二月も半ばのトレセン学園。各トレーナー室の前に積まれる大小の段ボール箱は、この時期の風物詩である。
「で、今年はシュヴァルにも届きました。」
そう言うと、シュヴァルグラン担当トレーナーはトレーナー室の机に置かれた、一抱えもある段ボール箱を軽く手で叩いた。
「なんですか、これ?」
その眼前にいたウマ娘、シュヴァルグランは当然の疑問を口にする。少なくとも自分に覚えは無いし、宅配便の類かと思ったが配送票が貼られているわけでもなく、箱の口も封がされていない。また、女性の中でも小柄なトレーナーが運べたのなら、大して重さは無いのだろう。事実、さっき彼女が箱を叩いた時も、中で音が少し響いていた。
「じゃあ答え合わせしよっか。よいしょっ!」
さして焦らすつもりも無かったのだろう、トレーナーは声を上げると箱を横に引き倒す。すると、中から大量のチョコレート、チョコレート。チョコレート。この時期の市場に溢れかえっている甘味が一斉に流れ出し、机上に広がった。
「シュヴァル、今日はメイクデビューに出てから初めてのバレンタインデーでしょ?ファンの人から、チョコレートが届いたんだよ。」
トレセン学園は差し入れを常時受け付けているが、この時期になるとチョコレートやクッキーなどバレンタインらしい食品が学園に届けられる事が多い。学園側も既製品限定や賞味期限などの受け入れ条件である程度制限しているが、それでも山のように届くのはお約束である。
「……僕、ウマ娘ですけど。」
目の前に広がった光景と、トレーナーが口にした言葉の意味を理解できず首を傾げたシュヴァルグランに、トレーナーは人差し指を振って見せた。
「わかってないなぁ、シュヴァルは。ファンはね?何かと好きな相手に贈り物がしたいものなの。そこに性別は関係ないわけ、ほら見てこれ。」
そう言いつつ、トレーナーは手近にあった一つ、チェックの包装紙で包まれた小箱を取り上げる。トレーナーが指差した面には、丸く小さい字のメッセージが色つきのペンで書かれていた。
「『いつも応援してます、シュヴァくん頑張れ!』……ですか。」
「そうそう。それだけで驚いてちゃまだまだだよ、似たようなのがここにいっぱいあるんだから。」
手にした小箱をシュヴァルグランに渡すと、トレーナーは机一杯に広がった歌詞の小山を手で示す。正確な数こそわからないが、少なくとも彼女たちはこれほどの量を一度に見たことは無い。
「これ、他の人だともっと多かったりするんですか?」
「生徒会長さん、いるでしょ?あの娘はもっと大きな箱で、3箱ぐらい届いてた。さっきトレーナーさんが生徒会室から台車持って出てきてたよ。」
「……チョコレートですよね?」
「そのはずだけどね。」
唖然とするシュヴァルグランに、トレーナーは横に並ぶと机上の菓子をひとつずつ検分していく。
「うーん、やっぱりシュヴァルは女性ファンが多いのかな。まあ私もファンなんだけど。これとかこれとか、結構いいのが……って待って、これ確かかなりお高い奴じゃなかった!? 」
「どうしました、トレーナーさん?」
突然あがった大声に、シュヴァルグランが振り向いた。眼が合ったトレーナーは、驚いたままの表情で持った包みを見せる。シンプルなモノトーンの箱に刻まれていたのは、有名なショコラティエの銘。迂闊な品ではなく、デパートで売り出されているようなブランドチョコレートである。箱をかざすトレーナーの手が、小さく震え始めた。
「た、食べたいって言うかっ。確かこれ、外国で賞とか取ってたようなチョコだよ!チョコレート界の凱旋門賞的な!」
「いいですよ、トレーナーさんが気になるのは差し上げます。僕がこんなに食べたら太っちゃいますから。」
「……いいの?」
シュヴァルグランの言葉に、トレーナーはきらきらと瞳を輝かせた。えー、でもなー、と葛藤した様子を見せてはいるが、封をしているシールに手を伸ばし、いやいやと首を振っては離し、を繰り返している。
「何やってるんですか、トレーナーさん。」
「いやぁ、私もやっぱりお高いのは食べたいけどさぁ。もともとシュヴァルがもらったものだし、トレーナーの私が勝手に食べちゃったら悪いかなぁって。」
そう言いつつも、トレーナーは箱の隙間からちらりと中を伺う。その食欲と理性に挟まれている様子に、シュヴァルグランは。
「貸してください。」
一声かけてトレーナーの手から箱を取り上げると、封を切り蓋を開けた。中に整然と並ぶ宝石のようなチョコレートを一粒つまみ、自分の口に放り込む。
「僕が食べたかったので開けましたが、一人で食べるには多いじゃないですか。だから、トレーナーさんも手伝ってください。」
「……ありがとう、シュヴァル。」
トレーナーは礼を述べつつ、早速自分でも一粒口に入れた。たちまちその顔がぱあっとほころぶ。
「なにこれ、美味しい!甘さが濃厚なのに全然しつこくないし、さらっと溶けちゃう!でも存在感は強いんだよね、うわー、これがプロの技……!」
食べながら器用に感想を唱えていたトレーナーだが、シュヴァルグランも内心ではかなり驚いていた。コンビニで売っているようなものとはまるで違う風味、ミルクとカカオの絶妙なバランス。気付けば口の中から粒は消えており、ただ残り香だけが残っていた。圧倒的なチョコレートに、夢中で手を伸ばす二人。物の数分で、小さな箱は空になっていた。
「いやー、貴重だったなー。シュヴァルも美味しかった?」
「はい、とっても。姉さんとヴィブロスにも食べてもらいたかったぐらいです。」
「うわー、そんなにかぁ。贈ってくれたファンの方に感謝だね。」
ごちそうさまでした、とトレーナーは空に手を合わせる。しかし、シュヴァルにその姿は見えていない。
食べていい、と言われ、眼を輝かせていたトレーナー。その姿が、彼女の脳裏に焼き付いていた。
「こんなに美味しいチョコ、他に無いだろうなぁ。ありがとうシュヴァル、貴重な体験だったよ。」
「……他に無い、ですか。」
続く言葉を聞いたシュヴァルグランの心に、ちりちりと黒い小さな火が宿る。その火が、シュヴァルに口を開かせた。
「トレーナーさん。僕、もうひとつ美味しそうなチョコレートを見つけまして。」
「え、そうなの?」
食べたい食べたい、と子犬のような足取りで駆け寄ってくるトレーナーに、シュヴァルグランはポケットに手を入れて。
「ハッピーバレンタイン、トレーナーさん。」
その言葉と共に、空色の布で包まれた小さな包みを差し出した。手でラッピングしたのだろうが、歪んだところもなく、かわいらしく仕上げられ、口を留める白いリボンの結び目には、金に光る錨のシールが貼られている。受け取ったトレーナーは、やがてそれがどんなものか気付いたらしい。
「……シュヴァル?いいの?私に?」
「はい、トレーナーさん。どうぞ召し上がってください。」
「開けて、いい?」
震える手でそろりとリボンの端をつまんで引く。中から姿を現したのは、指でつまめるサイズの星型をしたチョコレートだった。数個まとまって、薄手のビニールに入れられている。
「……ありがとう!最高の贈り物だよ、シュヴァル!」
うわー、うわーと子供のような声をあげ、両手で掲げるように持った星のチョコレートを先ほどのような輝く瞳で見つめるトレーナー。その様子を、シュヴァルグランは何も言わず見つめていた。
「シュヴァくん……じゃない、シュヴァルからのチョコレートかぁ。うわぁ……。」
「そんなに嬉しいですか?」
トレーナーの喜びように、努めて冷静にそう口にするシュヴァルグラン。しかし、その尻尾がぱたぱたと動いているのは二人とも気付いていない。
「もちろん!大好きな娘からの贈り物なんて、嬉しくない人なんかいないってば!」
「大好き……。」
トレーナーの言葉を反芻するように繰り返す。その間も、トレーナーの気分は高揚し続け。
「一生かけて食べるね。」
「今日中に食べちゃってください。」
感極まったトレーナーの発言に、思わずシュヴァルグランは冷静極まりなく切り返した。尻尾の動きもぴたりと止まる。そのクールな突っ込みともとれる返答に、トレーナーの表情が泣き出しそうなものへと変わっていった。
「なんで!なんでそんな事言うの!シュヴァルは私の事嫌いなの⁉」
「大好きだから早く食べてほしいんですよ。」
とんでもない事をさらりと言ってのけたシュヴァル。しかし、感情が暴走したトレーナーはそれに気づかない。
「シュヴァルがくれたチョコだよ?お金じゃ買えないし、どんな対価だって足りないチョコだよ?今日食べきっちゃうなんて、そんなの!それを食べるなんてとんでもない!」
「悪くなっちゃいますよ。手作りだから市販品ほど持ちは良くないんです、すぐおいしくなくなっちゃう。いいんですか?トレーナーさん。僕からのチョコレート、わざわざ味が悪くなったのを食べたいんですか?」
容赦のない正論に、うう、とうめき声をあげるトレーナー。意を決したように一粒取り出して口に運び、かと思えば食べる直前で愛おしそうに眺め、やっぱりもったいないな、と袋に戻す。傍から見ている分には面白いが、渡した身としては干渉せざるを得なかった。先ほどのように手元のチョコを取り上げ、トレーナーの眼前に持っていくと。
「はい、あーんしてください。」
「ふえっ⁉」
甲高い声で悲鳴をあげたトレーナーを意にも介さず、ひらひらと顔の前にチョコレートをかざして見せる。
「別に毒があったりしませんから。はい、お口開けてくださいトレーナーさん。」
「で、でも……。」
未だじたばたとあがくトレーナーに、シュヴァルグランは切り札を切った。
ファンにも格好いい、クールだと評判の顔を思い切り寄せ、耳元で囁く。
「僕のも、食べてください。ね?」
「……ひゃい。」
効果覿面だったか、たちどころに赤くなるトレーナー。耳の先まで染めて、目線で窓の外を確認してからおずおずと口を開けた。
「あー……」
小さく愛しいその人に、シュヴァルグランはチョコレートを近づける。その口中に、一粒目が消えた。飲み込んだ頃合いを見計らい、シュヴァルグランが口を開く。
「トレーナーさん。僕の夢、覚えてますか。」
「『偉大なウマ娘』でしょ。当然だよ。」
顔を手で扇いで冷やしながら、トレーナーは間髪入れずに答えた。そうだ、とシュヴァルグランは頷いて見せる。
「だから、僕はレースで一着になりたい。一番のウマ娘だって言われたい。でも、」
そこで言葉を切り、彼女は自分の胸に手を当てた。先ほどからここで燃えている、小さく黒い炎。
『こんなに美味しいチョコ、他に無いだろうなぁ。』その言葉。
『他に無い』。冗談じゃない、ショコラティエだかなんだか知らないが、トレーナーの一番は僕だ。何であれ、顔も知らない奴に渡すものか。シュヴァルグランは、その火の名を、感情の名をまだ知らない。
「トレーナーさんの一番にも、僕がなりたいんです。」
シュヴァルグランは星型チョコレートを一粒つまみ上げた。しかしトレーナーではなく、自分の口に運ぶ。
「これを食べたら、教えてください。トレーナーさんの中で、一番おいしかったチョコ。」
それだけ告げると、シュヴァルグランは唇でチョコレートを咥え。ようやく事態を察したトレーナーの肩を抑えつけた。