「……は?」
治療室に、夏油の呆けたような声が響く。
「すまない、もう一度言ってくれないか?」
「……五条が盤星教の信者を皆殺しにして逃げた」
何故こんなことになったのか。多分……というか確実に私のせいだ。
愕然とする夏油。私も激しい頭痛に襲われて、こめかみに指を当てる。
護衛任務最終日。私は別の任務に赴いていた。
伏黒甚爾が理子ちゃんを射殺する前に何とか帰らなくてはならない、そう思って事を急ぎ過ぎた。私は呪霊からの反撃を浴び、少し重めの傷を追ってしまったのだ。
傷を止血する時間も惜しく、そのまま高専に帰ったのだが、硝子と丁度バッタリ会って、治療してもらった。多分それが駄目だったのだ。夏油の治療が遅れてしまった。
とにかく夏油の代わりに五条を探すため、私も直ぐに盤星教の施設へ向かった。そこには、とんでもない光景が広がっていたのだ。
『ご、五条……!?』
『あー……刹那?』
『いや、その……何、それ』
グチャグチャになった肉塊が広がる部屋。五条の真っ白な髪が、真っ赤な血で汚れていたのをよく覚えている。
五条は私の方を振り返ると、抱えていた理子ちゃんの死体をこっちに向かって乱暴に放り投げた。
『なんかさ、もうめんどくせぇんだよ。何で俺がこんなんの為に働かなきゃいけないわけ? もう俺呪術師やめるから』
『えっ』
『じゃ』
五条は1度も振り返らずに、どこかへと去っていく。私は声を掛けることも出来ずに、ただ蹂躙の跡が残る場所で夜蛾先生が来るまで立ち尽くすしかなかった。
とんでもないバタフライエフェクト。私が生きてきて、こんなのは初めてだ。五条が世界の敵に回るということはまあ詰み、と言っても過言ではない。
目の前の夏油は信じられない、と目を見開いている。そりゃそうだ。私も未だに信じたくない。
「そ、それで悟は……?」
「……分からん。だけど五条家は使用人も含めた一族郎党の死亡が確認されたそうだ」
「何だ……何なんだ……!」
夏油はついに頭を抱える。親友の変わり果てた姿に狼狽を隠しきれない様子。
それから、五条は生きる災害となった。気まぐれに呪霊を、術師を、呪詛師を、一般人を鏖殺し、またいなくなる。
自分の力を誇示するようにすり潰されたかつて人だった何かを処理しながら、私は吐き気が止まらなかった。
だがしかし、禍福は糾える縄の如しとも言う。五条の闇堕ちがもたらした利点というのも存在していた。
まず、夏油が闇堕ちしない。というかコイツも呪詛師になったら世界はマジで終わる。
さらに、気まぐれに呪霊が殺されるおかげか灰原が生き残ったのだ。
ついでに腐ったミカンもいなくなった。上層部は「五条を殺せ」だの「さっさと説得してこい」だの無茶難題を押し付けてきたが、気づいたら五条に皆殺しにされていた。今は暫定的に夜蛾先生と京都校の楽巌寺先生が指揮を執っている。
結局のところ、私は夏油が生き残ってれば良いし、もうなんかこのままでも良くない? 少しずつ思考が麻痺してきた。
時々飢えた猛獣が人里に降りてくるようなもの。
五条と出会ってしまった人は不幸だったな、まさしく〝天災〟にでも遭ってしまったんだと切り捨ててしまえば良い。
我ながら自己保身の極み──吐き気を催すクソみたいな考えで自分を納得させていた。
それから10年ぐらい経って、相変わらず五条は『最凶の呪詛師』として世間で恐れられている。たまにそのカリスマに脳をやられた連中が五条の元へ訪れるが、全員帰ってこなくなったらしい。
私はいつからか吸い始めた煙草を咥えながら、夏油の教え子たちの和気藹々とした訓練の様子を眺めていた。転校生が入ってきたのだ。名は乙骨憂太。
夏油が拾って来たその子はどうも憑かれているらしい──といっても私はそのことはもう既に知っているのだが。
「おーい
「真希ちゃん。大人にはこういうものがないと、やっていけない時があんの」
「ありゃ唯のダメ人間だなあ」
「しゃけ」
うーん、この生意気さ。若い!
しかしこの子らの担任である夏油はこう……一般教養とか、目上の人に対する礼儀とかは教えていないのだろうか?
私だからこうして笑顔で受け流せるが、いつか偉い人にもこんな態度で接して怒りを買ったら大変だ。
私は術式で炎を出し、パンダのフカフカな毛皮に近づけていく。
「焦げるっ! 白黒じゃなくて真っ黒パンダになる!!」
「コラ、刹那。あまり私の教え子を虐めないでくれるかな」
「夏油、アンタの教育どうなってんの?」
「尊敬する人物とそうでない人物に対する態度は分けるべきだと教えたね」
無駄に良い笑顔の夏油にイラついて、手に持っていた差し入れ用のスポーツドリンクをその顔面に投げつける。あっさり受け止められた。ニヤケ面が悪化しやがった。
私は夏油のことは無視して、汗だらけの乙骨に話しかける。
「君が乙骨憂太だね」
「は、はい……!」
「私は
「よろしくお願いします!」
握手のために手を差し出すと、タオルで必死に手汗を拭いとって遠慮がちに乙骨は私の手を握り返した。何処かから殺気が飛んできた気がするが気にしない。
ちなみに私は秤と綺羅羅ちゃんの担任。
賭博で勝ったら真面目に登校する、という約束を交わして、現在76連敗中だ。アイツら絶対イカサマしてるだろ。
それから訓練を続ける1年達を見守りながら、私は夏油と話をしていた。真面目な話ね。
「で、悟はどうだい?」
「ちっともお変わりないようで。気まぐれに蒼だの赫だの茈だのを連射して楽しそうにしてるよ」
「はぁ……せめて一般人にさえ手を出さなければ……」
夏油は重いため息をつく。私はその肩を叩き、煙草を差し出す。が、直ぐに叩き落とされた。
人が気を使っているのに酷い男だ。これがモテ男とは……世の中の女は案外騙されやすいのかもしれない。
「私は硝子や君みたいに煙草は吸わないよ」
「先っちょだけでもやってみ。楽になるぜ〜」
「それは駄目なヤツだろう」
冗談めかして言えば、夏油も少し肩の荷が降りたようで、顔の表情筋が柔らかくなった。いつまでも辛そうな顔されてもこっちが堪らん。五条がああなった一端は私にあるし。
そして真希ちゃんとパンダはそのまま訓練。狗巻は任務。乙骨はそのサポートで同行するみたいだ。
「へぇ、今から2人で任務か」
「ツナ!」
「はい……!」
「いいねいいね、頑張って来なよ。あ、乙骨って今回が初任務だよね?」
「え? はい……」
乙骨はキョトンとした顔をしながら頷く。
「この世界で生き残る上で、大事なことを教えてあげよう。『最凶の呪詛師には関わるな。会ったら死ぬ気で逃げろ』だよ」
「『最凶の呪詛師』……?」
「うん。かつて私や夏油、硝子の同期だった、白髪碧眼の男──五条悟。アイツに会ったら何が何でも逃げてね」
じゃないと殺されちゃうぞ! と指差すと、乙骨の顔がドンドン青ざめていく。狗巻は揶揄うな! と言わんばかりにポカポカと拳を叩きつけてくる。地味に痛い。
「ごめんごめん。ほら、飴ちゃんをあげよう。伊地知にも渡しといてね」
レモン味の飴玉を3つ狗巻に渡す。これで勘弁してください。
2人は口の中でそれを転がしながら、伊地知の運転する車で任務先へ向かっていった。
「報告です! 五条悟が乙骨憂太及び狗巻棘と接触!」
……うん?
乙骨曰く、商店街で呪霊を祓除したあと、とんでもない呪力量の男が現れたらしい。外見から私が言っていた五条悟であることが分かり、狗巻と必死に逃げたそうだ。
……が、残念ながらすぐに捕まった。何もされなかったと言っているが、残穢がべったりとこびり付いている。
「どう見る? 夏油」
「私たちに何か用かな、ハハハ……」
あわや教え子2人がいなくなるという事態に夏油の顔色は真っ白。ただでさえ悪い胃の具合が悪化していそうだ。あとで胃薬を買ってきてやらねば。
「そのうち高専にも来るんじゃない?」
「その時は、私たちだけで足止めして皆を逃がそう」
「だね」
数日後、マジで来た。高専のアラートが鳴り響く。
夜蛾先生は生徒の避難。私たちを置いていくことに関してかなりギリギリまで悩んだみたいだけど、未来ある若者を頼みます、と必死に頭を下げたら渋い顔して行ってくれた。
「よー傑。久しぶり!」
「悟……」
「私を無視しないで欲しいんだけどな」
「あれ、刹那もいたんだ」
「久々に会った友人が冷たすぎる」
何ら昔と変わりない、軽薄な態度。柳の描かれた濃紺の長着と袴、黒い羽織。意外と見る機会のなかった和服姿だ。
白髪碧眼という日本人離れした容姿だが、案外着物似合うなコイツ。
「アポなし訪問は非常識ですよ坊ちゃん」
「いやー実家なくなったんだから、もう坊ちゃんでもないでしょ」
「それもそうだ」
「悟、何しに来た?」
私と五条がおふざけ混じりの会話をしていると、夏油が真面目な話を切り出す。
五条は夏油の問いに、ニコリと笑顔を浮かべる。寒気がする程美しい顔だ。
「なんか飽きちゃったからさ。世界滅ぼそうと思って」
……うん。うん?
「最後に抵抗の機会をやるよ。12月24日の夜、俺は高専に襲撃するから、精々足掻けよ」
「……随分ロマンチックになったね。わざわざクリスマスイブにそんなことするなんて」
「良いだろ?」
「全くだ」
私が思考停止している間に話がどんどん進んでいく。五条がついに世界に牙を向いてしまった。おしまいだ!
「もう信じらんない! 良いとこのクリスマスケーキ予約したのに!!」
「そういう問題かよ。大丈夫、俺が代わりに食っといてやるから」
「ヤダーッ!」
「この状況で何でふざけられるんだ?」
開き直りかな。
五条は蒼の瞬間移動で帰って行った。多分移動中に軌道上の何人かが轢き殺されているだろう。
夏油は胃のあたりを抑えながらしゃがみこんだ。可哀想……。
12月24日。東京都立呪術高等専門学校。
全国の呪術師、そして呪詛師すらもそこに勢揃いし、世界の破滅を引き伸ばしていた。
四肢がもげ、挽肉と化した同志に目もくれず、皆抗い続ける。
やがて少しずつ、命の灯火は消えてゆく。
「げ、ほっ……!」
私もそう。もう長くない。飛び出た内臓を無理やり押し込んで、なんとか術式を行使する。
夏油がどっかでたらしこんできた海外の術師の呪具を使って五条の無下限を乱し、乙骨と夏油の全力の攻撃で仕留める。他の術師は肉盾。
その作戦が失敗した以上、私たちには為す術はない。
夏油も乙骨も命は無事だけど、2人にはもう攻撃手段がほとんど残されてない。
どうせ死ぬなら、この命尽きるまで抗ってやろう。五条もそれが見たいんだろうし。
「炎禍呪法、極ノ番──灰塵」
私の命を掛けた炎。それが高専中を覆い尽くす。仲間たちの亡骸を燃料に、火は燃え上がっていく。
五条にもその炎は迫る、当然無下限に遮られた。
「今更何? 俺の術式を突破できると思ってんの?」
「はは、まさか。でもアンタだって人間だ。呼吸もするでしょ」
「あー、そういうこと。でもさあ──」
炎は五条の周りの酸素を喰らい尽くしたが、尚もその勢いは留まるところを知らない。不完全燃焼になって青かった炎が赤く染っていく。
「オマエが死んだら終わりじゃん」
「最期ぐらい直接触りに来いよ、五条!」
「焼けるのはゴメンだね。代わりに全力で葬ってやるよ。虚式──『茈』」
仮想の質量が私へと襲いかかった瞬間。ここで私の記憶は途切れている。
このあと世界が、夏油が、五条がどうなったのか、私には知る由もない。
いやはや、夏油という善悪の指針がちょっと遅れただけで世界が終わるとは全く思いもしなかった。これからはこの辺にも気をつけないとね。
■小梢 刹那
諦めモード全開。
■夏油 傑
もう猿とか言ってる状況ではなくなった。
■五条 悟
このあとめちゃくちゃ世界壊した。
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那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ