偽次元のプリズム【完結】   作:ジマリス

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 まどろみの中で感じたのは、まず暖かいということだった。

 気持ちのいい柔らかさと抜け出せない暖かさが体を包んでいる。

 溶けていたような意識がゆっくりと収束して、ぼやけながらも視界が広がった。

 

 最低限の家具だけがある広い部屋に、俺はいる。大人しくベッドに横たわって……寝てたのか。それも時間を忘れてぐっすり。今は……何時だ?

 

「おはよう、ロックス」

「オハヨウゴザイマスゥッ!?」

 

 よく知った声が耳に届いて、寝ぼけていた目と頭が一気に覚醒した。

 ベッドの傍らにはアンリが立っていて、呆れたような目で俺を見下ろしていた。

 そこで俺は思い出す。ここはプラネテューヌの教会の一室。本来は外部の人間を泊める用の部屋だ。

 えーと確か、拠点のみんなをこっちに連れてきて、部屋を割り当てられたと思ったら、すぐに気絶したみたいに寝たんだったかな。

 

「夕食の時に呼んでも反応ないから、心配したのよ。結局、どれだけ起こそうとしても起きなかったからそのままにしたけど」

 

 それ気絶してたんじゃないの。

 

「飯、どれだけ豪華だった?」

「気になるところそこ?」

「だってプラネテューヌなんて大国の、しかもどうせお祝いの飯だったんだろ。あーあ、下がるわあ」

 

 俺、三度の飯より飯が好きなんだけど。

 

「してないわよ、お祝いなんて。プラネテューヌも人が戻ってきたばっかりだし、なによりあなたがいない状況でお祝いしようだなんて、嫌がる人が多くて」

 

 へえ? みんな俺のこと好きかよ。俺もみんなのこといっぱいちゅき。

 

「その代わりじゃないけど、良い朝ごはん持ってきたわ」

 

 とか言って、山盛りのキャベツみたいなゴキゲンなのはやめてくれよな。なんてちょっと身構えてたけど、ベッド横の机に置かれたトレーを見て、すぐに緩む。

 皿に乗ってるのは、高級ホテルでお出しされるような、見ただけで外サクの中ふわって分かるクロワッサン。バターの匂いが近づかなくても鼻に入ってくる。あ~急にお腹空いてきた。

 つけあわせのスクランブルエッグも、俺好みの半熟だ。焼きたてのようで湯気が立ってる。

 いざ!

 

「実食っ!」

「あ、もっとゆっくり食べなさい。パンは逃げないわよ」

 

 偉い人は言いました。時間が経つごとに、出来立てから遠ざかっていくって。

 だから急いで食う! 一も二もなく喰らえ!

 

 さっくりと心地よい食感。より鼻を鼻腔に広がる香ばしい匂い。気づけば喉を通り、次を欲しがる手と口を止められない。

 スクランブルエッグも、ただ卵を焼いただけじゃなく、牛乳を混ぜていて口当たりはまろやか。塩っけは抜群にちょうど良くて、甘めのクロワッサンと交互に食べることでなんかもう……なんだ、なんだこれ!

 止まらなすぎて、口がパンでパンパン。良く言えばリスみたい。悪く言えばブサイク。

 

「拠点とは違ってこっちには設備もあって、ほとんど壊れてなかったから有志で作ったそうよ……って聞いてる?」

 

 我慢ならない子どものように(実際そうなんだけど)口に突っ込む俺を、アンリは呆れたように見てくる。そう、その目だよその目。帰ってきたって感じするね。

 

「それにしても、個室とは贅沢だな」

「あなたは功労者だもの。それに、傷のある体をご両親には見られたくないでしょ?」

 

 本当だったら、お前にも見られたくなかったんだけど。でも、親への言い訳を考えなくて済むのはありがたい。元々多くない弁解ストックを大人になるまでに消費しすぎるのは避けたいところ。

 

「こうやって一人の部屋を与えられたからには……」

「分かってるよ、安静に、だろ」

「本当に分かってるならいいけど。痛いならこの鎮痛剤飲んで」

 

 瓶に入った錠剤を渡してきた。

 拠点に戻ったら休むって約束、これ以上先延ばしにするといよいよ怒号が飛んできそう。

 ま、ここからは犯罪神マジェコンヌや推定女神グレイシスターが相手になる。バズール現象も無くなったことだし、つまり俺の出番は無し……って、似たような話を前にもしたような。

 

「はいこれ」

 

 アンリが渡してきたのは、カップに入ったミルクティーだ。今淹れてくれたおかげで温かい。

 遠慮なくいただくと、食って温められていた体の中が、さらにぽっかぽか。そのうえ、甘くて落ち着く。

 

「助かるよほんと、いやーあったまるわー、普通に淹れたのより二倍、二倍あったまる」

「なによそれ。熱いってこと?」

「いやいや、ヌクモリティに溢れてるってこと」

「ヌクモ……? そうやって冗談が出て来るってことは、元気な証拠ね」

 

 そりゃ、気絶か寝てたかわからないくらい何時間も体を動かさなかったからな。元気オブザイヤー受賞出来るくらいだよ。

 

「でもまだゆっくりしてるのよ。深い傷が、プラネテューヌの戦いのせいで開いてたらしいから」

「お前、傷の具合まで知ってるのか?」

「寝る前に治療受けたでしょ。その時に私も一緒にいたの忘れたの?」

「あの時は疲れてんのと痛いのとで意識が朦朧としてて……」

 

 頭くるくるパーのジェスチャー。

 てか、言われて思い出したんだけど、治療の時は少なくとも上半身裸になった覚えがあるんですが。やーん、エッチ。

 

「拠点からの難民誘導の前にはもう限界だったらしいわね」

「げっ」

「……」

 

 あら~、すっげえジト目。そんな君も可愛いよ。

 下手な反応しなければまだごまかせたのかなあ。いや、体を見られたってことは、血に塗れた包帯も、もちろんラステイションで受けたエフツーピーからの一閃が塞がってないのもバレバレだってことだ。

 

「どうやって話を逸らそうか考えてるでしょ」

「そんなこと考えてな……ないです……今から考えるとこ」

 

 さーて、穏便に話済ませるにはなんて言おっかな。

 

「ほら、今、俺、体休めてる」

「だから安心しろって言うの? なら、今の体のダメージは?」

「アホほど痛いってくらいまで回復してるよ」

「それは回復してるって……言うけど、はあ、今それをあなたに言っても仕方ないわね」

「よくお分かりで」

 

 深いため息つかれた。

 まあ言うこと聞かないガキだってのは自覚してる。手間かけてすいやせん、へへ。

 しかしそれは置いておくとしよう。この話題が続く限り、アンリの眉間には皺一本追加されたままのようだし。

 

「よし、今から話逸らしまーす」

「そんなこと言う人初めて見た」

「マホとネプギアは?」

 

 確かあの二人は俺たちと別行動だったはずだ。もうこっちに戻ってきているのだろうか。

 

「プラネテューヌの他、三ヶ国とも抑制装置を設置、無事にバズール現象を抑えたわ」

 

 俺はほっとした。

 

「もちろんそれで全てが解決というわけにはいかないわ。どれだけ安全になったって言っても、二年間外に出たら危険だって言われてその通りだった記憶と習慣は消えない。各企業や店舗への補填も……」

 

 アンリはそこで口を止めた。

 

「……難しい話は後のほうがいい?」

「後でされても理解できるかどうか……とりあえず、順調ってことでいいのか?」

「うーん……まあそうね。簡単に言えば、そうかも」

「じゃあそれでいい」

 

 再度、安堵のため息。

 後の話は、要は国の運営がどうだって話だ。そこは俺の領分じゃない。上手くいったってんなら、それが何よりの答えだろう。

 

「あと俺たちに出来るのは、行く末を見守るくらいか」

 

 見守るって言っても、実際は時代の流れに揺られて流されて、右往左往するのが平民ってもんだけど。

 そう思うと、行く末を変える旅に同行出来たのは、貴重な体験だった。こんな傷を負うくらいなら、もう勘弁だけど。

 

 ともかく、ロックスの大冒険はここでお終い、と幕を下りる……と思っていた。

 しかし、

 

「いえ、私にはまだやることが残ってる」

 

 アンリの言葉が、緩んでいた空気を張り詰めさせた。

 彼女の口調は、それまでの柔和なのから一転して、冷たくて刺々しい。思わず背筋が伸びた。

 

「アンリ……?」

 

 不愛想ではある、不機嫌そうな顔も見せる。怒ったりもする。しかし、彼女が今している表情は、そんなものでは収まらないほどの憎しみで溢れていた。

 下手なことを言ってしまえば、俺にもその矛先が向いてきそうなくらいの、溶岩のように煮えたぎる感情に押され、怖気づいてしまう。

 

 黙ったままでいると、彼女はハッとして、いつもの顔に戻った。

 

「ごめんなさい、今のは忘れて」

「そう言われて、忘れられるわけないだろ」

 

 あまりにも強烈すぎて、夢に出てきそうだった。ほんの少し空気が弛緩した今だって、呼吸するのに気を遣うくらいピリピリしている。

 放っておけば、アンリがアンリじゃなくなるような気がして、気づいた時には、何かあったのかと訊いていた。

 

「あの女を、私は見たことがあるの」

 

 吐き捨てるように言った『あの女』とは、グレイシスターのことだ。誰も知らない、どこかの女神。

 

「私の両親が教会で働いてたことは、言ったことあるわよね?」

「あ、ああ」

「マジェコンヌが復活した時、ぴーしー大陸はめちゃくちゃになった。私は不安になって教会に行った。両親と一緒に逃げようと思ったの。そしたら……」

 

 ぎりり、とアンリは歯を噛んだ。

 

「壊れた教会の上に立つ灰色の女神がそこに……」

 

 背筋がぞくりとする。

 目つきは鋭く、握った拳に筋が立ち、眉間に深い皺が寄る。これほど怒りを露わにした彼女を見るのは初めてだ。だからこそこれは冗談でもなんでもなく、恐ろしい事実なのだろうと理解する。

 

「じゃあその時……」

「ええ。あの女神が殺した」

 

 はっきりと断言する。

 

「灰色の女神が、私の両親を殺した」

「アンリ……」

 

 これまでアンリがその感情を表に出してこなかったのは、二年前からグレイシスターが姿を現さなかったからだ。行き場のない怒りを蓄積するだけに留まっていたからだ。

 なのに、急に姿を見せたことによって蓋が外れてしまった。

 

「下手なこと考えるなよ」

「もう遅いわ。私は誓ったの。グレイシスターが目の前にいたら、何をしてでも……」

 

 そこで彼女は一度口を噤んだ。

 

 どこかで感じたことのあるような猛烈な怒りを目にして、何かとんでもないことをしでかすんじゃないかと不安になる。

 ちょっとした嫌がらせをする程度ならいい。でも両親を殺された仕返しは何かといえば、相場は決まっている。

 まさかそんな恐ろしいことをアンリがするわけない、と笑い飛ばしたかった。情けないことに、口角は上がってくれなかった。

 

 身近な者の激高ほど恐ろしいものはない。その証拠に、俺の心臓は激しく鳴っているのに体が固まってしまっている。

 

 沈んだ空気の中に俺を置いて、アンリは食器の乗ったトレーを持ち、立ち上がる。

 一言、たった一言、『待て』とか『おい』とか、そんなのすら喉が締まって出てくれない。何とか絞りだすよりも先に、彼女は口を開いた。

 

「これは私の、私だけの問題。だからあなたは何も思わなくていい」

 

 彼女は最後、俺を一瞥すらせずに踵を返した。

 

「私の復讐は、私が果たす」

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