「ずいぶんと、変わっちゃったなぁ……。」
良く晴れた日の昼下がり。担当ウマ娘・シュヴァルグランのトレーニングをストップウォッチ片手に見守っていたその時、そんな言葉が私の口からこぼれた。
「はあ、はあっ……。トレーナーさん、どうですか?」
息を荒げながら、私の所へ歩いて戻るシュヴァルに、私は笑顔で片手の親指を立てて見せる。タイムは順調に縮まり、またスタミナもついてきている。以前と比べれば、良い変化を遂げているが。『変わっちゃった』のは、それだけではない。
「……トレーナーさん。お昼ご飯、パンとか食べました?」
呷っていた飲料のボトルから口を離したシュヴァルが、突如そう話しかけてくる。何故分かったのか気になりつつも頷いて答えると、
この答えに彼女は小さく笑って、私の口元を指さした。
「欠片、ついてますよ。ちょっと動かないでくださいね?」
いい、大丈夫自分で取るよっ!伸ばされるシュヴァルの手から飛びのきつつ、私はポケットからティッシュを出し口元を乱暴に拭った。
こういうところだ。かつてのシュヴァルは、誰に対しても自信を見せない、『僕は大したことないウマ娘です』と顔に書いてあるような娘だったのに。
「今日はお茶目さんですね、トレーナーさん。」
契約から月日を経た今。何故か私に対してだけ、他の誰が相手の時とも違ってずいぶん堂々と振る舞えるようになっていた。
「お、お茶目さんかな。私?」
そして、そんな彼女に心を乱される私がいる。困ったことに。
「もう、トレーナーさん。慌てて拭かなくても、僕が取ってあげられましたよ。」
教え子にそんなことをされる訳にはいかない。トレーナーとしての示しがつかないのもあるが、なにより。
私はシュヴァルに気取られないよう、さりげなく片手で胸を抑える。すると、心臓がすごい勢いで動いているのが手のひらに伝わってきた。
早鐘のように打つ、この鼓動を聞かれるわけにはいかない。
休んでいるシュヴァルの様子をちらりと伺えば、帽子のカバーに隠されているが、彼女の耳はぴくぴくと動いている。……ウマ娘は、ヒトと比べて耳が良いと言う。この距離でも、私の鼓動が聞こえていない保証はあるのだろうか?ある種、恐ろしさに似たようなものを覚えたその時。
「やっほ~、シュヴァち!」
「うわあっ⁉」
突如トレーニングコースに顔を出したウマ娘の顔を認めるなり、シュヴァルは素っ頓狂な声をあげて跳びあがった。
「あ、シュヴァちのトレーナーさんですか? シュヴァちがお世話になってます、妹のヴィブロスです~!今トレーニング中ですか?」
「そうだよヴィブロス、今は忙しいんだから。」
「そっか~、一緒にショッピング行こうって誘いに来たんだけどな~。じゃあしょうがないか、また今度ね~。トレーナーさんも、お邪魔しました~。」
残念そうに言って、踵を返すヴィブロスを視界の端に捉えつつ、私はちらりと手元のトレーニング予定に眼を落とす。シュヴァルのひたむきに努力を重ねられる気質もあってか、メニューはむしろ余裕を持って進行している。
「いいよ?買い物、行っておいで。」
「トレーナーさん?」
私の言葉が意外だったのか、シュヴァルが驚いたように顔をあげた。
「え~? でもシュヴァち、そう遠くないうちにレースがありますよね?」
その通りだが、数日後とかではない。それに、ここ最近はずっとトレーニングの毎日だったから。ここら辺で一回、姉妹で息抜きも悪くないと思う。それらを伝えると、ヴィブロスは軽く跳ねながらその姉に抱きついた。
「だってさ~!シュヴァち最近は寝る前もレースがどうこうって一人でぶつぶつ言ってたし、私心配だったんだよね~。トレーナーさんもオッケーくれたし、ショッピング行こ?」
「い、いいのかな?でも、確かに久々のお出かけだし……」
仲睦まじく語る二人を見ていた、そんな私に。
……悪魔が囁いた。
その日の放課後。私とシュヴァル、ヴィブロスの三人は、学園に近いアウトレットモールの中を歩いていた。
「ヴィブロス。その、なんで僕とトレーナーさんの買い物についてくるの?」
「いいじゃん、いつもは二人か、お姉ちゃんと三人だし?たまにはこういうのもアリでしょ!」
そのまま、ヴィブロスが示したお店に入ってめぼしいものを探す二人。シュヴァルはしばらくハンガーラックを探っていたようだが、何やら気になったらしく一着を手に取り、こちらを向いた。
「ト、トレーナーさん。僕、この服とかどうかなって」
「ね~、シュヴァちのトレーナーさ~ん!私、これとこれならどっちが似合うかな~?」
シュヴァルが私に歩み寄っていたところに、突如声をあげて跳びこんでくるヴィブロス。
「どれどれ? 気になるなら一回試着してみたらどうかな。」
そう答えると、ヴィブロスは私を手招きして。
「じゃ、私ちょっと試着してくる~!シュヴァち、トレーナーさん借りるね!」
「あっ、う、うん。」
そう言いつつ、私が前に立っている試着室に飛び込み、カーテンを閉め……ず、少し隙間を残し。
「これで、いいんですか?」
小声でそう聞いてくるヴィブロスに、私は小さく頷いた。それを確認すると、彼女は周りに見えないよう笑みを浮かべ。
「最初に聞いた時はびっくりしましたよ~、シュヴァちにヤキモチ焼かせたい、なんて。」
悪魔の囁き。シュヴァルが私を好いてくれていているのか、それを少し確かめたくて。ここまでの道すがら、ヴィブロスにこっそりと話をもちかけてみたのだ。
ごめんね? せっかく姉妹で買い物したかったところに、こんなこと言って。
「いいんですよ~。ショッピングなら来週も行けますし、むしろそんなシュヴァちとか、本当ならレアだから見てみたかったし? あ、これならこっちの服がいいかな?」
それからも、
「トレーナーさん。この帽子……」
シュヴァルが声をかけてくれば、
「トレーナーさーん!どうどう、このブローチとかセレブって感じしなーい?」
ヴィブロスがその間に割り込み。
「見せて。うん、確かにゴージャスだね、これ。」
私もシュヴァルではなく、ヴィブロスに答える。耳をへたりと曲げ、しょげた顔になるシュヴァルを見るのはもちろん心苦しかったが、そのままヴィブロスに協力をしてもらったままで「買い物」を終えた夕方。モールから外に出る道を三人で歩く中、ヴィブロスが満足そうな声をあげた。
「三人でショッピングもいいですね~! シュヴァちのトレーナーさん、そう思いませんか~?」
うん、また一緒に来たらきっと楽しそう。そう答えつつ、私はちらりとシュヴァルの顔を伺い……目線が合った。私が息をとめたその時、シュヴァルのは私に真剣な眼差しを向けて。
「ごめんヴィブロス、僕はトレーナーさんとちょっと用事があるから。先に帰っててもらえる?」
そのまま、私の手を掴んでぐいぐいと引っ張っていく。ちょっと、シュヴァル⁉ 私が何度呼びかけたって、彼女の動きが止まる事は無く。私は適当なお店の陰に連れ込まれると、そこの角に追い込まれた。逃げ出そうにも、シュヴァルが身体で退路を塞ぐ。
「トレーナーさん。何か僕に、隠してることがありますよね?」
そう言って、シュヴァルがずっと被っていたキャスケットを取った。薄暗い中、露わになった双眸に、私は思わず息を呑む。
帽子のつばに隠されていた、普段よりもずっと熱を持って、それでいて湿った瞳。隠し事なんて、きっと通用しない。
「っ、ごめん!」
私が出来たのは、ただ深く頭を下げて全部白状することだけだった。
シュヴァルの視線に気づいていたこと。嫉妬させてみたかったこと。その為に、彼女の妹を巻き込んだこと。
「ヴィブロス、何か変だと思ったら……。」
その呆れたような声に、私は体をますます縮こまらせた。トレーナーの職務にはウマ娘のトレーニングプラン立案だけではなく、彼女たちのメンタルケアも含まれる。担当を振り回し惑わせる今日の行いは、トレーナー失格だ。担当交代も言いだされたっておかしくない、そこまで考え込んだ私の耳に。
ふぅ、と温かい息が吹きかけられた。思わず、びくりと身体が震える。気味悪さではなく、背徳的な心地よさに。
「謝る必要なんて無いですよ。だって、」
そこで言葉を切ったシュヴァルは、ぎゅっ、と私を正面から抱き寄せて。鼻先がくっつきそうな距離まで顔を近づけると。
「トレーナーさんの1番は、僕でしょ?」
その声に。普段の自信なさげな態度はどこへやら、それだけは間違いないと、当然だと信じ切っている声に。
すとん、と私の腰が抜けたことが分かったのは、数秒経ってから。視線ががくんと落ちて、正面にシュヴァルの顔ではなくお腹が見えてようやく気付いた。彼女はそんな私に追い打ちをかけるかのごとく、横に回ると私の耳に口を寄せ。
「大好きですよ、トレーナーさん。」
……ああ。私はとっくに。おどおどして、自信がなくて、それでも一途な思いだけは絶対的な。
この娘の、シュヴァルグランの虜だったのだ。