またこの双方が航空戦力を有していることから航空戦力同士が激突する戦いとなる見込みです。
それではエジェイ会戦、開戦です。
中央歴1639年6月19日、アルデバラン率いるロウリア王国軍龍騎隊はギムに展開し終え、薪や石を積み上げて翌日の総攻撃に備えていた。彼等の任務は総攻撃に先んじて制空権を確保し、爾後東方討伐軍にCASを提供することである。
だが、彼等の大半は
無論、彼等の眼に油断の色は一切無い。というのもワイバーン乗りは一朝一夕には育成出来ない上にギムを巡る攻防では異常としか思えない低空飛行で圧倒的劣勢下にありながらロウリア王国東方討伐軍先軍を幾度も襲撃してきたのだ。まして今回ワイバーン戦力は互角なのだ。
そこで彼等は世話係に翌日の夜明け前から龍舎を暖房したりワイバーン用の懐炉を用意してワイバーンが早朝でも活動出来るように命じた。それは涙ぐましい努力ではあるが、それにより稼いだ僅かな時間で敵ワイバーン部隊の頭を抑えることにより空中戦を優位に戦えるのは確実であった。*2「見ていろ、クワ・トイネの竜騎士め。小さな工夫の積み重ねこそがこの会戦を勝利に導くのだ。」アルデバランは独り言ちた。
中央歴1639年6月20日未明、世話係が焚いた暖房によりいつもより早起き出来たロウリア軍のワイバーンは暗いうちから離陸の準備を始める。世話係はワイバーンに温かい朝食を与え、滑走路の整備担当は滑走路の整地を行い、竜騎士は装備の最終点検とブリーフィングを行った。
そしてまだ夜も開けぬうちにアルデバラン率いるロウリア王国軍龍騎隊80騎はクワ・トイネ=クイラ聯合軍を奇襲すべくギムを飛び立った。
中央歴1639年6月20日
「方位271より敵機来襲、クワ・トイネ飛行団は直ちに迎撃にあたれ。」ノウ将軍から麾下の航空部隊に指令が飛び、同飛行団の飛行第64戦隊*5が緊急発進した。
「方位271、距離120kmより敵機襲来。第9戦隊及び第87戦隊に
そうしてダイタル*7飛行場から一式戦闘機42機と二式戦闘機二型丙84機からなる合計126機の戦闘機が迎撃に飛び立った。*8
同日
同時刻、前進準備を整えたジューンフィルア軍18万*9はエジェイへの前進を開始してエジェイへの正面攻撃を始める。対するは城壁上に展開したクワ・トイネ公國西部方面軍集団の志願兵軍団3個及び独立野戦高射砲兵聯隊(八八式七糎半野戦高射砲装備)であり、独立野戦高射砲兵聯隊(八八式七糎半野戦高射砲装備)はエジェイの防空も担当する。彼等は城壁上で敵が有効射程に入ってくるのを待った。
余りの衝撃にジューンフィルア軍の足が止まった。余りの光景に叱咤すべき指揮官さえも唖然として何も出来ない。
ジューンフィルア軍の中で最も早く衝撃から立ち直ったのはジューンフィルア将軍であった。「緊急で魔信を発しろ!敵ワイバーン部隊接近!空が3で敵ワイバーンが7だ!」ジューンフィルア将軍が命じる。「ここで斃れるのか。」ジューンフィルア将軍は独り言ちると上空を睨む。
この魔信を受信した誰もがジューンフィルア軍の全滅を確信していた。
スマール将軍はクイラ王國軍が放つ銃弾の嵐の中で構想の崩壊を予期し更なる前進を命じる。
パンドール将軍は麾下の歩兵2個旅団に南への展開準備を命じる。
アルデバランは間に合わないと思いつつもワイバーン部隊の速度を上げる。
だが、「クワ・トイネ公國方のワイバーン部隊」はジューンフィルア軍を無視してその後方へ飛び去った。そして、ロウリア王国東方討伐軍は誰一人彼等の狙いに気付かない。
「何だったのだ、今のは。」ジューンフィルア将軍は近くの参謀に意見を求めたが、参謀も何が何だかよくわからなかったけれどもよくわからなかった。ジューンフィルア将軍は疑問を振り払うと自軍の再掌握に努めた。ジューンフィルア軍の士気は間違いなく低下していたが、幸い麾下の臼砲旅団はエジェイ城壁をその射程に収めていたため攻撃自体は不可能とは言えない。そのためジューンフィルア将軍は自軍の主力の前進再開を延期させて麾下の臼砲旅団に砲撃を命じる。対するクワ・トイネ公國西部方面軍集団の志願兵軍団麾下の砲兵旅団も臼砲と三八式野砲を放ち応戦する。
だが、ロウリア王国軍ワイバーン部隊の不幸はこれで終わりでは無かった。
この一連の爆撃によりギム周辺に集積されていたロウリア王国東方討伐軍の兵糧竝武器弾薬は全滅しギムに駐屯している守備隊も壊滅、その生き残りもアデム将軍麾下の部隊が行った暴虐と爆撃の影響で完全に更地となったギム周辺で寝る場所や食糧を求めて個々に散っていった。
エジェイのすぐ南にある山岳地帯。
対するクイラ王國クワ・トイネ派遣軍は最近クイラ傭兵が実施して大きな成果を挙げている戦法*14で対応した。だが、スマール将軍は事前に指揮継承順序を決めることと例えスマール将軍自身をも含めた指揮官全員が斃れても前進を続けることを命じていた。そしてスマール将軍の捨て身ともいえる前進によりクイラ王國クワ・トイネ派遣軍は予想外の事態に苦戦を強いられて散り散りでの後退を余儀なくされる。*15これにより早くもスマール将軍の構想が実現するかに見えた。だが、クイラ王國軍の真骨頂は山岳での散兵戦である。そして散り散りとなっての後退により生じた空隙にロウリア王国軍が突っ込んだために戦線の各所で自然と半包囲が形成された。クイラ王國クワ・トイネ派遣軍はそこに火力を集中してスマール軍に大きな損害を与えた。
だが、スマール軍はそれでも止まることなく攻撃を続ける。スマール将軍の猛攻にたまりかねたクイラ王國クワ・トイネ派遣軍は
僅か9機とはいえ急降下爆撃の後に機銃掃射を受けてスマール軍は1個旅団が半壊するという大きな損害を被り暫時足が止まる。そこに飛行第83戦隊の九九式軍偵察機9機が予備の旅団を発見してこれに急降下爆撃を行い機銃掃射したため予備の旅団の片割れが半壊し機能不全に陥り混乱が生じた。その隙を衝いてクイラ王國クワ・トイネ派遣軍は攻撃を行いスマール軍を突き崩して押し戻すことに成功した。さしものスマール将軍もこの事態を前に後退命令を出さざるを得なかった。とはいえ総崩れにはならなかったためにスマール軍は攻撃開始前より前進した位置で体勢を立て直して再攻撃の準備を行う余裕があった。
そして
状況に変化が生じたのは
その命令が伝わりスマール軍は整然と後退を開始した。クイラ王國クワ・トイネ派遣軍にはこれを追撃する余力が無く已む無くこれを見送ることになる。
攻勢に出たスマール軍部隊はクイラ王國クワ・トイネ派遣軍の猟兵の狙撃により次々と崩れてその機能を喪失していく。その上崩れた部隊が道を塞いでしまったことで次の小隊が前進することが出来なくなる上崩れた部隊を掌握する試みはクイラ王國クワ・トイネ派遣軍の猟兵の狙撃によって無為に終わる。その結果
だが、会戦は未だ終わってはいなかった。
大日本帝國海軍が産み出した傑作対空警戒レーダーで、小型軽量でありながら21号電探よりも高性能。
因みに元々地上に設置する移動式のレーダーだったり。
指揮官が狙撃されて麻痺した敵は衝撃部隊の突入に対応出来ずに崩壊する。
因みに本作品のクイラ王國の騎兵は他国の騎兵が降りられない程の急勾配をごく当たり前のように逆落とし出来る。
エジェイ前面及びエジェイ南方山地の戦いをお送りしました。
それにしても、大日本帝國陸軍航空隊の戦闘教義に忠実とはいえ、
それでは次回予告です。
次回予告
エジェイを巡る攻防戦が始まる中、エジェイ北方ではエジェイを迂回してクワ・トイネ公國への騎行を始めようとしていた。
だが、それを阻止すべくクワ・トイネ公國志願兵軍団は意外な行動に出る。
そしてその行動は双方が想定していなかった事態を引き起こす。
次回、「外道鎮守府召喚第十三回 クワ・トイネ=ロウリア戦争 〜恩讐の応酬〜」。
エジェイ北方でも激戦が始まる。
毎度おなじみ紹介コーナー
今回クワ・トイネ公國西部方面軍集団に配属された飛行戦隊の紹介
飛行第64戦隊「戦闘」
加藤隼戦闘隊の方が名の通りが良い大日本帝國陸軍の戦闘飛行戦隊。艦これでもしれっと
飛行第9戦隊「戦闘」
飛行戦隊という編制が出来る前から存在した航空部隊で発足時は飛行第9聯隊という名前だった。
専ら大陸戦線で活動しており、成都から飛来するB-29の迎撃もしていた。
飛行第87戦隊「戦闘」
昭和16年3月に発足。大東亜戦争中盤まで対ソ戦に備えて満洲で待機していたがその後機種改変の上で柏に移動、その後は一時ビルマ戦線に投入された以外はパレンパンの製油所の防空に従事した。
飛行第6戦隊「軽爆」
飛行戦隊という編制が出来る前から存在した航空部隊で、発足時は飛行第6聯隊という名前だった。
大東亜戦争中盤まで朝鮮半島に展開していたが、その後中支や南支に展開して活動した。
飛行第12戦隊「重爆」
飛行戦隊という編制が出来る前から存在した航空部隊で発足時は飛行第12聯隊第一大隊という名前だった。
昭和13年に支那事変で活躍。昭和14年に満洲に戻るもノモンハン事件に参加。昭和16年8月に北支に派遣されて活動するも翌月江東に展開してプノンペンに前進しマレー作戦に参加する。その後ジャワ島やビルマ戦線で活動するも大東亜戦争後期にフィリピンに展開した。
歩兵だって十人十色。歩兵種別紹介
軽装歩兵(散兵)
歩兵の基本形態。戦争が始まった瞬間から存在する世界最古の兵種。
基本的に飛び道具がメインウエポンとなる。
因みに防御力はお察しレベル(防具って結構高いんだよね。)。
重装歩兵
ギリシアやローマのが有名。基本的には左手で楯を掲げて右手に武器を持ち、密集隊形で戦う歩兵。
密集隊形で戦うことから基本的に戦術機動力はかなり低いのだが、マラトンの戦い*1のように敢えて陣形維持を無視したりスパルタのように意味不明な程訓練すれば結構動ける。
実際のところ結構継戦時間は短い。
パイク兵
上の重装歩兵に憧れを抱いたルネサンス期のヨーロッパ人が重装歩兵を真似たもの。
楯や矢が高いのと矢鱈強い重騎兵が主要仮想敵となったので楯捨てて長鑓持った。
正面から突っ込んでくる重騎兵には結構強い。
基本的に機動力が無いので金床役を務めることが多い。
因みにスイスのパイク兵は最高級ブランド傭兵であり、結構高い。
郎党
鎌倉時代末期頃まで存在した歩兵みたいなもの。
主に主人である騎馬武者の護衛を務める。
鎌倉時代は騎馬武者と郎党で戦闘ユニットを組むのが一般的だが、これを諸兵科連合と呼ぶことは無い。
足軽(戦国初期)
起源がよくわかっていない軽歩兵。
戦場周辺での略奪や攪乱が主任務。
正直な話よくわからないけどよくわからない兵科である。
足軽(戦国後期)
戦国時代の進展により庶民からあんまし支持されない勢力や戦争に弱い勢力が淘汰されていった結果戦国大名と呼ばれる勢力で多用されるようになった。
結果的に前述のパイク兵や後述のマスケット兵と似た様な形態となるのだが、日本ではヨーロッパとは違い歩兵が洗練しきらないうちに徳川内府さんが戦乱を終わらせて平和にしたので結構中途半端なところがある。
マスケット兵
モンゴル帝国が産み出した
仏蘭西の文学作品である『三銃士』の題を直訳すると「三人のマスケット兵」となる。
最初は機構の関係でばらけなければならなかったが、
テルシオ
スペインで生み出された当時世界最強の歩兵部隊にして当時世界最強の歩兵陣形。
基本コンセプトはいつでもどこでも用意出来る砦で騎兵突撃を食い止めるというものであり、そのため四周をパイク兵で囲み、その援護の下でマスケット兵が攻撃するというシステムとなっている。
三兵戦術と呼ばれる諸兵科連合戦術でスペインに挑んだある軍は戦闘にこそ勝利したものの、最後までテルシオを破ることが出来なかったとか。
その機動力は横山氏風に言えば「そんなものはない。」(CV.関羽)であり、魔法使い風に言えば「うごけない・・・」(CV.フェルン)である。
戦列歩兵
三兵戦術と呼ばれる諸兵科連合戦術のうち銃兵パートを担当した歩兵。
誕生から終焉までの間にかなり大きな変化がある。その中でも特に銃剣の発明は非常に大きなものであり、元々
最初期はマーチングファイアとよばれる交代射撃戦術が基本であったが予算の都合で訓練を切り詰める必要が生じたため2列か3列に並んで敵の白目と黒目が識別出来る距離まで歩いて行ってどちらかが崩れるまで撃ち合い、崩れたら銃剣突撃して止めを刺すのが一般的な戦術になった。
その後長い間主力歩兵の地位を占めていたが、軍用制式ライフルの普及により消滅していった。とはいえ練度低くても使い物になるという利点が存在するので本作ではクワ・トイネ公國陸軍の数的主力を構成することになる。
因みに学校の授業でやる集団行動や軍事パレードで歩兵の皆さんがやる行進、最近では東側諸国名物として有名なグースステップなどに戦列歩兵の名残が残っている。
擲弾兵
擲弾とは手で投げられるサイズの小さな爆弾のことであり、またの名を手榴弾ともいう。
元々手榴弾を敵の戦列に投げ込む歩兵のことなのだが、小銃の発達とともに精鋭歩兵部隊の称号となった。とはいえ称号化する前の擲弾兵はさぞかし兇悪であったことだろう。(集団行動している只中だとか人が密集しているところに爆弾投げ込まれたらどうなるかを想像すればさぞかしその兇悪振りがお分かり頂けることだろう。なので爆弾を勝手に作るのは止めようね。因みに爆発物の取り締まりの根拠法令は現役の太政官布告である『明治十七年太政官布告第三十二号』(かの大日本帝國憲法より古い)だったり。)
因みに称号化後の擲弾兵としてはドイツの「装甲擲弾兵」が有名である。
散兵
元々は戦列歩兵を支援する為の軽歩兵であり、それ故に陣形を組まずに戦う歩兵である。
そのために比較的早い時期からライフルが支給されることになる。
陣形組んでないので騎兵に弱いという重大な弱点が存在する。
因みに幕末の日本では洋式軍備の大半がこれであり、戦列歩兵は幕府しか保有していなかった。ところがそんな状態で長州藩が征討軍に勝利するわ肝心の戦列歩兵は殆ど活躍せずに終わるわとなった結果日本では戦列歩兵が駆逐される結果となった。
実はライフルを装備した散兵は戦列歩兵に強かったり。
猟兵
元々猟師を雇って歩兵とした存在で民兵の一種なのだが、歩兵として雇われた猟師は日常生活で銃を使用していたために最終的に精鋭軽歩兵の称号となった。
本作のクイラ王國は山岳地帯である国境付近で敵を食い止めるのが基本戦略であることから歩兵部隊に「猟兵」の名を使用している。
称号化後の猟兵ではドイツ陸軍の「山岳猟兵」や「戦車猟兵」、ドイツ空軍の「降下猟兵」が有名である。