最初に認識したのは、いつの間にか目を開けていたということ。次いで、視界いっぱいに広がる白い天井。
知らない天井だと半ば冗談を言う余裕もないほど体に力が入らなかった。
俺は一体、どうしてここにいるんだっけ。
短い電子音が近くで鳴る。アニメとか映画でよく聞いた音、心電計の音だ。
病院か? それにしては、最近嗅いだ匂いが鼻をつく。
「ロックスさん、よかった……!」
寝そべったまま声のする方を向けば、そこにはネプギアがいた。
力の入らない肉体を動かして、ようやく上半身だけ起き上がる。
そこでようやく、自分がどこにいるかに気づいた。プラネテューヌを取り戻した後、俺に与えられた部屋だ。
体に点滴のチューブや心電計のコードが取り付けられていて傍らの機械に繋がっている。重傷人みたいな扱いに、じりじりと焦りが生まれる。かろうじて、ネプギアがいることで取り乱しはしなかった。
だんだんと記憶が戻ってきて、何が起きたか理解した。
俺は復讐に囚われたアンリを止めようとして……それから気絶してここに運ばれてきたってわけか。
とんでもない激戦……いや戦いとも呼べないものだったけど、ともかく、なんとか俺の命に別条はないみたいだ。やばかったらもっと大げさに騒いでるだろう。
それは置いておこう。どうしても第一に訊かなければいけないことがある。
「二人は──……っ」
身を乗り出そうとした瞬間、激痛が走る。全身が電撃に当てられたように、細胞が発火したように痛覚が刺激される。無意識にベッドの縁を掴んだ。
ネプギアは慌てて俺の体を押さえる。
「重傷の体なんですから、寝ていてください」
「そんなことよりも……っ」
「落ち着いてくださいっ」
語気を強めた彼女に対抗しようとしたが、今の俺ではどうにもならない。仕方なく、俺は彼女の言葉に従って、上半身だけを起こした体勢のまま大人しくなった。
痛みの波が引いてくるのを待たずに、さっきの続きを口にした。
「アンリとマホは?」
「二人とも無事ですよ。アンリさんは復讐をやめて、マホちゃんも元気です」
ネプギアはゆっくりとそう言った。
無事。無事なのか。俺は言葉の意味をしっかりと咀嚼して、盛大に安堵のため息をつく。
ズキズキとドキドキがあっさり引いてきて、自分でも驚くくらい落ち着いてきた。
「事の顛末は聞きました」
「顛末……ってどこまで?」
「マホちゃんがぴーしー大陸の女神候補生だということも、アンリさんがグレイシスターに復讐したがってることも。あの拠点で何が起きたのかも、全部です」
「結構深いところまで聞いたんだな。アンリは……それだけ言えるほど心が安定してるのか?」
最後は立ち止まってくれたとはいえ、アンリの精神状態は決して良いとは言えない。今だってきっと……
「あれからもう三日も経ってますよ」
「三日ァ!?」
じゃあ丸三日、九食もご飯食べそこなったのか俺は!? 三日って、それだけ経ってるのに俺の体全然治ってないんですが!
てか不安定であろうアンリとマホをそんなに放ってしまったのか。ああもう、色々と考えることが多すぎる。
えーと、えーと、二人は……ネプギアが大丈夫って言ってるから大丈夫。俺は、手足ついたままで動くから平気。後は……
「俺の親には?」
「リーンボックスでお任せしたい仕事をしてもらってると言いました。本当のことを言っていいのか分からなくて……」
俺はほっと胸を撫で下ろす。
「あそこならすぐには行けないし、ナイス判断」
こんな体、どうやって説明したらいいか。ネプギアたちもこっぴどく怒られることになるだろうからな。でも回復した後ならどうにだって言い訳出来る。
完全に落ち着きを取り戻したわ。心電図平坦になるレベル。し、死んでる……
「じゃあしばらく休んでても大丈夫だな」
「というより、治るまでここにいてください。傷が深すぎます」
「はは、もうちょっとあっさりかっこよく止められたらよかったんだけどな。あいたた」
止血が遅れたのもあって、俺がここに運ばれてきたときにはかなりまずい状態だったらしい。
体は針で縫われ、色んなところが包帯で巻かれ、絶対安静のみが許された状態。幸い、後に残るような症状はないって。悪運強っ。
「ところで、ネプギアはずっとここにいたのか?」
「二人にもう心配はないって、それだけは伝えておかないとって、みんなが交代でお見舞いに来てたんです」
「……今そんな余裕あんの?」
「あまりないですが……でもロックスさん、何回もうわごとでマホちゃんとアンリさんの名前を呼んでたんですよ」
「恥ずかしい話を暴露しないで!」
俺が二人のこと大好きみたいじゃん! そうだけどさ! 俺にはもったいないくらいの親友だけど!
熱くなった顔を手で冷ましていると、扉がガラリと開いた。
「ロックス!」
マホだ。
彼女は俺が目を覚ましているのを見た瞬間、飛びついて抱き着いてきた。
「よかったぁ!」
「いたいいたいいたいいたたたたたた!!」
「あっ、ごめん」
「こんのォ、ベタなことやりやがってこいつゥ……」
マホがお見舞い、略してお見舞ホに来てくれたのは嬉しいが、こちとら重傷の身やで。
「だってロックスが起き上がってて、嬉しくなったんだもん」
「そう言われたら許すしかなくなるじゃん。卑怯だぞ」
よかったな、俺が寛大で。じゃなかったら今ごろ追い出してるぞ!
「ええと、私邪魔かな?」
「「いや、全然!」」
ハモった。仲良しみたい。
「あはは……でも二人でしか話せないこともあるだろうから、私は出ていくね」
あーあ、気を遣わせちまった。俺が目覚めるまで待ってくれたのに、なんか悪いな。
ネプギアが出ていくと、さっきまでの勢いが嘘のようにマホは静かになった。
「ロックス、元気?」
「……元気だよ。ここから動けないが」
訊くくらい元気に見えないなら突進してほしくなかった、というのは飲み込んだ。
「アンリとはどうなんだ?」
「それが、話しかけても避けられちゃって、この三日間まともに口利いてない」
「……んーーー、まあ、多少、希望はあるな」
米粒くらい。
どうやらアンリは相当重症のようだ。元々自分で手を下せるような女の子じゃない。それが、俺をも……あれ?
「どしたん?」
「腕輪が……俺の腕輪がない!」
どさぐさに紛れて落としてしまったのだろうか。
まずいぞ。生体認証ロックがかかってるから、他人があれを使えることはないが……俺が戦えなくなる。
すっかりパニックになって周りを探すが、マホが自分のポケットから腕輪を取り出して見せた。
「あーね。それならあーしが預かってるよ」
「良かった……失くしたかと思った」
あと五秒で半狂乱になるところだった。さっきまでのは四半狂乱。
俺はマホの手からそれを……
「なんで避ける」
「もうロックスにはこれを使わせませーん」
ぱっと手を伸ばしても遠ざけられた。もう一回。もう三回。
「泥棒!」
「なんと言われようとも渡さないもーん」
ピッカーン。間違えた。カッチーン。
それ俺のだ。拾ったの俺だし、俺の体が生体認証に使われてるし、長らく使用したのも俺。長く持ってると拾った奴が所有者に出来るってなんか、アレがあっただろ!
「ぐぬぬぬ」
「つーん」
「むむむむむ」
「ふーんだ」
「ぐぐぐぐぐぐ……」
……しかしまあ、俺を心配してた彼女からすると、ずっとこうさせたかったことだろう。俺をベッドに寝かせて、じっとさせる。実際そう言ってたしな。
そんな話をしたのがだいぶ前に思える。具体的には三か月くらい前。
体感それだけの間、俺は動き続けていた。だからこそ、マホは意地でも渡してくれない。
はあ、とため息をついた。
「治ったら返してくれるんだろうな?」
「えへ」
「いや、えへ、じゃなくて」
「えへへ、じゃあまた明日ね!」
あ、逃げやがったこいつ!
△
入院生活は俺の思ってるよりも暇だった。ほとんど寝てるか、備え付けのテレビ見てるか。こんな年寄りみたいな生活送るにはまだ早いはずだ。成人もしてないし。
しかし、従うしかない。鎮痛剤でマシになっているけど、少し体を動かすだけのも危険だぞと体が信号を発してきている。
トイレも飯も一苦労。それどころか……
「ぬ、む……」
傍らのテーブルに置いてある、飲み物が入っている紙コップを掴もうとして、手が震えているのに気が付いた。力を入れようとすれば痛み、しかし中途半端では体が言うことを聞いてくれない。
落とさないようにそっと口まで持っていき、飲む。これだけでも重労働だ。
一杯飲みほしたところで、コンコン、と扉が叩かれた。
「ロックス、入っていい?」
アンリの声だ! 待ってました待ってました。
「どうぞ」
声をかけると、彼女はためらいがちに入ってくる。
マホとは逆だな。あいつくらい勢いよく来てくれてもよかったのに。なんて言えないほど、彼女の顔は青ざめていた。
こっちに来ればいいものを、目も合わせずに立っている。その体は少し震えていて、今にも崩れ落ちそうだった。彼女はしばらくそうしたままで……
気の利いた一言でも言ってやろうかと思った瞬間、アンリは口を開いた。
「ごめんなさい。私、どうかしてた」
うつむいたまま、彼女は消え入りそうな声でそう言った。
「……そうかもな」
どうしたんだいきなり、ととぼけたりなんか出来なかった。やらかしかけた彼女に対してそんな反応は嫌味に取られてしまうかも、と思った。
俺は出来るだけ真っすぐ目を見て話す。
「だけど、ちょっとは落ち着いただろ。俺が眠ってる間も、マホに手を出さなかったみたいだし」
にっと笑って返す。
それでも表情の変わらない彼女を、傍らの椅子に座るよう促す。アンリはほんの少したじろいで、おそるおそるといった足取りで近づいてきて座った。
「あなたの言う通り、考えれば分かることだった。私の知ってるマホは、あんなことしないって。それを理解するための代償が、大きすぎた」
きょとんとする俺とは視線を合わせず、彼女は俺の体を見た。病院着から出ている手や足はほとんど包帯まみれで、顔にもガーゼやら絆創膏やらが貼られている。内臓が傷ついていることも彼女は知らされてるだろう。
代償とは、この俺の傷のことを言ってるのだ。
「こんな傷大したことないって。すぐ治る。ほら、最初に戦った時、お前もそう言っただろ。傷は治る。結局どうにだってなる」
「でも……」
「マホを殺したくなかったんだろ。だったらいいじゃないか、これで。マホは無事。俺だって五体満足、後遺症なし。これ以上はないだろ」
「良くないっ!」
珍しく、アンリが声を荒げた。それはその一瞬だけで、すぐに彼女は自分の顔を覆う。
「良くないわよ。ちっとも、これっぽっちも良くない」
震える声で、彼女は自罰的な言葉を続けた。
「私はあなたを死ぬ寸前まで痛めつけた。それのどこが良いの?」
「自分を責めすぎだ」
アンリの手を掴んで、下ろさせる。彼女の目からは涙が流れていて、止まる気配がない。
俺は慌てて、どうにか出来ないかと話を続けた。
「当事者の俺が、ほら、こんなに気にしてないんだから、気に病む必要なんてない。マホを殺そうとしたことは、もう反省してるみたいだし、俺から言うことはなんもなし」
なんとかしてアンリを元に戻したかった。前だって愛想はそんなに良くなかったけど、でもこんな暗い表情でずっといるアンリを、俺は見たくない。
「そんなこと言われても、割り切れないわよ。だって私は……こんなことして信じられないかもしれないけど……あなたのこと、大切だと想ってるんだから」
「信じてるよ。止まってくれたから」
俺は即答した。
世界に対して理不尽さの責任を押し付けることが出来たら、あるいは俺が彼女の苦悩に気づけば良かったと罵倒してくれたら、アンリはこんなに苦しむことはないのだろう。
しかし彼女は自身が復讐心を抱いて、そのままに行動してしまった罪悪感を一身に受けている。一人で受け止めきれないほどの、大きな感情を、その小さな体に押し込めている。
それこそが俺たちを大事に想ってくれている証拠だ。そうじゃなかったら、今ごろ斬り捨てられてぽい。
「ちゃんと分かってる。それで十分。だから泣き止めって」
ティッシュを取って、顔を拭いてやる。せっかくの可愛い顔が……泣いてても可愛いなこいつ。でもやっぱり、泣いてないほうがいい。
「でも残念、大切だと思ったのは俺のほうが先」
それだけは譲れない。
俺は誰よりもアンリが好きである自負がある。マホだって、かけがえのない親友だ。
こんな凡人が戦いに向かい続けることが出来たのは、ひとえにそんな彼女たちがこの世界にいてくれるからこそ。アンリとマホが幸せに生きてくれるなら、俺は何度だって立ち上がれるのだ。
だから……
「お前は今まで通りでいい。あ、いや、嘘と隠し事は無しな。苦しいなら苦しいって言ってくれ。いつだって、呼んでくれれば来てやるから」
落ち着くまで手を握って、もう一方でぼろぼろと落ちる涙を拭う。
ちょっとは慰めになっただろうか、しばらくそうしてると彼女の体を固くしていた力がだんだんと抜けていった。
「ありがとう、ロックス」
まだ目が赤いけど、さっきよりは良い顔してる。
これだよこれ。やっぱりこっちのほうが可愛い。人生かけて推しちゃう。
「私に償えることがあったら、なんでもするから」
「なんでも!?」
女の子が健全な男の子に対してそう言うってことがどういうことか、お前分かって、分かっ、分かってる顔してる! 完全に決意固めた顔してる!
かっこよすぎてドキドキしちゃう。これ俺がこいつに思わせたいことなのに。悔しい……ビクンビクン。俺のほうが先に落ちちゃう。とっくに落ちてるわ。出会った瞬間に負けてるんだわ。
「ええ、なんでも。なにかある?」
「ある!」
飛び上がる勢いでベッドの上で跳ねちゃった。
ある。あるある。あります! アンリにそんなこと言われたら、いの一番にお願いすることありまぁす!
「なんでもいいんだな?」
「え、ええ。どんなことでも、やる覚悟はあるわ」
念押ししてもこの返答。
げへへへへ、言ったなコイツゥ……じゃあ俺の言うことには絶対従ってもらうぜっへっへ。
「それじゃあ、アンリ」
「は、はい」
「命じます!」
彼女はごくりと唾を飲んだ。
「マホと仲直りの刑!」
そう言うと、アンリはぽかんと口を開けて、言葉が理解できないみたいに目をぱちくりさせた。
「気まずいままで喋らなくなったら空気悪くなるだろ。俺が二人の伝言役になるのも嫌だしな」
このままだったら絶対、こいつら俺を間にしてしか会話できないだろ。
「なので、お前がマホに仲直りを打診しに行くことを命じます。閉廷!」
「……それで、いいの?」
「お前にとっちゃ一番やりづらいことだろ。ちょうどいい罰だ」
マホと顔合わせるだけで気まずさMAXハートなのに、自分から話しかけるなんて地獄地獄もいいところ。殺そうとした相手に仲直りを頼むなんて、ま~俺なら無理だね。いやらしいこと考えるわ~俺。
「こういうのは長くなればなるほど修復しづらくなるからな。さっさと謝って抱き合ってこい」
怖いならついていこか? ん? 横で見るだけならしてあげるよ。
「それだけでいいの、本当に?」
「それだけって言うけどな、俺にとっちゃそれが一番なんだよ。お前らが仲良くしてないなんて、なんかすごく……おかしいというか、落ち着かないというか」
正直、耐えられないね。かゆくなっちゃう。
「……あなたは、変わらないわね」
ふ、とほんの少しだけアンリの口角が上がった。
「お、ついに笑ったな」
「今のは……呆れただけ」
「でも笑った」
「……そうね、笑った」
もしかしたらアンリの笑顔初めて見たかも。いや流石にそんなことはないか。いや、うん? まあいいか!
「それでチャラ。仲直り出来たら、全部許してしんぜよう」
「一個だけでいいの? もっと他にもあれば……」
「やだよお前と貸し借りある関係になるの。俺とアンリはこれまで通り、仲間、ズッ友」
正直、してほしいことなんてそりゃ山のようにある。こうやってチャラにしたことを、どうせ後でめちゃめちゃ後悔するって既に分かるくらいには。
まあでも、俺ってバカなんだよ。何よりもアンリとマホを優先するくらいには。
それに、俺が欲望のままに命令出したら、彼女は必死になってそれをするだろう。俺の顔伺うアンリとかやだ。めっちゃ理想から遠いわ。近くでニコニコしててほしい。
けど、アンリは元気のない顔で俺に寄って、じっと見つめてくる。
肌白~、目綺麗~、まつ毛長~、顔ちっちゃ~、かわい~。
「ロックス。私、もう一つ謝らないといけないことがあるの」
「は、はい。なんでしょうか」
見惚れてたせいで、ビクってなっちゃった。
だってこんな近くにアンリがいるんだもんよ。このドキドキ、ひょっとして不整脈!?
「あなたのこと嫌いって言った。でも本心じゃない」
「あ、あ~、そんなことも言ってたっけ? あれだ、あの時のことは全然覚えてないから、無かったことに……」
「真剣に聞いて」
「はいっ」
真剣な顔ってどんなんだっけ。真顔? ちょっと笑っといたほうがいい? 元気なカブトムシみたいな顔なら出来るよ。
「私、本当は……」
ちょ、ま、近すぎ。鼻先がつきそう。え、なんか今特殊イベント起きてる? 俺がちょっとでも動いたら顔同士ぶつかるじゃん。それって……
「……っ、タイム! アンリ、タイム!」
俺はなんとか理性を取り戻して、自分から取れるだけの距離を取った。って言っても、ベッドの上だから数十センチくらいだけど。
「分かった。分かりました。もうじゅ~ぶんに伝わったから!」
「……ほんとに?」
「ほんとほんと! ほらもうこ~んなに頷くくらい!」
見ろヘッドバンキングと見紛う高速頷きを。あまりの速さに残像できてる。
「だから……あ! もう面会時間過ぎてるじゃないか! ほらほらアンリ、ダッシュ! 遅いぞ一年生!」
「体育会系の先輩じゃないんだから」
「いいからいいから、はいはいほれほれ」
急かして追い出す。こんなところで俺と喋ってるより、そっちが優先だろうが。
半ば納得できない面持ちのままのアンリを見送って、病室のドアがぱたんと閉じる。
「…………」
これで本当に、一件落着だ。アンリが何を言って、マホがどう返すか目に浮かぶようである。
まだまだ世界に脅威はあるが、とにかく俺とアンリとマホの関係は収まるべきところに収まった。
……関係だけは。
『マホを殺したくなかったんだろ。だったらいいじゃないか、これで。俺だって五体満足、後遺症なし。これ以上はないだろ』
アンリに言った言葉を頭の中で反芻し、俺は……頷かなかった。
今回はこれでよかった。だが、もしアンリが止まらなかったら? 次に同じようなことが起きたら?
そうなったら、俺もマホも無事では済まなくなる。やりたくないことをやってしまって、アンリだって戻ってこないかもしれない。
あるいは、あの時に犯罪神がいたら?
戦い疲れた時にマジェコンヌが来てしまったら、俺は追い払えるのか? 女神と互角以上に戦える敵を相手にして、一方的にやられるだけになるに違いない。
今までは運が良かっただけだ。だけど、これより先も戦うのであれば……
「力が足りない……」
このままでは足りない。4つのフォームが使えるようになっても、モンスターに有利を取れる程度でしかない。
「もっと力が要る」
アンリやマホを守るには、今の俺には足りないものが多すぎる。
もっと、甘えは捨て去るべきだ。
手や足を千切られるような覚悟がなければ、それを負うのは他の誰かになってしまう。
激化していく戦いの先で、どこかが欠損してしまうのはもはやあり得ないことではないのだ。
想像してしまって、足が竦む。きっと痛い。俺が経験してきた何よりも痛いはずだ。捻挫とか炎症なんか霞むレベル。学生の時の骨折すら序の口。アンリに斬られた傷すら、無いもののよう。
そうなってしまう一撃が、もし仲間に振り下ろされたら……
「……っ」
多分、俺は一生自分を許せなくなる。
女神様は強い体を持っていて、強固なプロセッサに守られてはいるが、全身を覆うようなアーマーを着ているのは俺だけだ。俺が一番傷がつきにくい。
それに、女神様はみんなの希望の象徴。万が一にも動けなくなるような事態は避けたい。それはこの二年間で痛いほど経験してきた。
だったら、誰よりも表に立って戦うべきは俺で、誰よりも強くあるべきなのも俺だ。たった一人の健康や手足程度と比べるまでもなく、この世界には、そこに住む人たちには、仲間たちには、価値がある。
力だ。
自分を捨ててでも、力が必要だ。一時的にでも犯罪神を超えるような、立ちはだかる障害を全て破壊できるような力が。