東京から仙台まで約1時間半。新幹線の座席でゆったりと座りながら、虚枝刹那は窓の外を眺めていた。
都会の喧騒から離れていくごとに、窓から見える呪霊の数も少なくなっていく。
大宮から仙台まではどこにも停車しない。早朝に起きたせいか、刹那は強烈な眠気に誘われて、そのうちすやすやと寝息を立て始めた。
座席で眠ったはずの刹那は、自分がどこかに立っていることに気付いた。足元には何か液体のようなものが広がっている。暗がりでよく見えない。
すぐに夢だと理解して、辺りを歩き続ける。1歩踏み出すごとに、水音がした。
ふと、自分の胸元が何かに引っ張られているような感覚に陥る。刹那が視線を下に向けると、1本の糸が伸びていた。
か細く、今すぐにでも千切れてしまいそうなそれは、ずっと向こう側へと繋がっている。
その糸を辿るように、足を動かす。
進めば進むほど、糸の太さは増していき、引っ張る力が強くなっているように感じた。
ついに、刹那は繋がっている何かのもとへ辿り着いた。蹲る背中は、酷く小さく、懐かしく感じた。
小柄な少女からは無数の糸が伸びており、自分はその1部でしかないと本能的に理解する。そして、今この場にいる自分と少女以外の糸の先は死体であろうことも。
「……かえして……」
啜り泣く少女の背中を摩る。待ってて、私がなんとかしてみせる、と慰めようとしたのに、刹那の口から言葉が紡がれることはなかった。
『まもなく仙台、仙台です』
新幹線に流れるアナウンスで、刹那は目を覚ました。視線を胸元に向けても、そこから何かが伸びていることはない。
──何かが、掴めそうな気がしたのに。
もどかしい思いを抱えつつも、トートバッグを肩から下げて新幹線を降りた。
駅付近こそ政令指定都市らしくビルが立ち並び発展しているが、少し離れると家がひしめき合う住宅地へと辿り着く。
地図と携帯を片手に周りを何度も確認する刹那の姿は、どうみても土地勘のある者のようには見えなかっただろう。
誰かに道を訪ねようとしても平日の昼下がりには人通りも少ない。また夕方頃に出直そうかと駅へ戻ろうとしたとき、刹那は声をかけられた。
「あの、もしかして何か探し物ですか? 私は地元の者なので良かったらお助け出来るかもしれません」
柔らかそうな色素の薄い髪、四角いフレームのメガネ。人畜無害そうな笑顔をこちらに向けている。
刹那は突然声を掛けられたこと、その男の特徴に心当たりがあることから、少ししどろもどろになりながらも口を開いた。
「あ、……あの、私、人を探していまして。……虎杖香織さんはこちらにお住まいと聞いたのですが、ご存知ないですか?」
そう言うと、男は驚いたように目を見開いた。
「虎杖香織は私の妻ですよ」
私の親が虎杖香織さんに親切にしてもらって、そのお礼に来たんです、と事前に考えていた説明をしながら、刹那は男──虎杖仁と共に路地を歩いていた。
──まさかこんな簡単に会えるとは。
何日か掛かることも想定していたが、予期せぬ幸運で簡単に事が進んだ。刹那は思わず神に祈ろうとして、後光の差すムカつく輩の姿が脳内にチラついてすぐにやめた。
数分もしないうちに虎杖家についた。周り比べて何ら変わらない、普通の住宅だ。
仁はポケットから鍵を出し、扉を開けて妻の名前を呼ぶ。恐らくリビングの方向から、パタパタとスリッパをはいた人特有の足音が聞こえた。
「仁さん? どうかしましたか?」
奥から出てきたのは少し小柄で、黒髪を顎のラインで切り揃えた女性。刹那は彼女の綺麗な顔立ちを台無しにするような、逆に神秘性を高めるような、額の横一直線の傷跡に目がいってしまう。
「この人が君にお礼がしたいんだって」
「こんにちは、虎杖香織さん。私は虚枝刹那と申します」
名を名乗り、軽くお辞儀をすると香織は少し困ったような顔をした。
「あら、お礼を言われるようなことをした覚えがありませんが……」
「私ではなく、私の親がお世話になりまして。ゆっくりお茶でも飲みながらお話しませんか?」
未だに心当たりがないようで、困っている様子の香織だったが、夫に「いってきなよ、悠仁は見とくから」と勧められ、渋々ながらエプロンを脱いだ。
刹那は仁に礼を言い、深く頭を下げる。本当に、運が良かった。
お茶、と言っても刹那にはこの辺の喫茶店の場所も分からなかったので、結局香織に任せる。誘っておいてこの体たらくは少し情けないと思ったが、仕方がないと刹那は気持ちをすぐに切り替えた。
地元民が集う喫茶店のドアを開くと、ドアに付けられた真鍮製のベルがカランと軽快な音を奏でた。
町民たちの憩いの場であろうこの店は昼時ということもあって、主婦たちが集まり姦しく世間話をしている。彼女らの声量でこちらの会話が掻き消されてしまいかねない。
香織はアイスコーヒー、刹那はキャラメルラテといちごパフェを注文して、おしぼりで軽く手を拭いた。
「すみません、やっぱり人違いではないでしょうか?」
道中ずっと記憶を辿っていたが、やはり思い出せずに、香織は気まずそうな顔をした。
「ごめんなさい、私嘘ついたんです。貴方と少し話がしたくて……」
「え……?」
「もう少し腹を割って話しましょうか。虎杖香織さん。いえ、こうお呼びした方がいいかな──〝羂索〟」
「……へえ?」
優しげな女の顔が、一瞬歪む。ピリ、と緊張感が走った。
若い店員がテーブルに注文の品を置く。何か嫌な雰囲気を感じ取ったのか、そそくさと店員は去っていった。
「結論から話しましょう。私の身体はいりませんか?」
湯気が立つティーカップを口元へ持っていき、1口。ほろ苦いカフェラテと甘いキャラメルソースが口内へ広がり、刹那はニコリと微笑んだ。
「鴨が葱を背負ってきたというのはこのことを言うのかな?」
「何なら自分から下拵えもしてあげますよ」
この娘は一体何処まで自分の情報を知っている? 羂索はティーカップを傾けて舌鼓を打つ刹那を見定めるように見つめる。
「〝縛り〟を結ぼうか。『君は私の質問に、嘘偽りなく答える』」
「回答を拒否することは?」
「構わないよ」
それならば、と刹那は首を縦に振る。〝縛り〟は成された。
「君は一体私の計画をどこまで知っている?」
「……どこまで、というのは中々難しいですね。五条悟を獄門疆で封印して、呪霊操術で天元を手中に……うーん……」
「いや、そこまで知っているのならもう結構」
「あ、そうですか」
刹那は拍子抜けしたようで、気の抜けた仕草で目の前のパフェをスプーンで掬う。淡いピンクで彩られた爪が、微かに陽の光を受けて煌めいた。
「何かを要求するなら、それ相応の見返りが欲しいんだろう。それは何だい?」
「……夏油傑の身の安全」
「君らってそういう関係だったっけ?」
「やめてください。違います。本当に違います」
鳥肌が立ったようで、白いニットに覆われた二の腕を摩る仕草をする。ここまで嫌がるのも夏油に失礼ではないだろうか。恐らく夏油側も同じようなことを言われれば、似た反応を返す可能性が高いが。
「私の要求は一つだけ。あなたとその協力者が夏油傑に一切の危害を加えないという縛りを結びたいんです」
「それは少し厳しいね」
カラン、と溶け始めたアイスコーヒーの氷が音を立てた。
羂索は1口、コーヒーを飲み、話を続ける。
「五条封印の際に絶対彼、邪魔してくるだろう? その後もこっちに敵意を向けてくるだろうに、手を出さないというのは不可能だ」
「それもそうですけど……上層部を支配してるんですから適当に海外にでも飛ばせばいいじゃないですか」
「そこまで知ってるんだね。それでも五条悟封印の知らせがあれば日本に帰ってくるだろう」
「うー……じゃ、じゃあ! 命、命さえあれば構いません!」
何故ここまで夏油傑に拘るのだろう。羂索は目の前で苦しげにキャラメルラテを啜る女の真意が分からずにいた。
「それならまあ……でもね、君」
「はい?」
「今君と縛りを結ばずに始末して、夏油の身体をもらった方が円滑に事が進むと思わないかい?」
一瞬、刹那の身体が固まる。ぱちり、と全てを吸い込むような黒い瞳が、1度だけ緩慢に瞬きをした。
「……私がそれを考慮してないと思います?」
「へえ……」
「私が死んだら五条に現在地を送る仕掛けを施してます。あと自爆もしますよ。縛りを結んだら全部破棄しますけど」
「君、ちょっとイカれてるね。私を脅す気かい?」
「あはは、脅してるつもりはないんですけど、五条悟が怖いからこうして影でコソコソやってるんでしょう? だったらそれを利用しない手はないってことです」
そうだね、と刹那の言葉を素直に肯定する。間違いなく現代最強の術師は彼だ。真っ向から立ち向かえば羂索はあっという間に捻り潰されるだろう。
それでも自分が見てきた中での最強は別の人物だけど、と内心ほくそ笑んだ。
「でも君の身体を貰ってもちょっと問題があってね。獄門疆の封印条件は知っているだろう?」
「封印対象の脳内時間1分でしょう」
「その通り。君の存在1つでそこまで時間稼ぎが出来るとは思えないんだよね」
これが五条悟の親友ならば話は変わるのだけれど。言外にその意味が込められているのを感じたのか、刹那は眉をひそめた。
「それぐらいは私も考えてきてますよ。例えばですけど、友達が死んじゃったらあなたはどう思います?」
「場合にもよるけど……ただ漫然と生に醜くしがみついている姿よりはマシだと思うね」
「質問する相手を間違えましたね」
誰のことを思って答えているのやら。刹那は内心唾を吐きながら、半分溶けたパフェのアイスを口に運んだ。
「実際に五条にも聞きました。彼は私が死んだらちゃんと悲しんでくれるみたいですよ」
「それだけだろう?」
「はい。だからもう少し
自分を乗っ取った羂索を見て、脳内時間1分を経過させるためにはどうすればいいのか? 刹那はスイーツバイキングに行ったあの日以来ずっと考えていた。
「たとえただの友人だとしても、そいつが惨たらしい死を遂げたなら? その姿をもう一度見た時、その光景を思い出しませんか?」
それを経験するのは自分だと言うのに、半ば自暴自棄なのか嬉々として語り続ける姿に、羂索は苦笑いを浮かべる。
爛々とした瞳には紛れもなく狂気のような何かが渦巻いており、どう見たって正気のようには思えない。自分の命を命とも思わない気狂いの目だ。
「訂正しよう」
「え?」
「ちょっとじゃないね。君、かなりイカれてるよ」
そうですか? と何故か照れくさそうに刹那は笑顔を浮かべながら頭を掻いた。
「あ、そういえば呪霊操術の術師が死んだら、取り込んだ呪霊がどうなるか知ってます?」
「暴走するよ」
「やっぱりそうなんですねー」
猫の頭のような呪霊をピザ生地を伸ばすように指先で弄びつつ、刹那は長年の疑問が解消されてスッキリした。
──じゃあ死ぬ前にちゃんと全部吐き出しておかないとな。
羂索側の準備が整うまでの間、刹那はひたすらうずまきを辺りにぶち込む。流れ作業だとせっかくの必殺技もくすんで見えるものだ、と辟易しながら全ての呪霊を吐き出した。
宴の翌日。家入硝子は二日酔いなど一切なく、清々しい気持ちで教室に入った。
そこには男子共が揃っており、始業時間を過ぎていないのに珍しいなと家入は思った。明日は槍でも降るのかもしれない。
「おっはー」
「おはよう硝子。あれ、刹那は?」
「そういや会わなかった。二日酔いで寝込んでんじゃない?」
「馬鹿だなーアイツ」
ケケケと悪い笑顔を浮かべながら五条は椅子の足を半分浮かせてフラフラしていた。
夏油は見舞いにでも行こうかと家入に伝える。当然家入も頷き、五条のことは放っておいて購買へと足を運ぶ。
適当にスポーツドリンクだのゼリーだのを買って、寮へと乗り込む。気付けば五条も2人の後を着いてきていた。
「刹那? 開けるよー」
彼女の部屋の扉には鍵も掛かっていない。不用心だなと思いつつ、家入はドアノブを回して中へと踏み入った。
「……いない?」
「机に書置きがあるよ」
家入の予想とは違い、布団には何の膨らみもない。
小さなちゃぶ台のような机に、ノートをちぎったような紙があり、書置きが残されていた。急いでいたのか、その字は随分と雑だ。
「『少し実家に帰ります』……か。親御さんに何かあったんだろうか?」
「まーそのうち帰ってくるでしょ。連絡ぐらいしていけってメール送っとこ」
だが、1週間が過ぎても級友は帰らず、メールの返信もない。
不審に思った夜蛾が刹那の親に連絡を入れるも、彼らは『刹那は帰ってきていませんよ』と言うだけ。
──何かが起こっている。
夏油が呪霊操術で彼女の痕跡を探そうと動き始めた時、高専に荷物が届いた。差出人は探していた虚枝刹那本人だ。
五条は心配かけさせやがってと乱暴に封を解き、中身を確認する。
そこに入っていたのは無地のケースにDVDが1枚だけ。ディスクの表面には彼女がいなくなった日付が書かれていた。
3人は顔を見合わせて、寮の共有スペースにあるテレビにそれを読み込ませた。何か薄ら寒い感覚に襲われながら。
■虚枝 刹那
五条には負けるけど甘いものは好き。
いつだってSAN値ピンチ。
■羂索
この時にまだ香織さんなの虎杖の記憶と矛盾しない?と思った人、見逃してください。
那由多の明日はどっちだ
-
しめりけ
-
だいばくはつ