で記憶が戻るらしいが、その条件は分からなかった。
幼少期に特撮が好きだった影響か、想像した武器を次々と具現化する。
そのため、専用の子供部屋が建設された。
子供たちとは、テレビ通話で繋がっている。