11.壊れた心の治し方
──なんで?
なんで、私はまだこの世界にいる?
目を覚ました時、私は自身の呪力を一切感じられなかった。だから、やっと帰れたのだと、あの世界から抜け出せたのだと思った。
それはぬか喜びだった。今までの記憶は相も変わらず私の脳をオーバーヒートさせ、新しい自分と過去の自分たちは邂逅していた。
五条刹那。五条家の分家に生まれた術式どころか呪力も持たない出来損ない。それが私。
両親からは忌み子だと大層嫌われており、見えても祓えない呪霊に追いかけられていたところで五条悟に出会った。
私の優れた身体能力を見た五条は遊び相手に丁度良いと本家に引き取って、仲良く暮らしている。使用人からはあまり好かれていない。
今の私の情報を処理しながらも、心は動揺一色だった。
どうして、私はちゃんと、羂索と縛りを結んだはずなのに。夏油は生き残ったはずなのに。熱が冷めきったはずの脳がぐるぐるする。
あれほど辛い責め苦に耐え切ったのも、全てこれで終わりだと思ったからだ。死には慣れても、痛みには慣れない。
生爪を剥がされ、潰され、熱した鉄棒で貫かれ、首を絞められて挙句の果てには斬首。あの痛みはまだ私を蝕んでいて、じわじわと指先から嬲り殺しにされるような感覚が忘れられない。
胃から酸っぱい液体がせり上がってくるような感じがする。
──助けてくれ! 誰か!
私は無意識に握っていたペンに力を込める。それは簡単に真っ二つにへし折れて、破片が私の手に刺さった。
血がボタボタ垂れる様を見て、また錯乱する。
私は、決して強くない。トラウマに精神をやられながら何度も繰り返して来れたのはやり直す度にその恐怖が徐々に薄れてきたからだ。
それでも精神の摩耗というものは存在する。恐怖と痛みがヤスリのように少しずつ確実に私の心を摩り下ろし、残ったのは粉々になった残骸だけ。
「なんで、私がこんな目に……」
羂索。アイツのせいだ。いや、違うでしょ。そもそも私をここに産み落とした神を名乗る不審者のせいでこんなことになってるんだよ。
──本当に?
4本腕のどこかの誰かが言っていたように、私たちは身の丈にあった不幸を噛み潰していればいいのかもしれない。
身の丈にあわぬ幸福を望んだからこそ、私はこうして今全身を押しつぶすような不幸に苛まれているんだろうか?
私が、望んでしまったからいけないんじゃないの。くだらない日常を謳歌していれば良かったのに。
私が悪い。全部自業自得だ。お前なんて、生まれなければよかったんだ。
死んでしまいたい。救われたい。でも、私にとって
それでも衝動に突き動かされるまま、部屋から紐状のものを探す。
少し細めの帯があった。括り付けられる場所はないか上を見た。
吊り下げ式の照明があったので、机に乗って固く帯を結んだ。蹴り出せば私は即ご臨終、もう1回遊べるドン。
恐怖に潰れた心がドックンドックンと悲鳴を上げている。さあ、今こそ旅立ちの日よ。私は机を思い切り蹴り上げ──
「何やってんだ馬鹿!」
その前に、私の身体は誰かに抱き止められていた。帯は千切られ、首に何かが食い込む感触も感じられない。
子供のような体温が、冷めきった私の身体に染み渡る。何故か、安心感を覚えてしまう。
眼前にはいつか沖縄で見たような海が拡がっていた。私の汚泥のように濁り切った目じゃない。羨ましい。
「悟兄」
「テメェ自分が何してるか分かってんのか!?」
私が自我を獲得するまで──なんと12年。いつもの法則が狂っている。
五条刹那は五条悟のことを悟兄と呼んでいた。
実年齢で言えば私の方が誕生日が早いんだから、兄はねえだろ兄は。そう思ったが、直系で無下限と六眼を併せ持つ五条悟を尊敬して、ということなのだろうか?
しかし今更悟兄と呼ぶのも流石に恥ずかしい。というわけで悟と呼ぶことにする。悟は何ヶ月か年上の妹分にやってきた反抗期に動揺を隠しきれないようだった。
衝動的な首吊り自殺を止められて以降、悟は私からぴったりと離れなくなった。
元からフィジカル的に遊び相手だったから結構仲が良かったが、それにしたって風呂とトイレ以外は距離を取らない勢いなのはおかしい。
寝る部屋も一緒。布団を2つ並べているのに悟は気付いたら私の布団にまで入り込んでいる。
奴はスーパー子ども体温で湯たんぽみたいに暖かい。冷えきった指先を悟の首に当てるとその熱を少しずつ奪うことが出来た。アニマルセラピーならぬ悟セラピーかな?
だが、そんな簡単に壊れた精神が元に戻るなら精神科医は今頃全員廃業している。
夜が来ると、私は段々歯の根が合わなくなってガタガタ震え出す。指の感覚がなくなってきて、全身を何か化け物にでも丸呑みにされたような気分になる。
ひたすら譫言をブツブツと呟いて、二の腕を掻きむしった。これでは明らかに頭がおかしい人間ではないか。
気が狂ったように叫び、自傷行為に走る私を止められるのは悟だけ。使用人が私を『狐憑』だの『気違い』だの陰口を叩いているのはなんとなく分かった。
しかし事実なので何も言い返せない。そんなことに構っているほど余裕もない。
工具、鋭い刃、首を覆うようなもの。怖気を誘うこれらは私の見えない所に隠された。過保護だな〜。
何年か経って、悟は高専に行くことになった。私はやっと悟の庇護下から離れるのかと思ったら、当然のように連行されるらしい。
精神状態も割かしマシになってきて、時折1人になる時間もあったからてっきり置いていかれるものかと。
私はフィジカルギフテッドだから呪具がなければ呪霊も倒せない。なのに連れていかれてもなあ。
高専も困るだろう、こんな問題児。いや、それは悟がいるなら今更か。
私も東京へ行くという話になったとき、使用人は『お前まだ坊ちゃんにおんぶに抱っこなの?』と物凄い目で見られた。流石にここまで私が悟に引っ付くのは予想外だっただろう。私はどちらかといえば悟が私に引っ付いているんだと主張したいが。
ロクに祓えもしない呪霊が詰まった懲罰部屋に入れられる禪院家よりはマシだが、御三家のくせに呪力も扱えない落伍者の扱いはあまり良くないものだった。
それを五条悟パワーで何とかしていたので、悟が高専に行くのをキッカケに溜まってきた鬱憤を晴らしてやろうと思っていたのだろう。残念ながら私も着いていくことになったが。
呪力を持たない人間が入学するのは前例がほぼなかったらしく、呪具の貸与についてなど色々と複雑な手続きがあったから、悟より私は少し遅れて入ることになった。
不満はない。むしろ良くも入学許可が出たものだ。
そして入学前日。
使用人の立場で主人に懸想しているどっかの馬鹿が、悟が準備のためにいない時を狙って刺しに来た。
その動きは私の優れた身体能力の前には酷く緩慢に見えた。抵抗しようと思えば簡単にその刃を叩き落とせる。
だが、冷たく光る刃が私の狂気を駆り立てる。押さえつけられていた希死念慮が頭をもたげて私の思考を支配した。
獣のような咆哮が、私の鼓膜を揺らす。そんなチャチな刀じゃ死ねない。私は死ねない。もっと、もっと!
鮮血、疼痛、視界不良。全部、私のものだ。気づけば口からは笑い声が漏れだしていた。
何笑ってんだと相手の機嫌を逆撫でしたらしく、刃は何度も何度も私の身体に突き立てられる。
視界の端に、また海を見た気がした。
──気付いたら、私はどこかに横たわっていた。消毒液のような匂いがする。臭いような、癖になるような……。
「目、覚ましたの?」
「……はい」
五条家は古い家らしく布団派だったので、ベッドがあるということは別の場所だ。
そして目の前の女性、家入硝子の存在。ここは恐らく高専の救護室だ。よく見たら見覚えあるわ。
起き上がろうとしたが、身体が上手く動かない。ついでに視界も悪い。片方の目が何かに覆われている。
自分の身体をよく見れば、包帯でぐるぐる巻きだった。一体何が?
「あの、これ……何ですか?」
「覚えてないの? 私も五条から聞いただけだけど、アンタ全身滅多刺しにされてたらしいよ」
「滅多刺し」
記憶を辿れば鬼のような形相の女が私に馬乗りになって小刀を振りかざしている姿があった。すぐにシャットダウンする。怖ぇよ。
というか私もハイになりすぎだ。変なクスリでもやってんのかってぐらい頭がおかしくなっていた。
硝子によると身体の外側だけでなく、内側──内臓までそれはもう丹精込めてぐちゃぐちゃのどろどろに弄ばれたらしい。常人なら5、6回は死んでるような傷の具合だと。私の生命力の強さに彼女は若干引いていた。
「悟は大丈夫ですか?」
「さあ? 今は実家に帰ってるらしいよ」
アイツまじでお坊ちゃんだったんだね、と興味なさげに語る硝子。
しかし悟には悪いことをしてしまったかもしれない。後で謝らないと。
とりあえず、動けるようにはなった。1週間かそこら寝ていたらしく、足捌きがなんだかぎこちない。
視界が制限されているのがもどかしくて、包帯を解く。右目を断ち切るように斜めの傷跡が残っていた。
これで私もスカーフェイス。真希ちゃん、甚爾君とお揃いだ。
私も来たよ、こっち側。かなり不本意だけど。
「刹那!!」
私の目が覚めたのを聞きつけたのか、悟は救護室の扉を壊す気かと言わんばかりの勢いで開いた。
「ど、どうも……」
「おま、ば、っ!」
悟は口をパクパクさせている。何から言うべきなのか判断がつかないんだろう。
私の身体能力があれば下手人を取り押さえることなど簡単だ。悟もそれを分かっていて、何でわざと刺されたんだとか言いたいはずだ。
怒られんのやだなあ。そう考えていた私の肩を、悟は掴む。なるべく力を込めないようにしているのは何となく分かった。
「……大丈夫か?」
「うん?」
「抵抗できなかったんだろ、アイツが刃を向けてきたから」
私は一瞬、言葉の意味が理解できずに固まる。
しばらく思考を回し続けた結果、悟は私があえて抵抗しなかったのではなく、恐怖によって抵抗出来なかったと考えているのだとようやくわかった。
刃は私の直接の死因。トラウマ筆頭候補だから、あながち間違いでもない。
そして助けてくれたのは間違いなく彼だ。だから悟に謝罪とお礼を言ったけど、何だか喉に小骨が刺さったような微妙な顔をしていた。
こんな身体で任務もクソもないわけで、私は療養中の身だ。
私の精神状態については既に情報が共有されているらしく、決して1人にならないように気遣われていた。なんだか恥ずかしい。
リハビリついでに夜蛾先生と高専の廊下をテクテクと練り歩いていると、ボンタンを履いた変な前髪の人がいた。夏油だ。
私のことは悟から聞いたのか、それとも知らないのか。分からないけど、彼は私の姿を見て痛ましそうな目を向ける。包帯だらけだもんね。
「……君は…………」
その姿を一目見た瞬間、私の死にきった瞳からぼろぼろと涙が零れ出す。動揺するような夏油の声が聞こえた。
私をこの道へ引き込んだのが夏油ならば、道を踏み外した私を元の軌道へ戻すのもまた彼の役目。勝手に言っているだけだが。
──私は何をやっているんだ。
正気に戻れ。くだらない感情に振り回されるな。
お前の役目はまだ終わっていない。死ぬなら役目を果たしてから死ね。
何百人もの私が囁く。その通りだ。
心がすりおろされて粉にでもなったとしても、水分でも混ぜてもう一度練り直せば良い。熱して溶かして型に流し込めばいい。見てくれだけは元に戻せる。
立ち止まるな。進み続けろ。私がここに生まれ落ちた理由をもう一度思い出せ。
コクリ。私は1人で勝手に納得するように頷いた。そして、涙を拭ったあと目の前の男に手を差し出す。
「みっともない所をお見せしました。初めまして、悟から聞いてるかもしれませんが……五条刹那です」
「あ、ああ。私は夏油傑だよ、よろしく」
握った手は悟ほどではないけれど、暖かい。私の冷たい指先が彼の体温を少しずつ奪っていく。
──まだ、私はお前のためにやり直せる。何度でも。
■五条 刹那
心の強さでもう1丁!
■五条 悟
臆病な小動物がいつのまにか全自動自傷マシーンになって頭を抱えている。
■家入 硝子
正直捌いて身体がどうなってるかみたいと思っている。
■夏油 傑
このあと泣かせたと誤解されて五条と一悶着あったとかなかったとか。
2章はジャンプ3大原則『努力・友情・勝利』をモットーにする予定です。たぶん。
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ